表現よみの提唱(4) 2011・11・02新稿付加 第四節 表現よみ授業と音声表現の特長 本稿では、表現よみ授業の特長、児童の音声表現の特長、指導上で留意 する事項などについて、七つの項目に分けて書きます。 目次 (1)表現よみは、折り目正しく、端正で、素直な音声表現である。 (2)表現よみの指導は、音声解釈の指導である。 (3)文章内容を身体に響かせ、感情まるごとの声として表現する。 (4)表現よみは、文章内容を全一的に一挙に把捉して声に収斂させる。 (5)表現よみは、瞬時にぴったりした音表象を浮かべる能力が育つ。 (6)表現よみは、黙読能力を高める指導である。 (7)読み手の人格が加わった音声表現となる。 (1)表現よみは、折り目正しく、 端正で、素直な音声表現である。 表現よみは、へんな読み癖、へんに調子づいた・節がついた読み音調、 おかしなイントネーションの読み音調をもっとも嫌います。表現よみは、へ んな読み癖や節や調子づいた読み音調を拒否する音声表現の仕方です。もし 学級児童にへんな読み癖をつけて読む子がいたら、まずそうした読み調子・ 癖を正す指導から始めます。 表現よみは、文章の意味内容のみをポンと音声で外へ出す読み方です。 表現よみは、癖のない、素直な、淡々とした音声表現の仕方です。表現よみ は、文章内容の表現価のみが声に出て、文章内容とは無関係な種々雑多な狭 雑物の読み声音調を排除した音声表現の仕方です。 つまり、表現よみは、折り目正しい読み方、端正な読み方、素直な読み 方、中正かつ実直な読み方をめざします。英語で言えば、シンプルかつク リーンな音声表現です。 折り目正しい読み方とは、 (1)へんな読み癖をつけないで (2)文字を一つ一つ正確に拾って (3)ゆっくりと (4)はぎれよい発音で (5)十分な声量で (6)意味内容で区切って、 (7)意味内容だけが素直に・実直に音声にのる などが主な条件です。 (4)(5)について。 発音発声指導のかなめは、のどを開いて、声帯 にしっかり息を当て、身体(頭、顔、胸、腹)に共鳴した、響きのある声を 出すことです。大きな声とは、ばかでかい声ではなく、響きのある声です。 共鳴した響きがあれば、大声を出さなくても「はぎれよい、十分な声量」に なります。小声の児童には、声帯に息をしっかり当て、共鳴をきかせて、張 り気味に声を出させるようにします。 (6)については、本ホームページの「表現よみの授業入門」章の「間の あけ方で音声表現の七割は決まる」「間はたっぷり気味に長めにあけるとよ い」などをお読みください。 表現よみの初期は、折り目正しい、端正な読み方を指導します。折り目 正しい、端正な読み方とは、妙な読み癖のない、素直な、整然とした、客観 的に伝えるだけの読み方です。誇張や飾りのない、控え目な、物足りないほ ど淡々とした読み方です。分かりやすく言えば、アナウンサーがニュースを 読む音調がいちばん近いです。文章内容の区切りがはっきりし、事柄を正確 に分かりやすく音声にのせることのみに集中した音声表現の仕方です。自分 の主観的な価値感情を押し付けない、独特な読み調子・読み癖・へんなイン トネーションをつけない、端正で素直で素朴な読み方のことです。 (2)表現よみの指導は、音声解釈の指導である。 表現よみは、音声解釈(口頭解釈)の指導法を旨とします。文章を音 声に出して、口頭(音声表情)のありようで読み深める指導方法の学習です。 声に出して読むと、黙読と比較して、つっかえ読みやずらずら読みはできな くなります。意味内容が声にのっかるようになります。上手な音声表現をし ようと努力するようになります。声に出して読むと、黙読している時のよう ないいかげんな読み方はできなくなります。 黙読では読めない漢字があっても飛ばして読んでしまいますが、声に出 して読むと、読めない漢字は誰かに教えてもらったり、辞書で調べて読まな ければならなくなります。難語句があったら、これも誰かに教えてもらった り辞書で調べなければならなくなります。内容が十分に分かっていなければ 音声にのせて読むことができません。声に出して読むということは、声で文 章内容を聞き手に分かるように表現することです。声に出すことによって、 文章内容の理解を深める作業が必要となってくるわけです。 文章を声に出して読むと、黙読のときと比べて、うんと神経を使うよう になります。表現よみを長年練習している友人は、文庫本を3ページも読め ば、へとへとに疲れる、と言っていました。ということは音声表現すると、 深い読みとりへ導びかれるということです。声に出して読むと「ここは、こ んな文章場面だから、こんな感じ・雰囲気にして声に出して読むべきだ。こ の会話文は、話者がこんな伝達意図と気持ちで相手に語っているので、怒鳴 りちらして大声で読むべきだ・ひっそりとつぶやくように読むべきだ、など と、種々の音声表現の色付けが求められてきます。 文章を声に出すと、口頭で瞬時の解釈深めの作業が求められます。文章 を声に出して読むことは、口頭解釈(音声解釈)で文章内容を読み深める思 考操作が要請されてきます。文章内容をメリハリづけて表現しようとすれば、 声によって解釈深めをする方法が求められ、表れ出た読み声を更によりよい メリハリにしようとする努力が求められるようになります。 つまり「文庫本を3ページも読めば、へとへとに疲れる」ということに なります。ここに黙読と比較した効用があります。文章内容を表現的(情感 豊か)に音声表現しようとすれば、文章内容を深く読み深めることを同時に 行わなければならなくなります。このような表現よみ指導を繰り返していけ ば、児童たちは解釈深めと同時に思いやテンションをいっぱいにして、瞬時 に意味内容を膨らまして音声表現する能力が身についていくようになります。 (3)文章内容を身体に響かせ、 感情まるごとの声として表現する。 声の大きい人に悪人はいない、と言われます。声の大きい人は、他人に 好かれて、人生を前向きに生きている人が多いです。というか、そういう人 が多くいますね。声の大きい人は、人生を明るく、素直に、行動的に生きて いる人が多いですね。 最近の子ども達は、声が小さい、声が衰弱しているといわれて久しいで す。授業中や人前で話す声が小さいのです。教室で本を読ませたら、蚊の鳴 くような声で読む児童が多いです。こうした児童がいたら、声を大きくする 指導がまず必要です。音声表現が上手とか下手とかはさしおいてです。 大きな声とは、ばかでかい声ではありません。よく響く声、共鳴がつい た声です。共鳴のある、よく響いた声なら、小さな声量でも、十分に大勢に 伝わる声になります。共鳴がついた声が出せるようになったら、大きな声や 小さな声やひそやかな声や甲高い声など、声質を自由自在に変化させる練習 をすることも必要でしょう。 声の大きさを自由にコントロールできるようになったら、「ここの文章 部分はこんな思い入れを込めて音声表現しよう」という読みの目あてを持た せます。文章内容の文脈(コンテクスト)にそって、それに向かっての気持 ちを高ぶらせ、思いをいっぱいにして音声表現させる指導をします。文章内 容のもつ雰囲気・気分や情調を声にのせようという指導をします。 文学的文章では場面の情調や雰囲気を声にのせて表現よみをするように 指導します。説明的文章では筆者の伝達意図をつかんで、説明の論理の筋道 を声にのせて表現よみするように指導します。筆者の一貫した伝達意図を持 続させて音声表現していくように指導します。 表現よみは、口先の技術でこう表現しようと意識して声にするのではあ りません。小細工や技巧をこらして上手に読もうとする音声表現ではありま せん。よみあげ術とか朗読術とかいう、よそよそしい、うわっつらの物言い 術ではありません。 表現よみは、口先の技術が優先してはいけないのです。優先すべきは身 体言語です。文章世界に読み手のからだがすっぽりとはまり、あるいは、か らだごとごとをぶつけ、からだごとのコトバ反応として声で表現する仕方で す。読み手の生きた身体反応が積極的に参加している音声表現です。 つまり、文章理解が深まることによって読み手の内面に感動(感情反応 反応)がわきあがります。感動(感情反応反応)が読み手の身体(心理や感 情だけでなく全身の筋肉や骨格まで)に共応し響き合って、からだごと反応 で音声表現する仕方です。顔付・からだつきの表情としても出てくることも あるでしょう。優先すべき身体言語とは、このような読み手の全身の感応や 共応を伴った表現としての言語のことです。 先行すべきは、読み手の内面的な感動(共鳴や共感から意見や批判まで を含む)の高まりと豊かさです。ですから、表現よみ指導では、あらわれ出 た音声表現の小手先の技術を指導するよりは、音声の創造にかかわるサブテ キストの理解とその音声表情のありかたを指導することが重要となります。 (4)表現よみは、文章内容を全一的に 一挙に把捉して声に収斂させる。 文章の読みとり学習では、各児童が文・文章に反応した内容をあれこれ と意見を出し合い、学級全員による共同討議によって読み深めをしていく授 業となります。話し合い中心の読みとり学習となります。ここでは、言葉に よって理屈っぽく筋道をつけた意見発表となります。 文学的文章の場合では、場面の様子はこうだ、事件(事柄)の流れ・つ ながりはこうで、その因果関係はこうだ、人物の気持ちはこうだ、人物がこ ういう理由でこう行動した、などと言葉で理屈っぽく読みとり内容を出し合 っていきます。 説明的文章の場合では、事柄の因果関係はこうだ、これが原因でこうな った、この結果からこう推論してる、筆者はこれを言いたいためにこれを データとして出して、こう組み立てて、こう結論を出している、と言葉で理 屈っぽく意見を出し合い、話し合っていきます。 このように話し合いを中心にした解釈深め学習では、文学的文章でも、 説明的文章でも、言葉によって筋道づけられた分析的解釈、理性的解釈、論 理的解釈によろ意見発表が行われることになります。 これに対して音声表現を中心にした表現よみ学習では、音声表現された 読み声を取りあげて、読み声を材料としながら解釈深めを同時に行いつつ上 手な音声表現をめざした話し合いをしていくようになります。 読み声は、すべて一回限りの瞬時の音声の流れに意味内容を収斂した音 声として発表されます。「場面の様子や状況はどうだ、人物の気持ちはどう だ、人物がこういう理由でこう行動した、読み手の感想意見はこうだ、」 (文学文)も、「これが原因でこうなった、この結果からこう推論している、 データをこう組み立てて、こう理由づけて、こう結論づけている」(説明 文)も、すべて一回限りの瞬時の音声を材料にして学習を進めていくことに なります。 文章の意味内容は一括りになって音声に収斂して、線条的な音声の流れ として表現されます。文学的文章でも、説明的文章でも、すべて一回限りの 瞬時の音声の時間的流れの中に意味内容は融解して表現されることになりま す。読みとり内容は、すべて一回限りの音声の連続に統合し収斂して表現さ れることになります。 音声表現中心の学習では、読みとった内容は一回限りの音声の連続にす べて取り込まれて話し合う学習になります。表現よみ学習では、これら瞬時 の音声表情を材料として取りあげて話し合っていくことになります。 (5)表現よみは、瞬時にぴったりした 音表象を浮かべる能力が育つ。 文章には、書かれているだけの内容、つまり辞書的な意味内容だけでな く、書かれてる内容を取り囲んでいる背景や状況をふくめて表現されていま す。ただずらずらと文字づらを音読するだけだと、背景や状況を含めた音声 表現にはなりません。どうメリハリをつけて音声表現するかを工夫し、メリ ハリづけの工夫を常に意識しながら音声表現をしていけば、その背景も含め た音声表現となります。 どうメリハリづけの音声表現をするかを重視した学習をすることで、背 景(文脈、状況・コンテクスト)が生き生きと音声表現することができるよ うになります。それを繰り返す学習によって、パッと瞬時に音声表現できる 能力が身につくようになります。そうした学習を幾回となく繰り返していく と、文章内容の背景(文脈、状況・コンテクスト)をもパッと瞬時に音声表 現できる能力が身につくようになります。 表現よみ指導を幾回も繰り返していけば、やがて文章内容にピッタリし た音声を瞬時にすばやく脳中に浮かべることができるようになっていきます。 表現よみ学習は、そうしたすばやく瞬時に音表象を浮かべる訓練学習でもあ ります。 たとえば、「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か」(新美南吉「ごんぎ つね」)という会話文は、「兵十は、母に死なれて、おれと同じひとりぼっ ちになった」という辞書的意味だけでなく、この会話文は、おれ(ごんぎつ ね)がいたずらをしてうなぎを盗んだからだ、ごんのすまない気持ち、自責 の念や悲嘆や心痛や悲しみの気持ち、そして兵十への謝罪の気持ちなど、い ろいろな感情が込められて語られている「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十 か」です。この会話文の音声表現では、それら諸感情を含めた音声表情が読 み声に求められています。それら諸感情を、ごんぎつねの気持ちに入り込ん で音声表現しなければなりません。このように印刷されてる冷たい文字羅列 には、多様な音声表情を潜在させているのです。 冷たい文字の羅列を音声表現するには、眠っている文字の羅列を、音声 の活力で力動的に意味世界を立ち上げることです。文章世界には、意味世界 に応じてそれぞれに生き生きした生命やリズムが潜在しています。読み手は 自身の身体に響かせて、身体まるごとの感情反応で意味世界を豊かに立ちあ げるようにします。 文字の羅列に潜在している意味世界の生命やリズムは、音声表現するこ とで生き生きと物質的に現出されてきます。文章内容を色どり支えているも のは背景(文脈、状況、コンテクスト)です。それら背景(文脈、状況、コ ンテクスト)をも含めて生き生きと立ち上がらせなければなりません。 どんな文章にもある種の雰囲気、気分、情調、ムードというものが潜在 しています。文章内容に導かれてかもしだされる、こうした雰囲気、気分、 情調、ムードは、音声表現ではメリハリづけによって表れ出てきます。これ らは、読み手が文章内容をどれだけ深く理解しているか、読み手の感動の深 さはどうか、読み手が対象(事柄)に対してどんな感情評価的態度をもって いるか、それらの強度の度合いなどによって、また、それらを音声表現する 技術能力によって、いろいろと音声表現の現れ方は変わってくるでしょう。 表現よみ練習を繰り返しやっていると、場面の様子や人物の気持ちへの のめり込み方がしだいに深くなり、文章への感情移入もスムーズになってい きます。繰り返し学習は重要です。音声表現の上達は、理屈だけの知的理解 では限界があり、読み手の身体をとおした繰り返しの音声練習を経なければ 身につきません。 これは野球やサッカーやピアノやバイオリンなどのお稽古事の練習と同 じです。自分の身体を通した実技行動の繰り返し練習が必要です。で音声表 現の技能を伸ばしていくのが最良にして最短の道です。繰り返し練習で、自 分の身体に技(わざ)として埋め込ませることが最も重要です。音声表現の 上達は繰り返しの練習を重ねて技(わざ)を身につけることです。 音声表現では、目からだけでなく、耳からも刺激が入ってきて大脳が活 性化します。目と耳からの供応刺激で、テンションが高まり、音声と気持ち のつながりの密度が増し、音声表情が豊かになっていきます。繰り返し口頭 にのせて読み重ね訓練をすることで、虫食いのようのあちこちと暗誦してし まうまでになり、漢字の読みや使い方、難語句、文型、文体、語彙、語り口 や言いぶりなどが自然と読み手の身体の奥底に沈殿し、うめこまれいくよう になります。ある日、ある時に、誰かと話したり、文章を書いたりしてる時、 不意に、身体の奥底から得体のしれない力となってそれらが現れ出てきて、 日常生活における使用言語に転化して知らず知らずのうちに使ってしまって いることに気づくようになります。 (6)表現よみは、黙読能力を高める指導である。 これまで黙読の指導は学校現場では殆んど指導されてきませんでした。 その理由は、黙読能力を高める具体的な指導方法が見出せなかったことにあ ります。表現よみは、黙読力を高める指導方法の一つでもあります。表現よ み指導は、黙読能力を高める指導にもつながっているのです。 表現よみ指導を繰り返してやっていくと、黙読している時でも素早くパ ッと頭の中に音表象が浮かべられるようになります。新規に出会った文章を 黙読した場合、直ちに耳に音声が聞こえてくるようになります。ぴったりし た音声が脳中に心内音・内聴音として聞こえてくるようになります。 表現よみの繰り返し練習をすることは、文章内容にピッタリ合致した音 表象を瞬時に浮かべる訓練をしていることになります。声に出しての音声表 現を繰り返し学習していくうちに、知らず知らずのうちに文章内容にぴった りした音表象(心内音・内聴音)が脳中に素早く浮かべられる能力を身につ けていることになるのです。 音声に出しての表現よみを繰り返して練習をしていくと(ここが重要で す。表現よみを継続して繰り返し重ねていくと、です)いつのまにか黙って 読んでいる時でも、文章内容にぴったり合った音表象(心内音・内聴音)が 瞬時に浮かべられるようになっています。こうして文章内容に合致した音表 象を内聴しつつ黙読できるようになっていきます。繰り返しの表現よみ指導 によって、高度に訓練された黙読能力が身についていくようになります。こ うして、黙読時でも、文章内容がかもしだす雰囲気、気分、情調を伴った豊 かな表情音声を素早く脳中に浮かべる能力を身につけていきます。 ソシュールは、言語はシニフィアン(音表象)とシニフィエ(概念内 容)とが結びついたものだと言いました。ソシュールの言い方をかりれば、 表現よみを繰り返していくうちに、文章内容に合致したシニフィエ(概念内 容)を伴ったシニフィアン(音表象)を浮かべる能力が身につく、その速さ が増していくようになる、黙読している時でも瞬時に浮かべられるようにな る能力が身につくということです。表現よみ指導は、黙読時でも、音読時で も、そうした素早く音表象を浮かべる訓練指導にもなるということです。 (7)読み手の人格が加わった音声表現となる。 説明文の音声表現では、読み手は文章の書き手である筆者に成り代わっ て、筆者の伝達内容を音声表現していくことになります。そこで第一に要求 されることは筆者の伝達内容・言いたいことがそっくりそのまま正しく音声 として表れ出てくることです。音声表現している途上においては、読み手の 意識には筆者の伝達内容のみが前景にあり、それを音声にのせようと努力し ているだけです。書かれている事柄に対する読み手の感想意見は、無意識の 裡に背景として存在していますが、前面に強く出ることは特別な場合を除い てはありません。読み手自身の物の見方・考え方は後退しており、筆者の伝 達内容のみが前景化し、それを音声で表現していくことになります。こうし た没我的かつ客観的な音声表現であることが第一に求められます。 しかし、そこに読み手自身の物の見方や考え方が強弱の違いはあっても 当然に出てきます。また、読み手自身の独特な読み音調や読み振りや読み癖 も当然に付け加わってきます。「文は人なり」と言われますが、「声は人な り」とも言えます。読み声には読み手のキャラ(人格、性格、人間味)が反 映されており、読み手のキャラだけでなく、人間性全体が音声に滲み出てき ます。ひとり一人の読み手には、その個人にしか持っていない、独特な話し 調子や語り調子や読み調子というものがあります。間や区切り方、抑揚、リ ズム、独特な話し調子があります。読み手個人の独特な読みぶりや読み癖や 読み調子があります。 すべての音声表現には、読み手の独特な読みスタイルがあります。同一 文章を音声表現しても、読み手が違ってくると、ひとり一人の独自な話し 癖・話し口調・読み音調に色づけられた読み声となることは避けられないこ とです。 さらに、文章内容に対して読み手個人の感情評価的な態度(反応)がつ け加わった読み音調となります。説明文では、筆者の主張に対して、読み手 がどうそれを受けとめているか、なるほどなるほど・そうかそうか・教えら れた・新しい知識を得た、全く賛成、ちょっと違う、だいぶ違う、この主張 には大反対、難解で全く分からん、意味が読みとれん、など、いろいろな感 情評価的な反応をしながら読んでいます。そうしたことが音声表現の中に滲 み出てきます。こうした読み手主体の反応が素直な音声となって表れ出てき ます。読み手自身の感情評価的態度が、大きく・小さく・潜在しつつ、なに ほどかの音声の変化として音声表現のどこかに出るようになります。一般に 「読み」というものは、単なる受容としての再生や再現だけでなく、こうし た読み手主観によって彩られた再創造なのです。読み手主観は、常に能動的 であり行動的であり発見的です。ですから、音声表現においては、読み手の 人間そのものが音声となって表れ出てくることになります。 説明文の音声表現では、読み手は筆者になり代わって、筆者が伝達した い事柄を聞き手に分かりやすく伝えることを第一に心がけて音声表現してい きます。筆者が読者に訴えている事柄、強く主張している事柄は何か、そこ を目立たせて音声表現していくことになります。筆者の伝達意図、言いたい こと、強調したい事柄は何かをつかんで、その筆者の主張点を音声の連なり にそって表現していくことになります。これが説明文の音声表現では第一義 的に重要なことです。筆者の主張点がよく伝わる読み方、聞いていて素直に よく分かる、という音声表現を心がけます。これを重要視して音声表現して いくわけですが、そこに読み手独自な読み音調や読み調子や、書かれている 事柄に対する読み手の感情評価的態度が加わることになります。 これは文学作品の音声表現においても同様なことが言えます。作品世界 (事件や人物行動や事柄)に対して読み手はいろいろな感情反応をしながら 読んでいきます。共感したり反感したり驚愕したりしつつ、いろいろな感情 評価的態度を加えつつ読み進めていきます。その時々の読み手の感情評価的 態度が音声に表れ出るのは当然のことです。それを無理に意識して音声に出 そうとしなくても、ひとりでに、しらずしらずに滲み出てくるのは当然なこ とです。 |
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