読授業を創る そのA面とB面と    2011・07・07記




明治以降の素読・朗読の変遷史(昭和期後編)




  昭和期は、昭和ひとけた年代を昭和期前編、昭和十年代を昭和期中編、
昭和二十年以降を昭和期後編と区分して掲載している。
  本稿は、第二次大戦による敗戦を境にそれ以後のことについて書くこと
になる。この時期の素読・朗読に関する出版物は数がとても多い。素読に関
する書物は「論語」など漢籍の暗誦にぞっこん惚れ込んでいる人たちの著作
物が多くある。朗読に関する出版物は、俳優・アナウンサー・声優はもちろ
ん、学校教師の朗読指導に関わる著作物も多くある。朗読関係の雑誌論文も
枚挙にいとまがない。これら全てに目を通す時間の余裕もなく、興味もない。
  戦後教育を大きくリードしてきたものの一つに学習指導要領がある。本
稿では、学習指導要領が朗読・音読についてどう記述してあり、戦後の日本
の教育をリードしてきたか、その大体の輪郭を大雑把に紹介することにとど
めたい。


  第二次大戦の敗戦により、日本は焼け野原となり、食料危機を経験し、
諸価値の大転倒がおこり、国民は経済面でも制度面でも思想面でも大混乱を
受けた。敗戦後教育では修身科は廃止され、歴史、公民、地理も廃止された。
国語科は墨塗り教科書となり、あちこちのページが真っ黒になった。
  敗戦による混乱と自失と虚脱の中にも、日本国民は新しい国家の建設を
めざし取り組みはじめる。教育面では教育基本法、学校教育法の制定、教科
書の作成などが急がれた。連合軍総司令部民間情報教育部(CIE)が日本
放送協会六階に置かれ、矢継ぎ早に文部省へサジェッションをいう名の命令
的な指示を出した。二年後には、アメリカのコース・オブ・スタディをもと
にした日本版の学習指導要領が作成され、教科書作りに取りかかることがで
きるようになった。
 「学習指導要領一般編」(試案)が昭和22年3月22日に公表され、次
いで「学習指導要領国語科編」(試案)が同年12月20日に公表された。
これが22年度版といわれる学習指導要領(試案)である。
  22年度版「学習指導要領国語科編」(試案)を見てみよう。多くの新
しい事実があるが、ここでは朗読・音読に関する個所を引用することにする。
前後の文脈を大幅に省略してあるので分かりにくいかも知れないが、アウト
ラインは理解できるでしょう。



昭22年版・学習指導要領
  昭和22年度学習指導要領国語科編(試案)小学校の部
第二章 小学校一、二、三学年の国語科学習指導
第三節 読みかた
(十二)音読あるいは黙読によって、読む習慣や、その能力および態度を 
    しだいに完全なものにする。
 四 読み方の学習指導
 10 声をだして読む力。
(12)この時代の読みは、文字やことばの発音や、語調などに注意し、で
    きるだけ音声化し、音声語源として習得させる。
第三章 小学校四,五,六学年の国語科学習指導
 四 読みかたの学習指導
 4 文章の内容を正しく音声に表すような朗読をする。
 (1)正しい姿勢で読んでいく。
 (2)はっきりした気持ちのよい声で読んでいく。
 (3)お話するように読んでいく。
 (4)句読点に注意して読んでいく。

【荒木のコメント】

  低学年に「音読あるいは黙読」と書いてあり、小学校低学年に「黙読」
があることに注目したい。高学年に「内容を正しく音声に表すような朗読を
する」と「朗読」が書いたあることに注目したい。
  低学年に「音読」、高学年に「朗読」とあるのは分からなくもない。一
般に「音読」は「朗読」に比べて下級(下手、初歩的)な読み方という社会
通念で使われているから。
  低学年に「黙読」があるのは、どうしてだろう。小学校へ入学したばか
りの子どもに「黙って読みなさい」と黙読指導をさせるのは、ちょっと早過
ぎるのではないでしょうか。それには理由があったのです。この学習指導要
領は黙読重視が特色の一つとなっているのです。黙読重視の理由は、中学校
の22年度版「学習指導要領国語科編」(試案)を見るとよく分かる。中学
校版をやや長く引用してみよう。

昭和22年度学習指導要領国語科(試案)中学校の部
第四節  読 み か た
六 音読と黙読
 黙読は目の動きを主とする読みであり、音読はこれにくちびるのはたらき
の加わる読みである。両者を比較すると次のようになる。
 (一)音読が読み方の入門である。
 (二)おとなの世界では黙読が主である。
 (三)黙読のほうがはやい。
 (四)音読のほうがたしかである。
 黙読が読みかたの中心問題になっているにかかわらず、学校教育では、依
然として音読が多い。これには理由がないわけでもない。黙読では、生徒が
ほんとうに理解して読んでいるかどうかをしらべることができない。音読で
あれば、どこに休止をおくか、どこを強調するか、どんな読み声が意味内容
にもっともあっているか、というようなことをはっきりと指摘することがで
きる。とくにわが国においては、文の理解ということが主であったから、ど
うしても音読に頼らなければならなかった。しかし、社会生活上の見地から
いって、黙読に重点をおかなければならないということはいうまでもない。
ことに、中学生は、文を読むだいたいの方法を小学校六か年で身につけてい
るわけであるから、黙読の指導を主にしなくてはならない。音読は、黙読を
指導するための一つの方法として必要で、それが目的ではありえない。

【荒木のコメント】

  戦後になって黙読重視になった理由が22年版中学校を読むとよく分か
る。 戦後になって国語教育は、日常生活に必要な言語能力を身につけさせ
る言語生活主義つまり言語通達重視の国語教育が提唱された。日常生活にお
いて上手に通達(コミニュケーション)ができる国語教育が重視されてきた。
  22年版学習指導要領・小学校国語科には次のようなことが書いてある。
これを読むと、言語生活主義の教育観がよく分かる。

二 生徒の実際の言語活動の諸場面
 必要と興味とのないところに言語の学習は成り立たないから、教師はつね
に生徒の日常生活の中における実際の言語活動に注意し、そこから言語学習
の動機を作っていくようにする。この年齢の生徒として次のような言語活動
の場面が拾い出される。
(一)家庭で両親や兄弟姉妹とその日の出来事を話し合う。
(二)友達と話す。
(三)小さなグループで話しあう。
(四)訪問または来客の応待。
(五)ある事柄について、みんなの前で意見を述べる。
(六)電話で話す。
(七)ラジオを聞く。
(八)映画を見る。
(九)友達や親せきに手紙を出す。
(十)詩や創作などをつくる。
(十一)日記をつける。
(十二)時には商品の注文を書く。
(十三)新聞・雑誌を読む。
(十四)広告や掲示を読む。
(十五)知りたいこと(例、野球の規則や水泳方法)について本を読む。
(十六)楽しみのために本を読む。
(十七)わからないことについて辞書や参考書を利用する。
(十八)読んだことについて書きとめておく。
(十九)みんなで脚本を演出する。
 指導は、こういう言語生活の実際に即して、これをだんだんと高めるもの
 でありたい。

【荒木のコメント】

  これが戦後出発時の国語科の内容の一部であった。ここから当然に日常
生活で普段使ってるのは、黙読である、音読でない、ということが導き出さ
れる。ここから黙読重視の国語教育が提唱されることになった。
  もちろん、戦前の国語教育からの反省もあった。「明治以降の素読・朗
読の変遷史(昭和期中編)」で書いたが、榊原美文氏の群読指導は、軍事教
練において上官の号令で一斉に軍隊が集団行動する教育、それをまねた全学
年、一学級が大声で戦意高揚の文句・文章を繰り返してただ叫ぶだけの教育、
それによって挙国一致、日本国民が心を一つにして集団行動をする指導が断
行され、絶対化した一極集中の精神注入の軍国主義の群読教育が指導された。
敗戦後になって、こうした軍国教育への反発が起こった。
  昔の素読教育への反発もあった。つまり教師の音読をそのまま模倣して
誦読し、繰り返して暗誦して終わりという素読授業、それと似たことが昭和
戦前の国民学校の教育でも大声を出して声を揃えて学級全員が一斉に音読す
るだけ、すらすらとつかえずに読めればそれで読み方授業は終わりという指
導が行われた。戦前、家の軒下を通ると大声を張り上げて音読する子どもの
声がよく聞こえてきたものだと言われる。戦後になると、こうした素読教育
の残滓のような国語教育への反発もあった。
  これらの反省から、上記した言語生活主義の読み方教育へと変化した。
「黙読」が重視された理由は、こうした軍国主義の戦意高揚の精神注入と鍛
錬のための集団朗読、群読、国民詩朗読の一斉唱和などの国語教育、また素
読の大声張り上げ繰り返し音読・斉読と暗誦の国語教育、これ等への反発が
あった。こうして日常の言語生活にすぐに役立つ、日常卑近なコミュニケー
ション能力の育成教育、黙読重視の国語教育となったのだと思う。

  文部省は、22年版学習指導要領を公布すると、直ちに伝達講習会を全
国規模で開催することになる。各地方教委の指導主事を集めて学習指導要
領・試案の趣旨説明の伝達講習会を開催した。
  飛田隆氏は、その講習会の様子を次のように報告している。(音読と黙
読の個所だけを抜粋引用している。)
  昭和22年度(試案)学習指導要領が出され、翌年になると文部省主催
で全国を八地区に分け、学習指導要領の伝達講習会が地方教委指導主事を集
めて開催された。講師は文部省の教科書担当官、CIE(連合軍総司令部民
間情報教育部)の担当係官らであった。そこでの配布資料「学習指導要領国
語科編・中学校の部解説冊子」には次のように書かれている。
  読み方については、音読と黙読との二つの型があります。実際生活に役
立つのは黙読であって、これからはこの黙読の指導に工夫して頂きたいと思
います。黙読指導上の一つの困難は、黙読であると、読んでいるのか読んで
いないのかかわらない、わかっているのかわかっていないのかわからない、
という点であります。これは、内容に関するいろいろな質問を出すことによ
って試すこともできれば、理会を促進することもできるのです。ある教材を
読んで、わかったとすれば、必ず答えることができなければならない問題が
あります。そういう問題を出して導いていくのです。
  黙読の指導ということによって、ここに読みの速度ということが問題に
なります。早く読む、早く意味をとらえるということもやはり、読み方の指
導目標の一つでなければなりません。それが実際生活に役立つ読む力です。
しかるにわが国では、従来、音読指導を主にしましたから、読み方の速度の
改善ということはほとんど考えられなかった。今後黙読が指導の主体になり
ますと、当然この速度の問題が考えられてくると思います。
 
飛田隆『戦後国語教育史上巻』(昭58、教育出版センター)より引用



昭26年版・学習指導要領

  昭22年版を改定したのが、昭26年度学習指導要領国語科(試案)で
ある。昭和26年7月10日に公表された。26年版から音読・朗読に関す
る文章個所だけを引用してみよう。

  昭和26年度学習指導要領国語科(試案)・小学校の部
一学年
 13 読みの速度を増すためには、上から下へ正しく行を追って目を動か
   し、次の行に移る視線の訓練をする必要がある。だからときに眼球運
   動の練習をして、読みの速度を増していくように努力する。
(2)読み(黙読)
    読み(黙読)によって、文の意味をつかむ。このときは、学習の手
   びきや学習帳などを用意して能力に応じた仕事をさせる。
(4)読み(音読)
    話合いによって、文の内容を正しく読み取っているかどうかがわか
   ったならば、次に、文を音読させる。そうして、だんだんうまく朗読
   できるようにしていく。
 3 音読指導は、わざとらしくない話しことばの調子や語調で読むように
   導く。
 3 音読も大切であるが、黙読の習慣をしっかり養っていく。
二学年
 1 音読をしたり、詩や文章を暗誦させることによって、正しい発音、ア
  クセント、語調などを身につけさせる。
 3 考えながら読む態度がたかまってき、また、黙読するとき、くちびる
  を動かさないでよむことができるようにする。
 4 問いに答えるために黙読することができ、また、文の荒筋をとらえる
  ことができるようにする。
 2 黙読をするとき、一年生のとき、多少くちびるを動かしていたものも、
  この学年では、くちびるを動かさないようにして、ひたすら目で読むよ
  うに指導する。それには、口を指でおさえさせて読ませることも一つの
  方法である。したがって、この学年では、目を行から正確に、しかも早
  く移す指導が望ましい。
三学年
 3 長い文章でも、ひとりで楽しんで読む習慣ができ、黙読の速度が速く
  なるようにする。
(1) 話すことと朗読の指導によって、発音・抑揚・調子などを指導する。
(4) 発音の不完全な児童には、特に、正しい発音をよく聞かせたり基本
  的発音練習をさせることが大切である。正しい口形を作るように指導す
  るためには、鏡をつかうことがこうかてきである。
 5 音読よりも早く黙読することができるようにする。
 6 他人を楽しませるために、なめらかに、わかりやすく音読することが
  できるようにする。
(1) 話すことと朗読の指導によって、発音・抑揚・調子などを指導する。
四学年
   読むことの技能を伸ばすために、それについついての評価をすること
  が大切である。しかし、この学年の読むことの活動は、黙読を主とする
  自主学習であるために、なかなか困難な点がある。観察による評価とし
  ては、眼球の動かし方、ページの綴り方、ノートの活用法によって、行
  うことができる。これらは態度が主である。理解の程度を知るには、読
  後の感想・意見を書かせたり、口頭で発表させたり、あるいは客観的態
  度によって行う。常にノートを検閲することもたいせつである。
〈三)どんな点に注意したらよいか
 1 自主的な読みの効率をあげるためには、黙読の技能を高めることがた
  いせつである。
五学年
  文を読解する場合、無意味な、機械的なくり返し読みは、児童の興味を
 削減するばかりでなく、それによって必ずしもほかの文を読解する力がつ
 いていない場合が多い。むしろ、多読によって読めない児童を救うように
 考える必要がある。
 2 黙読によって、なるべく早く、正しく意味がつかめるようにする。た
  とえば、自分の読書速度の記録を破ろうとする興味をもたせることも一
  方法である。
 (2) 詩の音読をする。
 (3) ひとりのこどもが朗読しているときは、他の児童は黙読する。
 (5) 気に入った節や句などを知らせ合うための音読をする。
 (6) 全体を鑑賞するための朗読をする。
 (7) 詩の朗読を励ます。
  五年生としての望ましい読書能力をつけるためには、次のような指導目
 標が考えられる。
 1 読む速度がだんだん速くなる。
六学年
 2 できるだけ黙読によって、読書を楽しみ、文の意味をすみやかに的 
  確にとらえることができるようにする。音読は、知識や楽しみを分かち
  合うためにするというように、考えていきたい。
 8.朗読会やお話会の場合に内容とともに表現(発音・アクセント・抑 
  揚・調子など)について正しく批判できるようにし、鋭敏な聴覚を養う。
  劇のようにな表現活動を見るときなど、外面的興味的に見るだけでなく、
  登場人物のことばを動作に関連づけ、ことばを味わいつつ、ことばの表
  現の演出的効果を批判的に聞き取れるようにする。
 5 読みの発表としての朗読をいつも常時個別的に観察記録し、指導の参
  考とするとともに、児童自身にも反省させたり、批判させたりして、読
  みの技術を高めていく。また朗読会を開き、教科書の文やその他適当な
  材料を選び、それを持ち寄って輪番に読み、相互に読みぶりを批判し合
  ったり、レコードやラジオの朗読放送を聞いて読み方の参考とする。
 9 作文を推考する際、よく読んで文を直し、また直した文を朗読する機
  会をつくり、読む力を伸ばしていく。文集によって友だちの文を読み、
  評価し合うことも批判的な読みの態度を養う上にたいせつである。
10 校内放送の施設を利用し、朗読放送をすることによって、効果的な読
  みの方法を練習させる。

【荒木のコメント】

  26年版要領も、黙読重視であることが分かる。1学年では「読みの速
度を増す」とある。また「眼球運動練習をして、読みの速度を増す」とある。
これは「黙読の習慣をしっかり養う」に直結する指導であろう。日常の言語
生活は黙読が普通だ、だから一年生から黙読の力を身に付けることが大切だ、
という理由からだろう。
  二学年には音読、暗誦、黙読のことが書いてある。暗誦は詩や短い文章
を暗誦する、黙読では「黙読するとき、くちびるを動かさないでよむことが
できるようにする」と書いてある。
  五学年には「文を読解する場合、無意味な、機械的なくり返し読みは、
児童の興味を削減するばかりでなく、それによって必ずしもほかの文を読解
する力がついていない場合が多い」とある。これは昔の素読指導をやみに批
判している文章と考えてよいだろう。
  昔の学習指導要領には随分こまかな指導方法まで書いている。
(三年)「正しい口形を作るように指導するためには、鏡をつかうことがこ
うかてきである」
(二年)「黙読をするとき、一年生のとき、多少くちびるを動かしていたも
のも、この学年では、くちびるを動かさないようにして、ひたすら目で読む
ように指導する。それには、口を指でおさえさせて読ませることも一つの方
法である」
と書いてある。この黙読指導例で笑えない事例もあったようだ。
  志波末吉氏は次のように書いている。
 
 ある研究者は、一日も早く黙読をさせたいために、くちびるに、鉛筆、
割りばし、紙片などをはさませたり、内発語読(心の中だけで発音を行う)
を矯正するために、指をのどに当てて読ませて振動をさぐらせたりすること
が効果的であると説いたり、行なったりしているが、サーカスの犬でも飼い
慣らすようなことは、やらなくてもよいのではないか。
   
志波末吉『読解指導の過程』(明治図書、昭和34)より引用

(黙読重視の理由について)
 黙読重視ついて当時(昭和26)発売された教育書から一つだけ紹介しよ
う。黙読重視論をとてもよく整理して書いている。増田三良『読みの指導
の基本問題』(誠文堂新光社、昭28)
からの引用である。
 
戦後、新教育が唱えられてから、ある人々は極力、音読指導を否定した。
否定したとまではいかなくても疑問視している人が多い。その理由としては
いろいろあろうが、わたくしの考えられる点をあげるならば、
イ、世の中では音読より黙読が多く行われている。世の中では音読が行われ
  る場面は特殊で、極小である。学校は世の中へ出て有力に働き得る人間
  を作るところであるから、何も学校だけが、別天地のところとして音読
  をする必要がない。
ロ、従来、読みの指導といえば音読を主としていて、黙読の価値を忘れてい
  た。
ハ、教室での読みの指導とくに大意や筋やこまかい内容をつかうものとして、
  ある児童に音読させてから答えを言わせるのは、音読せぬ他の児童は読
  むのでなく、耳から人の話を聞いているのであるから、聞き方の指導で
  ある。
ニ、各児童の音読が行われると、教室の中がうるさくて、自分の読むさまた
  げとなる。
ホ、文章に少し位わからないところがあっても、辞書を参考にし何度も黙読
  していけば意味がつかめるのに、他の児童の音読を聞けば、すぐ理解で
  きてしまう。これでは、文章から意味をくみとる自分の力は養われない。
  ヘ、すなわち、音読による指導法は、少数の優等生のためにはよかった
  が、多くの児童の読みの力をつける機会をも失った。
ト、読みには音読を忠志くつかむということと、もう一つ大事なことは読み
  の速さであるが、音読では音声化の速さに限度があるため速度が押さえ
  られたり、減少したりする。
チ、音読では黙読よりも身体的抵抗が多いため疲労しやすく、長文には不向
  きであり、意味を深く読むことができない。
リ、児童の音読するのを聞いている教師は、児童はよく勉強していると思い
  込み、深い読みなり、あるいは、いろいろの読みの活動を忘れさせた。
ヌ、低学年の国語教室へ臨むと、すぐハイハイと児童が挙手をする。何です
  かと問うと、立って音読するんですという。国語の勉強といえば、めい
  めい立って音読することだという習慣がついている。ついているという
  より、教師の指導がそうさせたのであある。まず最初に立って音読する。
  すると他の児童は(低学年では)口を動かす。よく音読する児童に従っ
  て口を動かす。この教室が十分の八ぐらいはある。
 増田三良『読みの指導の基本問題』(誠文堂新光社、昭28)より引用

(アイムーブメントについて)
  黙読は音読よりスピードが遅くては何にもならない。黙読指導は速読み
指導が必須条件となる。速読みには、アイムーブメントの指導が不可欠とな
る。
  藤村作は「眼球運動を速める指導法」について次のように書いている。
  
読書の際における眼球運動の実験測定については、国立国語研究所にお
いて草島先生を中心に研究が進められているが、それが所説を総合すると、
眼球は、文字や語を追って、平均の速さで、円滑に運動するのでなく、ある
小さな凝視領域をとらえて停留し、この停留の瞬間によって、記号あるいは
象徴たる文字群は知覚されて意味の体制化が行われ、さらに眼球はつぎの凝
視領域へ飛翔する。読書は眼球の停留と飛躍の反復運動によって進められる。
つまり眼は、一字一字認識し、これを総合して、語または文章を読むのでは
なく、語または文字をひとかたまりとして読む。文字の一点一画、一部の文
字の全体が読み飛ばされていく。
  速く読むというのは、一凝視でとらえる一かたまりの文字数、語数をひ
ろげ、一行における停留数及び時間を減少し、停留とつぎの停留への飛躍を
速やかにすることである。
  いずれにしても一字一字の拾い読み(つまり音読)していたのでは、読
む速さも遅く、ひとまとまりの言葉の飛ばし読みで把握することもできない。
瞬間にして意味をとらえ、次の語のかたまりへ眼球運動の飛躍もできなくな
り、此れを訓練できなくなる。早く確かに理解するには黙読が有利である。
音読に比して黙読が速度、理解度、ともに優れている。
  
藤村作「黙読の指導のそだてかた」『国語教育実践講座第二巻』
 (牧書店、昭和28)所収論文より引用

  
輿水実は、「目と声の拡がり」について次のように書いている。
  
音読する時、目は音読する文字から、少し先を見ている。いくらかの拡
がりが目と声との間にあるのである。目と声の拡がりの広い子どもほど、音
読の誤りが少ないわけで、目と声の拡がりは音読能力に働くひとつの要因で
ある。一年生の逐次読みは、目と声の拡がりは非常に狭く、字やことばを声
に出してから、意味を読みとっていく。
  輿水実編『読解指導法』明治図書、昭和32)より引用

(黙読だけでなく、音読も重視すべきだ論。昭和28年)
  黙読重視の教育が唱えられる中にも、一方だけに偏ってはいけない、音
読指導も重視すべきだという主張も現れ出ている。泉節二『音読と黙読』
(明治図書、昭和28)もその一つである。以下引用する。
 
 音読と黙読の双方を効果的にとりいれること、いいかえると両方を読み
の指導の対象とするのである。
  まず第一に考えられることは、音読と黙読という区分は、便宜的なもの
であって、その間の境界はきわめて微妙なものである。
  元来黙読は音読の場合の声が次第に小さく、かすかになり、他人に聞こ
えない状態から、読む者自身の声が意識されない状態にまでなったものであ
るが、実は、黙読の場合でも、いわゆる「内語内聴」ということばもあるよ
うに、生理的音声はなくとも、ことばとしての心理的音声は考えられるので
ある。したがって音読を全然考えない黙読、いいかえると、黙読だけをきり
はなした読みの指導は考えられないのである。
  また、入学前の子どもの読みを観察しても分かるように、生まれてから
後に子どもたちは、まず耳から聞いてことばをおぼえ、しだいに話す経験を
つむ。そうして、今度はことばと文字との結びつきがしだいにできて、読む
ことへの準備ができていくのである。
  この場合に、子ども達がまず行うことは、ことばを文字に結びつけるこ
とで、いいかえると文字をことばとして読むために、音声化してみることで
ある。つまり、音読を行っているのである。音読が可能になると、はじめて
そのことば(文)を黙読することもできるようになる。
 「声を出さないで読みなさい」といっても、まだ多くの子どもはいわゆる
「くちびる読み」をしている。つまり、音声は出さないが、くちびるは動い
ているのである。これは音読から黙読への過度的な現象であって、まだ真の
意味の黙読になり切っていないのである。
  一般的にいって、三年生位までは、読む力の進んでいる一部の子どもを
除いては、黙読が十分にはできないのがふつうである。
  読みの速さからいっても、一、二年生では黙読よりも音読の方が速い場
合も実験の結果で見出されるのである。16-18ぺ
(中略)
  低学年ほど音読の分量が黙読にくらべて多く、高学年に進むにしたがっ
て音読の分量が少なくなっている。反対に黙読は高学年に進むにつれて増加
し、低学年ほど減っている。また、音読と黙読との境界線を見ると、一年生
初期でも音読だけでなく黙読も使ってあり、反対に六年生後期でも黙読だけ
でなく、音読も使っていることに注意しなければならない。
  これを今少し解説すると、一年生初期においても、読む力の進んでいる
一部の児童は黙読の初歩を行うことができるし、六年生の後期でも、音読は
皆無ではない。ここにいう音読と黙読との関係は、自然の状態において子ど
もがそうであるというよりも、教師が「読み」を指導する場合、いいかえる
と指導計画を立てる場合の一つの目安と考えなければならない。
  このことをさらに補説すれば、低学年における正しい音読の基礎の上に
黙読が進んでいくこと、いいかえると、読みの終局の目標は黙読の力を伸ば
すことにあるが、その前提として、音読の指導が考えられなければならない
ということである。
  さらに付け加えると、低学年でも、音読だけの指導に終るのでなく、黙
読そのものの準備的な指導は、音読指導と並行して少しずつ行われることが
必要であるし、高学年でも、まえに述べたように、発表や自己評価の意味か
ら、音読もまた必要であるということである。20-21ぺ
       泉節二『音読と黙読』(明治図書、昭和28)より引用

【荒木のコメント】

  昭和28年刊『音読と黙読』(明治図書)の中で泉節二氏は、黙読と音
読と両方を効果的に取り入れる国語科指導をすべきと以上のように主張して
いる。
  音読と黙読とは連続しており「実は、黙読の場合でも、いわゆる「内語
内聴」ということばもあるように、生理的音声はなくとも、ことばとしての
心理的音声は考えられるのである。したがって音読を全然考えない黙読、い
いかえると、黙読だけをきりはなした読みの指導は考えられないのである」
と書いている。泉氏は「内語内聴」を論じているのに注目したい。が、「生
理的音声はなくとも」と書いているのは誤りであろう。この誤りは後年にな
って証明されている。昭和50年刊のスミルノフ心理学には「黙って書き進
めているときにも、黙って文字を読んでいるときも、そのとき舌筋肉など発
声器官は運動(振動)しております」(スミルノフ・柴田他訳『心理学』
(明治図書)と書いてある。昭和50年刊の本で谷崎潤一郎が「人々は心の
中で声を出し、そうしてその声を心の耳に聴きながら読む。黙読とは云うも
のの、結局は音読しているのである。既に音読している以上は、何かしら抑
揚頓挫やアクセントを付けて読みます」(谷崎純一郎『文章読本』37ぺ)と
書いている。これらは、大正11年刊・垣内松三『国語の力』に書いてあっ
た内辞論「心の中には内辞として響いており、これを外辞として発音する」
186ぺ「内辞の響きは想韻であって、思想と離して発音せるは心のこもらぬ
機械的な発音となる」187ぺなどと通底する考え方であると思う。
  泉節二氏の低学年での音読力が基礎になって、高学年の黙読力が高めら
れるのだから、低学年では音読指導をしっかりと指導すべきだ、という主張
はとても重要な指摘である。低学年での音読(表現よみ)指導が、やがて高
次の黙読力高めになるからだ。これについては、本HPの「表現よみ授業入
門」章の「表現よみ指導のコツ(続)」に詳述している。

(斉読・群読への反発)
  戦前の戦意高揚の軍国主義教育では集団朗読・群読で大声を張り上げる
読み方指導、または学級全員で一斉に声を揃えて読み上げる、繰り返して読
み上げる、こうして日本精神を鼓舞し、鬼畜米英への感情的反発を高揚させ
る読み声教育が行われた。これには、戦後になって大反省と大反発が起こっ
た。敗戦後の国語教育から斉読、集団朗読、群読、声の張り上げ朗読が払拭
された理由の一つはここにある。こういうことから敗戦後になって黙読指導
が歓迎された理由でもある。
  敗戦の8年後に刊行された前掲書(泉節二『音読と黙読』明治図書)の
中に、斉読についてこう書いてある。斉読についてはかなり否定的である。

  斉読の方法は、原則として感心しない。もともと読むという仕事は個人
的なものであるし、音読する場合にも、めいめい呼吸の仕方も違うし、各人
によってちがいがある。このような個人差を無視して、一斉に声を揃えて読
ませるところに無理がある。斉読の大きな欠点としては、次の点があげられ
る。
(イ)無理に声を揃えるために、読み声に一種不自然な節ができてくる。こ
   の不自然な読み調子は、一人で読む場合にもつきまといさすい。
(ロ)他律的な、人の助けよって読む読みであるから、児童一人一人の読み
   を主体的に進めていくことができない。したがって自分から進んで読
   もうとする意欲が失われてしまう。
(ハ)特に対話の部分の読みがふしぜんなものになってしまう。
(ニ)よく読める子どもが犠牲になってしまう。
(ホ)話しことばとしての基礎的な練習ができない。日常の話ことばの調子
   と全く別なものになってしまう。
(へ)学習様式が一定の型にはまり、表面的な機械的なものになってしまう。
 このように、「読み」の本質から全く離れた斉読がなぜ行われていたのか、
それには次のようなのが主な原因になっていると思う。
(イ)理屈は別にして、このような方法にでも頼らないと、よく読めない子
   どもは全然口をあけない(音読しない)で終ってしまう。
(ロ)読めない児童も、他人の声につられて、どうにか音読するようになる。
(ハ)その結果からくる教師の一種の安心感。
 こう、考えると、斉読というものはきわめて消極的な意味しか持って内容
であるが、全然価値なしといってしまうことはできないであろう。大切なこ
とは、いつも斉読を行わせるというのでなく、斉読をさせて効果があると思
われる場合に限定してこれを取り入れることである。53ぺ
            泉節二『音読と黙読』明治図書)より引用



昭33年版・学習指導要領

(読むこと)
1年
  ア、音読できること
  イ、声を出さないで目で読むこと
3年
  ア、正しくくぎって、適当な速さで読むこと
4年
  ア、黙読に慣れること
5年
  ア、味わって読むため、また、他人に伝えるために声を出して読むこと

【荒木のコメント】

  33年版の学習指導要領は、目標と内容だけの記述で、これまであった方
法についての記述は削除されている。方法は現場教師の創意と工夫によると
いうことだろう。これは正しい方向であり、国家権力が各教師の指導方法ま
で決める必要がないのは当然である。
  33年版学習指導要領からは(試案)が削除され、文部省告示として公表
された。これによって「試案」(各学校で教育課程つくりの参考資料、弾力
的に運用する)から「告示」(基準性・拘束力をもつもの)へと転換した。
基礎学力の充実、道徳教育の徹底、科学技術教育の向上などが方針として示
された。
  26年版、32年版の言語生活主義は、児童グループごとの自主調べ、生徒
が教壇に立って教師のまねごとや司会をしたりして教師は傍で見てるだけ、
電話のかけ方、壁新聞の作り方、日記の書き方やその発表など、はいまわる
経験主義とやゆされ、基礎学力の低下が社会問題となって叫ばれた。
  国語科の記述も簡約化され、音声表現に関する記述は(読むこと)の領
域の中にごく簡単に書かれているに過ぎない。学習指導要領の全体が簡約化
で記述されている。簡略な記述になったからといって音読、朗読が軽視され
ているわけではない。
  注目される個所は、1年で「イ、声を出さないで目で読むこと」があり、
4年で「ア、黙読に慣れること」とあることである。1年から黙読を指導し、
4年で黙読完成みたいに読み取れる書かれ方になっていることに注目したい。
  これについては、次章「明治以降の素読・朗読の変遷史(平成期)」
において「補遺2」で詳述している。そちらをお読みいただきたい。

(時枝誠記の26年版要領批判)
 荒木は先に「22年版、26年版の学習指導要領は、はいまわる経験主義とや
ゆされ、基礎学力の低下が社会問題となった」と書いたが、これについては
昭和28年に、時枝誠記『国語教育の方法』(習文社、昭和28)に次のよう
な指摘があり、言語経験主義から言語技能主義への転換が必要だと主張した。
こうした主張が33年版指導要領に反映していることは間違いないだろう。
  時枝氏は、現行の国語科学習指導要領(昭和22刊、同26年改訂)には、
「国語の教育課程は、言語についての知識を授けるよりも、価値ある言語経
験を豊かに与えるという方向をめがけている」と書いてあるが、これが問題
だと書く。

  国語教育の目的が、言語についての知識を授けるものでないことは正し
いとしても、それから直ちに、国語教育の目的を、価値ある言語経験を豊か
に与えることであると規定したことには、大きな飛躍があると見なければな
らない。言語経験が与えられる場は、実は、教室ではなくて、家庭であり、
社会である筈である。教室の任務は、それらの経験を正しく処理する能力を
養って置くところにあると見なければならない。現行の指導要領に従えば、
このような言語経験は、ある選ばれた主題の解決を中心にして展開し、言語
経験に必要な技能は、上のような学習の展開の際に訓練されるとするのであ
る。このような指導形態においては、経験の展開が主であって、技能の学習
は従属的な位置しか与えられていない。之は経験と技能との関係を転倒した
考え方である。経験は正しい技能の修得を持って、始めて確実な経験となる
ことができるのであって、技能を前提としない経験は皮相な無自覚的な経験
にしか過ぎない。この結果は、やがて、基礎学力の低下を生む事態に至った。
昭和27年ごろから基礎学力の低下が、漢字の学力ということにしぼられて教
職員組合を始めとして、各地の研究会において漢字習得調査が開始されるよ
うになった。これは、明らかに、現行指導要領に対する批判を意味するので
ある。   時枝誠記『国語教育の方法』(習文社、昭和28)87-88ぺ


(三読法と一読法)
  荒木は上記に33年版学習指導要領は、「目標と内容だけの記述で、これ
までにあった方法についての記述は削除されている」と書いた。以下に書く
ことは、目標と内容には関係のないことであるが、音声表現指導の方法に関
わる重要事項なことなので、ちょっとだけ余計な方法についての文章を差し
挟むことにする。
  明治以来、日本の教育現場では読解指導の方法として三読法による授業
が踏襲されてきた。
  大雑把な言い方をすると「ヘルバルトの三段階」→「垣内松三の三読
法」→「西尾実の三読法」→「石山脩平の三読法」などの理論系統で読解指
導が実践されてきた。三読法での音声表現指導は、これも大雑把な言い方を
すれば、通読段階で「音読」また「素読」を、味読段階で「朗読」を指導す
るという方式である。これらについては本稿「明治以降の素読・朗読の変遷
史」で詳細に述べてきたつもりである。
  一方昭和30年代になって一読法の読解指導法が新しく出現した。一読法
は、前記した垣内松三の形象理論などに代表される三読法への現場的な発想
による実践的な批判として出生した。
  時枝氏は前掲書『国語教育の方法』(習文社、昭和28)の中で、読む行
為を次のように書いている。

  文章は、冒頭から、結びへ流動し、展開して行くものである。従って、
これを読むといふことは、ある地点からある地点へ、旅行する時のやうに、
その一歩一歩を確実に踏みしめていくことが、大切である。
       時枝誠記『国語教育の方法』(習文社、昭和28)124ぺ


  一読法は、時枝氏の言語過程説による読み方理論とは関わりなく、明治
以来の読み方指導法の三読法批判、特に、垣内松三の形象理論の実践的批判
として昭和30年代から児童言語研究会横浜市立奈良小学校(校長・林進
治)
によって提唱された。
  校長・林進治氏は、『教育科学国語教育』(明治図書、1964年2月号)
の特集「一読主義読解は実用主義か」のシンポジュームで次のように書いて
いる。
 
「わたしの新しく考え、実践した方法を、自分はトンネル式読解法とよん
だり、文節法ともよんだ。この方法では、まず、全文を読み通す仕事(通
読)をやめよう、文章をいくつかに文節し、文節した中で文字や語句を明ら
かにし、文法をおさえて文の意味をつかみ、同時に書かれている内容を読み
とっていく。もちろん、各文節を個々バラバラのものとして読むのでなく、
1、個々の部分をうけ、その発展としておさえる。
2、つぎの発展を期待し、予想をもって読みとっていく。
3、次々に読み進める場合、前の部分をたえずふりかえり、それらの部分の
  つながりの中で、各文節を明確にし、はじめの読みとりを修正しながら、
  しだいに全体を明らかにする。 6ぺ

これに対してシンポジュームの意見者の一人、時枝誠記氏はこう書いている。
  林進治氏の「総合法による読解指導」を読んで、わたしが年来、理論的
に追求してきたことが、既に現場教師の立場からも、同じような問題が提出
され、実践されていることを知って、私の主張が必ずしも架空の論でなかっ
たことを知って、力強く感じた次第である。(中略)
  文章読解は、冒頭、書き出しを出発点として、その展開を踏みしめなが
ら、順次読み進めていく作業として成立する。それは知らない道を、地図を
調べながら、方向をあやまらないやうに「道をたどる」ことに似ているので、
私はこのやうな読解方法を、文章をたどるとか、たどり読みと名づけてたの
である。 18ぺ

と書き、時枝氏は林進治氏の提案に大賛意を示している。(注・荒木は林校
長の学校(奈良小の次の勤務校・浅間台小)に勤務し、林校長から一読法授
業の直接指導を4年間受けた。)
  先に三読法の音声表現指導は大雑把な言い方をすれば、通読段階で「音
読」または「素読」を、味読段階で「朗読」を指導するという方式だと書いた。
 これに対して、一読法の音声表現指導は、これも大雑把な言い方をすれば、
第一読から音声表現を学習活動の一つとして選択し活用指導していく方式で、
その音声表現を「表現よみ」と名づけている。1時間の授業の中では初歩的
な表現よみの音声表現のレベルから上級の表現よみの音声表現のレベルへと
引き上げていく指導をしていく、としている。(後者については児言研内部
でも若干の意見の相違がある。つまり、音声表現を「音読」と「表現よみ」
とに区分けして、「表現よみ」は「朗読」と同じだ、とする三読法を継承し
ている指導法など)




昭43年版・学習指導要領
(読むこと) 
1年
  ア、はっきりした発音で音読すること
  イ、声を出さないで読むこと
2年
  ア、文章の内容を考えながら音読すること
  イ、声を出さないで読むこと
3年
  ア、文章の内容を考えながら、はっきりした正しい発音で音読すること
  イ、黙読すること
  ウ、正しくくぎって適当な速さで読むこと
4年
  ア、書いてあることの意味がよく表れるように音読すること
  イ、黙読に慣れること
5年
  ア、味わって読むため、また、他人に伝えるために朗読すること
6年
  ア、聞き手にも内容がよく味わえるように朗読すること

【荒木のコメント】

  43年版学習指導要領では、「言語生活の向上を図る」の文言が消え、
「国語を尊重する態度を育てる」「読書指導を計画的に行う」などに変わり、
言語生活主義から言語文化主義へと転換した。B項「言葉に関する事項」が
「聞くこと、話すこと」「読むこと」「書くこと」の領域に分散して書かれ
るようになった。
  音声表現に関する記述は、33年版と比べてやや文章量が多めになって
いるが、だから音読、黙読、朗読が重視されたということではなく、33年
版とも重視は変わってないと考える。ただ細かい記述になったにすぎないの
だと思う。
  黙読については、1年から4年まで、音読と黙読との両方の記述が書い
てある。1年で音読に重きをおいて指導し、2年・3年と学年が上がるにつ
れてしだいに黙読する時間を多くしていき、4年で黙読に重きをおいた指導
をして、黙読に慣れさせる、ということだろうと考えられる。
  文部省著『小学校指導書・国語編』(昭和44、東京書籍)によると、
1年で「声を出さないで読むこと」と書いてあるが、これは「この学年で黙
読の能力を身につけさせることまで要求していない」と書いてある。2年に
なると「声を出さないことを意識しながら、黙って読むというのでなく、自
然な状態でよんでも声をださないでよめるようにすること」だと書いている。
3年になると「この学年では一応黙読の能力が完成されるように示されてい
る。4年では黙読の習慣化を目指している」と書いてある。
  1年から4年までは「音読する」とあり、5年と6年は「朗読する」と
書いてある。「音読」から「朗読」へと変化していることに注目したい。二
つはどう違うか。上記の文を読むと、音読は「正しい発音で」「文章内容を
考えながら」「意味がよく表れるように」とある。「朗読」には「他人に伝
えるため」「内容がよく味わえるように」とある。音読は「はっきりした発
音で、意味内容が声によくあらわれる読む」に重点があり、朗読は「他人に
伝えて、他人にも内容がよく味わえるよう読む」という違いだと読みとった。
音読は「自分によく分かるように読む」、朗読は「他人にもよく伝わり、他
人がよく味わって聞きとれるように読む」という違いだろうと考えられる。
 文部省著『小学校指導書・国語編』(昭和44、東京書籍)には、3年の
音読の説明個所には「文章の内容の理解を伴った、明晰な発音の音読能力を
養うこと」と書いてあり、5年では、「朗読」がこの学年になってはじめて
示されているが、「読み手が読みとったことを相手や場を考えて、はっきり
した発音で、内容がよく分かるように工夫して読むように指導すること」と
書いてある。
  要するに、音読は自分が理解するための読み方で、朗読は相手によく分
かるように工夫して表現する読み方だ、ということになるみたいだ。
  
  昭和43年学習指導要領になると、昭和22年、26年の全学年の黙読重視指
導から、低学年では音読重視に変化してきているが、当時の教育現場の音読
指導の実際はどうであったでしょうか。
 滑川道夫『読解読書指導』(東京堂出版、昭和45)には次のように書い
てある。まだまだ黙読重視の国語指導が蔓延していたと書いてある。この書
物の発行は、奥付によると昭和45年3月20日とある。
 
 国語教育における読むことの教育が、いまもなお黙読主義に偏っている
のではないかという疑いがある。むしろ音読が不当に冷遇されているといい
たいほどである。とくにそのなかの「朗読」を、正当な位置において復権し、
尊重すべきであるという主張がこの小論の主題である。56ぺ
  戦後、三四〜五年ころ、全国的規模をもつ国語教育研究大会に集まった
会員に、峠三吉の「墓標」を某声優が朗読したテープを聴いてもらったこと
がある。ところが予想に反して反響が少なかった。そのころの国語教育の多
くは、全然朗読については無関心であった。集中的な関心事は、黙読主義の
読解指導、なかでも段落指導にあった時期である。58ぺ

  滑川道夫氏は、当時(昭和三四、五年から45年)の教育現場の国語指
導の実際は、黙読重視であり、教師の関心事は黙読をどう指導するかであり、
音読指導は不当に冷遇されていたと書いている。




昭52年版・学習指導要領
1年(理解)
  ア、はっきりした発音で音読すること
2年(理解)
  ア、文章の内容を考えながら音読すること
3年(理解)
  ア、文章の内容が表されるように工夫して音読すること
4年(理解)
  ア、事柄の意味、場面の様子、人物の気持ちの変化などが、聞き手によ
   く伝わるように音読すること
5年(表現)
  ケ、他人に伝えるために朗読すること
6年(表現)
  ケ、聞き手にも内容がよく味わえるように朗読すること

【荒木のコメント】

  三領域が大きく二つとなった。つまり、「聞くこと、話すこと」「読む
こと」「書くこと」の三領域が、理解領域(聞く、読む)と表現領域(話す、
書く)の二つとなった。
  これに伴って、「音読」は「理解領域」に位置づけられ、「朗読」は
「表現領域」に位置づけられることになった。これは、43年版の「自分が
理解するために読む」の「音読」(1年生から4年生まで)は、「理解
領域の音読」となった。「他人に伝えるために読む」の「朗読」(5年生と
6年生)は、「表現領域の朗読」となった。このように43年版の考え方は
踏襲されており、「理解のための音読」「表現のための朗読」という考え方
(音読と朗読との概念規定・区分け)がよりはっきりと示されることになった。
  これらについての荒木の批判は、平成1年版・平成10年版・平成20年版の
個所で書くことにする。
  他に52年版になって大きく変わっているのが、黙読が消えていること
である。黙読の指導が必要なくなったわけではないので、正しく位置づける
べきであったろうと考える。日常生活は黙読が普通であり、日常の調べ学習
などは黙読と速読の能力が必要となる。速く読み、正しく意味をとらえる読
み方指導は重要である。これからの情報社会ではとても必要な能力だ。学校
教育の最終目的は自学自習能力を身につけさせることにあるのだから、黙読
と速読の能力高めはとても大切な指導内容だ。重要課題として残っている。

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