表現よみ授業を創る そのA面とB面と 2012・10・02記




   
 「表現よみ総合法」とは




  表現よみ総合法とは、どんな内容を指しているのでしょうか。
 「表現よみ総合法」の初出は、大久保忠利『人間教師の文学教育』(一光
社、1974年)の中に「第二部・表現よみ総合法の実践」とある。管見で
はこれが初めてである。この本は、
第一部「文学教育の基礎理論」
第二部「表現よみ総合法の実践」
第三部「文学教育の心理と国語教育の改革」
という大きな章立てになっている。
  この本には、第二部の大見出し以外に「表現よみ総合法」の単語は見当
たらない。第二部の大見出しに「表現よみ総合法」(77ぺ)とあり、「表
現よみ総合法・六つの成果」(79ぺ)があるだけで、この本全体でここだ
けに「表現よみ総合法」の文字が書いてある。「表現よみ総合法とは」の解
説についての記述はどこにも見当たらない。
  また、児言研の機関誌『国語の授業』の論文の中にも、ときおり「表現
よみ総合法」という言葉を使って論じている論稿も見出される。わたしはこ
れまで「表現よみ総合法」には無関心であり、この単語を使って文章を書い
たことはなかった。それでこの機会に「表現よみ総合法」について改めて考
えてみることにした。
  次に「表現よみ総合法とは」について少しばかりの私見を書いてみるこ
とにする。


      
表現よみは読解能力を高める


  はじめに「表現よみ」は児童生徒の読解能力高めに大きな効果を発揮す
るについて書く。
  わたしたちは、文・文章を声に出して読もうとすると、下手な読み声で
は読めなくなる。上手に読もうとすることに意識が集中する。黙って読んで
いる時よりも余計な神経を使う。
  声に出して読むと、うんと神経を使う。文字ずらを声(音)に変えるだ
けの読み方ではいけなくなる。上手な音声表現にしようと意識しだす。黙読
時よりもずっとずっと深い解釈深めが要求されてくる。
  目で読んで分かったつもりでも、声に出してみると思うように相手に伝
わってないことに気づくようになる。自分では納得できるように読んだつも
りでも、実際の声の現れ方は思ったように音声表現されてないことに気づく。
改めて声に出して気づくこと、声に出さないと分からないこと、声に出すこ
とで見えてくることがたくさんある。上手な音声表現の仕方をしようとする
と、より深い内容解釈が求められてくる。文章を声に出すと、いいかげんな
内容理解ですまなくなり、いっそう内容解釈の深い思考が要求されることに
なる。

  音声化技術の上達スキルは、芸道(歌舞伎、落語、講談、ピアノ演奏な
ど)や、スポーツ(柔道、体操、野球、サッカーなど)の上達スキルと同じ
なところがある。それは繰り返しの練習が必須条件だということである。わ
たしたちは、下手なスポーツ競技をかじってみたり、習い事や稽古事にちょ
っと手を出して師匠から指導を受けたりすると、繰り返しの練習や「継続は
力なり」の重要さがいやというほど知らされることになる。
  音声表現技術の向上も、繰り返しの練習がとても重要である。繰り返し
練習で上達スキルを身体に埋め込むことが重要となる。上達スキルは、繰り
返す練習で身体に刷り込まれ、身体に沈殿していく。暗黙知は、練習を繰り
返す習熟によって生成し、完成度を高めていく。繰り返し練習していく中で、
いつの間にか、身体内部に上達スキルとなって埋め込まれていく。
  児童一人ひとりの上達レベル・水準はみな違っており、多様な姿となっ
て埋め込まれている。音声表現の上手下手は、「身体図式」として身体に埋
め込まれている上達スキルの習熟の度合いによって違ってくる。音声表現の
上手下手は、児童一人ひとりの上達スキル、身体に埋め込まれている「身体
図式」の習熟水準の度合いの違いに応じて、さまざまな様相を呈するこにと
なる。

  音声表現している進行中では、読み手はそれぞれの場面の出来事に反応
し、悲しんだり喜んだり驚いたりしながら読み進めていく。いつも作品世界
にどっぷりと浸った没我状態で音声表現しているとは限らない。作品世界に
すっぽりとはまりこんで音声表現していたとしても、読み手の身体のどこか
で濃淡の差はあるが読み手自身が読んでいる存在に気づいているところがあ
る。読み手自身の心のどこかで、いま声に出して読んでいる自分に気づいて
おり、それを知りつつ文章(文字)を目にしながら作品世界にひたりつつ声
に出していることになる。

  登場人物への入り込み方には深浅がある。作品世界への入り込みの程度
にも深浅がある。どっぷりとのめり込んだり、ほんのちょっぴりしかのめり
込んでいなかったり、いろいろである。ある文章個所では、どっぷりとのめ
り込み、気分がハイになって、登場人物が読み手の身体に憑いてしまった状
態で読み進めていることもある。ある文章個所では、のめりこみ程度が過少
で事件や人物行動を対象化して冷ややかに批評しつつ覚めた気持ちで読み進
めていることもある。

  読み手の音声表現をつき動かすパトスの領域として情動と感情とがある。
悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか、よく話題になる。答えは「情動
(悲しい)は、感情((泣く)に先立つ」が正しい。悲しい(情動)から泣
く(感情)のだ。「悲しい」という情動反応が先にあり、それが原因となっ
て「泣く」という感情反応が起こる。情動反応は、無自覚的(不随意的)で
あることが多く、気づきにくいので、「泣くから悲しい」とよく間違えられ
る。ある文章場面で、人物の特定行動や事件・出来事が原因となり、いつの
間にか、ひとりでに悲しい感情に捕えられることはよくあることだ。悲惨事
や不幸の出来事が起因となり、哀切で傷心な気持ちに襲われて、ひとりでに
涙がこみ上げてくることはよくあることだ。

  これについては、全く逆の主張もある。本稿の主要論点でないので下記
に紹介だけの引用にとどめる。メルロー=ポンティは、身体と精神との両義
性を主張している。いろいろな意見がある。
  池谷 裕二(脳科学者)は、次のようの書いている。

ーーーーー引用開始ーーーーーー

 一般的には、「脳」が私たちの最高層にあって、身体は脳の支配下にある
と思われがちです。
 しかし、本当のところは逆で「カラダ」が主導権を握っています。つまり、
「脳からカラダへ」ではなくて「カラダから脳へ」です。
 これは動物たちの長い進化の過程をみればよく理解できます。脳とカラダ
ではどちらが先に発達したでしょうか。もちろんカラダです。カラダのない
脳はありませんが、脳がない動物はいくらでもいます。(略)
 つまり「楽しいから笑う」のではなくて「笑うから楽しい」「面白いから
前傾姿勢で話に聞き入る」のではなく、「前傾姿勢で話を聞くから面白くな
る」、「ヤル気が出たからヤル」のではなく「ヤルからヤル気が出る」私た
ちの心はそういう構造をしているのです。
 だから、頭でウダウダと考えて悩むよりは、まずは何より、「カラダを使
え!」です。
  上大岡 トメ (著), 池谷 裕二 『のうだま…やる気の秘密 』(幻冬
舎、2008)より
池谷 裕二(脳科学者)、上大岡 トメ (イラストレーター)

ーーーーー引用終了ーーーーーー


  それぞれの場面(事件、人物行動)は、ある種の情感・気分・雰囲気を
醸し出している。これら情感・気分・雰囲気は、読み手の血液循環や消化腺
の動きや内分泌循環などに接合している。読み手の呼吸・生理・脈拍とも接
合している。これらは読み手の「身体図式」(現勢的身体)とも接合してい
る。実際の音声表現では、こうして形成した「身体図式」(現勢的身体)が
反応し、読みのリズムや情調や節奏や読み調子の流れを形作っていくことに
なる。


     
表現よみにおける分析・総合とは 


 拙著『表現よみ指導のアイデア集』(民衆社、2000年)の10ページに
「表現よみ指導の弁証法過程」という上下二段の図表が掲載してある。
  上段には「音声表現に中心をおく授業」の図表があり、下段には「話し
合い(共同助言)に中心をおく授業」の図表がある。
  上段には、上手な音声表現を求めて実際に声に出していくことに焦点化
した幾つかの学習活動が書いてある。音読記号をつけたり、間あけ、間なし、
強弱変化、緩急変化、抑揚変化、転調などのメリハリに気をつけながら声に
出して表現していく学習活動が書いてある。
  下段には、内容解釈深めのために話し合い学習活動について書いてある。
場面の様子、人物の性格、事件の流れや因果関係、物語の全体構成、感想意
見だし、人物へ手紙を書くなどの学習活動が書いてある。

上段の音声表現学習の特質・特徴について新たに付け加えてみよう。
  1、直観的解釈(思考)
  2、感性的解釈(思考)
  3、総合的解釈(思考)
  4、聴覚的解釈(思考)
  5、体に感じて声に表す
  6、身体で直観的に感知して音声表現する
  7、右脳・アナログ思考
  8、非言語的脈絡で表現する
  9、非反省的意識。前述定的
  10、身分け、身知り、体認(市川浩)
  11、身体知、暗黙知

下段の話し合い学習の特質・特徴についても新たに付け加えて書こう。
上段と下段の同じ番号を対比しながら読んでいただきたい。番号対比で全体
のアウトラインが理解できるはずである。
  1、分析的解釈(思考)
  2、理性的解釈(思考)
  3、論理的解釈(思考)
  4、解明的解釈(思考)
  5、アタマで分析して声に表す。
  6、コトバで論理的に分析して解釈を深める。
  7、左脳。デジタル思考。
  8、言語的脈絡で表現する
  9、反省的意識。述定的。
  10、言分け(市川浩)
  11、形式知

  上段の音声表現学習は「総合」を中心とした学習活動であり、下段の話
し合い学習は「分析」を中心とした学習活動であることが分かる。上段と下
段とは、相互補完の弁証法的関係にある。(これについては後述する)



       
表現よみの分析授業例


  これまで述べたことから「音声表現はすべて総合表現である」ことが分
かる。音声表現とは、文章内容を一挙に間髪を入れずに音声に凝縮して表現
する総合行為であることが分かる。
  では音声表現に分析は不必要かというと、そんなことはない。総合は分
析を通してしか生成しない。音声表現では、目で読んで瞬間的に声で表現す
るという「表現過程」になる。「理解」したことを、間髪を入れずに瞬間的
に「表現」に転化するという、理解と表現との相互作用による同時進行が行
われている。
  総合には事前に分析が必要である。というか、分析と総合とはウラとオ
モテの関係にある。相互補完の関係にある。分析を通して総合が深められ、
総合を通して分析が高められる。さらなる分析を経て、次にいっそう総合が
高められる。つまり、納得できない音声表現の個所は、さらなる解釈深めに
よって、それを基にしてより豊かな音声表現へと上昇していくきっかけを与
えられる。つまり、分析と総合とは弁証法的関係にあるということだ。


  
このことを授業例「ごんぎつね」(新美南吉)で具体
  的に書こう。



  この物語の冒頭(前書き)は、語り手(作者)が読者に語って聞かせて
いる語り口文体になっている。この作品は主人公「ごんぎつね」がいたずら
ばかりしている幾つかの事例を、語り手が登場して、紹介してる文章から始
まる。
  「これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞い
たお話です。」の文章で始まる。この冒頭一文の音声表現の指導は、通常は
初めに解釈深めの話し合い学習をやり、その後で音声表現(表現よみ)の授
業を実施する。解釈深めの話し合いもなく、すぐに音声表現(表現よみ)の
授業から始める指導方法もあるが、通常は意味内容の解釈深めの話し合いが
あり、それが終わった後に音声表現(表現よみ)の学習に入るのが普通であ
る。
  解釈深めの学習は、文章内容を理詰めに話し合う「分析」という学習方
法がとられる。前書き部分にある「わたし」とは、この物語の語り手(紹介
者)であること、作者(新美南吉)とも考えられること、昔は、いろりを囲
んで子ども達が古老から昔話を聞いた習慣があったこと、村の古老はお話し
好きで、子ども好きで、子どもにお話を聞かせるのが楽しみであったこと、
などが話し合われることでしょう。
  こうした話し合い学習は、言葉による「分析」学習ということになる。
話し合いという分析学習で、ありありとした表象喚起や感情形成の学習をし
ていく。その後に、次のステップとしての音声表現(表現よみ)学習という
「総合」学習に入ることになる。



      
「分析→総合」の話し合い例


  もう少し話し合い学習(分析学習)について書こう。音声表現(総合学
習)に入る前の話し合い学習の話をつづけよう。授業記録の具体例で示そう。

ここで話し合いしている文章個所
 「これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いた
  お話です。」

児1 「これは」と書いてあります。「これは」の「これ」とは、この物語
   「ごんぎつね」のことだと思います。
児2 「ごんぎつね」の話は、わたしが小さい時に村の茂平というおじいさ
    んから聞いた話だと分かります。
児3 自分が本で読んだ話ではなく、茂平という名前のおじいさんから聞い
   た話だと分かりました。
児4 「わたし」とは、この物語の作者、新美南吉だと思います。
児5 わたしが「小さい時」と書いてあるから、新美南吉が子どものころに
   聞いた話だと分かります。
教師 新美南吉が何歳ころに聞いた話かな。
児6 多分、幼稚園ぐらいだと思います。
児7 わたしは、南吉が多分小学生ぐらいだと思います。
児8 わたしは、幼稚園から中学生のあいだごろのことだと思います。
児9 「茂平」という名前は、テレビの時代劇に出てくる古くさい感じの名
   前だと感じました。
児10 多分、江戸時代か、明治時代かも。
教師 んーとね、新美南吉は、大正2年に生まれています。大正は15年 
   で終りですから、南吉が子どもだった頃は大正時代ということにな 
   ります。新美南吉が茂平じいさんから聞いたのは大正時代の初めの 
   頃でしょう。
   しかし、この話は江戸時代、いや、それより前からこの村に語り継 
   がれてきた話かもしれません。茂平じいさんも子どものころに聞い 
   た話で、ずっと前から、ずっと昔からこの村に語り継がれてきてい 
   るお話しかもしれません。このへんのことは、はっきりしたことは 
   分かりません。(「わたし」とは、新美南吉でなく、南吉がこの物 
   語作成のために南吉が作り上げた、南吉とは別人の、この物語に登 
   場して語っている「語り手」かもしれません。これについては、こ 
   こでは触れていない。)
児11 「村の茂平」と書いてあるから、新美南吉は都会育ちでなく、田舎
    育ちで、茂平じいさんと仲よしだったんだと思います。
児12 茂平なんて、テレビの時代劇に出てくる名前で、古い名前で、今の
    子どもの名前にはない名まえだと思いました。

 以上、話し合い初めの発言部分を書きました。
 児童たちは冒頭一文を読んで、そこから触発され、文字に書かれてない、
分かってきた事柄・浮かんできた表象や感情を発表している。これから物語
が展開していく冒頭一文について話し合い(分析思考)している。
 ここでの話し合い授業は、すべて解釈深めの、言葉による内容深めの分析
学習である。通常は、こうした解釈深めの話し合い(分析学習)のあとで、
表現よみという実際の音声表現の総合学習指導が実施されることになる。意
味内容も分からずに音声で内容表現することはできないからである。



       
表現よみの総合授業例


  話し合いの分析授業の後には、音声表現における総合授業に入る。次に
総合授業について書こう。「ごんぎつね」(新美南吉)の作品例で書こう。
地の文の場合と、会話文の場合とに分けて書くことにする。


地の文の総合授業

  作品「ごんぎつね」は、冒頭の前書き個所を除いて、ほとんどごんぎつ
ねの三人称主観の視点で描写されている。だから、この作品の地の文は、前
書き個所を除いてごんぎつねの目や気持ちに寄りそって読み進めることにな
る。読み手は、ごんぎつねに付かず離れず、時に微妙に重なりもしながら、
ごんぎつねの目や気持ちに寄りそって行動時間を共に生きつつ音声表現して
いくことになる。前書き個所は、語り手になって音声表現していくことにな
る。
  前書き個所以外は、ごんぎつねの目や気持ちに寄りそって、ごんぎつね
の伝達意図や感情をからだに感じとって、からだごと反応で音声にこめて読
み進めていくことになる。地の文の音声表現における総合とは、人物行動の
順序や行動目的や感情など状況の中で生きている姿を、音声に一挙に凝縮し
て表現していくことになる。その場面状況を音声に一挙に凝縮してありあり
と目に見えるように音声表現していくことが求められる。


会話文の総合授業

  「4の場面」にある、連続してる会話文の音声表現について書こう。
  「4の場面」には兵十と加助の連続している会話文がある。はじめに兵
十が加助に「最近へんなことがあるんだ」と相談を持ちかけている。二人が
交互に連続して語り合っている場面なので、読み手は兵十と加助に素早く交
代し乗り移って、それぞれの人物になって相手への伝え意図・思い・気持ち
を直截に音声にこめて表現していかなければならない。素早く交代し、その
人物にのり移って音声表現しなければならない。その場面場面で、兵十と加
助が相手に伝えたい思い(心理感情)をくっきりと音声表情に出るように読
まなければならない。話しのキャッチボールをしているという「やりとりの
雰囲気」が出るように音声表現しなければならない。
  この物語の終末場面に「ごん、お前だったのか。いつも、くりをくれた
のは」という会話文がある。兵十は、ここで初めてごんぎつねが栗をくれた
当人であることを知る。兵十はこの事実を知り愕然とする。
  この個所の音声表現は「ごん、すまない。お前だったのか。知らなかっ
た。なんたる不条理な運命だことよ。」という、兵十の悲痛と悔恨と謝罪の
念でいっぱいになっている気持ち、兵十が抱いてる責め苦の思いをあふれさ
せて音声表現しなければならない。
  どういうメリハリにして読もうか、などと考えているヒマはない。間髪
を入れずにその場その場で直ちに一挙に総合して音声表現しなければならな
い。会話文の音声表現においては直ちに一挙に間髪を入れずに総合表現して
読まなければならなくなる。
  兵十の身体が読み手の身体まで延長してきて、兵十の身体が読み手の身
体と重なって、読み手は兵十と同じ心理感情になって、兵十が慙愧の念でい
っぱいになっている気持ちに入り込んで一挙に音声にこめ総合表現しなけれ
ばならない。音声表現とは、こうした間髪を入れずにその場その場で直ちに
一挙に総合して読む言行為なのである。
  会話文の総合表現では、その会話文を語っている登場人物の相手への伝
え意図や心理感情が、音声に一挙に焦点化して直截に意図や気持ちが表れる
ように読むことである。ありありとした「やりとりの雰囲気」を出して音声
表現することである。人物達が語り合ってる様子がリアルに音声表情に表れ
るよう読むことである。



     
「総合→分析→総合」の授業例


  解釈深めの分析授業が終わると、次に音声表現の総合学習に入る。
  音声表現の学習では、音声表現している学習の途中々々に解釈深めの話
し合いを適時にはさみこんで展開するのが通常の姿である。音声表現(総合
学習)→解釈深め(分析学習)→音声表現(総合学習)→解釈深め(分析学
習)→音声表現(総合学習)という順序の授業展開になるのが通常の姿であ
る。

  次に、その授業展開例を書く。初めに、どう音声表現していけばよいか
の話し合い(分析学習)から始まる。

ここで話し合いしている文章個所
 「これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いた
  お話です。」

教師 では、表現よみの学習を始めましょう。冒頭の一文を表現よみすると
   き、どんなことに気をつけて読めばいいですか。発表していきましょ
   う。
児1 間のあけ方について言います。テン(読点)が二つついています。二
   つのテンの個所で区切って読むといいと思います。
教師 みなさん、どうですか。(「いいです」の声、多数)テンのところで
   は必ず区切るとは限りませんが、ここの冒頭文では、二つのテンのと
   ころで区切った方が分かりやすい読み方になりますね。
児2 「これは」の「これは」を、聞いてる人に「これの話だよ」というこ
   とがはっきり分かるように、みんなに聞いてもらいたい気持ちになっ
   て、「これは」を少し強めに読み出したほうがいいと思います。また
   「これは」の「は」の下で、ちょっと長めの間をあけて読んだ方がい
   いと思います。
児3 「これは」「聞いたお話です」と、いちばん上といちばん下とがつな
   がるように、ばらばらにならないで結びつくように読むといいと思い
   ます。
児4 ちょっと違って。ぼくは、「これは」「わたしが小さいときに」「聞
   いたお話です」と、三つの個所がはっきりとつながるように読んだ方
   がいいと思います。
教師 両方とも、いい意見だと思いますよ。どちらもいい意見です。この一
   文は、大きく三つに区切って、児3が言ったように「これは………聞
   いたお話です」と上下がつながるように読むといいね。
   ここの読み方で、とても重要なことがあるんだけど、分かるかな。 
   (暫時、間。児童反応なし)ん、ここの文を読むとき、「だれかが」
   「だれかに」………。「だれかが」「だれかに」………。
児5 ハイ、分かりました。児2が言ったように「語ってるように読む」で
   す。
教師 そうです。そうです。この物語を聞いてる人に語って聞かせているよ
   うな話し振りで読むといいね。この物語を聞いてる人に、お話しして
   聞かせてるような語り口調で読むといいんだね。
   では、そのような読み方にして練習してみよう。みんな、ばらばら勝
   手に練習しましょう。練習が終わったら発表してもらいます。いろい
   ろな読み調子を試してみるといいね。いちばん気にいった読み方を選
   んでみよう。いろいろ変えて、繰り返して試してみよう。練習時間は、
   三分です。始め。(三分経過)
教師 練習、終わりです。だれか、発表しましょう。ハイ、児5さん、表現
   よみの発表をしましょう。
児5 読みます。「これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじい
   さんから聞いたお話です。」
  (と、表現よみの読み声発表をする。)
教師 ご自分で、読んだ後の感想を言ってみましょう。
児5 ちょっと、読み方が速かった。もう少しゆっくりでもよかった、と思
   います。
教師 そうね。ちょっと急ぎ過ぎたようね。それでは、他の人から、児5の
   表現よみの感想を言ってもらいましょう。
児6 大きな声で、はぎれよく読んでいて、よかったです。
児7 「これは………聞いたお話です」を、つなげて、ひとつながりに読ん
   でいて、とてもよかったです。
児8 文全体を、大きく三つに区切っていて、よかったです。
児9 「村の茂平というおじいさんから聞いたお話です。」というところは、
   ちょっと長めのつながりの文ですが、ひとつながりに読んでいて、途
   中でぶつぎりにしないて読んでいてよかったです。
教師 「聞いている人に語り聞かせてるように読む」については、どうでし
    たか。
児10 「聞いている人に語り聞かせてるように読む」は、あまり感じませ
    んでした。
児11 何か、ただ読んでいる平らな感じに聞こえました。
児12 語って聞かせている感じは、しませんでした。
教師 児5さん、では、教室の前へ出てきて、学級のみんなに向かって語っ
   て聞かせてみよう。学級のみんなに向かって聞かせているように読ん
   でごらん。そうすると、聞いている人に語り聞かせているようになる
   かもしれませんよ。学級のみんなが、まだ幼稚園の子どもだと思って、
   「ようく聞いてね。みんなに分かるように、語って聞かせるからね。
   みなさん、耳をすましていてねー」と先に先生が言うから、すぐその
   後に「これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんか
   ら聞いたお話です。」を読んでみよう。
   じゃ、先生が言ったあとから、つづけて教科書の文を読んでみよう。
教師 みなさん、ようく聞いてね。みんなに分かるように、語って聞かせる
   からね。みなさん、耳をすましていてねー。はい、どうぞ。
児5 (表現よみをする。教師のリード言葉のあとに、それに直ぐ続けて、
   児5が冒頭の一文「これは、わたしが小さいときに、村の茂平という
   おじいさんから聞いたお話です。」を表現よみする。)
教師 みなさん、どうでしたか。
児12 上手に読めていました。今度は、語っているように読めていました。
児13 「聞いたお話です」を、ちょっと強めに読んでいて、語っている感
    じが出ていて、とてもよかったです。
教師 ほかの人は、どう感じましたか。(よかったです、聞かせてるように
   読めていた、の声があがる)賛成の人、多いですね。では、語って聞
   かせてるように読めていたと思う人、拍手をしましょう。(拍手、多
   数)児5さん、語って聞かせてるように上手に読めたそうです。先生
   も、上手に読めていてたいへんによかったと思いますよ。

  以上の授業は、声に出しての表現よみ(総合学習)をした後に、現れた
読み声について学級全員で共同助言(分析学習)を加えている。どこがよか
った、ここを工夫するとよい、と学級全員で共同助言を与えている。
  次に、その共同助言(分析学習)をテコにして、再度、上級の音声表現
(総合学習)をめざしてチャレンジする音声表現を試みていく。さらに、チ
ャレンジした読み声について学級全員で共同助言を行い、再々度の上級をめ
ざした音声表現を試みていく。このように音声表現(総合学習)→解釈深め
(分析学習)→音声表現(総合学習)→解釈深め(分析学習)→音声表現
(総合学習)を繰り返す授業をしていく。
  今度は、読み手を変更し、他児童の幾人かに同じような音声表現の授業
をしていく。同じような手順で指導をしていく。


模倣読み学習

  次に、模倣読み学習をする。児童全員の読み声の中から上手な児童の読
み声を1〜3名選択する。上手な児童の読み声を選択したら、その読み声を
全員でまね読みをさせる。選択した児童の読み音調・メリハリ・読み振りと
そっくりに似させて、学級全員の一斉音読で模倣読みを何回か繰り返させる。
こうして上手な読み声を児童一人ひとりの身体に刷り込んでいくようにする。


完成度を高める

  上手な児童の模倣読みが、一斉音読でなく、自分一人での個人読みでも、
できるようにしていく。個人読みが上手にできるようになるまで徹底して繰
り返し練習していく。いいかげんな低水準で終わらせてしまうと、いつまで
も上手な読み声が身につかない。低い水準のままでは、いつまで経っても上
達しない。ある程度まで、上手に読めるようになるまで徹底的に繰り返し練
習させる。
  上手な読み声が身につくと、それがこやしとなる。次に新しい文章個所
を音声表現するときの習得技能の素地を形成する。こうした技能の高まりの
素地ができることを、ポランニーは「暗黙知」といい、メルロー=ポンティ
は「身体図式」と呼んだ。


一部分の文章個所でいい

  全文章でなくていい、一部分の文章個所でいい、徹底して上手に読める
まで練習させることが大切だ。上手な読み声が身体に沈殿すると、次に音声
表現するとき格段に上手な読み方ができるようになる、なるはずだ。気がつ
かないうちに上達している。
  いつまでも低水準の読み声で留まっていては、いつまで経っても上手な
音声表現の能力は身につかない。一部分の文章個所でいい。全文章の上手な
模倣読み練習は時間的にとてもムリだ、困難だ。
  どこの文章個所を模倣読みするかは、教師の指定でもいいし、児童全員
の意見で決めてもいい。上手な音声表現を身体に刷り込むことが大切だ。



    
一読総合法における分析と総合


  これまで述べてきたように「表現よみ総合法」とは、「一読総合法」と
か「三読読解法」とか「○○方式読解法」とかいう独特な読解指導方法の提
唱を指しているのではないことが分かる。独特な読解指導方式の主張でない
ことが分かった。
 「表現よみ総合法」とは、読解授業の中で文章を声に出して読む学習のこ
とだったのだ。声に出して読むことで児童生徒の読解能力を高め、音声表現
能力を高める指導のことだったのだ。
  声に出して文章内容を読み深める学習は総合学習である。文章を情感豊
かに声にのっけて表現する学習は総合学習である。音声表現学習=総合学習、
ということであったのだ。これまで述べてきたように厳密には、音声表現学
習は分析を含めた総合学習であるのだが、どちらかといえば総合学習に入る
といってよい。
  学習活動の一つである「表現よみ」を「表現よみ総合法」と名づけると
するなら、次のような一読総合法の中での学習活動は、右側(  )のよう
な名づけ方で呼ばれることになるだろう。何も今さらそんな呼び方をする必
要もないが。話しのつながりで、敢えて書くと、だが。
  一読総合法の学習活動を大まかに「総合法」と「分析法」に二分して書
いてみよう。どちらかと言えばこちらに入る、という大雑把な二分法で下記
に区分けしている。

「分析法」の部
   書きこみ(書きこみ分析法)
   書きだし(書きだし分析法)
   表象化(表象化分析法)
   具体化(具体化分析法)
   くわしい話しかえ(くわしい話しかえ分析法
   入りこみ(入りこみ分析法)
   感想意見だし(感想意見だし分析法)

「総合法」の部
   みじかい話しかえ(みじかい話しかえ総合法)
   抽象化・概念化(抽象化総合法・概念化総合法)
   プランづくり(プランづくり総合法)
   主題づくり(主題づくり総合法)
   副題づくり(副題づくり総合法)
   小見出しづくり(小見出しづくり総合法)
   図解・表づくり(図解・表づくり総合法)
   表現よみ(表現よみ総合法)
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