表現よみ授業の指導法 2011・11・20記 表現よみ授業の指導方法(その5) 本章の目次 記号づけの指導方法 (1)記号づけは解釈深めである。 (2)下読みで工夫させる。 (3)イメージを膨らましつつ声にのせていく (4)記号をつける (5)音読記号の種類 (6)初めての記号づけ指導方法 (7)記号を音声表現していくときの留意点 (8)一度つけた記号は、いつでも修正する。 (9)慣れた口先だけの読み方にしない (10)先に音読記号があるのではない (1)記号づけは解釈深めである。 どう音声表現するか、ということは、どう解釈するかということです。 解釈作業の物質的な衣が「音声」なのですから、冷たい活字の文字列に生命 と息吹きを与えるのは読み手の解釈作業によって決まります。 音読記号づけ作業は、教育指導上の一つの手段方法です。記号づけは、 どう上手に音声表現するかという音声化技術(イントネーション、区切り、 緩急変化、強弱変化、声の大小など)を記号に置き換える作業です。どうメ リハリをつけるかの作業は、どう音声化するかという技術を見出すことであ り、どう声に出すかという音声化技術を記号に置き換える作業です。 音読記号づけの直接の目的はそうですが、文章の余白に音読記号を記入 することは、同時に意味内容の解釈深めの作業をしていることにもなります。 こういう意味内容だから、こういう声のメリハリのついた音声表現にすると よい・こういう音声化技術を使って読むとよい、という分析的な解釈深めの 思考をしていることにもなります。意味世界のリズム(生命)を見出す思考 作業でもあります。ですから、音読記号をつける学習は、同時に解釈を深め る学習をしていることになります。音読記号をつけることは単に音声表現の テクニックを記号に置き換えるという技術指導をしているのではない、とい うことです。同時に解釈深めの指導をしていることです。「……と音読記号 をつける」と判断したことは、「……と解釈した・意味内容を解明した」と いう思考をしたということです。 音読記号を書き入れるということは、文章内容を音声表情で引き出す作 業です。文章内容を音声表情で呼び起こす・たぐり寄せる作業です。解釈深 めとは別に音声表現法なるものはありません。強いて言えば、解釈深めの基 礎の上に、音読の記号づけがあるとは言えるでしょう。 わたしは、これまでかなりの数の朗読教師(俳優、声優、アナウサー) たちの朗読教室で音声表現の実際の読み声指導を受けてきました。講師たち は一つ一つの文章部分に実際の読み声を自分の声で模範読みを示すことはな かったし、この文章の読み声の音調はこんなふうにすると読み声音調を実際 に示すこともあまりありませんでした。ここはこんな場面である、こんな因 果関係の事件状況・事柄にある場面だ、こんな情景場面だ、こんな人物の心 理感情状態である、こんな話し意図を強く押し出して語っている会話文であ る、など、どんな場面か、どう解釈するか、こんな意味内容である、講師た ちの話はこうした場面分析、状況分析の解釈の話しが殆どでありました。 こうしたことは物語文だけでなく、説明文においても同じでした。説明 文の音声表現では、音読記号をつける作業は、筆者の発想・伝達意図・事柄 を読み説く解釈作業が殆どでした。説明文は、筆者が読者にこんな伝達意図 で、こんな事柄を伝えたい・訴えたいという熱い思いがあって文章を書いて いるわけです。ですから、読み手はその筆者が読者に伝達したい熱い思いに 入り込み、その思いが十分に音声にのっかることに集中して音声表現してい けばいいわけです。 そのためには、どこで間をあけ、どこを強調し、どんな緩急変化をつけ て、つまり、どんなメリハリをつけて音声表現するかを考えることになりま す。文章内容がどんな構成になっているか、文章の全体構成の組み立てがど うなっているか、段落構成と因果的連関がどうなっているか、を分析するこ とが重要となります。読者は筆者が伝達しようとしてる事柄の熱い思いの中 に入り込んで音声表現していくようになります。読み手は、筆者が伝達した い思いの時間の流れの中に入り込み、筆者のリズム時間の流れの中に漂いつ つ音声表現していけばいいわけです。書きつつあった筆者の意識の流れの中 の思い入れの律動性・リズムを感じとり、発見し、それに漂いつつ音声表現 していくようにします。 (2)下読みで工夫させる いきなり声に出して読むのでなく、黙読や微音読をしながら下読みをさ せましょう。下読みで、先ず、黙読や微音読でどう声に出したらよいかを探 ります。音声表現の仕方をを考えながら、同時に解釈深めをしていくのです。 文字を声にするのではなく、文脈をとらえるために声にするのであり、解釈 を深めるために声にするのです。その結果として豊かな音声表現になるので す。 意味内容がふくらんできたら、どう音声表現したらよいかを探ります。 文字を目で追いながらあれこれと音声表現の仕方を考えます。黙読や微音読 で文字を目で追いながら、イメージをふくらませながら、声の表情のつけ方 を考えます。抑揚を早期につけようとするのでなく、自然に感情や表現意図 が声に表れ出るようにすることに重点をおきます。 はじめはそっと声に出してみます。大声を出して読むと、何か一つの決 まったメリハリに決定してしまったような感じになります。あとの読み声が 何か決まったものにしばられてしまうような感じになります。初めは微音読 でそっと気楽な無責任な状態で読みます。意味内容をきちんと声にのせるこ とに集中して、あれこれと自由にメリハリを変化させたりしながら大雑把に 声に出してみます。読み落としていた部分も見つかるようになります。 音声表現のおおまかな目途ができたら、少しずつ声量をあげていきます。 初めは小さくつぶやいて、少しずつ声を大きくしていきます。だんだんと小 声から通常の声にしていき、さぐり読みをしながら、意味内容がどう表出す ると膨らむかを考えます。どこを、どれぐらいの間にするか、どこを強め、 どこを速め、どこを密やかに、どこをゆっくり、どこを下降させて読むか。 会話文はどんなしゃべり音調にするか。一種類だけでなく、種々の読み方 (めりはり)を試みて、さぐりを入れます。わざと違った読み方をしてみた り、いろいろなメリハリを試みます。 こうして下読みで、どこを沈め、どこを目立たせ、どう流していくか、 どうデザインして音声表現していくか、設計図を立ててみます、抑揚のつけ 方の段取りを考えてみます、たくらみを考えてみます。 一番ぴったりした読み方を選択します。この読み方が最良と判断する基 準は、自分がこれでよしと納得できるメリハリであるかどうかです。自分の 耳で聞いてみて納得できるどうか、満足できるかどうか、です。納得できな ければ、さらに他の読み方を種々にさぐり読みで試みます。 (3)イメージを膨らましつつ声にのせていく 下調べで、黙読や微音読で繰り返し音声表現を試みていくと、しだいに 意味内容がはっきりしてくるし、ぴったりした表情音声に固定していくよう になります。意味内容のひとまとまり、間のあけ方、抑揚、緩急変化、強弱 変化、リズムなど、自分で納得のいく音声表情に固定していきます。場面の かもしだす雰囲気、声の響かせ方なども明確になってきます。試し読みを繰 り返していくうちに、音声表情の総体がしだいに身体に刷り込み、沈殿して いくようになります。 記号づけが終わったら、記号の通りに実際に音声表現してみます。ほか に違った音声表情の仕方はないか、記号にとらわれずに自由な試みの音声表 現もやってみます。わざと違う音声表情のつけ方も試みます。いろいろな読 み声の変化を試してみます。よりよい記号づけに修正していきます。前と後、 どちらの記号づけがよいか、もう一度、声に出して調べます。狭い文章範囲 だけで音声表現を考えるのでなく、前後の文章内容の全体の流れの中で考え ます。すると、さらなる変更が出てくることもあります。声をどう出すかで 解釈の仕方が違ってくること気づいてきます。 こうした記号づけによる読み声練習をしていくと、初読のときにあった トチリ読みがなくなり、注意力は文章内容の解釈深めや、音声表情のつけ方 にいくようになります。説明文では意味内容や筋道の論理に注意力が向くよ うになります。物語文では、出来事がすなおに音声にのるように、人物の気 持ちが会話文にのるように注意力が集中していきます。微音読や小声読みを 繰り返しながらイメージを膨らませていきます。 山本安英(俳優)さんは、「下読みで心がけていること」を次のように 語っています。詩の下読みについて体験談を語っています。 詩をうたいあげるというのは、文字に表情をつけたり、あげたりさげた りの調子の変化を心がけるのではなく、その詩の内容に自分の共感が結びつ いたところから、それが豊かに膨らんで、ひとつのリズムみたいなものが、 生まれるんじゃないかと思います。いきなり声に出すのではなく、黙読する ことから始めるんです。何度も静かに黙読して、自然に声に出したくなった 時にフッと読みあげるのですけど、これは詩の内容に自分の体が入っていく ためには大変にいい方法とも思えるんです。ただ、まあ、その黙読のしかた が、何か固くなって緊張して、字をにらむんではなくて、最初受けた自分の 感動を逃がさないように、筋肉なども楽にして適度な集中で黙読することが 大事だと思っています。 NHK学校放送、高等学校の時間「朗読のしかた」より引用。 (4)記号をつける 次に、下調べで音読記号(しるし)をつけていきます。あれこれ試し読 みをしながら、文章の余白に音読記号をつけていきます。。黙読しつつ微音 読しつつ、どう音声表現をしていくか、その設計図や段取り計画を立ててい くわけです。ここはこういう意味内容(イメージ、雰囲気、情感)だから、 この記号にすると、記号づけと解釈を深めを同時にしながら、音声表現のし かたを考えていきます。 記号の種類には、間あり、間なし、転調、強調、抑揚、緩急変化、強弱 変化、声量変化、リズム、音色、場面や情緒の単語メモなどがあります。 幸田弘子(朗読家)さんは、自著『朗読の楽しみ』の中で記号づけの重 要性について次のように書いています。初めに「朗読の印づけは鉛筆を使う のがよい」と書いています。 私は鉛筆を使いましょう、と言います。 どこで切れるのか、注釈や参考書をもとに調べ、意味の切れ目にあたる ところに、鉛筆で印をつけておこう、ということです。 要するに、鉛筆の印をつけることによって、自分で解釈の確認をしてい くのです。そうすれば、何がだいじな言葉なのかもわかります。そのだいじ な言葉を伝えていくように、読み方もわかっってきます。 本を汚すのが嫌いな人も多く、そうなさらない方もいらっしゃるようで すが、鉛筆だからあとで消せばいい。読むためには、どんどん印をつけるこ とが大切だと思います。書き込みのないきれいな本もステキですが、読み込 みのために、自分の注釈や印をたくさんつけた本も、すばらしいものです。 私などは、本は書き込みでまっくろ。 鴎外、一葉、漱石などの明治の作家の文章にも、どこで切ったらよいか わからないという問題があります。そんなときは、やはり、文章の意味がわ からない部分は調べて意味をつかみ、その意味の切れ目で区切る、という作 業が必要でしょう。 もちろん、じっさいに朗読するときは、ある種の流れが大切です。意味 の切れ目ごとに区切って読んでいると、バラバラになって、とても聞かれた ものではありません。文章のひとかたまりを、続けて読むようにします。そ してだいじな言葉を生かし、あとは<捨てて>いくのです。 発音上は鉛筆の区切りは無視するわけですが、しかし切れ目を知って読 む場合と、わからないまま読む場合とでは、聞き手の理解がまったく違って きます。 つまり、あらかじめ意味で区切っておくことは、「聞き手にわかるよう に読む」ために、とても有効な方法なのです。 幸田弘子『朗読の楽しみ』(光文社、2002)71ぺより引用 わたし(荒木)は、幸田弘子さんがどんな印をつけているか、幸田さん の書き込んでいる印の種類などは知りません。印は必要に応じて自分で好き な(工夫した)印でよいのだと思います。わたし(荒木)が教室で授業して いた時の記号については下段(5)に書いています。 (5)音読記号の種類 文章の傍の余白に音読記号を書き入れます。音読記号は、メリハリをど う音声で表現していくかという音声化技術(テクニック)にかかわる指導で す。しかし、記号づけは、メリハリづけという音声テクニックだけではあり ません。音読記号を書き入れるということは、同時に文章内容の解釈深めを している作業でもあります。ここが大切です。音読記号を書き入れる作業は、 同時に文章内容の解釈深めをしていることです。記号づけ指導は、音声表現 が上手になるためのテクニックを知るだけではありません。 すぐれた解釈ができたからといって、上手な音声表現になるとは限りま せん。深い感動があっても、それを声にのせる音声化技術(テクニック)が 必要です。音声化技術とは、音声表現にメリハリをつける技(わざ)のこと です。技(わざ)ですから、技(わざ)を身につけるには時間がかかります。 音声表現においても、スポーツと同じに技(わざ)を身につけるには練習量 が大きく影響してきます。しかし、小中学生は大人と違って、教師の指導の 熱心さによっても違いますが、わりと早く音声表現の技(わざ)を身につけ てしまいます。児童生徒の音声化技術の習得能力はすばらしいものがありま す。 平静な意味内容は落ち着いた穏やかな音調で、歓喜に満ちた文は快活で 弾んだ音調で、悲痛な文は細く沈んだくぐもった音調で、怒りは早口で高く 激昂した音調で読まなければなりません。 緩急変化……早口、いそいで、たたみかけて、おいこんで、ゆっくりと、た っぷりと、、のんびりと、など。 高低変化……イントネーション、上げ下げの抑揚変化。強調や疑問詞は高く 発音される。 強弱変化……どこを目立たせ、どこを沈めて、どこを捨てるようの読むかに 大きくかかわる。 音色…………「明暗」、「硬軟」がある。「明」は「口」を大きく開けて共 鳴させる。「暗」は、口を閉じかげんにして口の前方で言う。 「硬」は筋肉を緊張させ、喉を絞めて声を出す。「軟」は緊張 をとりソフトを心がけて言う。 わたしは、音声化技術の教室指導では、以下の音読記号の種類を使って います。 記号には、間、転調、イントネーション、強調、強弱変化、緩急変化、 声量変化などがあります。記号だけでは表わせないもの(感情、気分、雰囲 気など)もあります。その場合は短い言葉(単語メモ)を文章の余白(行 間)に書き込むことにします。 例えば、さびしそうに、明るく笑って、怒って、しかりつけて、いやー な気分で、顔を真っ赤にして、などのようにです。 どんな音読記号の表示にするかは、それぞれの学級や学校で独自な記号 表示を作って使用してよいでしょう。学級児童と話し合って独自な記号表示 に決めてよいのです。このような記号でなくちゃならない、というものでは ありません。。 わたしが使用している音読記号は、拙著では必ずといってよいほど紹介 しています。インターネット上の記号表記は困難ですので、詳細は下記を参 照してください。拙著の推薦図書を書きます。 拙著『すぐ使える音読練習プリント 高学年用』(ひまわり社、2007) 拙著『すぐ使える音読練習プリント 中学年用』(ひまわり社、2007) (1)間ありの記号づけ 「間」には、一拍の間、二拍の間、三泊の間(一つ分の間、二つ分の間、 三つ分の間)などがあります。音声表現では、意味内容のまとまりで区切っ て読むことが第一に必要なことです。区切りがめちゃめちゃな読み方では聞 いていてさっぱり分かりません。昔から「なぎなた読み」というのがありま した。「弁慶が、なぎなたで、義経を、刺し殺した」→「弁慶がな、ぎなた でよ、しつねをさ、し殺した」というような読み方です。これではいけませ ん。まず第一に重要なことは意味内容の区切りをはっきりさせることです。 「間」は一時的な読みの停止・停音ですが、休止・休憩の時間ではあり ません。「間」も言葉のひとつであり、間をあけて読んでいても単なる時間 の休止・休憩ではなく、読み手の内面意識にはある種の感興や情趣を鮮やか に内想している時間であります。明確な言葉にはできない、ある気分や思い のようなものでしかないのですが、間では通常はそうした感興・気分・情趣 をこめて音声表現しているのがふつうです。間は、文章内容の区切りで停音 して、聞き手に分かりやすく伝達するためだけにあるのではありません。音 楽では「休符を演奏する」という言い方があるそうです。文章の音声表現の 間も、ある種の緊張感ある演奏をしている表現としての時間であると言えま しょう。 どれぐらいの間をあけるかは、微妙です。ストップウオッチできちんと 計って空けるようなものではありません。ほんちょっとした間のあけ方で、 全く似ても似つかぬ意味内容や雰囲気を作り出してしまいます。一秒、二秒 とかでは表せません。経験を重ねて分かっていく以外にありません。へんに 間をとりすぎると「間がのびた」「間が抜けた」「間が外れた」音声表現に なってしまいます。一本調子の読み方は、「間がない」音声表現です。 (2)間なしの記号づけ 句点(マル)個所は、一文の終止ですので、殆どがそこで降調となって 間をあけて読みます。 読点(テン)個所では、一様ではありません。読点(テン)では、間を あけて読む個所、続けて(間をあけないで)読む個所の二種類があります。 また、読点がついてない個所でも間をあけて読む箇所も多くあります。 間には、そこでしっかりと読み声を停止し、十分にあけて、そこで息を 吸う間があります。また「切る切らず」という小さな間、息をしない間もあ ります。これは「ためる間」とも言われ、短く息をのみこんで待つ間でもあ ります。「ためる間」は、通常は同じ高さの音でつながって読み進むのが普 通です。 このように間には、息を吸う間、息を吸わない間があります。長い文章 を音声表現するときは、事前に、どこをひとつながりに読むか、どこで間を とり、どれぐらいのあいだの間をあけるか、どこで息を吸い、どこまでひと つながりに読むか、どこで大きく息を吸うか、前以てこうした文章個所を決 めておくことが必要となります。 長い文になると、児童はあちこちで間をとって読みがちです。息が切れ た個所で間をとったりもします。これはいけません。これでは、ぶつぶつ切 れた、文章内容が伝わらない読み方になってしまいます。また、読点(テ ン)ごとに区切って読むと、これもぶつ切りになり、不自然な読み方になっ てしまうことがあります。読点(テン)があっても、意味内容のひとまとま りはひとつながりにして読むようにします。ひとまとまりは、一つの語句の ようなつもりで読み進めます。 昔から、学校教育では、句点(マル)では、手を二つたたき、読点(テ ン)では、手を一つたたき、その分だけ間をあける、という指導があります。 また、頭をこっくり上下に下げる、または片足で床を打つ、という方法もあ りました。間のあけ方はこんな機械的なものではありません。前述したよう に読点(テン)では、間をあけない場合もたくさんあり、読点(テン)がう ってない個所でも間をあけて読むことがけっこう多くあります。 (3)転調の記号づけ 転調は、多くは段落変わりで行われます。段落変わりで必ず転調して読 むとは限りません。改行では意味内容が変わっていることが多いですが、改 行個所でも意味内容がつながっている個所も多くあります。前段落と意味内 容が同じで連続しているなら通常は転調音調にはなりません。 改行した段落で意味内容が変っておれば、「さあ、新しい場面がこれか ら展開していきますよ、新しい場面を開いて読み出しますよ」という意味で、 そうした思いをこめて転調して読み出していきます。改行だけでなく、逆接 の接続詞などは意味内容が反対に接続しているので、多くは転調になります。 (4)強調の記号づけ 強調とは、目立たせて読む、際立たせて読む、突出させて読む、印象深 く読む、ということです。強調の方法には、 (1)強く高く読む、 (2)弱く低く読む、 (3)ゆっくり読む、 (4)速く読む、 (5)一字一字を区切って読む、 (6)強調語句をかこむ前後に間をおく、 などがあります。 物語文に比べて説明文は、強調の音声表現が多く使われます。説明文は、 筆者が読者にこれを伝えたい・訴えたいという意図があって書かれています。 ですから、「これを伝えたい・訴えたい」ことは強調音声で表現されること になります。筆者が読者に強く訴えたい・伝えた事柄は、どうしても強調し た音声表現になり、説明文では音声の強調表現が多くなります。 キーワード(文章全体の中で重要な中心となっている語句やフレーズ。 中心文)も、強調した音声表現になるのが多くあります。数字、人名、固有 名称、団体名、数量なども、ゆっくりはっきりと読んで目立たせて伝えるこ とが多いです。主題や結論や問題提示文や新情報や注目させたい語句なども 目立たせることが多いです。文脈が込み入って難解な文章個所は、読みの速 度をゆるめ、かんでふくめるようにゆっくりと読んで強調する音声表現にな ることが多いです。 (5)イントネーションの記号づけ イントネーションとは、発話時における声の上げ下げの時間的な変化の ことです。発話者が相手に伝えようとする内容(意図、特に感情的な心持の ありよう)によっておこる声の上げ下げの変化のことです。イントネーショ ンは会話文の文末の上げ下げに多く用いられます。文末のしりあがり、しり さがり、上がって下がるなど、いろいろな変化づけがあります。 疑問文は、いつも尻上がりになるとは限りません。男性と女性では大き く違います。女性は尻上がりになることが多いですが、男性は尻下がりにな ることが多いです。その時の表現意図や場面状況によっても違ってきます。 (6)緩急変化の記号づけ 速く読むしるし ゆっくり読むしるし 緊迫感を音声で表現するには、早いテンポで読むのがよいでしょう。あ るいは畳みこむように早口で音声表現するとよいでしょう。うつらうつら眠 い場面を音声で出すには、ゆっくりとしたテンポで、のんびりとぽつぽつと 読むのがよいでしょう。 文学作品の大団円が終了した最後尾の終末文章などは、これまでの情感 が濃縮されて流れていますから、ゆっくり、のんびりと読んで、思いを引き ずるように余韻や余情の情緒性をたっぷりに残す読み方が多くなるでしょう。 たとえば「兵十は(間)、火なわじゅうを(間)バタリ(間)と(間) 取り落とし(間)ました。(間)青い(間)けむりが(間)、まだ(間)つ つ口(間)から(間)細く(間)出て(間)い(間)ま(間)し(間)た (間)」(「ごんぎつね」)のようにです。 (7)声量変化の記号づけ 「声のものさし」@ A B C D 「声のものさし」という便利なものがあります。最近はどこの教室にも摸 増紙に書いて掲示してあるのをよく見かけます。大体は五段階の声量変化を 「ものさし」にして示しています。 @の声は、最小の声・ささやき声です。 Aの声は、グループ内で話し合う小さな声です。 Bの声は、普通に語り合う声の大きさです。 Cの声は、近くにいる友だちに呼びかける、やや大きめ声です。 Dの声は、遠くの人に呼びかける最大の声です。 @の前に「ゼロの声」を入れた六段階もあります。無言・沈黙の声です。 声量変化を音読記号で書くときには、文章余白に@ A B C Dの 記号をつけます。例えば、会話文には、そっとささやいている会話文があり ます。また、大声で怒鳴りつけている会話文もあります。これらの音声表現 では声の大きさが違っています。ささやき声の会話文には、@と記号をつけ ます。単語メモで「ささやいて」と書くこともあります。怒鳴り声の会話文 には、Cと記号をつけます。「どなって」と書いてもよいでしょう。 (8)場面の雰囲気や情緒の記号づけ 場面がかもしだしてる雰囲気や気分や情状性は、音読記号で書き入れる ことはできません。短い言葉、単語メモにして書き入れます。 例・ふしぎそうに 静かにゆったりと 浮かない不安な感じで 喜んで弾 んで つぶやいて明るく 広々とゆったりと 沈んで暗い感じで 重苦しさを引きずって など。 (6)初めての記号づけ指導法 初めての記号づけ指導はどうすればよいのでしょうか。 ご参考に一例を紹介しましょう。 手順(1) 教科書本文の一部を、教師が記号づけをして完成したプリントを児童に 配布します。教師が児童に「これが出来上がった記号づけです。みなさんに このような記号づけをやってもらいます。これをやると、表現よみがとって も上手になります」と言います。 教師が記号の一つ一つについて解説します。この記号は、「間」です。 この記号は「強調」です。この記号は「速く読む」しるしです。それぞれの 記号がどんなことを表わしているかを知らせます。 教師がそれら記号の一つ一つを実際に音声表現してみせます。一つ一つ を丁寧に音声表現してみせます。その記号のとおりに音声表現すると意味内 容がよく伝わる、上手な音声表現になることを実感させます。 次に先生の音声表現を一斉にまねさせます。学級全員で記号の通りに一 つ一つを音声表現させます。模倣は一回だけでなく、繰り返し先生の音声表 現を口移しに・連れ読みで模倣させます。 仕上がったところをみて、次に児童を指名して記号の通りに読ませます。 下手な個所は目をつむって、一つでも二つでもよい個所を発見して、とって も上手だったと称賛してやります。ほめることで表現よみに自信を持たせま す。 手順(2) 前述した指導と同じに、幾つかの新しい文章個所を与えて練習します。 その後、児童たちに自力で記号づけをしましょう、と誘いかけます。 「では、ここに新しい文章があります。ここに先生の真似をして、今度は 自分で記号をつけてみよう」 「どこを、どのように音読したらよいか音読記号をつけましょう。」 と誘いかけます。 「記号づけは一つ二つだけでなく、たくさんつけられたらすばらしい。幾 つつけられるかな。七個を目標にして付けていってみよう」 などと誘いかけます。 (これをやる前に、一斉に記号のばらばら出し発表をやってもよいでしょ う) 多くつけた児童を称賛します。記号づけしている時は、微音読か小声で、 声に出してよいことにします。自分で納得できるまでに確かめの練習をさせ ます。 頃合いをみて、記号発表に移ります。「この文章個所に、こんな記号を つけました」と発表させます。発表した児童には、発表した文章個所の、発 表した内容の通りに音声表現の発表もさせたりもします。「なるほど、この 記号づけはいいね、」と褒めます。ハナからダメと言わないようにします。 発表児童の音声表現の後を学級全員で模倣したりもします。一度だけの模倣 でなく、3度,4度の模倣をして、記号音調が一人ひとりの児童の身体に刷 り込むまで繰り返します。 こうした記号づけ練習をしていくと、コツが分かってきて、しだいに記 号づけ個所が増えていきます。教師が事前に本文を模造紙に書いて準備して いた掲示物の傍にも記号を書き加えていきます。こうして全員共通に視覚化 をしていき、学級共通の記号づけを作っていきます。 手順(3) 教師がここには、こんな記号をつけさせたい、という意図がある場合も あります。その場合は、そこの文章部分を指して「ここは声を大きくして読 んだ方がいいか。小さくして読んだ方がいいか、どうだろう。」「ゆっくり 読む?。速く読む?。感じがどう変わってくるだろうか」などと問いかけま す。実際に教師が音声表現をしてみせて、児童たちからの感想発表を聞き、 共通の音読記号を話し合いで決めて、書き入れていきます。 手順(4) 児童から、こうだ、いや違う、という対立する意見が発表されることも あるでしょう。A児が「ここは小さな声で読んだほうがよい」と言い、B児 が「いや、大きな声で読んだ方がよい」と言って、両者の意見が割れる場合 があります。そのときは、A児に小さな声で、B児に大きな声で実際に音声 表現させてみます。他児童に二つの感想を言わせます。そこで大体は決着が つくことが多いですが、どちらもよい音声表現だ、どちらも可能だ、という 場合もけっこう多く出てきます。大きな間違いでなければ、どっちもよいと、 両方を認めてやります。自分で好きな方で、自分で納得のいく方で読みなさ い、と指示します 。 手順(5) 全員で作成した学級共通の記号づけが完成したら、その記号づけの通り に一斉音読で練習させます。当初は、記号のとおりに音声表現できません。 まずは、記号のとおりに音声表現できる力を身につけさせましょう。記号づ け初期は、なかなかその通りには読めません。練習を重ねていくうちにしだ いに記号のとおりに読めるようになっていきます。 手順(6) 記号どおりの音声表現の発表をさせます。一児童に発表させます。それ について他の児童からの感想意見を言わせます。「よかったところ、わるか ったところ」の感想意見を発表させます。アラ探しのような感想はさけます。 できるだけ上手なところを見つけて、指摘された児童が「うれしい。がんば ろう」という気持ちを抱くような言葉かけ感想を言うようにします。下手な ところを指摘するときは「たいへん上手だったが、ここの個所だけ、こんな 感じに聞こえたので、こう読めたら、さらにもっと上手な読み方になったと 思う。ここんとこだけちょっと残念だった、おしいなあと思いました」とい うような温かな助言をするように配慮します。 手順(7) 記号づけに慣れてきました。一人で記号づけができるようになりました。 一人でする前に、グループごとで共同して共通の記号づけを作ってみるのも よいでしょう。2人組のグループでもよいでしょう。一グループの人数は多 くない方がいいでしょう。各児童がそれぞれに教科書に音読記号を書きこみ ます。音読記号を出し合い、意見を交換しながらグループ内で共通の記号づ けにを作成していきます。グル―プ内で小さな声で音声表現しながら、だれ の記号がよりよいかを検証しながら最終的な共通記号を決定していきます。 (7)記号を音声表現していくときの留意点 (1)いちいち記号づけの理由を言わせることは無理がある。 教師から「なぜ、ここは、こういう記号をつけたか」その理由を一つ一 つ言わせることはむりな要求です。 これについては本ホームページ「表現よみの授業入門」章の「なぜこう 音声表現するかの理由を言わせてはいけない」で詳述しています。そちらを ご参照ください。 (2)記号づけは、手段であって、目的でない。 記号をつけなければ、つけなくてもいいのです。記号はなければなくと もいいのです。記号づけは学校教育における音読指導の手立て、方法の一つ でしかありません。教育指導上から考えられた一つの指導技術であり、方 法・手段でしかありません。表現よみ訓練を重ね、上達した表現よみ段階で は、記号づけはごくわずかか皆無となっているはずです。 メリハリのある音声表現をするには、教育指導上で記号づけをした方が 効果が上がるから、この方法を使用しているのです。児童の音声表現を高め るに指導効果があるから記号づけをしているのです。最終的には、初読時で も、記号づけがなくても、上手に音声表現できる子どもをめざしているので す。 記号づけの指導は、一人一人の子どもが音声表現のしかたを黙ってパパ ッとアタマの中で行う内的行為の能力を高めるためにしているのです。つま り内的な知的行為を高めるためにしているのです。内的な知的行為を高める ための、外言として外に取り出しての外的行為が「記号づけ」なのです。外 的行為を訓練することで、やがて直観的な、黙ってパパッとアタマの中だけ で行う内的な知的行為ができるようにする、その手段が「記号づけ」なので す。そのために記号づけ指導をしているのです。 (3)音声表現は「遠慮した、出ししぶり」をしない。 つけた記号を音声表現するときは、「小さく、小奇麗に、こぢんまりと まとめない」ことです。「遠慮した、出ししぶりした、消極的な」音声表現 をしないことです。音声表現に臆病にならないことです。太っ腹で、図太く、 大胆に振幅大きく、ドカーンと、広がりと膨らみをいっぱいに出した音声表 現をさせます。ここは、こんな場面だ、こんな人物の気持ちだ、を考えます。 声の出し方をあれこれと工夫します。他のメリハリのつけ方がないか、 いろいろと試みさせます。違った声の出し方を、いろいろと試みさせます。 場面の様子をありありと思い浮かべ、人物の気持ちになって、入り込んで読 んでみます。読み手の感情をあけっぴろげに解放して音声表現します。する と、表現に幅と広がりが出てきます。かたい殻が抜け、のびのびと自由な音 声表現ができるようになります。 教師も、児童たちの前では、照れたり恥ずかしがったりせず、図太く、 大胆に、ドカーンと素知らぬ顔して大胆に大きく音声表現してみせます。教 師から率先してそうした教室の雰囲気作り、その雰囲気が当り前、それが何 でもない雰囲気・習慣になっている、そうした日常的な教室風景を作ってい くことが大切です。 (4)部分のメリハリだけでなく、全体のメリハリにも気を配る。 文章全体の構成(段落相互の関係)がどうなっているかを考えます。文 章全体で「何が、どうだ。どう変化しているか」を、まず大きくとらえます。 そして音声表現の全体の流れの段取りを考えます。どこを目立たせ、どこを 軽く流していくか、など段落全体の流れを考えます。全体構成を見きわめ、 どこを沈め、どこを目立たせ、どこで間をとり、どこまでをひとつながりに くっつけ、どこを切り離し、どう読み流していくか、などの段取りを考えま す。間の開け方は、特に大切です。意味内容の区切りに合わせて、読み手の 息・呼吸をあわせて音声表現していきます。 (5)一つの意味内容のかたまりは、ひとつながりで読んでいく。 肯定文においては、一般的な一文内部の上がり下がりは、一文の出だし の音は高くなり、文末へと読み進めていくにつれ、しだいに音が下がってい くのが普通です。NHKアナウンサーは、これを「ヘの字型のイントネーシ ョン」と言っています。一文を横書きすると「ヘ」の字のように右に上がっ てから下がっていくイントネーションになるからです。 文章の意味内容によって音声表現の仕方はダイナミックに変化していき ますから、すべての一文がこの上がり下がりになるとは言えませんが、一応 の原則はこうなります。この原則を守りつつも、文章全体の意味内容のかた まりは、一息にして、固まりで区切って読み進めていくようにします。あま り細かに区切ってしまうと、全体の意味内容がばらばらになって分かりにく い読み方になってしまいます。 (6)よい記号づけができても、上手な音声表現になるとは限らない。 よい記号づけができたからといっても、それに音声化技術が伴わなけれ ば、自分が意図したとおりに音声表情をつけるコントロールはできません。 自分が思った通りの音声表現にはなりません。音声化技術を向上させるには、 実際の音声化練習を重ねていく以外に上達する道はありません。 だが、深い感動があり、こう表現したいという熱く強い思いが脳中にあ るならば、案外にその思いは声にのってしまう、しぜんと上手な音声表現に なってしまう、ということはあります。作品世界への入り込みや思い入れが 深ければ、音声化技術のテクニックはそれに引きずり込まれ、しぜんと随伴 してきて、結果として上手な音声表現となって現れ出てきてしまう、という ことはあります。 (8)一度つけた記号は、いつでも修正する。 同じ読み手であっても、毎回が同じ読み音調になるとは限りません。今 回は今回限りの読み調子となります。前回とは微妙に違った読み音調となり ます。また同じ記号づけであっても、読み手の人間が違うと、読み音調はこ れまた随分と違ってきます。 これは当然なことです。同じ記号づけであっても、読み手の人間、それ ぞれに日常の話しぶりに独自な違いがあり、声質が違い、社会事象への人格 的な反応が違い、作品世界の受けとめ方も違っており、当然に一人ひとりの 音声表現の仕方が違ってきます。音読記号は外在する音調の実体をさすもの でなく、それ自体の中身は空っぽで、それでいて何らかの意味を担っている ような記号でしかありません。音読記号は、外在する現物ではなく、借りも のの、消えては浮かんで浮遊する、商品の値段のような表象でしかありませ ん。 (9)慣れた口先だけの読み方にしない 一度つけた記号は、同じ読み手でも、その都度その都度で、音声表現の しかたは微妙に変化してきます。しかし、幾回も読みこんでいくうちに、読 み慣れていくうちに、これだという音声表現の仕方にしだいに固定していく ようになります。 しかし不思議なもので、後日、読み慣れたいつもの読み音調には満足で きなくなり、変更を加えたくなります。さらに他の、読み音調(記号)に変 更したくなる場合も出てきます。その時は、思い切ってそれに変えていくよ うにします。さらに、再度の音声表現をしてみると、またまた変更したくな ります。その時は思い切って変えていくようにします。一度つけた記号は、 よりよい音声表現になるのであれば、自分が納得できるものであれば何回も 変更を加えてよいのです。記号は固定しないことです。ですから、前述で幸 田弘子さんが書いているように音読記号を書き入れる筆記具は、鉛筆のよう なすぐに消えるものがよいのです。 記号づけがこうだからと、ただ記号の通りに予定調和の音声表現をいつ までも固守しないようにします。頭を空っぽにして、何も考えず、記号を間 違わずに、ただ記号の通りに読む、だけではいけません。先生から教えられ た通りに記号づらを忠実に守って読むだけでは楽しい音声表現になりません。 これでは自動化したロボットのような読み方になってしまいます。読み手の 主体性のない、身体不在の読み方になってしまいます。すっかり言い回しを 覚え込んでしまうと、慣れてしまって、達者な音声表現、何か一本筋の抜け た、感動の乏しい、心のこもらない、軽薄な、うわべだけの読み音調になっ てしまいます。 慣れという落とし穴にはまってしまい、読み手の気持ちが動いていない 音声表現になってしまいます。惰性に流れてパターン化した音声表現になっ てしまいます。干からびてしまい、口先だけの読み方になり、みずみずしい 生命力が失われた読み音調になってしまいます。よそよそしい、嘘っぽい、 奇妙に他人行儀な空々しい音声表現になってしまいます。 西沢文子(日本コトバの会講師)さんは、次のように書いています。 同じテキストを何回読もうとも、読むたびごとに、一語、一句、一文に、 自分の声を聞きつつ反応して、新たな発見に驚いたり、あれ、こんな読み方 ができたんだと意識できたり、新たな解釈に目覚めるよろこびがあったりす る、そういう読み方で自分を試したいものです。まえもってしっかり練習し てその通りのよみをしようなどと、物理的にも理論的にもあり得ないことに しがみつくよりも、その時その場にハラをすえて立って、読むテキストが 何度目かのものであっても、作品を自分との白紙からのスタートを楽しむこ とにしましょう。 日本コトバの会編集『日本のコトバ』(28号、2009発行)より引用 (10)先に音読記号があるのではない 児童はとかくすると、先に記号があって、記号の通りに声に出すという、 記号に引きずられる音声表現になりがちです。先にあるのは記号ではなく、 文章の意味内容です。文章内容をどう音声表現すれば目に見えるようになる か、声でありありと外在化できるか、文章世界が身につまされるように迫力 をもって外在化できるか、これに焦点をしぼって音声表現していくようにし ます。文字を読もうと思わずに、意味内容を表現しようと思って声に出すこ とです。意味内容が先にあって、その思いのほどが声に現れ出るように意識 集中して音声表現していくようにします。 先に音読記号があるのではなく、先にあるのは文章の意味内容です。文 章内容の思いをいっぱいにして、身体に深く浸透した内面から出てくる言葉 を音声で表現するようにします。記号に潜む文章内容、イメージ、雰囲気を つかんで可能な限り豊かに音声表現する努力をおこたらないようにします。 物語文では、登場人物たちの心理感情と行動の流れ、事件の流れ、それ らがかもしだす情趣や雰囲気をともなった音声として表現していかねばなり ません。説明文では、筆者が読者に伝えたい切なる思いや事柄を、論理的に 分析的に理詰めに分かりやすく伝わるように音声表現していかねばなりませ ん。 「たどたどしい読み」より「すらすら読み」のほうが望ましいことは言 うまでもありません。「たどたどしい読み」は低学年児童だけでなく、高学 年児童にも数は少ないがみられます。「たどたどしい読み」をなくすには、 何回も「読み慣れる」こと、繰り返し「読み込む」こと以外にありません。 だが、前述したように「読み慣れ」には危険性が伴っています。「読み慣 れ」には「読み越え」が必要なのです。読み慣れてしまうと、自動化された 無感動な音声表現になってしまいます。心のこもらない、うわべだけの音声 表現になってしまいます。これではいけません。 読み慣れたいつもの文章であっても、口先で読まないで、その場面場面 で新たに感動する気持ち、念を押して確かめていく音声表現をしていくよう にします。メリハリの振幅を大きくして文章内容と真剣に対峙していく気持 ちで読み進めていくことです。その時その場の一回限りの文章世界の中に生 き、心をふるわせて読み進めるようにします。毎回、読むたびごとに新世界 が作られていくようなら、これは素晴らしいことです。新世界の素晴らしさ を感受し、味わい楽しみつつ音声表現に新鮮さを持つようにします。その時 その場の一回限りの状況言語、読み手の内側から湧きあがってくる感覚(感 動)が言葉になった身体言語、そうした新世界の中に生きている言語表情で 音声化していくようにします。音声表現するたびに読み慣れをこわしていく こと、新しいみずみずしい世界を創造する自覚を持って読み進めるようにし ていきます。音声表現するたびに新しい世界(文脈、解釈)の中に自分が生 きている体験を持ちつつ読み進めていくようにします。 こうして解釈の更新と記号づけの変更をいつでも求め探すようにします。 すらすら読み込んだ、読み慣れた文章は、発見がすくなりなりがちです。毎 回、気持ちを新たにして音声表現することに努力します。そうしないと、惰 性で読んでしまいます。考えることをしなくなります。緊張感なく技術だけ で読んでしまってはいけません。文章内容をどう声にのせるかの内的緊張が 失われてしまった音声表現であってはいけません。音声表現では潜在思念が 先に起動します。声に出す前に文章の底にあるポドテクストを感じとること です。それをいつも感じとりつつ声にのせようと精一杯に努力しつつ声にす ることです。 一度つけた記号づけを、自分の声で表現しつつ、自分の耳で確かめなが ら、さらに的確な、豊かな音声表現の仕方を発見し、記号づけの更新を怠ら ないということです。表現よみの音声表現は、すでに既存のもの、完成され たものというものはありません。常時、暗闇の中をごそごそと手探りして、 あがき、もがきながら、探していくもの、発見していくもの、創造していく ものとして存在しているのです。 強調を変えたり、緩急や上げ下げを変えたり、声質を変えたり、テンポ や雰囲気を変えたり、いろいろと試行読みを重ねていきます。すると、「言 おうとしたこと」が声にならず、「言うつもりのなかったこと」が洩れだす ことに気づくこともあります。それが新発見であることもあります。これま での読み声に変奏や厚みが加わり、別の層の宇宙が出現してきて、新しい可 能性が切り開かれることもあります。こうして読み手の身体の中に今までと 違う声、物言い、違う行動、身体の中身が生まれ、新しい構えが作られるこ とにもなります。 |
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