説明文の表現よみ指導              2012・02・29記




        
私的感情の入れ方





   ●説明的文章における私的感情の入れ方


  説明的文章の音声表現では、文章内容に対する読み手の意見は極力さし
控えることが第一義的に求められます。文章内容を虚心に受けとめ、筆者が
読み手に伝えたいこと、訴えかけたいことを素直に受け入れ、筆者の立場
(気持ち)になって、筆者になり代わって、筆者のなまの声をそのままに音
声表現します。聞き手(聴衆)に正確に意味内容を分かりやすく伝える、考
えさせるような態度で音声表現します。筆者がたどっている思考の筋道を素
直に音声表現しようと努力することです。筆者が語っている論理展開の力点
を声に素直に音声表現しようと努力します。読み手の個人的な意見は極力抑
えて中立的に音声表現しようとすることです。意味内容を整然とただ伝える
だけ、中性的な語りで、脱色された読み声の音声表現にします。文章に書か
れている事理を解明し説明しているように公平冷静な声(態度)で音声表現
しようとすることです。                  

  いま「公平冷静に」と書きましたが、「公平無私」とは書いていません。
これにはわけがあります。後者の「公平無私」とは、「自己を無にして、読
み手の私的感情を交えずに」ということです。しかし、音声表現は「自己を
無にして、読み手の私的感情を交えずに」読むことは本来的にはできないこ
とです。筆者の主張内容に対して読み手独自の読み取り方や受け取り方(解
釈のしかた)や感じ方があり、私的な感情評価的な声が入りこむことはどう
しても避けられないことです。
  読み手が、どう文章内容を理解しているか、理解の仕方・深まりの程度
はどうであるか、音声表現では、これが正直に読み声に表れ出てきます。読
み手が筆者の主張内容に共鳴共感したり反発したりの感想意見を抱くことは
当然にあります。読み手がどう感情評価的な態度で読んでいるか、これは正
直に読み声の表情に表れ出てきます。また読み手にはそれぞれに独自の読み
癖・読み音調の型、つまり独自の音声表情のスタイルがあります。これらの
諸条件によって個人的な濃淡の差はありますが、読み手個人の感情評価的な
態度は、各人の独自な読み音調の型・スタイルの中に入り込んで、というか、
沁み込んでというか、饗応し合ってというか、そうした音声表現になって表
れ出てくることになります。

  筆者の主張と読み手との見解が大きく相違している場合は、読み手の感
情評価的な態度は、批判的または反発する読み声となって音声表現されるこ
とになります。読み手の私的な感情評価的な態度が読み声に入り込むのは主
張文や議論文や評論文の場合が多くみられることでしょう。
  通知文、公文書、電気製品の取り扱い説明書などの音声表現においては
読み手の私的な感情が入り込む余地は極めて少ないと考えられます。「この
マニュアル本は分かりにくい書き方になってるな。小学生にも分かるように
操作手順がもっと簡潔に、文字数を少なく書いてほしい。利用者が最も多く
利用する基礎基本の操作手順と、特別な場合しか利用しない操作手順とは区
分けして書いてほしい」というような感情反応があった場合は、それが読み
声に表れ出ることはあるでしょう。
  仮説―実験―検証型の実験報告文や、自然観察記録文の音声表現も、読
み手の感情評価的態度が入りこむことは極めて少ないと考えられます。実験
観察結果に驚き(感想、感動)を覚えたときは、それが読み声の表情となる
ことがありましょう。実験報告文や観察記録文には、図解や図表や統計資料
やグラフなどが添えられている場合があります。こうした図や表やグラフは
音声表現になじみません。音声表現が困難です。これらは通常は除外して音
声表現するほかありません。必要な場合は読み手が読取ったことを読み手の
解説言葉でコメントをいれるようにします。
  旅行記の音声表現のしかたは、筆者の見学した場所への感動の思い入れ
の度合いの違いによって変化してくるでしょう。

  テレビでのニュース報道や天気予報の音声表現は、読み手(アナウン
サー)の私的な感情が入り込む余地は極めて少ない。テレビニュースのアナ
ウンスは、読み手は冷静な態度で客観的に視聴者に事柄(事実、現実、現
象)を正確に(間違いなく)、分かりやすく伝えることが求められていま
す。アナウンサーのニュース読みは、無色透明で、非人称的で、禁欲的で、
伝達情報を淡々と語り、聞き手(視聴者)届けるだけにします。飾らず冷静
に、無定形で無垢で純に、限りなく無味無臭で、つまり意図的な色づけやへ
んな読み癖には過剰なまでに希薄な語り音調、ただ伝達するだけが目的の語
りが求められます。感情評価的な判断は視聴者に任せられていると言えます。
悲しそうな顔をしたり、愉快そうな表情をしたりは許されません。
  ただし、スポーツの実況放送や、事故現場・災害現場からの実況放送を
する場合は、実況報告者(アナウンサー、レポーター)の私的な感情評価的
な声(感動や応援する気持ちのほとばしり、驚愕や恐怖や衝撃の声)が音声
表情となって出ることはある程度は許されるといってよいでしょう。「ある
程度」とは、実況報告者(アナウンサー、レポーター)の自然な音声表情で、
ごく自然な、ごくごく自然な感動や驚愕や恐怖の声表情でなけれならないと
いうことです。わざとらしい、大げさな実況報告はいけません。作りすぎた、
空芝居じみた、実況報告者の一人勝手なアナウンスは、空疎に聞こえ、嫌味
になって、いや、嘘っぱちに聞こえてしまいます。

  説明文、主張文、議論文、評論文の場合は、読み手は、筆者の主張内容
を正確に聞き手に分かりやすく無色透明に伝達するだけの音声表現となりま
す。これが基本原則、かなり強い基本原則です。しかし、文章内容に対し
て読み手が大きな感動や共鳴共感や反発を受けた場合は、読み手の主観的な
感情反応、自然にわきでた感情反応の発露からならば、その私的な感情評価
的態度の音声表情が付け加わることは許されるでしょう。しかし、故意のや
りすぎはよくありません。やりすぎは、読み手の感情の押しつけ、むり強い
となり、嫌味な音声表現となってしまいます。聞き手(聴衆)に「感情の押
しつけ、押し売り、いやだ、いやだ」と不快感を与え、生理的に受け付けな
い音声表現となってしまいます。むしろ控え目にして、感情反応は、聞き手
(聴衆)の感情評価的な判断に委ねる音声表現にします。読み手の感情評価
を押し付けないことです。客観的かつ中性的かつ無色透明な音声表現を目ざ
すのを原則とすべきでしょう。



   ●文学的文章における私的感情の入れ方●


  文学的文章における読み手の私的な感情評価的態度の差し込みはどうな
んでしょうか。これについて考えてみましょう。
  物語文で考えてみましょう。読み手が物語文を読み進んでいるとき、虚
構世界の内側にいて登場人物たちの行動と一緒になって笑ったり泣いたり怒
ったり悲しんだりしながら行動しています。どきどき、はらはら、身につま
されながら作品世界の中の入り込んで読み進めています。作品世界に没入し、
のめりこみ、感情移入して登場人物たちと同じ気持ちになって作品世界の状
況の中を生き、一緒に行動しております。
  同時に、読み手は虚構世界の外側にも出て、登場人物たちの行動に反発
したり非難したり論難したりの感情反応を起こしながらも読み進めています。
「そんな行動はいけないよ。それは違うよ。こう行動しなきゃだめだよ。」
という批判的な感情反応をも抱きつつ読み進めています。「あなたの行動
(気持ち、考え)はよく理解できるよ。なるほど、そうか。そうなんだ。同
感だ」と登場人物たちの言動から教えられ、自己変革をせまられることもあ
ります。自分自身を突き放して見つめ直したり、自分の生きていく将来の方
向を見定めたりすることもあります。
  つまり、物語世界に没入して登場人物たちと一緒に行動する「同化」行
動と、物語世界を対象化して批判的に読み進める「異化」行動と、二つのき
わどい重なり合い、ひびき合い、せめぎ合いの中で自由に往来し浮遊しなが
ら、物語世界を楽しんで読み進めています。こうした二重体験の中で物語世
界を楽しんでいるのが通常の姿でしょう。登場人物たちに、心情的に近づい
たり重なったり離れたりしながら享受しつつ読み進んでいます。
  読み手が作品世界をどう受け入れて感情反応するかは、読み手各人の裁
量(判断・反応の仕方)に任せられています。

  文学作品は、作家が語り手を登場させて、語り手が物語世界を語ってい
くという語りの構造をもっています。しかし、読み手は物語を読み進めてい
るときは、常に語り手を意識しているとは限りません。通常は語り手を意識
しないで読み進めています。文学作品には、語り口(語り方)の一つとして、
ときに語り手がひょっこり作品世界に一登場人物のように顔を出して読み手
(聞き手、読者)向かって語りかけている文体もありますが、それとても読
み手(読者)が作品世界を読み進んでいるときは、そこに描写されている事
柄(出来事・事件)に一喜一憂しつつ読み進んでいるのであり、「語り手」
を意識して(対象化して)読み進めているわけではありません。日常の通常
の読みの姿では、語り手(話者)を直接的には意識して読み進んではいませ
ん。意識の底に沈んでおり、ときたまに語り口のおもしろさに導かれて語り
手の姿が意識に浮かび出てきて、その瞬間のみに語り手を意識する時がある
というのが通常でしょう。

  読み手は活字を目で追いながら、黙読時でも音読時でも、語・句・文・
文+文のまとまりとして、まずそれらを差異化(区別化)しながら、それら
「切れ続き」の間を作りながら音声表現しています。同時に文章全体の意味
のまとまりを目指しながら読み進めています。作品世界の状況の中で登場人
物に同化したり、異化したりしながら、その自由な浮遊と揺れ動きの中で行
き来し、創造世界を想像しつつ、楽しんでいます。
  つまり、読み手の感情評価的態度は作品世界の事件(事柄)に対して、
登場人物の行動に対して、一人一人の読み手のこれまでの人生体験で積み重
ねられてきた(身につけてきた)道徳的倫理的な価値基準に応じて作品世界
への感情反応はそれぞれに違って読み進めています。
  ときに、深い感動で感極まり胸がつまって音声表現を続けることができ
ないということも起こりましょう。ひとりでに涙声になってしまうこともあ
るでしょう。怒りでふるえる読み声になってしまうこともありでしょう。読
み手各人の反応はいろいろです。こうしたことがよく起こる人もいれば、全
く起こらない人もいることでしょう。読み手個人の作品世界への感情評価的
な反応は一人一人で違っています。
  ときに感極まり胸がつまって、涙声になる場合もありますが、そんな時、
通常はそれを抑えようとし、冷静になって場面・状況をありのままに再現し
て音声表現しようと努めるのが通常です。感極まった涙声、つまり私的な感
情反応の読み声を抑制しようとします。涙声や怒り声の私的な読み声になる
のを抑制して、作品世界で起こっている現実をありのままに再現しようと努
めるのが通常です。
  音声表現の基本原則は、作品世界の現実の状況、事件の流れ、登場人物
の行動をありのままにありありと再現することをめがけています。描かれて
いる作品世界の姿形をそのままに客観的に音声で再現しようとしています。
読み手が意識しなくても、知らず知らずのうちに読み手の考え方(感情反
応)が音声表現の中に沁み入っています。これを回避することはできません
が、作品世界の客観現実をありのままに、ありありと再現する音声表現を目
ざしています。同化にゆれたり異化にゆれたりの時空の境位を自由に往来し
つつ、作品の客観世界の位相に調律された身体まるごとの音声表現をしよう
としているのです。

  物語文は、会話文と地の文とから構成されています。会話文と地の文と
の区別なく、ずらずらと平らに読んではいけません。会話文と地の文とを区
別して音声表現することがまず要求されます。
  会話文は登場人物が語っている言葉です。読み手は登場人物の生活状況
に身をおき、何をどんな気持ちで語っているか、どんな音調で語っているか
を想像します。その人物になったつもりで、その人物の表現意図を前面に押
し出して音声表現します。その人物に対する読み手の批判的な気持ちがあっ
たとしても、前面に押し出すべきは、その人物になって、同化しての音声表
現です。その人物の会話文に共感したり反発したりの感情的反応を抱くこと
があるでしょうが、それら読み手の私的な感情反応は極力抑えて音声表現す
べきでしょう。人物同士の会話文のやりとりの場面(雰囲気)が音声に彷彿
と表れ出るように、その会話場面の様子がありありと表れ出るように音声表
現すべきでしょう。
  とは言っても、ある人物が語った会話内容に対して読み手が強く反応し
た場合は、当然に読み声に表れ出てくるでしょう。自分だけで読んでいる場
合は個人的な感情反応はあふれでるままでよいでしょうが、聴衆がいる場合
は、個人的な感情反応はできるだけ抑制し、場面を客観的に再現する音声表
現に努めることを第一とすべきでしょう。
  地の文は、語り手の観点(認識、考え)から事件の流れや、その因果関
係を説明したり、周囲の情景を描写したり、解説を付け加えたりしている文
章部分です。事件の流れや因果関係、周囲の情景が目に見えるようにありあ
りと音声表現することです。読み手の意図的な感情評価的態度のさしはさみ
はできるだけ抑え、客観的事態として背景場面のありさまを淡々とありのま
まに音声表現するようにします。

関連資料
  本ホームページ、第9章「語り手の声、筆者の声」に、上述と関連する
記事が書いてあります。
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