音読授業を創る そのA面とB面と 2011・9・26記 斉読は効果的指導法の一つです 斉読を効果的に使おう 「斉読」とは学級全員で声を揃えて一斉に音声表現することです。「一斉 音読」とも言われます。日本の学校教育では戦争中は斉読がさかんに行われ ました。戦争協力と戦意高揚のための教材文を心を一つにして斉読(群読) する教育が行われました。(詳細は、拙著『群読指導入門』参照)。戦争直 後は、その反動として黙読が重視され、斉読はあまり行われなくなりました。 が、また斉読が復活してきています。 斉読が重視されなくなった理由 ●斉読の短所 (1)声を揃えることで不自然な、へんな読み癖や読み調子がつく。むりな 声合わせから独得なメロデーがついた読み声になる。 (2)他人に依存する自覚のない読み方が身につく。ただ読ませられている だけ、自分から内容を表現する積極的な意識に欠けた読み方になりが ちだ。 (3)他人に声を合わせてるだけ、漫然と自覚なく口をパクパク開けるだけ の読み方になりがちだ。 (4)「心、ここにあらず」「心、声にならず」になりがちだ。文字づらを なぞっているだけ。文字をただ声にしているだけ、文字づらだけの空 読みになりがちだ。 戦後の国語教育界では、こうした斉読の短所が論文などで指摘されてき ました。現在も、学校現場では斉読はあまり歓迎されてないように思われま す。 これに対して、わたしは斉読には教育的効用大であり、斉読を大いに利 用しようと主張してきています。(拙著『群読指導入門』付録CD二枚の中で 前述した斉読短所四つの結果にならないことを実際の児童読み声で立証して います) 前記した斉読短所四つを読むと、いずれも何のために斉読をしているか、 教師も児童も「ここでの斉読のめあて」が分かっていない、ただ漫然と斉読 をやっているだけのようにみられます。漫然と声を揃えて読んでいたり、表 面(文字づら)をなぞるだけの時間つぶしの斉読になってはいけません。何 のために斉読しているか、こういう目当てで音声表現しているという意識を 持たせて斉読させる必要があります。めあてに集中して斉読させる必要があ ります。「斉読のめあて・目標」をはっきり持っていれば、声をそろえた空 読みにはならないはずです。 意味内容を声にのせるために、どうメリハリをつけたらよいか、児童一人 一人が、それぞれに意味内容の自分なりの音声表現を工夫しながら、ここに 集中して斉読させていくことがとっても重要なのです。この指導がなくて、 ただすらすら声にして読んでいけばよい、文字ずらを他人と声を合わせるこ とに気をつかってずらずら読みをしていけばよい、という指導めあてだけで 斉読させているから、心ここにあらずの読み方、へんな読み癖・読み調子が ついたり、空読みになったり、口パクパクだけの斉読になったりするのです。 斉読では声を合わせることをねらわなくてよいのです。斉読している過程で 上手な読み声が自分の耳に聞こえてくれば、自然とそちらに合わせるように なるし(そのように指導する)、自分の解釈による自分の読み声がよいなら ば、あくまでも自分の読み声を主張しつつ読み進めていってよいのです。 斉読のめあて (1)上手な読み声を全員でまねて、身体に沈殿させて転移力を高める。 どの児童も音声表現能力がどんぐりの背くらべ水準では、いつまでたっ ても上達しません。上手な手本となる音声表現を学級全員で一文あと追いの まね読みで斉読させるのはよい方法です。上手な音声表現のまね読みをさせ るのです。同じ文章個所を一回だけでなく、数回くり返して一斉にまね読み させます。こうして身体に刷り込まれた上手な読み音調(リズムや情感性) は、次の新しい文章を音声表現するときに転移していきます。上手な読み声 を斉読で模倣して、身体化させる、そのために斉読を利用するのです。(こ れの詳細は、次節「模倣読みを効果的に使おう」を参照してください) (2)記号づけのとおりに読む斉読練習をすると、音読下手な子も上達が はやくなる 子ども達は、音読初期は、音読記号の通りに音声表現できません。記号 づけ学習の初期は、音読記号の通りに音声表現する練習をする必要がありま す。音読記号通りに音声表現できなければ、せっかくの記号も何の役に立ち ません。まず、音読記号の通りに音声表現する練習を斉読で繰り返し練習す る必要があります。記号通りに読めるようにします。全員で斉読しながら練 習した方が、個別に練習するよりも、楽しく学習ができ、ずっとはやく記号 通りに読めるようになります。一度つけた記号は、よりよい音声表現の仕方 があれば変更してかまわないのですが、まず記号の通りに音声表現できなけ ればなりません。記号変更はあとの指導になります。 (3)斉読は群読指導に役立つ。 群読指導をするとき、教科書本文(群読台本のもとになる文章)を、群 読の事前指導、つまり内容の読み深め指導の中で斉読を繰り返しつつ上手に 読めるようにしておきます。そうしておくと、あとの群読指導では、事前に 上手に音声表現できるようになっているので、直ちに上手な音声表現で群読 の分担読みに入ることができます。事前の斉読練習で一定レベルまで音声表 現が上手になっているので、群読の練習時間がずっと節約されます。群読指 導の時間になって初めて音声表現の練習を一から始めるより、事前の斉読練 習で音声表現が上手にしておくと、うんと時間の節約ができます。 ほかにも斉読利用の効果がある ◎話し合い学習が行き詰ったときに利用 解釈深めの指導をしていて、なかなか正解が児童から発表されない、話 し合いが行き詰ったとき、教師がヒントとなる文章部分を指摘して、全員に 斉読させます。あるいは、ヒントとなる重要語句を斉読させます。あるいは、 ヒントとなる連続する会話文を分坦音読(役割音読)させます。文章の意味 内容や組立てが分かるように「ここを、こんなふうにメリハリをつけて斉読 してみよう」といい、ヒントを与える。そこから答えを引き出します。 ◎斉読で上手な音声表現の早期獲得をめざす 初めて学習する文章個所(初読個所)を、上手な音声表現の早期獲得を めざして全員での斉読練習をさせます。初読時の不揃いな読み方が斉読させ ると、他児童の読み声に引きずられ早期に表情豊かな読み声に統一していく ようになります。 ◎斉読で、下手な読み声児童が引き上げられる 読みが劣っている児童を助けるために斉読させます。能力の低い子、内 気な子、音読に自信のない子も斉読を開始すると、みんなと一緒に連れ読み せざるをえなくなります。みんなと同時の連れ読みしていく中で、みんなと 合わせざるを得なくなり、自分の読みのレベルがしぜんと引き上げられるよ うになります。 ◎どこを、どう工夫すると上手な音声表現になるかを探りつつ斉読させる 個別で音声表現の仕方さぐりをするよりも、みんなで斉読しながら音声 表現の仕方を探らせつつ、上手な読み方を探らせた方がた方が効果的である。 音声表現が下手な児童は、上手な児童の読み声に引きずられて、それに合わ せるようになり、いつの間にか上手な読み声になってしまう。上手な読み声 探りの即効的な効果を発揮することになる。 ◎斉読させると、他児童の読み声に耳を傾けざるを得なくなる。 斉読させると、他児童の読み声に耳を傾けざるを得なくなります。全児 童による一斉音読の読み声を耳にしていく中で上手な読み声と下手な読み声 を聞き分けて聞き取らざるを得なくなります。上手な読み声を選択し、自分 の読み声に取り入れて音声表現していくようになります。 ◎斉読させて、だらけてきた学習雰囲気に活を入れる 子供たちが何となくだらけてきて、授業への集中力や緊張感がなくなっ てきた時、学級全体の気分をひきしめるため全員一斉に斉読をさせます。 斉読利用の長所 ●斉読の長所 (1)気楽に音声表現ができる 斉読は解放感があり、気楽に音声表現できる、他児童の読み声に参加で きる。子どもの生理的欲求にかなっている。 (2)思いっきり表現できる 内気な子も、他の児童たちに引きずられて思いっきり大きな声で読める ようになる。 (3)他児童に引きずられ、引き上げられる 全児童による斉読の読み声のどさくさにまぎれて、いつのまにか、音読 能力の低い子も周囲に合わせて読むようになり、文章内容の呼吸やリズムが 身についてしまう。自分の読みレベルが自然と引き上げられてしまう。音読 の劣ってる子も、他児童のよいところを取り入れた音声表現ができてしまう。 (4)気の弱い子も、気兼ねなく表現できる 気の弱い子、音読の苦手な子、読む力の劣っている子も気楽に音声表現 できる。たどり読みしかできない子も、みんなの読み声を耳から聞きつつ、 みんなと一緒に声を出していけば、それが支援となって、読み慣れができ、 自信につながっていく。 斉読では、個人の指名読みより気楽に読める。全員の前で恥をさらすこ となく音声表現できる。 (5)共通感情がすばやく得られる 斉読で、学級全員がすばやく文章世界の中に入りこむことができ、作品 世界の共通感情を共有することで、楽しく気楽に文章世界に入ってむ読むこ とができる。独りよがりの感情に浸って読むことはできず、共通感情となっ て、同じ気持ちになって、同じリズムや気分で読み進むようになる。 (6)へんな読み調子・癖の矯正になる へんな癖のある読み調子、おかしな読み調子やイントネーションをつけ て読む児童には、斉読することで、こうしたへんな読み調子の矯正指導にも なる。 以下、2012・04・17付加原稿 斉読すると「変な読み癖がつく」は本当か? 昔から斉読(一斉音読、学級全員が同一文章個所を、声を揃えて一斉に 読み上げる)すると、変な読み癖、おかしな音調の読み癖がつくと言われて きた。国語教育研究者からのこういう指摘はたくさんあります。以下に、二 つだけ引用します。 はじめは昭和16年発表の文章からです。国民学校綜合雑誌『日本の教 育』昭和16年6月号に「子供達の朗読について」の座談会があり、座談記 録が掲載されています。座談会の出席者は、井上赳、松田武夫、石森延男、 西尾実、岸田国士、小場瀬卓三、内藤濯、西本三十二、田中豊太郎のみなさ んです。そこで次のようなことが語り合われています。 田中豊太郎(東京高等師範付属小訓導)さんが現場教師の立場から次の ような実践報告を語り、それを受けて井上さん、西尾さんが語っている個所 からの引用です。 田中 先程御話がありました朗読節とか学校節とか云うやうなものを排除 して指導して、真に文の表現に即して読み上げていくやうに指導して居 る訳です。子供等を指導して居つて最も困るのは、東京の子供で相当朗 読などを聴いて居る子供でも、矢張り学校でやると学校節、朗読節にな るのです。之を如何にして打破するかと云う問題ですが、声を揃えて朗 読すると、それに陥りやすいのであります。調子を揃えるのですから、 何かの節を持たないと揃わない。それが個人の朗読にまで入る。それを 指導する場合には、朗読節にならないで御話をするやうにと私は注意し ております。一般の国民学校の教師も今日に於いては余程気をつけて居 ると思います。 井上 唯話すやうに読めと云うことには私は以前から異説を持っています。 子供の朗読には矢張り大抵節が付くのですね。それを否定するのが果た して良いかどうか。殊に低学年に於いては、それを或る程度指導してリ ズミックな喜びを与えながら、発音発声の鍛錬をすべきではないか、さ うして読み方への指導と同時に音楽への橋渡しも考ふべきではないかと 思います。然しそこまでの研究も努力も未だ行われて居らぬやうですね。 西尾 始めは文字の拾い読みになるのが自然でせう。ついでそれを言葉と して読むやうになって来る。更にそれを読んで居る間に、段々と其の文 固有の調子が出て来る。そこで始めて抑揚とか、音の強弱、高低と云う やうなことが問題になるのではないか。そして、それは単なる調子や発 音のことではなく、表現に於ける倫理の問題に根差していると思います。 強弱も高低も抑揚も、一面には感動そのものとしての真実さがなくては ならないのでせう。 井上 子供の生活・運動行動そのものが彼らの読みに表れてリズミックに なる。 西尾 しかし、それは子供自身の持って居る一つの型だ。 以上は座談会の記録ですから、引用個所の前後にもいろいろな話しが語 られているわけです。上記個所も、各人の話しの一部だけの引用です。昭和 16年という国民学校時代にも変な読み癖(学校節、朗読節)があって、ど んな指導で読み節を排除するか、について真剣に語られていることが分かり ます。 田中氏は「学校節をいかにして打破するかと云う問題ですが、声を揃え て朗読すると、それに陥りやすいのであります。調子を揃えるのですから、 何かの節を持たないと揃わない。それが個人の朗読にまで入る。」と語って います。学校節を打破する指導方法として「話すように読む指導」の主張を しています。これはNHKアナウンサーが戦中戦後の語り音調を反省して、 「自然に話すようにアナウンスしよう」へと変更した、これと似ています。 でも学校教育での児童音読に「話すように読もう」と問いかけ指導した ところでどれだけ効果があるか、甚だ疑問です。学校節、朗読節は容易には なくならないでしょう。この指導ではとても困難だと荒木は推察します。 井上氏は「音楽科とのタイアップ指導」を主張しています。西尾さんと 対立した見解を語っています。井上氏はどれだけ実際の朗読訓練を受けたか、 自己訓練をしているか、分かりませんが、全くの朗読素人のとんちんかんな、 思いつき発言でごり押ししているように思われます。 西尾氏「表現に於ける倫理の問題に根差している」という意味はよく分 かりませんが、全体としてまっとうな意見を開陳していると思います。 次は、昭和34年発行、志波末吉「読解指導の過程」(明治図書、昭和 34年)からの引用です。斉読の短所と長所について下記のように書いてい ます。 音読には、指名音読、斉読、自由音読などがあり、教師が行うとき、範 読がある。これらは常に目的によって選ばれなくてはならない。なかでも斉 読の弊害を説いて、百害あって一利なしと極論されることもある。それは、 (1)斉読では、ほとんど意味内容を考えていない。 (2)わるい、いわゆる学校節が生まれてくる。 (3)遅進児は、ほとんど読んでいない。そこここ読めるところだけを無意 味の声を出しているに過ぎない。 というのが理由である。この理由は肯定できる。しかし、 (1)一時間中に一度も読まない児童に読ませる。 (2)授業に変化を与える。この変化はおもに気分を変える。笑い話めくが、 気候のよい時期には子どもだって眠くなることことがある。こんなと きみんなが一緒に立って声を出せば、確かに睡魔を撃退することがで きる。こんなことは、本質的でないが、時によって効果がある。とも かくよく斉読の長短を考え、利用目的をしっかりつかんでいれば、絶 対に弊害ばかりで効果がないとはいえない。 志波さんは、斉読の弊害について (1)斉読では、ほとんど意味内容を考えていない。 (2)わるい、いわゆる学校節が生まれてくる。 (3)遅進児は、ほとんど読んでいない。そこここ読めるところだけを無意 味の声を出しているに過ぎない。 と三つの理由を挙げています。 (1)の「斉読では、ほとんど意味内容を考えていない」というような 斉読指導では当然にこのような三つの弊害が起こるでしょう。 斉読はこのようであってはいけないのです。斉読の概念規定を百八十度 転換して指導しなければならないのです。斉読は意味内容に徹底してこだわ り、意味内容をどう音声で表現するかに徹底してこだわる音声表現の仕方だ と転回しなければならないのです。全く逆の概念規定で指導すればよいので す。書いてある文字ずらをただ全員で一斉に声を揃えて読めばいいのではあ りません。文章の意味内容を線条性にそってどうメリハリをつけて音声表現 していくかを考えつつ全員一斉に音声表現するようにさせます。意味内容の 指導もなく、昔の素読の一斉音読をさせるから、志波さんが指摘するような 斉読の三つの弊害が起こるのです。「口慣らし読み」としての目的しかない ので、こうした弊害がおこるのです。 なお、本ホームページの第10章にある「明治以降の素読・朗読の変遷 史(明治期後期)」の明治35年刊、佐々木吉三郎『国語教授撮要』にある (斉読について)の論稿をお読みいただきたい。そこでは明治後期と平成現 在とで全く同じことが語られていて、ちっとも変化してない不易流行を見出 すことができます。 荒木の斉読指導観 荒木が本稿で主張している「斉読」とは、意味内容をどう音声にのせる かを、全員で一斉に声を揃えて読んでいる瞬間瞬間にいつも頭に置いておい て音声表現することです。そうすれば、けっこう揃わないこともでてきます し、他人の上手な音声表現に引きずられることも出てきます。それでよいの です。というか、それをねらってもいるのです。声を揃えることを意識しな い斉読指導、自分勝手に文章内容にメリハリを精一杯につけようと努力して 読み進んでいく斉読指導、これでいいのです。これが「群読」へと架橋して いくのです。「群読」の話を始めると長くなるのでやめます。単なる「口慣 らし読み」に「斉読」を使うから、「変な読み癖・音調」がつくのです。 「口慣らし読み」なら、小声で各児童にばらばら読み練習をさせればよいの です。 以上、ああだ、こうだ、と「斉読」について書いてきました。読者の皆 さんは、もう論はうんざりだ、荒木の斉読指導のすばらしい証拠を聞かせて くれ、すばらしい斉読指導の実際を見せてくれ、という声が聞こえてきます。 そういう声がたくさん聞こえてきます。 待ってました。すばらしい?斉読指導の実際をお見せしましょう。お聞 かせしましょう。拙著『群読指導入門』(民衆社、CD2枚付き)を開いて ください。この本には、1枚73分間のCDが2枚付録としてついています。 このCDには計146分間、たっぷりと荒木学級の児童たちの読み声録音や 授業発言録音が収録されています。荒木の指導の言葉も入っています。斉読 の効果的指導法が耳から理解できるようになっています。「斉読から群読 へ」の橋渡し指導の方法もたっぷりと耳で理解することができるでしょう。 変な読み癖(学校節・朗読節)なんて生じるはずがない授業録音をきくこと ができるでしょう。一人一人の音声表現能力を高めるにはどう指導していけ ばよいかが、実際の授業の子供の発言や読み声や教師の指導の言葉でご理解 できるでしょう。ぜひ、あなたの机上に一冊を置いてください。論より証拠 で、お示しできるでしょう。 |
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