第15章 リズム リズム リズム     2014・12・12記





  
 「日本語のリズム」論争





 わたしは音声表現のカナメはリズムにあるとして、第15章を書き始めた。
全体の見通しプランのないまま、思いつくまま気がむくままに書けるところ
から書き出すことにした。「リズムとは何か」「クラーゲスのリズム論」
「中井正一のリズム論」「日本語の音数律、押韻」「時枝誠記のリズム論」
と書き進めてきた。最近では、「リズムとは何か」に、付録「上手なリズム
表現のしかた」を書き加えている。

わたしはこれまで、
「日本語のリズム」とは何か、について書いている著書や論文はないものだと
勝手に思い込んでいた。それは違っいることを知った。無知であることを知
った。「等時拍形式」を書き進めていく途上で、それに関する文献を読み出
すようになり、日本には短歌を中心にすえた日本語の韻律・リズムについて
活発かつ過激な議論が続いていたことを知った。それから、それに関連する
著書や論文を読むようになった。これまでに読んだ書物を書き出してみよう。
(下記で引用している文献名は省略してる)

  土居光知著作集第4巻『言葉とリズム』(岩波書店、1977)
  土居光知著作集第5巻『文学序説』(岩波書店、1977)
  菅谷規矩雄『詩的リズム』(大和書房、19785)
  別宮貞徳「日本語のリズム──四拍子文化論」(講談社、1977)
  小倉朗『現代音楽を語る』(岩波書店、1970)
  岡井隆『岡井隆コレクション1』(思潮社、1995)
  岡井隆『岡井隆コレクション2』(思潮社、1995)
  岡井隆『岡井隆コレクション3』(思潮社、1995)
  松浦友久『リズムの美学』(明治書院、1991)
  藤田竜生『リズム』(風涛社、1978)
  現代詩読本新装版「萩原朔太郎」(思潮社、1983)


 上の著書の執筆者たちの文章を読むと、当然のことであるが、われの主張
こそが唯一正しいと自信たっぷりに論陣をはり、先行論文の主張と相違する
論点があれば正面から批判を向け、自論の正当性を主張している。激しい論
争のやりとりもあり、他説を批判する文章には、かなり感化的なことばを投
げつけたり、派手にやっつけことばを投げ合ったり、あるいは皮肉たっぷり
にさらりと揶揄したり、軽く受け流すなど、さまざまであった。
 熱くかっかしながら過激な言辞を投げかけていながら、けっこう論争を遊
び楽しみ戯れているのではと思われる論者もいた。これらの激しい論争の中
にほほえましさ、ユーモアを受け取ったこともあった。論争者たちが論争を
楽しんで戯れて書いてるのではないかと思うようになった。論争を遊び楽し
む、これぐらいの通に、わたしもなりたいものだと、彼らに憧れを抱くよう
になった。
 下記で論じられている事柄は、かなり難解なところもあり、わたしには理
解が十分でない個所もある。論者たちの主張点が入り組んでおり、どこが、
どう同じで、どう違っているのか、反発し合っているのか、一致点はどこな
のか、微妙に複雑に糸(線)がからみ合い、混線しており、わたしには整理
ができていない。
 幸いなことに、整理しようとも思っていない。なぜなら、ここで論じられ
ている日本語リズム論争は、わたしが本稿で問題意識をもって解明しようと
しているテーマ「音声表現におけるリズム」には光を当ててくれないからで
ある。つまり、わたしの研究テーマ「音読・朗読・表現よみの学校」という
領域、学校教育における音声表現の指導理論や実践方法の開発に関連する身
体論的なリズム観作りに光を当てくれそうもないからである。

 下記は、引用文の羅列である。「荒木のコメント」は書き入れていない。
わたしが、これはたいへんおもしろく読ませていただいたという文章個所を
引用している。前後の文脈の連関は全くなく、連関なしの引用文の羅列にな
っているので、みなさんがお読みになって理解できない個所があるかと思わ
れる。しかし、何が問われていて、何が問題になっているか、これらのおお
よそは読み取っていただけると思う。
 もちろん、下記に引用している文章個所は、わたしが「これはおもしろ
い」と受け取った文章個所である。「おもしろい」という意味は、日本語リ
ズムの本質となる重要な論点だと考えた文章個所を選択しているつもりであ
る。それに「やっつけコトバ」に「ほほう」といたく感銘を受けた文章個所
も選択している。派手に批判している文章の個所も引用している。これら論
争を、対岸の火事、物見遊山という不謹慎な態度でなく、謹厳実直に読んで
いただき、多くのことを学び取ってくださることを期待する。引用した諸論
文の執筆者たちに感謝を申し上げる。

 まずは、論文全体の四割ほどが派手なヤッツケコトバのオンパレードにな
っている次の文章から引用を始める。



       
吉本隆明から岡井隆への批判


 去月、わたしは番犬の飼い主である『短歌研究』の編集部にたいし、お宅
の玄関には「狂犬に注意」というハリ紙もなかったようだが、訪問したわた
しにいきなり噛みついた番犬がいたようだ、この番犬には狂犬病のうたがい
があるから動物実験をしてみたい、どうか、かくまわないでくれ、と申し入
れた。さすがに、一応、飼い主ともなれば公衆衛生くらい心得ているとみえ、
次回は、番犬をクサリから放すから、ひとつその直後に、同時に勝手に実験
してみてくれとのことであった。そこで、わたしの動物実験は少々手荒い、
場合によっては頓死するかもしれないから、いくら何でも同時にやるのは可
哀そうだ、一か月くらい番犬をのらのらさせてから実験にかかりましょうと
こたえた。本来ならば、矢鱈に人に噛みつくのは、番犬であろうが、クサリ
を解かれた野良犬であろうが、直ぐに撲殺されるのが当然なのだ。しかるに
わたしの慈悲心もしらずに、この番犬は一か月ものらのらしたあげく「二十
日鼠と野良犬」というワラ屑みたいな作文をかいて、図々しくも他人の前に
恥をさらしているのである。
 わたしが、ちょっと番犬の方に向き直ってニラんでみせただけなのに、余
程こたえたのか、カラ元気もなくなっているし、おまけに内容は前回に輪を
かけたような空ッぽである。それに尚悪いことは短歌至上主義者らしい口振
りをロウして少しは骨あり気に虚勢をはっていたこの男は、いつのまにかろ
くに文章もかけぬくせに散文至上主義者に変節しているのだ。もみ手をしな
がら、わたしはその、短歌はもう古代社会では滅びてしまったと思っている
のですが、チンピラを集めて威張ってみたいものですから、そのミソヒトモ
ジを大事にして作品を書いているのでごぜえます……などと第二芸術家らし
く卑屈につぶやいているのである。ちえっ、ろくすっぽ文章も書けないくせ
に、何が現代は作文の時代だ! それ程、下らないと思ってなら下手な短歌
を活字にするのは、やめたらどうだ。この男は、「次回から、吉本の再批判
にこだわらず、書くことにしたい」などと、いけ図々しくも、最後に断り書
きをしているが、どだい、はじめからお前などを眼中にしてかいたわけでは
ない。わたしの理論におんぶして、やっとよちよち歩きしている分際で、矢
鱈に噛みついて一旗あげようなどと、さもしい根性をだすからこういうこと
になるのだ。これにこりたら、今後は、おとなしく野良犬でも集めているほ
うがいい。番犬をみかけただけは野良犬より上手にみえるから、さぞかしぞ
くぞく集まってくるだろう。
 岡井という歌人は、わたしが予言した通り、まったく手のつけられない自
惚れ野郎である。相手は、はじめから無学無能で、はったりだけを身上とし
た奴だとおもうから、噛んで含めるように教えてやれば、形式論理だといい、
同じ主張を別の側面から説いてやれば論点移動だという。その実、わたしの
主張点を理解しないふりをして、ちゃっかりと自説のように活用しているの
である。わたしはこれほどの馬鹿と論争するのははじめてだが、おそらく、
この男は、じぶんの馬鹿さ加減を知ってはいまい。
  (中略)
 間抜けめ。あたりまえじゃないか。岡井はぬけぬけとこういうことを、か
いているが、それは、わたしが二回にわたって口を酸っぱくして説いてやっ
た主張への完全な無条件降伏だということに気づかぬのか。
 わたしは、定型と非定型のちがいは、岡井のいうように五・七律や三十一
文字の違いではなく、必然的に発想上の断絶を強いるものだから、岡井のよ
うに、定型の立場から赤木の非定型短歌をタルンデイルというのはナンセン
スにすぎず、少なくとも非定型の発想を前提として赤木の作品がタルンデイ
ルかどうかを批判しなければならないと主張している。そして、この非定型
の発想の基礎は、散文(小説)の発想にあることを実例をもって指摘したの
だ。よもや、知りませんなどとはいえますまい。そんなことをぬけぬけと言
えば、この男は、散文の書き方ばかりか、散文の読み方もしらないのではな
いかと疑われるからな。
  (中略)
 この男の石頭には、風刺などは通じまいが、それはどうでもいい。わたし
は、せめて、非定型短歌を定型からみてタルンデイルだというのは、岡井の
作品を非定型からみて、寸足らずだ、ナンセンスだというのと同じだよ、と
いう主意は通じるものとばかりおもっていた。つまり、非定型歌人が、定型
作品を口語の改作したものをイメージの原型にして、岡井の作品をナンセン
スだというのと同じことを、岡井の非定型短歌に対してやっているのだ、と
言うために、岡井の作品を口語に直してみせたのだ。だが、この歌人は定型
だ、定型という生きものだ、などとミソヒトモジのワクに頭をあっちにぶっ
つけ、こっちにぶっつけして寸足らずの短歌をひねってきたせいか知らぬが、
頑迷にもわたしの主張がわからぬ風をよそおい、その実、わたしの主張を無
意識のうちに承認し、おまけに二段とびして散文主義者にまで飛躍してみせ、
わたしが、よくも改宗してくれたと褒めるとでもおもっているのである。ど
っこい、そうはいかないのだ。それは、先っぱしりというものだ。
  (中略)
 岡井は、口惜しまぎれに中学校の教科書で習い覚えた俳句を口語にして、
わたしを皮肉ったつもりで悦に入っているから、丁度いいサカナだ。短歌的
発想とも俳句的発想とも、また、まったくちがうのである。岡井は、そんな
ハッタリでわたしをへこませようなどと、おおそれた考えをもたずに、自分
の短歌作品を口語に直し蕪村の俳句を口語に直し、比較研究してごらん。
(但し、口語に直すというのは口語詩形に直すということだよ)。野良犬み
たいに雑誌社に顔を出すひまがあったらその位のことは出来るだろう。そう
すれば、短歌的発想と俳句的発想との相違もまた自得出来よう。
  (中略)
 わたしは、岡井のような歌人にふさわしい卑屈感と、垣根の内につながれ
た番犬特有のはったりや自惚れには、縁がない。だから、もちろん現代詩は、
そのコトバの上の格闘と文学的内容性とを綜合することによって日本文学全
般を主導することができると確信し、そのために奮闘してきた。今後もそう
するであろう。この男は、何という馬鹿者だ。日本の詩歌を、日本の文学全
般とかかわらせるには、先ず、第一段階として、詩人や歌人が小説や評論を
論じ、文芸批評家が、詩や短歌や俳句を、本格的に批評する風潮をつくるこ
とが大切なのだ。わたしは、批評家たちが「短歌」をまともに論じないのを
不満とし、歌人や詩人が、垣根に内に野良犬を集めて悦に入っているのを皮
肉ったつもりであった。ところが、この男には、それが通じないのだ。専門
の批評家といったとき、わたしは、自分をそこにふくめるだけの余裕をもっ
て言ったのがわからないのである。花田清輝もへったくれもあるものか。近
づいてきたのも、離れたのも花田の方だ。まだ、まだ、将来、離れたりくっ
ついたりするだろう。野良犬とちがってわたしにも花田にも確乎とした「文
学と政治」のプログラムがあるのである。そのプログラムが時代の風圧を受
けて屈折して分裂するときは対立し、一致するときはくっつく。岡井のよう
な野良犬は、いてもいなくても大局には影響はないが、いつも現実に面して
立っているものは堂々と対立し、堂々と統一するのだ。それがルールという
ものである。
  (中略)
 岡井よ。こんどわたしに噛みついてくるときは、すくなくとも、わたしの
理論を借用して作った短歌理論を、もうすこし何とか独り歩きできるくらい
に体系づけてからするのがよい。いつでも、応じてあげよう。
 番犬の尻尾──再び岡井隆に応える── 『短歌研究』1957年8月号
     『吉本隆明全著作集5』(勁草書房、1970)230p〜239p




       
岡井隆から吉本隆明への批判  


 そもそも、わたしのこの前の吉本批判は、まず、彼の赤木評価の一節をと
りあげ、分析することによって、吉本の論理の脆弱さをつくことにあった。
ついで、彼が、いかにも曰くありげに、しかるべき論証ぬきで持ち出してい
る公式<五・七の基本律のワクが、日本の社会的なヒエラルキーのワクと構
造を同じくしている云々>の実証的な手順をふんだ解明を要求したが、それ
だけでは、形式論理学のいわゆる誤謬論のゼミナールみたいで、教えたり論
じたりしているばかりでは、こちらも気がくたびれるから、最後に、持論の
定型論の一端を提示して、論争発展のための契機をつくっておいてやったの
だ。のっけから、やれ論争のルールだの、歌壇の番犬だの、天狗だ、舌足ら
ずだと、うろたえる必要はない。大体、吉本は、よほど、他人の舌の寸法が
気になるたちだとみえて、舌足らずという単語を、連呼しているけれども、
悪態をつくときは、ちゃんと納得のゆくような理由を書きそえることだ。す
なわち、その場合のわたしの舌なるものは、舌根から測って、そも何センチ
の位置に舌端を有するか、といったディテイルにわたって、科学的に記述す
るのが常道というものだろう。もっとも、そういう精密な話しをする段にな
ると、興奮のあまり、そうでなくても、もつれ易くなっている相手の舌は、
寸法に自信があるだけに、噛みきられる恐れがないではないが。
 番犬という異名も、このたび、わたしに捧げられた花輪の中では、精彩の
ある方であろう。なるほど、犬を飼う習慣は、この半植民地国に猛烈ないき
おいで流行しているようだが、はたして、貧困化した現在の歌壇に、わたし
のような猛犬を飼うだけの資力があるだろうかと考えると、疑いなしとしな
い。わたしにも、かつて、番犬街道を一路バク進していたような時期が、あ
ったような気もするが、ある契機から、鎖をふっつと切って野良犬の仲間に
入ってしまい、いまはといえば、これら、万国の野良犬どもを再組織して、
旧主人に一泡ふかせようと、四囲にタンタンたる虎視を放って彷徨してる、
レッキとした野良犬にすぎないのだ。こうした、ものすごいのをつかまえて、
番犬よばわりも笑止なはなしだが、わたしの首のあたりに一条の首輪を幻視
した吉本の心理状況を、ひとつ、吉本お得意の精神物理学的に釈いてみたら、
どうであろう。 岡井隆『韻律とモチーフ』(大和書房、1977)141ぺ



      
菅谷規矩雄から荒木享への批判1


 わたしの著書にたいして、荒木は基礎的な誤読をつみかさねている。それ
がわたしの文章の「粗雑さ」や「不必要な晦渋さ」のせいなどでないことは、
つぎの一例ですぐわかるとおもう。荒木は──「彼(菅谷)は土居光知にわ
ずかに触れてその四音歩律の考えを『こじつけ』と片づけている。」
念のため当該個所を『詩的リズム』からひいておく──
     たとえば土居光知のように、わが国の古代歌謡が、四音歩律
    (tetrameter)と六音歩律(hexameter)を基本になりたっている  
    というがごときは、こじつけであるとおもう。土居にしたがえ   
    ば、俳句の五七五も六音歩律の行ということになるわけだが、   
    俳句が切れ字を必須としたことがしめすように、作品としての   
    五七五は、決して音律の上でひとつの行として成立するもので   
    はないのである。
 ごらんのように、わたしは土居の「四音歩律」説を、それだけ単独にとり
あげて否定したのではない。わたしがこじつけだとしたのは、古代歌謡が
「四音歩律と六音歩律の二種からなっている」とする土居の考え方なのであ
り、否定のアクセントはむしろ、「六音歩律」を日本語のリズムに適用する
ことのほうにあることは、明白である。それを荒木のように一面的に、およ
そ偏跛なよみとりかたをするのは、かれがそもそも日本語をまともに読めな
いからだとさえいってやりたくなる。じつは荒木じしんに「四音歩律」があ
まりに強度の先入見となっているため、土居光知のいう「六音歩律」のほう
については、まったく視野にはいらなかったわけだ。
 前著では直接には土居の「四音歩律」説に言及していないとはいえ、わた
しの構想じたいが土居の説をも止揚してなりたっているものであることは、
すこし深くよみこんでくれるひとには了解されるだろう。荒木の説も土居と
共通するところのある「四音脚律」なるものに帰するのだから、この機会に
あらためて、わたしがそれらをどのように「片づけて」いるかを、くわしく
おめにかけよう。
 荒木は、わたしの論の基本をかんぜんに誤解している。かれはこう要約す
る──「さて、菅谷の基本的立場は土謡的三拍子という仮説であって……」
云々。これはもう誤解というよりは、悪意さえうかがえる曲解のたぐいであ
る。「菅谷の困難はほとんどすべてターミノロジーの問題に帰着する」とま
で断言したご当人による、およそ拙劣な「ターミノロジー」の歪曲である。
 なぜならわたしは「等拍三音の土謡的発想」とはのべているが、「土謡的
三拍子」などとはいちども言ってないからだ。これは根幹にかかわるもんだ
いである。「さいた、さいた、さくらがさいた」にみるような、三音の発語
が、拍数としては三拍ではなく四拍の構成をふくむこと──この音と拍の二
重性が、わたしの立場の基礎である。そのかぎりでは終始一貫して、わたし
はいうなれば「一行十六拍説」あるいは「四拍子」説をとっているのであっ
て、いささかの混乱もない。
   菅谷規矩雄『詩的リズム 続篇』(大和書房、1978)166〜167ぺ



      
菅谷規矩雄から荒木享への批判



 まったく相手にするのもばかばかしいような、低俗なあげ足とりである。
こたえはすべて、さきの分析のなかに用意されているといえばそれですむこ
とであるが、ゆきがかりで、もういちど論ずるとしよう。
 あらかじめここで注意しておきたいのは、荒木の評が、知ったかぶりの
(実は無知にひとしい)偏見に発したお説教にすぎないということである。
その独断の最たるものは、つぎのような個所にしめされている──「普通無
差別にリズムといい習わされているものにいわゆるミーターと本来のリズム
を区別しさえすれば加速も減速も複合小節も要らないので、菅谷の困難はほ
とんどすべてターミノロジーの問題に帰着する」云々。こうまでバカにされ
ては、腹をたてないほうが異常である。こんな手合いは、解体し、粉砕し、
無化するほかにない。まるでわたしが「ミーター」と「本来のリズム」との、
初歩的・基礎的な区別さえ知らないで論をたてているかのごとくきこえるが、
それは荒木が、わたしの著書をよみとる能力に欠けているからというだけの
ことである。べつにわたしは「ミーター」の語を用いていないが(そのひつ
ようがないからである)、等時拍・音数律(定型律あるいはリズム定型)・
固有リズム──という三つの概念をもって、荒木のいう(さらにはそれ以上
の)「区別」をはっきりとたてていることは、一読すれば明白ではないか。
 それに荒木のいう「ミーター」なるものが、こと日本語に適用されるとな
ると、いかにあやしげなしろものと化するかは、すでにくわしく検討してき
たところである。わたしは、日本語のもっている等時拍音形式──個々の拍
(音節)の等時性という性格に、ことさら二音ひとまとまりといった外から
のワクをはめるひつようをみとてめいない。日本語のリズムのもっとも基礎
的な単位は<拍>それじたいであって、べつに西洋詩学式の「メートル法」
をもちこむことはないのだ。そして、詩的な表現においては、この拍の集合
である五音あるいは七音の<句>が、したがって五あるいは七という数がす
なわち荒木のいう「ミーター」そのものである。ではなぜ五音あるいは七音
が、もっとも正格の<句>を形成し、四音とか六音とかはそうならないかと
問うてみるならば、荒木のいうように五音句も七音句も「四音歩」であると
いってみたところで、なんのこたえにもならない──四音句でも六音句でも
「四音歩」になりうるからである。いや、五音でも七音でもなく八音の句こ
そが、いちばん「四音歩」にふさわしいではないか。
 これにたいする荒木のこたえはつぎのようにだされている──「ところで
五七、七五調成立の理由は各句に必ず一綴脚が入ることによって、二綴脚が
四回以上連続しないことであった。日本語がリズム的に緊張して、散文の等
時拍音から離れるためには、二綴脚と一綴脚の節奏ある交替が必要なのであ
る」(戦後詩の技法)
 この論法は矛盾をふくんでいる。なぜなら五七調や七五調いがいにも、短
歌があり、俳句があり七七七五の歌謡形式があるからである。「高い山から
谷底みれば……」の七七が、きわめて日本語の特性をよく生かした定型の詩
行の一種であることを、荒木とてみとめないわけにはゆくまい。これを二音
単位に区切ると、「タカ・イ・ヤマ・カラ・タニ・ソコ・ミレ・バ」となっ
て、じつに二綴脚は、五回つづくことになる。
 また、短歌についていえば、荒木は、五七や七五からミーターをわりだし
ているため、五七五七七が、四音脚のどのようなくみあわせであるのかを、
理論的にはなにもあきらかにしていない。俳句についてもそうである──す
くなくてもこれまでかれが発表したところからよみとるかぎり、短歌は四音
脚五つ、俳句は四音脚三つということで「解決」ずみにしているにすぎない。
  菅谷規矩雄『詩的リズム 続篇』(大和書房、1978)182〜184ぺ



     
菅谷規矩雄から別宮貞徳への批判1


 わたしが別宮の説をはじめて知ったのは、1973年4月3日付の朝日新
聞に掲載された「日本語四拍子論」と題するみじかい文章によってですが、
当時すでにわたしは、その前年から「ユリイカ」誌に、音数律に関するノー
トをVまでを発表しており、やはりわたしも一種の「日本語のリズム=四拍
子論」説ともいうべきものを展開していたところなので、別宮の文からとく
に注目すべき見解をよみとるひつようをみとめませんでした。
 ところでこんど『日本語のリズム』(講談社現代新書)のまえがきによる
と、別宮が──「五七の本質」と題する論文を上智大学の雑誌『ソフィア』
に発表したのは1965年のこと──だそうです。わたしはいままでこの論
文の所在を残念ながら知らずにいましたから、すくなくとも「四拍子」説に
関するかぎり、別宮のプライオリティをみとめて、ここに一応のあいさつを
送っておくのが常識にかなうというものでしょう。しかしまた、別宮のほう
も、こんどの著書から推察し得るかぎりでは、わたしの前著をまったく読ん
でいない、その所在さえ知らずにいるといえそうですから、おたがいさまだ
ともおもいます。日本語ブームなどととりざたされてはいるが「どういうわ
けか、日本語のリズムを正面きってとりあげたものには、まだお目にかかっ
たことがない」とやはりまえがきで別宮はいっています。いかにも「ブー
ム」のそとにこそ、わたしの前著のような「正面きった」論が存在すること
を、このさい別宮教授におしらせしておきましょう。
    菅谷規矩雄『詩的リズム 続篇』(大和書房、1978)281ぺ



      
菅谷規矩雄から別宮貞徳への批判2


 別宮が四拍子説の根拠としている、二音ひとまとまりの単位なるものは
(本文の第六章でも荒木説への批判としてのべたところですが)日本語の発
生=本質に属するというよりは、中・近世的な時代現象の所産であり、そし
てその最大の要因は、日本における仏教の大衆化過程において、経典の読誦
リズム(漢字四文字を一句としてよまれる二音一拍の四拍子──色即是空も
シキ・ソク・ゼー・クウとなるわけです)が日本語の在来のリズムに広範な
干渉作用を及ぼしたるところに、もとめるほかないのです。これは本文第五
章において和讃から道行への推移をたどるという当初の計画を中途で放棄し
てしまったので、ひとこと付記しておきます。
     菅谷規矩雄『詩的リズム 続篇』(大和書房、1978)282ぺ

 別宮の説にかぎらず、日本語のリズムについてのすべての論に適用するこ
とのできる原則的なめやすは、当の論者が<字余り>をどのように扱うかに
あります。別宮は「字余りは例外ではない」と妥当な発言をしていますが、
それでもやはりその説は一面的です。別宮によれば五音句や七音句の「字余
り」でも、それが八音以内の字余りなら容易に四拍子になる──「俳句もま
た、五七五の定型を破っても、四拍子は破れないらしい。」
 すべてを四拍子にひきよせようとするので、対象(このばあい俳句)のふ
かみをとらえることができません。俳句の、とくに初五の字余りは、八音以
内どころか、原理的に十一音まで可能であること──そのかぎりでは別宮の
いう「四拍子のワク」はいともたやすく破れること、それというのも初五の
句がふくみうる<時間>は、ほんらい四拍分(別宮は二音を一拍とかぞえま
す)ではなく、いわば四拍子二小節分(ただし一音一拍とかぞえれば十六拍
分)に相当する潜在力にささえられているからであることは、本文第四章で
あたうかぎりくわしくのべておきました。ここに、短歌の初句と俳句の初句
との、本質的なちがいが暗示されています。
     菅谷規矩雄『詩的リズム 続篇』(大和書房、1978)282ぺ



      
菅谷規矩雄から那珂太郎への批判


那珂太郎は、わたしのリズム論をロクに読みもしないことをみずから明ら
かにした上で、それをとるにたらぬものと否定する無礼さを、ある座談会で
しめしています。それはそれでほっておくことにしますが、ただそのさい、
那珂が、わたしの論が熊代信助の≪日本詩歌の構造とリズム≫(昭和43、角
川書店)とくらべてめあたらしいことがないと断じているところはみすごせ
ません。前著でも、今回も、わたしは同書について言及してはいませんが、
熊代が「字余り」についてほとんど対象にしていないところに、じつは逆に、
同書の不毛さが象徴されていることを、このさい付記しておきます──それ
が熊代の論に言及していない理由です。
     菅谷規矩雄『詩的リズム 続篇』(大和書房、1978)283ぺ



      
菅谷規矩雄から別宮貞徳への批判3


 明治二十年代はじめの山田美妙や元良勇次郎の試みいらい──ちなみに、
日本の詩歌の韻律について<リズム>の概念をはじめてもちいたのは元良だ
とおもいます──、相良守次、湯山清、そして九鬼周造にいたるまで、詩の
音韻やリズムの研究には、それなりの前史がつみかさねられてはいます。
 ただわたしは、そうした研究史にたいする関心もなく、資料や文献をたず
ねあるく根気と時間もなかったので、前史にたいしてはひとつの態度を決定
せざるをえませんでした。
 リズム論の前提に、どのような言語観をおくか──言語の本質をいかに把
握するかの点で、わたしたちが不毛さから脱しようとするならば、時枝誠記
──三浦つとむ──吉本隆明によって一線を画された本質論の<水準>を継
承するいがいにないとかんがえるのです。もしわたしの論に、すこしでも独
自さがありうるとすれば、それはこの<水準>を確定したうえの三者の論の
力によるものにほかありません。たとえば別宮が「四拍子説」を、「農耕文
化」の土壌や体質に還元するというまさにカルチュア(もとは耕すことの意
だそうです)の誘惑に抗しかねるのも、よってたつべき言語本質観をもたな
いからです。わたしがリズムを論することでたしかめようとするのはしかし
<文化>ではなくあくまでも<言語>の本質です。
 騎馬民族が三拍子で、農耕民族が四拍子だという別宮や小泉文夫の説は、
なにやら一理ありそうにきこえますが、そうおもうよりさきに、わたしは腹
をかかえてわらいだしそうになる気持ちをおさえきれません──かれらの着
想には、理論的というより、一種の知的ナンセンスのひびきがあるのです。
     菅谷規矩雄『詩的リズム 続篇』(大和書房、1978)284ぺ



      
伊藤康円から菅谷規矩雄への批判


 菅谷が、五音句に対して七音句が「わずかばかりではあれ、よりはやいテ
ンポでよまれる」ことを指摘しているのは、『五・七・五・七・七の区分
け』が、「等時的リズム」の反復から成り立っているということを裏付ける
ためである。とすれば、これはとんでもないこじつけではないか。
 ここでまず指摘しておかなければならないのは、たとえ氏の言うとおり、
五音句と七音句とが時間的に同じ長さで読まれることが一般的傾向であった
としても、そのことと、七音と五音とを等時的反復の単位として知覚すると
いうこととは、まったく別のことだということである。前者は単に、七音が
五音より「わずかばかりではあれ、よりはやいテンポでよまれる」ことが意
識されるだけであり、それらが本当に同じ長さで読まれているかどうかは、
それを客観的に(相良守次氏がしたように)測定した場合の話である。が、
後者は、五音ずつ七音ずつのまとまりが、はじめから等時的反復の単位とし
て知覚されるように読まれる、ということなのである。前者を保証するもの
が発音時間の測定値であるのに対して、後者を保証するものは発音や知覚の
前提としての拍意識である。
 したがってもし五音と七音とが、本当にこのような拍意識によって把握さ
れたとすれば、それらの語音(音節)の刻みは、はじめから等時的な拍の内
部の刻みとして知覚されているのだから、七音がより早いテンポで読まれて
いることにはならないし、そのように知覚されることもないはずである。一
方、テンポの変動は、その時間的単位としての等時拍のテンポの変動として
知覚される以外に知覚されようがないのだから、五音句より七音句を読むテ
ンポが早められたと感じたとすれば、それは、それを読む規準として意識さ
れている拍の進行が早められたと感じたことを意味する。したがってこの場
合、七音句がたとえ五音句と等しい時価で読まれたとしても、七音は五音を
一拍とする拍意識からはみだすことになるから、それらを等時的反復単位と
して把握することは不可能である。したがって、氏の言うように「五・七・
五・七・七の句わけ」を「等時的リズムを五回反復したもの」と考えること
もできないのである。
 伊藤康円「日本語の韻律形式とリズムパターン」
(ウェブサイトから)



       
伊藤康円から別宮貞徳への批判


 別宮氏の「二音節一単位の原理」とは、日本語がすべてそのように発音さ
れるということではなく、日本語にはそのように発音される傾向があるとい
う程度のことなのである。前に文例としてあげた「雲が低く垂れていた」は、
「クモガ│ヒクク│タレテ│イタ○」と一音節を一拍とする三拍子で発音す
ることもある。が、これも分析的に述べただけのことであって、実際の発音
に際しては、このような拍子が意識されているわけではない。
 上は散文についてであるが、韻文の場合でも必ずしも拍子を意識して読む
わけではないから、たとえば短歌を読むときのリズムパターンが常に別表に
あげた譜表のようなものであるとは限らない。拍子など意識せずに、五・七
音の各句をその都度適当に切って──その切った時間が何音節分であるかな
どということも意識しないで──読むのがむしろ普通である。
(中略)
 日本語では、一連の”語のつながり”における音節の刻みは、ラングのレ
ベルではその強さも長さも均等であるが、音声表出過程においては──散文
と韻文の別なく──それぞれの語句やそれによって表示しようとする(また
は表示された)内容(思考内容や事象に表象)の性格や、それを発音(また
は黙読)する人の好みや気分(それが文学作品の場合はその人の鑑賞力)に
応じて、ある個所は二音節をひとまとめに、ある個所は一音節ずつ等強等時
的に、つまり平坦に、ある個所は前後の音節よりも弱く発音(または表象)
される。
(中略)
 リズムパターンは、いうまでもなく、それらの語句が実際に発音されたと
きの音声表出過程(またはその表象)の次元のものであり、それらの”語の
つながり”自体に属するものではない。日本語の音節はすべて等強等時的な
刻みだけで成り立っているからである。(日本語の音声面で他に言語の次元
に属するものとして意識されているのは、ある種のイントネーションの型・
いわゆる高低アクセントぐらいのものであろう。)
 そして、韻律形式とは、正にこうした”語句のつながり”に一定の音韻上
の秩序を与えるための形式なのであって、けっして、その音声表出過程のリ
ズムパターンを一定の拍子に枠づけるためのものではないのである。短歌を
どのようなリズムパターンで読んでも、各句の区切りが分かるように読みさ
えすれば、おのずとその短歌の韻律形式が感知されるのも、そのためである。
(中略)
 「(短歌の)五句の句わけは、明らかな長短リズムというより、等時的リ
ズムを五回反復したのに近い」とか「「五音にたいして」「七音は、わずか
ではあれ、よりはやいテンポでよまれる」などという説は、短歌の韻律形式
を本気でリズム形式と思いこみ、その各句の五音・七音のまとまりを反復の
単位と考えたための、苦しまぎれのこじつけにすぎない。同様に、五音と七
音からなる日本語の韻律形式を四拍子のリズムなどと考えるのも間違いなの
である。
 伊藤康円「日本語の韻律形式とリズムパターン」
(ウェブサイトから)



    
寺杣雅人から「従来の音律論」への批判


 五音・七音から構成される日本語定型詩歌は、私たちにもっとも貴重な古
典遺産の一つである。ところが、これをどんなリズムで読むかについては諸
説があり、いまだ意見の一致を見ない。もし依るべき一定の音律形式が存在
するとすれば、それを明示しえないこの音律論の現状はまことに遺憾である。
私たちの古典享受には類例のない大きな手ぬかりがあったことになるのであ
る。
 もっとも、この問題はたんに朗詠法に関するものであり、したがって読み
方は作者や鑑賞者の恣意による他ないという見方もある。しかし、このよう
な意見ないし感想をもつ人たちの定型認識は、おそらく次のようなものでし
かない。
   それはわずかに五句三十一音という、たったそれだけの約束ご   
   とにすぎない。押韻についても、句切りのことについても、ま   
   た歌うべき内容に関しても、そこには何の強要も制限もない。
 これは短歌形式について説明した上田三四二の文章である。決まった読み
方があるということの意味は、詩歌の定型性のなかに、音律形式の規定につ
ながる論理的根拠が見出せるということでなければならないが、上田の言う
定型にそれを望むことはできない。句数・音数の一定が定型の唯一の「約束
ごと」であるならば、読み方の不在はもっともな結論である。
 が、句数・音数の一定ということが、定型詩歌について私たちが誰もがみ
とめる最大の「約束ごと」であるとしても、それが唯一のものとは言えない
はずである。読み方を規定できるか否かは、こうした定型について私たちの
常識をどこまで補足・修正できるかになかかっているのである。
 そして驚くべきことは、このように句数・音数の一定というところへ限定
された定型観が、こう読むべきだとして特定の音律形式を掲げる論者たちに
も共有されていることである。今日の定型詩歌の音律に関する議論に、多数
の音律説が並立している原因は、ここにある。定型から導かれた論理的根拠
の欠如した議論において、自説が他説を退けることはありえず、また他説に
よって自説が封じられることもないのである。したがって、ここに私が繰り
広げようとするものは日本定型詩歌の音律に関する論考であるが、それは、
結局定型とは何かという問いに全体的な解を与えることでもあらねばならな
いのである。
 寺杣雅人『五音と七音のリズム─等時音律説試論─』(南窓社、2001)
 16ぺ〜17ぺ



  
寺杣雅人から荒木享・坂野信彦・別宮貞徳への批判


 日本詩韻律論の目下の課題は、定型とよばれる五音句・七音句の律構造を
明示することであるが、読者主義的韻律論の特性は、この律把握を読者の側
から行おうとするところにあらわれる。
 1982年2月の『ユリイカ』誌で、荒木享は、定型詩歌朗読の定式を明
らかにした荒木論文「日本詩の詩学」(1)および私の仮説「等時音律説」
(2)に対する荒木の反論(3)を通して坂野信彦の研究を知り、荒木の立
場が「単なる独断でないことを確認」した、と述べているが(4)、両者の
共有する立場とは、端的にいえば、韻律論における読者主義である。
 さらに荒木は、両者の間に「根本的な対立はない」ことから、彼らの韻律
論における基本姿勢である読者主義の正当がすでに承認されたかのように、
小異たる「二人の間の相違」へと関心を移して細部の検討にかかり、「日本
詩の詩学の礎石を堅固な地盤の上に据えたい」としている。
 が、私は、「日本詩の詩学」を樹立せんとする荒木の熱意と努力に敬服し
つつも、日本詩韻律論が、その根幹にすえた読者主義を十分に検証すること
なく、誤った軌道をさらに深い混迷へとつきすすんでしまう危険を感じない
ではいられない。
 この荒木論文にも引用されているが、日本詩韻律論における読者主義は、
1978年7月『文学』誌上に現れた、次の坂野信彦の言に集約されている。
日本詩韻律論における読者主義は、ここではじめて明確な姿を現し、主張さ
れることとなったのである。
   韻律論が学問としてお公共性を獲得しうるとすれば、それはあ   
   るべき姿の探究によってではなく、あるがままの姿の究明によ   
   ってであろう。あるがままの姿の究明とは、対象の相対性をそ   
   の相対性のままにとらえることである。われわれが明らかにす   
   べきことは、「どう読むべきか」ではなく「どう読まれている   
   か」また「どう読まれてきたか」でなければならない。(5)
 この坂野の主張は、「定型詩歌はどう読むべきか」と問う、私の韻律論の
基本姿勢に異をとなえたものであった。私の仮説「等時音律説」は、詩句を
発する作者の律を、読者を拘束する規範として求めようとしてところに生ま
れたもので、それはいわば作者主義的韻律論であった。
 ここで坂野が「対象の相対性」と言っているのは、詩歌を朗読する際の
個々の読者の偏差をさしている。つまり坂野は、読者のさまざまな享受の中
から一つの朗読の仕方を是として選び、それを「こう読むべきだ」と押しつ
けることはできない、と説いているわけである。
 さきに私は、読者主義は日本詩韻律論の根幹にすえられていると述べたが、
おそらくそれは、この坂野のように明確で意識的ではないかたちでは、多く
の韻律論者に共有されているものと思われる。
 また坂野論文にしても、私の仮説から引き金となったわけで、もし一つの
読みを是とし、他を誤りだとして退けるような極論が出現しなかったなら、
あるいは前記のような明確な読者主義をかかげることはできななったかもし
れない。
 1977年10月に出た、別宮貞徳の『日本語のリズム』は、一般向けの
日本詩韻律論として広く読まれ、注目を集めたが、読者主義はここにも指摘
できる。すなわち別宮は、「昔の人がどう読んでいたかは、それこそ死人に
口なしで調べようがないが、……」(6)とことわりながら、万葉集の和歌
の律形式を示しているが、「どう読んでいたか」というのは、読者が「どう
読んでいたか」という意であって、そこにあるのは、「どう読まれている
か」を求める坂野と共通の姿勢である。さらにこの韻律論における読者主義
は、文芸享受についての一般的通念としての読者主義に結びつく。それは、
前記荒木論文が、坂野の読者主義提唱とならべて、次の熊代信助の言を引い
ていることでもわかる。
    多くの文芸学がそうであるように、学となるととかく文芸    
    自体とは異質のものが交叉して来るが、文芸は最終的には    
    感受の頂点で決着をつける他ない。文芸には、結局のとこ    
    ろこのぎりぎりの頂点での具体化され授受されるという一    
    途があるだけであり、このあたりの事としては、どんな立    
    派な理論も、それ自体何の意味も働きもない空疎な図式以    
    上のものではあり得ないからである。(7)
 このような読者主義的態度は、一つの詩句に複数の律形態を許容すること
になる。
(1)荒木享「日本詩の詩学──岩野泡鳴・福士幸次郎・木々高太郎を貫通
   するもの」(「文学」1977年12月号)
(2)寺杣雅人「等時音律説試論──定型詩歌はどう読むべきか」(「文 
   学」1978年2月号)
(3)荒木享「ソシュールと日本語をめぐって──ラングというものさしの
   成立のために」(「文学」1978年4月号)
(4)荒木享「言葉と詩」(「ユリイカ」1981年2月号)
(5)坂野信彦「韻律論の基本──寺杣論文をめぐって」(「文学」1978年
   7月号)
(6)別宮貞徳「日本語のリズム──四拍子文化論」(講談社、1977)
(7)熊代信助「日本詩歌の構造とリズム」(角川書店、1968)
 寺杣雅人『五音と七音のリズム─等時音律説試論─』(南窓社、2001)
 104〜107ぺ



    
寺杣雅人から時枝誠記・三浦つとむへの批判


 私たちが十七音なり三十一音なりの音の連鎖の中から五音・七音のまとま
りを拾い上げるのは何に拠るのか。まとまりは何のまとまりであり、まとま
りとまとまりの間に私たちは何を見ているのであろうか。

  ふる池や・かはづ飛びこむ・みづの音  (芭蕉)

 私たちがこの十七音を七五五などとしないのは、そこに五七五という意味
のまとまりがあるからである。では、段落とは意味の切れ目であると考えて
よいか。これは句についての現在の標準的な理解であろうが、次のような例
の出現によってこの考え方はまったく無力なものとなる。

  風流の初や・おくの田植うた      (芭蕉)

 意味によって切れる最大の段落は「初や」の後にあるが、この句は「初や
おくの」によって中七を構成しているのである。意味による最大の切れ目を
中七音の途中にもちながら、なお五七五であるとはどういうことか。意味に
よって五・七の句の根拠を把握することは、もはや不可能である。
 もっとも文節としての意味の群をリズムの基本単位と考えるならば、句は
それらの適当な和から成立するということになる。時枝誠記は次のように述
べている。

   横線を以て基本リズム形式の限界即ちリズムの間とし、円を以て
   それを充填する音声とすれば、休止による群団化は次の如き形式
   となる。

   │○│○│○│休│○│○│○│休│○│○│○│
   └─────┘ └─────┘ └─────┘
 
   ここに三音節による群団が成立する。そして基本リズム形式は、
   上の調音の休止の間も等時的間隔を以て流れてゐると見るべき
   である。         時枝誠記『国語学原論』509ぺ


 すなわち時枝によれば、先の芭蕉の句は、

 │ふ│う│り│う│の│休│は│じ│め│や│休│お│く│の│休│
 
 │た│う│ゑ│う│た│

と分割され、「はじめや」と「おくの」が合わさって中七を構成する。しか
し、これによって五七五の意味が明らかになったとは言えない。なぜ他の文
節の和を考えてはならないかに答えることができないからである。九八や五
四八という音数把握の可能性を捨てて、五七五を拾い上げる必然性はどこに
あるのかの問いに、時枝は応じることができないのである。

 次の三浦説は、規範としての五・七を強調することで、この時枝説の欠を
補い得たかに見えるが、どうであろう。

   表現構造からのリズム集団に分割して見るならば、

   わが─いほは みやこの─たつみ しかぞ─すむ よを─うじやまと
   ひとは─いふなり

   のようになる。つまり表現構造からのリズム集団が展開されなが
   らも、それをふくみつつ否定したかたちでさらに大きなリズムと
   して五七五七七の規範を満足させているのであり、このリズム集
   団の休止部は同時に表現構造の切れ目となっている。
           三浦つとむ『認識と言語の理論』第二部454ぺ

 時枝説の長所は、意味によるリズム単位としての群を文節に限定すること
で、「風流の」のような句跨りにおける、五音・七音の文章上の結合を切り
離したことであった。しかし、この主張には、句を考える上で、二つの欠点
を伴っていた。一つは前述の文節結合の必然性の問題であり、もう一つは、
句内の複数の文節を含む場合、「休止の間も等時的間隔を以て流れてゐる」
ところの拍がわざわいし、五七は拍数上の規範とはなりえないことである。
三浦説は時枝説を受けたものであるが、時枝説では明示されていた休拍をこ
のように曖昧にしているところを見ると、三浦にはこの時枝の不備を補うつ
もりがあったようである。
 しかし、詩歌を朗読する者に、五・七のまとまりを拾う助けとして、三浦
の言うリズムとしての五・七の規範がどんな作用を提供しうるだろうか。だ
いたい五まはた七というような拍数が、朗読上のリズム規範として朗読に先
行することはありえない。私たちはあらかじめ歌体を知らされるということ
なしに、ある一首が七七七五であり、またある一首が五七五七七であるとい
うことを、自らの朗読によって知ることができるのである。
 寺杣雅人『五音と七音のリズム─等時音律説試論─』(南窓社、2001)
 20〜23ぺ



 
 坂野信彦『七五調の謎をとく』の「あとがき」より


 この本の内容は、わたしじしんの研究成果を中心に展開しました。しかし
いうまでもなく、研究の途上では先人の業績に多くを負ってきました。その
一端は「参考文献」に記しましたが、ほかにもたくさんあります。関係分野
の諸先達にあらためて敬意と謝意を表したいと思います。
 諸先達の業績のうち、この本では高橋龍雄、土居光知、福士幸次郎の三人
の著述をしばしば引きあいにだしました。日本語音律論の諸問題の多くがこ
の三人の著述によって的確にアプローチされているからです。それらの著述
は、いずれも明治時代から昭和のはじめにかけて書かれたものです。むろん
ここ数十年のあいだにも、日本語音律論関係の著書・論文は数多く発表され
てきました。けれどもそのほとんどは、半世紀以上もまえの著述の域を一歩
もでていませんでした。こうした轍を踏まないためにも、わたしたちはすぐ
れた先人の業績につねにたちもどってみる必要があるのです。
       坂野信彦『七五調の謎をとく』(大修館、1996)265ぺ



 
松浦友久『リズムの美学─日中詩歌論─』の「まえがき」
 より



 リズムこそは、根源的であり深層的である。それは基本的には、この宇宙
の遍満するリズムの一環として人間のリズムがあり、人間における主要なリ
ズムの一環として言語のリズムがあり、さらにその純化・集約されたものと
して詩歌のリズムがあるからだ、と考えておくのが妥当であろうか。
 リズムというものがそうした深層性・根源性を含んでいるだけに、詩的リ
ズムの諸相には、きわめて実感的でありながら、なぜそう感じられるのか説
明困難な、多くの興味ある現象──いわば、”リズムの不可思議”──が含
まれている。
 たとえば、日本語詩歌のリズムは「五音」「七音」を中心としており、中
国詩歌のそれは「五言」「七言」を中心としている。両者の間に、影響関係
は有るのか無いのか、無いとすれば、なぜこれほど類似した形になったのか。
 また、「五七調」は荘重・典雅であり、「七五調」は軽快・流麗である。
この点は、日本詩歌の作者や読者である限り、誰も否定できない実感と言え
よう。同様に、中国の「五言詩」は荘重・典雅であり、「七言詩」は軽快・
流麗である。(この感覚の差は、訓読漢詩にさえも或程度は反映されており、
七言絶句が日本で愛好される要因の一つになっている)。日本と中国の主要
定型リズムは、なぜこれほど近似した、一組ずつの対比的リズムを保持して
きたのだろうか。
 あるいはまた、日本の詩歌同士でもよい。なぜ、「短歌」はより抒情的・
聴覚的に感じられ、「俳句」はより主知的・視覚的だとされるのか。なぜ、
「俳句」の上手な外国人は多いのに、「短歌」の上手な外国人は少ないのか。
なぜ、今日の社会において、「狂歌」は、面白いという以上に白けてしまい
ことが多いのに、「川柳」は。おおむね面白くまた実感的なのか。
 あるいはさらに、同じ詩型についてでもよい。なぜ「短歌」の結句(最終
句)では、そのリズムが「三・五調」や「五・二調」であれば落着いた終結
感が生まれるのに、「四・三調」では、流動的で非終結的なリズムが生まれ
るのか。なぜ、いわゆる「字余り」の句には、素朴で落着いた感じが生まれ
るのか、──等々。
 こうした一連のリズム感=表現感覚の存在は、日本や中国の詩歌を愛する
人々にとっては、──程度の差こそあれ、──古来それぞれに自覚され、関
心をもたれてきた周知の現象、と言うことのできよう。ただ、なぜ、そうし
た独特のリズム感が発生し存在するようになったのかという原因については、
従来ほとんど、系統的な考察がなられていないのが実態である。
  松浦友久『リズムの美学─日中詩歌論─』(明治書院、1991)5ぺ


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