音読授業を創る そのA面とB面と          2011・9・26記




 
「なぜこう音声表現するか」の
         理由を言わせてはいけない




       
いちいちの理由づけは無理だ


  教師というものは職業柄、何にでも児童生徒に説明を求める習性を持っ
ています。文章を音声表現する授業の中で、「なぜ、ここの文章部分を、こ
う音声表現するとよいか。その理由を言いましょう」と問いかける教師がお
ります。それは無理というものです。教師がこうした質問をすると、教室が
シーンとしてしまいます。世の中の不幸を一身に背負ったような、こむずか
しく、無口で、うつむいた顔、顔、顔が、教室にあふれてしまいます。お通
夜のようになってしまします。この質問は、難しすぎるのです。


        
音声表現中心学習の特性


  内容読みとりの話し合い学習では、理屈っぽく意見を出し合う授業にな
るのが普通ですが、音声表現を中心にした学習では、言葉による理屈づけで
ああだこうだの意見発表はあまり行わないほうがよいと考えます。
  音声表現を中心にした授業では、理屈づけた解釈の意見発表は後方に退
いて、前面には文章内容をパッパッと瞬間的な判断による音声の時間の流れ
としての音声表現の発表となるのが普通です。ここでは文章内容をパッパッ
と瞬間的に情感性や情緒性をこめた音声表現にする思考が働いています。ど
のようなメリハリのついた音声表現にするとよいか、瞬間瞬間の直観的解釈、
総合的解釈、聴覚的解釈の思考が働いています。音声表現を中心にした学習
では、文章内容を一回限りの瞬間的な音声の連続にこめて表現する思考が働
いています。文章内容を、一挙に音声の連続に収れんさせて、音調変化によ
るメリハリづけとして表現する思考が働いています。
  内容読みとり中心の学習では左脳のデジタル思考となり、音声表現が中
心の学習では右脳のアナログ思考となります。内容読みとり中心の学習では
分析的思考、理性的思考、論理的思考が主にはたらいています。音声表現を
中心にした学習では直観的思考・総合的思考・聴覚的思考が主にはたらいて
います。
  つまり音声表現を中心にした学習では、言葉による理屈っぽい解釈の話
し合いは後退して、意味内容をパッパッと音声に取りまとめて瞬時に表現す
る思考がはたらいています。意味内容を音声でどう表現するか、文章内容を
どう音声の連続として表現していくか、これを瞬時にパパッと判断して次々
と文の線条性の流れとして表現していく凝縮された思考がはたらいています。
  だから、音声表現においては、なぜこの音読記号をつけるか、なぜこう
音声表現するか、これら一つ一つに理由をつけて、思考してる時間的余裕は
ありません。声に出して音声表現しつつある瞬間瞬間で非反省的意識の中で
音声表現していることになります。反省的意識で取り出している暇はありま
せん。



    
理なことを強引に説明させてはいけない


  音声表現は上手だが、どうしてそう読めばいいのかをうまく説明できな
い児童が大多数なのは当然です。ですから無理なことを、強引に説明させて
はいけないのです。一つ一つの音声表現について、なぜこう音声表現するか
を言葉で説明をすることはとても困難なことです。一つ一つの記号づけのす
べてに「なぜ、この音読記号づけをしたのか」の説明を求めることはとても
無理なことです。
  ほんの一つ二つの、ある特定の文章個所でそれを説明できる児童はいる
でしょう。説明できる児童がいたら語らせてもよいが、一つ一つの記号づけ
の総てを、いちいち説明することなどはとてもできないことです。プロの朗
読家であっても、職業アナウンサーのニュース読みであっても、一つ一つの
音声表現の仕方について、いちいち、ここは、こういうわけだから、こう音
声表現する、などと考えて読んではいないし、説明もできないでしょう。
 自分の読み声を、自分の耳で聞きながら、瞬間的な総合的な直観的な解釈
と判断で、メリハリをつけながら、自分の思いを、ひたすら線条的に音声表
現しているだけなのです。ここはこうだから、こう表現するなどと理屈をつ
けながら音声表現してはいません。
  ですから
「なぜそのように読むとよいのですか。なぜこの音読記号をつけたのです 
 か」
「ここの文章個所は、なぜ、こういうメリハリにして読めばいいのですか。
 その理由を言いましょう」
「ここの文章個所に、なぜ、その音読記号をつけたのですか。その理由を言
 いましょう」
などと質問することは無理な要求です。プロの朗読家にもできないことを、
児童生徒に強要してはいけません。

  ここの場面(段落)は、こうだから、こういうように(こんな感じや雰
囲気にして)音声表現するとか、この人物の会話文は、こんな状況にあるか
ら、こういうように(こんな気持ちや意図を押し出して)音声表現するとか、
こういう話し合いは当然に必要です。わたしがここで主張しているのは、文
章の一つ一つに・いちいち理由を言わせるのはやめたほうがよい、というこ
とです。
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