表現よみ教育の歴史・第一部      03・2・21記


     
   日本では「朗読」という用語が長く使われてきています。
・どうして「朗読」でなく、「表現よみ」なのでしょうか。
・「表現よみ」の用語は、いつ頃から使われ出したのでしょうか。
・「朗読」と「表現よみ」とは、どこが違うのでしょうか。
・「表現よみ」の主張は、どんな理由からなのでしょうか。
・「表現よみ」のよさはどこにあるというのでしょうか。
  本稿では、学校教育において「表現よみ」が出現した理由、朗読と表現
よみとの違い、なぜ表現よみが主張されているか、について、国語教育の観
点から書くことにします。
  まず、「表現よみ」という用語が出現する以前、日本の学校児童たちの
読本朗読の読み音調はどんなだったでしょうか。それについて少しばかり書
きます。


        
大正・昭和初期の児童の読み音調 



 昭和九年刊『読本朗読の実践的研究』(厚生閣書店、千葉春雄編)の中で、
執筆者の一人である川口半平氏は、自分が十歳のとき学校で国語の時間に感
情を込めた講談本の読み聞かせ音調で朗読したところ、そんな読み方ではい
けないと先生から叱られた、それで学校での読み方は当時一般的だった妙な
節のついた無表情な棒読みをすることになった、と書いています。下記に引
用から大正から昭和初期の学校児童の学校での読本朗読の一般的な読み音調
の様子が推察できます。


  私の父は講談とか軍書とかいったものが好きであったが、文盲だったの
で、私に講談本を朗読させては面白がっていた。私が十歳位のことことだっ
たと思う。夜、薄暗いカンテラの灯りの下で「岩見重太郎」だとか「黄門漫
遊記」だとか言う講談本をしきりに読み聞かせたものだ。父は私の読み口調
をほめて、
 「お前に草本を読ませると竹丸の浮かれ節より面白い」
と言った位だから、其の読み振りは相当なものだったらしい。私もまた心中
大に自信を持っていたものだった。ところが何時か学校で、この調子に感情
をこめて読本を読んだところ、先生が顔をしかめて
 「そんなまるで話のような読み方をしてはいけない」
と叱った。私は詰まらぬ試みをしたものだとしょ気て、又妙な節の神聖な音
読へたちかへったこと覚えている。「まるで話のような読み方をしてはいけ
ない」と言う叱り方は実に面白いと思う。かうした特有のリズムをもった音
読から、無表情な音調のない棒読みに時代へ移ったが、しかし共通するとこ
ろは、音読が単に児童の文字づらの読みが出来るか出来ないかを教師が知る
方便にとどまって、音読そのものに深い意義を認めず、考察も払わなかった
ことであった。             264p〜5pより引用




 昭和九年刊『読本朗読の実践的研究』(厚生閣書店、千葉春雄編)の中
で、執筆者の一人である染谷四男也氏は、わが国には朗読の読み調子に「語
り物からきた朗読調の節回し読みと、新聞や小説を読むときの棒読み風な特
殊な読み調子の二つがある」と書いています。大正から昭和初期の読本朗読
の一般的な読み音調がどんなだっかかが推察できます。


  昔から我が国には、語り物から来た朗読調即ち節回しと、新聞や小説を
読む場合の棒読み風な特殊な調子が行われて来た。前者は朗詠的で多分の感
傷性と詠嘆性を持って居り、後者は外面的で機械的であって、意味や内容に
は何等関係なく、従がって句読なども顧みられず、単なる読み調子によって
終始している。両者とも自然的でないという点でよく一致している。
  然してこの傾向が又現在の児童の上にもどうかすると表れて来る。前者
は美文調な文章の読みに、後者は自由読の際の各自の読みに、この場合には、
児童はお互いに早く読もうということも手伝って、調子だけで読んでいくと
いうことになり易い、指導に当たっては特に注意すべきである。   
                           392pより引用



 同じく染谷四男也氏は、同書の中で、詩人たちの自作詩朗読の音声表現
の仕方について感想を書いています。「多数の詩人の朗読を聴くことが出来
たが、或る者は全く琵琶歌調であり、或る者は朗吟調であり、或る者は叫び
であり、或る者は低調微吟であった」と書いています。これは語り物の朗
詠・朗誦にある特別な節回しの影響が大きくあるのではないかと思います。
というか、それを大きく引きずっている読み音調だったと考えます。
  詩人たちの自作詩朗読の中で、島崎藤村と秋田雨雀の二人だけは立派な
読み音調だった、と書いています。立派な読み音調とは、染谷氏は「文章を
深く理会鑑賞して、そこから生まれる自然な感動を基にして」「不自然さを
感じさせない」「自然な少しも飾るところなき」「素直に読み下す」音調が
いい、と書いています。これは「表現よみ」の考え方と近接しています。
  なお、詩人の自作詩の朗読音調については、昭和十八年刊『翼賛詩歌曲
集』(柴山教育出版、1943)の序文の中で高村光太郎(詩人)が当時の詩人た
ちの自作詩朗読を聴いて「まず、発音の訓練がなってない。気取って、上ず
って、やり切れない節をつけて、滑稽なほど余所いきで………私はそれで詩
の朗読に絶望を感じていた」などと悲観的な論文を書いています。高村光太
郎論文の詳細については、拙著『群読指導入門』(民衆社、2000)の275pを
参照のこと。


  かつて詩人川路柳虹氏が詩の朗読について次のやうに述べていた。
「詩が黙読さるることに不服はないが、それが音声を通じて読まれることに
堪えられるものであることが必要である。そして現代の詩に見逃してならぬ
欠陥もまたここにあるのだ。この点で詩が朗読さるることは少なくとも今日
以上に発達せねばならぬ」と。
 これは柳虹氏が自由詩の最も盛んな時代に言われた言葉であった。其の後
自由詩が現時の如き衰微を見たことは、そこに我が国の国語が詩の表現に適
しないといふ一面も考えられる。当時(大正十三年)築地小劇場に詩人祭な
る催しに於いて、名詩人が自作を朗読することになり、詩の父島崎藤村氏を
はじめ、与謝野夫妻氏、野口米次郎氏、秋田雨雀氏、野口雨情氏、川端柳虹
氏、白鳥省吾氏、福田正夫氏、佐藤惣之助氏、富田砕花氏、等其の他多数の
詩人の朗読を聴くことが出来たが、或る者は全く琵琶歌調であり、或る者は
朗吟調であり、或る者は叫びであり、或る者は低調微吟であったが、その中
で、島崎藤村氏の「千曲川旅情の歌」の中から選んだ「小諸なる古城のほと
り」と「千曲川のほとりにて」は実に其の内容の若き日の遊子の憂ひがひし
ひしと胸に迫って、今尚あの自然な少しも飾るところなき、流れるようなリ
ズムと、何とも言われない立派な調子を忘れることが出来ない。
  尚、秋田雨雀氏の有島武郎の死を歌った「高原挽歌」も、心から溢れ来る
ような熱情に胸を打たれたことを記憶している。其の後詩や文章の朗読につ
いて考える度に思うことは、何よりも、其の文章を深く理会鑑賞して、そこ
から生まれる自然な感動を基にして読むべきだといふことである。この場合
の調子は日常の会話の調子とは多少異なっても、聴く者をして決して不自然
の感じを抱かせないのである。 和歌の朗読の調子も亦是と同じで、決して
百人一首のやうな調子や、歌人のやうな朗読調に出ることはよくないと思う。
素直に読み下し的に読む中に、自然と調子が出るやうにすべきだと思ってい
る。                     394〜395pより引用



           
表現よみの出自


  「表現よみ」の用語は、いつ頃から使われだしたのでしょうか。
  「表現よみ」は、「日本コトバの会」(創立昭27、3)の人々によっ
て、はじめて使われれました。日本コトバの会の創立は昭和27年3月で、
創立直後1,2年のあいだに会内で、音読は「表現的な読み」がよいと話
題になったようです。「表現的な読み」は、昭和29年、日本コトバの会の
著作物にはじめ出現します。
  以下、「表現的な読み」や「表現読み」が著作物に出現している事実
を、順序を追って昭和30年代末まで書いてみましょう。


昭29刊、日本コトバの会編『教師のための国語科』河出書房)より
   日本コトバの会編集の本(『教師のための国語科』)に「表現的な読
み」という言葉が出現します。この本のまえがきに「この本は、日本コトバ
の会の国語教育部会に属する現場教師たちが、コトバ研究にたずさわってい
る人たち(大久保忠利、奥田靖雄、来栖良夫、クロタキチカラ)の指導助言
を受けながら、半年のあいだたびたび研究会を開き、討議を重ねた結果でき
た本」とあります。「読むこと」の章の、読みの評価の節に、次のような文
章があります。

 「朗読は、文章を読むときだけでなく、劇を上演する前の脚本の読みあわ
せをする時にもやります。これは、文章の朗読の場合よりも、もっと、作中
の人物になり、ものになりきって読むのであって、朗読はその土台となるべ
きものです。
 このように、劇へ発展していくような朗読のしかたを、あらわす読み、と
か、表現的な読み、と呼んでいる人もあります。
 また文章には論文形式の、読みて(朗読の場合には聞き手)をときふせて
いくようなのべかたをしているものがありますが、この場合には、聞きて
が、要点をつかめるように、説明してやるつもりで読まなければなりませ
ん。これを、表現的な読みと区別して、つかむ読み、とか分析的読みとい
っております。」
  日本コトバの会編『教師のための国語科』(河出書房、昭29、11)
25ページより引用。 この章の執筆、若林博(文京、九中)、山田テル
(台東、根岸中)


  文章内容の「表現を重視」した音読を「あらわす読み」とか「表現的な
読み」と呼び、相手への「伝達を重視」した音読を「つかむ読み」とか「分
析的読み」と呼んでいることが分かります。また「表現的な読み」を朗読の
土台に、朗読よりも上位段階に位置づけていることが分かります。


昭31年刊、児童言語研究会編『講座・小学校の国語教育』より
  「日本コトバの会」と「児童言語研究会」とは、姉妹研究団体であり、
メンバーが重複しており、双方に参加している会員が多数おります。この講
座本は全4巻であり、その第2巻・第4巻に次のような記述があります。

 「音読は、その初歩段階では、文に対する働きかけであっても、それを正
しく肉体化しようとするだけで止まることもできます。けれど、一歩高め
て、受け入れたことを、自分のものとして客観化させるという意味では、表
現読みが大切なものとなります。コトバをその的確な環境におけるコトバと
して位置づけ、それを全身の機能を通して表現する読みかたが表現読みで
す。一つの芸術への道でもあります。(略)表現読みは一つの創造活動で
す。(略)表現読みの訓練は、話し方を高める訓練でもあるわけです。
(略)洗練されたコトバは整理された思考と一致します。させなくてはなり
ません。そこに表現読みの価値があります。」
 『講座・小学校の国語教育』(春秋社、昭31、3)第2巻、46ペ
ーより引用。      この章の執筆者、菱沼太郎(千代田、淡路小)

 「本文の内容をよく理解したところで、「表現読み」をさせます。原文の
感じ・味わいを十分にきかして、棒読みでなく、感じをあらわしながら「音
読」させるのです。それには、はじめのうちは教師が手本を示し、斉読でそ
のあをつかせたり、組の中で表現読みのうまいものに読ませて、みんなでよ
いところを批判し合ったりして、原文をいかに「よく味わいつつ・しかも中
味を表現しながら読む」かを体得させるのであって、文学教材の授業では、
ここがカナメとなっているとさえいえます。」
『講座・小学校に国語教育』(春秋社、昭31、6)第4巻、63ページ
より引用。    この章の執筆者、大久保忠利(都教組講師団)

  昭和31年になると、「表現的な読み」という文章・文脈的な呼び方
が、途中の「な」が省略され、短縮して「表現読み」という固有名詞で呼ば
れ、使われていることが分かります。表現読みとは、文章内容(中味)の音
声による表現であり、肉体化した創造表現である、と書いてあります。



昭31・32年「日本コトバの会」の活動
  「表現読み」は、日本コトバの会から出生したことは前述しました。日
本コトバの会での「表現読み」は、その後はどう実践研究が受け継がれ継続
していったのでしょうか。
  昭和31年の日本コトバの会は、六つの部会があり、各部会が毎月一回
の研究会を開催しています。話し方教室部会では、「表現読み」の研究に
テーマが集中している様子が記録からわかります。話し方教室部会の月例会
テーマを「表現読み」を中心にみてみよう。
   昭31年5月  「詩の表現読み」(武藤辰男)
   昭31年10月 「新しい表現読み」(川野圭泉)
   昭32年1月  「新しい表現読み」(森田ひろ子)
   昭32年2月  「表現読みのしかた」(川野圭泉)
   昭32年3月  「表現読みのしかた」(川野圭泉)
   昭32年4月  「二十四の瞳」の表現読み(川野圭泉)
   昭32年11月 「二十四の瞳」の表現読み(川野圭泉)
   昭32年12月 「表現読みコンクール予選会」
  しばしば川野圭泉が登場しますが、彼の表現読み理論の骨子は「表現読
みとは、聞き手にイメージを与え、文章の内容を伝えることに重点をおいた
音声表現である」とあります。
  日本コトバの会編『日本のコトバ』第七号所収、川野圭泉、「人間の
  声」の提唱、論文より。


  昭和33年以降からの日本コトバの会・話し方教室月例会は毎月、テー
プレコーダーによる表現読み実技研究会となっております。平成の現在も、
日本コトバの会では、毎月の表現よみ部会はテープレコーダーによる表現よ
み実技研究が活発に継続しており、理論化も進んでおります。研究成果は、
日本コトバの会の会員達による著作物として20数冊、刊行されています。


昭34年、大久保忠利の本より■
  大久保忠利『思考力を育てる話しコトバ教育』(春秋社)の中に、「表
現読み」について次のように書いてあります。

 「ナカミを十分に理解した上で音にあらわす、このことが「表現読み」で
す。
  声に出して読んでみると、意外に、むずかしいのです。ワザとらしく
なったり、ナカミとぴったりしなかったり、すなわち、「表現読み」をする
ためには、その文脈の中で一語一行が、ただ声になるというだけでなく、そ
こではどのような声の調子で読まれなければならないかを、その瞬間に決定
する頭のハタラキを必要とします。十分にナカミがわかっていなくては、と
ても「表現読み」はできないのです。」   
       『思考力を育てる話しコトバ教育』31ページより引用



昭36年、鈴木敬司論文より
  鈴木敬司(教育大付属校)は、表現読みについて『教師のための国語』
(河出書房新社)の中で次のように書いています。

 「表現読み」というコトバの「表現」という連体修飾は、「読み手が声を
出す」という意味の表現ではなくて、「作品のイメージを表現するような読
みぶり」という意味に使われている。作品のイメージは、それぞれの作品に
具体的でしかも固有なものであるはずだ。したがって、いわゆる「朗読」と
いう型にはまった読み方では、おのおのの異なった作品のイメージは表現し
がたい。
  日本文学協会編『教師のための国語』(河出書房新社、昭36・1
  0)126ページより引用。


  大久保忠利は前掲書で「ナカミを声に表わすことが重要」と語っていま
す。鈴木敬司は「朗読」は「型にはまった読み方」で、表現読みは「作品の
イメージを表現する読み振りだ」と語っています。はじめて「朗読」との対
比で「表現読み」が語られています。



     
「日本コトバの会」会員以外からの提唱


  日本コトバの会では、昭和33年からは目の不自由な人のための「表現
読み録音研究会」が毎月開催されるようになります。テープ録音をして、目
の不自由な人のためのボランテア活動の学習会です。
  昭和37年、日本コトバの会主催講演会が毎日ホールであり、四名の講
演者(平山輝男、大久保忠利、五十嵐新次郎、阿部梧堂)のうち阿部梧堂
(東京童話会会長、日本コトバの会員)が「表現読みについて」の演題で講
演しています
  こうして「表現読み」は、しだいに一般社会や国語教育界の人々の目や
耳に入るようになり、だんだんと「表現読み」が普及していくようになって
いきます。


昭35年、国分一太郎の論文より
  国分一太郎(教育評論家)は、次のように書いています。

 「表現的な読み」とは、その文章の内容の正しく深い理解の上に立ち、ま
た自分の共鳴・共感の気持ちも加えながら、コトバの一つ一つのはたらきを
十分に感得し、色あい、匂い、抑揚、調子などをつけて読むことです。受け
取って読むのでなく、まるで自分が表現でもしているかのように音読するか
ら、「表現的な読み」というのでしょう。これには、受け取ったものを表現
するように読むのですから、
  ○自分自身に「こうなんだよ」と味わいぶりを聞かせる。
  ○他人に「こういう内容の文章、言語作品なんです」と聞かせてやる。
といった心持ちが加わります。むかしのコトバを使えば、これは「朗読」と
いってよいでしょう。この朗読というものを、これからはもうすこしよけい
に大事にしたいと考えます。
   『現代教育科学国語教育』(明治図書)昭35年5月号より引用。


  国分一太郎は、「朗読」と「表現読み」とを同じものと書いています
が、文章全体を精読すると「朗読の中の一種で、表現的な読みの音読のしか
たをもうすこしよけいに大事にしたい」と語っています。


■昭36年、上甲幹一の論文より
  上甲幹一(名古屋大)は、次のように書いています。

 文章のすみずみまで、十分理解するに至らぬためか、 
  「かわいそうにただ息をはずませるばかりです。」
という文を、「息をはず、ませる」と区切ったり、
 「道ばたの草をひとつかみむしってきて、馬に食べさせてやりました。」
という文を、「草をひとつ、かみ」と区切ったりする。その点、表現として
の読み方意識に徹していないようだ。(略)中学一年生の場合も、表現読み
としての意識が欠けている傾向があり、文の区切りどころの研究が不足して
いるためか、妙な区切り方をする。
   『現代教育科学国語教育』(明治図書)昭36年1月号より引用。


  上甲幹一は、ひとつ一つの文字の音声化よりも、文章全体の意味の区切
りを大切にすべきだ、意味内容の区切りでない個所で区切るのは、「表現読
みとしての意識」ができていないからだ、と書いています。


昭39年、寒川道夫の論文より
  寒川道夫(東京、明星学園)は、次のように書いています。

 ぼくらが前に「表現読み」の大切さを強調したのは、「朗読主義」に対す
る抵抗と批判の精神からであった。
 というのは、朗読は、いわゆる音吐朗々読みであって、文章内容のいかん
にかかわらぬ画一的、ステレオタイプ的なものであった。それに対して、文
章作品を自己のものにしたとき、作品自体を自己表現として読まねばならな
いという考え方であった。これは方法的には、演劇のせりふまわしに大きな
よりどころをもっていた。
 「表現読み」を育てる‥‥いや、「表現読みにまで」育てるよう、発音・
単語・文・文章を読みこなす指導が進められることは、非常に結構なことで
あり、まさしく国語教育に本道である。
    『教育科学国語教育』(明治図書)昭39年6月号より引用。




        
草創期の人々の主張


上述してきた「表現読み」の草創期、「表現読み」の主張者たちの意見をま
とめてみよう。
○「表現的な読み」とは、作中人物になり、ものになりきって読む。(若
  林、 山田)
○「表現読み」とは、全身の機能を通して読む読みかた。(菱沼)
○「表現読み」とは、原文をよく味わいつつ、中味を表現しながら読む読み
  かた(大久保)
○「表現読み」とは、聞き手にイメージを与え、内容を伝える読み(川野)
○「表現よみ」は、「朗読主義」に対する抵抗と批判の精神から主張され
  た。(寒川)

  これらを、わたしなりにまとめると、表現読みとは、文字を声に変える
だけのずらずら読み、棒読みではない。意味内容とかかわらない節つけ読み
ではない。文章内容を理解し、その内容が音声に表れるように身体に響かせ
イメージ豊かに音声表現する読み口調だ、となるようです。


         

       
表現よみが提唱された理由


  なぜこうした「表現読み」の音声表現の仕方が学校教育界で主張される
ようになったのか。次に、わたしの考えを書きましょう。

  当時(昭和20年代,30年代)は、敗戦後から十数年、学校教育の音
読の仕方は、寺子屋からの音読の伝統、素読の読み方の指導がまだ一般的に
続いていた、ごく普通に学校で行われている読み方の指導であったからだと
思います。文章内容の理解はどうでもよく、と言えば言い過ぎになるが(教
師による訓古注釈、難語句の指導ははあったにせよ)、一般的な教師たちの
目ざすところは、大きな声で、子どもらしい、りんりんと響く、天子のよう
な声で、つかえないで、すらすら読めればそれで上等だ、あとは漢字指導、
書字指導、作文指導という国語授業であったと思われます。

  また、上述した論者の「朗読」との対比で「表現読み」をのべてる個所
から考えて、当時の「朗読」観は次のようです。
○朗読という型にはまった読みかた(鈴木敬司)
○朗読は、いわゆる音吐朗々の読みであって、文章内容のいかんにかか
  わらぬ画一的、ステレオタイプ的なものであった。(寒川道夫)

  わたしの記憶からいっても、昭和30年代の朗読、ラジオから流れてく
る朗読の読み方には、独特な読み音調、一定の型にはまった読み調子があ
ったことは否定できません。
  当時の朗読の読み手は大多数が新劇俳優たちでした。新劇は歌舞伎、
能、狂言に対立して出現したわけですが、結局は新劇俳優たちも歌舞伎、
能、狂言の型とは違った、新たな新劇の語りの型を作ったと言えます。外国
作品のこなれない日本語の翻訳劇、台詞が日本語として未成熟な直訳的な翻
訳口調、テーマ主義や教養・啓蒙主義の、理屈で説明する観念劇、こうした
新劇の台詞の語り口・台詞の言い回しが朗読の読み方にも一種の型として表
れたものだと言えましょう。
  これについて当時をよく知る三人の演劇人は次のように語っています。


内村直也さんの見解
  内村直也(演劇評論家)は次のように書いています。

 「俳優は台詞を暗誦しながら、思想を紹介する人形であってはならないの
です。己が肉体をもって空間に詩を描く生きた人間です。諧調のある美しい
声の響きにより明暗濃淡をもって躍動する生命のリズムを正確に刻むので
す。語られる言葉の美を最も効果的に現すことに演技の基礎があります。し
かし、本来の新劇はこれに対して無知であったか、軽視しすぎていまし
た。」 内村直也『新劇の話』(社会思想研究会出版部、昭33、1958)


鴨下信一さんの見解
  鴨下信一(演出家)は次のように書いています。

 「すこしシニアな日本人でよく演劇を観ていた方、まだ新劇とか翻訳劇と
かといった言葉が生きていた頃の演劇ファンは(新劇風唱いゼリフ)を覚え
ていると思います。
  若い人には、どういったらわかってもらえるかな。「生か死か、それが
問題だ」を、ウンとクサく演(や)ってみると、それに近い。一時はこれ
ばっかりでした。本当に古いいい方の《赤(かげ)芝居》で、さすがにぼく
のような年代でも、参ったなあと思ったものです。
  ずいぶんなくなったようですが(たぶんテレビのリアルな芝居が駆逐し
たのです)、それでもよく聴いていると、いまだにその残りカスがずいぶん
ある。
  実はこの(新劇風唱いゼリフ)は何かというと、日本語を(音階ふう)
に、階段上昇ふうにやってしまった結果なんですね。
  日本の新劇運動の先駆者たちは皆(新帰朝者)、外国に留学して新知識
を持ち帰った人ばかりでした。彼らは外国で演劇を観て、それを日本に移植
しようとした。その時(音階ふう)にセリフを言わなければ、外国の「翻訳
劇」にならないと思い込んでしまった。それであの気味の悪いセリフ廻しに
なったのです。」   
    鴨下信一『日本語の呼吸』(筑摩書房、平16、2004)より引用

  鴨下信一さんは、1935年生まれで、わたしより3歳年上です。鴨下
さんやわたしと同年代の人々は、当時の新劇口調の唱いゼリフの朗読口調を
よく覚えています。鴨下さんのいう「新劇ふう唱いゼリフ」は舞台上での台
詞廻しだけではありませんでした。当時、ラジオから聞こえる朗読の読み口
調も、読み手は舞台俳優でしたから、「新劇ふう唱いゼリフ」を引きずった
朗読でした。一種、独特な節がついた、唱うの抑揚をもった読み調子、芝居
がかった唱い調子のある、へんなメロディーのついた読み調子の節つけスタ
イルの朗読音調でした。


平田オリザさんの見解
  平田オリザ(劇作家、演出家)さんは、次のように書いています。

 「私たち日本人は、強調したいことを文章の前に持ってきて、繰り返すと
いう言語習慣を持っている。だから、わざわざ強弱アクセントを付けて強調
するということはあまりない。強弱アクセントを付けるのは、とても特殊な
状況だけだ。しかし、「内面」の「心理」を翻訳調の戯曲の言葉に忠実に
「表現」しようとする新劇は、その架空の表現のためにこの強弱アクセント
を連発することになる。私たちが一般に、「新劇調」と呼ぶ、一種独特の舞
台の台詞回しは、この無根拠な強弱アクセントの多用に由来している。
  1950年代、新劇の俳優たちは、生活のため、そして劇団の基礎を
支えて演劇活動を続けるため、大挙して映画に出演した。かの俳優座劇場は
もともとそのようにして建てられた劇場である。映画界には、はじめから
「演劇術」などなかったから、この「新劇調」が演技の手本となった。そう
して、演劇、映画の世界では、「芝居がかった」台詞回しが、当然のことの
ように流通するようになった。
  杉村春子や滝沢修の名演技は、だから、この新劇調を、特殊な才能で、
自然に感じさせるある種の「芸」だった。一個人の芸であるからには、これ
を体系化して、教育普及に役立てることはできなかった。新劇は、こうして、
最後まで様式を確立することはできなかった。」
  平田オリザ『演劇のことば』(岩波書店、平16、2004)より引用


 わたし(荒木)の子どもの頃の読本読みの読み声には独特の調子があった。
 当時、小中学校で教科書を読む児童生徒たちの読み調子には、いわゆる
「学童読み」というへんな読み音調がありました。ストンと落ちたり急に上
がったり、時に空(くう)があったり、これらを繰り返す独特のメロデーの
ある読み調子がありました。体験者のわたしが言うのですから、間違いがあ
りません。わたしの読み音調も、学級仲間たち全員のよみ音調もそうでし
た。これが当時の小中学生たちの一般的な読み音調としてありました。
  また、ラジオから流れてくる新劇の俳優さんたちの朗読の読み調子にも
一種独特の、へんな朗読調という読み調子がありました。上述で引用した三
人の演劇人の書いておられるとおりです。


上甲幹一さんの見解

  戦前戦後から昭和40年代まで、学校児童たちの読み声には「学校読み」
とか「学校節」とかよばれる妙なフシをつけた読み調子があったことは前述
しました。方言地域ではそれに訛りが加わった奇妙な読み調子がふつうに見
られました。こうした殊更に妙な読み調子、不自然な読み癖があったことは
多くの識者が指摘してきたことです。

  これについて、上甲幹一(名古屋大学助教授)は、次のように指摘して
います。
 上甲幹一『朗読とアナウンス』(社会思想社、現代教養文庫、昭38、
1963)から、そのことについて書いたある文章部分を引用しましょう。101ぺ
に次のように書いてあります。
  引用の文章部分は、『言語生活』昭和32年5月号(筑摩書房発行)の
座談会で、石井庄司・遠藤慎吾・内藤濯・西尾実の四人が朗読について語り
合っている文章個所で、そこで、内藤濯が次のように発言しています。内藤
部分だけ抜粋引用します。

内藤 この間、短波放送に頼まれて、小学校の朗読をなんとかしなければな
   らないんじゃないかというので、小学校の生徒を二、三人集めてやら
   してみたんです。ところが、この読み方は実に驚くべき読み方なんで
   す。読点も句点もおんなじこと。これが一番困る。途中で読点のとこ
   ろで意味が切れてしまうような読み方をする。何か既成な、レデイメ
   ードの節回しがあって、そこにどんなことばでも乗っけてしまうんで
   す。「あんたがた、普通、物を言う時、そんなところで、声を下げる
   かね」と聞くと、「下げない」。「その下げないようになぜ読まな
   い」と言っても、なかなかうまくいかない。だんだん、考えてみます
   と、小学校で先生が音頭を取って読ましているんじゃないですか。
内藤 ちょっと真似してみますがね、「私の家は東横線の自由が丘からあま
   り遠くないところにあります」の文を、「私の家は」の「は」という
   ところで声を落とす。「あります」の「す」という高さと「私の家
   は」の「は」という高さがおなじ。だから句読点と言いながら、読点
   もなければ句点もような読み方。そういうようなところから一つ改め
   ていかなければならないと思いますね。
内藤 息をつぐのはいいけど、あまりひどく落としてもらうと困る。
石井 ただ型にはまった一つの形で朗々と読み下してゆこうとするものだか
   ら、内藤先生がおっしゃるように意味も出ない。気持ちも出ない。


  上甲幹一『朗読とアナウンス』131ぺには次のように書いてあります。

  昭和24年、終戦の虚脱から立ち上がり、新しい文部省著作国語教科書
が出始めた。まもなくコロンビアから、この文部省教科書の朗読レコードが
出た。吹き込みの指導者は、いずれもずっと朗読指導のベテランとして知ら
れている人々であるが、このレコードこそ、従来の学校朗読の伝統を、好い
も悪いも余すところなく示している。
  そのなかの五年生男子の朗読を聞いた感想はこうである。

(と言って、上甲幹一は次のように書いています。)

【例文】
   ぼくがいるために、うちの中が明るくなるように、できないも
   のでしょうか。ぼくがいるので、みんな楽しい気持ちのなるよ
   うにできないものでしょうか。
   学校では、組の友だちとなかよくして、助けあっていきたいと
   思います。かげで人の悪口をいわないようにしたいし、自分の
   持っているいいところを、えんりょしないであらわし、友だち
   のいいところを、すなおに学んでいきたいと思います。

 その児童は、赤字部分に限り、エアポケットに落ち込んだ飛行機のよう
に、今まで保ってきた調子からガクンと低く読み、それから、また急に、今
までの高さに戻るという奇妙な調子で読んでいる。こういう奇妙な調子がい
つごろから朗読の伝統の一つになったのかよくわからないが、意義のある習
慣とは、どうしても思えない。



  また、上甲幹一さんは、昭和36年当時の小学生に音読実態の傾向を述
べた論稿の中で、下記のように、奇妙な上がり下がりのある読み音調は昭和
36年当時だけでなく、戦前からあった読み音調だったと書いています。


 四年生の音読傾向。
  いままでと(荒木注。1〜3年生までの音読傾向)大差なく、スピード
は速く、声を張り上げるが、それでも三年生にくらべればスピードも声の高
さも幾分かはうちわになった感じもする。その代わり、一種の奇妙な調子が
出だした。
     しばらくして、けむりが だんだん きえていきました。
の文の、最初の文節「しばらくして」をごく低く、次の文節「けむりが」を
急に高くする奇妙な調子で読む者があらわれたのである。こういう式の妙な
気どり調子は、戦前からあったものだが、これが四年生に女児に出た。
   『現代教育科学国語教育』(明治図書)昭36年1月号より引用



。また、上甲幹一さんは、『朗読とアナウンス』134ぺには次のように書
いてあります。

  昭和29年、ビクターから国語教育レコード第一集(小学校用)、つづ
いて第二集(中学校用)が出た。このレコード製作の実質上の中心にはNH
Kの伊達兼二郎がなり、富田博之、佐々木定夫、大村はま、上甲幹一たちが
協力し、西尾実、波多野完治両博士に監修を仰いだ。
  製作の趣旨は、新しい時代の聞くこと話すことの指導の参考材料をみみ
から直接理解してもらうことをめざし、とくの朗読においては、従来から
の、不自然な朗読調を一掃し、新しい、すなおな朗読法はどうあるべきかを
実例によって示そうとしたものである。



  以上で、学校教育で「表現よみ」という音声表現の仕方・読み声・読み
方が主張されてきた理由が分かることでしょう。
  「表現よみ」という音読のしかたは、上述してきた当時の殊更に奇妙な
読み音調・音声表現の仕方に反発して「もっと自然な読み音調を」というこ
とから昭和20年代末から日本コトバの会の人々によって主張されたのでし
た。へんな読み調子を、おかしな節つけ読み調子をなくしよう、もっと自然
な読み調子で音声表現しよう、ということから主張されたのでした。そうい
う時代背景があったのです。

  戦前戦後にNHKラジオから流れてくるアナウンサー達の語り口調にも
奇妙な語り癖・語り音調・語り節がありました。自分を出さないのがよいア
ナウンスだ、極端に自分を押しかくした、事務的でよそよそしい、おつにつ
んとすましたしゃべり方、あさってのほうを向いた、よそゆきのしゃべり方、
そうしたステレオタイプ化されたアナウンス・しゃべり方の実態がありまし
た。
  テレビがまだなかったNHKラジオを聞いて幼少時を育った現在の6、
70歳代以上の人々は直ぐに当時のNHKアナウンサー達の奇妙な語り口調
を「そうそう、あった、あった。」と思い出すことでしょう。昭和60年代
以降から、NHKアナウンサーが書いた書物・論文の中に「自然な語り口で
話そう。自然な語り口で読もう。」という文章があらわれ出てくるようにな
ります。NHK出版発行本のNHKアナウンサー執筆の文章の中にも「自然な語り
口調でアナウンスしよう。自然な語り口で朗読をしよう。不自然なイントネ
ーションをつけてしゃべったり朗読したりするのはやめよう。うまくうたい
あげるよりも相手に伝える意識の方がとても重要だ。朗読は、よみ手の人間
としての、生活者としての息を吹きこもうということだ。」(NHKはなしこと
ば講座より)というようなことが書かれるようになり、こうしたことが強調
されるようになってきました。

松平定知さんの文章から
  松平定知(NHKアナウンサー)さんは、次のように書いています。

  松平定知(NHKアナウンサー、入局昭和44)さんが、NHKアナウ
ンサー音調、独特の節、調子読みがあったということを下記引用のように書
いています。NHKアナウンサー自身がにそうした読み節・読み調子があっ
たことを認め、こんな読み音調はいけないと批判を加えている、松平さんが
1986年に書いた論文です。1986年は昭和61年で、昭和60年代前半にそうし
た事実があり、そうした事実が問題視され、NHK内部から問題提示されてきて
いることが分ります。

 「朗読」は「ニュース読み」とは違うな──これは、テレビのニュース番
組に長く携わってきた私の、今の偽らざる思いです。ニュースの「読み」に
関して、私が「ブッキラボー論」なるものをアナウンス室に発表(アナウン
ス室・語りことば委員会編「ニュースの文体と音声表現・実践報告1」)し
たのは、いまから20年近く前、夜7時のテレビニュースを担当して2年目
の、1986年7月のことでした。
 「人によって随分違うかもしれませんが、NHKアナウンサーの”読み”
に対するたくさんの批判の中で、私が最もコタエルのは<感情(おもいい
れ)過多> <独特の節> <調子読み>といった類のことです。」で始ま
るこの小論文は、世間一般のNHKアナウンサーを批判、例えば「没個性
的」「非人間的」「精密機械」といったことにたいしては、「精密機械のよ
うに正確に淡々と事実を伝えていくことは私どもの大切な職能の一つである
ことをむしろ誇りに思うと言える部分もあるのですが」と反論をしつつ、
「しかし、声の調子をことさら作ったり、コメントによって読む表情までこ
とさら作ったりすることによっての、<独特の節>批判は、私には最もコタ
エルのです。」と続きます。
 この小論文での私の主張は、概略次のようなのもでした。
 (1)「そこに書かれてあるものを」を、誠心誠意、一字一句、丁寧に、
   心を込めて、一生県命に丁寧に読めば、必ずや相手に伝わりますよと
   いうこれまでの「教え」は、重大な誤りであった。
 (2)誠心誠意、一字一句、丁寧に、心を込めて読むとどうなるか。それ
   は往々にして一字一句全部が「立って」しまうしまう事態を招来す
   る。つまり、一字一句全部が、ことごとく「強調」されてしまう。そ
   の、落ち着かない「節読み」では「記者に伝えたい意味どおり」の伝
   え方には、絶対にならない。
 (3)ニュース原稿の中でかぎになる単語は、ワンセンテンスに、せいぜ
   い2つか3っつである。その「キーワード」を探し出したあとは、その
   「キーワーダ」こそを際立たせなければならない。そのためにはキー
   ワード以外は、極力ブッキラボーに読む、という意識が肝要。全部の
   単語を強調していては、その異様な節つき放送の中で、本当に強調す
   べきことばが、その「全語強調読み」の中で埋没してしまう。
  「そこのかかれてある文字」を、ただ単に音声化するのではなく、「意
   味を伝える」ために、工夫、努力をするということにおいては、「朗
   読」も「ニュース」も全く変わりありません。
    NHKアナウンスセミナー編集委員会『新版NHKアナウンスセミ
    ナー・放送現場から』(日本放送出版協会、2005)から引用



杉沢陽太郎さんの文章から
   杉沢陽太郎(NHK研修センター専門委員)さんは、次のように書い
  ています。杉沢さんの著書二冊から引用します。

  はじめに、杉沢陽太郎著『現代文の朗読術・実践編』(日本放送出版
協会、2004)からの引用です。
   杉沢陽太郎(NHK研修センター専門委員)さんは、NHKアナウン
サーの語りが「読む」音調から自然な「話す」音調に変化したのは、磯村尚
徳記者と松平定知アナウンサーの二人が「テレビのニュース番組」などで語
った「話し音調」の語り方がはたした役割が「とてもとても」大きいと書い
ています。

  来年(2005年)は、放送が始まって八十年になります。
  私がアナウンサーになったのは五十年前です。ラジオ時代からテレビ時
代への移行期でした。
  その五十年の間に、アナウンサーの世界に何が起きたか。
  一言で言えば、「読む」から「話す」への転換、変革と言えるでしょ
う。
  テレビ時代になったのだから当然と思われるでしょうが、それが簡単な
ことではなかった。もし、磯村尚徳記者がいなかったら、松平定知アナウン
サーがいなかったら、もっと遅れたかもしれません。このイトコ同士がが果
した役割はとてもとても大きいのです。

  松平アナは、「話す」ためには、「息」を吸うことだと、体で実験して
くれました。
  もっとも最初のうちは、あの息の吸い方は「あざとい」とか、騒々しい
とか、悪評ふんぷんでした(いまでもそう言うひとはかなりいますが)。
  なにせ、吸う息の音がマイクに入ってはいけない、夾雑音だと言われ続
けてきた我々の世界で、誰かが先ず先鞭をつけないと始まらなかったので
す。いま若いアナウンサーが、少なくとも自然な話ことばで話せるように
なったのは、どこかで松平アナの影響を受け、息がダイナミックに吸えるよ
うになったからだと、私は思っています。
    
杉沢陽太郎『現代文の朗読術・実践編』(日本放送出版協会、
    2004)101〜102ぺより引用


  次に、杉沢陽太郎著『現代文の朗読術入門』(日本放送出版協会、20
00)からの引用です。
  杉沢陽太郎さんは、新劇俳優のせりふ語りについて次のように書いてい
ます。

  蜷川幸雄さんと話したとき、私はこう言いました。
  「以前、『新平家物語』という大河ドラマがあったでしょう。あのとき
の蜷川さんの西行が忘れられません。一人だけ、ふつうに話していたんだも
の」と。
  蜷川さんはちょっと嬉しそうな顔をして、「だから俺は俳優失格だった
んだよな」と言って笑いました。今、そういう人が演出をしているから、新
劇も変わってきたのでしょう。ともかく、以前の新劇のせりふが、不自然に
聞こえたことは確かです。

  朗読もそうで、朗読というからそうなるのか、朗々といい声を響かせる
のが朗読だと思っている人がいます。古典の語りなどはそうあるべきだろう
と思います。しかし、現代文の場合は、そこから入ると、少なくとも今の段
階では、何かが違ってしまうと、私は感じています。
     
杉沢陽太郎著『現代文の朗読術入門』(日本放送出版協会、
     2000)34〜35ぺから引用



  前述した新劇風の朗読口調はラジオの時代はずうっと継続し、テレビの
時代に入って、映像に茶の間の日常談話口調が浸透することで、鴨下さんが
言うようにしだいに日常話すように朗読する、自然な読み音調に変わってき
たように思われます。鴨下さんは、2004年刊の前掲書で「いまだにその
残りカスがずいぶんある。」と、現在もテレビ舞台、朗読の演出で活躍して
いる鴨下さんが書いています。

  わたしも同感です。現在も、テレビ、ラジオ、舞台朗読の上演から聞こ
えてくる朗読音調には「朗読とはこんな音調スタイルがあるのだ」という、
昔からの出来合いのへんな節つけ読み、唱い音調を引きずった朗読音調が軽
重の差はあるが多く耳にします。
 

高梨敬一郎さんの文章から
  高梨敬一郎(元NHKアナウンサー)さんは、次のように書いています。高
梨敬一郎『これが本当の朗読だ』(大阪書籍、2005)から引用しています。

  NHKアナウンサ−は苦い経験を持っています。今から三十年ほど前、「N
HKのアナウンサーは、顔が違うのに誰のアナウンスを聞いても同じに聞こえ
る」という声があちこちから聞かれるようになりました。あらためて私のア
ナウンスもふくめてNHKのアナウンサーのしゃべりを聞いてみると、まさし
くそのとおりです。「一音一音ていねいに発音しているのにどうしてこうな
るのだろう」と私たちは悩んできいました。
  ところが、ある日、バングラデシュのダッカ空港で日本航空機がハイジ
ャックされました。バングラデシュにはNHKの記者が駐在していません。事
件の詳しいことは外国の通信社の情報が頼りです。情報は当然のように英語
で送られてきます。日本語担当の私たちアナウンサーに代わって、英語に堪
能な記者がカメラの前で情報を伝えたのです。すると、この記者のしゃべり
がよく伝わるのです。私はこれを録音しました。あとで聞くと何人ものアナ
ウンサーが同じことをしていました。
  「なぜこのアナウンスがつたわるのだろう……」。私たちは録音を繰り
返し聞きました。結論は簡単なことでした。「この記者は普通にしゃべって
いる」ということでした。一音一音ていねいに発音しようとして自分の声で
ない「作り声」でしゃべっていることに気がついたのです。この経験から、
NHKのアナウンサーは「普通にしゃべろう」運動を始めるのです。
  「アナウンサー調」とでもいうべきアナウンスから、自分の本来持って
いる自然な声で伝える放送を目指したのです。今皆さんが日々耳にされてい
るNHKアナウンサーのアナウンスは、こうした苦い経験の反省の上に成り立
っています。
  高梨敬一郎『これが本当の朗読だ』(大阪書籍、2005)より引用


  高梨さんは、「今から三十年ほど前」と書いています。この本の出版は
奥付によるとが2005年刊ですから、三十年前は1975年となります。つまり、
昭和50年前後にNHKアナウンサーたちに上述のようなことが話題となり、
「作り音調」から「自然な音調」への「アナウンス・しゃべり音調」の変化が
あったと言うことになります。



      
新劇草創期の語り音調さぐり苦労話


  小沢昭一さんは、新劇草創期における朗誦術(せりふ音調、語り音調)
の創成には大変な苦労があったと、先輩俳優さんたちから聞かされたと下記
ように書いています。
  小沢昭一さんは、1929年生まれで、早稲田大学に在学しながら1949年に
俳優座付属養成所2期生となりました。敗戦4年後のまだ殺伐としたドサク
サの社会状況のなかでした。歌舞伎から新劇が出たわけですが、歌舞伎の七
五調の朗誦術からどう脱皮するか、一部引用すると、
・「明治になって歌舞伎的朗誦術が崩れてきたとはいうものの、いままで教
養として見聞きしていたのが歌舞伎のようなものですから、新劇を始めた
人々も、どうしてもその特殊な節回しに縛られていたわけです。新劇の俳優
は、何かそうではない新しい話し方を考えたのだが、それはいかにも難し
い。」
・「新劇が始められたときには、規範となる術は何もないわけです。ぼくら
の教本になったのは、スタニスラフスキー・システムというのですが、一口
に言えばこれはリアリズム。」「新劇創成期の写実演技は大変だった」
・「もうひとつ翻訳劇の問題があったわけです。あの頃翻訳者は、俳優の新
しい言葉の表現を要求してそれを戯曲の中に盛り込むということに関しては、
それほどの情熱もなかったらしいし、だらから俳優は在来の歌舞伎の呼吸か
ら、本質的にはそんなに離れられないところで仕事せざるを得なかった」
と、書いています。
  以下に、本稿関連の全文を引用します。月刊文芸雑誌『ユリイカ』昭和48
年3月号より引用。

  昔の俳優には、ものを喋る時の形式というものがありました。たとえば
歌舞伎なら七五調を歌い上げていくリズムがあって、役者が長い時間をかけ
て作りあげてきた朗唱術があったわけです。ところが、新劇が始められた時
には、規範となる術は何もないわけです。ぼくらの教本になったのは、スタ
ニスラフスキー・システムというのですが、一口に言えばこれはリアリズム。
つまり日常生活のなかで使っている言葉が基本になるわけです。ところで、
明治になって歌舞伎的朗唱術が崩れてきたとはいうものの、いままでに教養
として見聞きしていた歌舞伎のようなものですから、新劇を始めた人々も、
どうしてもその特殊な節回し、言回しに縛られていたわけです。新劇の俳優
は、何かそうではない新しい話し方を考えたのだが、それはいかにも難しい。
現在では、昨日までコーヒー屋の姐ちゃんだった人が何故か抜擢されてテレ
ビドラマに出てくるということがあって、そんな場合「あら、お父さん帰っ
たの、お帰りなさい。」と、普段自分の父親に言っているのと同様にテレビ
でも言えるようになった。ところがぼくらの先輩たちは、そんな言葉ひとつ
でも、写真的に表現するというのがとてもできなくてずいぶん苦労した。
  ぼくらが新劇に入って見よう見まねで芝居をやっていた時でも、明治生
まれの先輩たちが「おまえ達が、今普通にやっているやり方を新劇が獲得す
るまでにはずいぶん時間がかかった。自分たちはできそうでできなかっ
た。」と述懐している。
  それほど、リアルに喋るということは難しいことだったわけです。新劇
の最初のころの創作劇などを今読んでみると、やはり普段の生活語ではなく、
特殊な芝居の言葉になっています。言葉がそうだから、それを日常的呼吸で
こなすというのはなかなか難しい。だから新劇創成期の写実演技は大変だ
ったでしょう。
  もうひとつ翻訳劇の問題があるわけです。あの頃翻訳者は、俳優の新し
い言葉の表現を要求してそれを戯曲のなかに盛り込むということに関しては
それほどの情熱もなかったらしいし、だから俳優は在来の歌舞伎の呼吸から
本質的にはそんなに離れられないところで仕事せざるを得なかった。ひょっ
とすると写実になったら日常生活と同じで、つまり意味がない、舞台の言葉
は日常の言葉とはやはり違う、と考えてわざと写実にしなかったのかもしれ
ません。いずれにせよ言葉も表現術も現在のレベルに到達するには相当時間
がかかったようです。
  芥川也寸志さんから聞いた話で、こんなことがあります。新劇の先輩た
ちは外国の演劇から出発したわけで、文明開化の表現術が欲しいと思ってい
たわけですが、そうすると外国映画もあるわけです。ところが当時の映画は
無声映画で、言葉というのは弁士がつけた。例のあの「メリーさん、メリー
さん」とかいうのをね。弁士が外国の朗唱術に詳しいことはないと思うけど
どうしてもそれを外国の言葉として聞くから、ぼくらの先輩たちは、新劇の
朗唱術を、自然、活弁調から取り入れた、と、これが芥川説です。そればか
りではないと思うけど、そんなふうに先輩たちは少しでも新しいものをやろ
うとしたわけです。
  それで、青山杉作先生という演出家が出て、非常にナチュラルな表現の
仕方に固執して、日本の俳優をいろいろな部門で訓練し、自然にものを喋る
ということも、ぼくらが新劇に入った頃には随分体系化してきた。千田是也
先生が「近代俳優術」というのを作って、そんなところからぼくらの修業が
始まったわけです。ですが、新劇の場合、ものを喋る形式が肉体化したもの
としてできあがっているかというとちょっと疑わしい。まだまだいい加減で
歌舞伎が七五調を基本にした朗唱術を作ったのに十分に対抗しうるデクラ
メーションというのはまだできていないわけです。スタニスラフスキー・シ
ステムという基本があるけれど、何と言ってもスタさんはロシア人です。言
葉と風土は密接に関連するものですから、やはり日本には日本なりの方法が
出てこなければいけないと思います。
 『ユリイカ』(1973年3月号、青土社)所収、小沢昭一論文より引用



           
新しい新劇運動
  

   昭和40年代に入り、脱新劇的な運動が広まりました。唐十郎、鈴木
忠志、寺山修司、佐藤信、つかこうへい、野田秀樹らのすぐれた小劇場の
リーダーたちが活躍しだします。朗読の読み方も少しずつ変化し、ナチュラ
ルさが出てくるようになってきます。
  平成の今日の朗読の状況は、時代が経るにつれて読み音調も変化し、今
も変貌を続けており、多様化してきております。旧来の新劇音調で読む新劇
俳優も若干名おりますし、「朗読」の読み音調は「表現よみ」に限りなく近
い読み方をする人もおり、全くの表現よみで読む人もおります。また、アナ
ウンサーのようにどことなく覚めた、気持ちのこもらない、空の語りで読む
人もおり、あるいは、これがわたしの個性だといわんばかり独特な型・奇妙
な読み癖でどんな作品もそれに当てはめて読む人もおり、エンターティナー
として聴衆の反応におうじて読み方を自由自在に即席で変化させながら読む
人もおります。また、空芝居がかった口先の技術ですべてに同じ型はめして
読む人もおります。作品のもつ文体にかかわらず、すべてナレーション音調
にして読む人もおります。
  このように現在の「朗読」の読み音調は多種多様なものを包み込んでお
り、「朗読」の読み方(概念の内包)はこうだと、朗読概念を定義すること
は、きわめて困難な今日的状況にあると言えます。

  もちろん現在では自然な「表現よみ」音調で読んでいる俳優さんやアナ
ウンサーさん達もたくさんおられます。「朗読」音調は「表現よみ」音調に
しだいに近づいてきていると言えましょう。従来の朗読音調で読む人は少し
ずつ減少してきており、わたしがこれまで主張してきた表現よみ音調で読む
人がしだいに増加してきています。現在の俳優さんの中では、従来からのへ
んな読み節のついた朗読調で読む人は少なくなりつつあります。表現よみ音
調に近づいてきつつあります。


             
次へつづく