音読授業を創る そのA面とB面と         11・6・23記




 
明治以降の素読・朗読の変遷史(明治期前編)




            はじめに


  本稿シリーズでは、江戸時代の教育機関(寺子屋、漢学塾)で盛んだっ
た「素読」が明治以降の学校教育においてどう変遷していったか、そのアウ
トラインを書くことにしたい。
  当時の国語・朗読関係の書物から素読・朗読に関する理論や教授法につ
いて書いてある文章を現場教師の実践的な観点から引用することを本旨とし
ている。
  引用個所について荒木の感想意見のコメントを添えている。コメントは、
その場その場で気づき、浮かんだ事柄を気ままに書いている。何ら一貫性な
く楽しみながら書いていることをお断りしておく。

  明治期を、二つに区分けして掲載している。明治期前編と明治期後編と
である。明治期全体を総て一枚にして掲載するとダラリと下方へナガークぶ
ら下がってしまう。文章が読みにくくなってしまうので、明治期全体を切れ
のよい個所で折半している。全くの機械的な区分けにしか過ぎなく、何ら根
拠のない機械的区分けであることをお断りしておく。

  明治以降の「素読」指導の変遷に焦点化して書いていくわけだが、脱線
してあちこちに領域を広げないためにも「素読」の定義を次の五つにしぼり、
それに付随する国語教育上の事柄について書いていくことにしたい。五つの
条件とは、こうです。
素読の条件1……読む文章は漢文、文語文である。
素読の条件2……意味内容を教えない。文意を教授しない。
素読の条件3……声を張り上げて、繰り返し読みをする。
素読の条件4……暗誦で終了する。
素読の条件5……教師(師匠)からの一方的な教え込みである。
  なお「素読」指導の変遷は、朗読(広く音声表現、つまり音読・斉読・
群読・集団朗読・脚本朗読・表現よみ・役割音読など)指導と連関して変遷
しており、これら音声表現指導をひとつのものとしてその変遷史の素描を
書いていくことになる。こうした観点に焦点化して書いていくことにしたい。

  本稿を書くにあたって事前に漠然とした仮説を持っている。「明治以降
の学校教育における素読の変遷史は、素読・通読・朗読・音読・黙読・斉
読・群読・表現よみなどの学校教育における変化発展の歴史でもある」とい
う仮説である。これを検証しつつ書いていくことになるだろうが、それに引
きずられないように領域を広げて自由に書いていきたいという希望も持って
いる。

  本稿シリーズに登場する人名については、簡単な紹介を付ければよいの
だが、すべて割愛している。なにせウェブ上の記事ですので、長文になるこ
とを避けており、簡単・簡明な記述をめざしている。登場する人名は国語教
育史では著名人ばかりである。そちら関係の書物に譲ることにする。



明治5年
 
 学制が発布される。下等小学で習う教科目は14で、その中で国語関係は
七科目である。今日の学習指導要領にあたる「小学教則」には、下等・上等
小学の国語関係の教課目について下記のように書いてある。第八級から第四
級までの国語関係科目の実施細則の幾つかを下記に引用する。

綴字(カナヅカヒ) 一週六字 
 生徒残ラス順列ニ並バセ知恵ノ糸口うひまなび絵入知恵ノ環一ノ巻等ヲ以
 テ教師盤上ニ書シテ之ヲ授ク前日授ケシ分ハ一人ノ生徒ヲシテ他生ノ見エ
 ザルヤウ盤上ニ記サシメ他ハ各石板ニ記シ畢テ盤上ト照シ盤上誤謬アラハ
 他生ノ内ヲシテ正サシム
習字(テナラヒ) 一週六字
 読み方と関係ないので、本稿省略。
単語読方(コトバノヨミカタ) 一週六字
 童蒙必読単語編等ヲ授ケ兼テ其語ヲ盤上ニ記シ訓読ヲ高唱シ生徒一同之ニ
 順誦セシメ而シテ後其意義ヲ授ク但日々前日ノ分ヲ暗誦シ来ラシム
単語暗誦(コトバノソラヨミ) 一週六字
 一人ツツ直立シ前日ヨリ学ブ処ヲ暗誦セシメ或ハ之ヲ盤上ニ記サシム
会話読方(コトバノヨミカタ) 一週六字
 会話篇ヲ以テ授クルコト単語篇ノ法ニ同ジ
会話暗誦(カイワアンショウ) 一週四字
 臠ニ学フ所ヲ一人ツツ処ヲ変ヘテ暗誦シ又ハ未タ学ハザル所ヲ獨見シ来テ
暗誦セシム
読本輪講(ヨミホンリンカウ) 一週六字
 既ニ学ヒシ所ヲ暗誦シ来テ一人ツツ直立シ所ヲ変ヘテ其意義ヲ講述ス
読本読方(ヨミホンヨミカタ) 一週六字
 西洋衣食住学問のすすめ啓蒙知恵ノ輪等ヲ用テ一句読ツツ之ヲ授ケ生徒一
 同之ニ準誦ス
文法(ブンポウ) 当分欠ク
 ○○ノ書ヲ用テ詞ノ名詞ノ諸変化ヲ授ク尤暗誦ヲ主トス
【荒木のコメント】
  初めに注記。「一週六字」とは「一週六時」のことである。
  新らしい教育体制が組織されたとはいっても、直ちに新校舎がどしどし
建設されたわけではなかった。寺子屋、集会所、寺院、旧学館、旧家の大広
間などが小学校として使用された場所もたくさんあった。また、従来の寺子
屋や藩校の教育の考え方や指導方法が直ちに排除されたわけでもなかった。
「学問とは漢籍を学ぶことだ」の寺子屋の読み学習の流れは明治期の終り頃
まで続いていた。まだ民間教育機関の寺子屋も町人には人気があり、寺子屋
で読み書き算盤を学ぶ子どももたくさんいた。民間の漢学塾や寺子屋で漢籍
の素読を学ぶ子どもたちもたくさんいた。
  明治学制の教育制度や教育内容はフランスやアメリカの焼き直しで、翻
訳が多く、当時の日本国民が求める教育内容とは大きくかけ離れていた。日
常の言語生活の実態とかけ離れ、児童生徒の発達段階に遠い言語材料が多か
った。欧米の教科書の模倣の語学的見地から採用されているにすぎなかった。
つまり、欧米の翻訳物の日本適用は日本国民に歓迎されなかった。
  だが、一方、明治4年の廃藩置県、同5年の学制発布の新制度は江戸時
代の幕藩体制を根底から転換させ、中央集権の明治政府のハード面とソフト
面に少しずつ着実に基礎固めをしていった。政府から発せられる法規の規制
は徐々に国民生活を統制していった。明治時代に幾度となく打ち出された教
育法規の改正は着々と明治の教育体制を強固なものとしていった。この統制
がいびつなまでに強固となり悲劇の結末となったのが昭和初期の国民学校の
教育制度の皇国教育、軍国教育となる。

  さて、上記した明治学制の小学教則には各教科目の指導方法が書いてあ
る。これらを読むと、江戸時代の寺子屋や漢学塾と違っていることが分かる。
教科書は四書五経などの漢籍ではない。明治の教科書は、カタカナ・ひらか
なの単語から入り、漢字の単語学習へと指導していく。「知恵ノ糸口」「う
ひまなび」「絵入知恵ノ環」などは「いろは、ひとつ・ふたつ、ちち・はは、
くさ・き」などから始まる綴字の入門教科書である。「童蒙必読」は「てに
は、ひらかないろは、数字、濁音、曜日、府県名、国名」などの単語入門書
である。「西洋衣食住」「学問のすすめ」「啓蒙知恵ノ輪」は欧米の諸事情
を学ぶ啓蒙読み物である。指導方法には、問答法が取り入れられ、寺子屋時
代の一方的な知識注入指導とはちがっている。
  「文法ハ当分欠ク」とある。明治学制は欧米の教育制度の模倣であり翻
訳物であった。欧米では文法指導はあったが、日本では日本文法が未完成で
あり、それで「当分欠ク」と書いてある。こうしてみると明治学制の教育制
度はいかに欧米の制度に引きずり回されていたかが分かる。

  新学制を簡単にまとめてみよう。明治学制の教科書は、江戸時代の素読
教科書であった『論語』『孟子』『中庸』『大学』『女大学』『文章軌範』
『小学』『日本外史』『皇朝史略』などの漢籍とは全く違っている。
  冒頭で記した素読の条件1「読む文章は漢文、文語文である」は学制発
布と同時に初等学年において漢籍は消えている1学年の学習は日常卑近な単
語(カタカナ、ひらかな、漢字)の読み書きから始まっており、上学年にな
るにつれて口語文よりも文語文の教材文が多くなる。児童の発達段階が顧慮
された提出となっているのは大きな変化である。
  素読の条件2「意味内容を教えない」も明治学制になって消滅している
ことが分かる。「高唱シ」「順誦」の後に「其意義ヲ授ク」と書いてあるこ
とで分かる。
  素読の条件3「声の張り上げ読みを繰り返す」は江戸時代の素読教授と
連続していることが分かる。「高唱」と「順誦」は一度だけでなく繰り返さ
れたことが推察できる。
  素読の条件4「暗誦で終了する」も江戸時代の素読教授と連続している
ことが分かる。それは「訓読ヲ高唱シ生徒一同之ニ順誦セシメ而シテ後其意
義ヲ授ク日々前日ノ分ヲ暗誦シ来ラシム」「前日ヨリ学ブ処ヲ暗誦セシメ」
「生徒一同之ニ準誦ス」という文言があるように教師の範読を生徒が模倣読
みで繰り返す「準誦」、生徒が声高らかに一人づつ読み上げる「高唱」「順
誦」、教師が単語、文の意味内容を解説し教える「其意義ヲ授ク」などで分
かる。暗誦は前日に学習した内容を翌日に暗誦発表するが多く取り入れられ
ている。すべて暗誦は家庭の宿題として課されているみたいだ。
  素読の条件5は、問答法が取り入れられたので、教師から児童への一方
的な教え込みではなくなった。が、児童の興味関心を引き出して、児童の自
主的な作業学習を取り入れるという児童中心主義の指導法ではない。問答法
も教師から児童へ知識注入のための一方法でしかなかったようだ。



明治12年
 教育令が発布される。学制時の小学区の制度を廃して、各町村または町村
連合の公立小学校を設立することとなる。翌13年の「小学校教則綱領」は、
国語に関する科目は読書、習字の二科目となり、読書はさらに読方と作文と
に分かれた。



明治17刊年・若林虎三郎・白井毅編『改正教授術』より
 下記は、若林虎三郎・白井毅編『改正教授術』(明治17年、普及社)
からの引用である。
  観念ヲ先ニシ表出ヲ機スルノ主義ニ従ヒ生徒ノ平生談話シテ熟知スル所
ノ事物ヲ書記セル符号即文字ヲ以テ認識セシムルヲ以テ目的トスヘシ斯クノ
如クスレバ生徒文字ヲ学ブビ当リ唯其形と音トニヨリテ空記スルノ弊ヲ免レ
観念ト文字トヲ結合シテ記憶スルヲ以テ其記憶ハ自ラ牢固ニシテ抜ケ難カル
ベシ(中略)
  教授ヲ始ムル前ニ教師ハ生徒ト暫時間談話問答シ本日学ブベキ主意ヲ了
解セシメ且重要ナル文字殊ニ生徒ノ初メテ見ル文字ヲ塗板ニ板書シ其読方及
意義ヲ充分ニ理解セシムベシ
  問答及摘書ヲ為シタル後ハ生徒ヲシテ書ヲ開カシメ素読セシム素読セシ
ムル時ハ各読ト斉読トヲ用イルベシ各読ノ時ハ指命サレタル生徒ハ机側ニ出
デテ直立シ立読スルヲ要ス
  素読ノ後講義ヲ為サシム講義ハ各生ヲシテ交番ニ為サシム一斉ニ講ゼシ
ムルコトハ甚ダ宜シカラズ(中略)
  斉読ノ際生徒ハ好ミテ節(フシ)ヲ付ケ恰モ寺僧ノ経ヲ読ム如キ調ヲ為
スモノナリ此等ハ極メテ悪キコトナレバ教師ハ厳格ニ之ヲ制スベシ平生人ト
談話スル如クナサレムルヲ要ス。

【荒木のコメント】
  文字だけを取り出して教えるのでなく、児童の日常の言語生活によく出
てくる事物をとりあげて意味と文字を結びつけ書きしるして記憶させるとい
う主張は画期的な変化である。同年発行「如子教育学」(下記)にも同様な
ことが書いてあり、当時の教授法の教育思潮でもあったようだ。
  本文を読む前に題材に関する問答をするのはヘルバルト教授法の「予備
段階」と同じで、ヘルバルト教授法の予兆が見られる。そこで初見の文字の
読みと意味を教える、素読教授法からの乖離がみられる。既にこの時期に
「板書」「斉読」という教育用語があったことが分かる。
  ここでの素読とは「素読の条件2・意味内容を教えない。文意を教授し
ない」ではなく、内容を考えつつ個々人が音読するということと解する。
  教師から講義(意味内容を教えてもらう)を受ける時は個別指導で生徒
は机のそばに出て直立して聴くとある。教師はその子の能力に合った言葉で
個別に違えて語るは、寺子屋時代のすべて個別授業、一斉授業はなかったが
ここで受け継がれていることが分かる。
  「恰モ寺僧ノ経ヲ読ム如キ調」の読み癖を矯正すべし、と書いてある。
この傾向は現在もまだまだ続いており、荒木が本HPで繰り返し主張してい
る学校教育における読み音調は、朗読音調でなく、表現よみ音調であるべき
だに受け継がれている。「平生人ト談話スル如クナサレムルヲ要ス」の「話
すように読む、語る」は敗戦後になってNHKアナで話題になり、NHKア
ナの語りに大きな変化があった、既に明治17年に「談話スル如ク」の指摘が
あったことに驚く。これの詳細は本HPの「表現よみ教育の歴史・第一部」
を参照のこと。



明治18年刊・有賀長雄訳注「如子教育学下」より
 下記は、ゼイムス・ジョアンノ著、有賀長雄訳注「如子教育学下」(明
治18、牧野書店)からの引用である。
  素読演習ハ端緒ヲ単語ニ開クノ法ヲ取ルモ或ハ又句節ニ開クノ法ヲ取ル
モ可ナリ。先ツ第一ニ観念(言詞ノ表示)又ハ思想(句節表示)ヲ開示シ、
生徒喜テ之ヲ心ニ留ムルニ至ルヲ竢テ、其観念其思想ヲ表示スル所以ノ言詞
句節を授クルヲ善トス。即チ生徒ノ注意ヲシテ主トシテ実有ノ知識ヲ為セル
者ノ上ニ著セシメオキ、其問偶然ニ求メズシテ字母ノ名称及ヒ音訓を収得セ
シメンコトヲ計ルヘキナリ。
  句読法ニ於イテハ、誦読ニ供スル句節ヲシテ、必ズ生徒ノ十分ニ理会テ、
スル所ノ思想ヲ表示スル者ナラシメ、且ツ誦読ノ法ヲシテ同一句節ヲ……生
徒ヲ導指シテ直接ニ実物ヲ臨蟇セシメ、又近易ノ形様ヲ色々ニセシメテ、工
夫書学ノ基本トスベシ。
【荒木のコメント】
  「素読演習」(ここでは教材文を声に出して読むの意)は先ず第一に意
味内容を教え、徒に理解してないものを音読させないこと、子どもが喜ぶ教
材を与えること、実用の知識を授けることなど実利実用主義に徹することと
書いてある。
  つまり、ここでは「素読の条件1・読む文章は漢文、文語文である」と
「素読の条件2・意味内容を教えない」は否定されており、学制時の教科書
の単語そのものの指導よりも文意・意味内容の教授に重点が置くべきと書い
ている。



明治19年
 小学校令が制定される。小学校が尋常4年、高等4年となり、尋常4年が
義務教育となる。読書、習字のほかに作文がおかれ、三学科となる。
 新しい小学校令に基づいた文部省発行の初学年用国語教科書「読書入門」
の序文(教師向け手引書)には次のように書れている。
 此書ハ、年齢六歳以上の初学者ニ、文字ヲ読ムコトト、字形を石盤上ニ書
クコトトヲ教フル用ニ供シタルナリ。
 此書、従前ノ読方入門トハ、大ニ其趣ヲ異にニシ、単ニ読ムコトノミヲ主
トセズ、同時ニ書クコトヲモ、併セ授クル方法ヲ設ケタリ。
 読ミ書キヲ併セ授ケンニハ、其文字ヲ易キヲ先ニシテ、難キヲ後ニスルヨ
リ善キハナシ。

【荒木のコメント】
  国語科は、読書・習字・作文の三学科となった。学制時の綴字・習字・
単語・会話・読本・書牘・文法と比較すると大きな変化である。しかし、指
導方法は問答式注入主義で、「素読の条件5・教師(師匠)からの一方的な
教え込みである」はまだ連続していることが分かる。実践例を読むと、声に
出しての読み上げは、個人読みや斉読が使用されている。



明治23年
 教育勅語が発布される。小学校令が改正される。当時の教育界はヘルバル
トの五段階教授法が広く流行していた。ドイツの教育学者ハウスクネヒト氏
が東京帝大講師としてヘルバルト主義の教育学を講義した。その門下生の谷
本富(トメリ)の祖述が最も大きな影響を与えた。
【荒木のコメント】
  ヘルバルトの五段階教授法は、予備・提示・比較・概括・応用の段階指
導で、朗読の指導は教師によって相違はあるが、多くは予備段階で教師が教
材文を提示し、教師の範読、児童の個人読や児童の斉読があり、応用段階で
朗々と繰り返して朗読し、そして暗誦する、という教授段階になっている。
  荒木が思うに現在の三読法における通読段階で音読し、味読段階で朗読
するというパターンがヘルバルト教授法の辺りから何とはなしに出現し、定
着していく萌芽が出てきているように思われる。ヘルバルトの教授法は、全
教科に五段階を当てはめ、形式を整えることに窮して行き詰った。明治30年
後半からヘルバルトの五段階法は下火となっていった。



明治24年
 「小学校教則大綱」が定められた。その大綱には次のような文章がある。
 
 「近易適切ナル事物ニ就キ平易ニ談話シ其言語ヲ練習シテ仮名ノ読ミ方、
書キ方、綴リ方ヲ知ラシメ次ニ仮名ノ短文及近易ナル漢字交リノ短文ヲ授ケ
漸ク進ミテハ読書作文ノ教授時間ヲ別ケ読書ハ仮名文及近易ナル漢字交リ文
ヲ授ケ」「読本ノ文章ハ平易ニシテ普通ノ国文ノ模範タルヘキモノナルヲ要
ス」

【荒木のコメント】
 これを読めば、読書作文の読本(教科書)は「近易適切ナル事物ニ就キ平
易ニシテ普通ノ国文ノ模範タルヘキモノ」とあり「素読の条件1・読む文章
は漢文、文語文である」は次第に漸減しつつあることが分かる。しかも、こ
の大綱は明治33年の「小学校令施行規則」に受け継がれ、ながく明治の初等
教育を統括していくことになる。



明治24年、坪内雄蔵「読法を興さんとする法」
より

 下記は、坪内雄蔵『逍遥選集・第11巻』(春陽堂、昭2)からの引用
である。この論文は明治24年に発表されている。ここで坪内逍遥は、読法
に機械的読法、文法的読法、論理的読法の三種類があると書いている。

  読法を大別して三種とす。機械的読法と文法的読法と論理的読法と是な
り。夫の黙読も読法の一種なりと雖も、実は、前にいへる三読法を無言にて
行へる外ならねば、ここに別目とはせざるなり。蓋し読む者の才学、識見の
多少によりて、其の名は同じやうに黙読といふときも、其の効用の実際は或
ひは機械的読法なるもあるべく、或ひは文法的読法なるもあるべく、或ひは
論理的読法なるもあるべければなり。……黙読は人次第にて三読法に相通な
りと知るべし。

【荒木のコメント】
  坪内雄蔵には、朗読法についての論文が管見によると四つある。二つは
読本朗読に関するもので、あと二つは脚本朗読に関するものである。
読本朗読に関する論文
(1)「読法を興さんとする趣意」明治24年4月「国民之友」発表。
(2)
「読書法を説きて国文研究者に望む」明治27年稿、初出未詳。
脚本朗読に関する論文
(3)「脚本の朗読法」大正9年4月「演芸画報」発表。
(4)「脚本朗読術研究の必要」昭和4年執筆。
以上は、すべて『逍遥選集』に収められている。(4)は第一書房の「逍遥
選集別巻第五」にあり、(1)から(3)までは第一書房版逍遥選集、春陽
堂版逍遥選集、ともに所収されている。本稿ではすべて(1)からの引用で
書いてある。
  逍遥は、読本朗読には機械的読法と文法的読法と論理的読法との三種類
があると書いている。これを三読法と呼んでいる。現今の読解指導過程でい
われている三読法とか一読法とかとは全く別の内容である。黙読は読み手
(読み方)によって三読法(三段階)のいずれにもあると書いている。

  まず第一段階の機械的読法について次のように書いている。

  機械的読法とは、俗にいふ素読なり。文章の句読をだに殊更には注意せ
ずして、只文字の並びつながれる順序を追ひて、例へば小児が『論語』『大
学』などを素読し、(中略)只さらさらと読み流しゆくをいふ。さて此の読
み方をする人の声いと朗かにて、流暢ならば、之れを褒めて立板に水を流し
たらんやうなりといひ、譏りて素直なるノッペラ棒読みといふ。さて又いと
いと拙き時には、之れを嘲りて「弁ケイ、ガナ、ギナタ」読みとも、村雨過
ぎての雨だれ読みともいふ。(中略)其の声は流暢にて朗らかなるなるにも
拘わらず、文意ところどころ解しがたく、若しくは唯々おぼろげに聴き取ら
るるのみに止まることあり。(中略)所詮、読む声に情無く、温度なく、生
活なし。此の法或ひは名づけて死読法ともいふべくや。今は教育普通の世な
れど、百人に就きて死読法を行ふもの、少くとも九十人の割合ならん。而し
て死読法にて文を読める者に、其の文の本旨を解し得るもの、予の経験によ
れば、殆ど無し。

【荒木のコメント】
  「機械的読法とは、俗にいふ素読なり」と書いている。逍遥は「素読」
に何の価値も置いてないと読みとれる。「機械的読法」は「ノッペラ棒読
み」「「弁ケイ、ガナ、ギナタ」読み」「雨だれ読み」とも呼ばれると書い
ている。これは「死読法」であり、文意理解の程度は「予の経験によれば、
殆ど無し」と書いている。一割に満たないと書いている。
  このように逍遥は「素読」を過小評価していることが分かる。逍遥の素
読観については、本HPの第10章「名文の暗誦教育についてのエッセイ」の
「自伝からみた明治初期の素読風景」を参照してください。

  つぎに第二段階の文法的読法については下記のように書いている。

  文法的読法は、所謂朗読法の本領にて、又の名を正読法ともいふべし。
発音は法に合い、句読は宜しきを得、読み声の緩急が善く文意と調和して正
当なるが故なり。即ち文章を朗読して他人の聴覚に訴え、彼れの視覚に訴え
たらんと同様の感銘を生ぜしめんと力むるものなり。
 文法的読法と機械的読法との第一に異なる所は、彼れは読む声に調子無く、
変化無く、是れには読む声に抑揚あり、緩急あり、句読あり、多少句拍子の
変化あり。文法的読法は、文章の意味を明瞭に且較著に会得せしめんことを
旨とす。故に、読むに先立ちて、先ず深く文の品質を留意し、且其の体格を
分別し、細かに句読に心を用ひ、をさをさ発音の誤り無からしめ兼ねて音訓
の別を正しうし、時に文義を斟酌して、多少の句拍子を附け、声の緩急を考
へ、あくまでも文章の本意を明晰ならしめんと力む。
  世間時としては馬琴の七五調、俊基の吾妻下り、若しくは近世志士が作
れる長歌やうのものを句調子附けて抑揚頓挫して誦するものあれど、かかる
は唱歌的句拍子といふものにして、拍子あれど、文法にも将た論理にも適わ
ず。こは一種の機械的読誦法なり。即ち五七、七五等の句拍子に釣られて、
我知らず調子づきて誦するのみ。こは予が所謂文法的読法の句読並びに句拍
子は此と異なれり。即ち声の抑揚と弛張は文義に従ふものと知るべし。

【荒木のコメント】
  「文法的読法は、所謂朗読法の本領」であると書いている。文法的読法
は、「読む声に抑揚あり、緩急あり、句読あり、多少句拍子の変化あり」と
書いている。「多少句拍子の変化あり」とある。「多少」とわざわざ書いて
るわけは、演劇の脚本朗読の「エロキューション」とは違うということから
きている。
  逍遥は「俳優と読法の読者とは其の朗読の方法に於いても、又其の朗誦
の目的に於いても雲泥の相違がある」と書いている。俳優は「エロキューシ
ョン」(朗誦法)の音声表現であるが、読者は文章の本意を明晰ならしめる
限りの抑揚づけであり、技巧的、人為的な抑揚づけは禁止だ、と書いている。
「俳優は暗誦し、身振りし、手真似し、読者は端然と立ちて朗読す。聊かも
技巧的、人為的に拵へたらん身振りは悉く禁むべし。身振りを禁めば暗誦の
法を取ることを勧むる能はず」読者(つまり俳優でない一般読者)は「虚誉
を得んとにはあらず、公衆に悦ばれんとにもあらず、あくまでも我は客にし
て人間が主なり。俳優は銭を求めて公に演芸し…」と書いている。
  すなわち、読本朗読の句調子や抑揚は文義に従ってごく淡白に、あっさ
りした音声変化であるべきであるが、つまり多少の句拍子の変化はつけるが、
俳優の脚本朗読の句拍子や抑揚は観客に向けての技巧的、人為的な大げさな
エロキューションを附けて表現すると書いている。また、脚本朗読では暗誦
が必須であるが、読本朗読では暗誦は必要としないとも書いている。
  逍遥の「朗読」観は、荒木が本HPで主張している「表現よみ」観と酷
似していることに驚いた。朗読(文章の音声表現の仕方)は文義に従って行
うべきもの、観客に媚びた大げさな表現はいけないこと、これら基本原則は
全く表現よみと同じであり、江戸末期生まれの賢人が明治初めでこう主張し
ていることに驚いた。また、音声表現の三段階(3レベル・3水準)につい
ては明治から現在までいろいろな論者が名付け方とその内容は違うが主張し
ている。本HPの第10章・本シリースをお読みいただくとたくさん出てくる。
これも、管見によると坪内逍遥が初出発表であることにも驚いた。

  つぎに第三段階の論理的読法について下記のように書いている。

  文法的読法は文章の意味を明晰較著ならしめんやうに文章を読む法なり。
更に一歩進めて作者の本意を看破し、人間と其の作者との関係を明らかにせ
ざるべからず。此に於いてや評批的読法──説明的読法、解釈的読法即ち論
理的読法起こる。
  論理的読法にては、彼の文法的読法に於いての如くに、強ち文法的句読
には拘泥せず、専ら其の文章の深意を穿鑿す(批評)、否、寧ろ其の文の作
者の其の人物の性情を看破するに力む(解釈)、自家みづからが其の作者又
は其の人物に成りたる心持にて其の文中に見えたる性情を以て直ちに自家の
性情となし、誠実熱心に或ひは憤慨し、或ひは悲憤し、或ひは哀傷し、或ひ
は憤怒して読まんと力む。怒るべきべき文句には怒りて読み、笑うべき文句
には笑って読み、急ぐべき時には急いで読み、沈むべき時には沈んで読み、
総て「しかじかならばしかじかなるべし」といふ論理に従ひて読むが故に、
名づけて論理的読法といふなり。……予が謂う論理的読法は、欧米に謂う
「エロキューション」の脱化なり。

【荒木のコメント】
  「エロキューション」の脱化については上述した。論理的読法とは、
「文と情と相応相伴して緩急句読に注意し、声の抑揚、高低、弛張に注意し、
哀傷、憤激等情を声の色にあらわさんとする心得あるべし」とする。つまり
声の情的描写で生き生きと活写して音声表現するということのようである。
荒木の読みとりでは、文法的読法での句読正しくきちんと楷書での音声表現
から、論理的読法では、場面をありありと、人物の気持ちを生き生きと表象
豊かに情感豊かに音声表現することにねらいがあると理解した。

  なぜ、荒木と同じ主張を、坪内逍遥は今から150年も前の明治24年
に早くも発表しているか。それは、逍遥は読本朗読と脚本朗読とは全く相違
するという主張からきている。昭和の戦中、戦後のラジオやテレビから流れ
てくる朗読の音声表現の仕方は、新劇俳優たちの独特な節のついた朗々とし
た大げさな音声表現、唄うような台詞回しの朗読音調であった。これは新劇
草創期に西洋の作劇術としてのエロキューションという朗誦法を取り入れた
ことからきている。逍遥の読本朗読と脚本朗読とは全く相違するという主張
は忘れ去られてしまっていた。政治家などの演説や挨拶口上も歯の浮くよう
な誇張した美文で朗々と朗誦する語り方がよしとする風潮もあった。
  表現よみは、こうした聞き手(聴衆)に媚びた変な読み節・癖のある音
声表現を否定することから誕生した。平成になって新劇俳優やアナウンサー
たちの朗読の語り方は随分と自然な語り口の音声表現になってきているが、
まだ一部に変な節のついた語り方で音声表現する朗読音調の人たちもいる。
  坪内逍遥の脚本朗読の主張については上記した(3)(4)の論文にく
わしく書いてある。表現よみの誕生については本HPの第7章「表現よみ教
育の歴史」にくわしく書いてある。



明治25年刊・今泉祐善『読書作文教授法』より
 下記は、今泉祐善『読書作文教授法』(博文館、明治25)からの引用で
ある。
 
 発声ノ微弱ナルモノハ高音ヲ発セシムル様注意シベシ。殊ニ女生徒ニハ
最モ微音ノ者多ケレバ成ルベク高声ニ読マスクベシ

【荒木のコメント】
  児童の読本の読み声は高声・高唱が最良とされ、女子に微音が多いので
指導に特段の配慮をすべしとある。現在でも高学年になると微音になる傾向
がある。女子児童が特に多い。現今も明治と変わっていないことが分かる。



明治31年刊・小山忠雄『理論実験読書作文教授法』より
 下記は、小山忠雄『理論実験読書作文教授法』(東海林書店、明31)
からの引用である。


  範読範講モ、授クベキ章節ノ平易ニシテ、児童ノ力能ク之レニ堪フルト
認ムルトキハ、児童ヲシテ直チニ講読セシムベシ、章節ノ難易ヲ問ハズ、常
ニ範読範講ヲナストキハ、徒ラニ児童ノ依頼心ヲ起シ、奮発心ヲ減殺スルコ
トナシトセズ、範読範講ヲナスニモ一回ニ止メ、妄ニ其ノ度数ヲ多クスベカ
ラズ。277ぺ

【荒木のコメント】
  平成の現在に出版されている音読・朗読の教育書に書かれている指導方
法が既に明治31年刊に同様なことが書かれてあって驚かされる。
  ロシアの発達心理学者ヴィゴツキーに「発達の最近接領域」という有名
な知見がある。児童の現行能力のほんのわずか上部の教材を与え、教師が手
助けしてやる指導方法が重要なり、という考え方である。小山氏の範読範講
の教材の与え方もこれと同様な事柄を述べている。「一回ニ止メ」とは、教
師の話し言葉のエコラリーはいけない、何回も言うな、一回でちゃんと聞き
取る習慣をつけよ、そのように分かりやすく話せ、ということだろうと理解
している。

 
 児童ヲシテ練読達読セシムルニハ、常ニ発音句読ニ注意セシメ、流暢ニ
シテ強弱緩急宜シキヲ得ルヲ要ス、彼ノ語尾ヲ長クシ、或ハ一種ノ節ヲ附ク
ル如キハ、固ク禁ゼザルベカラズ。277ぺ
【荒木のコメント】
  音声表現には「発音正しく、句読つまり間のあけ方を正しくせよ。強弱
緩急変化をつけ、流暢に」と書いている。現今の朗読家たちと同じ言明を明
治31年に書いてい驚く。
  明治31年代から既に変な読み癖、癖のある読み音調(語尾ヲ長クシ、或
ハ一種ノ節ヲ附クル音調)があったことが分かる。これは、「固ク禁ゼザル
ベカラズ」と強調している。

  読方ヲ分テ三段トナスベシ。第一ノ程度ハ機械的読方ニシテ、文字ヲタ
ドリテ読ミ過タザルヲ主トス。初学年ノ児童ニハ特ニ機械的読方に意ヲ用ヒ、
一字一音モ苟クモスベカラズ。第二ノ程度ハ解剖読方ニシテ、章節ノ意義ヲ
正確ニ読ミ表ハスヲ主トス。即語句ノ断続ヲ正シクシ、段落ニ注意シ、音声
ニ高低強弱ノ別アルヲ要ス。但此ノ段ニ於テハ、流暢明晰ニ朗読スルモ、未
感情ノ之レニ添ハザルモノナリ。第三ノ程度ハ音調的読方ニシテ、著者ノ精
神ニ深入シ、抑揚頓挫、軽重、緩急、各其ノ法ニ合しシ、聴者ヲシテ感動セ
シムル様朗読スルナリ。音調的読方ハ小学ノ児童ニ望ミ難キモ努メテ解剖的
読方ニ適ハシムベシ。278ぺ

【荒木のコメント】
  上達には三段階があると書いている。機械的読方→解剖的読方→音調的
読方である。これも現今の朗読家たちも同様なことを説いている。ネーミン
グは違うが三段階であることは同じだ。荒木も初級段階(楷書よみ段階)→
中級段階(行書よみ段階)→上級段階(草書よみ段階)と名付けている。そ
れぞれの段階のレベル内容も大体は似たり寄ったりで、殆んど小山忠雄氏と
変わらない。

  読方ト意義トハ、絶エズ密接セシメ、素読ト講義トハ分離セシムベカラ
ズ。此クノ如クニシテ、始メテ素読ト意義トノ観念ヲ密着セシメ、音読シナ
ガラ、其ノ意義ヲ了解シ得ルニ至ルベシ。一字一語ヲ知レバ、必之レニ伴フ
意義観念ヲ連結シ、一句一章ヲ読ミ終レバ、直チニ文章ヲ離レテ其ノ意味ヲ
物語ルコトヲ務ムべシ。278ぺ

【荒木のコメント】
  小山氏の「素読」観は、江戸時代のように意味内容を教えずにひたすら
声高に読みあげるではない。音読と同時に意味内容を教え、意味内容を周知
して味わいつつ音声表現していく。こうした指導法で直接に日常生活に活用
できる教え方であるべきことを主張している。「素読」の概念内容が大きく
変化している。

  達読ヲ以テ単ニ滞リナク迅速ニ読ムコトト解スルハ誤リナリ。達読ハ流
暢ニ読ミ下ダスコトヲ主トスベシト雖、意義ノ如何ヲ問ハザルトキハ、恰モ
小僧ノ経ヲ誦スルト一般ナレバ、仮令読方巧ミナリト雖、読書教授ノ目的ハ
得テ達スベカラズ。読方ト意義、素読ト講義トハ常ニ密接セシメ音読シツツ
其ノ意義ヲ咀嚼スルコトヲ得ルニ至ラザレバ、真ノ達読トハイヒ難シ。282ぺ

【荒木のコメント】
  現在、荒木が主張してることを明治31年に既に同様なことを小山氏が主
張していることに驚いた。小山氏の「達読」とは、音読指導とは音声解釈・
口頭解釈であるということを述べている。アメリカの英語教育でも「oral
interpretation」法が学校教育で普通に実践指導されている。これについて
の詳細は、近江誠『オーラル・インタープリテーション入門』(大修館、19
84)に詳しい。

  暗誦ノ害ハ一時大ニ指摘セラリタリト雖、記憶力ノ強盛ナル幼時ニ於イ
テ暗記ヲ怠ルノ不利ハ、暗記ノ害ヨリモ大ナリ。読本中ニ於テ児童ノ模範ト
ナルベキ文章、若クハ徳性涵養ニ資スベキ章句、文学上ノ趣味ヲ養フニ足ル
ベキ文辞等ハ必暗誦セシムルヲ要ス。此等ノ暗誦ハ児童ニ困難ヲ与エザルノ
ミカ、却テ愉快ヲ与ヘ、創造力ヲ養成シ、審美的感情をを練磨スルモノナリ
282ぺ

【荒木のコメント】
  小山氏の主張に同感しつつも、もろ手を挙げて賛成は出来ない。「児童
ニ困難ヲ与エル」こと大いにあるので、まっしぐらに上記の利点に直進指導
に走る、驀進する指導には反対だ。「此等ノ暗誦ハ児童ニ困難ヲ与エザルノ
ミカ、却テ愉快ヲ与ヘ、創造力ヲ養成シ、審美的感情をを練磨スルモノナ
リ」と言えるかどうか疑問だ。この危惧を排除すれば、小山氏が主張してい
ることに賛成できる。児童が暗誦が愉快になる手立て、配慮が必要だ。

  方言訛音ハ成ルベク之レヲ避ケ、一般普通ノ言語ヲ用ヒシムベク、音声
ノ低調ニシテ、曖昧ナルモノハ、之レヲ矯正シテ明確ナラシムベシ。
  言語ヲ矯正センニハ、先ズ其ノ発音ヲ矯正セザルベカラズ。発音ヲ矯正
センニハ先ヅ耳ヲ練習シテ正シキ音ヲ聴キ分クルコトヲ学バシメザルベカラ
ズ。此故ニ最初正シキ発音ヲ聴カシメ猶口喉唇歯ノ開合等ヲ教ヘ、後練習セ
シムベシ。是初歩ノ教授ニ於テ特ニ必要ナリ。283ぺ

【荒木のコメント】
  明治から大戦による敗戦までは、日本国内の人々の交通・交流・行き来
が現代ほど盛んでなかった。現今のようにテレビなどマスメディアによる話
し言葉の平均化、平準化が行われてなかった時代は、地方言葉・方言の矯正
指導が国語教育の大きな内容であった。明治、大正、昭和前期の朗読指導の
書物には必ずといってよいほど方言・訛音の矯正指導のことが書いてある。
それほど深刻かつ大問題であった。特に東北方言はズーズー弁と呼ばれ、軽
蔑されていた。

 読方ハ児童ヲシテ一人毎ニ行ハシムルヲ常トスレドモ、幼年級ニ在リテハ、
斉読ヲ行ハシムルコトアルベシ。
 斉唱法ハ嘗テ広ク我邦ニ行ハレタル方法ニシテ、今日ニ於テハ之レヲ用フ
ルモノ少シ。蓋其ノ仕方、其機械的ニシテ教室内ノ喧騒ヲ来タシ、且一種ノ
音読調ヲ生スルノ弊アリニ由ル。然レドモ授業ニ倦怠ヲ生ジ注意ノ乱レタル
場合等ニ際シ、此ノ法ヲ用フルトキハ児童ノ感覚ヲ鋭敏ニシ、注意ヲ喚起シ、
興味ヲ感ゼシムルヲ得ベシ。幼年ノ児童ニハ特ニ適当ナルヲ見ル。281ぺ

【荒木のコメント】

  明治31年当時の「斉読」に対する考え方が書いてあって興味を引く。現
今もこういう考え方を主張する教師がいる。荒木は「斉読」の教育的意義あ
り、斉読を高く評価している。詳細は拙著『群読指導入門』(民衆社、200
0)を参照。

  読書教授ニ於テ音読ノ練習ハ勿論必要ナルガ、黙読ノ習慣ヲ養フコトモ
又怠ルベカラズ。児童ヲシテ自習セシムル場合ニ、音声ヲ立ツルコトナク、
沈黙看過セシムルトキハ、教室内ノ静粛ヲ保チ得ルノミナラズ、沈静ノ良習
慣ヲ養ふこと得ベシ。281ぺ

【荒木のコメント】
  「素読」は声を張り上げて朗々と読み上げることである。これに対する
ものとしての「黙読」の教育的意義が明治後期に主張されている、その先駆
的な主張の意義は大きい。



明治31年刊・槇山栄夫『各科教授法』より
 下記は、槇山栄夫『各科教授法』(明31、東海林書房)からの引用で
ある。この書にはヘルバルトの三段階教授法(五段階教授法でなく)につい
て書いてある。三段階教授法における朗読指導の位置づけについて書いてあ
るので引用する。
第一段予備
  教科書ヲ開カナイデ教授スベキ内容ノ実物ヤ図書ヲ示シテ問答スル。文
章中ノ事項ノ大要ヲシラシメル。
第二段提示
(1)摘書
  当日授クベキ文章中、新出ノ文字若クハ文句ヲ板上ニ摘書シテ其読方ト
  意義トヲ授ク。
(2)読方
  摘書終レバ読本ヲ開カシメ、教師之ヲ朗読スルカ若クハ優等ノ生徒ヲシ
  テ之ヲ読マシメ、然ル後各生徒ヲシテ読マシムルナリ、読方ハ誤ナク読
  ミタルヲ以テ足レリトセズ、明瞭ニシテ渋滞ナク音調文節其当ヲ得ンコ
  トヲ期スベシ。
(3)意義
  読方畢リテ後其意義ヲ授ク、意義ヲ授クルニハ先ヅ一通リノ講義ヲナシ、
  然ル後困難ナル箇所ニ就キテ特別ニ解釈ヲ下スベシ、解釈了レバ各生徒
  ヲシテ講義ヲナサシム、文章ノ容易ナル場合ニハヤヤ困難ナル箇所ヲ解
  明スルノミニテ、別ニ講義ヲ為サザルコトアルベシ。
(4)熟読
  既ニ意義ヲ授ケタル後、此意義ト連結シテ理解的ニ読マシムルモノ之ヲ
  約結スルモノナレバ、読書教授ニ於テ緊要ナル部分を占ムルモノトス、
  読方ト講義ト別々ニ授ケタルノミニテ、熟読ノ之ヲ結ブコトナクンバ、
  両者統一ヲ失スルニ至ルベシ。
第三段応用
  既習ノ文字ニ依リテ構成セラレタル新奇ノ文章ヲ与エ、自ラデ之ヲ読マ
  シメ、且其意義ヲ説明セシム。児童ヲシテ独力デ試ミセシム。370ぺ

【荒木のコメント】

  明治・大正の読方指導過程には「摘書」という語がよく出てくる。上記
の解説文のような意味である。現今でもよく行われている指導方法であるが、
それが「摘書」という名付けであることを荒木は初めて知った。
  読み方指導がヘルバルト三段階指導過程になると、しだいに現今の三読
法読解の指導過程に近接してきていると感じるのはわたしだけであろうか。
ただし、ここでの第三段階は「応用」であり、教材文と離れた応用練習のよ
うだ。

「教授上注意スベキ事項」
(1)素読若シクハ講義ヲナサシムルトキハ、態勢ヲ正シウシテ机側ニ直立
  セシメ、明瞭ニ発音セシムベシ。発音ハ可成尋常ノ談話ニ近カランコト
  ヲ期シ学校節ト称スル異様ノ音調ニ陥ラザランコトヲ力ムベキナリ。言
  文一致ノ文章ハ談話ノ練習ヲナスニ再便益ナル材料トス、故ニ其読方ハ
  特ニ注意ヲ加ヘテ、普通ノ談話ト異ナラザルヤウニスベシ。
(3)起立シテ書籍ヲ持ツトキハ、両手ニテ左右両端ヲ保チ、母指ヲ前ニシ
  他手ヲ後ロニシテ紙面ト眼トノ間ハ大概一尺位ニスベシ。座シテ聴聞ス
  ルトキハ両手ト綴目トヲ机上ニ支エ、書背ト机面トハ四十五度ノ角度ヲ
  保タシムベシ。376ぺ

【荒木のコメント】
  明治・大正・昭和前期の読み方指導論を読んでいると、しばしば「学校
読み」音調とか「学校節」音調とかが出現する。その読み音調・おかしな読
み癖を矯正指導すべし、という見解が多く書いてある。荒木の経験から言う
と、こうした「へんな学校読み音調」は昭和40年代まで日本国中のどこにも
多くみられた。それで昭和30年代から「表現よみ」音調が主張され出してく
る。詳細は、本HPの「表現よみの提唱、歴史」などを参照のこと。
  教室で本を読む時の姿勢は現在は殆ど指導されたないが、荒木が子供だ
った頃はここに書いてあるような姿勢・本の持ち方は教師からやかましく指
導されたものだ。上記してある指導事項と全く同じである。おお、なつかし
い、突然、小学校の教室風景を思い出し郷愁を感じた。現在の教師はもう少
しましな姿勢で読ませてほしいものだ。
  これは極端な例だが、歴史的事実である。昭和初期の国民学校時代は、
教科書をおし頂いてから(教科書に礼をしてから)おもむろに開いたものだ
った。教科書に書いてある内容は天皇(大日本帝国軍部)のお言葉であり、
教育勅語と同価値のものであり、丁重に扱い、汚したり、跨いだり、踏んづ
けたりしてはいけないと厳しく教えられた。


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