本稿の目次
第11節 接続助詞の音声表現のしかた         2018・08・18記 
 (1)逆接の接続助詞の音声練習をしよう
 (2)順接の接続助詞の音声練習をしよう
 (3)並列の接続助詞の音声練習をしよう
 (4)混在した接続助詞の音声練習をしよう
 (5)間あけの音声練習をしよう
第12節 主部まとめ「の」の音声表現のしかた
  主部まとめ形式名詞「の」の音声表現をしよう



 
 第11節           
     接続助詞の音声表現のしかた




接続助詞には、次のようなものがあります。

1、順接の関係を示すもの(から、ので、て、と、ば)、
2、並列の関係を示すもの(たり、ながら、し)
3、逆接の関係を示すもの(でも、ても、けれど、けれども、のに、だ 
              が、が、ながら)

 接続助詞は、前文と後文との論理関係を示しています。順接、並列、逆接
などの論理関係を示します。

 接続助詞は、主として用言や助動詞に接続して文節をつくり、接続詞の
ように前後をつなげる働きをしています。文がまだ終わらず、次の語句に続
いていくことを示し、どんな意味内容で続いていくかを表しています。
 接続詞と違うところは、接続詞は自立語であり、接続助詞は付属語という
点です。
大声でさけんだ
けれども、向こう岸の彼には届かなかった。(接続助詞・付属語)
大声でさけんだ。
けれども、向こう岸の彼には届かなかった。(接続詞・自立語)

 接続助詞の音声表現のしかたは、接続詞と似ていています。前後の文章
の意味内容(文脈)によって転調(強調)の音声表現になったり、そうなら
なかったりします。

 本稿では、音声表現のしやすさから、逆接の接続詞から声に出して練習し
ていくことにします。


   
 (1)逆説の接続助詞の音声練習をしよう



初めに、音声表現がしやすい順番で、逆接の接続詞から始めることにします。

 逆接の接続助詞(でも、けれども、のに、だが、が等)は、前文と後文と
の意味内容が逆に(くいちがって、反対に)接続しています。
 逆接の接続詞は、前文で書いてきた意味内容とは逆のつながり方をしてい
ると予告している言葉です。
 接続助詞の音声表現は目立たせた読み声になることが多いです。声高く強
く力んで読むということではありません。やや強めに、または間をあけるこ
とによる目立たせです。接続助詞を読んだ直後で軽く間をあけて、その接続
助詞を目立たせた音声表現にします。意味内容によっては、強めに読む場合
もあります。

 では、実際に声に出して、目立たせの音声表現の練習をしてみましょう。
逆接の接続詞
(赤字)を、やや強めに読んでみよう。
 文章内容によっては、接続助詞はもちろん、他の文章個所も目立たせた読
み方になる場合もあります。同じ文でも、いろいろな読み方ができます。場
面を想像し、工夫しながら音声練習をしていきましょう。

(練習文1)川は、いつもは水が少ないのです
、三日もの雨で、水がどっ
      とましていました。      新美南吉「ごんぎつね」

 ヒント(「少ないのですが」の「が」を強めに読み、そのあとを軽く間を
      あけ、そして「三日もの雨で……」と読み進めていく。)

(練習文2)ほらあなの近くのはんの木の下でふり返ってみました
、兵十
      は追っかけてはきませんでした。 新美南吉「ごんぎつね」

 ヒント(「みましたが」の「が「を強めに読み、そのあとを間をあける。
     それから「兵十は……」と読み進めていく。こうすると、はんの
     木の下まで来て、ごんがほっとして後ろを振り返った、その暫時
     の時間の経過を入れ意味内容にもなる。)

(練習文3)これは鉄棒のとても難しいわざだ
、失敗をおそれずに練習を
      続けましょう。

 ヒント(「わざだが」のあとで軽く間をあけ、それから「失敗を……」と
      読み進めていく。)

(練習文4)あの人は、いつもにこにこして人づきあいはよいです
けれど
      本当の心はオニですよ。

 ヒント(「よいですけれど」のあとで軽く間をあけ、そして「本当は… 
      …」と読み進めていく。「オニですよ」も強目に読む。)


(練習文5)ぼくが「よしなさい。」と止めた
けれども、かれはぼくの言う
      ことを聞き入れてくれなかった。

 ヒント(「けれども」のあとで間をあけ、それから「かれはぼくの……」
      と読み進めていく。)


(練習文6)本当はもっとたくさんの友達と遊んだり、話したりしたい
のに
      自分から進んで友だちの輪の中へ入れなくて困っています。

 ヒント(「遊んだり、話したり」は、ひとつながりにして読み、「のに」
     のあと軽く間をあけ、そうはできないという意味内容を予告し、
     そしれから「自分から進んで」と読み進めていく。「のに」が強
     めの声だてにしてもよい。)



【練習問題】……次の練習文を声に出して読んでみましょう。
       「が」をやや強めに読み、そのあと軽く間をあけてみよう。
       「が」の前をひとつながりに、「が」の後をひとつな
        がりになるように区分けしてして読みましょう。ちょ
        っと長いですが。


(練習文1)おばあさんは、千枝子をたいくつがらせまいとして、いろん
      な昔話などをしてくれるのです
、そんなときに聞く昔話は、
      ちっともおもしろくありません。おばあさんの話は、たいてい
      千枝子の知っている話ばかりです。

(練習文2)ガンとかカモとかいう鳥は、鳥類の中で、あまりりこうなほ
      うではないといわれています
、どうしてなかなか、あの小さ
      い頭の中に、たいしたちえをもっているものだなとということ
      を、今さらのように感じたのでありました。
                   椋鳩十「大造じいさんとガン」

(練習文3)
      かぜぎみの田中正造は、東京の旅館で横になっていた
、続
      けざまに入る電報を見て、人力車をやとい、夜道もかまわず走
      らせ、翌朝のしらしら明けるころ、淵江村に着いた。

(練習文4)「谷中村をとりつぶしたところで、足尾銅山に完全な設備を
      しないかぎり、鉱毒事件は終わらない。」と、田中正造は、東
      京や被害地を駆け回り、裁判を起こしたりして、谷中村の立て
      直しをはかろうとした
、思うに任せなかった。



   
 (2)順接の接続助詞の音声練習をしよう



 順接の接続助詞(ので、から、ば、と、等)は、逆接の接続詞に比べて
強調や目立たせの読み方になることは少ないと言えます。意味内容のつなが
りが自然な受けつぎ方になっているからです。しかし、いつも平らにすんな
りと目立たせなしに音声表現するかと言えば、必ずしもそうとは限りません。
文章内容によって変わってきます。全体の意味内容を考えて音声表現してい
くようにしましょう。接続助詞のあとで軽く間をあけることは同じです。

 「順接の確定条件」の音声表現
 順接の確定条件を示す接続助詞は、通常は目立たせなしのすんなりと平
らな音声表現になります。ただし、「Aだから、B」「Aなので、B」とい
うA部分の原因、理由を相手に明示して伝達する意図が強い場合には、「か
ら、ので」を強調する音声表現になります。


【練習問題】……次の接続助詞(赤字)を「すんなりと平らに」と
       「強調して目立たせて」と両方でやってみましょう。


(練習文1)雨がふった
ので、遠足は中止になりました。

(練習文2)ぼくが説明する
、中村君は納得してくれました。

(練習文3)西の空が赤い
から、きっとあしたはよい天気になります。

(練習文4)すぐ行く
から、そこでお待っていてください。

(練習文5)横山さんは、パラシュートを作って遊んだのがとても楽しか
      った
ので、これを作文に書きました。

(練習文6)友だちと遊ぶ約束をしていた
ので、ぼくは家に帰ってすぐに
      宿題をすませました。

(練習文7)おじいさんが寝ようとしている
、だれかが入口の戸をトン
      トンとたたきました。

(練習文8)ホタルがたくさんいた川べりにマンションが建った
ので、急
      にホタルの姿が見かけなくなりました。

(練習文9)うら返しになっているねだんの札を、あかぎれの指でそっと
       めくってみる
、思ったとおり、とてもとても、おみつさん
       おこづかいでは買えるねだんではありませんでした。


 順接の仮定条件の音声表現
  順接の仮定条件を示す接続助詞も、通常は目立たせなしのすんなりと
平らな音声表現になります。ただし、順接の仮定条件を示す「Aならば、
B」「Aだとすると、B」というA部分の仮定条件を相手に明示して伝達す
る意図が強い場合には接続助詞「ば、と、なら」などを強調する音声表現に
なります。接続助詞のあとで軽く間をあけることも同じです。


【練習問題】……次の接続助詞(赤字)を「すんなりと平らに」と
       「強調して目立たせて」と両方をやってみましょう。


(練習文1)大急ぎで、かけて行け
、きっとバスに乗れますよ。

(練習文2)君が真実を話し
たら、みんなはきっとなっとくするよ。

(練習文3)もし、おかあさんが承知してくれれ
、すぐにも行けるんだ
      がなあ。

(練習文4)早く行かない
、バスの時間に間に合わないよ。

(練習文5)あなたが行きた
ければ、つれていってもいいよ。

(練習文6)朝、五時に起きる
ならば、夜は九時には寝ないとね。

(練習文7)みんなが賛成する
なら、ぼくはその案でいいよ。

(練習文8)そんなに美しい場所
ならば、ぜひ見に行きたいです。

(練習文9)風がふけ
、波が立つ。波が立て、海があれる。



    
(3)並列の接続助詞の音声練習をしよう



 並列の関係を示す接続助詞の代表は「……たり、……たり」と「……し、
……し」です。ならべ部分を強調する場合には「たり」「し」に音声的力点
をおいて読むようになります。
 次の練習文の「……たり、……たり、」、「……し、……し」をやや強め
に読んで並べている感じを出して読んでみよう。
「……たり、……たり、」部分をひとまとまり、「……し、……し」部分を
ひとまとまりに、ひとくくりにして読むと、ならべている感じが出ます。
文章の意味内容によっては、強調表現にならない場合もたくさんあります。
すんなり平らに目立たせなしで読む場合もたくさんあります。
(関連……第17節「ならべ表現の音声練習のしかた」を参照)

【練習問題】……次の接続助詞「たり」「し」を、「すんなりと平らに」と
        「強調して目立たせて」と両方でやってみましょう。音声
        的力点を置いた場合は、接続助詞だけの場合と、前部の語
        句も同時に力点をおく言い方になる場合もあります。

(練習文1)食べ
たり、飲んだり、歌ったり、おしゃべりしたり、とても
      楽しいパーティーでした。

(練習文2)起きるのは遅い
、食べるのも遅い、時間割は揃えてない
      
、まったく困った弟だ。

(練習文3)とん
だり、はねたり、おどったり、まったく元気いっぱいな
      子どもたちです。

(練習文4)勉強はしない
、お手伝いもしない、遊んでばかりいる
      まったく困った子どもです。

(練習文5)景色はいい
、ごちそうはおいしい、のんびりとできる
      すばらしい旅行でした。

(練習文6)山へ行ってきのこをとっ
たり、海へ行って泳いだり、本をた
      くさん読ん
だり、ほんとにいい夏休みでした。

(練習文7)ピノキオは、おどりをおどっ
たり、歌をうたったり、楽器を
      えんそうし
たり、みんなを楽しませました。

(練習文8)そこには、とてもかわいらしいカナリヤがいるので、そこを
      通るとき、わたしは、よく立ち止まっ
たり、ゆっくり通ったり
      のぞきこん
だりします。カナリヤは、きれいな声で鳴いてい
      
たり、小さいかごの中ではばたいたりしていました。


〔接続助詞「が」の強さ]

  次の練習文は、長い一文になっています。一文の中にいろいろな接続助
詞が二つ、三つとまざりあっています。
  一文の中にいろいろな接続助詞が入って長くなっている場合、音声表現
では、まず最初に、どこで区切るか、長い文の意味内容の区切りを考えます。
大きく二つに区切る個所をさがします。二つに区切る個所で区切って読むよ
うにします。あちこちで細かく区切らないようにします。細かく区切ると全
体の意味内容がわからなくなるからです。

 次の例文を、大きく二つに区切って読むとしたら、どの個所で区切ると
よいですか。二つに区切る個所をさがしてみましょう。

(例文1)
 いちばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりました
、なにしろぬる
ぬるとすべりぬける
ので、手ではつかめません。 新美南吉「ごんぎつね」

(例文2)
 しかは、しばらく物音に耳をすましていました
、やがて、それがけもの
のうめき声にちがいないことを確かめる
、飛ぶようにがけをかけ下りてい
った。

(例文3)
入院患者の中でも、病気のあまり重くない人は、適当な運動をしたほうが
よい
ので、体の調子に合わせて軽い仕事をしているのだが、畑仕事もその一
つでした。

(例文4)
大造じいさんは、このぬま地をかり場にしていました
、いつごろからか、
この残雪が来るようになっ
たら、一羽のがんも手に入れることができなくな
った
ので、いまいましく思っていました。

(例文5)
軍隊では、下級の兵隊がいつも、いやな仕事、つらい仕事のすべてを受け
持つことがきまりになっていた
から、隊長の命令はけっしてむちゃなことだ
とも横暴なことだとも思わなかった
、隊長はなぜそんなばかげたことばか
り命令するのか
、わたしは、今井隊長の理不尽な命令を憎んだ。


【区切り方で分かったことは?】

 大きく二つに区切る個所をさがしましたか。一文の中に接続助詞(赤
字)が二つ、三つとあってつながっている場合、大きく二つに区切る個所は、
接続助詞「が」のあとであることに気づきましたか。「が」を含むいろいろ
な接続助詞がまざって入っていた場合、大きく二つに区切って読む個所は、
「が」のあとで区切ることに気づきましたか。

 わたし(荒木)は幾回となくこのような文を音声表現してみて分かってき
たことは、逆接の接続助詞「が」のあとで大きな二つの区切りがあることに
気づきました。「が」の分断する力が強いことに気づきました。

 長い一文を声に出して読む場合は、「が」があるかないかを調べて、
「が」があったときば、先ずそこで区切って読むようにしましょう。
「が」がない場合は、ほかの接続詞の個所をさがします。長い一文は、区
切って読むことが大切です。そうしないと、相手に分かりやすく伝わらない
読み方になります。
 もし、二つに区切っただけでは長すぎて読みにくい場合には、もう一個
所を見つけて、全体を三つに区切って読んでみましょう。あまり小さく、あ
ちこちで区切って読むと、文全体の意味内容のつながりが分からなくなりま
す。大きなひとつながりを大切にしながら区切って読むようにします。



   
 (4)混在した接続助詞の音声練習をしよう



 次の練習文には、いろいろな接続助詞が混合して入っています。接続助
詞(赤字)の個所は、どんな読みぶりにして読めばよいのでしょうか。
 次の練習文を実際に声に出して読んでみましょう。自分で納得できるよ
うに読んでみましょう。まず大きく二つに区切るとしたらどこですか。区切
る個所(軽い間あけの個所)にチェックを書き入れてみましょう。

(練習文1)それは、寒い時にこたつの中などで聞く
、何度聞いてもお
      もしろいのです
、ひきうすを回している時は、ちっともおも
      しろく思えませんでした。

(練習文2)
      アメンボは水面の昆虫として生きているのです
、人間がせ
      んざいや石鹸などを流しこんでよごしたりする
、大変なこと
      になります。

(練習文3)
     トッコの家は東京です
、お母さんが病気になってので、この
     山のおばあちゃんの家にあずけられたのです。

(練習文4)
     オオアリもチンパンジーの大こう物です
、木のみきに作られ
     たすのあなはせまくて深い
ので、手や指ではオオアリをつかまえ
     ることはできません。


(練習文5)おみつさんは、さっそく、毎晩、家の仕事をすませて
から
      わらぐつを作り始めました。お父さんの作るのを見ている

      たやすくできるようです
、自分でやってみる、なかなか思
      うようにはいきません。                 
                 杉みき子「わらぐつの中の神様」

(練習文6)マサエは夕方まで、スキーをしていました。今日は一度しか
      転ばなかった
ので、スキーぐつもズボンも、そんなにぬれない
      つもりでした
、帰って見てみたら、やっぱりいつものように
      ぐっしょりになっていました。
                 杉みき子「わらぐつの中の神様」

(練習文7)本当はもっとたくさんのお友達と遊ん
だり話したりしたいの
      です
、私は上手なつきあい方が分からないので、いつもひと
      りぽっちです。


 
答え(荒木なりの間のあけ方と書きます。この通りでなくてかまいま
     せん。参考例です。)

(練習文1)それは、寒い時にこたつの中などで聞くと、何度聞いてもお
      もしろいのです
が(間)、ひきうすを回している時は、ちっと
      もおもしろく思えませんでした。

(練習文2)
      アメンボは水面の昆虫として生きているのです
が(間)、人
      間がせんざいや石鹸などを流しこんでよごしたりすると、大変
      なことになります。

(練習文3)
     トッコの家は東京です
が(間)、お母さんが病気になってので、
      この山のおばあちゃんの家にあずけられたのです。

(練習文4)
     オオアリもチンパンジーの大こう物です
が(間)、木のみきに
      作られたすのあなはせまくて深いので、手や指ではオオアリを
      つかまえることはできません。


(練習文5)おみつさんは、さっそく、毎晩、家の仕事をすませてから、
      わらぐつを作り始めました。
(間)お父さんの作るのを見てい
      ると、たやすくできるようです
が(間)、自分でやってみると、
      なかなか思うようにはいきません。            
                 杉みき子「わらぐつの中の神様」

(練習文6)マサエは夕方まで、スキーをしていました。
(間)今日は一
      度しか転ばなかったので、スキーぐつもズボンも、そんなにぬ
      れないつもりでした
が(間)、帰って見てみたら、やっぱりい
      つものようにぐっしょりになっていました。
                 杉みき子「わらぐつの中の神様」

(練習文7)本当はもっとたくさんのお友達と遊んだり話したりしたいの
      です
が(間)、私は上手なつきあい方が分からないので、いつ
      もひとりぽっちです。


       
(5)間あけの練習をしよう


 次の練習文1〜3を、文章の意味内容で区切って読みます。自分で納得で
きるように読んでみましょう。区切りの間をあけるとすると、どこであけま
すか。一個とは限りません。間をあける個所にチェックを書き入れて読んで
みよう。

(練習文1)ガンは、昨日の失敗にこりて、えをすぐには飲みこまないで、
      まず、くちばしの先にくわえて、ぐうと引っぱってみてから、
      いじょう無しと認めると、初めて飲みこんだらしいのです。
                椋鳩十「大造じいさんとガン」

(練習文2)じいさんは、長年の経験で、ガンは、いちばん最初に飛び立
      ったものの後について飛ぶ、ということを知っていたので、こ
      のガンを手に入れたときから、ひとつ、これをおとりに使って、
      残雪の仲間をとらえてやろうと、考えていたのでした。  
                椋鳩十「大造じいさんとガン」

(練習文3)木のえだえだの細かいところにまで、みんな灯がともって、
       木が明るくぼうっとかがやいて、まるでそれは、ゆめみて
       えにきれいなんだそうだが、そして、豆太は、「昼間だった
       ら、見てえなぁ───。」と、そう思ったんだが、ぶるぶ 
      る、夜なんて考えただけでも、おしっこをもらしちまいそう 
      だ───。        斎藤隆介「モチモチの木」


 
答え(荒木なりの間のあけ方を書きます。この通りでなくてかまいま
    せん。参考例です。)

(練習文1)ガンは、昨日の失敗にこりて、えをすぐには飲みこまないで、
      
(間)まず、くちばしの先にくわえて、ぐうと引っぱってみ
      てから
(間)、いじょう無しと認めると(間)、初めて飲みこ
      んだらしいのです。                

(練習文2)じいさんは、長年の経験で、ガンは、いちばん最初に飛び立
      ったものの後について飛ぶ、ということを知っていたので  
      
(間)、このガンを手に入れたときから、ひとつ、これをおと
      りに使って、残雪の仲間をとらえてやろう
(間)と、考えてい
      たのでした。
 または

(練習文2)じいさんは、長年の経験で
(間)、ガンは、いちばん最初に飛
      び立ったものの後について飛ぶ、ということを知っていたので
      
(間)、このガンを手に入れたときから(間)、ひとつ、これ
      をおとりに使って、残雪の仲間をとらえてやろうと、
(間)
      えていたのでした。
                  

(練習文3)木のえだえだの細かいところにまで、みんな灯がともって、
      
(間)木が明るくぼうっとかがやいて、(間)まるでそれは、
      ゆめみてえにきれいなんだそうだが、
(間)そして、豆太は、
      「昼間だったら、見てえなぁ───。」と、そう思ったんだが、
      
(間)ぶるぶる、(間)夜なんて考えただけでも、おしっこを
      もらしちまいそうだ───。     


特記事項1
 接続助詞「が」について(その1)
 わたし(荒木)が20代だった頃、ベストセラーになった本があります。
清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書、昭34)です。わたしが文章を書
くときに、今でも参考にしていることが書いてある本です。その本の中に、
接続助詞「が」に警戒せよ、という章があって、今でも記憶に残って参考に
しています。それを以下に紹介しようと思う。

 清水幾太郎氏は、私たちが日常会話をしているとき、接続助詞「が」を使
って気安くつなげて会話している事実があると語っています。清水氏は、論
文執筆では「話すように書くな」「が」を気安く使うな、と主張しています。
わたしたちは日常会話では、文をつなげるとき、安易に接続助詞「が」を使
っていると書いています。以下、茶色文字はその本からの引用個所です。

 
日常会話では、何と言っても、花形は「が」である。「が」によって句と
句とが自由に無限につなぎ合わされていく。「……私も少し言いたいことが
あるんですが、あなたのご意見が判らないというわけではないんですが、平
和というのは戦争のない状態と言ってよいでしょうが、その平和の根本的本
質という問題ですが、そんなことはわかりきっていると主張する人もいるに
はいるんですが、どうも、私はそうも考えないんですが……」こう書くと、
さすがに体裁が悪いけれども、私たちの実際の会話はこういう調子なのであ
る。 
 日常の会話では、「それゆえに」や「それにも拘わらず」は殆ど現れない。
「のに」や「ので」は日常の会話でも使われるが、実際は、「が」に近い曖
昧な意味になっている場合が少なくない。


 清水氏が大学を卒業したばかりで、気負って堅くなっていて、晦渋を恐れ
ず、大いにアカデミックに書こうとしていたため、『社会と個人』という書
物の中で下記のような論文を書いたことがあるという。一部分個所だけ引用
すると、

 
「……かくして現代における社会と個人との対立また闘争は後者の優越を
もって特徴づけられているのであるが、これは正しく人類文化の危機の表現
でなければならない。」
 「……原子社会に見いだされるのであるが、それは現代社会にも見出され
るものであり……」
 「個人との対立関係の中に自己を立たせねばならないのであるが、これは
過去及び現在についてのみ言わるべきことではなくて……」
 「……多くの社会学者がチャタートン・ヒルの意見を採用しているわけで
はないが、両者の間に横たわるとされる対立が歴史を貫くものであり……」


 清水氏は、接続助詞「が」の句と句とのつなげ方は、無規定的直接性があ
る、と書いています。

 
「が」は無規定的直接性をそのまま表現するのに適している言葉である。
無規定的直接性というのは、一種の抽象的な原子状態であって、それはやが
て、「のに」や「にも拘わらず」、「ので」や「ゆえに」を初めとして、多
くの具体的関係がそこから分化していく母胎である。しかし、この成長や分
化は自然に行われるのではない。人間の精神が強く現実へ踏み込んで、その
力で現実を成長させ、分化させるのである。人間の精神が受け身の姿勢でい
るかぎりは、外部の事態にしろ、自分の気持ちにしろ、ただボンヤリと
「が」で結ばれた諸部分から成り立っている。これらの諸部分の間に、「の
に」や「にもかかわらず」、「「ので」や「ゆえに」をはめ込むのには、精
神が能動的姿勢にならなければだめである。本当に文章を書くというのは、
無規定的直接性を克服すること、モヤモヤの原子状態を抜け出ることである。
 研究や認識があって初めて、私たちは「が」から「のに」や「ので」へ進
み出ることができる。文章とは、認識である。行為である。言葉の問題であ
りながら、言葉を超えた問題がそこにあるのである。「が」に頼っていては、
文章は書けない。


 清水氏は、「長い句が「が」という接続助詞で結びつけられている。気に
し始めると、この「が」は全く目障りである。見境もなく「が」を使ってい
るために、文章の方が起伏に乏しく、平板なものになっている」と書いてい
ます。

 清水氏は、接続助詞「が」は、一般にどういう意味で用いられているか、
次のように書いています。

 
第一に、「しかし」、「けれども」の意味がある。前の句が多少とも反対
の句が後に続く場合である。
 第二に、前の句から導き出されるような句が後に続く場合に、「それゆ
え」や「それから」の意味で用いられる。
 第三に、反対でもなく、因果関係でもなく、「そして」という程度の、た
だ二つの句をつなぐだけの、無色透明の使い方がある。
 さしあたって、この三者だけ見ても、「が」の用途は甚だ広いこと、従っ
て、これが甚だ便利な言葉であることは判る。なぜなら、第一の用法では、
前の句と後の句との反対関係が「が」で示され、第二用法では、前の句と後
の句との因果関係が「が」で示され、第三用法では、前の句と後の句との単
なる並列乃至無関係が「が」で示されているのであるから、「が」は一切の
関係あるいは無関係を言い表すことができるわけで、「が」で結びつけるこ
とのできない二つを句を探し出すことが困難だあろう。二つの関係がプラス
であろうとマイナスであろうと、ゼロであろうと、「が」は平然と適用する。


 清水氏は、このように論文はもちろん一般文章でも、接続助詞「が」で安
易につなげる長い文は書くな、「が」があったら警戒してかかれ、他の接続
詞「しかし、それゆえ、だから、けれども、それから、のに、ので、ゆえに、
それにもかかわらず」などに取り換えて書けないか、検討を重ねてしてみよ
う、と書いています。

 低学年担任教師は、児童作文に「が」はもちろんのこと、「が」だけでな
く、他の接続助詞や連用中止形を使って、だらだらとつなげている文章にで
くわすことがよくあります。「わたしは、どこへいって、それからどこへい
って、そしてね、だれさんのいえへいって、えほんをみてから、ふたりで、
んーと、こうえんへいって、みずのみばであそんで、すなばであそんで、そ
れから、いえへかえって、たのしかったです。」というようなダラダラ作文
です。
 こうした作文は、話し言葉がそのまま文章になっています。書き言葉の作
文にしなければなりません。それには、文意識を育てる指導が必要です。文
というのは、句点(マル)でひとかたまりになって切れる、終わる、ことを
指導しなければなりません。
 教科書の文章を読むときも、文意識を育てるために、句点をマルとわざと
声に出して読ませる指導も一つの方法でしょう。「……ました・マル」「…
…でした・マル」「……です・マル」のようにです。一つの伝えたいことの
終わるしるしであること、そこにマルを書く、ということを指導します。
 あるいは、文カードを使う方法もあります。教師が「文カード」を用意し
ます。ボール紙で、たて25センチ、よこ7センチのカードを数枚、作りま
す。児童が一文話したら一枚のカードを黒板に立てていきます。話す方が書
くよりも抵抗が少ないので、初めは「文で話す」練習をします。それから
「文で書く」へつなげていきます。そして「多くの文で話す」へ、こうして
「多くの文で書く」へとつなげていきます。一文カード法で指導することに
よって、児童の頭に文がどんどん浮かぶ指導、話がすらすらできる・短文の
連鎖で文が容易に書ける指導へと結びつけていきます。


特記事項2
 接続助詞「が」について(その2)
 逆接の接続詞について修辞学的観点から、次のようなことが言えるよう
です。『レトリックの探究法』という本からの引用です。議論文などにおけ
る接続助詞「が」の使い方に警戒が必要だ、「が」には、客観的事実でなく、
語り手の主観的判断が入り込んでくることがある、と書いています。

 
「K君は人柄はいいが、思想的には右寄りだ」という文において「人柄が
いい」と「思想的に右寄りだ」という二つの情報は、どうして逆接「が」
でむすばれているのだろうか。なぜ、「K君は人柄がよく、しかも、思想的
に右寄りだ」ではないのか。
 つまり、この文は、K君についての客観的な情報を与えるものでは決して
なく、語り手がその情報を自らの価値観にしたがって整理しなおしたもので
ある。K君が、この二つの情報を逆接の関係で保持しているわけではない。
 だから、ここで表現されているのはK君の思想ではなく、むしろ語り手の
思想であると言うことができる。こうしたことから、あるテクストが「事
実」をどのような接続詞で連結させているかを観察することで、その語り手
の価値観を剔決することが可能となる。

        香西秀信、中村敦雄、柳沢浩哉『レトリックの探究法』 
        (朝倉書店、2004)より引用



 
第12節
   主部まとめ「の」の音声表現のしかた




     
主部まとめ「の」の音声表現をしよう


主部まとめ「の」
とは、形式名詞「の」のことです。主部まとめ「の」のついた文とは、次の
ような文です。

(例文1)わたしの母が上手だとほめていた
は、山田君の絵です。

(例文2)ぼくが目を覚ました
は、朝の十時でした。

(例文3)鏡の前でけらけら笑っていた
は、おばあちゃんでした。

(例文1)の形式名詞「の」は、「ほめていたのは」の「の」です。
 「(……のは)、(……です。……だ)」の文において、「(……の
は)」個所は、この文の主部です。「わたしの母が上手だとほめていた」
に「の」がくっついています。「わたしの母が上手だとほめていた」と、形
式名詞「の」がくっついて「の」の前部が名詞化しています。さらに「は」
がくっついて、この文の主部を形作っています。「の」でひとくくりにして
「わたしの母が上手だとほめていたのは」と名詞化して、そして文の主部を
構成しています。

(例文2)の形式名詞「の」は、「目を覚ましたのは」の「の」です。
 「(……のは)、(……です。……だ)」の文に置いて、「(……の
は)」個所は、この文の主部に位置しています。「ぼくが目を覚ました」
に「の」がくっついて「ぼくが目を覚ましたの」と名詞化しています。さら
に「は」がくっついて、主部を形作っています。「の」でひとくくりにして
「ぼくが目を覚ましたのは」となり、それが「ぼくが目を覚ましたのは、朝
の十時でした」という、この文全体の成分としての主部を形作っています。

(例文3)の形式名詞「の」は、「鏡の前でけらけら笑っていたのは」の
「のは」の「の」です。
「鏡の前でけらけら笑っていた」に「の」がくっついて「鏡の前でけらけ
ら笑っていた」を名詞化しています。それに「は」がくっついて、「鏡の
前でけらけら笑っていたのは」となって、この文の主部を形作っています。

 形式名詞「の」がくっつくと、「の」の前部を名詞化する働きがあります。
「の」は、実質的な意味はありません。形式的意味しかありません。「の」
の前部にあるひとつながりの文とくっついて、はじめて実質的な意味内容を
発揮します。このように「の」は抽象性の高くて中味の
薄い性質をもっています。

 「の」は、学校文法では「形式名詞」という用語で呼ばれていますが、橋本
文法では準体助詞、大久保文法では吸着辞、佐久間文法では吸着語と呼ばれて
います。

 主部にある形式名詞「の」の機能は、「(コレコレするのは、コレコレナの
は)、(コウだ)」と主題化する働きがあります。「コレコレ」に「の」を
くっつけて「コレコレ(スル・ナ)のは」と、ひとくくりにして「コウだ」
という語り方です。
  ひとまとまりにして「……のは」と語る語り方は、「のは」以前を取
り出して、取立てて、つまり主題化して語っています。ですから、音声表現
するときは、「のは」個所にやや音声的力点をおいて読むと、分かりやすい
読み方になります。また「のは」の後で軽く間をあけて読むと、取り出して
(区分けして、取り立てて)いることが聞き手によく伝わる音声表現にな
ります。「のは」の後で、ほんの軽く間をあけ、ひと呼吸を置いて、それから
「どうする」「どうだ」「なんだ」へと読み下していくようにするとよいで
しょう。


 では、実際に声に出して、次の赤字個所を主題化する音声表現の練習をし
てみましょう。

 主題化するとは、「のは」を、強く力んで読むことではありません。
「のは」を、ほんのちょっぴりだけ強めに読んで、そこで軽く間をあける
ぐらいでよいでしょう。
 「のは」の前はひとつながりに、「のは」に係るように読んでいくことが
大切です。

 赤色の「のは」個所をほんのちょっぴり強めに読み、青色の□個所を、
ほんの軽く間をあけて、それから、次へと読み下していくようにします。


(練習文1)大きな目を、ぐるぐる回しながら、両手をさしだした
のは
      あの日のフクイリュウ君だった。

(練習文2)近ごろ注目されるようになってきた
のは、動物たちが人間
      を元気にする力を持っているということです。ペットがその一
      つでしょう。

(練習文3)これほど多くのまんが本が発行され、読まれている
のは
      まんがが、理くつぬきにおもしろいからでしょう。

(練習文4)山くずれや水害から平野を守ってくれている
のは、うっそ
う       としげっている森林です。

(練習文5)おぼんにはお団子を作ったり、うどんを打ったりする
のが
      いなかの習わしです。

(練習文6)うちの中を見ると、土間にくりが固めて置いてある
のが□、
      目につきました。

(練習文7)人間のつくったもので、千年以上先までそのままの形で残っ 
     ているものを見つける
のは、きわめてむずかしいにちがいな 
     い。

(練習文8)いい仕事って
のは、見かけで決まるもんじゃない。使う人
      の身になって、使いやすく、じょうぶで長もちするように作る
      
のが、ほんとのいい仕事ってもんだ。

(練習文9)貧しい人や、病気の人、弱っている人たちに向かって、死ん
      でいく最後の最後まで、手を差しのべる
のが、どんなにその
      人を幸せにするかしれません。


特記事項
 本稿上段の第11節「接続助詞の音声表現のしかた」に書いてある練習文
は、文の種類としてはすべて重文です。
 重文とは、「(主述)+(主述)=文」のような組み合わせになっている
形式です。
(1)父が新聞を読んでいる。
(2)妹が絵本を見ている。
(3)父が新聞を読み、妹が絵本を見ている。
(4)父が新聞を読んでいるし、妹も絵本を見ている。
(5)父が新聞を読むと、妹は絵本を見はじめた。
(6)父は夕飯を食べ始めたが、妹はまだ絵本を見つづけている。
(7)父が新聞を読めば、妹も絵本を読みはじめた。
 (1)は、主述の組み合わせが一個です。(2)も主述の組み合わせが一
個です。主述の組み合わせが一個の文を「単文」といいます。(1)は単文
です。(2)も単文です。
 (3)は、(主述)+(主述)となって、主述が二個で一つの文を形作っ
ています。このような(主述)+(主述)でできている一つの文を「重文
(かさなり文、つながり文)」といいます。(3)から(7)まではすべて
「重文」です。

 
「重文」の音声表現のしかたについて
 (3)は、前文(前節)のおしまいが動詞(読む)の連用形で、後文(後
節)につながっている重文です。(4)〜(7)は、前文(前節)のおしま
いが接続助詞(し、と、が、ば)で後文(後節)につながっている重文です。
 重文の音声表現のしかたは、上述で学習してきました。いずれにも言える
ことは、前文(前節)と後文(後節)とのつながり個所(区切り個所)で軽
く間をあけるということです。つまり、重文の音声表現のしかたは、、前文
(前節)と後文(後節)とのあいだで軽く間をあけて読むことです。

 
「単文」の音声表現のしかたについて
 (1)と(2)とは、単文でしたね。単文の音声表現で気をつけることがあ
ります。児童の音声表現でよくみられる悪い読み癖です。それは文末を「は
ねあげて、のばす」読み癖です。下記のカタカナ個所を「はねあげて、のば
す」読み方です。
 「父が新聞を読んでイマース」
 「妹が絵本を見てイマーシター」
 「絵本はおもしろいデース」
 「絵本はおもしろいデーシター」
 通常、肯定文の文末は下がるのがふつうです。相手への質問(です?。ま
す?。ですか。ますか)などの場合は文末がしり上がりになりますが、そう
でない肯定文(です。ます。でした。ました。だ。である。)は、しり下が
り、しりつぼみになるのがふつうです。
 肯定文の音声表現のしかたは、こうなります。細長い逆三角形の図形(水
平に横線を書き、尖がっている下向きの細長い三角形、を想像してください)
のようになります。文頭はやや強めの出だしになり、文末に近づくにつれ次
第にしりつぼみになり、声に少しばかり勢いが失せていくような、少しばか
り消えしぼんでいくような読み方になるのがふつうです。
 肯定文の文末の音声表現は、児童の読み方によくみられる「文はねあげて、
のばす」読み方ではありません。それとは逆に文末はどちらかというと「しり
つぼみ、しりさがり、ピタリおさまる」になる読み方がふつうです。

 
「複文」の音声表現のしかたについて
(7)父は新聞を目が鉄砲玉になったみたいにして読んでいる。
(8)妹は山田一郎さんが著作した絵本をみている。
(9)あごひげの長い祖父が新聞を読んでいる。
(7)は、「父は新聞を読んでいる。」という主述文に、「読んでいる」の
連用修飾として「目が鉄砲玉になったみたいにして」という主述文がくっつ
いています。
 (8)は、「妹は絵本をみている。」という主述文に、「絵本を」の
連体修飾として「山田一郎さんが著作した」とう主述文がくっついています。
 (9)は、「祖父が新聞を読んでいる。」という主述文に、「祖父が」の
連体修飾として「あごひげの長い」(「の」は主格助詞{が」の代行)とい
う主述文がくっついています。
 (7)も(8)も(9)も、主述文の中に、もう一つの主述文が連用修飾、
連体修飾としてはめこまれています。このような文を複文といいます。
(7)は連用修飾のある複文です。(8)と(9)は連体修飾のある複文で
す。
 (7)〜(9)の複文の音声表現のしかたは、前記した単文の音声表現と
似ています。修飾部分と被修飾語とをひとつながりにして、文末は単文
のようにして音声表現していきます。(詳細は、本章、第5節「連用修飾の
音声表現のしかた」、第6節「連体修飾の音声表現のしかた」を参照)

 本節(第12節「主部まとめ「の」の音声表現のしかた」にある練習文に
も複文が含まれています。冒頭の例文1・2がそうです。下記で説明します。

(例文1)わたしの母が上手だとほめていたのは、山田君の絵です。

 「私の母が上手だとほめていた」に形式名詞「の」がくっついています。そ
れが主部「……ほめていたのは」となっています。それに述部「山田君の絵で
す」がくっついています。
 「の」の前は修飾節(「私の母が(主語)+上手だと(補語)+ほめてい
た(述語)」となっています。つまり、この文全体は、主部「(修飾節)の
は」+「山田君の絵です」という文になっています。(修飾節)とは主述文
ですから、全体が「(修飾節)のは」+「……だ。です。ます。ある。」と
いう複文の文法形式になっています。主述文の前部に主述文がくっついてい
る複文ということになります。

(例文2)ぼくが目を覚ましたのは、朝の十時でした。
 「僕が目を覚ました」(主語+補語+述語)という修飾節が実質的な意味
をになって「(修飾節)のは」という「主部」を形作っています。それに
「朝の十時でした」(述部)がくっついています。
 (修飾節)とは主述文ですから、全体として「(修飾節)のは」(主部)
+「朝の十時でした」(述部)という複文の文法形式になっています。主述
文の前部に主述文がくっついている複文ということになります。

 主部にある形式名詞「の」複文の音声表現のしかたは、上述(第12節)に
書いてある通りです。

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