音読授業を創る そのA面とB面と 2011・09・28記 間はたっぷり気味に長めにあけるとよい 間の種類 間には、一つ分の間、二つ分の間、三つ分の間があります。そのほか、 四つ分の間、一つ分の半分の間などもあります。学校教育では、あまり細か く間を分類して指導するよりも、一つ分、二つ分、三つ分の三種類ぐらいで よいでしょう。そのほうが間を分かりやすく理解し、実際の音声表現で練習 するには指導しやすいからです。 意味内容の区切りで 間は、文章の意味内容のまとまりの区切りであけます。小さなまとまり ごとに区切って読むと全体がばらばらになって聞こえ、何を語っているのか 分からなくなります。意味内容の大きなまとまりと区切りであけるようにし ます。自分の息の長さで勝手に間をとってはいけません。ちいさなまとまり、 大きなまとまり、などと書きましたが、こうしか書きようがないので、まあ 常識でご判断ください。まず大きく区切って、あとは意味内容の統制をうけ ながら、それにしたがって小さく区切って音声表現するようにします。 子どもの実態 子どもたちは、上手な音読とは、間違えないで、つっかえないで、すら すら読むのが上手と考えているようです。すらすらと早口で読めば、間がな い読み方になります。せっかちな早口読みになってしまいます。 音読に自信がない子は、つっかえずに読むのに精一杯で、文字を拾って 声にするだけで、余裕がない読み方になります。ですから間がありません。 へんな個所で間を取ったりします。自信のある子は、はりきりすぎて、すら すら読むのが上手だと思っていて、これも間がない読み方をします。すらす ら読むのが上手という子どもたちの考えを修正する必要があります。 一つ分は「イチ」でなく「イーチ」ととる 子どもは、間を長めにとるのは意外と難しいようです。どうしても気が せいて、早口読みになってしまいます。どんどん早口で読まない、さっさと 読まない、これはだめ、と指導します。ただし、つかえても、文章内容をこ う音声表現しようという熱い思い・意図があって、それの実現のために努力 していて、そのためにつっかえた・とちった読み方をしているなら喜ぶべき ことです。 一般に児童たちの間のあけ方は、とかく急行列車にして間をとらずに読 み進みがちです。一つ分、二つ分などの間を教科書の文章の余白に記号をつ けていても、一つ分の間は「早口でイチ」ととったり、二つ分の間は「早口 で、イチ・ニ」ととったりしがちです。一つ分は「イーチ」、二つ分は 「イーチ、ニーイー」と伸ばすぐらいの間のあけ方でちょうどよくなります。 児童の読み声においては、間は長すぎると思われるほど長く空けるぐらいで よくなります。間は、たっぷりとあけて読むように指導します。ゆったりと 広々と読むように指導します。文章の意味内容にしたがって、きっちりと表 現すれば、間はたっぷりとおけるようになるはずです。 また、ロボットのような平板なずらずら読みの中の機械的な間あけにな ってしまってはいけません。読み声の流れに生き生きしたメリハリづけや生 動性がなくてはいけません。ずらずらと平板な読み声、メトロノームのよう な機械的な規則正しい間のあけ方でもいけません。間が生きてることです。 意味内容が要求する読み声全体の勢いやリズムやテンポや語勢など生き生き した起伏や動きの生動性の中の間あけであることが重要です。 、 間は、休息時間でなく、緊張時間だ。 間には、いろんな思いがこめられています。間は休息や休憩ではありま せん。はりつめた緊張感があるのです。 前節「間のあけ方で音声表現の七割は決まる」で書いたことを、以下に もう一度、再録します。たとえば以下のような緊張感の思いをもって間をあ けるということです。 間のとり方は、文章の意味内容から決定されてくるべきです。間には、 いろいろな働きがあります。意味の切れ目の間、強調の間、はさみこみの間、 文終止の間、期待もたせの間、ためらいの間、言いよどみの間、反応たしか め待ちの間、真意さぐりの間、緊張を張りつめる間と緩める間、時間を縮め る間と伸ばす間など、いろいろあります。 間は「ここは幾つあける」とストップウオッチで機械的に計れる絶対的 な時間の長短ではなく、相対的なものであり、かなり個人的なものだと言え ます。読み手によってかなり個人差があります。 参考資料 息が切れたから間をとる、喋り疲れたから間をとる、句読点があるから間 をとる、これらも間と言えますが、音読・朗読・表現よみでは、誤った間の 取り方です。間は単なる音声の中断ではありません。間は単なる沈黙ではあ りません。間は雄弁なる沈黙です。何かを語っている間こそ、ほんとの間で す。休憩の時間ではありません。動と動とのあいだにある、静の緊張の時間 です。 音読・朗読・表現よみにおける「間」は、音楽で言えば「休符」のことだ と言えましょう。 つのだ☆ひろ氏(ドラマー マルチ演奏家)が、東京新聞(2020年7 月29日夕刊)に下記のような文章を書いていました。長い文章の中の一部 分です。これを読むと、「間」は、音声表現にも音楽表現にも同じことが言 える、同じ重要な働きをしているものであることが分かります。 音楽ではリズムを感じることも大切だ。四分音符を出すのと八分音符、ま たは十六分音符を出すのでは大きな違いがある。休符も同じことで、休むと いうことは何もしないでいいのではなく、休むこと自体が休まないことと同 じだけの大きな意味を持っている。 例えば、四分音符と四分休符、どちらも音の価値(以下、音価という)は 同じで、片方には音があり、片方には音がない。音があるときは働き、音が なければ休んでいいなんてわけはない。 前述のように音価が同じなのだから、「音を出さず休むから休符」という 考え方は間違いで、音がなくてもあっても分けへだてなく、休符は音が出て いないだけで休んでいるわけでは決してない。 もし音がない状態が休符なら、休んでいる間、リズムを感じる必要もなく、 進んでいく小節数も数える必要はない。次の音の準備としてリズム通り、呼 吸することもせず、休んでいいことになる。だから、現在、世界中で「休 符」という単語で呼称されているものをすべて僕はあえて「無音音符」と名 づけて呼んでいる。 (筆者 つのだ☆ひろ 東京新聞・2020・7・29夕刊より引用) |
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