ここから始めよう音読授業(4) 01・07・23記 第四ステップ・国語科と他教科との音読目標の違い (1)他教科でも文章の音読をさせるが 教師達は、国語の授業はもちろん、社会科の授業でも、理科の授業でも、 道徳の授業でも、教師は児童生徒に文章(教科書、資料)を音読させます。 国語の授業の音読と他教科の授業の音読とは、同じでしょうか。 国語科と他教科とでは、音読させる目的がちがいます。 他教科では、そこに書かれている内容(ことがら)が理解できればいいの です。内容把握ができればいいのです。国語科では、書かれている内容(こ とがら)が理解できただけではだめです。 国語科独自の指導内容があります。論の運び方はどうだ、文章の構造やス タイルはどうだ、段落ごとの要点とその結びつきかた、小見出しづけ、課題 文と解答文(例証、引用)、主張と理由づけ、事実と意見文の呼応、指示 語、仮定表現、文末表現,キーワード、キーセンテンスなど、文章全体の構 成や段落と段落との関係や文と文との関係の指導内容があります。どんな書 かれ方になっているか、筆者の意図とその思考方法(論述の仕方)、説明の うまさやひっかかるところ(疑問)など、「読み取りかた」の技術を身につ けさせる指導をしなければなりません。 また、他教科での音読の読み音調は、つっかえつっかえや一本調子のずら ずら読みや小声読みであっても、それは許されるでしょう。しかし、国語科 の授業では、それは許されません。 (2)学校教育では「表現よみ」をスタンダードとする わたしは、小中学校の義務教育段階における音読の読み音調は、「表現よ み」の読み音調にするべきだということを主張しています。表現読みの読み 音調とは何か、従来の朗読とどう違うのか、という質問があるでしょう。 それの答えは、表現よみという概念が導入されたその脈絡を明示すること から始めなければなりません。表現よみは昭和30年代初め頃から日本コト バの会によって提唱されました。当時は学校教育でも朗読という言葉が広く 使われていましたが、その読み音調は、「素読」という「読書百遍意自ら通 ず」の「文章内容を音声表現する」ということから切れた、ただ声高にずら ずらと読み上げる読み方、つっかえないで朗々と読み上げればよいという読 み方が一般的でありました。児童達の実際の読み声の中には、いわゆる「学 校読み」とか「学童読み」とか言われていた、独特な上下の陥没を繰り返す メロディーのついた読み音調がけっこうみられました。独特なそして奇妙な 語尾の上下変化やへんな抑揚の読み音調がけっこうみられました。一方、新 劇世界では、まだ時代は俳優の肉体がドロドロした情念をもって絶叫する芝 居が主流で、そうした流れを受けた朗読の音調がけっこうみられました。 (3)表現よみの音調とは、こうだ。 表現読みはこうした読み音調の風潮の中から生まれました。そうした朗 読の読み音調を自明のものとみなし、その読み音調を真としてそのまま受け 取り学校教育の標準的な読み音調として使用することはできない、それを批 判し、新しい枠組みを築こうとする意図から、「表現読み」は挑発的な響き をもった単語として提唱されたのでした。文章の意味内容の表現価のみを音 声表現する音調にさせよう、それをめざした音読の仕方(技術)を指導内容 としよう、ということから提唱されたのでした。 初めは、文章内容の「表現的な読み(方)」、「表現的読み」、「表現読 み」とか文脈の流れで使用されていましたが、昭和30年代の後半からソビ エトの読み方教授の「表現よみ」の翻訳本がつぎつぎと出版されるにつれ、 結果としてソビエトの「表現よみ」と内容が奇妙に符合し、しだいに「表現 よみ」の呼称(表記)に定着してきました。 「表現よみ」の音調は、従来なかった音読の仕方か、全く新しい読み音調 かといえば、そんなことはありません。従来からも表現よみの読み音調はあ りました。俳優,アナウンサー、声優たちの朗読といわれる読み音調には表 現よみと全く同じ読み音調、よく似ている読み音調で音声表現する人たちも たくさんおりました。 しかし、朗読という概念には、現在でも、朗々と読み上げる、声高らかに 読み上げる、という内包があることを否定できません。国語辞典にも「朗 読」を引くと、次のように書いてあります。 岩波・国語辞典(第六版、2000年) 声をあげて(朗朗と)詩歌や文章を読むこと。 三省堂・大辞林(増補新装版、1998年) 声に出して読み上げること。特に、詩歌や文章などをその内容をくみと り、感情をこめて読み上げること。 岩波・広辞苑(第五版、1998年) 声高く読みあげること。とくに、読み方を工夫して趣きあるように読むこ と。 現在、巷間では、朗読が次のようにも使われています。 朗読とは種種雑多な読み音調、すべてを含んで使われています。わたし達 が主張する、「意味内容の表現価だけを音声表現するしかた」の「表現よ み」も含むが、その他、朗読は、節つけ読み、オーバーな押しつけ読み、口 先の技巧読み、平板な一本調子読み、早口読み、小声読み、陥没読み、メロ ディアス読み、へんな読み癖など音声表現のいらぬ夾雑物、むり、むだ、不 純物など全てを含む読み音調で使われてもいます。 朗読は、こんな使われ方もしています。裁判官が判決文を朗読する,検事 の調書朗読、提案者が議案書を朗読する、組合で大会宣言を朗読、結婚式で 誓いの言葉を朗読、聖書の朗読,詩人が自作詩の朗読、祝辞や弔辞の朗読、 などの使われ方もあります。これらの読み音調は文章をたんに音声に変えて だけ、ずらずらと読み上げるだけにしかすぎません。 現今、これら種種雑多な「朗読」の概念が、学校教育における理想の読み 音調、標準的な読み音調が定まらず、音読指導の停滞を招いている大きな原 因の一つです。学校教育では、文章内容の表現価のみに焦点づけて音声表現 させよう、そこを徹底指導していこう、こうしたことから「表現よみ」が主 張されているのです。 次へつづく |
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