やってみよう、音読の基礎練習(3)       01・4・26記




 
第三ステップ・上級の基礎練習




        
「修飾語」の音読練習


 修飾語と被修飾語とはひとつながりに読みます。次の(   )の中の修
飾語(赤色)と被修飾語(茶色)とをひとつながりに読みましょう。

(1) (
三びきのとらは、) (大きな口をあけたままでいるわにを
  (
ふしぎそうに見ています。)

(2) (
水色の新しい虫取りあみをかかえた男の子が、) (エプロンを
   
つけたままの母親を) (ぐいぐいと引っぱっています。)

(3) (
春の美しい草花が) (すばらしい季節を歌い上げるようにさき
   
みだれています。)

(4) (
世界の国々から、東京オりンピック大会の記事を書くためにやっ
   
てくる新聞記者たちの宿舎が) (ようやくできあがりました。)

(5) (
みきのまわりがゆうに1メートルをこえるみごとな木が) (十三
   
本も町外れの植木屋さんにありました。

(6) (
春には花がさき、秋にはおいしい実のなる木が、) (神社 のそ
   
ばの森にたくさんありました。)

(7) (
いかにもおなかをすかせているように口ばしをいっしょうけ んめ
  
いに動かしてえさを食べている子つばめは、) (とても かわいらし
  
い。



 
「特別に組み合わさった言葉」の音読練習



  特別な組み合わせで述語にかかる文があります。たとえば、次のような
組み合わさった言葉のある文です。

  もちろん、きっと‥‥‥だ、です(断定表現)

  ぜんぜん、あまり、めったに、‥‥‥ない(打ち消し表現)

  たぶん、おそらく‥‥‥だろう、でしょう(推量表現)

  まさか、おそらく‥‥‥ないだろう(打ち消し表現)

  どうか、ぜひ‥‥‥ください(たのみ、命令表現)

  どうして、なぜ‥‥‥か、の(疑問表現)

  まるで、ちょうど‥‥‥ようだ、ように(たとえ、くらべ表現

  決して‥‥‥な(禁止表現)

  もし‥‥ば、なら、ても‥‥だ、です(仮定表現)

  特別な組み合わせで述語に結びつく文を音読するときは、特別な言葉
(陳述副詞)とそれを受ける述語の言い方とがひとつながりになるように読
みます。特別な言葉と受ける述語とのあいだがかなり離れている文もありま
すが、途中をぶつぎりにしないで、ひとつながりの組み合わせになるように
音読します。

(1)「どうして‥‥か」の例文
  
どうして、カブトガニは二億年みのむかしから、ほとんど形を変
  えることもなく生きつづけることが
できたのだろう

(2)「どうか‥‥ください」の例文
  このことだけは、
どうか、雨が降ろうが、風が吹こうが、やりと
  げて
ください。

(3)「どうして‥‥か」の例文
  
どうして、大きなくまが、みじかい赤いぼうしをかぶり、エプロ
  ンをかけて、う れしそうな声でウーウーと言った
、そのわ
  けを考えてごらん。

(4)「たぶん‥‥だろう」の例文
    けさはくもり空だが、
たぶん、花火の音が秋空高くパンパン
  ひびいて運動会 気分がもりあがり、学校の運動場には子
  どもたちの歓声が
わきあがるだろう

(5)「なぜ‥‥か」の例文
  ある日、わたしは、ふと、あのカナリヤが、
なぜあのように、
  いつも、元気で 人々を喜ばせることが
できるのだろうか、
  と考えました。

(6)「めったに‥ない」、「もし‥たら‥だろう」、「まるで‥よ
  うに」の例文

  ジャン・バルジャンは、あれこれとまよっていた。二時が鳴っ
  た。かれは目を開け、とつぜん、ベットの上に起き上がり、
  
めったに使ったことのないリュックを押入れから手さぐりでさ
  がしあてると、教会へ向かって走り出した。
もし、教会の大時
  計が二つ
打たなかったら、夜明けまでも、そのまま考え込ん
  でいた
だろう。が、ジャン・バルジャンには、その時計の音が、
  
まるで「さあ、ベットから起ろ。行くのだ。」と言っているよう
  
聞こえたのだった。



        
 強調の音読練習


  文章の中の、ある一部分の語句の意味内容を強めるため、その語句を目
立つ音声表現にすることを強調と言います。プロミネンスとか卓立強調とか
言われることもあります。強める声立てにすると、聞き手に強く訴え、印象
深く、その語句が心に残る読み方になります。

 「意味を強めて読む」方法には、次の五つのやりかたがあります。

       (1)高く、強く読む

       (2)低く、弱く読む

       (3)のばして読む

       (4)速く読む

       (5)間をあけて読む


  次に、五つの強調のしかたを実際に声に出して練習しましょう。


    (1)「高く、強く読んで強調する」の練習問題

 次の【  】の言葉を、声を高く、強く、つまり、強める気持ちをこめ
て、大きな声にして、読みましょう。
(1)青木くんたち、【聞こえないの】。
(2)【おかあさん】、聞いてんの。
(3)ガラスを割ったのは、【だれだ】?
(4)これは、【ぼくの】消しゴムだ。
(5】【はっきり】、おことわりするわ。


    (2)「低く、弱く読んで、強調する」の練習問題

 次の【  】の言葉を、低く、弱く、つまり、強める気持ちをこめて、小
さな声にして、読みましょう。
(1)【そうっと】手をはなしてくださいね。
(2)図書室では、【しずかに】本を読みましょう。
(3)耳をすましてごらん。はちの【小さな】羽音が聞こえるでしょう。
(4)ここにおいたはずなのに、ないなんて、【おかしいな】。
(5)ほら、見て、先生の【へんな顔】。


    (3)「のばして読んで、強調する」の練習問題

 次の【  】の言葉の一つの音を長くのばした読み方にしなさい。
【  】の言葉の意味を強める気持ちをこめて読みましょう。
(1)かたつむりさんは、【ゆっくりと】あるいてきました。
(2)【ばかね】、買ったばかりの消しゴム、もう、なくしたの。
(3)【まるい】月が、のっそりとのぼってきました。
(4)まだ、時間は【たっぷり】あります。
(5)【そんなに】高いねだんだったら買わないわ。


    (4)「速く読んで、強調する」の練習問題

  次の【  】の言葉を、早口で読みましょう。言葉の意味を強める気持
ちをこめて読みましょう。
(1)おさかなが、【すいすい】泳いでいるわ。
(2)だって、【くやしいんですもの】。
(3)そんなことがあって、【たまるもんですか】。
(4)さちこ、あなた、【分かってるでしょう】。
(5)新しいのなんのって、出来たての【ほやほやですよ】。


    (5)「間をあけて、強調する」の音読練習

  次の文の【  】の言葉を、テン(読点)のところで間を開けて読み、
意味内容を強めてみましょう。
(1)わたしは、あの人が、【だいきらい】、です。
(2)わたしは、あの人が、【だ、い、き、ら、い、】です。
(3)わたしは、あの人が、【ダーイ、キライ、】です。
(4)わたしは、あの人が、【だいっ、きらい、】です。



        
強調のこぼれ話(1)

 
 谷川俊太郎作「生きる」という詩がある。光村版六年下に採用されて長
い。現行の新教科書にも採用されている。みなさんの中にも多くの先生がこ
の詩を教室で指導なさったことがあるでしょう。
 この詩は、平均八行の五連である。各連のはじめに「生きているというこ
と」の詩句が繰り返し出現する。この「生きているということ」という一行
の音声表現のしかたについて、竹内敏晴氏(演出家)が強調について次のよ
うに書いているのを読んだ。竹内氏は「大切な語を強調するのではない。あ
との部分の力を抜くのだ。」と書いている。強調のしかたについて言ってい
るのだが、おもしろい表現(言い方)だと思った。わたしの表現(言い方)
とはちがうが、わたしと同じことを言っているのだと思う。強調すべき言葉
の、必然性のある一語だけの選択の大切さを言っているのだと思う。

 竹内氏は、指導のはじめに「生き」の「イ」の音が出ないので、「イ」の
音をたっぷりと出す練習をしたと書く。つづいて、次のように書いている。
竹内敏晴『日本語のレッスン』(講談社、1998)より。

ーーーーー引用開始ーーーー

 ようやく声(「イ」音)が出てきたかと思うと、今度はただ単調なワープ
ロの音声化みたいだ。「それで『生きてる!』って気がする?」とわたしは
尋ねる。「まるでリズムがない」 一行を「生き」「ている」「というこ
と」と仮に三部分に分けてみる。実はこの三部分のそれぞれを一所懸命強調
して朗々と読み上げるために、結局平板単調になってしまっている人が多い
のだ。「この三つのうち、どれが一番大切な語句だと思う?」とわたしが尋
ねると、頭を傾けながらも「生き」と答える人が多い。「だったら、その一
語だけをしっかりと言って後は捨てるのだ。でないと、全部のっぺらぼう
で、なにを言ってるのか聞き取れない」大切な語を強調するのではない。あ
との部分の力を抜く、これが一つのフレーズにリズムをもたらすためのポイ
ントである。(略)
 頭を傾け傾けよんでいるうちに、ふっと、イキのリズムがつかめてくる人
がある。あっそうか。「生き」だけが大切で、「ている」はそれのつながり
で、「ということ」はさらにその波紋というか、つまり三つの段階が次次に
弱まっていくのですね、と言った人がある。いったん今まで無自覚に硬直し
て棒のようになっていた声の流れがゆるみ始めると、語調が目が覚めたよう
に弾み始める。

ーーーーー引用終了ーーーー


 竹内氏の、強調の引き出しの発問は、「この三つのうち、どれが一番大切
な語句だと思う?」だった。これも学ぶべきである。



        
強調のこぼれ話(2)


 音楽科では、ピアノ、フォルテ、クレシェンド、デクレシェンドなどの記
号があり、その曲想表現のための指導がある。近藤幹雄(都留文科大学)
は、これらの指導について次のように書く。近藤幹雄『音楽指導の技術』
(国土社1990)より。

ーーーーー引用開始ーーーー

 「そこはPとあるからもっと小さい声で」とか「もっと大きい声を出し
て」などどいう言葉は指導の際に一度も使われなかった。考えてみれば、
「小さい」とか「大きい」とかは、表現された結果としての音量にすぎな
い。音楽の内容の高潮・興奮・躍動・横溢などがあってはじめて真のフォル
テが響くのであって、そういう根源となる
内面の変化なしに、音量だけを大きくしても、本当に心に訴える強さとはな
らないだろう。つまり「もっと大きく」という言葉だけで子どもたちの歌を
速やかに変えていくことはできない。
 「もっと大きな声で歌いましょう」というかわりに、「もっと高い星ま
で、皆さんの声をとどかせましょう。」と言ったことによって、おそらく子
どもの目には星が見え始め、表現への意欲が湧き、{星}をうたうための表
現を求めて心が働き出し、その結果歌声が実際に充実したものへと高められ
たのである。
 子どもたちの歌おうという意欲を引き出したり、歌の内容を把握させた
り、その歌にふさわしい表情を持たせたりするための音や声そのものについ
て指摘するよりもはるかに確実な成果をあげる。

ーーーーー引用終了ーーーー


 上記の文章内容から推察するに、歌詞内容は星についてのようである。文
章・歌詞・台本の内容把握の重要性は、すでにスタニスラフスキーが指摘し
ているところでる。スタニスラフスキーは、テキストの下に流れ、それに生
命と存在の根拠を与えているもの、文字にされた思想の奥に眠っているあら
ゆるものをたたき出せ。そこにとじこめられている全生命を、テキストから
引き出せ。と言った。また「はじめは、音声技術や感情のことは忘れたま
え。内的条件が正しいようならば、感情も表現技術もひとりでに表面に出て
くるものだ。」とも言っている。スタニスラフスキーは、モスクワ芸術を創
設した演出家、俳優であり、上記の言葉はドラマツルギーについて述べてい
る文である。

 近藤先生のご意見は、国語科でも音声表現指導という点では全く同じであ
る。音楽科との関連では、拙著『群読指導入門』(民衆社)でも詳述したこ
とであった。うわべだけの、内容の伴わない、口先技術としての音声表現で
あってはならない。文章内容の読み取りを深め、イメージをたっぷりと浮か
ばせ、感情を喚起し、内的条件を高揚させる指導を先行させるべきことは、
もちろんである。
 国語科でも音楽科でも音声表現指導においては、テキスト(文章、歌詞)
の内容理解が先行すべきで、上っ面の口先の技術のみに走ってはいけない。
思考や感情を置き去りにして、類型化されたパターンでの物言いを作為的に
操作するだけの技術指導であってはならない。身体性のない場所からは、リ
アリティーのない、空疎な言葉しか現出しない。

 しかし、わたしは技術指導を軽視してはならないことも指摘したいと思
う。テキスト(文章、歌詞)の内容が読み手の内奥に働きかけ、かつ内的な
交流がどんなに深まったとしても、それがストレートにぴったりした音声の
表現(あらわれ)になって出るかというと、そうはならない。ぴったりした
音声の表現(あらわれ)を可能にする種々の音声表現技術(わたしが本МL
の音読練習で書いてきた種々の方法)の繰り返してのトレーニングも必要で
ある。繰り返しての練習で、生きて働くように身体に覚えこませる指導は、
とても重要である。
 これら両者が重要であることを、わたしは指摘したい。



        
強調のこぼれ話(3)


 最後に、わたしも、強調のしかたで一つ、言いたい。プロミネンスという
と、、初心者(素人)に限って、形容詞や形容動詞や副詞を殊更に強調しが
ちだ。「川上から
オーキナ桃がドンブラコドンブラコと流れてきまし
た。」「
キレーナ花が庭イーッパーイに咲きました。」「太郎はツメタ−イ
水を
ゴク−ウッゴク−ウッと飲みました。」のように芝居げたっぷりに誇
張してへんに太字個所だけを目立たせ、浮き立たせて、独特の語調で、いわゆ
るクサク表現してしまいがちだ。大げさに赤字個所だけを、へんに、ちぐは
ぐに目立たせて音声表現することだ。
 こうした読み声は、子ども達の読み声だけでなく、先生たちの紙芝居読みや、
読み聞かせにもよくみられる音声表現だ。多くの先生たちの紙芝居読みや読
み聞かせにはこんな音声表現が案外に多くみられます。
  オーバーに、わざとらしく強調しすぎると、その分だけウソがまじり、
イヤ味になって聞こえます。形容詞、形容動詞、副詞などをオーバーに大げ
さに音声化しすぎると、内的なリアリティーが皆無となり、空々しい、嘘っぱ
ちの音声表現となり、逆効果となります。
 形容詞、形容動詞、副詞は、その言葉自体の意味内容で、その表現性は十
分であります。それを殊更にまたもや輪をかけて音声で強調する必要はあり
ません。もちろん、文意・文脈の要求によっては、これら品詞も強調すべき
個所があることは言うまでもありませんが…。
 わたしは、思慮もなく、めったやらに、必然性のないところで、ところか
まわず、上っ面だけの、パターン化した強調表現をするのは止めましょう、
ということを主張しているのです。



       
「係り受け」の音読練習


 次の二つの文を読み比べ、その意味のちがいと、音読の仕方のちがいを考
えてみましょう。


         「係り受け」練習・その1

  (1)おまわりさんは、大急ぎで逃げる男のあとを追いかけた。
  (2)おまわりさんは大急ぎで、逃げる男のあとを追いかけた。

 「大急ぎ」しているのは、だれでしょうか。
  (1)は、「逃げる男」が大急ぎしています。「大急ぎ」は「逃げる
男」に係っています。「(おまわりさんは、) (大急ぎで逃げる男のあと
を) (追いかけた。)」のような区切り方で音読すべきでしょう。
  (2)は、「おまわりさん」が大急ぎしています。「(おまわりさんは
大急ぎで、) (逃げる男のあとを追いかけた。)」のような区切り方で音
読すべきでしょう。
  このように、テンのつけ方で、まったくちがった音読の仕方になりま
す。一つのテンが、意味内容の係り・受けをはっきりさせるために大切な役
目をしているのです。


          「係り受け」練習・その2

  (3)花子は、目をかがやかせて話し続ける太郎をうっとりと見てい
     た。
  (4)花子は目をかがやかせて、話し続ける太郎をうっとりと見てい
     た。

  「目をかがやかせて」いるのはだれでしょうか。音読の仕方は、上の例
と同じですね。声に出して、読んでみましょう。


         「係り受け」練習・その3

  (5)ぼくは、たかし君とみどりさんの家に遊びに行きました。
  (6)ぼくはたかし君と、みどりさんの家に遊びに行きました。
(5)は、「ぼくは、たかし君とみどりさんとの両方の家に遊びに行っ
た。」という意味です。「(ぼくは、) ( たかし君とみどりさんの家
に) (遊びに行きまた。)」のような区切り方で音読すべきでしょう。
(6)は、「ぼくはたかし君といっしょに、みどりさんの家に遊びに行っ
た。」という意味です。「(ぼくはたかし君と、) (みどりさんの家に遊
びに行きました。)」のような区切り方で音読すべきでしょう。


         「係り受け」練習・その4

  (7)一時間ほど、勉強したあとでテレビを見た。
  (8)一時間ほど勉強したあとで、テレビを見た。

  (7)は、「一時間ほどテレビを見た」という意味です。「(一時間ほ
ど、)(勉強したあとでテレビを見た。)」のような区切り方で音読すべき
でしょう。これは、文がわるいですね。「勉強したあとで、一時間ほどテレ
ビを見た。」と書くと分かりやすくなります。
  (8)は、「一時間ほど勉強した」という意味です。「(一時間ほど勉
強したあとで、) (テレビを見た。)」のような区切り方で音読すべきで
しょう。


         「係り受け」の応用問題


  次の二つの文は、どのように意味内容がちがいますか。また、音読の仕
方はどのようにちがいますか。区切りをしめす(  )を書き入れて音読し
てみましょう。

 (あ)田中君は、びっくりして立ち去った男のあとを追いかけた。
 (ア)田中君はびっくりして、立ち去った男のあとを追いかけた。

 (い)兄は、急いで帰る友だちを大声で呼んだ。
 (イ)兄は急いで、帰る友だちを大声で呼んだ。

 (う)わたしは、笑いながらいたずらする弟に注意した。
 (ウ)わたしは笑いながら、いたずらする弟に注意した。

 (え)老人は、なきながら歩いていく孫を灯台まで追いかけた。
 (エ)老人はなきながら、歩いていく孫を灯台まで追いかけた。

 (お)ぼくは、妹と弟の日記帳を買いに行きました。
 (オ)ぼくは妹と、弟の日記帳を買いに行きました。

 さあ、上手にできましたか。音読も、やりだすと、おもしろいでしょう。
もう一回、繰り返して音読してみましょう。


         
係り受けのこぼれ話し(1)


  「赤く小さい花」は、「赤く」と「小さい」が対等関係で「花」にかか
ります。「赤く」は連用形なので、「小さい」にかかる連用修飾語です。だ
から「赤く」はまず「小さい」にかかり、「赤く小さい」がひとまとまりと
なって「花」にかかっていくことになります。音読では「赤く小さい(間)
花」と音声表現すべきでしょう。
  「赤くて小さい花」は、どうでしょう。「て」は活用の連用形について
対等の文節をつくる接続助詞です。「赤くて小さい」がひとまとまりにな
り、さらにそれ「花」にかかっていきます。音読は上と同じで「赤くて小さ
い(間)花」と音声表現すべきでしょう。
  「赤い小さい花」は、どうでしょう。形容詞は二つとも連体形なので、
「赤い」と「小さい」とはそれぞれ独立に「花」にかかっていきます。音読
では「赤い(間)小さい(間)花」または「赤い(間)小さい花」と音声表
現すべきでしょう。


         
係り受けのこぼれ話(2)


  「美しき水車小屋の娘」は、どうでしょう。この装定文を述定文に直し
てみましょう。「水車小屋の娘、美し。」(水車小屋の娘は、美しい。」)
となります。「美しき」は「水車小屋の娘」全体にかかります。音読は「美
しき(間)水車小屋の娘」とすべきでしょう。
  「美しき青きドナウ」は、どうでしょう。前述した「赤い小さい花」と
同じ文法的な構造になっています。二つとも形容詞の連体形で、それぞれ独
立に、対等に「ドナウ(川)」にかかります。音読の仕方は、「美しき
(間)青き(間)ドナウ」または「美しき(間)青きドナウ」となるべきで
しょう。


         
係り受けのこぼれ話(3)


  『うるさい日本の私』(洋泉社)という書名の本がある。著者は、中島
義道氏(電気通信大教授、哲学)です。中島氏のよると、「うるさい」は
「日本」と「私」の両方にかかるのだそうです。「うるさい日本」(おせっ
かいな騒音漬けに鈍感になっている日本の国)に対し、言論で果敢に戦って
いる「口うるさい私」という意味だと、本人が書いています。(中島義道
『うるさい日本の私、それから』(洋泉社)前書き16ぺ)。
  この書名の係り受けをはっきりさせる音読は、どうなるでしょう。文法
的には「美しき水車小屋の娘」と同じ「形容詞連体形+名詞+の+名詞」の
接続です。音読の仕方は、「うるさい(間)日本の私」となるはずです。し
かし、「名詞+の+名詞」のむすびつきが強すぎます。二つが対等に「私」
にかかるやりかた、つまり、「美しき青きドナウ」と同じで二種類の音読の
仕方にしなければなりません。「名詞+の+名詞」の結びつきが強力すぎる
ので、それを離します。「うるさい(間)日本の(間)私」と音声表現する
のがよいと、わたしは思います。みなさんの考えは、どうでしょうか。


         
係り受けのこぼれ話(4)


  こぼれ話(1)(2)(3)で書いた間の開け方について、誤解のないよ
うに付け加えます。これらの間は、たっぷりとした間ではありません。ほん
の気持ちだけの間・ほんのちょっと息をつめ、止めた間・ほんとに軽い間で
ある、ということです。
  また、こぼれ話(1)(2)(3)で書いたことは、これらは文法論(連
文節の成分の係り関係)に限定して考えたことから書いているのであり、そ
の連文節を含む前後の文構造(文内構造)がどうであるか、また、その文章
部分の意味内容の重要度(強調度)がどうであるか、また、それら文章を実
際に音読しつつある、そのときの音調の流れ(速度、語勢、抑揚、リズム)
の変化がどうであるか、これらによって上述(1)(2)(3)の間の開け方
はかなり変形変奏してくることは言うまでもありません。
  ちょっとした息の止め方(間の開け方)一つでも、その止め方が、そこ
で意味内容が終了の形で切れるのか、あるいは、息止めの次への文節へと単
純に続いていく中間の単なる断止であるのか、あるいは、息止めの次のフ
レーズへと覆いかぶさって強く係っていく勢いをもった音声の止め方である
のか、あるいは、息止めの次の語句を卓立強調するために作為的にとった
ポーズであるのか、さまざまあります。しかし、変形変奏があるからといっ
て、こぼれ話(1)(2)(3)で書いたことは無効なのかというと決してそ
んなことはなく、、文法論からの係り・受けは、音読の基礎であり、土台と
しておさえておくべきことなのです。


          一つの例文で練習


   変形変奏について、例文で具体的に考えてみましょう。次のような文
があるとします。

〔例文〕

「ハックショ−イ」と歩きながら、三郎冶はとてつもなく大きなクシャミした。


 「歩きながら、」は「クシャミした。」に係ります。「歩きながらクシャ
ミした。」です。
 だから、この文の係り・受けの基本となる音声表現の区切りを(  )で
示せば次のようのなります。

(「ハクショーイ」と) (歩きながら、三郎冶はとてつもなく大きなク
シャミした。)

 これを、次のように区切って音読してはいけません。テンの位置の個所で
機械的に間をあけて、テンで意味内容が終了した読み方、つまり、

(「ハクショーイ」と歩きながら、) (三郎冶はとてつもなく大きなク
シャミした。)

  これでは、「ハクショーイ」と歩いた、みたいな意味内容となります。
「歩きながら」が述部に係る、全体が単文である文を、重文だとかんちがい
して、テンで機械的に間をあけて条件文と帰結文のように分けて音声表現し
ては間違いになります。テンがあると、そこで必ず間をあけ読むということ
ではない、というよい例です。
  ところが、です。後者のように音読をしても、正当な音声表現になる場
合もあります。「歩きながら、」のあとの間で意味内容が終止することな
く、つまり、そこで音調が下がらず、次の文末「クシャミした。」まで一気
に係る(おいかぶさる)語勢の音声表現にすれば、「歩きながら」の次のテ
ンの位置で間をあけて読んでも、まっとうな、正しい音声表現となります。
  また、仮に、前後の文意から「歩きながら」を卓立強調させる必然性が
あるとするならば、「歩きながら」を強めの声立にして際立たせ、そこで間
を開け、「歩きながら」の修飾部が下の文に係っていく読み方にしたなら
ば、「歩きながら」の次のテンの位置で間を開けて読んでも、これまた、
まっとうな正しい音声表現となります。

  このように音声の文法もあるわけです。しかし、この分野の研究は全く
の未開拓です。ラングの文法に比較してパロールの文法の研究は主観性が強
くあり過ぎるからでしょうか。客観的な学問として成立しにくいからでしょ
うか。わたしには、単なる立ち遅れにしか思えません。

  また、上記の例文には語順変形によるテンのうち方にも言及しなければ
なりませんでしたが、話がごちゃごちゃになるので、これについでは省略し
ました。


             付け加え


 こぼれ話(4)の最後に、 もう一つ、付け加えます。
 全く対等の関係にある修飾語が二つ以上、並列している場合は、意味内容
で、始めにある語句が強調されるということです。
  「赤い小さな花」では「赤い」が、「小さな赤い花」では「小さな」
が、聞き手(読者)に強い印象を与えることになります。


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