音読授業を創る そのA面とB面と      2011・10・10記




  
解釈の違いで
  音声表現は変化する・その例




  「解釈の違いで音声表現は変化する」については、本ホームページのあ
ちこちで書いています。例えば、
  「音声・身体・文化についてのエッセイ」章の
      
「大久保忠宗君からの寄稿文・オーイを巡って」
      
「作家へ質問、感想文を送る」(1)
      「作家へ質問、感想文を送る」(2)

        など。

  本稿では、理論については前掲拙論にゆずって、ずばりの具体例を、直
ちに書いていくことにします。

  本稿で取り上げる教材文は、
詩「春の日」(高田敏子・作)です。出典
は「旧・日書3上」にあった詩教材です。



          春の日
                 高田敏子

        お母さん              
                  
        しっしっ しずかに         
        しずかに来てごらんなさい      
        うまれたばかりのちょうがいる    

        やまぶきの葉のかげに        
        ちょうがはねをひらこうとしている  

        しっしっ しずかに しずかに    
        見てごらんなさい          

        二まいのはねが ほら ひらいた   
        もうすぐ とぶわ          
        とぶわ            
  
             


 この詩「春の日」の音声表現の仕方については、すでに

拙著『すぐ使える音読練習プリント・高学年用』(ひまわり社、2007)

で取り上げています。
  この本には、「大きな声で読む音読練習」と「小さな声で読む音読練
習」という対比で練習文を取り上げてるページがあり、この「春の日」は
「小さな声で読む音読練習文」として取り扱った詩でした。この本を編集し
ていたとき「小さな声で読む練習に適する教材文は、ないかなあ」とあっち
こっちと探していたときにたまたま出会った詩でした。
  それで、この詩の音読目標としては「子どもが、お母さんに、ひそひそ
声で、そっと、ささやいています。子どもになったつもりで、お母さんに語
りかけるように音読しましょう」と書いています。
  「小さな声」を意識して音声表現すること、さらに場面にあった音調、
メリハリで音声表現していただけたら「合格」ということを目標にした詩教
材でした。子どもが、ちょうの脱皮してる現場を発見し、母親を呼び、それ
を見せて、語っている、子どもが詩全文をすべて語っている、という場面設
定として音読目標を書いています。
  この本には、詩本文の下部に、下記のような音声表現の仕方のヒントも
書いてあります。本稿では、音読ヒントを茶色にしてあります。みなさんも、
下部の音読ヒントを参考にしながら、実際に声に出して表現よみをしてみま
しょう。
  下記の音読ヒントの音声表現の仕方を「解釈例1」とします。「解釈例
2・3・4…」については後述で随時に出てきます。


解釈例1

     春の日

           高田敏子

お母さん              
子どもが母親を呼んでいる。
                  
小さな声で、そうっと呼んでいる。

しっしっ しずかに         
子どもが小さな声で、そうっと言う。
しずかに来てごらんなさい      
唇に指を当てているかもね。
うまれたばかりのちょうがいる    
誘いかけて、知らせている。


やまぶきの葉のかげに        
子どもがささやき声で教えてる。大
ちょうがはねをひらこうとしている  
声を出したら羽開きを止めるかもね。


しっしっ しずかに しずかに    
子どもが小さな声で語りかけている。
見てごらんなさい          
ひそやかに、そうっと語っている。


二まいのはねが ほら ひらいた   
子どもが母親の耳の近くで、小さ
もうすぐ とぶわ          
声で、感動して、語りかけてる。
とぶわ              
「ほらー、ひらいたー」「とぶわー、
                  
とぶわあー」などもよい。
        


  以上の解釈例1を、この本では「詩全体を子どもが母親に向かって、ひ
そひそ声で語りかけてる」という場面設定で「小さな声で読む音読練習」の
教材文として取り上げています。

 ところが、この本を購入した一読者
(山梨県の公立中学校の井上秀喜先生)
から、以下のような有益なご意見をメールで頂戴しました。

  「この詩全体が、子どもがお母さんにささやいたセリフというように荒
木先生は読みとっていらっしゃるように推測できます。しかし、わたしには、
母親に子どもが大きな声で(あるいは普通の声で)呼びかけた。しっしっ 
しずかに しずかに きてごらんなさい と、母親が子どもに呼びかけて近
くに越させた。というような会話を母親と子どもがしている詩に思えるので
す。「しずかに来てごらんなさい」という丁寧な言葉遣いは、子どもという
より母親が子どもに優しく丁寧に語りかけている言葉遣いだと思えます。」
と。
  つまり、母子の対話場面であるという解釈です。そして第五連最後尾
「とぶわ」は、母親と子どもが一緒に言う、というような読みも可能な気も
するのですが、いかがなものでしょうか」

というご意見でした。

  わたしはこのメールを読み、「なるほど、こういう解釈もできる、こち
らのほうがよさそうだ」と思うようになりました。それで、「有難う、感謝
してます」のメール返信を送りました。といって、上記してるわたしの解釈
を取り下げたわけではありませんが。これはこれで立派な解釈の一つである
と考えているわけです。
  その後、わたしは数人の教師仲間にこのことについて話をしたところ、
両方の解釈がともに成立する、どちらも間違いとは言えない、どちらの解釈
もよい、というご意見がすべてであった。
  以下に、一読者からの「親子対話」観点からの、その解釈と音声表現の
仕方を、わたしなりに推測して書いてみましょう(いや、荒木なりの解釈に
なってるのかもしれないですが)。次のようになるのではと思われます。こ
の解釈例を「解釈例2」とします。


解釈例2

    春の日

         高田敏子


お母さん              
子どもが母親へかけよってきて
                  
子どもが大声で呼んでいる。

しっしっ しずかに         
母親が小さい声で子どもに語ってる。
しずかに来てごらんなさい      
唇に指を当ててるかもね。
うまれたばかりのちょうがいる    
はずんだ気持ちで、知らせている。


やまぶきの葉のかげに        
見つけて、子どもが驚き大声で言う
ちょうがはねをひらこうとしている  
ほんと、脱皮したばかりのちょうが
                  
いる!

しっしっ しずかに しずかに    
母親が、ひそひそ声で語っている。
見てごらんなさい          
誘いかけて、語りかけて言ってる。


二まいのはねが ほら ひらいた   
母親が感動して、高ぶった気持ちで、
もうすぐ とぶわ          
わが子に、そうっと語りかけている
とぶわ              
「ほらー、ひらいたー」「とぶわー、
                  
とぶわあー」などもよい。


  以上、解釈例1と解釈例2、二つの解釈と音声表現の仕方について紹介
しました。



   
 その他にもいろいろな解釈ができる


  詩「春の日」には、他にもいろいろな解釈とその音声表現の仕方がある
ことが分かってきました。他の解釈例とその音声表現の仕方を、以下に解釈
例1、解釈例2、解釈例3、解釈例4などと区分けして書いていくことにし
ます。

  冒頭で紹介した本ホームページに書いてある三つの拙論(内容はテクス
ト論)から言えば、解釈は一通りではなく、多様な解釈があるのは当然とい
うことになります。音声表現の仕方も多様性があって当然ということになり
ます。(だからといって、アナーキーでよいとは勿論いえませんが)。解釈
の多様性・融通性は、一般的には、説明文→随筆→物語文→詩→短歌→俳句
の順序に広がっていくと言えるでしょう。

  詩「春の日」は、母親と子どもの対話形式だとすると、話し手を決めな
ければなりません。どの言葉を、だれが話しているのでしょうか。人物の配
当の仕方によって、どんな場面であるか、そのセリフを話した人物の表現意
図・気持ちとその話し振りが決定されてくることになります。

  以下、詩「春の日」の各行の前部に話し手の名前を挿入しています。演
劇の台本作りみたいに書き加えをしました。

  読者のみなさんは、前部の話し手の名前をご覧になって、どんな場面か
を想像してみましょう。その話し手の、その時の話し意図や心理感情を想像
してみましょう。そして、実際に声に出して表現よみをしてみましょう。

  子どもの年齢と母親の年齢について大体の見当をつけておくことが重要
です。でないと音声表現ができません。みなさんは何歳ぐらいと想像しまし
たか。わたしは、子どもは幼稚園児から小学校低学年ぐらい、母親は若奥様
と想像しました。二十歳後半から三十歳前後でしょうか。親子関係は相当に
親密で昵懇です。わたしなら、そのつもりで音声表現していきます。

  以下、下記の右半分の(  )の中に、音声表現の仕方のヒント(茶色)
が書いてありますが、これにこだわらないで下さい。荒木の、その時の気分
で、思いつきで書き入れています。書き入れない方がよかった、と反省して
います。(  )の中は読まずに、読者が状況・場面を自由に想像した読み
とり内容に委ねて楽しんで音声表現してみてください。
 上記の解釈例1と2と、下記の解釈例1と2とは音声表現が全く同じです。



解釈例1
 
「子どもが、この詩全部を、母親に小さい声で語ってる」と解釈した例。

      春の日
           高田敏子

子ども お母さん 
(子どもが母親に「こっちへ来て」とそっと呼んでる)
                    
子ども しっしっ しずかに     
(小さな声で、そうっと呼んでる)
子ども しずかに来てごらんなさい    
(唇に指を当てているかもね)
子ども うまれたばかりのちょうがいる  
(誘いかけて、知らせている)

子ども やまぶきの葉のかげに  
(ささやき声で教えてる。大声を出した
子ども ちょうがはねをひらこうとしている    
羽開きを止めるかも)

子ども しっしっ しずかに しずかに   
(小さな声で語りかけている
子ども 見てごらんなさい       
ひそやかに、そうっと語ってる)

子ども 二まいのはねが ほら ひらいた  
(母親の耳の近くで、そっと
子ども もうすぐ とぶわ          
感動して、語りかけている
子ども とぶわ          
「ほらー、ひらいたー」「とぶわー、
                  
とぶわあー」などもよい。)
                  



解釈例2
  
「母親と子どもが対話している」と解釈した例。

       春の日
             高田敏子

子ども お母さん           (子どもが母親へかけよってきて
                    
子どもが大声で呼んでいる)
  しっしっ しずかに      (母親が、小さい声で語ってる)
母親
  しずかに来てごらんなさい   (唇に指を当てているかもね)
母親
  うまれたばかりのちょうがいる (はずんだ気持ちで知らせてる)

子ども
 やまぶきの葉のかげに      (見つけて、驚いて大声で言う
子ども
 ちょうがはねをひらこうとしている ほんと、脱皮したばかりのち
                     
ょうがいる!)

母親
  しっしっ しずかに しずかに  (ひそひそ声で語っている)
母親
  見てごらんなさい        (誘いかけて、語りかけて)

母親
  二まいのはねが ほら ひらいた  (感動した高ぶった気持ちで
母親
  もうすぐ とぶわ      「ほらー、ひらいたー「」とぶわー
母親
  とぶわ            とぶわあー」などもよい。)



解釈例3

  
「母親と子どもが対話している。第五連最後だけ、母と子との言葉が
   偶然に同時に重なって発せられた」と解釈する例。


          春の日
               高田敏子

子ども    お母さん         
(子どもが大声で呼びかけた)

母親     しっしっ しずかに  
(だめよ、そんな大声を出しちゃ)
母親     しずかに来てごらんなさい      
母親     うまれたばかりのちょうがいる    

子ども    やまぶきの葉のかげに 
(驚いて、感動して、やや声高に)
子ども    ちょうがはねをひらこうとしている       

母親     しっしっ しずかに しずかに 
(だめ、大声を出しちゃ)
母親     見てごらんなさい          

母親     二まいのはねが ほら ひらいた 
(感じ入った気持ちで)
母親     もうすぐ とぶわ          
母親と子ども とぶわ          
(母と子、ふたり同時に言う)



解釈例4

  
「母親と子どもが対話している。第五連の2・3行だけ、母と子との言
   葉が偶然に同時に重なって発せられた」と解釈する例。


         春の日
             高田敏子

子ども    お母さん         
(子どもが大声で呼びかけた)

母親     
しっしっ しずかに  (だめよ、そんな大声を出しちゃ)
母親     しずかに来てごらんなさい      
母親     うまれたばかりのちょうがいる    

子ども    やまぶきの葉のかげに 
(驚いて、感動して、やや声高に)
子ども    ちょうがはねをひらこうとしている       

母親     しっしっ しずかに しずかに 
(だめ、大声を出しちゃ)
母親     見てごらんなさい          

母親     二まいのはねが ほら ひらいた 
(感じ入った気持ちで)
母親と子ども もうすぐ とぶわ     
(母と子、ふたり同時に言う)
母親と子ども とぶわ          
(母と子、ふたり同時に言う)



解釈例5

  
「第一連だけ、子どもが大声で母親に呼びかけてる。第二連からあとは
   すべて母親から子へのひそやかな語りかけ」とする解釈例。


      春の日
           高田敏子

子ども お母さん          
(子どもが遠くから、または
                   
近くから母親を大声で呼んでる)
母親  しっしっ しずかに      
(だめよ、そんな大声を出して)
母親  しずかに来てごらんなさい    
(静かにーー、こっちへ来て)
母親  うまれたばかりのちょうがいる  
(見てごらん、覗いてごらん)

母親  やまぶきの葉のかげに      
(そら、見てごらん。小声で)
母親  ちょうがはねをひらこうとしている           

母親  しっしっ しずかに しずかに   
(そうっとのぞいてごらん)
母親  見てごらんなさい          

母親  二まいのはねが ほら ひらいた 
(「ほうーら」とのばしても)
母親  もうすぐ とぶわ    
(「ほら、ほら」と短く強めてもよい)
母親  とぶわ           
(感動で、心踊って、そっと言う)
                



解釈例6
  
「子どもを、女の子と限定した場合1」の解釈例。

       春の日
            高田敏子

女の子 お母さん            
(大声で遠くから呼びかける)
                  
母親  しっしっ しずかに         
(小声で、そうっと言う)
母親  しずかに来てごらんなさい      
母親  うまれたばかりのちょうがいる    
(そっとのぞいてごらん)

女の子 やまぶきの葉のかげに     
(見つけた!感嘆驚き、大声で)
女の子 ちょうがはねをひらこうとしている           

母親  しっしっ しずかに しずかに     
(ややたしなめ口調で)
母親  見てごらんなさい          

母親  二まいのはねが ほら ひらいた     
(感嘆して言ってる)
女の子 もうすぐ とぶわ            
(感嘆して言ってる)
女の子 とぶわ                 
(感嘆して言ってる)
                



解釈例7
  
「子どもを、女の子と限定した場合2」の解釈例。解釈例6と同場面。
   第五連最後二つ、母と子との言葉が偶然に同時に重なって発せられ 
   た場合」とする解釈例。


         春の日
              高田敏子

女の子    お母さん 
(子が遠くからか・近くから母親を大声で呼ぶ)
                  
母親     しっしっ しずかに   
(だめよ、そんな大声を出して)
母親     しずかに来てごらんなさい      
母親     うまれたばかりのちょうがいる    

女の子    やまぶきの葉のかげに   
(そら、見てごらん。小声で)
女の子    ちょうがはねをひらこうとしている       

母親     しっしっ しずかに しずかに 
(そっとのぞいてごらん)
母親     見てごらんなさい          

母親     二まいのはねが ほら ひらいた 
(感じ入った気持ちで)
女の子と母親 もうすぐ とぶわ        
(ふたり同時に言う)
女の子と母親 とぶわ             
(ふたり同時に言う)



解釈例8

  
「子どもを、男の子と限定した場合1」の解釈例。

       春の日
            高田敏子

男の子  お母さん      
(男の子が、大声で遠くから呼びかける)
                  
母親   しっしっ しずかに     
(母親が「静かにね」の表情を
母親   しずかに来てごらんなさい   
頭に描いて言う)
男の子  うまれたばかりのちょうがいる 
(発見、驚いて、大声で言う)

男の子  やまぶきの葉のかげに  
(見つけた!の気持ち、驚き大声で)
男の子  ちょうがはねをひらこうとしている    
(息をはずませて)

母親   しっしっ しずかに しずかに 
(だめ、そんな大声を出して)
母親   見てごらんなさい  
(小声で、見て、見て、誘いかけ口調で)

母親   二まいのはねが ほら ひらいた   
母親   もうすぐ とぶわ       
(大きく感じ入った気持ちで)
母親   とぶわ            
(大きく感じ入った気持ちで)
                



解釈例9
  
「子どもを、男の子と限定した場合2」の解釈例。

      春の日
          高田敏子

男の子 お母さん     
(大声で遠くからか・近くから呼びかけてる)
                  
母親  しっしっ しずかに      
(ひそやかな声で誘いかけてる)
母親  しずかに来てごらんなさい  
(遠くの場合、手招きしてるかも)
母親  うまれたばかりのちょうがいる    
(告げ知らせてる口調で)

男の子 やまぶきの葉のかげに    
(見つけた!の気持ちで、大声で)
男の子 ちょうがはねをひらこうとしている              

母親  しっしっ しずかに しずかに 
(だめよ、そんな大声を出して)
母親  見てごらんなさい       
(見て見て、感動して言ってる)

男の子 二まいのはねが ほら ひらいた  
(心踊らせ弾んだ声で言う)
母親  もうすぐ とぶわ     
(目を見張って、感動して言ってる)
母親  とぶわ          
(目を見張って、感動して言ってる)
                



         後記


◎以上、「解釈例9」まで書いてきました。他の解釈例や音声表現の仕方も
 考えられるでしょうが、本稿では、これぐらいにして終りとします。

◎音声表現の仕方は、母親の性格、子どもの性格、二人の日常生活の親子関
 係の新密度や信頼関係などによって大きく変化してきます。これらをどう
 表象したかによって音声表現の仕方が大きく変化してきます。読者ひとり
 ひとりの音声表現はかなりの違いがあったろうと想像できます。

◎「子ども・女の子・男の子」と書き分けて台本作りをしていますが、ジェ
 ンダーの違い、状況・場面設定の自由度の広がり、それらが違ってくると、
 音声表現も違ってくることになります。こうしたことから「子ども・女の
 子・男の子」と区分けして台本作りをしたのでした。どれも似たようなも
 の、というご意見があるかもしれませんが、わたしの意図を理解していた
 だければありがたいです。

◎本稿のテーマ「解釈の違いで音声表現は変化する」の結論めいたことを言
 えば、文学作品の場合は、作品世界の、そこでの状況・場面をどう把握す
 るかによって、音声表現の仕方は、かなりの融通性(許容度)で広がって
 きて、多様に変化してくるということです。
「詩というものの特徴は2つ
ある。表現の意外性と意味の不確定性だ。」(川本晧嗣。『文学の方法』東
大出版会、1996)
ということです。これが「解釈の違いで、音声表現は変化
する」の大きな条件となります。

  このことを、第五連で説明しましょう。
  下記を、実際に声に出して表現よみしてみましょう。話し手をどう把握
するか、これによって、状況・場面ががらりと変わり、その音声表現の仕方
もがらりと変化してきます。話し手によって作品世界の状況・場面がいろい
ろと規制されてくるからです。
  実際の音声表現においては、瞬時に「自分の作品世界」(状況・場面設
定)が作られるといいですね。ということは、音声表現によって「瞬時の自
己表現力が身につく」ということになりますから。 

  第五連は、こうです。

    
(1) 二まいのはねが ほら ひらいた
    (2) もうすぐ とぶわ
    (3) とぶわ


  この詩が「母子の対話」だとすれば、(1)は前後のつながりから母親と
するのが妥当でしょう。(1)は話し手を母親に固定しましょう。
  とすると、(1)(2)(3)の組み合わせは下記のようになります。
下記の全ては、この詩の文脈上のつながりから考えて妥当と言える組み合わ
せでしょう。これらの組み合わせは、すべて可能で、間違いとはいえません。

  「母」とは「母親のみ」で言う、「子」とは「子どものみ」で言う、
「母と子」とは「母親と子ども」が同時に言う、です。
  下記の組み合わせで、読者の皆さんも実際に声に出して表現よみをして
みましょう。楽しいですよ。縦列三組セットごと、すべて成立しますね。

(1)母  母  母  母  母    母    母    母 
(2)母  子  母  子  母と子  母と子  母    子
(3)母  子  子  母  母と子  母    母と子  母と子


◎もし、読者の方で、他にこんなおもしろい解釈例があるよ、というのがあ
 りましたら、荒木までぜひメールをください。ここに付け加えて紹介させ
 ていただきます。



           
付け加え紹介


解釈例10
  
「やまぶきの葉のかげに ちょうがはねをひらこうとしている」は、
   語り手が状況を説明している、とする解釈例。


 井上秀喜先生(山梨県・公立中学校教員)から、また新しい解釈のメー
ルをいただきました。
  井上先生は、本稿冒頭個所で「一読者」として紹介した方で、本稿執筆
のきっかけを与えてくださった方です。再度、井上先生の新しい解釈の開陳
です。ご寄稿、ありがとうございます。
  井上先生の新提出の解釈は、上述書式からのつながり形式で書くと次の
ようになるでしょう。解釈例10として次に紹介します。


       春の日
             高田敏子

子ども お母さん             
大きな声で、遠くから呼ぶ

母親  しっしっ しずかに        
小さな声で、そうっと
母親  しずかに来てごらんなさい     
蝶を指さして、そうっと
子ども うまれたばかりのちょうがいる   
子どもが蝶を発見しての台詞

語り手 やまぶきの葉のかげに       
語り手がはっきり顔を出して
語り手 ちょうがはねをひらこうとしている     
状況を説明している

母親  しっしっ しずかに しずかに   
母親が小さな声で、子が大き
母親  見てごらんなさい         
な声を出すのを制止してる

母親  二まいのはねが ほら ひらいた  
小さな声で感動し語りかける
右記  もうすぐ とぶわ         
母親または子ども
右記  とぶわ              
子ども または母親と子ども



以上、ご自分の解釈について、井上先生は次のような解説を書いています。

ーーーーー以下引用開始ーーーーー

この詩すべてセリフなのか。次の二文にセリフとしての違和感がある。
  うまれたばかりのちょうがいる
  やまぶきの葉のかげに
  ちょうがはねをひらこうとしている

もしセリフなら
  うまれたばかりのちょうがいるのよ
  やまぶきの葉のかげに
  ちょうがはねをひらこうとしているね
のような語尾がつきそうなものである。

「やまぶきの葉のかげに ちょうがはねをひらこうとしている」は、語り手
がここだけはっきりと顔を出して状況を説明している。

「やまぶきの葉のかげにちょうがはねをひらこうとしている」という言葉は、
子どもが語るにしては不自然な気がする。なぜなら、「やまぶきの葉」とい
う名前、「葉のかげ」という場所のとらえ方が子どもにできるのだろうかと
感じるからである。
 それに対して、「うまれたばかりのちょうがいる」という言葉は、母親よ
りも子どもが語るセリフとしてはしっくりくる。
ただ、「うまれたばかりのちょうがいる」は、新しく別の連に書かれていな
いため、不自然な感じもするが、母親と子どもの対話のセットで一つの連を
構成していると考えるとよい。そうすると、最後の連は、二人の対話として
よめる。

「うまれたばかりのちょうがいる」は、子どもが蝶を発見して言った言葉で
あり、それに対して母親が受けた言葉が「しっしっ しずかに しずかに 
見てごらんなさい」である。

ーーーーー引用終了ーーーーー

「荒木のコメント」
  井上先生は、ここで語り手を設定して新しい解釈例を提出しています。
第三連は「語り手がはっきり顔を出して状況を説明している」と書いていま
す。
  つまり、「やまぶきの葉のかげに ちょうがはねをひらこうとしている」
は、語り手が語っている「地の文」である、ということになります。他はす
べて親子の対話文である、ということになります。ですから、この詩全体は、
≪会話文→地の文→会話文≫の構成になっているということです。
  この解釈10を、テレビドラマ仕立てにして言えば、今、テレビ映像は
「母親と子どもがやまぶきの葉蔭でちょうの脱皮をそうっと覗いて、興味い
っぱい、興奮しつつ、小さな声で語り合って(対話してる)いる。途中にナ
レーターのナレーションが入ってくる。「やまぶきの葉のかげに ちょうが
はねをひらこうとしている」と。そしてまた、母親と子どもが同じ場面で興
味津津に覗いて、ひそやかな声で語り合ってる、そんなシーンが目に浮かん
で見えてきました。
  ナレーションの音調は、よくテレビドラマや映画にあるような、かなり
ゆっくりめに情感たっぷりに思いを入れて引きずって残していく音声表現も
よいでしょう。または、どことなく冷たくよそよそしく状況説明をするだけ
の引いた感じのナレーションでもよいでしょう。あるいは、子ども達が得意
とする「あ、トシ坊がバットをもって追いかけました、、カズ君が走りだし
ました、逃げています、逃げています、距離はだんだん離れていきます」と
いうような、やや早口めで声高の状況描写の説明音調でもよいでしょう。親
子の対話音調はこれまでくどいほど書いてきてますので省略します。
  わたしには、そんなイメージが浮かんだ解釈例でした。


寄稿募集!!
 読者の皆さん まだ まだ ほかの解釈例がありそうです。
 ありましたら、荒木までメールをください。ここに紹介させていただきます。
 メールアドレスは、本HPトップの最下段「お知らせ」欄にあります。

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