「ひとり言」会話文の(C)           2011・10・28記



(C)地の文の中にはめこまれた
     カギなし「ひとり言」の音声表現





地の文の中にあるカギなし「ひとり言」会話文(1)


 「ごんぎつね」(新美南吉、4年生)に次のような「カギなし」の「ひ
とり言」会話文があります。

ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。


【解説】この一文の文内構造は、「ごんは、(………)と思いました。」で
す。ごんは何を思ったかというと、(………)個所です。「うなぎのつぐな
いに、まず一つ、いいことをした。」と思ったのです。思ったことは、ごん
が、心の中で考えた・思考したこと、つまり、ひとり言です。

ひとり言の文章記述形式には、次の三つがあります。

(例1)
ごんは、
「うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをした。」
と思いました。

(例2)
ごんは、「うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをした。」と思いまし
た。

(例3)
ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

  「ひとり言」には、
(例1)のように改行してカギカッコで独立個所に記述される場合と、
(例2)のように地の文の中にカギカッコが付いて記述される場合と、
(例3)のようにカギカッコがついてなくて、通常の地の文のように書かれ
    てる場合とがあります。

  これら三つは、音声表現の仕方が微妙に違ってくるでしょう。
 (例1)は、実際にしゃべった「ひとり言」としての独立性が強くなり、
通常の「  」会話文のように音声表現されることが多くなるでしょう。
 (例2)は、前後の地の文の音調の中に「ひとり言」の口調が少しばかり
目立たせた音声表現になるでしょう。地の文の語りの中に会話口調が少しば
かり出るぐらいになるでしょう。地の文の語り音調とのバランスが必要とな
り、「ひとり言」だけが浮き上がることのないようにします。
 (例3)は、(例2)と同じか、地の文音声表現と殆ど変らない音調にな
るか、でしょう。つまり「ひとり言」音調が希薄になり、全くなしの音声表
現に近接するようになるでしょう。
  以上は「ひとり言」会話文の文章記述形式から言えることで、実際の音
声表現は前後の文脈によっていろいろと変わってくるのは当然です。
  本章では、(例3)についての詳述です。以下に例文で具体的の書いて
いきます。




地の文の中にあるカギなし「ひとり言」会話文(2)

 「ごんぎつね」(新美南吉、4年教材)に次のような「カギなし」の
「ひとり言」会話文があります。

 うら口からのぞいてみますと、兵十は、昼飯を食べかけて、茶わんを持っ
たまま、ぼんやりと考えこんでいました。変なことには、兵十のほっぺたに、
かすりきずが付いています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、
兵十がひとり言を言いました。
「いったい、だれが、いわしなんかを、おれのうちへほうりこんでいったん
だろう。おかげでおれは、ぬすびとと思われて、いわし屋のやつにひどい目
にあわされた。」
と、ぶつぶつ言っています。
 ごんは、これはしまったと思いました。
「かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんなきずまで付けら
れたのか。」
 ごんはこう思いながら、そっと物置の方へ回って、その入口にくりを置い
て帰りました。


【解説】
   
ここには四つの「ひとり言」の会話文があります。三つを、引用し
ましょう。
(その1)
どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、
(その2)
兵十がひとり言を言いました。
「いったい、だれが、いわしなんかを、おれのうちへほうりこんでいったん
だろう。おかげでおれは、ぬすびとと思われて、いわし屋のやつにひどい目
にあわされた。」
と、ぶつぶつ言っています。
(その3)
 ごんは、これはしまったと思いました。
(その4)
「かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんなきずまで付けら
れたのか。」
   ごんはこう思いながら、(以下省略)

  (その1)と(その3)とは、地の文にはめこまれているカギカッコな
しの「ひとり言」です。二つとも「と思う」と但し書きがあることから「ひ
とり言」であることが分かります。頭(心)の中で思ったこと・考えたこと
の心内語です。

  (その2)と(その4)とは、改行し独立個所にあるカギカッコつき
「ひとり言」です。「ひとり言を言いました。」「と、ぶつぶつ言っていま
す。」「こう思いながら、」と但し書きがあることから、「ひとり言」であ
ることが分かります。
  同じ「ひとり言」でも、(その1・3)と、(その2・4)とでは、
「ひとり言」の性格が違っています。
  (その1・3)はカギカッコなしで、地の文の中にはめこまれ、地の文
と同じ資格を持った「ひとり言」の会話文です。
  (その2・4)はカギカッコつきの会話文で、しかも改行して独立した
個所に書いてあり、通常の対話している会話文と同じ資格の文章記述となっ
ています。

  二種類の音声表現の仕方は、当然に違ってきます。
  (その1・3)は通常の地の文のようにすんなりと淡々と読み進んでよ
いでしょう。ほんのちょっと「ひとり言」の話し音調を入れてもよいでしょ
う。
  (その2・4)は実際の「ひとり言」にして、つぶやいている会話音調
で音声表現していくのがよいでしょう。「ぶつぶつ言っています。」「こう
思いながら」と但し書きが付記されていますから、その指示にしたがって音
声表現していくとよいでしょう。低い声で、ぶつぶつ、ぼそぼそと、言葉を
手繰り寄せつつ、あちこちに間をとって読み進むのもよいでしょう。




地の文の中にあるカギなし「ひとり言」会話文(3)
                
 「大造じいさんとガン」(椋鳩十、5年教材)に次のような「カギな
し」の「ひとり言」の会話文があります。

 秋の日が、美しくかがやいていました。
 じいさんがぬま地にすがたを現すと、大きな羽音とともに、ガンの大群が
飛び立ちました。じいさんは、「はてな。」と首をかしげました。
 つりばりをしかけておいた辺りで、確かに、ガンがえをあさった形跡があ
るのに、今日は一羽もかかっていません。いったい、どうしたというのでし
ょう。
気をつけて見ると、つりばりの糸が、みなぴいんと引きのばされています。
 ガンは、昨日の失敗にこりて、えをすぐには飲みこまないで、まず、くち
ばしの先にくわえて、ぐうっと引っ張ってみてから、いじょうなしとみとめ
ると、初めて飲みこんだものらしいのです。これも、あの残雪が、仲間を指
導してやったにちがいありません。
「ううむ。」
大造じいさんは、思わず感嘆の声をもらしてしまいました。 
  

【解説】
   
この文章には、カギカッコつきのひとり言の会話文が二つあります。
(その1)
じいさんは、「はてな。」と首をかしげました。
(その2)
「ううむ。」
     大造じいさんは、思わず感嘆の声をもらしてしまいました。


(その1)の音声表現の仕方
  「はてな。」は、地の文の中にはさみこまれているカギカッコつきの
「ひとり言」です。首をかしげての「はてな。」ですから、実際に首をかし
げた動作をしながら「はてな。」を読むとうまくいくでしょう。心の中で
「どうしたこっちゃ」をつけて「はてな。」を語ってみると更によくなるか
も。ここは地の文としてすんなりと淡々と表情をつけないで読むよりは、
「ひとり言」の音調をちょっと強めにつけて読むほうがよいでしょう。不思
議な気持ち、不審に思っている気持ちをこめて音声表現するとうまくいくで
しょう。

(その2)の音声表現の仕方
  「ううむ」は、通常の会話文と同じに、改行して独立した文章部分とし
て記述されている会話文です。「思わず感嘆の声をもらしてしまいました」
と但し書きがありますので、その指示にしたがった、そうした思いをこめて
音声表現するとうまくいくでしょう。感嘆の声で「ううむ」は少々難しいで
すが、感嘆して驚いている気持ちをいっぱいにして音声表現すればうまくい
くでしょう。「思わず」をちょっぴりと大げさに表情をつけてみるとよいか
も。余りにも大げさになったら笑い物になります。

  ここの文章個所には、もう一つの「ひとり言」レベルの地の文がありま
す。次の地の文個所がそうです。

 つりばりをしかけておいた辺りで、確かに、ガンがえをあさった形跡があ
るのに、今日は一羽もかかっていません。いったい、どうしたというのでし
ょう。
 気をつけて見ると、つりばりの糸が、みなぴいんと引きのばされています。
 ガンは、昨日の失敗にこりて、えをすぐには飲みこまないで、まず、くち
ばしの先にくわえて、ぐうっと引っ張ってみてから、いじょうなしとみとめ
ると、初めて飲みこんだものらしいのです。これも、あの残雪が、仲間を指
導してやったにちがいありません。


  ここの文章個所は、(というか、この作品全体のかなりの個所がそうで
すが)語り手が大造じいさんの目(視線)や気持ちに寄りそって書いてあり
ます。語り手が三人称人物「大造じいさん」に寄りそった語り方になって
います。特に「つりばりをしかけておいた辺り」から「指導してやったにち
がいありません。」までの地の文の書かれ方は、大造じいさんが目にした事
柄を、大造じいさんの気持ちや思いや心理に入り込んで書いてあります。大
造じいさんの「ひとり言」のように書いてあります。「いったい、どうした
というのでしょう。」は、全くの「ひとり言」といってもよいでしょう。
  ここに引用した地の文全体は、語り手が大造じいさんと距離を置かずに、
外側からでなく、大造じいさんの内側に入り込んで、乗り移った気持ちにな
って、重なっているように書かれています。大造じいさんの気持ちが、頭の
中で思考したことがそのままのように書かれています。
  ですから、ここの文章個所を音声表現するときは、大造じいさんの考え
言葉、頭の中で思った事柄、「ひとり言」に近寄せて、大造じいさんになっ
たようなつもりで読んでいくとよいでしょう。大造じいさんが目にして考え
た事柄を、頭(心)の中でひとり言してるように、ひとり言して考えた順番
に、その時々の気持ちによりそって、大造じいさんの気持ちに入り込んで、
そうしたひとり言の音調にして音声表現していくとよいでしょう。




地の文の中にあるカギなし「ひとり言」会話文(4)

 「わらぐつの中の神様」(杉みき子、5年教材)に次のような「カギな
し」の「ひとり言」の会話文があります。

 町へ入るとすぐの四つ角に、げた屋さんがあって、大きな形をした、すす
けた看板が出ています。その前を通るとき、おみつさんはふと足を止めまし
た。入口の近くの台の上に、かわいらしい雪げたが一足かざってあるのが目
についたのです。
 白い、軽そうな台に、ぱっと明るいオレンジ色のはなお。上品な、くすん
だ赤い色のつま皮は、黒いふっくらとした毛皮のふち取りでかざられていま
す。見ただけで、わかいむすめさんの、はなやかな冬のよそおいが、目の前
にうかんでくるようです。
 おみつさんは、その雪げたがほしくてたまらなくなりました。「でも、き
っと高いんだろうな。」
 うら返しになっているねだんの札を、あかぎれの指でそってめくってみる
と、思ったとおり、とてもとても、おみつさんのこづかいで買えるねだんで
はありません。「負けてくれと言ったって、とてもだめだろうしね──。」
 おみつさんは、しばらくそこに立って、すい付けられたようにその雪げた
をながめていました。
「いらっしゃい。何をあげますかいね。」
おみつさんがあんまり長いこと立っていたので、店のおくからおかみさんが
出てきて声をかけました。


【解説】
   
ここの文章個所には、地の文にはさみこまれたカギカッコつきの
「ひとり言」の会話文が二つあります。
「でも、きっと高いんだろうな。」
「負けてくれと言ったって、とてもだめだろうしね──。」

  また、改行でカギカッコつきの「相手に語りかけている会話文」が一つ
あります。
「いらっしゃい。何をあげますかいね。」

  地の文の中にはさみこまれてる会話文は、カギカッコがある場合と、カ
ギカッコがない場合とがあります。
  カギカッコがある場合は、ない場合より会話口調が強い音声表現となり、
会話文としての独立性が強くなります。
  カギカッコがない場合は、語り手が事件・場面を説明してるナレーショ
ンとしての地の文としての性格が強くなり、淡々とすらっと解説し語ってい
る音声表現になります。
  文章の書かれ方の形式からは一応、一般論としてはこうしたことは言え
るでしょう。しかし、これは一般原則で、どんな場面・状況の中で語られ
ているか、文章の意味内容(文脈)によって音声表現のしかたは微妙に変化
してきます。「ひとり言」口調を浮き立たせる強さ弱さも変化してきます。
  
「いらっしゃい。何をあげますかいね。」は、相手へ話しかけている会
話文です。げた屋のおかみさんがお客さんに「いらっしゃい。」と声をかけ
ている挨拶言葉です。げた屋のおかみさんが店の奥から出てきて、明るく元
気よく、おみつさんに話しかけた音声表現にするとよいでしょう。

  前記引用の本文には、地の文の中に、おみつさんの「ひとり言」といっ
てよい、「ひとり言」と極めて近似した文章個所があります。おみつさんの
考え言葉、心内語、心の中で思っただけのひとり言のような地の文です。
次の地の文の個所がそうです。

 白い、軽そうな台に、ぱっと明るいオレンジ色のはなお。上品な、くすん
だ赤い色のつま皮は、黒いふっくらとした毛皮のふち取りでかざられていま
す。見ただけで、わかいむすめさんの、はなやかな冬のよそおいが、目の前
にうかんでくるようです。
 おみつさんは、その雪げたがほしくてたまらなくなりました。「でも、き
っと高いんだろうな。」
 うら返しになっているねだんの札を、あかぎれの指でそってめくってみる
と、思ったとおり、とてもとても、おみつさんのこづかいで買えるねだんで
はありません。「負けてくれと言ったって、とてもだめだろうしね──。」

  この作品の語り手がおみつさんの気持ちに入り込んで語って解説してい
ます。おみつさんの目に見えた事柄を、おみつさんの気持ちによりそって語
っています。語り手が三人称人物「おみつさん」の目や気持ちに寄りそって
語っている地の文です。語り手がおみつさんと一体化し、おみつさんの目
(視線)と気持ちを通してげた屋の店内の様子を解説し語っている地の文に
なっています。全くの独り言(純粋内言)にはなってはいませんが、独り言
に近似した書かれ方の地の文になっています。ですから、これら地の文個所
を読むときは、おみつさんという若い娘さんの目を通した・気持ちに入り込
んだ音声表現にしていくとうまくいきます。
  いま「全くの独り言(純粋内言)になってはいませんが」と書きました
が、「赤い色のつま皮は、黒いふっくらとした毛皮のふち取りでかざられて
います。見ただけで、わかいむすめさんの、はなやかな冬のよそおいが、目
の前にうかんでくるようです。」というような書かれ方は、語り手が「赤い
色のつま皮のげた」を見たときの、語り手の主観的な評価(感想意見)を入
れて書いてあります。同時に、語り手がおみつさんの目や気持ちに入りこん
で書いている地の文でもあります。つまり、語り手がおみつさんの気持ち・
考えに大きく寄りそった書かれ方になっている地の文です。
  このことは、ここの文章全体の、主語「おみつさん」個所を「わたし
は」と入れ替えて読み進むと、殆どと言っていいほど、ここの全体の文章は、
おみつさんが黙って頭の中で考えた事柄・思った事柄が順番に語られている
地の文になっていることに気づくでしょう。語り手とおみつさんが微妙に重
なり、微妙に離れている地の文の書かれ方です。つまり、語り手がおみつさ
んの目や気持ちと全く一致してはいませんが、おみつさんの目や気持ちに寄
りそって書かれた地の文になっています。音声表現するときは、おみつさん
の気持ちに半分ほど入り込んで・片足を突っ込んで、つまり寄りそって読ん
でいくとうまくいきます。ちょっと下品な表現になったが、言ってることが
分かってもらえたらうれしい。




地の文の中にあるカギなし「ひとり言」会話文(5)

  前述した「大造じいさんとガン」(引用例文(3)に戻って新たな
説明を付け加えましょう。

秋の日が、美しくかがやいていました。
じいさんがぬま地にすがたを現すと、大きな羽音とともに、ガンの大群が飛
び立ちました。じいさんは、「はてな。」と首をかしげました。


  この地の文個所は、語り手が、客観的に沼地の様子を外側から描写し語
っている地の文です。美しい秋の日の様子、ぬま地の様子、羽音の様子、ガ
ンの大群の様子、じいさんの様子、外から紹介するように淡々と読んでいき
ます。音声表現では、すがすがしい秋の日の美しい景色を外側の視線から、
淡々と、つきはなして、客観的に、対象化した情景を描写して音声表現して
いってよいでしょう。
  最終行の「
じいさんは、「はてな。」と首をかしげました。」のあたり
から、語り手はしだいに大造じいさんの目や気持ちに寄りそい、重なってい
く書かれ方になっていきます。

 つりばりをしかけておいた辺りで、確かに、ガンがえをあさった形跡があ
るのに、今日は一羽もかかっていません。いったい、どうしたというのでし
ょう。
 気をつけて見ると、つりばりの糸が、みなぴいんと引きのばされています。
ガンは、昨日の失敗にこりて、えをすぐには飲みこまないで、まず、くちば
しの先にくわえて、ぐうっと引っ張ってみてから、いじょうなしとみとめる
と、初めて飲みこんだものらしいのです。これも、あの残雪が、仲間を指導
してやったにちがいありません。


  大造じいさんが目にしたことを、大造じいさんの気持ちに寄りそって語
っています。語り手が大造じいさんにつかず離れず、外側からと内側からと
微妙な離れと重なり方の視点から書いています。ガン一行が行動した痕跡を
目にして、大造じいさんが頭の中で考えた事柄・思った事柄を、その順番に
「ひとり言」に近づいた語り方の地の文になっていってます。
  音声表現するときは、大造じいさんの気持ちに寄りそって読んでいくと
うまくいくでしょう。大造じいさんの目や気持ちになって、大造じいさん思
いに入り込んで音声表現していくとうまくいくでしょう。全くの「ひとり言
ではありませんが、「ひとり言」に接近した語り方の地の文になっています。
  小学校高学年になったら、こうした地の文の書かれ方の特徴、その音声
表現の仕方を、こうした地の文個所を使って指導するのはとてもよい勉強に
なるでしょう。すぐれた言語感覚(文章感覚)を育てる学習となるでしょう。




地の文の中にあるカギなし「ひとり言」会話文(6)

 「カレーライス」(重松清、6年生)に次のような「カギなし」の
「ひとり言」の地の文があります。

「でもな、一日三十分の約束を守らなかったのは、もっと悪いよな。」
分かってる、それくらい。でも、分かってることを言われるのがいちばんい
やなんだってことを、お父さんはわかっていない。
「で、どうだ。学校、最近おもしろいか。」
ああ、もう、そんなのどうだっていいじゃん。言葉がもやもやしたけむりみ
たいになって、むねの中にたまる。
知らん顔してカレーを食べ続けたら、お父さんもさすがにあきらめたみたい
で、そこからはもう話しかけてこなかった。
「お父さんウィーク」の初日は、そんなふうに、おしゃべりすることなく終
わった。


 引用個所には、二つのカギつき会話文があります。
(1)
「でもな、一日三十分の約束を守らなかったのは、もっと悪いよ  
    な。」

(2)
「で、どうだ。学校、最近おもしろいか。」

  二つとも、父親が、わが子に対面して語りかけている会話文です。
(1)は、わが子に教え諭してる父親口調で読めばよいでしょう。
(2)は、父親がわが子に「学校、最近おもしろいか。」と問いかけ・質問
   してる口調で読めばよいでしょう。

  問題は、会話文直後にある地の文個所です。次に説明の都合上、三つに
分けて引用します。

(1)
分かってる、それくらい。でも、分かってることを言われるのがいち
   ばんいやなんだってことを、お父さんはわかっていない。


(2)
ああ、もう、そんなのどうだっていいじゃん。言葉がもやもやしたけ
   むりみたいになって、むねの中にたまる。
   知らん顔してカレーを食べ続けたら、お父さんもさすがにあきらめた
   みたいで、そこからはもう話しかけてこなかった。


(3)
「お父さんウィーク」の初日は、そんなふうに、おしゃべりすること
   なく終わった。


  ここの地の文は、作中人物「ぼく」の視点で描写されています。「ぼ
く」の目に見えたこと、「ぼく」の気持ちに浮かんだことが手にとるように
描写されています。「ぼく」の視点から、「ぼく」の内面(心の動き)を通
して、お父さんに対する思い(「ぼく」の父親への感情評価的態度)が「ぼ
く」の語りとして書かれてあります。
  (1)の地の文は、すべて「ぼく」の視点(気持ち)から書かれていま
す。「ぼく」の心理感情に入り込んで分かりやすく書かれています。ですか
ら、「ぼく」の気持ちになって声に出して音声表現していくとよいでしょう。
つまり、(1)の地の文の音声表現の仕方は、「ぼく」の気持ちに入りこん
で、「ぼく」心理感情に入り込んで、「ぼく」の気持ちになりきって、「ぼ
く」が内面で思考している声として、「父親への反発の気持ち」を「ひとり
言」にして、小さい声で、ぼそぼそと、呟くように、モノローグにして音声
表現していくとよいでしょう。
  地の文(1)全部と(2)前半とは、以上のように「ぼく」の「ひとり
言」に近づいた音声表現にしていくとよいでしょう。
 (2)個所は前半と後半とに分けて説明します。
  前半は「ああ、もう、そんなのどうだっていいじゃん。言葉がもやもや
したけむりみたいになって、むねの中にたまる。」です。
  後半は「知らん顔してカレーを食べ続けたら、お父さんもさすがにあき
らめたみたいで、そこからはもう話しかけてこなかった。」です。

  前半は全くの「ぼく」の心内語・「ひとり言」です。全くの「ひとり
言」として父親への感情をぶちまけて音声表現していってよいでしょう。
  後半は、父親への感情ぶちまけから身を引いて・対象化して、ちょっと
冷静になって、自分の心理感情状態を説明し、自分と父親が行動したことを
報告しています。後半部分はやや冷静になって、やや引いた感じにして音声
表現するとよいでしょう。

  地の文(3)は、「ぼく」の心内語(ひとり言)としての性格を引きず
ってはいますが、(1)とは性格を異にしており、「ぼく」の「ひとり言」
という性格は希薄になり、ここで語り手がひょっこりと顔を出して、かくし
て「お父さんウィーク」の初日は、こんなふうに、父親とおしゃべりするこ
となく終わった。」と、場面から一歩身を引いて、外から状況を解説してい
る、つまり外からナレーションしている文章(地の文)となっています。
  ですから、地の文(3)の音声表現の仕方は、淡々と解説しているよう
に、冷たく、客観的に聞き手に語って説明しているように読んでいってよい
でしょう。

次へつづく