父母からの寄稿文         05・7・27記




   
わが家における音読練習の風景




             
はじめに


  学級担任が、児童ひとりひとりに音読カードを配布し、家庭でも音読練
習をするように課題を出すことはよくあります。家庭での音読練習に父母の
協力をお願いします。一週間ほど、毎日、各家庭でわが子の音読の読み声を
父母に聞いていただき、父母が審査員となって教師が配布した音読カードの
評価項目の一つ一つに《花丸◎○△×》などのしるしを記入していただきま
す。≪音読カードについての詳細は、拙著『音読指導のアイデア集』137
ぺ〜140ぺあたりを参照のこと。≫

  わたしは、学級懇談会が実施される事前に音読カードを作成しておき、
学級懇談会当日に父母の一人ひとりにその音読カードを配布し、一つ一つの
審査の評価項目について簡単な説明をします。こうして、家庭での音読練習
の審査項目について説明し、審査記入への父母の理解と協力を求めます。
  学校では、国語の時間に、ここの文章部分を、こんな読み声で音声表現
するように指導している。ここに書いてある音読カードの審査の評価項目の
一つ一つはこういう内容で、こんな読み声で音声表現ができたらすばらし
い。こんな音声表現で読めたら花丸で、こんな音声表現で読めたら◎で、こ
んな音声表現で読めたら×です、というようなことを話します。それをもと
に父母が各家庭で、わが子の読み声を聞いて、音読カードの評価項目の一つ
一つに審査のしるしを記入していただくようにします。

  こうすると評価の基準が学校と家庭とで共通理解ができ、父母はこう読
むのが上手だと言い、いや先生はこう読むのが上手と言った、という食い違
い、児童からの文句も出ないようになり、児童も父母も教師も評価項目とそ
の読み声に共通了解ができるようになります。この共通了解が出来ていれ
ば、父母が記入した審査評定のしるしに児童から異議申し立ても出なくなり
ます。父母の審査評定に子どもは納得できるようになり、子どもからの不満
もなくなります。


  下記の寄稿文(1)は、横山永之介くん(横浜・東台小・1年)の母親
が担任に寄せてくれた家庭での音読カードによる音読練習の風景の報告文で
す。横山君の母親が次のような克明な家庭での音読カードによる音読練習の
様子を描写した報告文(手紙)を自主的にわたしに寄せてくれました。
  横山君が読んでいる文章は、なかがわりえこ作「くじらぐも」(光村、
1年上、)です。音読カードのしるしは、花丸がなくて、≪◎○△×≫の
四種類だったようです。
  横山家における母と父と子との、音読カードを中心にした音読練習で
の、ほのぼのとした、ほほえましい、かつ緊張感や迫力感のある触れ合いの
様子が報告文から読みとられます。


  寄稿文(2)は、鎌田聡明くん(横浜・下田小・二年)の母親が寄せて
くれた報告文です。学校での音読学習の効果が少しずつ家庭にも浸透し、音
読についての話題が親子や兄弟のあいだにも出るようになり、音読学習の成
果がささやかながらも上がってきている様子がうかがえます。



    
寄稿文(1)横山さんからの報告文


 11/19
一週間、毎日続けなければならないので、初めに、てれたり、めんどうがっ
たりすると続けにくいなと思う。夕食後の落ち着いた時間を見計らって、授
業参観の話をもちだし、「くじらぐも」っておもしろい話だねと水を向け
る。わりと抵抗なく、教科書を持ってくる。ちょっと儀式ばって「しらべる
ところ(読み審査の項目)を、ひとつひとつ読んでほしい。」と言う。
小さい弟も座らせて、一つ一つ調べるところを確認していくうちに、かなり
のってくる。少々緊張気味で、しゃっちょこばっているが、精一杯頑張っ
て、特に会話文のところは思い入れたっぷりに読んでいる。
ほぼ”完璧”と評価する。
本人も、できばえにいたく満足の様子。
調子にのったまま、図書館から借りている本も、弟に読んで聞かせる。

 11/20
前日の賞賛がきいたのか。本日もすんなりと、お絵かきをやめて教科書を
持ってくる。
昨日と同じように、読み審査の項目(しらべるところ)を格式ばって読まさ
れる。一つ一つうなずいて確認している。
前回と同じような緊張感で大真面目に読む。
会話のところなど、少々思い入れがオーバーな感がある。
あまり甘い点ばかりではどうかと思い、途中から声が少し小さくなったから
△と言ったら、初めから全部やりなおすと抗議を受ける。全部が○になるま
で止めそうにもない勢い。
こんどは僕が審査するといって、母親もやらされる。
「たいへんよいが、会話の感じが、もうちょっとよくない。」と評価され
る。

 11/21
今日は学校でほめられたといって、張り切って読む。
本人評価で、今日のほうが、一日目よりずっとよく気持ちをこめて読めたの
だから、◎にしろと強要される。
三日目になると、二歳の弟も覚えて、「一、二、三、もっとたかく。もっと
たかく。」とまねて大声でわめくので、すっかり気をよくしている。
だんだん審査の基準が、本人の精神的な評価に変わってきてしまっている。
あと四日間の変化が見ものである。

 11/22
本日も頑張る。夕食後、自分から進んでもってくる。
一所懸命きもちを込めようと頑張りすぎるせいか、少し声がくぐもりがちで
ある。非常に注意深く読んで全部○になる。
他の本を読むときも、会話の部分になると、感じを出して、声の感じまで変
えて読んだりするようになってきている。

 11/23
本日は、おとうさんに審査してもらうことになったので、またまた大張り切
り、張り切りすぎて息切れがしている。
四日目になると、評価そのものより、”プライド”の問題である。父親の
ちょっとした注意にも、モーゼンと「そんなことはない!」と抗議する。父
親としてはあまりうぬぼれてもと、一つぐらいは△にしたかったようだ。
父親も、審査される。「読むのはとても上手だけれど、気持ちを込めるほう
は僕のほうがうまい。」と言う。

 11/24
本日も誇り高き君は手を抜けない。昨夜は何事かという感じだった父親も、
状況がよく分かって雰囲気作りに協力的。
たいへん満足できる結果で、本人はごきげん。
親としては、このころになると、もう少し前の時期に△評価を与えておけば
よかったと少し後悔する。でも、もう意地でも○をもらおうという気迫に押
され気味である。

 11/25
本日は仕上げの記念にテープレコーダーに録音するので、終わったら聞き直
して一緒に審査しようということになる。
一週間、途中であきたり、だれたりするかと懸念したけれども、連休で父親
が参加したり、すっかり覚えてしまった弟が負けずに大声で暗誦したり、で
緊張感が持続して、とてもよい結果になったと思う。
最初によい評価を与えたので、本人はそれを維持しようと、頑張る励みに
なったように思う。
録音の結果は、本人はとても満足そうで、特に会話の感じと、気持ちを込め
るところは「◎でなきゃあ。」と自己評価する。
母親も賛同して、面目を施す。




     
寄稿文(2)鎌田さんからの報告文



  学校から帰ってくると、すぐ聡明が「母さん、母さん、今日の国語の時
間にねー。本読みをしてね。先生が上手に読めたぞといっていたんだよ。」
とニコニコ顔で話してくれました。
  以前は日課表に国語とあれば「ああ、国語か」といやな声を出していま
した。近頃は、「ぼくの得意な科目は算数と国語だよ。」と言っては本を取
り出して、幾度も読み返しては本に書き込みを小さな字で書いたり、2とか
3とかいう数字を書き入れて声の大きさのしるしをつけたりしています。
「あっ、ここは声の調子を変えたほうがいいから、転調のしるしを入れよ
う。そうだ、この言葉のところは間を置いたほうがいいようだから、間のし
るしを書き入れとこう。」と一人でぶつぶつ言いながら本にしるしをつけて
いるようです。
  しばらくしていると、「母さん、本を読むから、聞いてよ。」と言っ
て、本読みをします。
  本文にて話しかけているところ、本当に心配している様子、あるいはと
てもうれしいところ、ちょっと考えているのかなあと思われるところなど
が、声の調子、声の出し方ひとつで文の様子が手にとるようにくわしく声で
表現できるようになりました。
  また、妹の直子が絵本を読んでいると「そこは、そう読むのではない
ぞ。「 」のしるしのところは人が話した言葉だから、その人の気持ちに
なって、話し言葉で読まないと悪いんだよ。ここはずーっと前の事を言って
いるのだから、思い出すような気持ちで読むんだよ。」と言って、妹に絵本
を読み聞かせていることもあります。
  そして、妹の直子に、「書いてあるとおりに読むのだけれど、気持ちを
考えて読むと、どんなことが書いてあるかが解るだろう。」と話していま
す。妹の直子には、まだ一寸解らず、「大きな声で言ったり、小さな声で
言ったり、山みたいな谷みたいな声を出せばいいの。」と不思議そうな顔を
しています。



  
毎日新聞の投稿記事「たぬきの糸車」から


 下記は、毎日新聞(2015・3・15)投稿欄「女の気持ち」に掲載されてい
た記事です。筆者とわたし(荒木)とは全くつながりはありませんが、連関
している文章内容なので再録させていただきました。

        たぬきの糸車
            東京都江東区 大沢豊子 主婦・41歳

 「『キーカラカラ キーカラカラ キークルクル キークルクル』ふと気
がつくと、やぶれしょうじのあなから、二つのくりくりした目玉がこちらを
のぞいていました」
 小学一年生の教科書に出てくる「たぬきの糸車」のお話の一節だ。「キー
カラカラ キークルクル」のところがなんともかわいらしい。今日も次女が
一生懸命に宿題の音読をしている。このお話を聞くのも、長男、長女、次女
と3度目だ。
 長男が1年生の時は、次女が赤ちゃんだったので、オムツを替えたり、お
っぱいをあげたりで、落ち着いて音読を聞いてあげることができなかった。
心の中で、いつもごめんね、と謝っていた。
 長女の時は、次女も言葉を覚え、意味も分からずまねをするので、「もう、
まねしないでよ」と姉妹でけんかをしながらの、それはにぎやかな音読だっ
た。
 今度はやっと、しみじみと、ゆったりとした気持ちで聞くことができる。
 教科書にはすてきなお話がたくさんあって、中には「くじらぐも」「スイ
ミー」など、自分が小学校の時に読んだなつかしいお話もある。今、5年生
の長女が読んでいる「わらぐつの中の神様」も、心温まるお話だ。
 私にとって12年間も続く「小学校のお母さん」生活も折り返しを過ぎ、ま
だまだ先が長いなあと思うこともあるのだけれど、この音読を聞けるのもあ
と5年なのだと思うと、ちょっとさみしさも感じる。



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