音読授業を創る そのA面とB面と        06・4・2記 




「森へ」の音読授業をデザインする




●「森へ」(星野道夫)の掲載教科書………………………………光村6上



       
星野さんの語り・ナレーション


  「森へ」の文章は、筆者・星野道夫さんになったつもりで、星野さんの
目になって・気持ちになって、星野さんの語り・ナレーションとして音声表
現していくとよいでしょう。
  この文章は、星野道夫さんが南アラスカからカナダにかけて広がる原生
林に旅行したときに見聞したことを書いた紀行文です。星野道夫さんがカ
ヤックにのって原生林に近づき、原生林に足をふみいれたときの出来事、見
聞、感想が書かれています。星野さんの目に見えたありさま・景色の様子が
行程を追って順ぐりに書かれています。それら行程の、その都度に星野さん
の心に浮かんだ感想や感慨などもこまかに書かれています。
  ですから、この紀行文は、目に見えた事象(海、原生林)はどんなあり
さまであるか、それを、聞き手(聴衆)に分りやすく、ゆっくりと、かんで
ふくめるように、ていねいに、叙述し、語って聞かせるよう音声表現すると
うまくいくでしょう。事象(場面)のありさまだけでなく、その事象のあり
さまに対して星野さんがどのように心を動かしたかの気持ちもつけ加えなが
ら音声表現していくことになります。
  いずれにせよ、原生林のありさまを、聞き手(聴衆)に分りやすく伝え
る意識をいっぱいにして音声表現していくことです。そうした心遣いの音声
表現の仕方を工夫していくことがとても重要です。


        
場面の区切りをはっきりと


  語り・ナレーションは、場面の区切りをはっきりさせて音声表現するこ
とです。一つの場面の中に、次の場面の語り内容が入り込むような音声表現
をしてはいけません。場面ごとの区切りをはっきりさせて、区切りごとに区
分けして情景を語っていくこと、区切りの間をしっかりととって音声表現す
ることが重要です。
  「森へ」の文章に、区切りのはっきりしていない文章個所があります。
区切りがはっきりしていない文章個所は、冒頭部分です。
星野さんがカヤックを降りて、原生林へ足を踏み入れた文章個所あたりから
場面ごとの段落分けがはっきりしてきておりますが、それ以前は、意味内容
での区切りが明確になっていません。原生林へ足を踏み入れた辺りから一場
面が一段落の構成となって明確になっております。この辺りから、一つの段
落が一つの場面として短く区切られた文章構成となって書かれています。
  音声表現では、段落ごとの区切りでたっぷりと間をあけて読みましょ
う。次の段落へ移った冒頭では、これまでの意味内容の思いを断ち切り、新
しい気分・雰囲気にして、その段落(場面)の意味内容にふさわしい気分・
雰囲気の読み声にして読み出していくようにしましょう。
  その点、「森へ」の文章の冒頭個所は、場面の段落の区切りがはっきり
としていません。星野さんには、アラスカの霧につつまれた北海の原生林の
入り江の風景への感動がかなり強く深かったようです。その感動の強さと深
さが一段落の中にあっちこっちと一気に目移りして区切りなしに書きこんで
いるように思われます。この文章冒頭の二段落は、星野さんの目移り(視点
の移動)がとてもはげしいです。一つの段落の中に目線があっちへ、こっち
へとはげしく移動していて、あれもこれもと詰め込んで書かれています。
  こうした長い一段落の文章を何の切れ目もなくずらずらと音声表現して
しまうと、聞き手(聴衆)には何を語っているのかがさっぱり分らない語り
・ナレーションとなってしまいます。語り手(ナレーター)は、いま、どの
場面を語っているのか、その区切りをはっきりさせて音声表現する配慮がと
ても重要です。
  例えば、映画やテレビの映像と、そのナレーションで考えてみましょ
う。ひとつの場面には、それに見合ったナレーションの言葉があります。場
面の転換があれば、違う場面に移ったわけですから、それ見合った違う言葉
とナレーションの雰囲気作りが必要です。ナレーションにおいては、場面転
換ごとにはっきりした区切りの間をあけて語って聞かせることがとても大切
です。
  目移りのはげしい冒頭文章の二段落は、次のような段落構成にして、そ
れぞれの段落を一つの場面として区切りつつ、間をあけつつ、音声表現して
いったらどうでしょうか。幾つかに段落分けをしてみました。
  話しをわかりやすくするため、冒頭の二段落を便宜的に下記のように書
き換えてみました。下記のような場面構成にして、段落ごとの区切りで間を
あけて読むと、分りやすく聞き手(聴衆)に伝わるのではないでしょうか。
  下記の段落分けの仕方で、荒木自身が迷う個所もあり、下記が完全な段
落分けとは言えません。が、とにかく数段落に分けて、区切りを入れて音声
表現することはとても重要です。段落の分け方は、人によって若干の違いは
あるでしょう。
  児童への実際の指導では、ノートへの書き換え作業などをさせる必要は
ありません。教科書の文章に鉛筆で区切りの線をいれさせる学習活動やその
音読練習作業だけでけっこうでしょう。

 ≪冒頭の第一段落≫

  朝の海は、深いきりに包まれ、静まりかえっていました。聞こえるの
は、カヤックのオールが、水を切る音だけです。

  少し、風が出てきました。白い太陽が、ぼうっと現れては、消えてゆき
ます。ゆっくりと、きりが動いているのです。

  オールを止めると、カヤックは、鏡のような水面をしばらくすべり、ミ
ルク色の世界の中で、やがて動かなくなりました。きりの切れ間から、辺り
を取りまく山や森が、ぼんやり見えています。

  たくさんの島々の間を通り、いつの間にか深い入り江のおくまで来てい
たのです。

  ここは、南アラスカからカナダにかけて広がる、原生林の世界です。


 ≪冒頭の第二段落≫

  じっとしていると、カヤックをこいでいるとき気づかなかった音が、少
しずつ聞こえてきました。

  ピロロロロ──。ハクトウワシの、小鳥のようなさえずりです。が、辺
りの森を見わたしても、姿が見えません。

  ポチャン──と、1ぴきのサケが、海面から三十センチほど飛び上がり
ました。谷間から、川の音かたきの音か、かすかな水の音がわたってきま
す。

  きりは、絶えず形を変えながら、森の木々の間を、生きもののように
伝っています。

  水面を流れるきりは、ぼくの顔や体を、しっとりとぬらしました。その
ときです、不思議な声がきりの中から聞こえてきたのは。

  シューッ、シューッ、シューッ──。ぼくは体をかたくして、だんだん
近づいてくるその音を待ちました。とつ然、きりの中からすうっと巨大な黒
いかげが現れ、目の前を潮をふきながら通り過ぎていったのです。ザトウク
ジラ──。広い海原にいるはずのクジラが、どうしてこんな所にいるのだろ
う。

  やがて、クジラは尾びれを高く上げ、ゆっくりときりの中に消えてゆき
ました。


       
主観性が強いか、客観性が強いか


  人間の認識思考においては、それぞれの人間の内面(主観性)をとおし
て対象世界を把握することになります。それぞれの人間の個性的なフィル
ター(主観世界)をとおして認識思考することになります。全くの客観的思
考というものはありません。認識思考した結果の文章は、対象描写の客観性
が強いか、主観性が強いかの違いだけです。
  「森へ」の文章は、星野道夫さんの個性的なフィルター(主観世界)を
とおして文章化された紀行文です。南アラスカからカナダにかけて広がる原
生林の様子が、星野さんのフィルター(内面世界)をとおして描写されてい
ます。星野さんの主観的な内面世界をとおして原生林の様子が、星野さんの
感想や感慨を含めて文章化されています。
  「森へ」では、筆者・星野道夫さんは「ぼく」という一人称人物として
登場しております。つまり、星野さんが語っている文章です。ですから、読
み手(ナレーター)は、「ぼく」の目になって、「ぼく」の気持ちに入りこ
んで、アラスカの入り江や原生林の世界(ありさま)を聞き手(聴衆)に向
かって語っていく音声表現になります。「ぼく」が目にした原生林の様子や
そこでおこった出来事を、「ぼく」がその時々に感じた心の動きや揺れを、
「ぼく」の気持ち(感情)にのりうつって、「ぼく」になって語っていくこ
とになります。
  「森へ」の文章には、「ぼく」の主観的感情(感想や感慨)が文中に強
くこめて書かれている文章個所と、原生林のありさまが客観性濃く描写され
ている文章個所とがあります。「ぼく」の主観性が濃い文章個所と、「ぼ
く」の主観性が薄い文章個所とがあります。
  音声表現においては当然に、主観性が濃い文章個所は「ぼく」の主観
的・感情的な思い入れを強くして音読しなければなりませんし、客観性が濃
い文章個所は、淡々と対象のありさまを外へポンと差し出すだけの音読にし
なければなりません。
  このことを、次に原文に即して説明していきましょう。

  前記した「森へ」の文章冒頭の大きな二段落の全体は、星野さんの目に
見えたことを、星野さんの内面世界(フィルター)をとおしつつも、かなり
対象世界を客観的に描写している文章といえます。冒頭文章の二段落の全体
は、客観性の強い描写性を持つ文章といえます。このような文章個所は、
「ぼく」(星野さん)の気持ちになって読みながらも、目に見えた原生林や
入り江のありさまを、そのままに外へポンと言葉(音声)にして差し出すだ
けの音声表現にするとうまくいきます。
  さて、冒頭文章の二段落につづく文章は、こうです。

  再びカヤックをこぎ始めました。深い森の木々がおし寄せるはま辺が、
しだいに近づきました。

≪荒木のコメント≫
  ≪自分の行動を単に説明し、伝達しているだけの文章です。客観性の強
い文章といえます。淡々と、自分の行動を聞き手(聴衆)に伝達するだけの
音声表現にします。≫

  バサッ、バサッ──。ふいに、ハクトウワシが森の中からまい上がり、
頭上を飛び去ってゆきました。ぼくがこの森に近づいてくるのを、ハクトウ
ワシはじっと見ていたのです。

≪荒木のコメント≫
 ≪冒頭は擬音語です。羽音に似せて客観性を強くして音声表現するとよい
でしょう。第二文も客観性が強い描写文ですから、前文と同じ音声表現にし
ます。第三文は、第一、二文の出来事に対する「ぼく」の解釈や説明が加わ
っている文章です。ここも客観性が強いですから、第一、二文の音調を引き
ずりながら淡々と理論的に解説を加えているような音声表現にして読み進め
ていってよいでしょう。≫

  やがて、カヤックが砂はまに乗り上げると、森は、おおいかぶさるよう
にせまっていました。見上げるような巨木や、その間にびっしりとおいしげ
る樹木が、ぼくがこの森に入ることをこばんでいるようでした。

≪荒木のコメント≫
 ≪第一文も、第二文も、客観性が強い描写文です。
  ただし「ぼく」(星野さん)が原生林を目にしたその驚きは大きく、文
章表現にかなり感情を動かされた感化的表現の語句が使用されています。
「見上げるような巨木」「びっしりとおいしげる樹木」「入ることをこばん
でいるようでした」という表現です。これらはかなり主観性が強い修飾語句
ですので、これらを音読するときは声を強く高くして目立つように強調して
音声表現するとよいでしょう。≫

  はま辺にそってしばらく歩くと、だれかが通ったように草のしげみがわ
かれ、そのまま森の中へ続いているのに気がつきました。いったいだれが来
たのだろう。ここは、人の住む場所とは遠くはなれた世界です。

≪荒木のコメント≫
 ≪第一文と第三文とは、客観性が強い描写文といえます。淡々と場面の状
況をポンと前へ差し出すだけの音声表現にします。
  第二文は主観性の強い文章表現です。第二文は、「ぼく」(星野さん)
のまったくの心内語です。頭の中に浮かんだだけの純粋内言・内面対話の言
葉です。小さい声で、自分に向かってささやいているように、聞いているよ
うに、ひとりごとして自分に語って聞かせて、問いかけているような音声表
現にしなければなりません。
  いずれにしても、「森へ」の音声表現の仕方は、「ぼく」(星野さん)
の目になって、「ぼく」の目に見えた対象のありさまをありのままに聞き
手(聴衆)の前に差し出すことが第一義的に要求されます。それに付け加え
て「ぼく」(星野さん)の感情(感想や感慨)が強く込められている文章内
容では、その時々の「ぼく」の心の揺れ動きの強さを情感性豊かに音声表現
していくようにしなければなりません。≫

  お断り。主観性が強いとか、客観性が強いとか、これらの区分けは、こ
こでの説明の都合上での便宜的な分類、主観的な分類でしかありませんし、
相対的な分類でしかありません。


           
静と動、遅と速


  「森へ」の文章は、筆者・星野道夫さんの紀行文です。南アラスカから
カナダへかけて広がる原生林に足を踏み入れて目にしたことの旅行体験記で
す。星野さんは今まで目にしたことのない未知の世界に足を入れました。入
り江や原生林のありさまを描写しつつ、それら原生林の様子について、その
時々に感じた「ぼく」(星野さん)の感想や感慨を付け加えて書いていま
す。
  人間がめったに足を踏み入たことのない辺境の地・アラスカの原生林の
風景を目にして、「ぼく」(星野さん)が、驚いたこと、不思議に思ったこ
と、発見したこと、疑問に思ったことなども付け加えて書いています。
  「森へ」の文章を音声表現するときは、その場所がどんな風景・様子で
あるかを音声で描写構成すること、その場面・様子を音声で作って描写表現
することが大切です。そして、それら場所(場面)ごとで、「ぼく」
(星野さん)はどう心を動かしているか、「ぼく」(星野さん)の気持ち・
気分はどんなであったか、これら「ぼく」(星野さん)の心の動き・気持
ち・感慨を音声にして表現していくことが必要です。つまり、それら場所
(場面)ごとを、どんな雰囲気にして、どんな気分で、どんな音調にして音
声表現していくかに気を使って、それらを工夫しながら読んでいくことが大
切です。

  これらを例文で調べてみましょう。はじめに前述した「森へ」の冒頭二
段落の文章について書いてみよう。

 
第一段落は、「ぼく」(星野さん)はカヤックにのって原生林の入り江
に来ています。「ぼく」の目に見えた霧の深い海や入り江の様子が客観的に
描写され、「ぼく」の気持ちをとおした言葉で語られています。
  冒頭文は「朝の海は、深いきりに包まれ、静まりかえっていました。」
です。深い霧に包まれ静まりかえっている海と入り江と原生林を目にしてい
ます。音声表現の声量は小になるでしょう。テンポは遅となるはずです。
  間のあけかたも「朝の海は(間)深いきりに包まれ(間)静まりかえっ
(間)て(間)い(間)ま(間)し(間)た(間)。聞こえるのは(間)カ
ヤックのオールが(間)水を切る音(間)だけ(間)で(間)す(間)。」
というように、心もちだけのほんの短い間ですが(極端に長い間をあけるこ
となく)、濃霧にけぶる海面の静かさ表すために読みのテンポをゆっくり
と、しだいに消え入るような間のとり方とテンポで音声表現するとうまくい
くでしょう。
  「ぼうーっと」「ゆーくりと」「ぼーんやり」など、副詞的語句を長く
伸ばして読むと意味内容が強調されてメリハリがつくでしょう。
  冒頭の第一段落の最後の一文「ここは、南アラスカからカナダにかけて
広がる、原生林の世界です。」は、これまでのような風景描写文ではありま
せん。これまでの入り江や原生林の風景について説明している解説文です。
これまでの風景描写からの音調を一転して、思いを断ち切って、音声に固さ
を加えて淡々とした客観的な読み声にして、単に解説を加えているだけの音
調にして読んでいくとよいでしょう。

 
第二段落は、カヤックをこいでいる「ぼく」の耳に小さな音が聞こえて
きます。その音の正体について「ぼく」が解説を加えながら、海上のありさ
まを描写している文章です。
  擬音語「ピロロロロ」「ポチャン」「シューッ、シューッ、シューッ」
は、鋭角的な音の感じが音声として出して、リアルな音声表現にして読む
とよいでしょう。
  ハクトウワシとサケの文章個所は、深い霧の中から小さく聞こえてくる
小鳥のような囀りであり、サケが水面で飛び跳ねた音の報告文です。二つの
場面とも、小さい声で、テンポはゆっくりと、霧の深さや海の静かさを強調
した感じの音声表現にするとよいでしょう。
  クジラの文章場面は、こう音読したらどうでしょう。

  ぼくは体をかたくして、だんだん近づいてくるその音を(間)待ちまし
た。(ここで、たっぷりとした間。待ちの間と、どうなるだろうという期待
の間をとる)とつ然、(「とつ然」を、声を高く強く、速くして、読み出
す)きりの中からすうっと(すうーっと、と伸ばす。ぬうーっと、みたく、
不意打ちや意外性の音調にして、小さな、ひそやかな声にして。)巨大な黒
いかげが現れ、(「巨大な」からあと、客観的な説明にして、声量大にし
て、)目の前を(軽い間をとる)潮をふきながら通り過ぎていったのです。
(「いったのです」を、強く読むか、そっと読むか、いずれにしても強調し
た読み方にする)。
  ザトウクジラ──。(「ザ・ト・ウ・ク・ジ・ラ」のように明晰な発音
で、一つ一つの音をはぎれよくスタッカートのように切って読む)広い海原
にいるはずのクジラが、(「広い海原」からあと、客観的な説明として、
淡々と読む)どうしてこんなところにいるのだろう。(「どうして」からあ
と、全くのひとりごとです。小さく呟いたひとりりごとの読み方にする。)
やがて、尾びれを高く上げ、ゆっくりときりの中に消えてゆきました。(ク
ジラの行動や様子を聞き手に伝達するだけの淡々とした客観的な読み音調
で。「ゆっくりと」は「ゆっ・く・り・と」のように間をあけて読む)。

  こんな調子で書いていくと、はてしなく続いていくので、このあたりで
終了します。

              
まとめ


  「森へ」の文章全体の音声表現で大切なことは、濃霧につつまれた海上
や入り江、そして原生林の中の静寂さを、ゆっくりとした低いテンポで音声
表現することです。
  「森へ」の文章の大部分は、アラスカの原生林の深閑としたありさまの
描写文ですから、全体が思いがあとに残るゆっくりとしたテンポで、印象が
あとに引きずる音声表現にします。     
  突然におこる物音とか、動物の行動・動きとか、星野さんの心の動揺と
かが部分的に書かれてあります。これは深閑世界を描写するゆっくりしたテ
ンポのナレーションに割って入る速いテンポのナレーションにしなければな
りません。これらの緩急変化がこの文章全体の音声表現のメリハリという彩
りづけとなるのです。
  「水を切る音(間)だけ(間)で(間)す(間)。」のようなポツポツ
のゆっくり読みは、思いがあとに残るように、思いをあとに引きずるよう
に、もったいぶったほどゆっくりと切れ切れに・ポツポツと印象があとの残
るように音声表現します。
  「ぼく」(星野さん)が未知の世界に出会い、その世界の異様さ、奇怪
さ、古代からの霊気、驚き、不思議さ、疑問、発見、そうした感興や感懐を
抱いた主観性が加わった文章が「森へ」の全体構成となっています。客観描
写という即物性の逆説が、いっそう星野道夫さんの主観性に転じた情感性を
加えた文章になっているといえましょう。
  つまり、この文章全体は、こうした星野さんの主観的な感情世界に彩ら
れた世界です。読み手(音読者)は、「ぼく」(星野さん)になったつもり
で、星野さんの探索的、発見的な心理の動きで、その時々の星野さんの身体
感覚になって、そうした星野さんの心の揺れ動きや思いをいっぱいにして音
声表現していくことが重要となります。
  こうして原生林の深閑とした静寂さを表す音声表現が底板を流れる主調
となる情調です。スローテンポの中に、その時々の瞬間的な星野さんの心理
的感情的な動揺・動きの遅速変化をつけて、そうした遅速変化の彩りを添え
たメリハリづけにして音声表現していくとよいでしょう。
  「ぼく」(星野さん)が、原生林の事象について科学的な説明や解説を
付け加えているだけの文章部分もあります。そうした文章個所は、理論的な
解説づけとして聞き手に単に伝達するだけの音声表現にして冷たく淡々とし
た覚めた音調で音声表現することになります。


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