音読授業を創る  そのA面とB面と        04・6・8記



     
「川とノリオ」の音読授業をデザインする



●「川とノリオ」(いぬいとみこ)の掲載教科書……教出6上、日書6上、
                        大書6上


             物語の構成


  大昔から、川は人間の生活に深い関わりをもっています。原始時代、人
間たちは川のほとりに住居を作って生活していました。水は人間の生活はな
くてはならないものだからです。水がなければ生きていけません。人間だけ
でなく、ほかの動物たちも、植物も、生きとし生けるものすべては生命を維
持するために水が必要なのです。
  この物語の主人公・ノリオの生活にかかわる川は、「町外れを行く、い
なかびたひと筋の流れ」「すずしい音をたてて、さらさらと休まず流れて
る。日の光のチロチロゆれる川底に、茶わんのかけらなどしずめたまま」の
川です。昔は、ノリオの先祖の村人たちはこの川の水を飲み水にしたり、お
米やいもを洗ったり、味噌汁やお茶にして使ったりしたことでしょう。畑で
とれた野菜を洗ったり、洗濯をしたり、顔を洗ったり歯を磨いたりもしてい
たことでしょう。
  この川端のある場所は、村人たちの公衆談話の場所であったことでしょ
う。この川のほとりで村人たちが顔を合わせれば話に花を咲かせたことで
しょう。大昔は、井戸はありませんから井戸端会議ならぬ川端会議でいろい
ろな情報交換をしたことでしょう。時に談笑や歓声に満ち、時にほのぼのと
した温かな語らいで心を豊かにし、時に冷酷な大自然の仕打ちに涙を流した
語らいもあったことでしょう。
  この川は、「母ちゃんの生まれるもっと前、いや、じいちゃんの生まれ
るもっと前から、いっときの絶え間もなく、この音をひびかせてきたのだろ
う。」とあります。この川は、大昔から村人たちと生活を共にし、公共圏の
中心として機能してきた川であるはずです。川は今も変わらずに流れている
けれど、村人たちの生活はさまざまに変化してきているはずです。
  話は変わるが、わたしたちの教室にある黒板は、学校の創立以来からこ
の教室で学んだ児童たちのすべてを知りつくして今も黒板として活用され、
子どもたちと生活を共にしている黒板です。校門や校庭にある木は、創立以
来から全校生徒のすべてを知りつくして子どもたちの生活を見てきており、
今も葉を繁らせて立っているのです。
  ノリオが川遊びした川も、大昔からこの村人たちと日常生活を共にして
きており、村人たちの生活に深くかかわり、村人たちのすべてを知りつくし
て、現在も変わらず流れ続けている川です。「川とノリオ」の物語は、この
川の流れを本流として、それにノリオ一家の生活転変をからみあわせた伏流
を交差させて物語は進行していきます。


         この物語の分からなさ、難しさ


  この作品は、文章内容の理解に分からない個所がある、教師が教えるに
難しいところがある、と言われています。わたしも、それを感じます。
  以下、わたしの分からなさを書いてみます。自分なりの解釈をしておか
ないと音声による表現ができません。
  音読するには内容理解が十分にできていなければなりません。場面ごと
の様子や場面の移り変わり、事柄(事件)の因果関係が十分に理解できてい
なければ上手な音声表現にはなりえません。
  音読するには、場面のイメージがありありと浮かんでいることです。登
場人物の気持ちがわがことのように身につまされていることです。場面の様
子がよく分からい、移り変わりや因果関係のつながりがよく分からない、人
物がなぜこうした行動をしたかが分からない、こうした理解に不十分さがあ
れば、それが音声表現に如実にあらわれ出てきます。読み声はメロメロに迷
走してしまいます。とぎれとぎれになり、読んでいる本人が内容理解ができ
ていないのですから、聞き手には何を語っているのか、理解不能な音声表現
となってしまうでしょう。
  「川とノリオ」は、小学六年生に国語科の読解(読書)教材として配当
されています。小学六年生にすんなりと理解できない文章個所があちこちに
みられます。作家(いぬいとみこ)は、小学六年生に向けてこの物語を書い
たのではないことは確かです。小学六年生教材として充当したのは教科書編
集者です。指導教師は、理解できにくい個所はそれなりの補説を加えて指導
する必要があります。
  この作品の分かりにくさ、難しさを、以下の四つにまとめてみました。


(1)あっさりした戦争記述からくる分からなさ


  この作品を教材として取りあげた意図の一つに「戦争についての認識を
深め、平和を希求する人間を育成する」があることは確かです。ところが、
この作品は戦争の時代背景(状況)の記述があっさりしすぎて、状況まるご
とで理解することができない個所が随所にあります。戦争体験のない現在の
子どもたちにとって本教材は通読しただけでは理解できない内容個所が多く
あります。現在の子どもたちはテレビ劇画やマンガで戦争はかっこいい、ス
リリングと把握している子もがいます。こうした戦争観を壊さなければなり
ません。
  この作品には戦争の時代状況がいいきいきと記述されている個所が少な
いのです。あっさりした、抑制された表現が多くみられます。散文詩的表現
ではあるが、ストーリーのある物語ですから、もう少しデティールのある表
現記述がほしいところです。以下、それについて書いていきます。

●すすきの銀色の旗の波と、真っ白いのぼりに送られて、ノリオの父ちゃん
は、行ってしまった。
  《ノリオの父の出征場面です。たったのこれだけです。どこへ行ったか
も書かれていません。物足りなさを感じます。ふつう村で誰かが出征すると
きは、村人たちが総出で日の丸の小旗をふり、激励の言葉をかけ、万歳三唱
をして駅まで見送ったものです。それが当時の国策であり、政府・軍人から
の指示であり、村人総出での見送り方がごく普通にみられる光景でした。
  この物語では家族だけの淋しい見送りのようです。「真っ白いのぼりに
送られて」の「のぼり」とは、村人たちの「のぼり」でなく、ここではすす
きのことでしょう。
 「一つの花」(今西祐行)の出征場面も、家族だけの見送りでした。
「一つの花」の父の出征場面と同じことが「川とノリオ」にも言えます。通
常は家族だけの見送りはありませんでした。
  ついでに言えば、ノリオの母が広島で爆死したとき、「近所の人がせわ
しなく出入りする。おそろしそうな、人々のささやく声。」と書いてありま
す。父のさびしい出征や帰郷と、大げさな村人たちのざわめきのある母の死
とのちぐはぐな扱い方、父の死と母の死との対照的な記述の奇妙な違いが気
にかかります。》

●母ちゃんは「ハイキュウ」に呼ばれていった。
  《戦時中は物資不足から、当時は配給制度がありました。小学六年生に
は「ハイキュウ」だけでは何も分かりません。教師の補説指導が必要でしょ
う。》「配給」については、4年生の「一つの花」の教材解説にも関連記事
があります。

●悲しそうな役場のサイレンが、とぎれとぎれにほえだすと、この町にはな
にごともなくっても、ノリオたちは穴倉に入らなければならない。
  《第二次大戦も後期になると、空襲がはげしくなり、防空壕への出入り
は日常的にありました。空襲の警戒警報のサイレンが鳴り出すと、いっせい
に大急ぎで防空壕へ入ります・逃げ込みます。これらも教師の補説が必要で
しょう。「B29」、「頭巾」の補説も必要でしょう。》

●ノリオの母ちゃんは、この日の朝早く汽車に乗って、ヒロシマへ出かけて
いったという。黒いきれを垂らした電灯の下に、大人たちの話が続いてい
た。じいちゃんが、夜おそく出かけていった。
  《母ちゃんは何をしに広島へ行ったのか、じいちゃんはどこへ、何をし
に行ったのか、何も書かれていません。じいちゃんは広島へ行ったらしいこ
とは想像できまが、これとて確かなことではありません。
   「黒いきれを垂らした電灯」とは、灯火管制のこと。灯火管制とは、
夜間、敵機の来襲に備え、家の中の電灯の光を減光・遮光・消灯すること。
ここでは、電灯の光が家の外にもれ、敵機の爆撃の目標物にされないために
電灯の笠から下へ黒い布でおおって垂らして電灯の光を遮断すること。これ
も教師の補説が必要でしょう。》

●すすきがまた、銀色の旗をふり、父ちゃんが戦地から帰ってきた。父ちゃ
んは小さな箱だった。
  《ノリオの父親が戦死して自宅に帰ってきた描写は、たったのこれだけ
です。これだけでノリオの家族や村人たちの深い悲しみがありありとした表
象として浮かぶでしょうか。物足りなさを感じるのは、わたし一人だけで
しょうか。「白木の箱」「戦地」「ヒロシマ」なども、できるだけ資料・読
み物を与え、想像力を補う必要があります。
  「白木の箱」について。戦死者の遺骨は白い布におおわれていたことか
ら「白木の箱」といわれています。戦死者の遺骨は「白木の箱」に入れられ
て無言の帰宅をしました。英霊(軍人)の親(母、父)は気丈にも人前では
涙を見せることはせず、かげで泣かなければなりませんでした。人前で涙を
見せることは国辱であったのです。銃後を守る日本国民としての恥だったの
です。
  戦争末期になると遺骨収集が困難となり、帰宅した「白木の箱」には、
人骨が入っていることは少なく(入っていても誰の遺骨かは不明)、一枚の
小さな板きれや紙切れしか入っていないのが普通でした。
  考えみましょう。敵陣との激しい戦車や機関銃の弾が飛び交う修羅場の
戦場で戦死者や重傷者の味方兵士を引き連れて帰ることはとうていできませ
んでした。我が身を危険から回避しつつ戦うか、または逃げ帰ることがせい
いっぱいだったのですから。》



(2)時間経過の分からなさ


  この物語には章(小見出し)がついています。冒頭部分だけは章(小見
出し)がついていません。ここを仮に序章と名づけましょう。序章からは次
のような章立てになっています。

  「序章」⇒「早春」⇒「また早春」⇒「夏」⇒「八月六日」⇒「おぼん
の夜(八月十五日)」⇒「また秋」⇒「冬」⇒「また、八月の六日が来る」
  この章立ての順序は、ノリオ一家の事件の移り変わり、起こった時間の
経過につれて書かれています。ところが、よく読んでいくとどうもはっきり
しないところが幾つかあります。

  「また早春」章にノリオは二歳と書いてあります。ならば前の「早春」
章は、母のはんてんにおぶわれているノリオは一歳です。その次からの
「夏」章は「また早春」章のノリオの二歳の夏であり、つづく「八月六日」
章も、「冬」章まで、ノリオが二歳だったときの事柄だと考えられるのです
が、どうでしょうか。「また、八月の六日が来る」章だけは、ノリオが小学
二年生のときの事柄だと考えられます。読者のみなさんの読みはどうでしょ
うか。

  「また秋」章にある「また」とは何でしょうか。ということは、一回目
の「秋」は、どこにあるのでしょうか。わたしは冒頭の「早春」章に「秋」
の事柄が書いてあると理解し、そう読みとりました。「早春」章のアステリ
スクのあとがすべて一回目の「秋」の事柄だと読みとりました。ノリオの父
親は白いすすきの旗に送られて出征していきます。「また秋」章は、台風が
すぎ、すすきが銀色の旗をふり、父親は白木の箱で帰宅します。すすきで見
送られ、すすきで出迎えられます。二つとも、秋の季節です。

  「また八月の六日が来る」章の最初の四行は、ノリオが二歳のことで
しょうか。それとも、小学二年生のことでしょうか。これまでの続きで二歳
のときのことだとも読めますが……。

  わたしは、小学二年生のことだと読みとりました。冒頭四行の文章の中
に「川の底から拾ったびんのかけら」と書いてあります。同じ章のアステリ
スクの二番目に「ノリオは、青いガラスのかけらを、ぽんと川の水に投げて
やった。」と書いてあります。わたしは、この二つのノリオの行動は対応し
ている、(拾って、ここで投げた)と読みました。だから、「また八月の六
日が来る」章は全部がノリオが小学二年生のことだと読みとりました。

  この物語には、同じ章の中に(一行あきの)行あきと、(アステリスク
のうってある)行あき、二種類があります。どう使い分けているのでしょう
か。場面がちがうのか、時間がずれているのか、そうでもなさそうだし、分
かりません。


(3)因果関係の分からなさ


●「流したはずのくりのげたも、ちゃんと二つ、川からとりもどさ
れ、……」
  《わたしも幼少の頃に下駄(品物)を川に流した経験は幾度もあるが、
川をながれていくスピードの速さはすごいものです。簡単につかまえられる
スピードではありません。ノリオの下駄は川のよどみか、どこか木の根っこ
かに引っかかっていたのでしょうか。ここで一句紹介「 流れゆく 大根の
葉の 速さかな」高浜虚子》

●川と、ノリオと、母ちゃんの、こんなひと続きの「追いかけっこ」は、戦
いの日の間続いていた。
  《ノリオの母親は、八月六日、広島に落とされた原爆で死んでいます。
連合軍を相手に戦いが続いて戦争が終わったのは、八月十五日です。日にち
があいません。》

●母ちゃんは日に日にやつれたが、ノリオは何も知らなかった。
  《どうして母親は日に日にやつれたのかが分かりません。夫が出征し、
仕事量が増え、心労が重なったのでしょうか。戦争についても、母親の苦労
も、何もちっとも分かっていないノリオ、二人の対照的な相違。こうしたこ
とだろうか。母がやつれた理由が簡単にでも書いてほしいです。》

●ノリオは小さい神様だった。金色の光に包まれた、幸せな二才の神様だっ
た。
  《二歳にこだわって考えてみましょう。二歳の男の子は、一人で川遊び
をするだろうか。満二歳になったばかりでは、おしめがやっととれたか、ま
だしてるかです。話す言葉は、パパ、ママ、ほか数語です。「また早春」章
では「川は今ノリオをおし流して、川下へさらっていくのではないか。こわ
い川」と書いてあります。「八月六日」章では「一日じゅう川の中にノリオ
はいた。」と書いてあります。こわい川、そして全くの一日中の一人遊びし
ている川です。二歳にしては、一日中、危険を伴う川で一人遊びするには、
小さな浅い川であったとしても、どうも早すぎます。年齢があいません。こ
の川は、文章記述からしてそんなに小さい川でもなさそうです。四、五歳な
ら分かります。わたしはこう思うのです。》

●「ノリオの家の母ちゃんは、この日の朝早く汽車に乗って、ヒロシマヘ出
かけてい ったという。
 黒いきれを垂らした電灯の下に、大人たちの話が続いた。
 じいちゃんが、夜おそく出かけた。」
  《母親は、なぜ、何のために広島へ行ったのだろうか。その理由が分か
りません。読者としては知りたいです。何となく落ち着きません。じいちゃ
んはどこへ行ったのかが分かりません。じいちゃんはノリオの母親を探しに
広島へ行ったのでしょうか。想像は自由にあっちこっちにふくらみます。》

●「そして、ノリオの母ちゃんは、とうとう帰ってこないのだ。
  じいちゃんも、ノリオもだまっている。年寄りすぎたじいちゃんにも、
  小学二年のノリオにも、何が言えよう。」
  《黙っている、何も言えない理由がはっきりしません。戦死した父、爆
死した母、深い悲しみで言葉が出ない、どこに怒りをぶつけたらよいか分か
らない、そうした心境からでしょうか。それならそれを引き出す文章記述が
簡単でいいからほしいです。》

●「ノリオは、かまをまた使いだす。
  サクッ、サクッ 、サクッ、母ちゃん帰れ。
  サクッ、サクッ、サクッ、母ちゃん帰れよう。」
  《父ちゃん帰れよう、がありません。とうちゃんは、どうしたんだろ
う。とうちゃんは、どうでもよいというのでしょうか。この物語では、父の
死と母の死とでは、はっきりと差別扱いがあります。父親が白木の箱で帰宅
したときは、すすきが出迎えます。母親が広島で爆死したときは村人たちが
せわしなく出入りします。ノリオにとって、父は一歳のときに出征し、顔も
知らないからなのでしょうか。》


(4)書かれている事実関係の分からなさ


●「春にも夏にも、冬の日にも、ノリオはこの川の声をきいた。
 母ちゃんの生まれるもっと前、いや、じいちゃんの生まれるもっと前か
ら、川はいっときの絶え間もなく、この音をひびかせてきたのだろう。山の
中で聞くせせらぎのような、なつかしい、昔ながらの川の声をー。」
  《「川の声」と「川の音」との二つがあります。「声」と「音」、なぜ
二つを使い分けて書いているのだろう。どこが違うのだろう。どうも分かり
ません。》

●ぬれたような母ちゃんの黒目に映って、赤とんぼがすいすい飛んでいっ
た。川の上をどこまでも飛んでいった。
  《父親が出征し、母親の胸の思いに夫との別れの悲しみと、ノリオを強
く育てなければ、一家を支えていかなければ、という強い覚悟の意志がみて
とれます。夫を見送り、その決意でノリオを強く抱きしめ、目には涙が浮か
んでいます。その目に赤とんぼが川の上をすいすい飛んでいくのが映りま
す。
  わたしが子供時代にとんぼとりした経験では、田畑や野原に群れるよう
に飛ぶのは赤とんぼで、川筋を上下に一直線にすいすいと飛ぶのは大型のと
んぼ、ギンヤンマとかシオカラトンボなどだったと記憶しています。赤とん
ぼが川の上をどこまでもすいすいと飛んでいくことはなかったと思います。》

●一ぺんだけじいちゃんに連れもどされたほかは、一日じゅう川の中にノリ
オはいた。ねむたく、暗いような目の前に、赤や青の輪がぐるぐるする。
  《「赤や青の輪がぐるぐるする。」とはどういうことか、分かりませ
ん。意味していることは、どんなことでしょうか。一日中の遊び疲れからで
しょうか。遠くに見えた広島の燃える炎、でしょうか。母親が臨終に魂(ひ
とだま)となってわが子に会いにきたのだろうか。想像は自由にいろいろに
ふくらみます。黒いゴム、黒いパンツ、暗いような目の前、赤や青の輪、こ
れら色彩の色あいは、何か関係(意味)があるのでしょうか。何かを象徴し
たり、文体のモードに何かを添えたりしているのでしょうか。》

●川の底から拾ったびんのかけらをじいっと目の上に当てていると、ノリオ
の世界はうす青かった。
  《「うす青の世界」とは、どんな世界なのでしょう。どんなことを意味
しているのでしょうか。なぜ「うす青」と書いているのでしょうか。何かを
象徴(指示)しているのでしょうか。びんのかけらを目に当てて見ると、う
す青く見えます。ただそれだけのことなのでしょうか。》


            教師の補説を


  これまで、この作品の分からなさ、難しさを、小学校六年生教材として
の分からなさと指導事項、文章記述そのものがもつ分からなさと、この二つ
について書いてきました。

  この作品は、詩的表現とか詩的散文とか言われます。詩には、イメージ
の筋(形象のひびきあい、てらしあい、からみあい、いろどりのふくらみ)
はあるが、事件の筋はないのがふつうです。この物語には、擬人化された悠
久の流れである川が本流としてあり、それに呼応した人間世界の出来事が伏
流として描かれています。ノリオ一家の事件の転変が事件の始まりから終わ
りまで、起こった順序で記述されています。この作品には、言葉少なに、抑
制された表現ではあるが、しっかりとした事件の筋があります。この作品に
は、詩的表現ではあるが、しっかりとした事件の筋があるのです。
  この作品の詩的表現とは、暗示的、象徴的な書かれ方をしているという
ことでしょう。事件の筋の形象がほんとにあっさりと描写されている個所が
随所に見られます。詩的表現だからといって、形象から豊かに表象(イメー
ジ)が喚起されないようではすぐれた詩的表現とは言えません。圧縮された
詩的表現ではあっても、はっきりした事件の筋があるのですから、もう少し
の状況設定や筋の肉付け表現がほしいと思います。

  読者はこの作品を読むとき、目的語はどこにある、時間の順序はどう
なってる、論理関係はどうなってる、この語句はどんなことを象徴してい
る、この一行は前後とどんな連関がある、などと分かりにくいところを探査
しながら読み進んでいくわけです。読者は分からなさが多すぎると、とまど
い、いらだち、いらいら、欲求不満をもちます。いらいら、どまどいの重な
りは生理的によくありません。でも、これまで書いてきたことは、わたしだ
けのことで、わたしの想像力の貧困さに原因があるのかもしれません。

  六年生に、豊かにイメージ化してこの作品を読みとるには、情感豊かな
音声表現をするには、教師が資料をコピーして与えたり、補説や解説を加え
たり、図書を紹介したりして、子どもの想像力を補ってやる必要がありま
す。自由な調べ学習などもあってよいでしょう。


          音読の教材化の視点


  「川とノリオ」は、語り手や登場人物の目や気持ちがひっこんだ地の文
です。ですから、語り手が作品世界の外から、後ろからノリオ一家の出来事
をながめて紹介するだけ、ポンと外へ出すだけの音声表現となります。

  この作品は語り手の外の目で、ノリオ一家の移り変わりの様子を淡々と
紹介しているだけです。語り手、つまり音読の読み手は外側からノリオと川
とのかかわり、ノリオの父と母の死、じいちゃんの悲しみ、これらの事実
(事柄)を外にポンと置くように、聞き手に事実(事柄)だけを差し出すよ
うにして音声表現するようにします。

  登場人物の目や気持ちをとおした語られ方は一ヶ所もないかというと、
そうではありません。二ヶ所だけあります。
  一つめは「八月六日」章にあります。ここにはノリオの目や気持ちによ
りそった地の文が部分的にあります。
  「ねむたく、暗いような目の前に、赤や青の輪がぐるぐるする。」から
「おそろしそうな、人々のささやき声。」までです。ここには、ノリオの目
に見えた事柄、ノリオの気持ちによりそった事柄が描かれています。語り手
の外の目がノリオの内の目と重なり、ノリオの視点にも焦点をあわせている
描かれ方になっていますので、ここの文章個所は、ノリオの目や気持ちによ
りそって語り進めていくようにします。

  もう一つは、最終章にあります。
  「母ちゃん帰れ。母ちゃん帰れよう。」の二つです。ノリオは二歳のと
きは戦争について何らの意識もなく、何も知らないで生活していました。今
は小学二年生です。父ちゃんは戦死し、母ちゃんは広島で爆死したことを
知っています。家業(仕事)の影響をうけたじいちゃんの労苦を知っていま
す。「母ちゃん帰れ。帰れよう。」はノリオの内奥からの悲痛な叫び声で
す。ノリオの気持ちに同化して、入り込んで音声表現しなければなりませ
ん。

  この二か所以外は、すべて語り手や登場人物がひっこんで、外の目で描
かれています。語り手や登場人物の目や気持ちがひっこんでいるということ
は、誰かの主観をとおさずに、ノリオ一家の出来事が外から淡々と静かに客
観的に語られているということです。町外れに川が流れていること、ノリオ
は小さいとき川遊びをしたこと。母からおしおきを受けたこと、父が出征
し、白木の箱で帰ってきたこと、母が広島へ行き爆死したこと、じいちゃん
の顔が仏壇の前でへいけがにのようにゆがんで涙を落としたこと、ノリオは
小学二年生になって、たくましく成長したが、母親への思慕の情を占有して
生きていること、こうした事実が淡々と語られています。語り手の激越な感
情で語るのでなく、冷静に覚めた気持ちで距離をおき、事実だけを読者(聞
き手)の前で報告するように語っています。


            異化して読む


  読み手はノリオ一家の出来事を異化しながら読み進んでいくことになり
ます。ノリオの川遊びは楽しそうだ。母親のおしおきにこりずにまた下駄を
流す、その気持ち分かる分かる。防空壕の中でぐずるなんてノリオは空襲の
怖さをちっとも分かってないんだ。へいけがにのようにゆがんだじいちゃん
の顔、ノリオの母ちゃんの生死はまだ不明なんだ、絶望を断ち切ろうとして
流れ出る涙だろうか、じいちゃんがかわいそうだ。ノリオは小学二年生に
なってたくましく生きている、母を思い慕うノリオの気持ち、よく分かる。
など異化反応をしながら読み進めていくことになります。

  読者は、戦争という恐ろしい出来事を黙って目前に提出されるだけで
す。提出された事実そのものの一部始終を目の前にしていろいろな感慨(感
想意見)を持つことになります。はらはらしたり、どきどきしたり、楽しそ
うだ、かわいそうだ、痛ましいことだ、不幸なことだ、はらわたが煮えくり
返る思いがする、人間は何と愚かなことをする動物だ、なぜこんなことに
なったのか、その原因は? 自分自身をかえりみてどうだろう、反省するこ
とはこうだ、人物を非難することはこうだ、……事実(ノリオ一家の出来
事)に対する覚醒した異化体験による感想意見だしによって、戦争の残酷
さ、非情さを知り、平和を希求する態度を育成するようになります。

  異化体験とか異化効果とか言われますが、これは、距離をおいて対象を
見るということです。対象物を、間をおいてながめることです。対象物を覚
醒した目で見たり、自分自身を覚醒した目でみたりすることです。そのこと
によって対象物の本質をつかまえることができます。自分自身の行動をふり
かえり、反省することができます。つまり覚醒とは、目覚めることです。我
が身をふりかえるだけでなく、わが家族のありかたを、友人の言動を、隣人
達の行動を、一般社会人のありかたを、社会的事象をふりかえり、それらの
本質を把握することです。「川とノリオ」では、戦争の本質(意味)を問
い、戦争を批判することです。

  異化効果による音声表現の仕方としては、描かれている事実をありのま
まに聞き手(聴衆)の前にポンと差し出すようにします。登場人物の気持ち
をこめたり、読み手の気持ちをこめたりはしません。描かれている事実その
ものを、事実として淡々と報告するように、覚醒した気持ちで冷静に音声表
現していきます。読み進めている過程のいろいろな感慨(感想、意見、批
判)は結果として冷静な事実報告の事実性の中に読み手の主観性は当然に含
みこまれて表現されてきます。いろいろな感慨(感想、意見、批判)は、読
みの深さをあらわし、事実を事実として報告していく中にあらわれ出て、音
声表現の表現性をより的確に、堅牢にし、個性的にします。


            音声表現上の留意点


        ■行あけ、アステリスクに気をつかう■

  「川とノリオ」には、一行あき個所、アステリスクの個所があります。
二つとも、行あきの個所です。一行あきは場面変わり、アステリスクは時間
の経過個所で用いられているようにも思えますが、必ずしもそうとも言えな
い個所もあります。
  いずれにせよ、行あきですので、ここの個所ではたっぷりとした間をあ
けて読むようにします。転調して、新しい場面を切り開くようにして読み始
めます。児童は案外ずらずらとつづけて読みがちですので注意しましょう。


      ■場面のひとまとまりがわかるように区切る■

(おいで、おいで。つかまえてごらん。
 わたしは、だれにもつかまらないよ。)川の水がノリオを呼んでいる。白
じらと波だって笑いながら。
  《ここまでが、ひとつながりです。ひとまとまりの思いを込めて音声表
現します。次を、間をあけて読み出します。》

「ノリオの新しいくりのげたが、片一方、ぷっかりと水にういた。じいちゃ
んの手作りのくりのげた……。
 げたは、ぷっかぷっか流れ出す。くるくる回って流れていく。ノリオの知
らない川下さして。」
  《ここまでが、ひとつながりです。片一方のげたが流れる場面です。流
れる様子をイメージして、ゆっくりと音声表現します。次に、間をあけて読
み出します。》
  例えば「また早春」章は、八つの場面に分けられます。それぞれの場面
の区切りを意識して読みます。八つの場面に一人ずつの読み手を配当し、一
人ずつのリレー音読で、場面の区切り個所で読み手を交代で音声表現するの
もよいでしょう。


        ■倒置法、名詞止めに気をつかう■

●「すすきのほが、川っぷちで旗をふった。ふさふさゆれる三角旗を。」
  《この物語には、倒置文、名詞止めがあちこちに見られます。上記は倒
置文です。「すすきのほが、川っぷちでふさふさゆれる三角旗をふった。」
が正常な語順です「旗をふった」が強調されて前に位置し、後ろに修飾語句
(目的語)がおかれた文です。「すすきのほが、川っぷちで旗をふった。」
で息を止めるだけ、そこで下げて切らないで、続ける気持ちで「ふさふさゆ
れる三角旗を」と読み進め、ここでたっぷりとした間をあけます。》

●「ノリオのはだしの片足が、ポチャリとすきとおった水に入る。ひやっと
冷たい三月の水。」
  《「ひやっと冷たい三月の水。」が名詞止めです。名詞止めの場合は、
倒置文のように前文につなげるのでなく、名詞止め文を独立させて、気持ち
として名詞止めの下に述語をつける心構えで読み下すようにします。「ひ
やっと冷たい三月の水(に入る。)」のようにです。》

●「ザアザアとおし寄せてくるこわい川。川は今ノリオをおし流して、川下
へさらっていくのではないか。ノリオのくりの木のげたのように。」
  《名詞止め文と倒置文があります。「ザアザアとおし寄せてくるこわい
川(です)。川は今ノリオをおし流して、(川下へさらっていくのではない
か。ノリオのくりの木のげたのように。)」のような区切りと気持ちで文末
を押さえ、音声表現していくとよいでしょう。


       ■意味内容の区切りの間に気をつかう■

  長文はあちこちで間をあけると全体がばらばらになって、まとまった意
味内容となって伝わりません。長文は意味の区切りを大きくとって間を開け
て読むようにします。
  次の例文の(   )内はひとつながりにして、(  )ごとで間をあ
けて読みます。

●(町外れを行く、いなかびたひと筋の流れだけれど、)(その川はすすし
い音をたてて、さらさらと休まず流れている。日の光のチロチロゆれる川底
に、茶わんのかけらなどしずめたまま。)

●(母ちゃんの生まれるもっと前、いや、じいちゃんの生まれるもっと前か
ら、)(川はいっときの絶え間もなく、)(この音をひびかせてきたのだろ
う。山の中で聞くせせらぎのような、なつかしい、昔ながらの川の声
をー。)
  《二つの「もっと」は、ゆっくりと強めの声立てにして強調します。
「いっときの絶え間もなく」もゆっくりと音声表現して強調した声立てにし
ます。》

●(ノリオは)(空のふしぎな雲と、)(頭きんの中の母ちゃんの引きし
まった横顔を)(見比べていた。)(なぜかせみの声はやんでいて、)(川
の音だけがはっきりと聞こえていた。)
  《見比べていたのは雲と横顔です。この二つの見比べているメリハリを
粒立てて音声表現します。「(……はやんでいて、)(……がはっきりと聞
こえていた。)」の対比も「何が」かを区別して音声表現します。「せみの
声は」は強く、「やんでいて」は弱く、「だけがはっきりと」は強く、「聞
こえていた」は弱く音声表現するのもメリハリづけの一つの方法でしょ
う。》

●「川っぷちの雑草のしげみのかげで、こおろぎが昼間も、リリリリと鳴い
た。すすきがまた、銀色の旗をふり、父ちゃんが戦地から帰ってきた。父
ちゃんは小さな箱だった。じいちゃんが、う、うっと、きせるをかんだ。
 川が、さらさらと歌っていた。」
    《父の死について書いてある個所は、たったの二文だけです。この
あっさりした表現を、聞き手の感情にいかに音声表現して訴えるか、です。
児童たちにい
ろいろな音声表現の仕方を工夫させてみましょう。わたしの一つのやりかた
を次に書きましょう。
  「川っぷちの雑草のしげみのかげで……鳴いた。」は、声は通常の高さ
で、ゆっくりと報告口調で読みます。
  「すすきがまた……帰ってきた。」は、前文よりはやや高めの声にして
読みだし、「また……旗をふり」の語句を強めに強調して音声表現します。
「旗をふり」のあとで間をあけます。
  「父ちゃんは戦地から帰ってきた。」は、やや高めの声を保ちながら、
感情に押し流されることなく覚醒した報告口調で淡々とゆっくりと音声表現
していきます。
  「父ちゃんは小さな箱だった。じいちゃんが、う、うっと、きせるをか
んだ。」は、声をぐっと落とし、低く、つぶやくようにゆっくりとポツリポ
ツリと読みます。
  「川が、さらさらと歌っていた。」は、声は通常の高さに戻し、「さら
さら」を歯切れよく粒立てて、文全体をゆっくりと落ち着いた声立てで音声
表現していきます。》

●「サクッ、 サクッ、サクッ、母ちゃん帰れ。
  サクッ、サクッ、サクッ、母ちゃん帰れよう。」
   《下記に、二つのメリハリづけの方法を書いてみました。
  一つめの方法。「サクッ」は、かまの草を刈る音に似せて読みます。
「母ちゃん帰れ。」「母ちゃん帰れよう。」は、ノリオの願いをこめた誰か
に悲痛に訴えかける声立てで音声表現します。
  もう一つの方法。ノリオは、悲痛な気持ちをかまにぶつけています。ノ
リオの悲痛な叫び・どこにもぶつけようのない叫びが、かまで刈る動作・リ
ズムとなってあらわれます。「サクッ、サクッ、サクッ」は、力を入れてふ
んばって「ザッ、グッ、ザッ、グッ、ザッ、グッ、ザッ、グッ」のように読
みます。前の草刈るリズムを引きずって、同調して、次も「カア、チャン、
カエ、レ、カア、チャン、カエ、レ」、「カア、チャン、カエレ、ヨウ、カ
ア、チャン、カエレ、ヨウ」のようにぶつぎりにして読みます。》




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