音読授業を創る そのA面とB面と 06・4・2記 「カレーライス」の音読授業をデザインする ●「カレーライス」(重松清)の掲載教科書…………………光村6上 国語教育と道徳教育 石原千秋『国語教科書の思想』(ちくま新書。2005)という本があ ります。この本の中で石原千秋(早稲田大教授)は、日本の国語教育は道徳 教育に傾きすぎていると書いています。石原氏はOECDの読解力調査の問 題を詳細に分析し、次のように書いています。 ーーーーー引用開始ーーーーーー こうしてPISAの「読解力」試験を検証してみると、PISAが求める「読解 力」がはっきりと見えてくる。実は、PISAでは「読解力(Reading)」では なく、正確には「読解リテラシー(Reading Literacy)」という用語を 使っているのである。そのことを踏まえれば、PISAが求める「読解力」と は、次の三つに集約できるだろう。 1、文章や図や表から情報を読み解く力 2、文章を批評的に読む力 3、これらを記述する力 この三つは、いずれも現在の日本の国語教育から決定的に欠けている要 素である。何度でも繰り返すが、日本の子ども達が国語という教科で求めら れているのは、「道徳」や「教訓」を読み取ることであって、「情報」を読 み取ることではない。最近になって少し変わってきたが、これまでは1に関 する教育さえ不足していたのである。ましてや、文章を「批評」することで はまったくない。2に関する教育が決定的に欠如しているのである。受動的 な読解だけが求められていて、能動的な読解は求められていないわけだ。こ れは、作文教育でも事情は同じなのだ。したがって、3も身に付かないので ある。 ーーーーー引用終了ーーーーー 本教材「カレーライス」は、その文章内容は、道徳的な教訓話として取 り扱われやすい格好の内容です。国語教材「カレーライス」は、道徳資料 「カレーライス」として安易に使用されやすい文章内容の傾向性をもってい ます。 現行学習指導要領「道徳」の「第五学年及び第六学年の内容」には、次 のような記述があります。この価値内容は、「カレーライス」の価値内容と 一致しやすく、下記のような道徳目標の指導になりがちになることを警戒し なければなりません。 ーーーーー引用開始ーーーーー ・自分の特徴を知って、悪い所を改め、よい所を積極的に伸ばす。 ・だれに対しても思いやりの心をもち、相手の立場に立って親切にする。 ・日々の生活が人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し、 それにこたえる。 ・父母、祖父母を敬愛し、家族の幸せを求め、進んで役に立つことをする。 ーーーーー引用終了ーーーーー 本教材「カレーライス」の中で、例えば、『お父さんウィーク』三日目 に、主人公「ぼく」の心の中で次のように葛藤している文章記述がありま す。 学校にいる間、何度も心の中で練習した。 お父さん、この前はごめんなさい──。 言える言える、だいじょうぶだいじょうぶ、と自分を元気づけた。 「うげえっ、そんなの言うのってかっこ悪いよ。」と自分を冷やかす自分 も、むねのおくのどこかにいるんだけど。 主人公「ぼく」の心の中にあるこれらの葛藤場面は、「自分の内面にあ る二面性・葛藤を素材として取り上げることによって、正しい行動の仕方に 気づかせ、正しいことをやりぬく勇気を身につけさせる」という徳目指導に 容易に直結していく危険性をはらんでいます。 学習指導要領「道徳」の「指導計画の作成と各学年にわたる内容の取り 扱い」を読むと、ここには、「高学年においては、悩みや心の揺れ、葛藤な どの課題を積極的に取り上げ、考えを深められるように指導すること」とあ ります。 「カレーライス」は、学習指導要領「道徳」の「内容の取り扱い」にあ る記述事項「悩みや心の揺れ、葛藤などを積極的に取り上げ、児童の考えを 深めていく」という指導内容と容易に結びつきやすく、両者の価値目標が不 思議なほど一致しているようです。安易な道徳授業になりやすい文章内容だ と言えます。 徳目指導にしないために この作品は、主人公「ぼく」が父親と母親の言動に反抗し、父母の仲直 りの誘いをつっぱねて意地を張っていたが、しだいに仲直りのきっかけをど う作るかにあれこれと思案するようになっていき、この思案(葛藤)が二 日、三日と続くが、最後にはひょんなきっかけで父と子が仲直りに至った、 という内容になっています。 この作品は、父母への敬愛とか、家庭内の協力・助け合いとか、相手の 立場に立って考えるとか、二つの価値葛藤をとおして正しい行動の仕方が分 るとか、そうした価値・徳目を読解する国語教材ではありません。 この作品は、親子の対立を描いている内容であり、この対立は父親がわ が子(ぼく)の心理的発達状況についての無理解からすべては由来している 内容だと考えます。作中人物の父親も母親も、「ぼく」を幼稚園児か、小学 校の低学年児としてしか応対していません。ぼくは、現在、小学校六年生で す。わが子の自立心・独立心がずいぶんと成熟しつつあることに少しも理解 していません。 わたし(荒木)はかつて、拙著『子育て・親育ちの学級懇談会・学級懇 談会の話材集・第二集』(一光社、1987)において小学校高学年の心理 的発達段階の特徴を次のように書いたことがあります。一部引用します。 ーーーーー引用開始ーーーーーー 小学校高学年は児童期から思春期への移行の時期です。思春期への準備 の時期です。子どもの世界からおとなの世界へと足をふみだしていく時期で す。少しずつ大人としての条件を部分的に所有していく時期です。男子は肩 幅が広くなり、声変わりが始まります。女子は初潮が始まり、乳房が発達し 始めます。急に身長が伸びて、家の中を歩くと、母親と同じくらいに成長 し、あるいは母親より大きく成長して、圧迫感をおぼえることもあります。 大人びた子どもの姿に驚くことがあります。低・中学年のようにチョロチョ ロ、チャカチャカした腰の軽さがなくなり、ぐっと冷静さ、沈着さが出てき ます。 親からみて生意気に思われる言動も出てきます。相手が子どもだと思っ て、父母が子供だましの態度をとると、しっぺがえしの反論でやりこめられ ることもあります。 相手を軽くみて、ごまかした対応をすると、子どもは正当な理屈をならべて 父母をやりこめます。それだけ自我意識が発達し、精神的に自立してきてい るわけです。この時期になると、子どもとして対応するのではなく、一人の 大人として付き合う必要があります。人間と人間との対等の立場で共に語り 合う中で最良の道を見出していくようにします。 高学年になると、親に依存しつつも、親に頼らない自立した行動をとる ようになります。親から本格的に離れて一人立ちしていく時期です。自分の 心の中を内省的に思考できるようになります。友達(両親)との付き合いに 悩みを抱くようにもなります。自分とは何か、大きくなったら何になるか、 どう生きていけばよいか、などを真剣に考えるようになります。 ーーーーー引用終了ーーーーーー この物語の主人公「ぼく」は六年生です。父母は、「ぼく」に対して一人 前の大人として対応しなければならなくなってきているのです。それなの に、父母は幼稚園児か小学校低学年児としてしか応対していません。 この物語では、ここから父母と「ぼく」との対立・葛藤が発生していま す。この物語の中核をしめる親子の対立の原因の本質は、両親の、わが子の 心理的発達段階の無理解とそこからくる応対のまずさにあります。 そのことを、この作品の文章の中からいくつか拾い出してみましょう。 「お父さん、ひろしがよくないことをしたらしかるけど、ひろしのことが大 好きなのよ。分るでしょう。今朝も『ひろしは、まだすねてるのか。』っ て、落ちこんでたのよ。」 ほら、そういうところがいやなんだ。ぼくはすねてるんじゃない。お父さ んと口をききたくないのは、そんな子どもっぽいことじゃなくて、もっと、 こう、なんていうか、もっと───。 ≪解説≫ ≪母親には「父親は正しい。父親の言うことに素直に従うべきだ。父親に従 っていれば、すべて家庭内はうまくいくの。」という考えがみられます。つ まり、母親のご都合主義の対応がみられます。母親の思い通りに強制的に従 わせようという考えがみられます。 まだ小学校低学年児のような応対、わが子の扱い方です。「なんでも、 ハイ、ハイ」と受け容れてくれていればいいのよ、なんでも素直に受け容れ てくれるそういう心理発達段階にある、という理解です。口答え期、第二反 抗期という親離れの自我意識が旺盛になり、独立心・自立心が旺盛になる時 期だということをちっとも理解していません。 主人公「ぼく」は、「そんな子どもっぽいことじゃなくて」と言ってい ます。低学年児のように子ども扱いされることに反発しています。いやなの です。「子どもっぽいことじゃなくて、ほかにわけがあるんだよ。」と言い つつ、自分でもその理由を論理的に説明できない、もやもやした理由、そう した気分みたいな・言葉化できないものが心の中に渦巻き、身体の芯からう ずきあがってきており、それを言葉化できないじれったさがあります。六年 生のひろし君は、身体の底深くからうづいてくるそうした身体的な心理発達 状況にあるのです。≫ 「でもな、一日三十分の約束をまもらなかったのは、もっと悪いよな。」 分ってる、それくらい。でも、分ってることを言われるのがいちばんいや なんだってことを、お父さんは分ってない。 ≪解説≫ ≪主人公「ぼく」には、「子どもじゃないんだから、そんなことは分ってい る。知ってるよ。当然なことをまともに言わなくてもいいじゃないか。当然 なことを、改めて言うなんて、ぼくは子どもじゃない。もう六年生なんだ。 分っていることを言われるのが、ぼくはいちばんいやなんだってことを、お 父さんはちっとも分っていない。」と、反発し抗議しています。≫ 「いいかげんにしろ。」 とにらんできた。 ぼくはかたをすぼめて、カレーを食べる。おいしくないのに、ぱくぱく、 ぱくぱく、休まず食べ続ける。 自分でも困ってる。なんでだろう、と思ってる。今までなら、あっさり 「ごめんあさい。」と言えたのに。もっとすなおに話せたのに。特製カレー だって、三年生のころまでは、すごくおいしかったのに。 ≪解説≫ ≪父親は、わが子の発達段階を、まだ三年生段階までで止まっているという 理解の仕方です。その点、母親の方が、わが子の料理の嗜好についてきちん と理解しています。≫ 「火を使うのは危ないから。」 と、オーブントースターと電子レンジしか使わせてくれない。 ≪解説≫ ≪父親は、ぼくが六年生になっても、未だにガスを使うことを禁止していま す。ぼく一人でガスを使って目玉焼き作ることを禁止しています。父親は、 幼稚園児か低学年児としてしか「ぼく」を扱っていません。≫ 「おまえ、もう『中辛』なのか。」 意外そうに、半信半疑できいてくる。 ああ、もう、これだよ。お父さんってなあんにも分ってないんだから。あき れた。うんざりした。 「そうかあ、ひろしも『中辛』なのかあ、そうかそうか。」 「いやあ、まいったなあ。ひろしももう『中辛』だったんだあ。そうだよな あ、来年から中学生なんだもんなあ。」 ≪解説≫ ≪母親は、頭ごなしに命令して抑えつけるだけで、わが子の言い分にきちん と耳を傾けようという意識がありません。その点、父親は母親にくらべて、 ゆったりと、おおらかに、余裕を持ってひろし君に対応している姿がみられ ます。しかし、六年生のわが子を幼稚園児や小学校低学年児の心理発達とし てしか応対していません。中辛の例も、その一つです。 父親はあまり家庭内で子どもと一緒に過ごすことが少ないからでしょう か。ひたすら、可愛い、可愛い、甘やかすだけの応対でよいと思っているの でしょうか。この理不尽な幼児扱いが、わが子の反発をまねき、わが子を意 固地にさせ、意地を張らせ、こうして父子の対立が起こっているのです。 ですから、この物語は、父親と母親の応対の仕方のまずさを脱落させた ところで、主人公「ぼく」の気持ちの変化・葛藤・心情曲線だけを調べて仲 直りに至った経過を結論づけて終了してしまっては悪しき道徳教育の授業と なってしまいます。石原千秋が書いている、PISAが求める「読解リテラ シー」とはなりません。≫ 「ぼく」の目や気持ちになって この物語は、作中人物「ぼく」の視点で描写されています。一人称「ぼ く」の視点から構成されています。「ぼく」の目に見えたこと、「ぼく」の 気持ちに浮かんだことが手にとるように分りやすく描写されています。 「ぼく」の視点から描写されていますから、「ぼく」の外見はよく分か りませんが、「ぼく」の内面(心の動き)はほんとによく分るように書かれ ています。 学級児童たちは、自然と「ぼく」に同化して読んでいくことになりま す。「ぼく」の目になり、「ぼく」の気持ちにのりうつって、父親と母親に 対してあれこれと批判的な気持ちになって、そのように心を動かしながら音 声表現していくことになります。 つまり、学級児童たちは、あたかも自分が「ぼく」になったつもりで、 「ぼく」になりきって作品世界の中に生きていくことになります。作品世界 を「ぼく」と共にくぐりぬけることをとおして、いっそう切実な「ぼく」と の共体験をしていくことになります。 物語「カレーライス」の地の文は、すべて「ぼく」の視点から描写され ています。「ぼく」の気持ちになって声に出して音声表現していくことにな ります。つまり、「カレーライス」の音読の仕方は、「ぼく」の気持ちに入 りこんで、「ぼく」になりきって、「ぼく」が内面で思考している声にし て、「ぼく」の独話にして、小さい声で、ささやくように、呟くように、ひ とりごとしているように、モノローグにして音声表現していくことになりま す。 会話文の音声表現の仕方 物語「カレーライス」には、三人の登場人物が出場します。三人の会 話文の一例をあげてみましょう。 母親「いいかげんに意地を張るのはやめなさいよ。」 父親「もしもうし、ひろしくうん、聞こえますかあ。」 ぼく「でもカレーなの。いいからカレーなの。絶対にカレーなの。」 三者の音声表現の仕方は、前記の会話文だけでなく、三人のすべてをま とめると次のようになります。 ぼくの会話文は、その場面での「ぼく」の気持ちや思いになって、その 場面の、その気持ちや思いをこめて、「ぼく」のモノローグにして素直に声 に出して音声表現していけばいいわけです。前述でくわしく書いたとおりで す。 母親と父親の会話文は、二通りの音声表現の仕方があります。 例えば、前記した母親「いいかげんに意地を張るのはやめなさいよ。」 の会話文は、直後に「お母さんはあきれ顔で言った」と書いてあります。だ から、あきれ顔を作りつつ「いいかげんに意地を……」と音声表現すれば、 なお一層読み声に表情が加わるでしょう。 どんな話しぶりにするかは、二通りがあります。 一つめの方法は、その時に母親が話したであろう母親の実際の声にし て、実際の母親の話し口調・話しぶりにして、その時の母親の気持ちをスト レートに出して音声表現するという方法です。 もう一つの方法は、この会話文を、母親の気持ちになって音声表現する だけでなく、ぼくの気持ち(反発し、抗議している)を付け加えて、「嫌 だ、嫌だ。お父さんの味方ばかりして」という抗議や憎たらしさや反感の気 持ちを付け加えて、唇をヘの字に曲げた口形にした話しぶりなどにして、こ うして母親の会話文を音声表現をする方法です。つまり、語り手「ぼく」の 母親への感情評価的な批判的な気持ちをこめた音声も加えて音声表現すると いう方法です。 前者でも、後者でも、どちらの仕方でもよいと思います。音読初心者 は、後者より前者の方が音声表現の仕方は容易で、簡単だ、と言えるかもし れません。 父親の会話文の音声表現のしかたも、母親の会話文の仕方と同じです。 まったく同じことが言えます。同じように二つの種類があります。 つまり、一つは、父親がそのときに語ったであろう実際の話しぶりにし て、そのときの気持ちをストレートに出して音声表現する方法です。 もう一つは、父親の気持に、それに「ぼく」の気持ちの感情評価的・批 判的な音声を付け加えて音声表現するという方法です。 もちろん、この物語の終末部分、仲直りしたあとの父子の対話文は、当 然に「ぼく」の反発心・反抗心もなくなっています。ですから、父親の気持 ちをストレートに、「ぼく」の気持ちもストレートに、実際に対話している 話しぶりにして音声表現するのがよいでしょう。 地の文の音声表現の仕方 ●お父さんウィーク前日の文章個所 ぼくは悪くない。だから、絶対に「ごめんなさい。」は言わない。言うもん か、お父さんなんかに。 「いいかげんに意地を張るのはやめなさいよ。」 お母さんはあきれ顔で言うけど、あやまる気はない。先にあやまるのはお父 さんのほうだ。 ≪解説≫ ≪「カレーライス」全文は「ぼく」の独話、ひとりごと、モノローグです。 この物語は、地の文も会話文もすべて「ぼく」の気持ちをとおして描写 されています。ですから、すべて「ぼく」の気持ちで音声表現していくこと になります。すべて小さい声で呟くような声で独話・ひとりごとにしている 音声表現にしていけばいいわけです。 しかし、ここの文章部分は、「ぼく」の怒りが頂点に達しています。 「ぼく」の感情は最高潮に高ぶっています。冒頭の文章個所だけは父親に対 する、「ぼく」の激高した声高の音調で、強い決意をこめた音調にして音声 表現したほうがよいでしょう。≫ やあだよ、と言い返す代わりに、ぼくはそっぽを向いた。 ≪解説≫ ≪ここの文章部分を読むときは、読み手も「やあだよ。」を音読するときに そっぽ(横)を向く動作をしながら読むと、声にさらなる音声表情が加わる 読み方になることでしょう。≫ ほら、そういうところがいやなんだ。ぼくはすねてるんじゃない。お父さん と口をききたくないのは、そんな子どもっぽいことじゃなくて、もっと、こ う、なんていうか、もっと──。 ≪解説≫ ≪文末のむにゃむにゃ、言いよどみがあります。「ぼく」自身も何を言いた いのか判然としていません。一所懸命に言葉を紡ぎ出そうとしていますが出 てきません。 「そんな子どもっぽいことじゃなくて、違うことなんだが……。ほかのわけ があるんだが……。」なかなか言葉が出てこないで、言いたい気持ちがある のだが、言葉が出てこなくて、言いよどんでいます。 言いよどみ箇所の音声表現の仕方は、イントネーションが下に落ちて、 断止しない読み方にします。文末まで平らに続いていく読み方にして、読点 の個所では、とぎれとぎれに間をある読み方にしていくとよいでしょう。≫ ●お父さんウィーク初日の文章部分 「ほら食べろ、お代わりたくさんあるぞ。」 と、ごきげんな顔で大盛りのカレーをぱくつく。 ≪解説≫ ≪読み手も、ごきげんな顔つきの顔面表情を作って音声表現すると、声によ りぴったりした表情が加わることでしょう。≫ でも、お父さんは料理が下手だ。じゃがいもやにんじんの切り方はでたらめ だし、しんが残っているし、何よりカレーのルウが、あまったるくてしかた がない。 ≪解説≫ ≪ここは前とは逆に、「ぼく」の苦虫をかみつぶした、不機嫌な、にがり きった顔つきを作って、お父さんへの反感がいっぱい、不平不満たらたらの 音声表現にして読んでいくとよいでしょう。≫ 最初の予定では、これでぼくもあやまれば仲直り完了。───のはずだった けど、ぼくはだまったままだった。 ≪解説≫ ≪「完了」のあとに句点が付いていて、ここでひとまず終了とはなってはい るが、息づかいは文末「だまったままだった。」までつづいていく意味内容 になっています。「仲直り完了のはずだったけど」とひとつながりにつなが っていく息づかいで、──の個所にちょっとの間をあけるだけにした読み方 がよいでしょう。≫ ●お父さんウィーク二日目・晩の文章個所 ここであやまると、いかにもお父さんにまたしかられそうになったから── みたいで、そんなのいやだ。 ≪解説≫ ≪「しかられそうになったから」「みたいで」は、「しかられそうになった からみたいで」とひとつながりの音調でつながる、そんなつもりで読み進め ていくと、うまくいきます。──個所では、ひとつながりの音調にししつ も、ちょっと間をあけてます。 「しかられそうになったから」のあとで音調を下げてしまうと、そこで 終了してしまう音調になります。これはいけません。次へとつながる平らな 音調にして、──ではちょっと間をあけて読むようにします。≫ 「なあ、ひろし、いいかげんにきげん直せよ。しつこすぎないか。」 お父さんは、夕食のとちゅう、ちょっとこわい顔になって言った。 ≪解説≫ ≪読み手も、ちょっとこわい顔面表情を作って読むと、声に音声表情が加わ るでしょう。≫ 「もしもうし、ひろしくうん、聞こえますかあ。」 お父さんはてのひらをメガホンの形にして言った。 ≪解説≫ ≪読み手も、軽く口にあてがうメガホンの動作をしながら読むと、声に音声 表情が加わるでしょう。≫ 「いいかげんにしろ。」 ≪読み手も、にらむ動作をしながらこの会話文を読むと、声に音声表情が加 わるでしょう。≫ 今までなら、あっさり「ごめんなさい。」が言えたのに。もっとすなおに話 せたのに。特製カレーだって、三年生のころまでは、すごくおいしかったの に。 ≪解説≫ ≪今までなら、あっさり「ごめんなさい。」が言えたのに。(どうしてだろ う。)もっとすなおに話せたのに。(どうしてだろう。)特製カレーだっ て、三年生のころまでは、すごくおいしかったのに。(どうしてだろう。) このように三箇所の「……のに。」のあとに(どうしてだろう。)を、 黙りながら入れて読んで間をあけると、つながり方や息づかいのまとまりが うまくいくように思います。≫ ●お父さんウィーク三日目・朝の文章個所 「火を使うのは危ないから。」 「お父さんとまだ口をきいてないの。お父さん、さびしがっていました よ。」 ≪解説≫ ≪前者は父親の会話文、後者は母親の会話文です。二つとも行替えして会話 文として特立させた記述になっています。モノローグの中にはさみこまれて いる会話文ではありません。こうした記述の会話文は、父親や母親が実際に 話したであろう音調にして読むのが普通です。 しかし、会話文としては短いです。わたし(荒木)だったら、前後の 「ぼく」のモノローグの中にある、ほんの短い会話文ですから、父親や母親 が実際に話したであろう音調にしないで、地の文の中にはさみこまれた記述 の会話文にして、「ぼく」のモノローグのなかの音調につなげて音声表現し たいです。「ぼく」の父親への・母親への反発の感情評価的態度の音調を付 け加えて読みたいところです。口をへの字に曲げて、軽蔑した批判がましい 音調を付け加えた音調にして読みたいと思います。≫ ●お父さんウィーク三日目・夕方の文章個所 「何か作るよ。ぼく、作れるから。」 「だいじょうぶ、作れるもん。」 「家で作ったご飯のほうが栄養があるから、かぜも治るから。」 「でもカレーなの。いいからカレーなの。絶対にカレーなの。」 「だめだよ、こんなのじゃ。」 「何言ってんの、お母さんと二人のときは、いつもこれだよ。」 ≪解説≫ ≪ひろしの会話文を抜き出しています。これらは、すべて明るい声立てで、 声高に、元気よく、さっぱりした気持ちで、音声表現します。「子どもみた いに大きな声で言い張る」と書いています。父親が自分を思いやってる心に はわざと無関心をよそおって、自分の意見を有無をいわさず強引に言い張っ ている言い方にします。 父親の会話文の言いぶり・音調は、さまざまあります。 「かぜ、ひいちゃったよ。熱があるから会社を早退して、さっき帰ってきた んだ。」 「晩ご飯、今夜は弁当だな。」 ≪解説≫ ≪お父さんの声はしわがれ、体の具合がわるく、風邪が重くて、せきが出て いる身体状況です。元気のない声、ざらついた声の音調で音声表現しま す。≫ 「えっ。」 「いや、でも──。」 「お父さんも手伝うから。で、何を作るんだ。」 「だって、お前、カレーって、ゆうべもおとといも──。」 「おまえ、もう『中辛』なのか。」 ≪解説≫ ≪父親は、ひろしの突然の仲直りに驚いています。たじろいで、とまどって います。ひろし君の豹変に半信半疑な気持ちでいます。ひろし君が突然に父 親の話しかけに応答を始めたことに驚いています。父親にとっては想定外の 出来事です。意外そうな言いぶり、ためらいがちな・遠慮している言いぶ り、不思議そうな気持ちで、ひろしの言葉に返答しています。≫ 「そうかあ、ひろしも『中辛』なのかあ、そうかそうか。」 「いやあ、まいったなあ。ひろしももう『中辛』だったんだなあ。そうだよ なあ、来年から中学生なんだもんなあ。」 「かぜも治っちゃったよ。」 ≪解説≫ ≪お父さんは、すっかりご機嫌です。思いを新たにしています。明るく、に こやかに、晴れ晴れした声で、陽気な声で、親しみのある声で、これら会話 文を音声表現します。≫ トップページへ戻る |
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