音読授業を創る  そのA面とB面と   06・1・10記



  「イナゴ」の音読授業をデザインする



●詩「イナゴ」(まど・みちお)の掲載教科書…………………教出6下




             イナゴ
                  まど・みちお

           はっぱにとまった
           イナゴの目に
           一てん
           もえている夕やけ

           でも イナゴは
           ぼくしか見ていないのだ
           エンジンをかけたまま
           いつもにげられるしせいで……

           ああ 強い生きものと
           よわい生きもののあいだを
           川のように流れる
           イネのにおい!



            
作者について


  本名・石田道雄。1909年、山口県徳山町に生まれる。台北工業学校卒。
台北工業学校在学中に詩や短文を書き始め、友人と同人誌を作る。
  戦前台湾で総督府に勤めながら「コドモノクニ」「綴方倶楽部」などに
投稿。児童誌「コドモノクニ」に投稿した詩が北原白秋選で特選になり、童
謡を創りはじめる。北原白秋に詩、童謡を学ぶ。戦後帰国して、婦人画報社
に入社、子どもの雑誌「チャイルドブック」の編集に携わる。この頃より幼
児雑誌、ラジオなどで童謡を発表するようになる。
  「一年生になったら」「ぞうさん」「ふしぎなポケット」「やぎさんゆ
うびん」などの童謡がある。野間児童文芸賞、芸術選奨文部大臣賞、路傍の
石文学賞特別賞、日本児童文学者協会賞、巌谷小波文芸賞、国際アンデルセ
ン賞、朝日賞など受賞。
  ペンネームについて、あるところで次のように語っている。
「本名は石田道雄ですが、若いときにペンネームのつもりでつけたんです
ね。つけた途端にいやになりまして……(笑い)。ところが恩師の北原白秋
先生が「いい名前じゃないか」とおっしゃったので、それじゃ、このままで
いいだろうと、それからずっと使っているわけです。「まど」というのは、
家でも何でも、外に通じる窓がなかったらどうにもなりませんね。窓を通じ
て外の景色を見たりします。そんな感じでつけたんです。」と。


           
イナゴについて


  イナゴは、日本でもっともふつうにみられる代表的なバッタの一つで
す。イナゴは、稲の葉っぱを食べるので、ウンカやニカメイチュウとともに
稲の大害虫とされています。稲との関連が深く、漢字で「稲子」と書きま
す。第二次大戦前の日本でのイナゴによる被害はたいへんなものがあったと
言われています。農村各地に伝わる虫送りの行事は、これら稲の害虫を退治
することからきていると言われています。
  わたしが子供の頃は、田んぼには、いなご、かえる、水中には、たにし、
どじょう、あめんぼ、ひるなどがたくさん住んでいました。現在は化学肥料
の散布により殆んど見当たりません。今の子どもたちには田んぼのイナゴは
あまりなじみがないのかもしれません。しかし、テクストは、やはり執筆さ
れた時代背景やその時の知的衝撃の文脈に置き直して読まれるべきでしょう。
  わたしが小学校、中学校に在学の頃は、秋になると、全校あげて全学年
一斉に年に二回ほど稲刈りの終わった近くの田んぼへ出かける「イナゴ捕
り」の学校行事がありました。教室空間から開放されて、田んぼへ出て同級
生たちとイナゴをつかまえ、袋に入れる作業なので、ほんとに楽しい学校行
事でありました。袋のふくらみ具合をお互いに見せ合って自慢したり、がっ
かりしたりの楽しい学校行事でありました。イナゴを売った代金は、自校の
学校図書館や学級文庫の本を買って備えました。
  イナゴは、たんぱく質、ミネラルに富み、栄養価が高い食べ物です。イ
ナゴを生きたまま袋に入れ、一日置き、ふんを十分に出させてから熱湯に
さっと入れます。その後、砂糖やしょうゆでいりあげます。佃煮にして冬期
の保存食にしたりもします。味は、小エビに似てかりかりして歯ざわりがい
いです。堅い足があると、歯間にささったりするので料理前にイナゴの足は
とっておきます。


             
教材分析


  第一連では、稲の葉っぱに停まったイナゴの目に真っ赤な夕焼けが、一
点となって、映っている。夕焼けが一点となってイナゴの目に映ってる美し
さに、語り手は感動しています。
  第二連では、イナゴは人間を見ると、敵が来た、危ない、危険だと動物
的なカンで身構える。イナゴは今、ぼく(人間)をじっと凝視している、い
つでも逃げられる姿勢を保ったままで。何とまあ、哀しく切ない、わたしと
イナゴとの関係よ、と嘆き悲しんでいます。
  第三連では、強い生きものと、弱い生きもの、この対立の残酷な現実が
あることを、語り手はヒューマニステックな目と気持ちで語り、読み手に問
いかけています。



           
音声表現のしかた
  

第一連

  各行ごとのイメージをたっぷりと目に浮かべて声に出して読むようにし
ましょう。
  「はっぱにとまった」を読むときは、稲の葉にとまっているイナゴの姿
をクローズアップさせて、それを目に浮かべて読むようにします。ただ字づ
らを声に変えるだけではいけません。たっぷりしたイメージがそのまま声に
なってしまったというような読み声でなければいけません。
  2、3行を音声表現するときは、イナゴをクローズアップさせ、その目
だけを更にクローズアップさせ、燃えている夕焼けが一点となって目に映っ
ている、そのイメージを浮かべて音声表現するようにします。
  そのイメージをもって、文字を一字一字、かんでふくめるように、てい
ねいに、ゆっくりとした声で読んでいくようにします。「(目に)(一点)
(も・え・て・い・る・夕・や・け)」を、はっきりと押さえるように読
み、ゆっくりと、ぽつりぽつりと間をあけて目立たせて音声表現します。

第二連
  語り手は、第一連ではイナゴの目に映った夕やけを見て、心底から感動
しています。
  しかし、第二連になると、語り手はイナゴの気持ちにたっぷりと同化
し、イナゴに同情し、かわいそうねと憐憫の情をしめしています。語り手
(人間)は、イナゴに同情し、イナゴを哀れみ、温かないたわりの気持ちと
すまなさの気持ちでいっぱいになっています。第一連の高揚した元気な声と
はちがって、第二連は低く沈んだすまなさの声で音声表現するようにしま
す。
  「ぼくしか見ていないのだ」は、確信を持って、断定した、はっきりと
した言い切りの形の言い納め方にして音声表現します。「のだ」を強めに音
声表現します。
  「いつでも にげられるしせいで………」のリーダー「………」は、何
と言っているのでしょうか。
  子ども達に質問してみましょう。子供たちから、どんな答えが返ってく
るでしょう。今、わたしが思いつくままに書くと「かわいそうにね。長年の
習性で人間に対してびくびくするようになってしまったのね。人間を見る
と、すぐ危険視して、自己防御する身体になってしまったのね。人間たちを
恨んでいることでしょうね。すみません。ごめんね。」などの言葉が、すぐ
浮かびます。
  要は、「………」(リーダー)は、言い残しがある、言いよどんでい
る、まだ言い足りないことがある、という記号です。そのような思いを込め
て、言い切りの下げた音調、閉じた言い切り方にしないようにします。下げ
ないで、まだ言いたいことがあるという平調の音調にして、中途半端な言い
納め音調の読み方にします。

第三連
  「ああ」は、やや大げさな表情づけで読み出していくぐらいでよいで
しょう。
  「強い生きもの」と「弱い生きもの」とを対比しています。二つのフ
レーズを、くっきりと目立たせて音声表現します。
  3、4行は、強いもの(人間)と弱いもの(イナゴ)、そのあいだを仕
切り、分け隔てている「川のように流れるイネのにおい」の存在を書いてい
ます。わたし(人間)にとっても、イナゴにとっても、生存するになくては
ならない食用としての稲の広大な(おいしそうなにおいの)流れがある、ま
あ、何と残酷なことよ。何と非道で無慈悲で冷酷な現実だことよ。という意
味でしょうか。それなら、そうした思いを込めて最後の二行の音声表現をす
るようにします。


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