音読授業を創る  そのA面とB面と    06・2・12記




   
詩「船」の音読授業をデザインする




●「船」(山之口獏)の掲載教科書………………………………光村6上



            船
                 山之口 獏

        文明諸君
        地球ののっかる
        船をひとつ
        なんとか発明出来ないことはないだろうか
        すったもんだのこの世の中から
        地球をどこかへ
        さらって行きたいじゃないか




            
作者について


  明治36〜昭和38。詩人。沖縄県那覇区東町大門生まれ。本名山口重
三郎、父は銀行員。小学生のとき兄から絵のてほどきをうけ、のち日本美術
学校に学んだことがある。沖縄一中のとき恋愛問題で極度の神経衰弱におち
いり、入院療養中に恋人に裏切られたことがある。同時に文学的、思想的自
覚に導かれ、教師、学校当局に反抗して三年で中退。
  大正11年秋上京。絵画を断念、詩作に専念する。各種の雑誌に詩作を
発表する。歴程同人。昭和12年、金子光晴夫妻が媒酌人で茨城出身の安田
静江と結婚する。
  結婚するまでの約15年間は一定の住所を持たず、就職、離職、放浪の
状態がつづいた。書籍問屋の発送荷造り人、暖房屋、お灸屋、くみ取り屋、
隅田川のだるま船の助手、薬品の通信販売など。こうして都会の底辺に生き
る青年・山之口獏が警察の不審尋問などのひっかかったさいに、その証明
を、佐藤春夫(作家)が二度にわたって身分証明書を与えたという。
  昭和14年から23年にかけて東京府職業紹介所に勤務する。終戦前後
の三年間を茨城県結城郡の妻の実家へ疎開し、そこから東京へ通勤したが、
それ以後は文筆生活に入る。
  詩集は、「思弁の苑」、「山之口獏詩集」、「定本山之口獏詩集」(第
二回高村光太郎賞受賞)、「鮪と鰯」がある。
  詩風は、概して平明で、庶民的な生活感情と粘着的な語法で独特な詩法
で独自な世界を形成している。自己風刺的な詩法に特色がある。一切の権力
感情に無縁で、一切の権力的なもの威力的なものを、地面に引き摺り下ろし
て均質化してしまい、そこに風刺的批判や庶民的感情にもとづく人生論を形
成した。


             
語句しらべ


【すったもんだ】

広辞苑(岩波書店)より
議論などがさんざんもめること。もんちゃく。
もつれがおこって争う。ごたごたもめるさま。

大辞林(三省堂)より
種々の意見が出てもめること。ごたつくこと。


【文明】

「文明」とは何か。文明と文化とは、どう違うか。これらについて調べたこ

を以下に書きます。


以下、『知恵蔵』1997年版より
[文化/文明]culture/civilizatoin
使用法は国によって違う。ドイツではkulturが精神文化、zivilisationが物
質文明を意味し、前者を高く、後者を低く見る傾向がある。これに対して英
米ではcultureは生活様式(way of life)の意味。その中で特に高度のもの
を文明とよぶが、その基準は固有の文字を持つことなどがあげられる。日本
の場合には、戦前はドイツ流の使い方で、程度の高いものに限って用いた
(文化人、文化住宅など)が、戦後は英米流の使用法が広がり、高低に限ら
ず、生活様式をさすようになり、特に文化人類学では、もっぱらこの用法で
ある(縄文式文化、ピグミーの文化など)。なお梅棹忠夫らは人間の生活シ
ステム全体を文明、その中心にある価値システムを文化tぴょぶという独特
の使い方をしている。


以下、平凡社百科事典マイペディアより
[文明]
市民(civis)の語に由来し、主として政治・法律の市民の権利や教養と結び
ついて生まれた言葉。文明を未開と対比する場合は、クラックホーンによれ
ば、「文明とは単に→文化の一つのタイプ、すなわち複合文化もしくは高度
文化」にすぎないとする。A/ウェーバーは文化運動・文明過程・社会過程
の三分法をとり、文明とは直線的に無限の進歩を約束された技術的手段の総
計とする。フランス啓蒙主義者は、文明を進歩の観念に基づく啓蒙と考え、
中世的野蛮に対する人間の精神的・人間的自覚を含み、文化に対して文明の
世界市民性を強調し、民族的伝統に拘束された文化に対立させる立場もあ
る。
[文化]
人間が自然のままの状態にとどまらず、労働によって自然に手を加え、自ら
も自然状態から脱しつつ形成してきた物質的・精神的成果のすべてをいう。
その定義内容については、立場・時代により種々あるが、ジンメルによれば
「文化とは、より多くの生ではなく、生より以上のもの」としての客観的・
精神的形象であり、生の流動を押しとどめ、結晶化したものである。またラ
イターによれば「知識・進行・技芸・道徳・法律およびその他の能力や習慣
を含む、ある社会の一員としての人間によって獲得された複合体」とされ
る。これに対して米国のクラックホーンは「文化とは、内的ならびに外的の
二つの刺激に対する人間の反応を跡づける、歴史的につくられた選択過程で
ある」と定義する。


以下、フリー百科辞典『ウィキペデキア』より一部抜粋
[文明]
 文明は、人間が創り出した高度な文化あるいは文化を包括的に指す。
 西欧語のcivilization(英語)などの語源は、ラテン語の「都市」「国
家」を意味する
 civitasの由来する。ローマ時代の文明とは、字義通りに都市化や都市生
活のことであった。
 伝統的に文明は野蛮や未開と対置されてきた。ここには高い文化をもつ文
明の光と、その光が届かない野蛮や未開の闇という世界像がある。
 都市生活の素晴らしさや、野蛮・未開の劣等性を知識人たちが疑わなかっ
た時代には、文明とは何かという理論的問題は発生しなかった。しかしそこ
が疑われるようになると、自民族・自文化中心主義をとりはらった文明の定
義が求められるようになった。この要請に応えようとおびただしい定義が提
案されたが、概念問題の難しさは少しも減っていないように思われる。
  文明人は野蛮人より、文明国は未開社会より、すぐれた道徳的な規範を
持ち、すぐれた道徳的実践を行うと想定する。文明は、人道的、寛容で、合
理的なもので、逆に野蛮は、非人道的で、残酷で、不合理なものとされてき
た。文明側の自己賛美は、それが文明人の間の行動を規制するために主張さ
れたときには、道徳性を強める働きをしたが、野蛮人や未開人に対して主張
されてときは、文明人による非人道的で残酷な行為を正当化することがしば
しばあった。
 しかし、同じ分類法をとりながら、野蛮や未開のほうが逞しさ、自由、同
毒性の点では優れていると考える人人もいた。高貴な野蛮人という言葉で要
約できるこの考えは、後に西洋近代に一大流行となった。とはいえ、この考
えが主流派に対する異議申し立ての地位を越えた時代はない。
  20世紀半ばになり西洋諸国が支配した植民地が次々に独立し、自主性
を取り戻すと、西洋文明の継続的拡大という見方は覆され、政治的支持を得
にくくなった。多くの学問分野でも、文明と野蛮(未開)という区分は時代
遅れで誤ったものと考えられている。それでも、欧米や中国の保守的知識人
の(学問的性格が薄い)評論の中では、優れた西洋文明、中華思想という考
えは一定の支持を得ている。


以下、中山元『高校生のための評論文キーワード100』(ちくま新書)より
一部抜粋
[文化・文明]
 文化は自然そのものに対して人間が働きかけた結果として生まれるもので
ある。文化とは、人間が自然のままの状態を克服してきたことを物語るので
ある。
 ところで文明を自然からの堕落と考える視点も根強い。ルソー(1712〜
78)は人間は自然のままの状態であるのが最善であり、文明は不平等を生み
出し、人為的な装置によって人間の素朴な善さを失わしめるものだという視
点を提示した。近代の西洋で「野蛮人」というイメージが、未開で啓蒙すべ
きものという像と、文明に汚染されてない自然の素朴さという像の両面をも
ってきたのもそのためである。


以下は、板野博行『ゴロゴロ板野のライブ・短期集中講義・現代文』(アル
ス工房)という大学入試受験参考書よりの一部抜粋。
文化・文明】
 文化=精神、こころ≒形のないもの=形而上
 文明=物質、もの≒形のあるもの=形而下
 現代は確かに、物質文明的にはすぐれているのかもしれません。しかし、
庭に咲く一輪の花を見て「あはれ」と感じていた平安時代の人たちの精神文
化的レベルに、果たして我々が到達しているのか、と考えると、意外にそう
ではないかもしれませんね。



           
 教材化の視点


  語り手は、「すったもんだのこの世の中」を嘆き、大変に悲しんでいま
す。子ども達に「すったもんだのこの世の中」とは、どんなことを言ってい
るか、指示しているか、と問いかけてみましょう。
  その事例をいろいろと挙げさせ、具体化することがこの詩理解には必要
のようです。民族紛争、テロリズム、地球温暖化、環境汚染、殺人事件、幼
児誘拐、ストーカー、登下校時の誘拐、いじめ、自殺、ごみ放棄など、いろ
いろと発表するでしょう。この詩の授業には、ここをうんとくだいて理解さ
せておくことが重要のようです。
  語り手は、そういう地球上の事柄を嘆き、悲しんでいます。ちょっとば
かりではありません。深刻にです。「すったもんだ」という表現は、「この
地球上にもう住みたくない。住むのはいやだ。新しい地球と入れ替えた
い。」と痛切な叫び声をあげています。
  「さらっていきたいじゃないか。」は、「さらっていけるはずだ、でき
ないことはない、必ずできる。」という反語表現です。そしてこの考えは
「わたしだけでなく、みなさんも同じ考えでしょう。大賛成でしょう。ね、
そうでしょう、そうでしょう。」と相手に同意や共感を求めています。
  さらってくれる人は「文明諸君」です。語り手は「文明諸君」と呼びか
け、「文明」というものに底抜けに明るい未来の展望と構築を期待し、「文
明」に賭けています。
  ここでの「文明」の概念内容は、人智が長い歴史を経て作り上げてきた
技術的・物質的な所産としての「文明の利器」のことであり、高度な科学的
な発明・発見のことを指しているようです。現代の荒廃したすったもんだの
多くの事柄をみるにつけ、現代の人間どもの精神的行動のありかたは唾棄す
べきものだ、放擲すべき対象だ、とまっこうから否定しています。
  この詩には、「文明病」(物質文明の発達にともなって生ずる精神上の
疾患・病気・行動)についての考えはすっぽりと穴が開いて、皆無のように
思われます。


           
 音声表現のしかた


  第一行で「文明諸君」と呼びかけています。呼びかけ口調にして音声表
現しましょう。呼びかけ終わったら、そこでたっぷりと間をあけます。
  2、3、4行は、意味内容ではひとつながりです。三つの行に区切りつ
つも、ひとつながりの意識はくずさないようにして読みすすめます。
  5、6、7行は、意味内容ではひとつながりです。三つの行にくぎりつ
つも、ひとつながりの意識をくずさないようにして読みすすめます。
  「地球ののっかる」は「船」の連体修飾語です。「のっかる」の下で、
下げた音調にして言い切る音調にしてはいけません。そこで言い切らない
で、つながる音調にして、つまり平調にして、二行目の下で区切りの間をあ
けるようにします。
  「(なんとか)発明できないことは(ないだろうか)」は、「文明諸
君」への、期待してるが故の、かなり強引な押し付けの呼びかけ口調です。
いま、ここで記述した(  )の中の語句を強調して目立たせて音声表現す
るとよいでしょう。
  「(すったもんだの)この世の中から」「地球を、どこかへ」「(さ
らっていきたいじゃないか)」のように区切り、(  )の中は強調して目
立たせて音声表現します。
  「(さらっていきたいじゃないか)」は、「この考えは、ぼくだけじゃ
ない。みんなもそう思っているはずだ。ね、そうだろう、そうだろう。}
と、かなり強引に相手に同意を求めている・強制している言い方です。その
気持ちをうんと込めて音声表現するようにします。


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