音読授業を創る そのA面とB面と 04・2・15記 「雪わたり」「雪渡り」の音読授業をデザインする ●「雪わたり」(宮沢賢治)の掲載教科書……教出5下 、 ●「雪渡り」(宮沢賢治)の掲載教科書………東書6下 作品について この物語について、二人の児童文学者(瀬田貞二さん、堀尾青史さん) は次のように書いています。 「この短編は、「愛国婦人」という雑誌の大正十年(1921)の12 月号とあくる年の1月号にわけて発表されました。宮沢賢治にとって、はじ めて公表の場があたえられたこの機会は、どれほど強いはげましになったこ とでしょう。その年の9月ごろに、妹さんの病気で東京から郷里にひきあげ てきた作者は、さらにその12月3日に農学校の先生となったこともあっ て、この作品をふみ切りとして、まことに大事に書き上げたことと思いま す。」 瀬田貞二。絵本「雪渡り」(絵・堀内誠一)1969、福音館書 店刊の解説より引用 「二回に分けて雑誌「愛国婦人」に発表された。この雑誌の九月号にも 童謡「あまの川」がのりましたが、おそらく投稿して採用されたのでしょ う。お礼に金五円をもらったそうで、原稿料をもらったのは、生きている間 はこれだけだったそうです。」 堀尾青史。『宮沢賢治童話全集2』岩崎書店刊,1978、の解説よ り引用 雪景色の表象化を十分に この物語を読み深めるには、物語の舞台となっている背景、つまり雪景 色の様子を十分に表象化させる学習活動が重要です。 「その一」の冒頭部分の文章には、雪景色の様子がたっぷりと描写され ています。雪景色にもいろいろあります。「雪わたり」の雪景色はどんな様 子(特徴)なのでしょう。地面は「雪がすっかりこおって大理石よりもかた くなり」、空は「冷たいなめらかな青い石の板でできているらし」く見えま す。今日は「いつもは歩けないきび畑の中でも、すすきでいっぱいだった野 原の上でも、好きな方へどこまでも行けるのです。平らなことは、まるで一 まいの板です。それが、たくさんの小さな小さな鏡のようにキラキラキラキ ラ光るのです。」雪ぐつをはいて歩くと、キックキックと音がします。 地面は一面どこまでも雪が固くこおって一枚の板になっています。野原 も田畑も一面が堅雪におおわれています。空気も冷たくこおり、空は一枚の 青い石の板のようです。この物語は、こうした雪の世界(舞台、背景)の中 で、はじめは四郎とかん子がきつね(紺三郎)と離れての呼びかけあいで始 まります。そこから物語は展開していきます。 「その二」場面を見てみよう。雪景色の舞台・背景は、昼から夜へと変 わっています。十五夜のお月さまがのぼり、雪はチカチカ青く光り、寒水石 のようにかたくこおっています。森は青白いけむりにつつまれています。き つねの学校の子ども、小さな子は大きな子の肩車にのって、お星様をとろう としています。それぐらいお星様が近くに見える、十五夜の青く冷たくこ おった月夜なのです。 二つの対立図式 この物語には二つの対立図式があります。「人間対きつねの対立図式」と 「子ども対大人の対立図式」です。 ●「人間対きつねの対立図式」について きつねの紺三郎が四郎とかん子に「だんごをやろうか」と言うと、かん 子は「きつねのだんごはうさ(うさぎ)のくそ」と言います。紺三郎は「き つねは人をだますなんて、うそです。だまされたという人は、酒に酔った り、臆病でくるくるした人です。」と答えます。紺三郎は、その例を酔った 甚兵衛、太右衛門、清作のとった行為を挙げて説明します。 人間世界には、きつねは人をだます悪い動物だと信じられています。だ ます、だまさない、の対立は、きつねの幻灯会まで続きます。幻灯会に出席 した四郎とかん子はそこでおだんごを出されます。四郎とかん子は食べよう かどうしようかと迷いますが、四郎は「紺三郎さんがぼくらをだますなんて 思われないよ」と言い、二人はだんごを食べます。そのおいしいことといっ たら、ほっぺが落ちそうです。心配そうに見ていたきつねの子ども達は拍手 して喜びます。きつねは人をだますという観念は四郎・かん子と紺三郎・き つねの子ども達のあいだでは払拭され、信頼関係が成立します。ここの場面 から宮沢賢治の「きつねは人をだます」ということへの思想(態度表明)が 見てとれます。 ●「子ども対大人の対立図式」について 酒に酔った太右衛門と清作が面目の立たない行為をしているのを、きつ ねの紺三郎が見てしまいます。きつねのこん兵衛がわなにかかったり、きつ ねのこん助がおしりに火がついたり、これらも幻灯会の幻灯に写しだされま す。これら恥ずかしい行為はいずれも人間やきつねの大人達がしたことで す。 幻灯会の参加者は、11歳以下という年齢制限があります。宮沢賢治は 大人と子どもの境界を11歳においているようです。四郎の兄三人は12歳 を越えているので、参加したくも参加できません。こうして人間の子どもと きつねの子ども達だけの幻灯会が開かれます。幻灯会で、人間の大人達とき つねの大人達の恥ずかしい面目ない行為がスクリーンに写しだされます。き つねの学校の子ども達はそこから「わなをけいべつするな」「火をけいべつ するな」と歌い、また「うそをつかない。ぬすまない。そねまない」の歌を うたって学びます。こうして、ねずみの学校の子ども達は、大人世界の行為 を嘲笑し、自分ら子ども達の新たな誓いの意志を固めます。 この「大人対子どもの対立図式」の中に宮沢賢治の子ども観、つまり子 どもは社会通念に惑わされることなく社会を変革していく可能性を持ってい る存在であるという思想(態度表明)が見てとれます。 人間の子どもと子ぎつね達との心あたたまる交流、歌の呼応、交歓のう つくしい交流、信じ合えたことの喜びが、この物語のテーマとなっていると 言えるでしょう。 擬態語、擬音語の効果的使用 「雪わたり」には、たくさんの擬態語、擬音語が使用されています。 ●擬態語の例 ぴかぴか(木) チカチカ(雪) キラキラキラ(雪野原) パチパチ(目) しいん(雪野原、森) キラキラ(星) ひょろひょろ(酔った人間) キラキラ(涙) ピッカリピッカリ(光) ひそひそ(私語) ぴいぴい(風) カンカン(日光) どうどう(風) ツンツン(明かり) どっこどっこ(風) ●擬音語の例 キックキック(雪ぐつ) パチパチ(拍手) シリキシリ(雪ぐつ) ピー(笛) キックキックトントン(足踏み) ●擬声語の例 エヘンエヘン(せきばらい) こんこん(きつねの鳴き声) 日本語の表記の原則では、擬態語はひらかなで、擬音(声)語はカタカ ナで書くことになっています。上記した「雪わたり」の表記のしかたを見る と、これが守られていないことが分かります。「雪わたり」の掲載教科書会 社・教育出版に問い合わせてみたところ、賢治の原文を尊重し、歴史的かな づかいや配当漢字のほかは変更していないということです。これは賢明なや り方だと思います。 昼の堅雪一面の雪野原や森、夜の氷結した青く暗い森の中、硬質なカタ カナを多用することで、凍てついた雪世界をかもしだしており、一層の表現 効果を発揮していると思います。キックキックトントンなどのカタカナの連 続と、リズミックなカタカナ言葉の繰り返し使用で、物語全体に音楽的な響 きと雰囲気をもたらす効果も発揮しています。 擬態語、擬声語の音声表現 擬態語は、様子や気持ちを音声の感じでまねて表した言葉です。擬音 (声)語は、物音や動物の鳴き声を音声の感じでまねて表した言葉です。こ れらは、ものことのありのままの姿を具象的に表した言葉で、この言葉を使 うと、ありさまがあるがままの姿で、生き生きと伝わるようになります。様 子がありありと目に見えるようになり、気持ちがまっすぐに伝わるようにな ります。 擬態語、擬音語は、音読するとき、表現(音調)のしかたをいろいろと 変化させてみると、また違った感じで表現されてきます。文章内容にぴった りした読み声はどれか、声の出し方をいろいろと変化させてやってみると新 しい発見があり、声にだして読むことが楽しくなってきます。児童にいろい ろと変化させて試行してみるように誘い掛けてみましょう。 「四郎とかん子とは、小さな雪ぐつをはいてキックキックキック、野原 に出ました。」の「キックキックキック」の読み方について書きます。雪国 に住んでいる人や住んだことのある人は知っています。堅雪の上を雪ぐつ (賢治に時代、多分、わらで作った短い長靴、つまり、わらぐつでしょう) で歩くと、どんな音がするかを知っています。キッキッキッとかキュッ キュッキュッとかサクッサクッサクッとか、ほかにもありましょう。賢治 は、この物語では「キックキックキック」と表現しています。 キックキックキックを音読するときは、硬質な、細く、高く、短く、歯 切れよく、そして冷たい音声にして表現しなければなりません。地の文の中 にある擬音語は、地の文の全体の音調の流れの中で表現しますので、ありあ り性や臨場性や感覚性の表現が会話文中にあるときよりは弱まるのが普通で す。しかし、ここでは遠慮することなく、ありあり性や臨場性や感覚性をを めいっぱいに出して凍りついた冷たさを強調して読んでよいでしょう。 「キラキラキラキラ光る」「キシリキシリ雪をふんで」のカタカナのオ ノマトペも、ありあり性や臨場性を強調して読むようにします。 堅雪の上の足踏みの音「キックキックトントンキックキックトントン」 は、この物語のあちこちに繰り返して出現します。雪を踏んでいる人物は、 きつねの紺三郎であったり、四郎であったり、かん子であったり、三人一緒 だったり、きつね学校の生徒達だったりいろいろです。いずれも堅雪の上の 足踏みの音です。踊りながらだったり、歌いながらだったりもしています。 表記の仕方も「キックキックトントンキックキックトントン」、「キッ ク、キック、キック、キック、トン、トン、トン」など他にもありますが、 読点の位置がいろいろに変化しています。読点のあるなしや、読点の位置に より、足踏みのリズムも二拍子になったり、四拍子になったりしますし、間 のおき方も違ってきます。これの音声表現についても児童達と語り合ってみ ましょう。 実際に足踏みをしながら、これらの擬音語を音声表現するのもよいで す。臨場感や迫真性がともなって表現されるはずです。また、これらは足踏 みをしながらの歌ですから、歌をうたうリズムと足踏みのリズムとは合致す る必要があります。歌とはいっても、楽譜があるわけではありませんので、 普段の読み声にある種の軽いリズムやメロディーをつけただけの読み声でよ いでしょう。実際の足踏みのリズムを基に、それに合せるようにしていけば 間違いはないでしょう。つまり、Sing(歌)でなくてもよい、Chan t(拍子・リズムに合せて言葉を繰り返すだけ)であってもよい、というこ とです。 役割音読をする前に、学級全員でリズム打ちと歌(かけ声)の練習をし ておくと、役割音読がスムーズにいきます。先に手拍子のリズム打ちをして から、それに合わせて学級全員でねずみの学校生徒の足拍子や歌(かけ声) をやります。足踏みや歌(かけ声)をしながら、身体にリズムを響かせ、楽 しんでリズムを身体に流し入れてしまえば、あとの個人演技の役割音読はう まくいきます。指名や希望による役割音読を始める以前に、学級全員による 足拍子や歌(かけ声)の練習を十分にやっておくと、あとの音声表現がうま くいきます。 ちょっと横道へ 「その一」で、四郎・かん子ときつねの紺三郎とが、はやし言葉を言っ て対話している場面があります。四郎・かん子は家の近くの雪野原に立ち、 紺三郎は森を後ろにして立ち、かなりの距離をおいて、はやし言葉で呼びか け合い遊びをしている場面です。今の児童たちが遊びの中でやっている「は ないちもんめ」の遊びとよく似ていますね。 わたしはこの場面を初めて読んだ時、わたしの小さかった時の遊び歌 「はないちもんめ」(子もらいのわらべ歌)を直ぐに思い出しました。今の 児童たちも「はないちもんめ」を直ぐに思い出すのではないでしょうか。 「はないちもんめ」は、子もらいの遊びの「わらべうた」です。歌詞や遊 び方は各地方によって違っているでしょうが、わたしの勤務地の横浜の子ど もたちの遊び方はこうです。 じゃんけんで、勝ち組と負け組に分かれます。それぞれ横一列になり手 をつないで、向かい合います。 「勝って嬉しい花いちもんめ」(勝ち組は歌いながら前へ進む。負け組みは 下がる) 「負けて悔しい花いちもんめ」(負け組は歌いながら進み、勝ち組は下が る) これを繰り返します。「あの子がほしい」と進みます。次にそれぞれの 組で相談し、じゃんけんの子を決め、また手をつなぎます。 「けんちゃんが欲しい」「ようくんが欲しい」(双方が、進み、下がりま す。) 「じゃんけんぽん」(勝ったほうが、負けた子を取って仲間にし、次に勝ち 組となって繰り返します」 合田道人(作家・歌手)さんは、わらべうた「花いちもんめ」について、 東京新聞(2009・5・5朝刊)に次のような文章を書いていました。 ーーーー以下引用開始ーーーーー ふるさと求めて 花いちもんめ ふるさと求めて 花いちもんめ あの子がほしい あの子じゃわからん この子がほしい この子じゃわからん 相談しましょう そうしましょう ○○ちゃんがほしい ○○ちゃんがほしい じゃんけんぽん 勝ってうれしい 花いちもんめ 負けて悔しい 花いちもんめ 二組に分かれ手をつなぎ「あの子がほしい」とじゃんけんをし、「勝っ てうれしい花いちもんめ」と勝った組に人を増やしていく”子取り遊び” 「花いちもんめ」には時代が作った悲しみがあふれていると言われている。 ここで歌われる”花”とは、菊、菜の花などの花ではない。貧困で子ど もを手放さなければならなかった親と、女衒(ぜげん)と呼ばれた人買いと の会話こそが、このわらべうたを生んだ。 あの子が欲しい、と女衒は、貧しい家を訪ねる。明日の米さえない親は、 ”すまない”と思いながらも娘を託す。勝ってうれしい 花いちもんめ… ”勝って”とは、”買って”だった。いちもんめとは、安い賃金のことであ る。親は「負けて悔しい」と嘆く。「この魚、百円に負けとくよ」などとい う言葉があるが、”負ける”とはじゃんけんに負けたのではなく、値切るこ とを意味していたのである。 こうやって娘は、女衒に手を引かれ故郷を後にした。悲しい時代が作っ た歌だったのである。 ーーーーー引用終了ーーーーー (下段「参考文献(1)」で、四郎・かん子ときつねの紺三郎とが対話して いるはやし言葉は、谷本誠剛さんの研究によると、宮沢賢治の故郷・岩手県 に昔からあった「わらべうた」からとったものであると指摘しています。下 段「参考文献(1)を参照。) 閑話休題・「その一」場面の役割音読(1) 「その一」場面では、会話文だけを取り出し、配役を決め、役割音読を します。 「その一」場面は、地の文を読まなくても、会話文だけ読んでいっても場面 がよく分かります。ひととおり読んで意味内容を理解すれば、地の文はいら ないぐらいです。 指導の手順はこうします。会話文の上部に発言者は誰か、発言者の名前 またはその頭文字を記入します。発言者は一人とは限りません。四郎とかん 子の二人、紺三郎もまざった三人の場合もあります。どんな話し口調で言っ たか、それが書かれている語句を文章から探します。例えば、「足をふん ばってさけびました」「笑って言いました」「おもしろそうに言いました」 「そっと歌いました」などを探します。それを鉛筆で会話文の右側(行間) に「さけぶ」「笑って」「おもしろそうに」「歌って」などと、会話文そば に鉛筆で短い語句にして記入します。地の文を省略し、会話文だけを役割音 読をします。 配役を決め、役割音読をすることで、地の文を含む文章全体を黙読する ときには気づかなかった場面の様子がはっきり把握することができてきま す。音声にすることで、人物の心理や気持ちの細かいところも発見できま す。臨場場面として具体的にイメージすることができ、情感のこもった言葉 の響き、日本語の美しさが理解でき、実感的に場面を体得できてきます。 「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」は、はやし言葉です。はやし立てる遊 び歌(後述の参考資料参照)ですから、二拍子や四拍子のリズムの、楽し い、足踏みしている軽快な音調にして語るようにします。 「その一」の冒頭場面に出てくる初めの「かた雪かんこ、しみ雪しん こ」の二箇所(一回目、二回目)は、誰が歌ったのか発話者がはっきりしま せん。多分、話の続きから、四郎とかん子でしょう。四郎かかん子のどちら か、もしくは二人同時のはやし言葉と考えてよいでしょう。役割音読では、 どちらかに決めて発話するようにします。 こうも考えられます。ナレーターの声とも考えられます。演劇上演の開 始時に、こんな場面がよくあります。幕が上がったばかりで、人物が登場せ ず、登場していても演技行動が始まらず棒立ちの状態で、舞台の奥やスピー カーから微かに聞こえてくるイントロの歌が流れることがあります。ナレー ターの解説の声であることもあります。冒頭の二つの「かた雪こんこ、しみ 雪しんこ」は、舞台奥から微かに聞こえてくる囃しの歌なのかもしれませ ん。そう解釈するなら、ナレーターの配役を作り、ナレーターの声(発話) として音声表現することになります。 三回目と四回目の「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」は、四郎かかん子、 または二人同時の囃し言葉でしょう。どちらかに決めて言うようにします。 五回目は、白いきつねの紺三郎です。 「その一」場面の役割音読(2) 対面してのはやし言葉のやりとりの構成はこうします。教室の前面にき つねの紺三郎が立ちます。教室の背面(後ろ)に四郎とかん子が並んで立ち ます。教室前面の壁(黒板)には森を略画した絵を書くか、はりつけます。 背面には雪をかぶった農家や雪野原を略画した絵を書くか、はりつけます。 要するに対面している双方のあいだが離れて距離があり、双方の背景(後 ろ)は何であるかが分かればいいのです。 「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」は、足踏みリズムの四拍子にしてリズ ミカルに読み、向こうにいる人物(相手)に呼びかけているように、はやし 言葉(からかったり、冷やかしたり、ほめたてる言葉)にして表現します。 遠くの相手への呼びかけですから、高い声で叫んでいるような音調になりま す。「よめぃほしい、ほしい」は「欲しいかぁ、欲しいんでしょう」と相手 に問いかけ、文末が長く伸びて跳ね上がる音調にします。歌うのでなく、遠 くのきつねに呼びかけ、質問している普通の語りかけ音調になります。 「きつねこんこん白ぎつね、」や「四郎はしんこ、かん子はかんこ」な どの前半は、足踏みしている四拍子で読み、つづく「およめほしけりゃ、 とってやろうよ」「おらはおよめはいらないよ」などの後半は、足踏みリズ ムでなく、普通の話し(応答)口調にして、文末助詞は強く跳ね上げて、長 く伸ばして表現し、遊びを入れます。応酬(やりとり)の雰囲気を出すこと がとても重要です。 かん子の「うさ(うさぎ)のくそ」からあとは、足踏みリズムのはやし 言葉はなくなり、双方の応酬は普通の語り合いでの対話形式となります。紺 三郎は「きつねは人をだまさない」と強く言い張り、その実例をあげます。 四郎とかん子はきつねの幻灯会の招待を受けます。二人は行くことになりま す。 紺三郎は、きつねの幻灯会のアウトラインを「その一」で説明します。 紺三郎の説明のしかた(読み方)で重要なことは、第一の幻灯はこうだ、第 二はこうだ、第三はこうだ、三つの区分けに間をあけて、一つ一つがひとか たまりになるように音声表現します。 紺三郎がうたう後半の文句「去年、三十八、食べた」や「去年、十三ば い食べた」は、普通のしゃべり言葉音調で語ります。「ターベタアー」の 「タアー」の語尾を跳ね上げて長くのばし、遊びを入れます。 「三人は、おどりながらだんだん林の中に入っていきました。」から、 三人が連れ立って林の中へ入っていくことになります。そして三人が声を合 せてしかの子を呼ぶことになります。 いつ三人が近づき合流したのか、文章としての記述がありません。ここ では仮にこの地点で三人が合流し、連れ立って林の中へ入っていったとしま す。 教室前面の紺三郎と、教室背面の四郎・かん子がキック、キック、トン トンと足踏みしつつ繰り返して言いながら近づいて、合流し、出会ったとこ ろで連れ立って教室前面の出入り口に行きます。出入り口の手前か、1歩出 たところで止まります。そして紺三郎が「しかの子も呼びましょう か。……」と四郎・かん子に向って語ります。しかの子役は、教室後ろの出 入り口にいて、か細い、微かな声で「北風ぴいぴい……」と答えを返しま す。 「その二」場面の台本作り 「その一」場面は、鍵括弧の会話文だけを取り出して役割音読するだけ で物語の展開や場面の様子が十分に音声で表現できました。「その二」は、 鍵括弧の会話文が少ない文章個所があります。地の文だけで幻灯会の進行の 様子が記述されている個所があり、会話文の役割音読だけでは場面の展開が 不十分にしか音声では表現できません。 そこで「その二」場面は総合単元として扱うことにします。新指導要領 で強調されている「伝える、伝え合う」を中心に「話す・聞く」「書く」 「読む」の三領域を総合させて学習活動をすすめます。つまり、役割音読で 場面を構成して「伝え合う」を最終目標にして、それ以前にグループ学習で 「その二」個所の台本作りをします。 あまり細かな台本にしないようにします。原文を生かすことを原則とし ます。「その二」冒頭の幻灯会の紺三郎の挨拶までは、会話文も地の文もい じらないで、このままとします。 キックキックトントンの繰り返しが出てきます。これは新しく台本化し なくても、足踏みしつつリズムをとって一斉に言う、と約束すればこのまま で生かせます。 新しく台本化する文章個所は、紺三郎の開会の挨拶が終わり、幻灯が始 まった場面からです。 「お酒を飲むべからず」の幻灯場面、「ほおの木の葉に顔をつっこん だ」幻灯の場面、四郎とかん子がきびだんごを食う場面、「わなをけいべつ すべからず」の幻灯場面、「火をけいべつすべからず」の幻灯場面などで す。これらの多くは絵や写真やスローガンの文字(看板、札)が現れる場面 です。画用紙を細長く切った簡単な文字の札、略画した絵を5,6秒みんな に見せて、それを引っ込めたら、キックキックトントンのコーラスをきつね の生徒たちが足踏みしつつリズミカルに言う、という約束(台本)を作る、 などというのはどうでしょう。 笛を鳴らす場面は、実際に笛をピーと鳴らすとよいでしょう。 紺三郎が「エヘンエヘンとせきばらいをしながら」など、会話文の言い ぶりを書いてある個所は、「その一」と同じにそれを探し、会話文の右余白 に鉛筆で書き込みをします。 「きつねの学校生徒は、もうあんまり喜んで、みんなおどりあがってし まいました。」の部分は、きつねの生徒「ワーイ、食べてくれた。うれし い。」(キックキックトントンを、二人で手をつないだりして、笑顔で、よ り高くとびあがって、調子をつけて、言う)などど台本作りをします。 台本が完成したら、実際に「その一」のように演じてみましょう。 会話文のト書きに配慮して 会話文の前後の行に、こんな言いぶりや表情で語った、というト書きが ある個所がけっこうあります。そのようなときは、そのト書きに即して会話 文を音声表現しなければなりません。二、三の例をあげます。 四郎は、きつねの紺三郎との約束を思い出して、妹のかん子にそっと言いま した。 「今夜きつねのげんとう会なんだね、行こうか。」 【そっと言う】 四郎とかん子とは、手をたたいて喜びました。そこで三人は、いしょにさけ びました。 【三人、いっしょにさけぶ】 「かた雪かんこ、しも雪しんこ、しかの子ぁ、よめぃほしい、ほしい。」 紺三郎は、むねをいっぱいに張って、すましてもちを受け取りました。 「これはどうもおみやげをいただいてすみません。どうかごゆるりなすって ください。もうすぐげんとうも始まります。」【むねを張って、すまして】 参考資料(1) 谷本誠剛(児童文学者)さんは、「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」の遊 び歌について、人間の子ときつねの子とのうるわしい交歓について、下記の ように書いています。 四郎とかん子が唄っているのは、伝承のわらべうたである。「かた雪か んこ しみ雪しんこ しもどのこ 嫁ぁほしいほしい」という唄が「岩手県 九戸群」で収録されている。(町田嘉章、浅野健二編『青森のわらべうた』 音楽の友社)。これはいまも歌い継がれているという。その伝承の唄を静か な森にやってきた四郎とかん子は、「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。狐の 子ぁ、嫁ほしい、ほしい」と形を変えて歌った。子ども達はよく知っている 唄を状況に合せて自在に変えていく。狐の棲む、しんと静かな森に来たとき に、二人はごく自然にこのバリエーションを作り出したのである。その唄は 狐への呼びかけの唄であった。それに思いがけず狐が応答したことから、こ の1篇のファンタジーは始まるのである。 …………… 人間の子と子狐が心を交わすこの話では、この種の稀有な交流が可能な のは11歳以下の子どもにかぎられていることが繰り返し述べられている。 11歳を越えている四郎と感子の兄たちは、狐の幻灯会に出ることができな い。賢治は、野に生きる獣たちと心を交わせるのは、幼い柔軟な心のものだ けに可能だとしている。そして幼い彼らにだけ開かれた「人獣交歓」の童話 的な世界に、男女の求婚の物語と異類婚の物語が背景に取り込まれているの である。このことは、この種の伝承の物語と幼い子どもの世界が本来近親性 を持つことを示している。 関東学院大学人文学会英語英米文学部会編集『OLIVA』NO、9から 引用 参考文献(2) さねとうあきら(児童文学作家)さんは、宮沢賢治の「注文の多い料理 店」、「なめとこ山の熊」は高く評価していますが、「雪渡り」については 懐疑論を述べておられます。 潜在化した縄文感覚をストレートに発揮した作品には、文明社会を蒼ざ めさせるほどの傑作がある。人間を山猫の凝視・観察の眼にさらした「注文 の多い料理店」の不気味な後味、あるいは猟師と熊、狩るものと狩られるも のとの濃密な友情を描いた「なめとこ山の熊」などは、人間中心の判断を貫 いてきた文明社会にとっては、およそ理解を絶しているにちがいない。自然 環境を荒廃の極に追いやって、己の生存まで危うくなったわれわれ人類は、 地球との共生を真剣に考えざるを得なくなっている。賢治の作品に多くの読 者が集中するゆえんである。 ………………… 狐の〈幻灯会〉はクライマックスに達し、狐の作ったキビ団子を、招か れた二人は食べた。 (中略) 「それでは、さようなら。今夜のご恩は決して忘れません」と、子ども を招待した狐が、屈辱的な別れのあいさつを述べたとき、読者は安易な道徳 的訓話に付き合わされた、疲労感しか残らないのではないか。 われわれ年代は、〈恩〉という言葉が使われたとき、反射的に仏教が念 頭に浮かぶ。狐という存在は、野に生きる独立した個ではなく、人間の従属 物の扱いを受けている。人間より下位に〈畜生〉を置く仏教的差別意識の所 産としか、考えられないのだ。 『日本児童文学』 1996年11月号より引用 トップページへ戻る |
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