音読授業を創る  そのA面とB面と    05・2・8記



「わらぐつの中の神様」の音読授業をデザインする



●「わらぐつの中の神様」(杉みき子)の掲載教科書…………光村5下



            
作者について


  杉みき子さんは、昭和5年12月25日生まれ、新潟県上越市(旧高田
市)に住み、雪国を舞台にした地方色豊かな童話を書いている作家です。杉
みき子さんが卒業した小学校は、日本の児童文学を代表する作家・小川未明
さんが卒業しており、杉みき子さんはそのことを小学校在学中に聞き知って
驚き、わたしも小川未明のような童話を書きたいと思い、それが児童文学作
品を書くきっかけになったということです。
  本名は小寺佐和子。杉みき子はペンネーム。ペンネームの由来は、「旧
高田市は杉の木が多く、(わたしは)花という柄でもないし(と謙遜し)、
ただ立っているだけの幹のほうが似合っている」ということからだそうで
す。
  地方新聞「新潟日報」の童話投稿から出発し、「かくまきの歌」(学習
研究社、昭和32)で第七回日本児童文学者協会新人賞受賞。「小さな雪の町
の物語」(偕成社)、「さよならを言わないで」(大日本図書)、「白い
セーターの男の子」(金の星社)、「加代の四季」(岩崎書店)、「月夜の
バス」(偕成社)などがある。
  「わらぐつの中の神様」の読解には、当時の時代背景、つまり、雪国の
生活の様子、がんぎ、朝市、わらぐつ、つま皮の雪げた、スキーの金具、会
話文中の方言などの土地柄、自然、風土、慣習の知識があったほうがよいで
しょう。また、ぬれたゴム長靴をかわかす方法として、長靴の中に乾いた新
聞紙をまるめてつめこみ、新聞紙に湿気を吸い取らせて乾かす方法が雪国で
は行われていたことなど、こうした知識もあったほうがよいでしょう。
  いつの時代かは、マサエの会話「やだあ、わらぐつなんて、みったぐな
い。だれもはいている人ないよ。だいいち、大きすぎて、(スキー靴を留め
る)金具にはまらんわ。」からだいたい想像できます。わらぐつからゴム長
靴に移行して、そんなに期間が経ってない時代のようです。わたしの実体験
から言えば昭和20年代後半から30年代前半頃のことだろうと想像しま
す。
わたしの山形県と、杉さんの新潟県とでは、そんなに違いはないだろうと思
われます。
 なお、次のURLをクリックすると新潟県内の雪国の生活の様子、豪雪、
雪げた、わらぐつ作りの様子についての映像や解説、そして杉みき子さんが
語っている動画も視聴できます。



      
音読指導は文章個所を選択して


  「わらぐつの中の神様」は、光村版教科書で全文24ページにわたる長
文です。冒頭から最後までていねいに音読指導をやっていく時間的余裕があ
りません。幾つかの文章部分を選択して、そこに集中して音声表現に仕方の
学習、音声表現を楽しむ学習をしていくとよいでしょう。
  会話文の音読は、役割音読で楽しんで指導しましょう。
 「わらぐつの中の神様」には、マサエと母とおばあちゃんの対話部分、マ
サエと父と母と妹と弟との対話部分、マサエと大工さんとの対話部分など、
その場面のシーンが臨場的にでている、連続するやりとりの会話部分があり
ます。これらの連続するやりとりの対話部分は、これら対話の音声表現をす
るだけで十分に、その場面はどんな場面か、人物たちはどんな思い(心理感
情)でいるかがよく分かる対話構成になっています。人物たちの思い(心理
感情)を、読み手の思い(心理感情)に重ならせ、読み手がその場面の中で
行動しているかのように音声表現していくことができます。役割音読のやり
とりの中で、読み手は人物になって音声表現していくことができ、物語場面
を読み手の身体に響かせて認識し、こうして感情ぐるみで新しい物語体験を
していくことができます。



         
会話文は役割音読で

  この物語の冒頭(地の文)はこうです。戸外は雪がしんしんと降ってい
ます。室内ではマサエとおばあさんがこたつに当たって本を読んでいます。
戸外も室内も、しいーんと、とても静かです。冒頭の地の文の音読は、心を
落ち着かせて、静かさを強調しつつ、場面の始まりの状況説明を淡々と静か
に読んでいきます。
  マサエが、台所の母を呼ぶ会話個所から、一転して「静」から「動」へ
と変わります。マサエのいる居間と母のいる台所とは離れているようです。
マサエも母も、遠くへ向かって、声量を大にして呼びかけたり答えしたりし
ています。
  連続する会話文がつづきます。連続する会話文は役割音読が適します。
役割音読は場面の臨場感が出て、場面のすべてを一挙に音声で表現すること
ができます。役割音読するには、前後の地の文に書いてある場面の状況説明
を知ったうえで、それらを音声にこめて読むことが要求されます。役割音読
は、地の文を省略して、連続する会話文だけを読んでいきます。配役を決め
ての役割音読をするには、地の文に書いてあることが分かっていて、これら
をこめて音声に出して表現しなければなりません。
  「わらぐつの中の神様」には連続する会話文の文章個所が、五つぐらい
あります。次に、五つの場面を略記します。会話文すべてを書くと長くなり
ますので、書くスペースを節約して、ここでは一行におさまるように、会話
文の出だし部分だけを書くことにします。これら五つの場面をすべて音読指
導するということではなく、学級児童の音読実態や時間の余裕をみて選択指
導していきます。


        
五つの役割音読場面


役割音読場面(その1)
マ「お母さん、わたしのスキーぐつ、かわいてる。あした、学校で……」
母「おや、あしただったの。それじゃ、もう一度見てごらん。……」
マ「かわいているといいけどな。あんなにおそくまで、すべって……」
マ「うへえ、つめたあい。お母さん、どうするう。」
母「新しい新聞紙とかえてごらん。ひものところも、しっかり……」
マ「かわくかなあ。なんだか、まだびしょびしょみたいだよ。」
ば「かわかんかったら、わらぐつはいていきない。わらぐつは……」
マ「やだあ、わらぐつなんて、みったぐない。だれも……」
ば「そういったもんでもないさ。わらぐつはいいもんだ。……」
マ「わらぐつの中に、神様だって。」
マ「そんなの迷信でしょ、おばあちゃん。」
ば「おやおや、なにが迷信なもんかね。正真正めい、ほんとの……」
ば「それじゃあ、ひとつ、わらぐつの話をしてやるかね。……」
母「どれどれ、わたしも聞かせてもらいましょうかね。……」
ば「なあに、おじいちゃんは昔から長湯が好きでね。……」

  ≪音声表現のポイント≫
  マサエの最初の会話文は「ふと思い出して、呼びました」です。台所に
いる母親に呼びかけるような音調で音声表現します。
  マサエは小学校高学年ぐらいの年齢のようです。語り口は、少女らし
い、声高で、元気な、活発な女子の声調にして、呼びかけたり、返答したり
するように読みましょう。
  おばあさんは、婆さんだからといって、わざとらしい作り声や、しわが
れ声にして読む必要はありません。低い声で、ゆっくり、ゆっくり語るぐら
いでよいでしょう。
  マサエ「かわいているといいけどな。あんなに……」は、「独りでそん
なことを言いながら」と地の文にあります。この会話文はマサエの独り言で
す。この会話文だけは、小さく、ぼそぼそした言い方で表現するようにしま
す。

役割音読場面(その2)
父「なんだ、雪げたなんて。そんなぜいたくなもん、……」
母「物ねだりしたことのないおみつのことだから、……」
弟「姉ちゃんが買うんなら、おらにも買って。」
妹「きれいな雪げた、あたいもはいてみたいな。」

  ≪音声表現のポイント≫
  父はまったく「相手にしてくれません」です。はなから受け付けてくれ
ていません。はねつけています。「なんだ、そんなこと。駄目なこと、言う
までもない。何を、夢みたいな、できないことを」という気持ち音声表現し
ます。
  母は、「言葉をにごしています」です。わが娘のねだる気持ちが十分に
分かっています。買ってやりたい、しかし、買ってやれない経済的理由があ
ります。すまん、ごめん、ゆるしてね、という気持ちで、心を引いて、遠慮
がちに語っています。表面は冷たいですが、内心は温かい気持ちで音声表現
します。
  弟と妹は、家庭内の事情のこと、何も分かっていません。自分の「ほし
い」気持ちを、ストレートに、むきだしの音調で語っています。


役割音読場面(その3)
マ「わらぐつはどうですね。」(遠慮がちに、勧める)
人「いいや、よかったでね。」(くすくす笑いつつ、あきれた顔しつつ)
人「へええ、それ、わらぐつかね。おらまた、わらまんじゅうかと思っ
た。」(ごくふつうの顔で、悪気なく、あけすけに)
マ「やっぱり、わたしが作ったんじゃ、だめなのななあ。」(独り言)

  ≪音声表現のポイント≫
  おみつさんは、そっと、遠慮がちに道行く人に語りかけています。
  道行く人は、言葉をにごして、それとなく断っています。また、あけす
けに、あからさまに、思ったとおりの正直な気持ちストレートに語っていま
す。悪意あるひやかしではありません。


役割音読場面(その4)
大「あねちゃ、そのわらぐつ、見せてくんない。」
マ「あんまり、みっともよくねえわらぐつで……」
大「このわらぐつ、おまんが作んなったのかね。」
マ「はあ、おらが作ったんです。初めて……
大「ふうん、よし、もらっとこう。いくらだね。」
マ(今度もうまく売れるといいけど……)≪独り言≫
大「そのわらぐつ、くんない。」
マ「あのう、いつも買ってもらって、ほんとにあり……」
大「いやあ、とんでもねえ。おまんのわらぐつは……」
マ「そうですかあ。よかった。でも、……」
大「ああ、そりゃ、じょうぶでいいわらぐつだから……」
マ「まあ、そりゃあどうも。だけど、あんな……」
大「おれは、わらぐつこさえたことはない……」
≪大工、しゃがみこんで、おみつの顔を見つめて≫
大「なあ、おれのうちへ来てくん……」(さらりと。真剣な顔で)
≪最後、恥ずかしがってやらないかも。そのときは省略する≫

  ≪音声表現のポイント≫
  おみつさんと大工さんの会話文。
  おみつさんは、大工さんへ、控えめに、遠慮しながら、わらぐつ作りは
自信ないと、ためらいがちに、謙遜しながら、とぎれとぎれに、言葉をのみ
こみながら(言葉が前面にドンと出ていない)語っています。
  大工さんは、若者で、見習い修行中のよう。言葉のしゃべり方はぞんざ
いで荒っぽい、ぶっきらぼう、あけすけ、明るく、純朴で、元気がいい、
気がいい、根がない、それっきりの若者の語り口のように音声表現します。


役割音読場面(その5)
ば「それから、わかい大工さんは言ったのさ。……」
マ「ふうん、そいで、おみつさん、その大工さんの……」
ば「ああ、行ったともさ。」
マ「そいで、大工さん、おみつさんのことを、神様……」
マ「ふうん、じゃあ、おみつさん、幸せに……」
ば「ああ、とっても幸せにくらしてるよ。」
マ「くらしてる。じゃ、おみつさんて、まだ……」
ば「生きてるともね。」
マ「へえ。どこに。」
マ「変なの、教えてくれたっていいでしょ。」
母「マサエ、おばあちゃんの名前、しってるでしょ。」
マ「うん。おばあちゃんの名前は、山田ミツ。あっ。」
マ「おみつさんて、それじゃ、おばあちゃんのこと……」
ば「あの箱を持ってきてごらん。」
マ「あら、きれいだ。かわいいね。」
ば「このうちへおよめに来るとすぐ、おじいちゃんが……」
マ「ふうん、だけど、おじいちゃんがおばあちゃんの……」
ば「ああ、きっといなるだろうね。だから、……」
ば「おや、おじいちゃんのお帰りだよ。」
マ「おかえんなさあい。」

  ≪音声表現のポイント≫
  マサエは、おばあさんを質問ぜめにしています。次々に質問をして、返
答をねだっている気持ちで、知りたい気持ちで語ります。
  おばあさんの返答は、急がず、ゆったりと、かんでふくめるように、て
いねいに、低く、ぽつりぽつりと間を開けて返答します。
  「ああ、とっても幸せにくらしているよ」 
  「くらしてる。じゃ……」
の「くらしてるよ(!。断定)」「くらしてる(?。疑念、確かめ)」は、
この語だけを粒立て・強調して応答音調にして音声表現するとよいでしょ
う。
  「山田ミツ。あっ。」の「あっ」は、二種類の音声表現の仕方がありま
す。突拍子もなく、甲高い声で驚愕するか、ため息のように低い声で驚愕の
音声表現にするか。どちらも可能です。
  連続する会話文は、一人ひとりのしゃべり口調、語り口を出すことはも
ちろん大切ですが、対話している人々のやりとりの感じ、かけあいしている
会話の雰囲気が音声に出ることも、とても大切です。やりとりの感じを出し
て音声表現しましょう。


          
地の文の音声表現


  この物語の文章構成は、「現在(1)」→「過去」→「現在(2)」と
なっています。
  「現在(1)」は、マサエと母とおばあちゃんとのスキー靴のことが主
な話題です。過去は、おみつさんと雪げた・大工さんとの出会い・そのエピ
ソードが主な話題す。「現在(2)」は、おばあさんとおじいさんとの出会
いのあかしが主な話題です。
  「現在(1)」の冒頭の地の文は、語り手は雪降りの戸外・室内を客観
的に描写、つまり語っています。冒頭の地の文は、場面の導入を状況説明す
るように淡々と読んでいきます。マサエが台所の母を呼びかけるあたりか
ら、語り手はしだいにマサエに寄りそって語っていきはじめます。小学校五
年生の読者である子どもたちはマサエと年齢的にも似ていることから、子ど
もたちはマサエの目や気持ちに微妙に重なりながら作品世界を楽しんで読み
進めていくことでしょう。
  「過去」の文章部分は、「昔、この近くの村におみつさんというむすめ
が住んでいました」の段落から始まります。ここの冒頭の段落は、おばあ
ちゃんがマサエに向かって、炉端ならぬ炬燵に当たりながら、向かい合って
昔話を語って聞かせている導入部分です。おばあちゃんの語り口調を出して
読み出すとよいでしょう。回想や思い出しの音調で読むとよいですね。
  しかし、すぐに「町へ入るとすぐの四つ角に、げた屋さんがあっ
て……」あたりから、おばあちゃんの語り口調は、しだいにおばあちゃんが
おみつさん目や気持ちと重なり、寄り添って語るに移行していきます。
  そして、「白い、軽そうな台に、ぱっと明るいオレンジ色のはなお。上
品な、くすんだ赤い色のつま皮は、……」あたりからは、語り手おばあちゃ
んが完全とは言えないまでも、おみつさんの目や気持ちに入り込んで雪げた
を見ており、おみつさんになって雪げたを描写し、語っています。そういう
つもりで音声表現していくとよいでしょう。
  そのあとの「過去」の文章部分も、語り口は、おみつさんの気持ちに寄
り添って、おみつさんに微妙に重なりつつ音声表現していくようになってい
ます。
  「現在(2)」は、おばあちゃんとマサエと母との対話場面です。ここ
の地の文部分は、会話文だけが連続していて、地の文はほんのちょっとしか
ありません。三人の対話を主に引き立て、地の文は会話文を解説・説明して
いるように抑えた音声表現にします。地の文は、語り手の主観性を押さえ
て、つまり、客観的に淡々と音声表現していきます。



       
地の文も音読個所を選択して


  この物語の地の文は、一文がかなりの長文が多いです。
  一例を挙げてみます。

「わかい大工さんは、道具箱をむしろの上に置いて、そのわらぐつを手に取
ると、たてにしたり横にしたりして、しばらくながめてから、今度はおみつ
さんの顔をまじまじと見つめました。」

  これで一文です。句読点も一文字として数えると、85文字あります。
長い一文は、文字の流れにそって、ていねいに、平均的にゆったりと・たっ
ぷりと音声表現していくと、つかみどころのない・ぼやけた、焦点化してな
い音声表現になってしまいます。意味内容の音声表現が分散してしまい、何
を言っているのか、分からない音読になってしまいます。長い一文は、ス
ピードをつけて流すところは一気に続けて読んでしまい、重要な意味内容の
区切りではたっぷりと間を開ける、というような音声表現の仕方がよいと思
われます。
  次の(  )を一区切りにして間をあけ、(  )内はひとまとめに一
気に読むぐらいにします。たとえば、次のようにです。

「(わかい大工さんは、道具箱をむしろの上に置いて、)(そのわらぐつを
手に取ると、たてにしたり横にしたりして、しばらくながめてから、)(今
度はおみつさんの顔をまじまじと見つめました。)」

  地の文全てを音声表現指導する時間的余裕がありません。会話文と同じ
に、物語の中で重要だと思われる文章個所、または自分から進んで音声表現
してみたい文章個所を選択して、そこを集中して音読指導していくようにし
ます。たとえば、次のような文章個所です。わたしなりに物語の初めのほう
から三箇所だけ選択してみよう。

「白い、軽そうな台に、ぱっと明るいオレンジ色のはなお。上品な、くすん
だ赤い色のつま皮は、黒いふっさりとした毛皮のふち取りでかざられていま
す。見ただけで、わかいむすめさんの、はなやかな冬のよそおいが、目の前
にうかんでくるようです。」

「けれども、市で野菜を売っている間も、あの雪げたのことが、おみつさん
の頭をはなれません。いつもは、余計な物など、ほしいと思ったことのない
おみつさんなのに、どうしたことか、この雪下駄ばかりは、なんとしてもあ
きらめられないのです。」

「お父さんの作るのを見ていると、たやすくできるようですが、自分でやっ
てみると、なかなか思うようにはできません。でも、おみつさんは、少しく
らい格好が悪くても、はく人がはきやすいように、あったかいように、少し
でも長持ちするようにと、心をこめて、しっかりしっかり、わらを編んでい
きました。」

          
神様とは何か


  「わらぐつの中の神様」の「神様」とは何でしょうか。この物語の主題
につながる重要な問題のようです。次に、本文の中から「神様」が出現する
文章個所だけを抜き出してみました。

「そういったもんでもないさ。わらぐつはいいもんだ。あったかいし、軽い
し、すべらんし。それに、わらぐつの中には神様がいなさるでね。」

「わらぐつの中に神様だって。」

「それじゃあ、ひとつ、わらぐつの話をしてやるかね。わらぐつの中に神様
のいなった話をね。」

「それから、わかい大工さんは言ったのさ。使う人の身になって、心をこめ
て作ったものには、神様が入っているのと同じこんだ。それを作った人も、
神様とおんなじだ。おまんが来てくれたら、神様みたいに大事にするつもり
だよ、ってね。どうだい、いい話だろ。」

「そいで、大工さん、おみつさんのことを、神様みたいに大事にした。」

「そうだね、神様とまではいかないようだったけど、でも、とてもやさしく
してくれたよ。」

「ふうん。だけど、おじいちゃんがおばあちゃんのために、せっせと働いて
買ってくれたんだから、この雪げたの中にも、神様がいるかもしれない
ね。」

  これらの引用文章から考えるに、「神様」とは一般的な社会概念として
の宗教上の「神」ではなさそうです。おみつさんと大工さんとの、二人だけ
の語り合いの中で作られ生まれた、二人だけの世界の付き合い上の約束事と
しての「神様」のようです。
  「わらぐつの中の神様」の「神様」とは何でしょうか。「わらぐつの中
の神様」は「わらぐつの中にある神様」であり「わらぐつの話題から二人の
間で生まれた神様」のようです。
  この物語の中で「わらぐつの中の神様」というフレーズの初めての出現
は、大工さんからおみつさんへのプロポーズの言葉として語られています。
「それから、わかい大工さんは言ったのさ。使う人の身になって、心をこめ
て作ったものには、神様が入っているのと同じだ。」です。
  「それを作った人」は「神様と同じだ」です。「神様みたいに大事にす
る」です。「神様だ」でなく、「神様が入っているのと同じだ。神様みたい
に大事にする、そして神様と同じだ。」です。比喩、つまり直喩や暗喩とし
ての「神様」として扱われています。「それは、(まるで)神さま(みたい
だ。ようだ)。神様と同じだ。神様だ。」の使われ方です。つまり、メタフ
ァーとしての「神様」として使われています。
  ここで重要なことは「何々は。それは」の「何々。それ」です。大工さ
んは、おみつさんのどこに惚れたか、どんなところに感心し、大好きになっ
たか、結婚する気になったか、です。これが「まるで神様みたいだ、よう
だ。神様と同じだ。神様だ」ということにつながっています。この「何々
は。それは」がとっても重要であり、これについて児童たちと語り合い、読
み深めることが主題へ結びつく学習指導のキイ・ポイントになります。子ど
もたちは、それをマサエの会話文や行動の中から文章を指摘し、探し出すこ
とは容易にできるでしょう。
 (注記)あの人は「仏様のような人だ」という使われ方があります。「鬼
のような人だったが、角がとれて、丸くなって、今は仏様になった」という
使われかたです。この「仏様」は、この物語の「神様」とは一部は重なり、
一部は違うところがありますね。


             
参考資料


  この物語の作者・杉みき子さんは、「わらぐつの中の神様」について次
のように書いています。下記は、杉みき子さんの文章からの引用抜粋です。
  杉みき子さんは、上記「作者について」で書いたように、雪深い新潟県
高田(現、上越市)に生まれ、現在も同地に住んでいる童話作家です。

  この作品は、美しい雪下駄がほしくて、それを買うお金をつくるため、
自分で作ったわらぐつを朝市で売る娘さんの話で、その誠実な仕事ぶりから
彼女の人柄を見抜いた若い大工さんにプロポーズされるのだが、そのとき大
工さんは、よい仕事とはどんなものかということについて、熱っぽく語りか
ける。よい仕事とは、見かけで決まるものではなく、使う人の身になって、
使いやすいように心をこめて作ることこそ大切だ、というのである。
  私はこの部分を、当然のことながら。自分で考えたつもりで書いた。と
ころが、この話が教科書に載ってしまってから、たまたま未明童話を読みか
えす機会があり、「殿様の茶碗」という話を再話するに至って、がくぜんと
したのである。あの大工さんの話は、ここから出ていたのだ!
  町一番の有名な焼物師が、殿様に焼物を献上する。軽くて薄いこの上な
しという極上品なのだが、殿様はその茶碗で食事するたびに、手をやけどす
る熱さに閉口する。この殿様があるとき旅に出て百姓家に泊まると、そこの
おじいさんが、ありあわせの厚手の茶碗に熱いおかゆをもってくれた。殿様
はこの普通の茶碗のおかげで快く食事をすませ、いくら有名な焼物師でも、
使う者の身になって使いやすく作るという<親切な心>がなくては何の役に
も立たないのだ、と感じ入る。
  私は子どもの頃、たしかにこの話を読んで、この殿様の話に共感したの
だ。それは、はっきりと思い出すことができる。しかし、それはそれっきり
忘れていたのに、何十年も経て、自分が<仕事>について似たような場面を
描くとき、全く無意識のうちに、それがそのまま出て来てしまったのだった。
こちらの方は全くの潜在意識である。子どものときに読んだ本の印象とはな
んとおそろしいものかとつくづく思い、それを書くものの責任を痛感してし
まう。
(略)
  雪が好きなのだから、私の書く雪国は、当然のことのように、明るく、
あたたかいものになる。地元の人からよく言われるのだが、「あなたの書く
ものを、雪国を知らない人が読んだら、雪国ってどんなにいい所かと思われ
そうで心配。もっと雪国のつらいこと、たいへんな面も、たくさん書いてほ
しい」と。まことにその通りで、ことに山村地域など、雪のための深刻な問
題をかかえていることは重々承知しているのだが、しかし、私はそれでもや
はり、明るい、あたたかい雪国を書きたいのだ。
  雪国のつらさ、きびしさならば、ひと冬を雪国ですごした人ならばだれ
でも書ける。あえて私が書くまでもない。私は、私でなくては書けないこと
を書きたいのだ。また、長年雪国で暮らして雪にうんざりしている人や、雪
でショックを受けた人たちの中に「今までは逃げ出したいと思っていたけど、
あなたの本を読んだら、雪国もそう悪いことばかりではないという気がして
いたから、もう少しがんばってみたい」といってくれる人のあるのが、私は
うれしい。暗いいびしい雪国を書いて、この人たちをさらに落ち込ませる気
にはなれないのだ。
 (略)
  と、りくつつけるのだが、実のところ、私はもともと、ものごとの明る
い面、楽しい面、肯定的な面ばかり見たがる楽天性があり、少々無理をして
もマイナスをプラスに転化させてしまうので、これでは一面的になってしま
うと自戒しつつ、しかし、われながらいかんともしがたい。
 (略)
  子どもはみんな雪が好きだ。おとなたちが青息吐息で雪のしまつをして
いるとき、子どもは楽しい遊びとして雪おろしを手伝い、雪の山と化した道
路を、スノーボードで歓声をあげながらすべり下りる。この子たちがおとな
になって、雪国に住みつづけようと、外へ出ていこうと、今のこの生命力を
失ってほしくない。雪に関しては大人になりきれないもと子どもとしては、
せい一杯、そのための応援歌をうたいたいのだ。もちろんそれは、雪だけで
はないのだが。
  そう考えると、私がなぜ児童文学を書くのかということについて、おぼ
ろげながら一つの答えが出てくるように思う。私は生きていることがうれし
いので、人にも私といっしょに、楽しみながら生きてほしい。それをつたえ
るためには、子どもの世界で描くことがいちばんぴったりする、ということ
ではなかろうか。(以下略)
  児童言語研究会編集『国語の授業』(1986・2月、一光社)より引用



          
わたしの戯れ言


  ここからは、わたしの個人的見解です。言わなくていいこと、書かなく
ていいこと、たわごと、ざれごとです。
  男というものは、惚れた女性の前では、心にもない、普通ではとても言
えないような、驚くようなことを言うものですね。「君のつぶらな瞳を毎日、
見て暮らしたい」とか「君と毎朝、あったかーいモーニングコーヒーを飲み
たい」とか、わかい大工さんのように「神様みたいに大事にするよ」とか。
この大工さん、これ以上の言葉はないという、そして、かなり無責任な言葉
を言っていると、わたしは思うだがどうだろう。それほど妻とするにはこの
女(ひと)だと、おみつさんが大好きになり、真剣な気持ちで結婚を申し込
んだということなのでしょう。
  おじいちゃん(大工さん)は、今はもうプロポーズの言葉を忘れている
かもしれませんが、おばあちゃん(おみつさん)はその言葉を後生大事に、
終生変わらず思い続け、それを孫にも語って聞かせているわけです。とって
もいい話ですが、男にとってはちょっと恐い話ですね。いつなんどき、また
は、いつもいつも、それを持ち出されて非難されるかわかりませんからね。
  わたしは男ですが、この話は、とってもいい話だと思いますよ。恐い話
とは思いません。この物語は「いい話」として書かれていますし、子どもた
ちも「いい話」「見習うべき、見本とすべき話」として素直に読んでいくこ
とでしょう。
  このおばあさん、結婚後、ことあるごとにプロポーズの言葉を持ち出し
て、おじいさんを責めつづけなかったのは幸いです。おばあさんは言います。
「神様まではとはいかないようだったけど、でも、とてもやさしくしてくれ
たよ。」と語っています。うらやましいですね。ほほえましいですね。あや
かりたい。まあまあのところで妥協して、折り合うところは折り合って、二人
仲よく暮らしてきたようですね。めでたし、めでたし。 



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