音読授業を創る そのA面とB面と        05・2・1記




「月夜のみみずく」の音読授業をデザインする




●「月夜のみみずく」の掲載教科書…………………………………光村5下




         
原題「OWL MOON」


  「OWL]は、「ふくろう、みみずく」のこと、「MOON]は、
「月」のこと。
  「月夜のみみずく」は、アメリカのニューヨークで発刊された原題「O
WL MOON」という絵本の日本語訳版です。作者はジェイン=ヨーレ
ン、挿絵はジョン=ショーエンへール、日本語訳は工藤直子です。アメリカ
では1987年に発刊、日本では1989年に偕成社から発刊されました。
  ジェイン=ヨーレンは、1934年ニューヨークに生まれました。昔話
の再話・絵本の詩・童話など多くの名文を生みました。「OWL MOO
N]でコルデット賞を受賞しました。夫と子ども三人とマサチューセッツ州
の美しい農場に住んでいます。
  ジョン=ショーエンへールは、1935年ニューヨークに生まれまし
た。児童書やSF雑誌のイラストレーター、ほかに油絵作家として知られて
います。
  工藤直子は、いわずと知れた著名な児童文学作家、詩人として活躍して
います。
  日本版絵本「月夜のみみずく」に作者ヨーレンが次のようなメッセージ
を寄せています。「息子や娘たちがちいさいころ、夫はよく、ちかくの森
に、みみずくを見に、つれていきました。この絵本で、わたしは、そんな父
と子の心あたたまるふれあいを描きたかったのです。いまでは子どもも大き
くなり、それぞれに興味の翼をひろげていますが、あのふしぎな神秘的な美
しさにみちた夜の森での体験は、いまも、いきいきとおぼえています。」と
書いてあります。
  この物語は、作者の実体験をもとに創作したもののようです。作者は語
っています。「あのふしぎな神秘的な美しさにみちた夜の森での体験、父と
子との心あたたまるふれあいを描いた。」と。この作品は、作者・ジェイ
ン=ヨーレンの美しい追憶が生ましめたレジェンドだと言えましょう。
  わたしたちはこの絵本の形象を通して作者の意図を十分に読みとること
ができます。この絵本は情景描写の美しい詩画展ともいえます。読者は、幼
い少女「わたし」の心の動き(期待、不安、緊張)と一つになって、一喜一
憂しつつ、深閑とした凍てつく月夜の森の中の出来事をまざまざと体験して
いくことができます。この物語の主調となっている感情曲線は、みみずくに
会えるかどうかの心の「ときめき」の変化と言えましょう。



          
絵本と教科書とのちがい


  偕成社版絵本は左側の背とじで、左から右へとページが進んでめくるよ
うになっています。アメリカ版の絵本も同じです。教科書は右側の背とじ
で、右から左へページが進んでめくるようになっています。そのため、教科
書の絵は逆版(製版フィルムを左右裏返しで印刷する)になっています。そ
のため教科書の絵は偕成社版絵本とくらべて裏返しに印刷されています。教
科書の文章の進行方向と合うような絵の展開方向へと変更されているわけで
す。
  偕成社版の絵は15枚ですが、教科書の絵はその中から9枚を選んで掲
載されています。そのため、段落の構成に若干のちがいがあります。
  文章は殆んど同一ですが、ほんの一部ちがっています。絵本「でかけた
の」が「教科書では「でかけたよ」へ、「歩いたわ」が「歩きます」へ、
「なんだか へんなかんじなの」が「なんだか へんなかんじです」へ、
「一分間かしら」が「一分間だろうか」へ、ほか2,3か所の一部の語句の
変更があります。絵本では少女らしい・普段着の・くだけた言い方ですが、
教科書はお行儀のよい・正装の・おつにすました言い方に変更になっていま
す。


       
「わたし」になって音声表現する


  「月夜のみみずく」は、幼い少女「わたし」が視点人物になっていま
す。つまり「わたし」がこの物語全体の語り手となっています。この物語全
体が、幼い少女「わたし」の目や気持ちを通して描かれ、語られています。
幼い少女「わたし」の目に見えた対象物や事柄が「わたし」のその時々に変
化していく気持ちを通して描かれ、語られていきます。
  ですから、表現よみするときは、「わたし」の気持ちと一体となって、
同じ気持ちになって、薄明かりの月光がそそぐ冷気の雪原や、父と子とみみ
ずくとの心あたたまる交流を語っていくことになります。
  凍てつく森の静寂と怖さ、会えるかな・会えないかなという期待と不安
と緊張、会えた喜び・心のときめきと高鳴り、帰路での満足しきった余韻や
余情など、その時々の「わたし」の心の変化、気持ちの揺れ動きの転変を、
「わたし」の鼓動のリズムで、「わたし」の心(思考、独語)の声として、
語っていくようにします。のんべんだらり、だらしない、しまりのない音声
表現になってはいけません。ピシッとはりつめた、ピシピシとはぎれよく、
しまりよく語っていくようにします。


           
 文章の特徴

詩的表現である

  「月夜のみみずく」全文には、句点と読点が打たれてない。ないが、
ちっとも気にならない。それは、詩表現のようにひとまとまりの文・文章が
行分けの改行で記述されているからです。
  はっきりした起承転結のストーリーをもっている物語文なので、物語詩
とか散文詩とか長編叙事詩とか、とも呼べます。

語りかけ調である

  文末が「でかけたよ」「歩いたよ」「耳をすましたよ」「みたこともな
かったよ」「……とか……とか……とかね」のような表現が多い。誰かに語
りかけ、報告している文末です。誰か聞き手を想定して、相手をはっきり
意識して語っているつもりで音声表現していくとよいでしょう。

リズム調子がある
  汽車が(3) 汽笛を(4) 鳴らしたよ(5)
  風は(3) ぴたりと(4) やんでいた(5)
  「……でかけたよ ……でかけたよ」
  「やんでいた ……立っていた」
など、重ねことばや同一拍数の重ねや繰り返しがあります。よって、音声表
現にリズム調子が出てきます。音声表現に心地よいリズムや軽快な響きを与
えています。

省略表現が多い
  例えば、例文を挙げると、下記の( )内が省略されています。
  ほんとに静か(だ)
  わたし(は) ずっとずっと待っていた
  わたし(は) こんなにくろいかげ(を)いままで(に)
  (静かさはまるで)夢みてるみたい(だ)
など。冷気の流れる雪原の静寂の世界、父と子とみみずくの交歓の世界、こ
こには饒舌な言葉はいりません。短詩形の省略表現が、凍てついて縮こまっ
た世界をいっそう寒々と引きしめて増幅させています。

倒置文が多い
  (例文) 
  とうさんが
  耳まですっぽり かぶせてくれた
  毛糸のぼうしを通りぬけ
  汽笛は しんしん聞こえます

  上記の文は「汽笛は(とうさんが耳まですっぽりかぶせてくれた毛糸の
ぼうしを通りぬけ)しんしん聞こえます」の倒置文(語順変形文)です。こ
の倒置文は「汽笛はしんしん聞こえます」が強調されています。
  音声表現の仕方は、「ぼうしを通りぬけ」の下で文が大きく切断してい
ますが、そこで軽く間をあけつつも、言い納めてしまわないで、「通りぬ
け、汽笛は」とつながる息づかい、つながる思いの連続で読んでいくとよい
でしょう。

同格展開表現が多い
  一分間だろうか 三分間だろうか
  ……では ……でしょ
  とうさんは……立ちどまる わたしも……立ちどまる
  もう……してもいいのだけれど もう大声で……してもいいのだけれど
  ……でかけたよ ……でかけたよ
  ……とか ……とか ……とかね
など。これらは並べ表現なので、二つないし三つをひとまとまりに累加また
は継起または対比しているように、それらが並べられている事柄がひとつな
がりにかたまるように音声表現していきます。

比喩表現が多い
  (例文)
  木はまるで 大男の銅像みたい
  静かに静かに立っていた

  汽車が 汽笛をならしたよ
  長く低く さびしい歌みたい

  修飾部分「まるで……みたい」が被修飾部分の前にあったり、後ろに
あったりしています。どちらの位置にあっても二つのペアー(修飾部分と被
修飾部分)はひとつながりになるように音声表現しなければなりません。二
つが切れたり分断したり、連関なしの意味内容に音声表現してはいけません。
  「月の光でお面をかぶったみたい」「何かいるみたい」のように「まる
で」が省略されている比喩表現も多くあるので気をつけよう。

五感に訴える感覚的表現が多い

◎視覚表現の例文

 ・大男の銅像みたい  静かに静かに立っていた
 ・月の光がきらきらこぼれて空いちめんにまぶしいばかり
 ・月がまぶしくかがやく夜   足あとはくぼみ  てんてんてん
 ・木のかげはまっくろ  雪はずっとずっと白かった
 ・かげはふわりとはなれ  まうえを飛んだ
など。語り手「わたし」の心情を通した目に見えた周囲の様子を描いた文で
す。その時の「わたし」の気持ちのリズムで、周囲の情景がありありと浮き
立つように、一つ一つの語句をはっきりと押さえて音声表現していくとよい
でしょう。

◎触覚表現の例文
 ・雪はしゃりっとこおっていた。二人の足音もしゃりしゃりいった。
 ・とても寒かった。氷の手。冷たいような熱いような。
 ・ほっこりあたたかく、しめっぽかった。
 ・冷たくて耳はいたい。目はちかちか。
など。語り手「わたし」の肌(皮膚)に感じた、その時に強く感じた冷・寒
・暖・温・痛、量感や質感や音感などを描写している文があります。これらは、その時の「わたし」の触覚感覚ですから、粒立てて、はっきりと印象に残る
音声表現をするとよいでしょう。

◎聴覚表現の例文  
 ・汽車が汽笛をならしたよ  長く低くさびしい歌みたい
 ・汽笛はしんしん聞こえます。まきばの犬が汽笛にあわせて歌いだす。
 ・あっちでほえて、こっちでほえて、いつまでも汽笛といっしょに歌って
  た。
 ・耳をすます。 返事がかえってきた。
 ・じっとだまってた。 音もなく枝をはなれ ほんとに静か。
など。語り手「わたし」の耳に聞こえてきた、「わたし」の心情を通した周
囲の音や声を描写した文です。音や声を聞いた・聞こうとした、その時の
「わたし」の心理の反応・応答のありようをふくめて、ありありと浮き立つ
ように音声表現していくましょう。ひとつひとつの語句をきちんと音声表
現(はぎれよく発音)するようにします。



       
各連ごとの音声表現のポイント


  教科書「月夜のみみずく」は、17連から構成されています。
1連「冬の夜ふけのことでした」から
2連「月の光がきらきらこぼれて」から
3連「雪はしゃりっとこおっていた」から
4連「とうさんといっしょに こうやってでかける夜を」から
5連「それからとうさんはよびかけた」から
6連「でも がっかりはしなかった」から
7連「せれからずんずん歩いたよ」から
8連「森の中にもぐりこんだら」から
9連「くらい森を くぐっていくと」から
10連「そのときです」から
11連「そして とつぜん」から
12連「とうさんとわたし かげのような みみずくを」から
13連「一分間だろうか」から
14連「やがて みみずくは」から
15連「さあ わたしたちも 帰ろう」から
16連「みみずくに会うときは」から
17連「月が まぶしく かがやく夜に」から最後まで

  次に、各連ごと、音声表現で気をつけることを書いていきます。

≪1連≫
  すべての連がそうですが、意味内容のひとまとまりと他のひとまとまり
の区切りをはっきりさせて音声表現します。音読授業にはいったら、まずや
ることは各連ごと、その内部でひとまとまりの行のかたまりは何行か、一行
だけか、二行か、三行か、四行か、ひとつながりはどこからどこまでか、こ
れをはっきりさせる作業をします。
  1連内部でいえば、こうです。「冬の夜ふけのことでした」から「みみ
ずくさがしに でかけたよ」までがひとまとまりです。「風はぴたりとやん
でいた」が一つでひとまとまりです。「木はまるで」から「静かに立ってい
た」までがひとまとまりです。
  1連は、三個のひとまとまりがあります。ひとまとまりの内部は、意味
内容がつながるように音声表現します。他のひとまとまりとは間を開けて区
別し、つながらないようにします。
  語り手「わたし」が、凍てついた月夜の深閑とした雪原の情景を描写
し、語っています。声は低めに、落ち着いた声で、低めの声だが歯切れよい
発音で、ゆっくりと、読んでいきます。「凍てついた、はりつめた雪景色」
と「静寂さ」を声にのせて出すようにします。
  「出かけたよ」という文末があります。聞き相手を意識し、独白調・語
りかけ調の感じも入れて読んでいきます。誰かに報告している思いもこめて
読んでいきます。

≪2連≫
  2連には、6個のひとまとまりがあります。ひとまとまりに配慮して音
声表現していきます。他のひとまとまりとは軽く間を開けて区別して音声表
現していきます。
  「月の光が きらきらこぼれて まぶしいばかり」は、硬質の歯切れよ
い発音で、凍える雪一色の質感を声で出すようにしてみましょう。
  「あっちでほえて こっちでほえて」は、落語家の語りみたいに顔面を
左右に向きを変えて音声表現すると臨場感ある音声表現になるかもと思いま
す。
  「ほんとに静か」は、ささやくように、そっと消え入る声で、静寂な雪
原をイメージしつつ、ゆっくりと音声表現します。前文章の犬の鳴き声の
騒々しさと全く対照的に、ここでは「静かさ」を強調して声に出します。
  「とうさんとわたし 二人きり」は、転調して、場面変えをして読み出
していきます。

≪3連≫
  雪の「しゃりっ」、足音の「しゃりしゃり」、二つの擬態語を対比的に
(並列的に)硬質の歯切れのよい発音で音声表現します。同じく「ほっそり
長い」と「ちんまりまるい」も粒立てて、二つを対比的に(並列的に)組に
して音声表現します。
  (とうさんのあと追いかけて、ときどきちょろっと走ったら)(ちんま
りまるいかげぼうしも……はねていた)のような区切りで音声表現するとよ
いでしょう。「かげぼうしがはねていた」ですから、父のあとを追いかけて
ちょろっと走るイメージは、かげぼうしがはねるイメージを描きつつ重ねつ
つ音声表現するとよいでしょう。

≪4連≫
  
父子二人には、凍てつく暗闇のしじまの中の孤独で不安な時間が流れて
いきます。暗闇の冷たさ、寒空にまたたく星たちのつれなさ、それとは対照
的な少女「わたし」のみみずくに会いたいという期待の強さと熱い火照り、
こうして父子は、みみずくを探しに堅い雪原を一歩一歩と進んでいきます。
  「空にむかって くろぐろと」は、ここで場面が変わるので、この文の
前でたっぷりと間を開けます。そして転調して新たな場面を開いて読み出し
ていきます。
  「とうさん……立ち止まる わたしも……たちどまる」は、二つを対比
的に(並列的に)組みにして音声表現するとよいでしょう。
   三つの「……みたい」も、三つを対比的(並列的、累加的、継起的)
に組にして音声表現するとよいでしょう。

≪5連≫
  「とうさん またよびかけた」の「また」は、前文の「ほう ほう ほ
 ほ ……」につながるのだろうか。次の「つづいて もういちど」につな
がるのだろうか。二つの解釈ができます。解釈の仕方によって、音声表現が
ちがってきます。
  前文に続くのならば前文「ほう ほう ほ ほ ……」につながるよう
に、すぐ続けて音声表現すべきでしょう。
  しかし、偕成社版絵本を見ると「とうさん またよびかけた」は、ペー
ジをめくっての、次のページの冒頭文となっています。つまり新しいページ
の冒頭文が「とうさん またよびかけた」なのです。ですから、「ほう ほ
う ほ ほ ……」のあとでたぷりと間を開け、「とうさん またよびかけ
た」は次の場面の新たな展開として「つづいて もういちど」に、その先
へ、とつながるように音声表現していくとよいということになります。絵本
ではこうなっています。
  「しんとだまって」は、声を低く、ひそやかに、そっと音声表現しま
す。
  間の開け方は、「よぶたびにしんとだまって、しばらく耳をすましてい
る(みみをすましている、たっぷりした間をとる)でも(軽い間)へんじは
ない(たっぷりした間)「ざんねん」というふうに……」のような間で読む
とよいでしょう。

≪6連≫
  「でも がっかりはしなかった」(なぜかと言うと、そのわけは)とい
うつもりで次へつながる文意識で読み進めていくとよいでしょう。

≪7連≫
  「ずんずん歩いたよ」の文末「よ」は、誰かに語っているつもりで、低
く下げる音調で読むとよいでしょう。
  「とてもとても」は重ね強調表現ですが、二つを同じ音調にしないで、
二つを違う音調にして強めて読むとよいでしょう。二つを同じ音調にすると
強調性が弱まってしまいます。
  「ぴたぴた」は、「なでているみたい」につながる音調で音声表現しま
す。
  「でもわたし」は、転調して読み出します。「じっとだまってた」は、
声を潜めて、そっと、しだいにゆっくりと読み下していくとよいでしょう。
  「みみずくに会いたいなら、静かにしてなきゃ」「寒さふきとばさな
きゃ」のようにかぎ括弧にして音声表現します。そのあとに、「でしょ」
を、相手を意識した念押し、問いかけ音調にして読み納めます。

≪8連≫
  「森の中にもぐりこんだら」(どうした?)「木のかげはまっくろ」
(になって)「白い雪にぴたっとはりついている」のような心づもりで読ん
でいきます。「まっくろ」は「はりついている」につながる音調で読まなけ
ればなりません。修飾関係がそうなのですから。
  マフラーの文章個所は、口の前に当てたマフラーが息でしめっぽい、読
み手の片手を口の前に軽く当てる動作をしながら読むのも一つの方法です。
  「まっくらな森のおくには何かいるみたい」は、怖さ、恐ろしさの中
で、こわごわと、そっと、さぐりを入れ、のぞき見る、そんな心理感情の音
調で音声表現していくとよいでしょう。「なにか・い・る・み・た・い」の
ように「ゆっくり、ゆっくり、ひそやかに、そっと」音声表現していくとよ
いでしょう。
  次は平常心に戻って、幼い少女である語り手「わたし」の気分を変え、
自信を得て、通常の音調で「でも、わたし、平気な顔して、だまってた」と
音声表現していきます。
  
≪9連≫
  「くらい森をくぐっていくと」から、光の「暗」から光の「明」へと場
面転換します。「ぽっかり広い」から、澄んだ声で、明瞭な発音で、明るい
声立てで、読み進めていきます。「雪の白さ」を強調して音声表現していき
ます。
  「雪にみとれてため息ついてたら」(どうしたの?、の間をあける)
「もの音」を強調して読んで、「はっと合図した」と「はっと口をとじた」
とは対比的(累加的、継起的)に緊張感や緊迫感をだして速めの音調にして
読み進めます。
  「マフラーの上から口をおさえて」は、口を押さえる軽い動作をしなが
ら読むと、それが音声にも表れ出るでしょう。
  「それから耳をすませたよ」のあと、耳をすませたたっぷりの間をあけ
ます。
  「耳はいたいし、目はちかちかしてたけど」(それでどうした?)とい
う気持ちで一呼吸入れ、次へと読み進んでいきます。父と子、二人は、この
場面で、何かが起こる、何かありそうの前ぶれ、予兆をかぎとっています
ね。読者もそれを感じます。そんなことをもふくめて音声表現していくと、
場面の雰囲気が声に出るようになるでしょう。

≪10連≫
  「そのときです」は、何かが起こったという緊張した場面展開の導入の
言葉です。急いだ、追いこんだ音調で読むとよいでしょう。
  次の倒置文は(へんじが)(かえってきた、木のあいだをくぐりぬけ
て)のようなまとまりで読むとよいでしょう。「かえってきた」で言い納め
てしまうと、次の語句(行)がどこにつながるのか迷子になってしまいま
す。
  みみずくにやっと会えました。読み手も幼い少女「わたし」に同化し
て、にこっとして、うれしさの気持ちを入れて、明るく、ゆったりと安堵の
気持ちで読み進めていきます。「わたしもにっこりわらちゃった」は、読み
手も笑顔を作って、喜びと満足の気持ちで音声表現するぐらいのほうが、う
まくいくでしょう。

≪11連≫
  「とつぜん」は、「何かが起こった」という文意をこめて強調して、急
いで追い込んで音声表現しましょう。
  「ふわり」は、軽く・すらり・そろりっと飛び離れる動作をイメージし
て音声表現してみましょう。
  「ふわりとはなれ」」(間)「まうえをとんだ」のように、二つのフ
レーズを並列的に継起的な意味をこめて音声表現しましょう。

≪12連≫
  「じっと みつめているばかり」は、ゆっくりと、そっと、小声で読み
ます。
  「どきどきしていた」は、語り手「わたし」の心の大きな震えに同化し
て、やや大げさな「ど・き・ど・き・」にして音声表現してみましょう。
  「ぱっとつけた」の「ぱっ」は、明かりが灯った一瞬の皓皓さを目立た
せ、強調して読もう。
  「とまろうとしているところだったよ」は、喜びの声で、誰かに語って
聞かせている音調にして読みます。

≪13連≫
  みみづくにやっと会えました。至福の時間がやっと来ました。一分間?
 三分間?(ああもう)百分くらいに思えた、です。(ああもう)は、独立
した大声の感嘆の表現というよりは、あいだにはさんだ、次の言葉への調子
を整える、ちょっとしたあいづち言葉と解釈し、軽く低く短く音声表現した
ほうがよいかも、と思います。大げさに強めて読む語句は「百分くらい」が
よいでしょう。
  それぞれ「一分間」「三分間」「百分くらい」を粒立てて並列的累加的
になるように音声表現します。
 「じっと みつめあった」は、文末にいくほど、ゆっくりと、声が消え入
るように、ぽつり・ぽつりと読み下していき、余韻をのこすようにしていき
ます。

≪14連≫
  みみずくと対面し、至福の時間も経過し、満足しきって、今や心も落ち
着いています。みみずくは、ふわりと、音もなく、枝を離れて、飛び去って
いきます。そして、幼い少女「わたし」は、追想と感慨にひたりきる余裕の
時間に入りました。
  14連全体は、重くでなく軽い声立てで、ゆっくりと、さらりと音声表
現していくとよいでしょう。
  「音もなく かげのように」は、静かに、そっと、さらりと、かるく音
声表現します。
  「森のおくへと帰っていった」は、文末にいくほどのだんだんゆっくり
と読み、声をしだいに消していき、余韻や余情を残していきます。

≪15連≫
  冒頭の会話文は、この物語ではじめて会話文らしい会話文として、父か
ら子への会話文として出現します。父から子への語りかけ音調で、リアルな
音調で音声表現しましょう。
  二つの「いいのだけれど」は、二つを並列的に対比的にひとまとめにな
るように音声表現します。それを受けた音調で、「なんだか どきどきが続
いてて」を粒立てた、強調した音声表現にして読みます。「ど・き・ど・き
・」のような強調の音調にするのも一つの方法でしょう。
  「しんみり歩いた」は、逆にひそやかに、そっと、弱々しく、ポツリポ
ツリとゆっくりと読み下していきます。

≪16連≫
  「おしゃべりはいらない 寒さもへっちゃら」は、幼い少女「わたし」
が父母や兄姉からいつも聞かせられていた言葉なのかもしれません。いま現
実の体験でその通りと自分に言い聞かせ、確認し、自分で納得しています。
そのつもりの声として確信を持って音声表現していくとよいでしょう。
  「わくわくするのが」(間を開けて)「すてきなんだ」、と読み下して
いきます。(間を開けて)のところで間をとると「わくわくする」が強調さ
れます。前後二つの言葉(「わくわくする」「すてきなんだ」)をやや大げ
さに音声表現するぐらいの方がよいでしょう。

≪17連≫
  「なんだかわくわくするものが」とあり、「わくわくするもの」とは何
でしょうか。みみずくのことでしょうか。みみずくに会えた満足感と感動の
余韻のことでしょうか。みみずくに会える期待感と心の高鳴りのことでしょ
うか。
  感動の残響が残っています、まだ、じっくりとひたりきっています。
  一番目なら、みみずくが翼をひるがえし光の中を飛んでいくと単純に音
声表現していくことになります。
  二番目なら、感動にひたっているある種の情趣が翼となって光の中を飛
んでいくとなり、思い入れの膨らんだ、余韻や余情たっぷりの音声表現にな
ります。
  三番目なら、心の高鳴りが翼となって光の中を飛んでいくとなり、どう
も意味がちぐはぐになります。
  そのほかの解釈も考えられるでしょう。解釈の仕方で音声表現がいろい
ろと変化していきます。 
  
   

参考資料
  本HPの「五学年の音読授業をデザインする」の個所の、「雪」(詩)
のところに関連する資料「いろいろな雪」があります。


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