音読授業を創る そのA面とB面と      07・9・25記




  「素朴な琴」の音読授業をデザインする




●詩「素朴な琴」(八木重吉)の掲載教科書…………………………教出5下



            素朴な琴
                 八木重吉
 
          このあかるさのなかへ
          ひとつの素朴な琴をおけば
          秋の美しさに耐えかねて
          琴はしづかに鳴りいだすだらう



        
 作者(八木重吉)について


 八木重吉(詩人)については、下記ウェブページをご覧ください。

 http://www.zusi.net/touzai/yagizyuukiti/yagi.htm

 http://park19.wakwak.com/~hotaru/jyuukiti.htm
  


            
 教材分析


  たった4行の短い詩です。短い詩になればなるほど、その詩の意味する
表現内容は多様になってきます。いろいろと読みとれ、いろいろな解釈が可
能となります。この詩もいろいろな解釈ができそうです。「心の琴線に触れ
る」という慣用句があります。短詩になればなるほど一人一人の心の琴線に
触れる感じ方は、それぞれに多様に相違してくることでしょう。
  本稿では、わたしがこの詩から感じ取った、わたしなりの解釈内容を書
きましょう。そして、この詩の児童への指導方法についても簡単に書きま
しょう。

  まず、はじめに語句の意味内容について語り合います。
  「しづかに」「だらう」という旧かなづかいがあること、現代かなづか
いでは「しずかに」「だろう」になることを確認します。八木重吉は明治3
1年(1898)生まれ、昭和2年(1927)に29歳の若さで死亡しました。八
木重吉が生きた時代背景を知らせるのもよいでしょう。八木重吉が生存して
いるとすれば、現在109歳ですから当然に旧かなづかい使用の時代である
ことを知らせます。
 「素朴」(自然のまま、かざりけがなく、ありのまま)
 「耐えかねる」(こらえきれない。辛抱しかねる。がまんできない)
 「出だす」(出てくる。さしだす。生じさせる)
 「素朴な琴」とは、かんなをかけただけの。木目がはっきりしている。塗
り物のない。素人が手作りした。古めかしい。飾り気のない。そうした
「琴」を想像します。
 「秋のうつくしさのに耐えかねて」とは、「秋の紅葉の美しさにこらえき
れなくなって、がまんできなくなって、」ということでしょう。だから、
「ひとりでに琴は音を奏で出すようになった」ということでしょう。それだ
け秋空に生える満艦飾の鮮やかな彩りの紅葉たちであることを想像できま
す。
  秋の澄みきった空の中、太陽が明るく、柔らかいながらも強い日ざしで
紅葉した山々や森を照らし出している様子が浮かびます。鮮やかに色づいた
木々のはっぱたちがきらきらと光っています。眩しく紅葉した葉たちは赤色
や橙色や黄色や茶色や白色や緑色など、それぞれの色で鮮やかに太陽の光で
照り映え、輝いている様子が浮かびますます。
 林の中にも強い明るい日差しが差しこみ、木漏れ日となって幾筋もの細い
線となって差しこんでいます。落葉した色鮮やかな葉たちが大地の眩しい明
るいじゅうたんとなって木漏れ日の中に照り映え、一面にしきつめられてい
ます。
  これら色鮮やかな紅葉の中に素朴な琴が置かれたとしたら、素朴な琴は
じっとしていられなくなるのが当然でしょう。素朴な琴は、美しい紅葉と響
き合い、共鳴し合い、共振し合い、自分からひとりでに静かに美しい音を奏
で出だすようになるだろう。
  この詩は中心語句の意味内容はこう語っているように思います。「鳴り
いだすだらう」とは、「素朴な琴は、自分から進んで、自発的に、弦をかき
なでて奏し始めるだろう」という意味内容だと考えられます。
 この詩を読んで、色鮮やかな紅葉の中にあって音を奏でている素朴な琴の
映像(絵)が浮かびます。子ども達に、この詩の紅葉と琴と音との三者の響
き合いの情景を絵に表現させたいものです。太陽の照り輝く紅葉の中に置か
れた素朴な琴でもいいですし、木漏れ日のさす林の中の紅葉のじゅうたんの
中に置かれた素朴な琴でもいいですし、その素朴な琴が音を奏でている、そ
うした絵や映像が浮かんでほしいです。また音符記号の流れなども浮かんで
ほしいですね。
  子ども達はどんな情景の絵を描くでしょうか。個々の児童のイメージの
仕方の多様でしょう。案外、子ども達は、おもしろい絵を描くのではないで
しょうか。

  八木重吉は熱心なクリスチャンでしたから、彼の詩の中にある「あかる
さ」とか「ひかり」とか「日光」とかの語句は「イエス・キリスト。神」
を指しているとも考えられます。そのような観点から、この詩を解釈するこ
ともできます。多様な解釈があってよいでしょう。


           
音声表現のしかた

  
  この詩の意味内容から考えて、この詩全四行の中で、前二行がひとつな
がり、後ろ二行がひとつながりになっていることが分かります。
  前二行は、秋の太陽が明るく照り映えている紅葉の様子を頭の中にたっ
ぷりとイメージしつつ、高い響きのある声にして、ゆっくりとした声調で、
明るい声立てで音声表現するとよいでしょう。

(この)(あかるさのなかへ)
(ひとつの)(素朴な琴を)(置けば)

と区切って読みすすめます。「置けば」のあとで間をあけて大きな切れ目を
置きます。「あかるさのなかへ」「素朴な琴」を、はぎれよく、やや高めの
声立てで、目立たせて読みます。

  後ろ二行は、いろいろな色彩の鮮やかな紅葉と、その中に位置してあっ
て音を奏でている素朴な琴を頭の中にたっぷりとイメージしつつ、ゆっくり
とたっぷりとした思いで音声表現していきます。

(秋の美しさに)(耐えかねて)
(琴は)(しずかに)(鳴りいだすだろう)

と読み下します。「秋の美しさに 耐えかねて」の「うつくしさ」を強調し
て目立たせて音声表現します。「美しさに」「耐えかねて」を二つとも、高
く強めた声立てにして強調してもよいでしょう。
  「しずかに」は、声を落として、ゆっくりと読み、次の「鳴りいだすだ
ろう」は声に動きを与えるつもりでクレシェンドにして、しだいに声が高く
なるようにして読みすすめます。あるいは、「鳴り・出・だ・す・だ・ろ・
う(お)ーー」のようにポツポツと区切って、ゆったりと読んで、思いがあ
とに残るような読み方でもよいでしょう。



            
参考資料(1)


  この詩「素朴な琴」について、木原孝一(詩人)は、次のように書いて
います。

ーーーー引用開始ーーーーーー

  八木重吉は、静かな眼で自己の内心を見つめつづけ、肯定的に現実を受
け入れています。その精神の核となったのがキリスト教への信仰でした。
  この詩「素朴な琴」は、東京都浅川のほとりにある生家の庭前に建てら
れた三婆石の詩碑に刻まれています。
  この詩にある「素朴な琴」とは、人間の心にほかなりません。その心
が、「秋の美しさ」にこらえきれずに鳴り出だすとき、そこに詩が生まれ
る、と重吉は言っているのです。まことに重吉こそ、素朴な琴にほかならな
かった。素朴な、なにを見ても驚き、なにを見ても信ずることのできる魂を
持っていたのです。重吉はわずか29歳で、昇天してしまいましたが,死の
直前の詩稿ノートには、次のような詩がいっぱい書きつけてあります。


              春

         天国には
         もっといい桜があるだろう
         もっといい雲雀がいるだろう
         もっといい朝があるだろう
           ○
         神様の御心と一所にいよう

   
  このような詩を読むと、詩人は子どもの心を持った大人だ、という考え
かたや、詩人が神の使者だ、という考えかたがよく分かるような気がしま
す。
  重吉が詩作したのは、大正十年(1921)から昭和二年(1927)の数年間
に過ぎませんでした。昭和二年といえば、芥川龍之介がいわば世界苦をいだ
きながら自殺した年にあたります。そうした悩み多き時代の渦中にあって、
ひっそりと、ほんとうにひっそりと愛と祈りの詩を書き続けた重吉こそは、
その姿勢がたとえ消極的であったにせよ、混乱に時代に向かって「生」の意
味を問う、積極的なものがあったといわねばなりません。
  混乱の時代にあっては、人々は「生」の意味を忘れて行動することがた
びたびあります。このようなときには、誰かが黙って、「生への畏敬」を示
すことが必要です。そして優れた詩人の何人かはいつの時代にもそのような
役割を果たしてきました。重吉はわたしたちに身近な、そのような詩人だっ
たのです。
  木原孝一他著『学校の詩 上級編』(飯塚書店。昭和35年)より引用

ーーーー引用終了ーーーーーーーー



            
参考資料(2)


 秋の紅葉と古風な楽器・琴との組み合わせには、「みやび」とか「優雅」
とか「優美」とか「典雅」とか「風流」とかの日本的美意識を感じさせられ
ます。
 琴でなく、バイオリンだったらどうでしょう。上田敏の有名な訳詩「秋の
日のヴィオロンの」があります。琴からバイオリンに変わると、受け取る感
じが全く違ってきます。秋の紅葉の風景は、満艦飾の紅葉いっぱいではな
く、紅葉がすっかり落葉してしまう寸前の、わずかに葉が残っている木々の
風景がイメージされてきます。侘しさ、哀感、悲愁、傷心、もの悲しさが増
幅してくるのは、バイオリンの弦のもつ響きの特質からでしょうか。
  満艦飾の紅葉を対象に詩表現するか、落葉して残り少ない紅葉の葉を対
象に詩表現するか、この違いは詩表現に何のツールを使うかによって大きく
違ってきます。陰陽、明暗という正反対の詩内容を構成することになってし
まいます。

  次に詩は「素朴な琴」と同じように満艦飾の紅葉の風景を歌った詩で
す。文部省唱歌「紅葉」です。


           
紅葉
              作詞 高野辰之
              作曲 岡野貞一

       秋の夕日に 照る山 紅葉
       濃いも薄いも 数ある中に
       松をいろどる 楓や蔦は
       山のふもとの 裾模様

       渓(たに)の流れに 散り浮く 紅葉
       波にゆられて 離れて寄って
       赤や黄色の 色さまざまに
       水の上にも 織る錦

  もう一つ

          
真っ赤な秋
              作詞  薩摩 忠
              作曲  小林秀雄

       まっかだな まっかだな
       つたの葉っぱが まっかだな
       もみじの葉っぱも まっかだな
       沈む夕日に てらされて
       まっかなほっぺたの 君と僕
       まっかな秋に かこまれている

       まっかだな まっかだな
       からすうりって まっかだな
       とんぼのせなかも まっかだな
       夕焼け雲を ゆびさして
       まっかなほっぺたの 君と僕
       まっかな秋に よびかけている

       まっかだな まっかだな
       ひがん花って まっかだな
       遠くのたき火も まっかだな
       お宮の鳥居(とりい)を くぐりぬけ
       まっかなほっぺたの 君と僕
       まっかな秋を たずねてまわる


  次は、落葉して残り少ない木々の紅葉をうたった詩です。三つとも、
みなさんがよくご存知の詩です。
  上の二つは、Chanson d`Autounm  (poem de Paul Verlaine)の訳詩で
す。明治生まれの有名な二人の詩人の訳詩です。上田訳は悲しみの感情を
ぐっと抑制して書いてあり、堀口訳は悲しみの感情を噴火口から吹き上げ
る噴煙や溶岩のようにあふれさせて書いてあり、五輪真弓「恋人よ」は、
悲しみの感情が前者二者との中間に位置しているように思われます。
  詩表現の表面上の書かれ方はそうのようであるが、三つともに、恋人
に裏切られ、愛に傷ついた深さ・激しさは相当なものだと、わたしは思い
ました。三つの詩には、語り手の悲哀の境遇に哀れさと心を痛ましめて読
者に落涙をもようさせずにはおきません。(何も、恋の話にしなくてもよ
いのですが、でも、愛の話であることは確かです。)



           
落葉
             ポール ベルレーヌ作 
             上田敏訳

          秋の日の
          ヴィオロンの
          ためいきの
          身にしみて
          ひたぶるに
          うら悲し

          鐘の音に
          胸ふさぎ
          色かへて
          涙ぐむ
          過ぎし日の
          おもひでや

          げにわれは
          うらぶれて
          ここかしこ
          さだめなく
          とび散らふ
          落葉かな




           
秋の歌
              ポール ベルレーヌ作
              堀口大学訳

         秋風の
         ヴィオロンの
         節ながき啜り泣き
         もの憂きかなしみに
         わがこころ
         傷つくる

         時の鐘
         鳴りも出ずれば
         せつなくも胸せまり
         思いぞ出ずる
         来し方に
         涙は湧く

         落葉ならね
         身をばやる
         われも
         かなたこなた
         吹きまくれ
         逆風よ



           
恋人よ
              五輪真弓作詞作曲

        枯葉散る夕暮れは
        来る日の寒さを ものがたり
        雨に壊れたベンチには
        愛をささやく歌もない

        恋人よ そばにいて
        こごえる私の そばにいてよ
        そして一言
        この別れ話が 冗談だよと
        笑ってほしい

        砂利道を 駆け足で
        マラソン人が 行き過ぎる
        まるで忘却 望むように
        止まる私を 誘っている

        恋人よ さようなら 
        季節はめぐって来るけれど
        あの日の二人 宵の流れ星
        光っては消える 無常の夢よ

        恋人よ そばにいて
        こごえる私の そばにいてよ
        そして一言
        この別れ話が 冗談だよと
        笑ってほしい


         トップページへ戻る