音読授業を創る  そのA面とB面と       07・3・25記




 「水のこころ」の音読授業をデザインする




●詩「水のこころ」(高田敏子)の掲載教科書……………………東書5上



              水のこころ
                   高田敏子

            水は つかめません
            水は すくうのです
            指をぴったりつけて
            そおっと 大切に──

            水は つかめません
            水は つつむのです
            二つの手の中に
            そおっと 大切に──

            水のこころ も
            人のこころ も



         
作者(高田敏子)について


  1914(大正3)〜1989(平成1)。詩人。跡見高女卒。戦後、
ハルピンより引き揚げ、日本未来派同人をへて、詩集「雪花石膏」を刊行。
朝日新聞家庭欄に詩を掲載し、好評を博す。初期はモダニズムを追及した
が、「月曜日の詩集」以後は女性の生活にねざした平易な作風に変わり、
「台所詩人」「お母さん詩人」などと言われた。大中恩や中田喜直など多く
の作曲家の手で歌曲や合唱曲の詞として大いに用いられた。室生犀星詩人
賞、芸術祭奨励賞、現代詩女流賞、武内敏子賞など受賞。
「人体聖堂」「にちようび/母と子の詩集」「藤」「砂漠のロバ」「むらさ
きの花」「野草の素顔」「こぶしの花」など。


             
教材分析


  この詩には難語句はありません。一読してどんなことが書かれているか
は分ります。
  第一連には「水はつかめません。水はすくうのです。そおっと大切に」
と書いてあります。第二連には「水はつかめません。水はつつむのです。そ
おっと大切に」と書いてあります。
  この事実は、子ども達は日常生活の中で実際に体験していることです。
ごく当たり前のこととしてよく知っていることです。では、この詩の作者
(高田敏子)はどんなことを言いたいのでしょうか。詩は感動の表現だと言
われます。この詩はどんな感動を表現しているいるのでしょうか。
  「水はつかめません」が二回、各連の冒頭に繰り返して書かれていま
す。作者が二回も繰り返して書いているのですから何かしら重要なメッセー
ジなのでしょう。これが作者の読者に訴えたい、主張したい事柄なのでしょ
う。


動作化して

  この詩に「つかむ」「すくう」「つつむ」という行為が出てきます。理
科室から透明なプラスチックの容器(ボール)を自教室に持ってきて、それ
に水を入れ、「つかむ」「すくう」「つつむ」動作を児童数名に実際にさせ
たらどうだろう。水をむぎゅっとつかむと、水は指の間から一瞬にして逃げ
てしまいます。指をぴったりとつけて水をすくった両手をそおっと大切に移
動させてみましょう。また、両手の中につつんだ水をそおっと大切に移動さ
せてみよう。ほんとにそおっとそおっと、大切に大切にすくったり、つつん
だりしないと水は逃げていってしまうことに気づくことでしょう。
 「つかむ」という言葉と、「つつむ。すくう」という言葉とを対比させて
みよう。語感としてどんな違いがあるかを話し合ってみましょう。
  水を「つかむ」という動作にはどんな感じがしますか、と問いかけてみ
ましょう。
  水を「すくう」という動作にはどんな感じがしますか、と問いかけてみ
ましょう。
  水を「つつむ」という動作にはどんなかんじがしますか、と問いかけて
みましょう。
  水を「つかむ」には、暴力性、腕づくで、粗暴さ、がむしゃら、理不尽
さ、無理強い、強引さ、乱暴さ、荒々しさ、凶暴さなどが感じとられます。
 水を「すくう・つつむ」には、優しさ、愛おしさ、温かさ、親切心、思慮
深さ、思いやり、心づかい、柔らかさ、いたわりの心、慈愛、愛情深さ、恵
み深さなどが感じとられます。


ダッシュについて

  この詩には、ダッシュが二個所あります。ダッシュは、わざわざ書く必
要がない、書かなくても推察すると分かる、書くとくどくなって文章が死ん
でしまう、書かないことで思いをあとに残し、余韻を残す表現効果が出る、
そうしたことでダッシュが使われています。
  第一連と第二連のダッシュにはどんな言葉を、入れるとすれば入るので
しょうか。子ども達にどんな言葉が省略されていますか、と問いかけてみま
しょう。
  第一連は「すくうのです」と答えるでしょう。第二連は「つつむので
す」と答えるでしょう。
  では、ダッシュの個所にこれら語句を挿入してみよう。挿入した詩文
と、挿入しないダッシュだけの詩文とではどちらが詩表現としてよいでしょ
う、と問いかけます。二つを対比して話し合ってみましょう。
  第三連「水のこころも。人のこころも」の二つの「も」のあとにどんな
言葉が省略されていますか、と問いかけてみましょう。「そおっと大切に
──」と答えるでしょう。


水のこころ、人のこころ

さて、水に心があるのでしょうか。作者は「水にこころがある」から「水の
こころ」と書いているのでしょう。「水のこころ」とはどんな心か。読者は
それぞれに自由な想像の羽をはばたかせて例を挙げるかもしれません。いろ
いろあるでしょう。こうだと、一つに答えを決めることはできないでしょ
う。
  わたしは、こう考えます。「水は、そおっと大切にすくってほしい、つ
つんでほしい、水はそう願っている、そうしなければならない、水の心とは
そんな心だ」と考えました。わたしのこんな考え方も一つの考えとしてある
と思うのですがどうでしょう。
  「水のこころ」は「人のこころ」と重なります。作者は「水のこころ」
を喩えにして「人のこころ」について言っているのではないでしょうか。
「水のこころ」と同様に「人のこころ」も「そおっと大切にしましょう」と
言いたかったのではないでしょうか。
  人間が事物(もの)に対する接し方、人間が人間(他者)に対する接し
方、その場合の「人のこころ」のあり方はいかにあるべきかについて、水を
つかむ・すくう・つつむの事例を挙げて、それを喩えにして人間の他者にた
いする対し方、接し方、つまり「人間のこころ」のあり方について言ってい
るのではないでしょうか。
  ここで先に書いた「つかむ」の「暴力性、荒々しさ、強引さ、粗暴
さ」、「つつむ・すくう」の「優しさ、思いやり、愛情深さ、いたわりの
心」と結びつけて話し合っていくと話しはどんどん膨らんでいきます。児童
との語り合いは発展していきます。これらは、この詩の主題・思想にむすび
つくことがらです。わたしの記述はこのへんで止めるのがよいでしょう。ご
自由に、ていねいにこの問題の話し合いを発展させていきましょう。


           
音声表現のしかた


  この詩は、大声でガンガンと声を響かせて元気よく音声表現するのには
似合いません。ひそやかに、そおっと、小さい声で、ささやくように、ゆっ
くりゆっくりと音声表現するとよいでしょう。
  また、優しい気持ちで、愛情たっぷりに、気遣いや思いやりの気持ちを
いっぱいにして音声表現するとよいでしょう。
  区切りにも気をつけて読みましょう。各連ごとの二箇所の行間ではたっ
ぷりと間をあけて音声表現しましょう。この詩は、意味内容では冒頭からの
順序で言えば、各二行ずつがひとつながり・つがいになっているようです。
そのことも意識して読んでいきましょう。
 
  水は「つかめません」「すくうのです」の対立的なメリハリづけをはっ
きりとさせて読みましょう。「つかめません」を少しばかり強めの声立てに
して読みます。それに対照的にして「すくうのです」は、ひそやかに、そ
おっと、小さい声で、ささやくように、優しい気持ちで、ゆっくりと読みま
す。
  同じように、水は「つかめません」「つつむのです」も、上とそっくり
の音声表現のしかた(メリハリのつけ方)にします。

  「指をぴったりつけて」「そおっと大切に──」は、行末(つけて)で
区切りつつも、気持ちではひとつながりにして読みます。ひそやかに、そ
おっと、小さい声で、ゆっくりと音声表現します。
  同じように、「二つの手の中に」「そおっと 大切に──」も、同じ音
声表現のしかた(メリハリのつけ方)にします。
  二つのダッシュの下では、余韻を残すように、「そおっと 大切に
──」の気持ちを引きずっているように思いが残っているように間をたっぷ
りとあけます。ダッシュがある二箇所では読んでいないのではなく、読んで
いるのです。その分の時間をあけて読むのです。余韻や思いを残しながら音
声表現していきます。黙って「すくうのです」「つつむのです」と言ってみ
ましょう、その時間をあけて読みましょう。

  第三連は、「みず・の・こ・こ・ろ・も・・・・・・」」「ひと・の・
こ・こ・ろ・・・も・・・・・」のように声を低めて、そおっと読みつつ、
スタッカートのように区切って間を開けて読み、ゆっくりとしたテンポでポ
ツリポツリと余韻や重いを残すように読んでいくとよいでしょう。

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