音読授業を創る そのA面とB面と 06・6・19記 「未確認飛行物体」の音読授業をデザインする ●詩「未確認飛行物体」(入沢康夫)の掲載教科書…………………光村5上 未確認飛行物体 入沢康夫 薬缶だって、 空を飛ばないとはかぎらない。 水のいっぱい入った薬缶が 夜ごと、こっそり台所をぬけ出し、 町の上を、 畑の上を、また、つぎの町の上を 心もち身をかしげて、 一生けんめいに飛んで行く。 天の河の下、渡りの雁の列の下、 人工衛星の弧の下を、 息せき切って、飛んで、飛んで、 (でももちろん、そんなに速かないんだ) そのあげく、 砂漠のまん中に一輪咲いた淋しい花、 大好きなその白い花に、 水をみんなやって戻って来る。 作者について 入沢康夫(いりさわ・やすお) 1931年松江生まれ。詩人。東大仏文科 卒。大学院でネルヴァルを研究。学生時代の処女詩集『倖せと不倖せ』では やくも独自の主題と技法とを展開し、『季節についての試論』で幻想の中に 自己の存在の根をさぐる詩法を確立した。 主な詩集・評論集 『唄──遠い冬の』(毎日芸術賞)『漂ふ舟』(現代詩花椿賞)『夢の佐 比』『駱駝譜』『歌──耐へる夜の』『水辺逆旅歌』(歴程賞)『死者たち の群がる風景』(高見順賞)『牛の首のある三十の情景』『わが出雲・わが 鎮魂』(読売文学賞)『ランゲルハンス氏の島』『宮沢賢治プリオシン海岸 からの報告』『詩の逆説』『詩にかかわる』『アルボラーダ』など。 語句について 未確認飛行物体(unidentified flying object) まだその存在や実体が確かめられていない飛行物体。UFO(ユーホ オー)、空飛ぶ円盤など。この詩では、「やかん」のこと。 薬缶 もと薬を煎ずるものに使用したもの。薬草など漢方薬を煎ずる・長時間こ たこたと弱火で煎ずるための容器。転じて湯を沸かすための容器。銅、アル ミニュームなどで造ったお湯を沸かすための容器。 「薬缶→やくかん→やっかん→やかん」という促音便から「っ」の脱落した もの。 心もち ほんの少し。ちょっと。ちょっぴり。わずかばかり。 かしげる かたむける。斜めにする。横にまげる。 音声表現のしかた 読み手一人一人の思い入れ方のありよう(内容)やその強さによって、 この詩の音声表現はいろいろと変化してきます。 この詩は、素直に読めば「水の入った薬缶が毎晩、空を飛んで、砂漠に 咲いている一輪の花に水をやりに行き、台所に帰ってくる」という詩内容で す。 この詩内容に、読み手がどれだけ自分なりの受け取り(解釈内容、感動 内容)をこめて、その思い入れを込めて読むかによって、読み手一人ひとり の音声表現のありようはずいぶんと違ってくるはずです。 読み手が、薬缶のしている行為を、客観的にそのままに受けとめ、読み 手の主観をおさえて、薬缶の行為・事実を対象化して、淡々と読んで、冷 たく突き放して読んで、聞き手にただ伝えるだけの音声表現の仕方ができま す。ひややかに、ニュース読みのように、ただ伝達するだけの音声表現で す。 まあ、家の薬缶ったら、何をやってるのかと思ったら、夜ごと、遠く砂 漠まで飛んでいって、砂漠に咲く一輪の花に水やりに行ってたんだわ。ひた すら毎晩、砂漠の花に水やりをしていたなんて、見上げたものね。わが家の 薬缶は、淋しい花に一生けん命に愛をささげていたんだわ。かわいらしく、 かつ立派なことでもあることよ、というような家族として愛情たっぷりな思 い入れをこめた音声表現のしかたもできます。 台所の薬缶が夜ごと家をぬけ出して砂漠に咲く一輪の白い花に水をやり に行くなんて、なんとまあ滑稽なことよ。でも、ほほえましく、ほろりとさ せる話だこと。かつまた、おもしろくて、楽しくて、読み手をほろりと感動 をさせる話だことよ。 この解釈の音声表現は、はじめは滑稽さ、おもしろさ、楽しさの気持ち をこめて読みすすめます。つづく場面は一生懸命に飛んでいく薬缶の一途な 気持ちと全身の力強い羽ばたきが音声に出るように読みます。最終場面は愛 情たっぷりに、ゆっくりと、ほろりとさせられたように、感動の思いをいっ ぱいにして音声表現します。 人生論風な解釈をして音声表現することもできます。 何故に薬缶は毎晩、息せき切って、一生懸命に飛んで飛んで砂漠の一輪 の花に水をやりに行くのか、その必然性は何だろう、薬缶の一途な異常な興 奮は何を意味しているのだろう、という問いも考えられます。 例えばの一つの答えを下記に書きます。 灼熱の太陽の光がふりそそぐ土地、生き物の生命を拒絶する荒廃した砂 漠という土地、この砂漠の土地に咲く一輪の白い花、淋しそうに咲いている 一輪の白い花。 この砂漠に咲く一輪の白い花は、私たち人間たちの私利私欲のうずまく 欲望の荒廃した人間社会の中にあって、ひっそりと、誰からも認められもせ ずに、美しく、淋しく咲き、つまり、生きている、一輪の白い花のような人 間とも言える。社会的な評価も与えられずに、一輪の花をつつましやかに、 そっと、美しく、人知れずに咲かせている人々もたくさんいる。 人間社会のそうした人々と、この詩の中に出てくる薬缶と砂漠に咲く花 との関係は、アレゴリー関係にあり、ダブルイメージとしての重なりとして 見えてくる。 この薬缶は、灼熱の砂漠に咲く一輪の白い花の生命を絶やさないため、 毎晩、休むことなく、息せき切って飛ぶ。薬缶の生涯(アイデンティ ティー)をかけて、水やりに飛んで飛んで行く。なんとまあロマンチック で、甘美で、美しい行為だろう。薬缶の一途な思いと信念の強さには、脱 帽し、心がうたれる。 こうした読者(読み手)の感動の深さで、薬缶の一途な思い・愛情の深 さを、力強さをこめた感動の音声表現で読んでいくこともできます。 詩人・入沢康夫さんは、世界の人達から、嘘だ、真実だ、と話題にされ ている「未確認飛行物体・UFO」という事実から、こんなUFOであって ほしいなあ、こんなUFOがあったらいいなあ、おもしろいだろうなあ、楽 しいだろうなあ、美しい物語になるかも、とあれこれ想像して、こうした感 動物語の詩をつくったのかもしれません。 このほか、いろいろな解釈ができるでしょう。それら自分なりに解釈し た思いをこめて、いろいろと変化に富んだ音声表現をしていってよいでしょ う。 砂漠の花は「彼女(彼)」で、薬缶は「彼(彼女)」であるとも読めま すね。また、砂漠の花は「読者であるあなた」で、薬缶は「読者であるあな たへ密かに思いを寄せる恋人、または神様」であるとも読めますね。火柱の ように燃えあがる一途な二人の恋情。与える愛と、待つ愛。それが、夜ご と、愛の交歓をする、いいお話じゃありませんか。おあとがよろしいよう で。 音声表現のつけくわえ 「空をとばないとはかぎらない」 【「空を飛ぶのだ」という確信を持って語っている、反語表現。いや、絶対 に飛ぶ、という強い信念のある音声表現にして言う。】 「水のいっぱい入った薬缶が、夜ごと、こっそり台所をぬけ出し、町の上 を、畑の上を、また、つぎの町の上を、心もち身をかしげて、一生けん命 に飛んで行く。」 【これは、長い一文です。一文になっています。一文として、散文のごとく にずらずらと切れ目なく読み進めてしまってはいけません。全体が五行の行 分けで記述されていますから、それぞれの行末では軽く間をあけつつ音声表 現していきます。】 「町の上を、畑の上を、また、つぎの町の上を」 【三つを、並べ、重ねて、語っています。町→畑→他の町、これら順序をた たみかけ、おいかけ、三つの場所変化と順序が音声に出るように、重ねて追 いかけていくように音声表現します。】 「心もち身をかしげて」 【薬缶の水の出口部分を、頭部や頚部に見立てて、つまり、そこをやや持ち 上げて、力強く、必死になって飛んでいる様子の薬缶、と表象することもで きます。そのように解釈したならば、頭部を持ち上げて必死に力強く飛んで いる薬缶を想像して、音声に力強さを与えて読みます。 ほかの解釈もできます。薬缶は台所をこっそりとぬけだしたわけですか ら、体を小さくして、身をかがめて、小さくなって、という薬缶の体の状態 だという表象もできます。もし、そうイメージしたなら、声量を小にして、 そっと、ひそやかな音声の表情にして読みます。】 「天の河の下、渡りの雁の列の下、人工衛星の弧の下を、」 【スケールの大きさ、壮大な宇宙空間を想像しつつ、ゆったりと、句点個所 で三つの区切りの間をあけて、のびのびと音声表現します。】 「息せき切って、飛んで、飛んで」 【「切って」の「き」、「飛んで、飛んで」の二つの「と、と」を、強めに 高くして音声表現します。「飛んで、飛んで」は繋げて、追い込んで、早口 にして、一気に、走って、音声表現します。】 (でももちろん、そんなに速かないんだ) 【語り手(入沢康夫さんとしてもよい)の解説の文、さしこみ文の独り言で す。両脇の行の文のあいだに割り込んで、軽く・そっと、小さな声で、解説 を加えてるように、独り言音調にして、ひそやかに、遠慮したみたいに音声 表現します。】 「一輪咲いた淋しい花」 【「一輪」は、はぎれよく区切って発音して、「たった一つ」であることを 強調します。 「淋しい花」は、「さ・び・し・い・は・な・」のように区切って、声 を落として、ゆっくりと、音声表現します。】 参考資料(1) この詩について、高橋順子(詩人)さんは、次のように書いています。 ーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書斎にいても旅をすることは可能である。むかし栄えた都へ、冥界へ、 地図にない島へ──。 夢や悪夢の世界に似ているが、その中で自由にふるまうというよりは、 どこか切実であるのが、入沢康夫の詩である。「未確認飛行物体」という短 い詩がある。 「薬缶だって/空を飛ばないとはかぎらない//水のいっぱい入った薬缶 が/夜ごと、こっそり台所をぬけ出し/町の上を、/畑の上を、また、つぎの 町の上を、/心もち身をかしげて、/一生けん命に飛んで行く。」 これが前半である。「心もち身をかしげて」というのは薬缶の習性であ る。身をつよく傾けると中の水がこぼれてしまうので、ちょっとだけ、ある いはつるの部分だけかしげているのだろう。 子どものころ私は絵本で、台所の器物が夜になると踊ったり歌ったりす るというお話を読んだが、そんなメルヘンの雰囲気がある。薬缶はどこへ、 何をしに行くのだろう。 「天の河の下、渡りの雁の列の下、/人工衛星の弧の下を、/息せき切っ て、飛んで、飛んで、/(でももちろん、速かあないんだ)/そのあげく、/砂 漠のまん中に一輪咲いた淋しい花、/大好きなその白い花に、/水をみんな やって戻って来る。」 「息せき切って」急いでいるのは、朝までに台所に戻って、なにくわぬ 顔でガスレンジの上にいなければならないからである。でもあの飛行に適さ ない体が速かろうはずがない。 薬缶の夜間飛行は砂漠の花に水をやるためだった。「水をみんなやって 戻って来る。」薬缶は全身的な愛を花に捧げて戻ってくるのである。滑稽 で、美しい。 私は薬缶の中に浄化用の炭をいれ、いつも水を満たしている。夜寝る 前、ちらっとこの詩が頭をかすめることがある。 ーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日本経済新聞、2002年5月12日、より引用 参考資料(2) この詩について、大岡信(詩人)さんは、次のように書いています。 ーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 薬缶だって/空をとばないとはかぎらない。 入沢康夫 『春の散歩』(昭和57)所収。空飛ぶ薬缶の旅を語った「未確認飛行 物体」という十六行の詩の冒頭二行。水がいっぱい入った薬缶が、毎夜こっ そり台所をぬけ出し、町や畑の上を懸命に飛んで行く。飛び続けたあげく に、砂漠の真ん中に一輪咲いた大好きな淋しい白い花に水をみんなやって 戻ってくる。現代詩にはこんな優しい小品もあるんです、というような作 で、こういう未確認飛行物体なら、大いに歓迎です。 ーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 朝日新聞、2004年10月7日、「折々のうた」欄より引用 トップペジへ戻る |
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