音読授業を創る  そのA面とB面と       05・2・16記




詩「あめ」「貨車」の音読授業をデザインする




●「あめ」(山田今次)の掲載教科書……………………………教出5上
●「貨車」(山田今次)の掲載教科書……………………………なし



            
作者について


  山田今次(やまだ いまじ)。1912年生まれ、1998年に没した
横浜生まれの詩人。京浜の労働者として働きながら、「新日本文学会」や京
浜労働文学運動に参画し、活躍した。その後、草野心平たちの「歴程」の同
人となり、独自の詩的世界を創りあげた。詩集「行く手」、「手帖」があ
る。「雨」は詩集「行く手」の中の一つで、新日本文学会の第一回創作コン
クール(1947年)で当選した作品である。擬音語による独特のリズム感
のある「あめ」や「貨車」は小学校や中学生の国語教科書でも紹介されてい
る。
  のち、横浜市民ギャラリーの初代館長となり、多くの美術家と交流を深
め、横浜の美術界の発展にも寄与した。現代美術の企画展を1964年から
スタートさせ、「今日の作家展」として多くの若手の登竜門として定着させ
た。
  一方、演劇活動にも参画するなど多方面の芸術家との交流もあり、その
穏やかな人柄とあいまって「今ちゃん」との愛称で親しまれた。
  1988年に「横浜文化賞」を受賞している。


          
リズム調子のよさ


  この詩にはリズム調子のよさがあります。「あめ」と「ふる」との2音
のくりかえしが幾回もあります。擬音語「ざんざか」と「ざかざん」との4
音のくりかえしも多くみられます。その他、4音や3音のくりかえしもみら
れます。
  4音のくりかえしがもっとも多く32個、2音のくりかえしが16個、
3音が10個、7音が3個、計61個の音節数です。同数の音節がくりかえ
され、読んでいて、とても軽快で、心地よい響きが得られます。
  同数の音節のくりかえしは音声表現にリズミカルな力強さを与え、次々
と降ってくる雨のイメージを強め、それらイメージの重複による情緒の深化
を効果的に表現することになります。同数の音節のくりかえしは、強烈に
降ってくる雨のイメージを増幅させ、その強弱変化による同音のくりかえし
の音声表現によって、バケツをひっくり返したような猛雨の降り方をありあ
りと表象させることができるでしょう。
  しかし、この詩を、たたきつける雨降りの様子を、リズム調子よく、軽
快に、おもしろがって、楽しんで音声表現いくだけではいけません。雨の音
の擬音の響きを、そのくりかえしの響きを、おもしろさ、うれしさいっぱい
で、元気よく、すごい雨降りだと喜んで、うれしさいっぱいにして、繰り返
しのリズムを力強く音声表現していくだけではいけないのです。
  この雨は、「あめは ぼくらを ざんざか たたく」です。この雨は、
「ぼくらの くらしを びしびし たたく」です。この雨は、「ほったてご
やを ねらって たたく」です。「さびが ざりざり はげてる やねを 
やすむことなく しきりに たたく」です。「みみにも むねにも しみこ
むほどに ぼくらの くらしを かこんで たたく」です。この雨は、慈雨
とは全く反対の、いつ止むとも分からない、生活の展望のない、やらずぶっ
たくりの、暗黒の寒空から降ってくる、ぼくらの生活を脅かす冷雨であり、
寒雨であり、氷雨なのです。


       
この詩の書かれた時代背景


 この詩の書かれた時代背景について、山田今次さんは、彼の論文「擬声語
(オノマトペ)の詩」
(飯塚書店)の中で次のように書いています。

  ーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  「あめ」は、1947年にできた詩で、やや、当時の社会的状況を反映
している。
  1947年(昭和22年)頃をふり返ってみよう。
  敗戦をかみしめてはやくも二年、当時、ようやく、戦犯となった将軍の
尋問がはじまっていた。インフレははげしいテンポで進んでおり、新聞は石
炭、電力などの確保を訴えていた。労働者の経済要求に対しては、千八百円
ベースは、インフレに対する最後の防波堤だ、などといわれていた。
  ストライキは頻発し、国鉄や全逓の大労組の場合などになると、大新聞
などは、各労組の委員長と労働大臣の座談会などを企画したりした。
  また、その当時の日本政府は、すっかり主体性を奪われていて、主食の
米を二合八勺にするように、ということさえ、アメリカの陸軍省がアメリカ
議会に要請する始末だったし、それを受けて、日本の芦田首相が政府に立案
を命じるなどという頃であった。
 (中略)
  ぼくが生活していた、昭和21年当時の横浜は、港の施設の九十%、全
市街地面積の二十七%が接収されていた。(現在でもまだ、二十四基地六百
五十万平方米が接収されている。)
  市街地はその四十二%を焼失し、連日、兵士の訓練が行われ、そのあた
りをカメラをさげてぶらつくとMPに連行されたりもした。
  橋なども接収されているところもあり、通行する市民は遠回りをしなけ
ればならなかった。
  アメリカから運ばれた占領軍の物資は、港を埋めつくしていたが、市民
の暮らしは苦しく、食物にも仕事にも容易にありつけなかった。その頃の
家々は、半地下の壕か、掘立小屋であった。はげしい雨や風はこわいものの
ひとつであった。
  「あめ」は、このような焼け跡から生まれた。


            あめ

       あめ あめ あめ あめ
       あめ あめ あめ あめ 
       あめはぼくらを ざんざか たたく
       ざんざか ざんざか
       ざんざん ざかざか 
       あめは ざんざん ざかざか ざかざか
       ほったてごやを ねらって たたく
       ぼくらの くらしを びしびし たたく
       さびが ざりざり はげてる やねを
       やすむことなく しきりに たたく
       ふる ふる ふる ふる
       ふる ふる ふる ふる
       あめは ざんざん ざかざん ざかざん 
       ざかざん ざかざん
       ざんざん ざかざか
       つぎから つぎへと ざかざか ざかざか
       みみにも むねにも しみこむ ほどに
       ぼくらの くらしを かこんで たたく

飯塚書店編集部編『詩作ノート』(飯塚書店 1968)所収、山田今次「擬声
語(オノマトペ)の詩」論文・46ぺ〜48ぺより引用

  ーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



          
擬声語について


  山田今次さんの詩には、擬声語が上手に使われていると言われていま
す。これについて前著の論文の中に山田今次の記述もあるが、ここでは真壁
仁『詩の中にめざめる日本』(岩波新書、1966)から引用しましょう。

  ーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「あめ」の詩の何よりの特徴は、漢字を一つもつかってないことと、ほと
んどオノマトペ(擬音)でできていることだろう。詩では慣習化した擬音を
つかうことは禁物になっている。小野十三郎は、擬音が乱用されるのは、ほ
んとに物を見たり感じたりする心が衰弱している証拠だといい、また「批評
精神の貧しさに帰せられる」ともいっている。そして音から入ってくること
ばのワナをうんと警戒しているが、その彼(小野十三郎)が山田今次のオノ
マトペを推賞している。
  それはおそらくこの詩の擬音が作者の精神のリズムになっているからだ
とおもう。しかもその精神のリズムが、きわめて現実的な生活感情にねざし
たものだからであろう。事実、この詩の「ざんざか ざんざか」「ざんざん
 ざかざか」という擬音は、雨の擬音ではなくて、作者の怒り、にくしみ、
抵抗の精神の擬音になっている。
  ほったてごやをねらってたたく雨のことを、生活をおびやかすものに喩
えてうたおうとする気配をどこにも示していないけれども、それでも、ただ
の雨の詩ではない。たとえ中味をハッキリ出したらかえってつまらなくなっ
たかもしれない。それを出さないで、しかも、雨にふりこめられたときの実
感をもとに内部のリズムをつくりだしている。
  山田今次という詩人は、カナだけの詩をたくさん書いている。それは、
ことばを音としてとらえる詩人であることと関係している。この詩も「歌」
になっている。四音と三音の構成からくる歯切れのいいリズムである。こう
いうふるい歌の形をとりながら、しかし詩感はあたらしい。これは大勢で群
読すると迫力のでるような集団のための詩である。

真壁仁『詩の中にめざめる日本』(岩波新書、1966)32〜33ぺより引用

  ーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



  川崎洋(詩人)さんは、山田今次「あめ」の詩について次のように書い
ています。川崎洋『教科書の詩をよみかえす』(筑摩書房)より引用。

ーーーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  この詩が書かれたのは敗戦の翌々年、横浜生まれの作者が三十三歳のと
きです。アメリカ軍の無差別大爆撃を受けて、たくさんの都市が一面見渡す
かぎりの焼け野原と化しました。戦争が終わり、人々は焼けこげた材木や、
さびついたトタンを拾い集めてきて、一時しのぎの掘っ立て小屋を組み立て
て住みました。掘っ立て小屋は「ほりたて」の転で、土台を置かず柱を直接
地中に埋めて建てることをいい、掘っ立て小屋はそうして建てた簡易な構造
の家を指します。実に悲惨な情景です。
  この詩は黙読するより声に出して朗読するほうが、よりまっとうに詩に
込められた作者の気持ちが伝わってきます。音読すると暗さや惨めさより、
むしろ激しい雨を撥ね返して生きていこうという、したたかなたくましさが
胸にしみ込んできます。「ざんざん」「ざかざか」「ざりざり」という擬音
語・擬態語が生命のリズムを奏でているのを感じます。

  川崎洋『教科書の詩をよみかえす』(筑摩書房、1993)138ぺより引用

ーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




         
音声表現について


  山田今次は、自分の詩「貨車」について書いている論文「擬声語(オ
ノマトペの詩」
があります。
  その中で、「貨車」の詩の朗読について書いてある文章個所があります。
次にその文章部分を引用しましょう。「貨車」は、1952年に作詩されて
います。

  ーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


           貨車

      ずでってん てってん…………
      ずでってん てってん…………
      ずでってん てってん…………
      ずでってん てってん…………

      たったんぐ………たったんぐ………

      貨車がうごいてゆく
      貨車がひきずられてゆく

      あめがふっている
      しーんといっぱいに ふっている
      ガスタンクも 大きな陸橋も
      くらがりに ぼんやりみえる

      にぶいばく音がきこえている

      ずでってん てってん…………
      ずでってん てってん…………

      たったんぐ………たったんぐ………

      貨車がひきずられてゆく
      貨車がもみあってうごいてゆく

      ふと
      信号灯がてらしだす
      貨車のシートが あめつぶにひかって うごいてゆく
      信号灯は
      ずっとむこうにも ぽっと ともっている

      ずでってん てってん…………
      ずでってん てってん…………

      たったんぐ………たったんぐ………

      にぶいばく音がきこえている

      あめが ふっている ふっている

      貨車が とおざかる
      黒い枠のようになってとおざかる

      たんぐ たんぐ たんぐ たんぐ………
 
 この詩は、朗読してもらうとよい。何度もろうどくしてもらうとよい。作
者としても、そうしてほしい。そうすると、だんだん解ってくる。解ってく
る、というのが、意味ことばとしてよりは、状況の感じが、音の響きそのも
のから解ってくる。音の中に言葉があるようになってくる。そういう解りか
たとして解ってくると思う。
  〈ずでってん てってん………ずでってん てってん………〉という擬
声語は、速くも遅くも読むことができるが、〈貨車がひきずられてゆく〉と
いうことからの感じは、速いというよりは、重くのろい感じだろう。しか
し、遅く読みすぎると、今度は逆に、これを牽引している機関車のスピード
感というか機械の力動感が失われてしまう。結局は、読者自身の見聞きから
の想像によって朗読するしかないが、それがよいのだと思う。
  また、擬声語というのは、おかしなもので、表現したそのもののように
はきこえてこないものだが、だからこそ、擬声語の領域は、きまりきった狭
いものではなく、大へん広いものだということがいえよう。
  この詩のなかの〈にぶいばく音〉は、勿論、日本の飛行機ではない。ま
た、この貨車の貨物は、シートをはぎとってみないとわからないが、貨車自
体にとっても不似合いなほどの重量物である感じを表現した。当時、朝鮮戦
争の影響を受けて、国内の武器の輸送ははげしかったのである。

飯塚書店編集部編『詩作ノート』(飯塚書店、1968)所収、山田今次「擬声
語(オノマトペ)の詩」論文・51ぺ〜54ぺより引用

  ーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


             
まとめ

時代背景

  「あめ」の詩が作られたのが1947年だという。敗戦直後の二年後で
ある。広島・長崎に原爆が落ち、東京・横浜をはじめ大都市は幾回とない爆
撃をうけ、焼け野原となりました。
  山田今次さんはこう書いています。「横浜の市街地の42%を焼失
し、………市民の暮らしは苦しく、食物にも仕事にも容易にありつけなかっ
た。その頃の家々は、半地下壕か、掘っ立て小屋であった。「あめ」の詩
は、このような〈やけあと〉から生まれた。」と書いています。
  みなさんの学校の図書館に行くと、空襲による一面の焼け野原となった
市街地の写真、板きれで囲まれた粗末な掘っ立て小屋やバラックの写真、ボ
ロをまとった人々の群れの写真など、こうした写真がうつっている書物がす
ぐ見つかるでしょう。
  「あめ」の詩を指導するとき、こうした写真を見せることが必要です。
でないと、「さびが ざりざり はげてる やねを 」とか「ぼくらの く
らしを ねらって たたく」とか「みみにも むねにも しみこむほどに 
ぼくらの くらしを かこんで たたく」とかの意味内容が理解できませ
ん。

擬声語について

  真壁仁(詩人)さんは、こう書いています。
 「ざんざん ざかざか」という擬音は、雨の擬音ではなく、作者の怒り、
にくしみ、抵抗の精神が擬音になったいる。ほったてごやをねらってたたく
雨のことを、生活をおびやかすものに喩えてうたおうとする気配をどこにも
示していないけれども、それでも、ただの雨の詩ではない。」と。
  つまり、この「あめ」の詩は、単なる雨の詩ではないのです。雨が降る
音の擬音に重なって、当時の生活の貧困・辛苦・呻吟・見通しのなさ・暗さ
への怒り・悲哀・憎しみなどの思いが二重性となり、こめられているので
す。
  また、「あめ あめ あめ あめ」のくりかえしも、「ふる ふる ふ
る ふる」のくりかえしも、これらは「ざんざか ざんざか」や「ざんざか
 ざかざん 」の擬音語と同じレベルの擬音的使用法、一種の「雨が降る、
その擬音語」と考えて音声表現していってよいでしょう。この詩の擬音は、
一般的意味からのずれを取り集める無制約的な概念なのです。一般的概念を
内破したコノテーションとしての概念なのです。
  つまり、「あめ」の詩全体は、すべての詩句は、雨降りの音の擬音と、
当時の生活状況(貧困の苦しさ)との重なり(ダブルイメージ)として、そ
の思いをこめて、音
声表現していかなければなりません。ですから、この詩の音声表現は、読み
手それぞれに、かなり多様な読み声表現になるだろうと思われます。単なる
雨降りの音表現にしてはいけないのです。

音声表現について

  山田今次さんは、この詩「貨車」は、朗読してもらうといい。何度も
朗読してもらうといい。作者としても、そうしてもらいたい。」と書いてい
ます。詩の中には朗読に適する詩と、適さない詩とがあります。多くの詩は
朗読に適しています。しかし、絵画的手法による視覚詩などは朗読に適しま
せん。(詳細は拙著『表現よみ指導のアイデア集』、『群読指導入門』を参
照)
  つづけて山田今次さんはこう書いています。「朗読すると、だんだん
解ってくる。解ってくる、というのが、意味ことばとしてよりは、状況の感
じが、音のひびきそのものから解ってくる。音のなかに言葉があるように
なってくる。そういう解りかたとして解ってくると思う。」と書いていま
す。なかなか意味深な言葉です。
  わたしなりに言葉を替えていうと、文章を音声表現していくうちに、そ
の意味内容が理屈づけられた言葉として分析的に分かってくるのでなく、言
葉の音の響きそのもの、響き全体が場面状況をまるごと身体全体で感じとっ
て総合的に分かってきて、音声となって表現されてくる、ということだと思
います。つまり、音声表現を繰り返しているうちに身体の芯からじーんわり
と滲み出してくる全体から出発する分かり方です。言葉の響きの中に感情的
情緒的状況が未分化な全体として、シニフィエを忘却したシニフィアンとし
て産出されてくるということです。言葉の響きそのものが場面状況をありあ
りと滲出させ表示させるようになるということです。
  また、山田今次さんは、「ずでってん てってん たったんぐ」という
擬声語は、速くも遅くも音声表現できるし、重くも軽くも音声表現できる
が、結局は読み手の主体的判断で選択し、決定していくほかないとも書いて
います。全くそのとおりだと思います。
  「あめ」「貨車」の詩の音声表現は、群読にもふさわしいし、個読にも
ふさわしい詩だと思います。が、どのような音声表現の仕方で読むかは、あ
る詩の読み方がベストで、そのほかの読み方はないということではなく、多
様な読み方があるだろうと思います。
  わたしは「山のあなた」の音読授業をデザインする」の中で、「短い詩
になればなるほど凝縮された表現内容となり、解釈の仕方も多様となり、表
現内容に融通性が出てきて、音声表現では過剰な雄弁さを開示させる」と書
きました。「ずでってん たったんぐ」にしても、「貨車がうごいていく 
貨車がひきずられていく」にしても、その音声表現の仕方は、雨にけぶる静
かさの中を重量感のある貨車が列をなして、のろく、たったんぐ たったん
ぐと線路上を動いていく、その様子の音声表現は「きまりきった狭いもので
はなく、大へん広いものだ」と、そのとおりだ思います。
  ただし、好き勝手に自由に音声表現してよいということではありませ
ん。詩句の連なり(組み合わせ)をきちんとおさえた、深い内容解釈によ
る、それらの基づいてどう音声表現していくかの探査と追究がが必要なこと
はいうまでもありません。


        
わたしの実践記録の紹介


  わたしが二年生を担任したとき「あめ」(山田今次)の音読授業をしまし
た。そのときの実践記録と録音テープがあります。
  拙著『群読指導入門』(民衆社、CD2枚つき)に収録されています。
どんな手順で指導し、どんな点に音声表現指導で留意したかについて書いて
あります。また、付録CDには、わが学級児童の「あめ」の読み声録音も収
録されています。


           
 参考資料

  
小海永二(横浜国大教授)さんは、この詩について次のように書いて
います。

  今日の豊かな日本にくらしているみなさんには想像してみることも難し
いと思いますが、日本が戦争に負けたばかりのころ、空襲のために一面の焼
け野原と化した都会では、人々は焼けたあとに、一時の間に合わせの住まい
である粗末な掘っ立て小屋を立ててくらしていました。今日のように立派な
建築材料のないときですから、家の柱は半分焼けこげた木材であり、屋根は
焼けあとから拾ってきたさびついたトタンでつくられていたのです。
  食べる物も十分にない貧しい時代でした。そうした暮らしの中で人々は
一生懸命に働き、今日の豊かな日本を築きあげてきたのです。「あめ」は、
敗戦直後のそのようなきびしく苦しい時代に書かれた詩です。
  強い雨が降ると、掘っ立て小屋の屋根のトタンはうるさいくらいの音を
立て、家の中にも雨水がどんどん入ってきます。焼けあとの掘っ立て小屋に
住む人々にとって、はげしい雨は自分たちの「くらしをかこんで」、心や体
を「びしびしたたく」もののように感じられたのでした。
  けれども、この詩の作者は、「ほったてごやを ねらって」おそいかか
ってくるはげしい雨に対して、けっして負けてはいません。この詩には、暗
い気分はまったくなく、逆に、たたきつける雨に反発するかのような、言葉
の強いリズムが感じられます。
  この詩は、たんに降る雨の様子を書いた詩なのではなく、「くらし」を
おびやかすものに対して負けまいと抵抗するはりつめた作者の気持ちを歌っ
た詩なのです。全文ひらがなで書かれているこの詩は、各行とも二音、三音、
四音の短い音数の組み合わせでできており、簡潔で歯切れのよいリズムが、
おどるような感じをあたえます。「ざんざん」「ざかざか」という雨の音を
表した言葉(擬声語)や、「びしびし」「ざりざり」というものの様子を表
した言葉(擬態語)の効果にも、すぐ気づかれることでしょう。
  作者の山田今次は、横浜に住む労働者出身の詩人ですが、とくにこの擬
声語の使い方が上手です。

   小海永二著『ジュニア版 目で見る日本の詩歌』(ティビーエス・ブ
   リタニカ発行。1982年。18ぺより引用。


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