音読授業を創る そのA面とB面と       04・9・7記




  
「あいたくて」の音読授業をデザインする




●詩「あいたくて」(工藤直子)の掲載教科書………教出5下、学図5上、
                        日書5上、光村6上、



            あいたくて
                   工藤直子

 
         あいたくて
         だれかに あいたくて
         なにかに あいたくて
         生まれてきた──
         そんな気がするのだけれど

         それが だれなのか なになのか
         あえるのは いつなのか──
         おつかいの とちゅうで
         迷ってしまった子どもみたい
         とほうに くれている

         それでも 手のなかに
         みえないことづけを
         にぎりしめているような気がするから
         それを手わたさなくちゃ
         だから

         あいたくて



            
指導の手順


手順1・試し読みさせる

  この詩には難しい漢字や語句はありません。平易な言葉で書かれていま
す。しかし、詩内容は一読してパッと理解できるような内容ではありませ
ん。
  まず、試し読みさせます。題名が「あいたくて」であること、作者が工
藤直子さんであること、四連から成立していること、連と連との間では間を
あけて音読すること、などを初めにおさえておきます。
  ここでの試し読みのねらいは、語句のまとまり、文のまとまりとして、
きちんと区切って音読できるようにすることです。文章をまともに音読でき
ずに何で深い読み取りの話し合い活動ができるのでしょうか。意味内容がど
こで切れるか、どこからどこまでがひとつながりであるかを考えて音読でき
るようにさせることです。
  ひとつながり部分をかっこで囲んだりするのもよいでしょう。また、区
切りの記号(間あけの記号)も、一つ分だけ、二つ分だけ、三つ分だけあけ
る、一つ分の半分程度にちょっと心持ちだけあけて表現よみする、などの記
号をつけるとよいでしょう。
  どんな記号にするかは、学級児童と話し合って決めます。どこに、どん
な記号をつけるかは、ここの段階では学級全員の記号を統一する必要はあり
ません。一人ひとりの児童の、それぞれの読み取り(解釈)によって記号づ
けは違っていいのです。
  数名に実際の音声表現をさせます。意味内容の区切りで切って、意味内
容のまとまりとして読めていれば、ここの手順1段階の音読は十分です。低
位児童もしっかりと表現よみができるようにさせます。

手順2・ひとり読み(書き込み)

  言葉(詩句)に導かれてイメージしたことを具体的に、具象的に行間に
一人ひとりが黙読しつつ単語メモで書き込みをさせます。書かれている言葉
(詩句)から浮かんできたイメージ(事柄、内容)を行間に小さく短いメモ
で書き込みをさせます。まず、一人ひとりの児童に言葉(詩句)から浮かん
できたイメージ(読み取り内容)を行間に書き込ませます。

○教師の誘いかけの言葉
・言葉から、浮かんできたことを書こう。
・言葉から、分かってきたことを書こう。
・言葉で分からないこと、疑問に思ったことを書こう。
・どんな様子の場面ですか。様子で浮かんだことを書こう。
・人物はどんな気持ちになっていますか。
・人物はどんな気持ちで言っているのですか。
・音読していて、特にリズムの響き合いで美しいところはどこですか。
・言葉(詩句)の表現で美しいところ、素敵な言い方(表現)だなあ、と思
 うところはどこですか。
・声に出して読みたくなる詩句の部分はどこですか。
・言葉と言葉のつながり、リズムの響き合いがよい部分はどこですか。
・幾度も繰り返して表現よみしてみたくなる部分はどこですか。

手順3・集団よみ(話し合い)

  児童一人ひとりが書き込みした内容を発表させます。発表した内容を全
員で受けとめ、それを全員でふくらませて語り合う授業を組織します。
  ここから先は、書き込みの内容が違ってきますので各学級によって話し
合い内容が違ってきます。
  ここから先の実際の授業の様子は、わたしは授業をしていませんから書
くことはできません。しかし、教師はこんな事柄を話し合わせ、内容の理
解をさせたいという指導意図は持っていなければなりません。
  詩は凝縮され、省略され、象徴化された表現です。特に詩「あいたく
て」は、はっきりとした表現内容が見えてこなく、何のことを表現している
のか分かりにくい、ぼんやりとした、曖昧模湖としたし詩表現の内容です。
だれに会いたいのか、なにに会いたいのか、いつ会えるのか、「みえないこ
とづけ」とは何か、「気がする」ことだけを書いているので、読者の分から
なさは当然にあります。
  でも、幾度か、口ずさんでいれば、ぼんやりながらも、いろいろと考え
ついてきます。読み手一人ひとりの独自な場面設定で、自由に想像力をふく
らませていくようにします。そうすれば、表象が豊かになり、いろいろと意
見発表が出てくるようになるでしょう。
 その発表内容は児童によって違ってきます。同じ児童でも年齢によっても
違ってきます。幼児のとき、小学生のとき、中学生のとき、高校生のとき、
社会人のとき、それぞれ「あいたいもの」は違ってきて当然でしょう。一人
ひとりの生育歴や社会体験の違いによっても「あいたいもの」は違ってきま
す。今、現実に、その人間が、何を最も願望(欲望、エロス)しているか、
それによって「あいたいもの」はみな違ってきます。
  いずれにせよ、書き込みした内容をもとに、発表内容に学級の独自性や
特殊性があって当然、それらを発表させて、他児童たちの感想や意見をつけ
くわえて言わせながら、話し合い学習を組織していきます。


          
わたしの読み方の例


  次に、わたし個人は、今の時点で、この詩をどう読んでいるかについて
書きます。わたしがこの詩の授業をするとしたら、学級児童の反応を大事に
すいあげることを第一にします。わたしの読み取り内容を児童たちの話し合
いの中にどの程度入れたらよいか。適宜、無理のないように少しは入れてい
きたいなあと思います。みなさんの授業の参考にでもなればと思い、わたし
の解釈を次に書くことにします。

《題名よみ》

  まず題名についてのわたしの反応です。題名「あいたくて」で、浮かん
だことです。誰に会いたいのかなあ。恋人かなあ。無二の親友かなあ。死ん
でしまった家族かなあ。待ち焦がれているみたいだなあ。会いたい気持ちが
いっぱいみたい。そんなに会いたいのかなあ。何か特別の理由があって会い
たいのかなあ。題名でなく、先(詩本文)を読むと、特定の誰でなく、ばく
ぜんと何かに会いたいみたいな感じもする。

《第一連の読み》

  「だれかに」と書いてあるから、会いたいのは、誰か人間だ。会いたい
人はまだ決まっていないみたいだ。今の親友かなあ。新しくできる親友かな
あ。趣味の将棋の好きな子かなあ。死んだおばあちゃんかな。イチロー選手
かなあ。お小遣いをくれる親戚の社長のおじさんかなあ。お母さんのお腹に
いる赤ちゃんかなあ。
  「なにかに」と書いてあるから、会いたいのは、人間でなく、物質(事
物)や事柄(出来事)にも会いたいと書いている。ゴジラ?。超特急新幹線
?。UFO?。巨人の優勝?。デズニーランド?。山里の夕やけ?。
  「生まれてきた」と書いてあるから、かなり一般的で、深く考えると哲
学的だ。人間はこの世に生を受けたからには、自分の生存(生活)を充実さ
せることに精魂をつくす。それは人間・事物・出来事との出会いとその関係
を充実させることにつきてるのが人生だ。それらに精一杯努力することが人
間の一生というものだ。
 「生まれてきた」目的は、わたしが推定するに作者(工藤直子さん)は、
誰か(人間)に出会い、何(事物、出来事)かに出会い、それらとよい関係
を持つことにある、と言っているみたいだ。
  「そんな気がするのだけれど」と書いてある。確信あることは言えない
が、どうもそう思われる、これは身体の底から突き上げてくる欲動のよう
な、強いパワーとして感じれらる、そんな感じがする、と言っているみたい
に読み取れる。

《第二連の読み》

  出会いの対象物は、誰なのか、何なのか、いつ会えるのか、は不確か
で、とんと見当が付かない、おぼつかないと言っている。それはまるでお使
いしている途中で、お使いの伝言や頼まれごとを忘れてしまい、困惑してい
る子どもみたいな状態とそっくりだと書いている。
  結局、会いたいヒトは誰なのか、モノは何なのか、出来事は何なのか、
気がするだけで、さっぱり分かっていない、ということだ。
  出会いはとっても大事なものなんだけれど、出会いの対象がとんと分か
らない。見当がつかない。思い迷っている状態だ。
  お使いで迷った子どもの話は、「(まるでお使いの途中で迷ってしまっ
た子どもみたいに)途方にくれている。」という直喩表現としての例示とし
て書いている。

《第三連の読み》

  「みえないことづけ」とは何か。「ことづけ」のメッセージ内容はどん
なことか。その内実は何か。「ことづけ」は、とっても重要なことみたいだ
が。何なんだろうか。
  「ことづけ「は、第二連とのつながりで「子どものお使いの伝言や頼ま
れごと」とも受け取られる。たとえば、父からの、母からの、祖父母からの
言付けとも受け取られる。しかし、そうとだけ解釈しては意味が狭くなって
しまうように思われる。
  「にぎりしめていることづけ」とは何か。荒木のまったくの個人的な、
かなり身勝手な読み取りを書こう。
  毎日の生活を充実させ、生活を享受するためには、人間・事物・出来事
との出会いがすべてで、とっても重要だ。人間・事物・出来事との価値ある
出会いがとっても重要だ。それらと有意義な価値ある関係を持つためのコミ
ュニケーションがとっても重要だ。
  そして、価値ある人間・事物・出来事にきっと会えるという願望と期待
と確信を持つことがとっても重要だ。よい関係(価値)を作り上げることが
重要だ。こうした願望と期待と確信を持てば、いつか、きっとそれらに出会
えて、必ずや生存(生活)に大慶と快哉と法悦を持つようになれる。
  いつかきっと価値ある人間に、事物に、出来事に出会えるという確信を
持って生き続けること、それが自分の「善さ」を作り上げることであり、自
分の「善さ」を他人に伝えることもできる。誰かと出会い、何かに出会うと
いう期待と希望を抱いて不確かながらも生き続けていくこと、これがとって
も重要なことだ。
  これが、父でよし、母でよし、祖父母でよし、あるいは事物(品物)で
よし、出来事でよし、ということである。

《第四連の読み》

「あいたくて」の一行しか書いてありません。何かおさまりが悪い、何か物
足りなく思われるかもしれません。そういう児童がいるならば、この一行の
前に、第一連の「だれかに」「なにかに」を思い浮かべて、頭の中だけで短
絡化させてイメージして黙読して、それから「あいたくて」を音声表現して
いけば、すわりがよくなります。
  人生は出会いと別れの連続です。「サヨナラだけが人生だ」でなく、
「コンニチハだけが人生だ」という未来思考、明るい未知との遭遇に限りな
い希望と期待と憧憬と展望を抱き続ける前向きな生き方、これが重要だ、そ
んなことを表現している詩のように思われます。


            
音声表現の仕方


  この詩をどのようにイメージ(解釈)するかによって音声表現の仕方は
いろいろと違ってきます。どんな場面を設定してイメージするか、一人ひと
りがどんな思いをこめて音声にするか、これらによって音声表現の仕方はず
いぶん変わってきます。
  次に一般的なことを書きます。
  この詩全体は、言葉の意味をかみしめながら、自分なりの思いをこめ
て、ゆっくりと声にしていくとよいでしょう。

《第一連》

  「だれかに あいたくて」と「なにかに あいたくて」は同等に並べ
て、「生まれてきた」にかかるように音声表現します。これら三行をひとま
とめにして、そこで間をあけて、ゆっくりと「そんな気がするのだけれど」
へとつなげて読み、そして言い納めます。
  「だれ」「なに」「あいたくて」「生まれて」「そんな気が」などの詩
句部分は、すべてでなくても、読み手の思いやリズムによって強調されるこ
とがあってもよいでしょう。

《第二連》

  次は、間のあけかたの一例です。
  「それが」(間)「だれなのか」(間)「なになのか」(間)「あえる
のはいつ」(間)「なのか」(やや長い間)「おつかいのとちゅうで迷った
子どもみたい」(間)「とほうに」(間)「くれている」。
  強調される詩句部分として考えられるのは「それ」「だれ」「なに」
「いつ」「とほうに」「くれている」などがありましょう。「だれ。なに。
いつ。」の三語は粒立て強調した方がよいかも、と思います。最後の二つ
「とほうに。くれている。」は、強めに粒立てて読むというよりも、わざと
ゆっくりめに弱く読んで強調した方がよいかも、と思います。

《第三連》

  次は、間のあけかたの一例です。
  「それでも」(間)「手のなかに」(間)「みえないことづけを(心持
短い間)にぎりしめているような気がするから」(間)「それを」「手わた
さなくちゃ」。
  「みえないことづけをにぎりしめている(心持短い間)ような気がする
から」も考えあられます。後者の場合は、「ような気がする」は軽く弱く、
ひそやかに付け足すような音声表現にするとよいでしょう。
  「それを手わたさなくちゃ」は語り手の強い意思をこめて、やや浮き立
つように音声表現するとよいでしょう。
  「だから」の次でたっぷりと間をあけつつ、そこで言い納めてしまわな
いで、つづく第四連「あいたくて」につながるようにして音声表現します。

《第四連》

  『(だれかに)(なにかに)「あいたくて」』のように、(  )の中
の言葉を頭に浮かべ、思い描きつつ「会いたくて」へと音声表現していきま
す。
  「あいたくて」は、ほんとに会いたい気持ちをたっぷりこめて、ゆっく
りめに読むとよいでしょう。「あ、い、た、く、て」のように、声量を落と
して、ぽつり、ぽつりと、ぶつ切りに音声表現するのもよいでしょう。会い
たい思いをたっぷりとこめれば、声高に、元気よく、とはならないでしょ
う。ささやき声に近い声量で、願い・期待をたっぷりとこめて、声量を落と
して音声表現していくようにするとよいでしょう。
  第三連の最後「だから」は、やや声高に、粒立てて読んで、第四連につ
なげるのもよいかも、と思います。
  


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