音読授業を創る そのA面とB面と     05・2・10記



「竹」の音読授業をデザインする



●「竹」(萩原朔太郎)の掲載教科書……………………なし。自主教材。



              竹
                  萩原朔太郎


          光る地面に竹が生え
          青竹が生え
          地下には竹の根が生え
          根がしだいにほそらみ
          根の先より繊毛が生え
          かすかにけぶる繊毛が生え
          かすかにふるえ。

          かたき地面に竹が生え
          地上にするどく竹が生え
          まっしぐらに竹が生え
          凍れる節節りんりんと
          青空のもとに竹が生え
          竹 竹 竹が生え。



          
音声表現の仕方


  この詩の作者・萩原朔太郎について、また、この詩「竹」の教材解釈や
教材研究については、先達の多くの論文があります。本稿では、これらにつ
いては割愛します。が、二つほど後述して紹介もしています。
  ここでは、ずばり音声表現のしかたについて、わたしなりの今の時点の
読み方(イメージ)で書いていきます。明日になったら少し違ってくるか
も、とも思います。
  この詩は定型詩ではありませんが、不規則な定型リズムがあります。4
音が7個、5音が7個、7音が6個、2音が3個、8音が2個、6音が2
個、ほか0個です。音読するとリズムをふんだ心地よい響きで読むことがで
きます。
  各行末には「生え」が10個あり、同じ「生え」の動詞連用形でつなげ
た脚韻リズムがあり、竹の「生え」ている状態を視覚的に記述し表現してい
るように思われます。「ほそらみ」も連用形です。「ふるえ」は連用形の中
止形使用法です。行末で連用形でないのは「りんりんと」だけです。これら
行末の脚韻をふんだ連用形の並べは、音声表現に心地よい響きと、「竹が生
え」の重層的イメージを増幅させる効果を発揮しています。
  連用形で次の場面を重層的に添加していっていますので、音声表現をす
るときは、次々と新しい場面(次の行の同じ語句表示重ね、そのイメージの
重なり)を付け加えていくつもりで、次々とおいかけ、たたみかけ、つみ重
ねていくようなつもりで読んでいくとよいでしょう。
  この詩の表現内容は、大きく二つの場面に分かれます。地上場面と地下
場面です。地上場面は、第一連の1・2行と、第二連の全部です。地下場面
は、第一連の3行〜7行の部分です。
  地上場面は、空へ向かって、上へ上へと、竹がまっしぐらに、するど
く、りんりんと、生えていく様子を音声で力強く読んでいくようにします。
  地下場面は、根が、先の細い根が、その先の根の繊毛が、土の中に力強
く分け入っていく様子を音声で表現していくようにします。


        
第一連の音声表現の仕方


  第1行の「竹が生え」を粒立て、強調して音声表現します。さらに第2
行目をたたみかけるように読んで、「青竹が生え」の「生え」を力強く読ん
で目立たせます。
  第3行からは、地下場面の描写です。第3行からは、声量をぐっと落と
して「地下には」をクリアーな発音で場面転換を知らせる気持ちをこめて、
そっと、弱く、読み出していきます。「竹の根が」を弱く、柔らかく読み、
次の「生え」は弱いながらも力強く生えていることを知らせる思いで粒立て
るようにして読みます。
  第4行の「しだいに」は、ゆっくりと、のばして読み、「ほそらみ」
は、ひそやかに、消え入るように読みます。
  第5行は、第4行の音調を引きずりつつ、「繊毛が生え」をゆっくり
と、のばして、クリアーに読んで粒立てます。
  第6行は、「かすかにけぶる」を、声量をぐっと小さくして、ひそやか
に、しのびいるように読みます。「繊毛が生え」はクリアーに、粒立てる気
持ちをこめて読みます。
  第7行の「かすかにふるえ」を第6行と同じに、ひそやかに、しのびい
るように読みます。低く、小さな声ながらもクリアーかつシャープな発音
で、一つ一つの音(おと)を押さえるようにして読んでいきます。
  第一連全体は、第1行から第2行へはクレッシェンド(だんだんたか
く)に語勢を上げていき、第3行から第7行へはデクレッシェンド(だんだ
んさげる)に語勢を下げていきます。


        
第二連の音声表現の仕方


  第二連は全体が地上場面の描写です。第一連の地下場面とは音調を変え
て、つまり、転調して、力強く読み出していきます。
  各行末にある「竹が生え」のくりかえしは目立たせ、重なりのイメージ
を、竹が力強く生えている様子を強調して音声表現していくようにします。
追いこみ、たたみかけるように「竹が生え」の一つ一つをクリアーな発音で
力強く、ていねいに押さえるように読んでいきます。
  「かたき」「するどく」「まっしぐらに」「りんりんと」などの語句は
目立たせて、力強く音声表現すると、逞しく、強壮に伸び上がる竹のイメー
ジが豊かに表出されるようになるでしょう。
  「竹、竹、竹が生え」は、「竹(間)竹(間)竹(間)竹が(間)生
え」のように間をあけ、一つ一つを強調し目立たせ、クリアーかつシャープ
に読みます。そして行末にいくほどクレッシェンドに語勢を上げていきま
す。最後部「竹が 生え」の「生え」は語勢が最大となって終了するように
します。

               
わたしの授業実践の紹介


  なにはともあれ、実際の音声(読み声)を耳で聞くことがいちばんで
す。聴覚の補助なしに文字だけで説明することはなかなか困難です。
  わたし(荒木)には、小学校3年生を担任したときの「竹」の実践記録
と児童の読み声録があります。
  本ホームページの第19章第2節「竹の群読つくり授業録音」に耳を傾
けてみよう。記号づけ話し合いと群読をどう作っていったかが分かるように
録音されています。


          
参考資料(1)


  萩原朔太郎については多くの研究論文や著作があります。ここでは二つ
だけ紹介します。

次の引用は、保坂弘司・海野哲治郎共著『現代詩の学習』(学燈文庫、昭
38)の53ぺ〜54ぺより。

ーーーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  「竹」は、萩原朔太郎の第1詩集『月に吠える』大正六年(32歳)に
所収されている。

  「竹」が作られたころ前橋の生家に帰り、精神と生活の自由を求めて因
習的な家庭との摩擦に苦しんでいた。作者が幼時から腺病的で、いつも「病
気といふものを考えると幽霊の幻覚を見るやうな恐怖と影のやうな気持ちの
悪い微笑を感ずる」といっていることなども、この詩を理解するうえに役立
つ。

  感動の中心。露出した竹の地下茎を見ると、暗い地下に巣食っている神
経のような毛根が不気味に想像され、地上に直立する竹の幹を眺めると激し
い意志の力を直感する。あたかもそこに自分自身の精神構造を見せられてい
るようだ。

  朔太郎の友人、白秋はこの詩「竹」を読んで「君の気稟は、また譬えば
地面に直角に立つ一本の竹である。その細い幹はあざやかな青緑で、その葉
は華奢でこまかく動く。たった一本の竹、竹は天を直感する。しかも、この
竹の感情はすべてその根に沈潜していくのである。根の根の細かな繊毛のそ
のわかれのあるかなきかの毛の先のイルミネーション、それがセンチメンタ
リズムの極致とすればーーーその毛の先端にかじりついて泣く男、それは病
気の朔太郎である」と述べている。

 ーーーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



          
参考資料(2)


  次の引用は、木原孝一ほか編『学校の詩』(飯塚書店、昭35)の76ぺ〜
78ぺからの引用です。執筆者は、那珂太郎(詩人)です。

 ーーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  詩の主題をとらえるには、単に、その詩の題材が何であるかを見てとる
だけでは足りず、その題材において作者が何を表現しようとしたのか、とい
うことを見抜かなければなりますん。つまり、詩の「主題を見抜く」とは、
その詩全体の「意味」を見抜くことにほかならないのです。

  この詩「竹」の題材となっているのは、いうまでもなく竹です。しか
し、それは、わたしたちが日常現実に嘱目する「竹」なのでしょうか。注意
して読んでみましょう。
  三行目「地下には根が生え……」以下七行目までには、普通わたしたち
が目にすることのできない、地面の中の竹の根と繊毛がえがかれています。
そのことからこの詩は、素朴リアリズムにもとづく、写生詩や叙景詩といわ
れるたぐいのものでないことが、明らかでしょう。むろんこのことは、純然
たる竹のイメージだけがえがかれていて、そこになんらかの観念的付加物
や、説明もともなっていません。が、それはいわば不可視のものを透視す
る、詩人の想像力によってとらえられた、幻視的イメージー作者の内的
「心象」の表現にほかならないのです。ーーまずそこに気づくことが、この
詩の「主題を見抜く」第一歩であります。
  かくて、この詩が、単に外的客体としての「竹」の描写の詩でない以
上、植物としての竹を概念的にとらえようとする態度だけでは、この詩の真
の主題がつかめないことはいうまでもありません。この「竹」は、いったい
何を意味するのか。くりかえして読んでください。この幻視的イメージは、
地面によって上下に(作品形態の上では前後二つの連に)二分され、竹は地
下へ向かっては「根がしだいにほそらみ」根の先には「かすかにけぶる繊毛
が生え」「かすかにふるえ」、一方、地上へ向かっては「するどく」、
「まっしぐらに」、「凍れる節々りんりんと」おいのびる。そのリズム、そ
の語感を、よく味わいましょう。
  前半の「しだいにほそらみ」「かすかにけぶる」「かすかにふるえ」と
いう微妙繊弱な語感は、暗く、ほとんど病的に敏感な、神経の痛みのごとき
ものを感じさせはしないでしょうか。
  一方、後半「するどく」「まっしぐらに」「凍れる節々りんりんと」と
いう生動的な語調は、前半の繊弱な感じを脱して、つよく上昇しようとする
意志的な力感、緊張感にみちているではありませんか。そうした時のことば
のもつニュアンスが、そのままこの「竹」のイメージの意味、一篇の主題を
暗示しているからです。
  ここに現されている作者の「心象」は、地中と地上という二つの志向に
よって両断された、作者自身の生存感覚ーーー下降し、あるいは上昇しよう
とする実存意識の、視覚化表象にほかなりません。すなわち、「竹」という
具象的題材を、ここで作者が表現しようとした真の「主題」は、彼自身の
生ーー実存の、感覚ないし意識なのです。
  かように、「主題を見抜く」には、題材となった事象の背後に、作者の
とらえた無形の意味を感じとらねばなりません。

ーーーーーーーー引用終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(荒木の感想)ここに引用した二つの解釈、朔太郎の病的な繊弱な、そして
彼の苦悩の精神の感情表出、こうしたことを音声表現することは小学生には
精神的発達からいって理解できなく、この音声表現は無理というものでしょ
う。高校生や大学生になって朔太郎の幻視的精神が理解できるようになって
から、それを加えて音声表現していけばよいと思います。
  本稿では、わたしは、指導対象児童が小学生ですから、外的世界の素朴
な描写として、そこにある生命力の神秘的な力強さ・畏怖としての感動を素
直な声として音声表現すること、ここに主題をおいた指導として書いてあ
り、そのようして授業実践もしています。那珂さんが否定する「素朴リアリ
ズムにもとづく、写生詩や叙景詩」として、わたしは単なる外的客体と受け
取り、そのように授業実践をしています。
  感動の大きさが深ければ、どのようの読みとっても許されると思います。
これについての詳細は、MyHPにある題名「作者へ質問・手紙を送るにつ
いて」を参照のこと。



           トップページへ戻る