音読授業を創る  そのA面とB面と    07・3・25記




「夏のわすれもの」の音読授業をデザインする




●「夏のわすれもの」(福田岩緒)の掲載教科書………………東書4上



         
作者(福田岩緒)について


  福田岩緒(ふくだ いわお)児童文学作家、さしえ画家。
1950年(昭和25)、岡山県倉敷市生まれ。東京デザイナー学院建築科中
退。デザイン会社勤務の後、フリーとなる。絵本作家や挿し絵を手がけはじ
める。本教材文「夏のわすれもの」東書版にも「福田岩緒 文・絵」となっ
ている。日本児童出版美術家連盟会員。
主な自作・挿し絵の著作物
「ぼくはちいさなしょうぼうし」「土ようびのごごはめいたんてい」「あし
たはうんどうかい」「いたずら校内探検クラブ」「おばあさんのふしぎなコ
タツ」「おならばんざい」「おとうさん」「いっぴきのおおかみ そろり」
など。ほか、挿し絵のみの出版物が多数。


         
  音声表現のしかた


一読総合法で表象化してみると


  わたしが所属している児童言語研究会では、一読総合法という読解方法
を提唱しています。本教材の冒頭文章を一読総合法のやりかたで読んでいく
ことにします。東書版教科書で見開き2ページの冒頭部分で立ち止まること
にします。
  一読総合法では、はじめに書き込み(書き出し)をします。ここでは書
き込みができませんので、教師の読み(書き込み)を簡単な文章にして書く
ことにします。文章を読んで「わかってきたこと」「気づいてきたこと」
「うかんできたこと」「わからないこと」などを発表して行きます。
  冒頭文に「暑い暑い日だった。」とあります。「暑い」が二回も重ねて
書いてあります。とっても暑い日だったようです。外はじりじりと太陽が照
りつけ、顔・頭・体じゅうから汗がぬぐってもぬぐってもたらたらと流れ落
ちる暑い日の様子が浮かんできます。
  つづく文章は「まどの風りんはチリンとも鳴らない。」と書いてありま
す。風がちっとも流れてなくて、どよんとよどんでいて、一層の暑さが浮か
んできます。
  つづく文章は「ああ、川に行きたい! 今ごろ、いっちゃんたちは川
で……。そう思ったら、もうがまんできなくなった。ぼくはえん筆を置い
て、ドリルをとじた。そうっと、えんがわから庭を見た。おじいちゃんの横
で、草取りを手伝っていたかずえがふり向いた。」と書いてあります。
  「ぼく」という人物が登場します。川に行きたい、という気持ちがいっ
ぱいのようです。「ぼく」の意識の方向が川で遊ぶことのみに向いていて、
ほかは何も考えてないからっぽの状況にあることが分かります。「川へ行っ
て、みんなと川遊びをしたい。」だけしか頭にない子どものようです。
  おじいちゃんの草取りの手伝いのさそいを断り、川へ一直線にかけだし
ます。「ぼく」のはやる心は次のように書いています。「ぼくはうき輪をお
じいちゃんに見せて、かけだした。川に近づくにつれて、にぎやかな声が聞
こえてきた。ぼくだけが仲間外れにされているようで、気持ちがあせった。
飛ぶように坂道をかけ下りた。」と書いてあります。


地の文の書きぶり(語り手を意識化する)

  ここの個所でもう一つ読みとるべき事柄があります。
  子ども達に発問します。下記の文章(地の文)の書きぶりから分ってく
ることは何ですか、と問いかけます。

「暑い暑い日だった。まどの風りんはチリンとも鳴らない。ああ、川に行き
たい! 今ごろ、いっちゃんたちは川で……。そう思ったら、もうがまんが
できなくなった。ぼくはえん筆を置いて、ドリルをとじた。そうっと、えん
がわから庭を見た。おじいちゃんの横で、草取りを手伝っていたかずえがふ
り向いた。」

  子ども達から出させたいことは、この地の文の書かれ方は、「ぼく」の
意志、思考、気持ちの立場から書かれているということです。
  教師の期待する反応がでなければ、「だれの目に見えたことが書かれて
いますか。だれの気持ちになって書かれていますか。だれの目や気持ちにな
って音読していけばよいですか。」と問いかけます。
  つまり、本教材文は全てが「ぼく」の目になり、「ぼく」の気持ちに
なって書かれているということに気づかせたいのです。音読するとき、この
ことがとても重要となります。本教材文を音読するとき、みんなと川であそ
ぶことしか考えにない、そうした「ぼく」の気持ちになって・そうした気持
ちに入り込んで音声表現していく書かれ方の文章だからです。「ぼく」の気
持ちになって音声表現していくと、この作品はととてもうまくいきます。そ
の場面場面で、「ぼく」の気持ちのなって音声表現していくとうまくいくこ
とに気づかせたいと思います。
  本教材文はすべてが「ぼく」の視点からだけで書かれています。他人物
の考え(視点)で書かれているのは、会話文だけです。地の文はすべて「ぼ
く」の視点からだけで書かれています。ですから、本教材のすべての地の文
と、「ぼく」の会話文は、「ぼく」の気持ちになって音声表現していくよう
になります。他人物が発話した会話文は、他人物の気持ちになって音声表現
していくことになります。


友だちと川遊びしてる前半部分

  川遊びをしている前半部分の音声表現は、「ぼく」のうれしい気持ち、
はやる気持ち、いきいきした気持ち、高揚した気持ちになって・入り込んで
音声表現していくようにします。
  本教材文には四年生にしては一文がかなり長文になっている文も多くあ
ります。一文内部をあちこちでぶつ切りにして読まないようにします。長文
でも、一文内部はできるだけひと息につづけて読むようにします。長文はゆ
っくりと読むと息がつづきません。意味内容のひとつながりでは少しばかり
早口に読むようにして、句点(まる)ではしっかりと間をあけて読むように
するとよいでしょう。


おじいちゃんの死との対面場面

  こういう場面では、ハイハイと賑やかな発言競争や喜色満面な顔で声高
に音声表現をしてはいけないことは当然です。川から帰ったまさるは、家の
中の雰囲気はいつも違うことに気づいています。いつもととどう違っている
かを想像させましょう。おじいちゃんを囲んで、みんなはふとんにくっつく
ようにすわっていた、です。救急隊員もいます。尋常でない様子であること
が分ります。
  ここの個所の音声表現は、尋常ならざる状況のなかの会話文です。とっ
ても音声表現がしにくい場面です。それぞれの会話文は、お母さん「泣きな
がらおじいちゃんに言った」、おばあちゃん「ぽつりと言った」、かずえ
「お母さんにだかれて、べそをかきながら言った」、お父さん「真っ青な
顔、おこったようにだまってしまった。」です。まさるのことは、どんな様
子だったか、どんな会話文を話したか、の記述がありません。想像させてみ
ましょう。
  ここの場面の音声表現は、次々と音声表現をさせるようなことは止めに
します。しーんとした教室の雰囲気の中で5,6分の黙読する時間をとりま
す。頭の中だけで場面(人物たち)の様子・表情をイメージさせ、ひとりひ
とりの会話文の言いぶりを頭の中の音声表情だけで音声表現させます。それ
が終わってから、2,3人の音声表現があってもよいでしょう。


お母さんのばく発場面

  ここの場面は役割音読をすると、場面の様子や、各人物の考えや話し意
図がはっきりしてくるでしょう。会話文だけを抜き出し、お母さん、まさる、
おばあちゃんの三人の配役を決めて役割音読をさせます。

母さん 「まさる! 宿題がまだのこってるんでしょ! 川へ行くのもいい
     かげんにしなさい!」
まさる 「じいちゃんだったら、何も言わないのに。」
ばあさん「無理せんでもいい。川へ行けばいい……。」
まさる 「だって、お母さんが……。」
ばあさん「いい、いい。おばあちゃんが言っといてやる。」
まさる 「ほんとう? ありがとう、ばあちゃん。」
ばあさん「ほれ、……これかぶっていけ。」
まさる 「これ、じいちゃんの?」
ばあさん「じいちゃんのわすれものだよ……。」

母の言いぶり
  母さんは、とうとうばく発した、です。ぼくから、ふくらませていたう
き輪を奪い取って、投げ捨てた、です。様子を想像すればしぜんと言いぶり
は分ってきます。
まさるの言いぶり≫ 
  まさるは、目でお母さんに言いかえした、です。言葉には出ていませ
ん。態度に・身体表情に出ています。それらが、まさるの言葉です。でも、
ここでは反抗的な気持ちで込めてつぶやき言葉で言わないと音声表現にはな
りません。
おばあちゃんの言いぶり
  おばあちゃんは、孫がかわいいのでしょう。静かに、低い声で、ゆっく
りとゆっくりとした言いぶりで、やさしく、まさるを安心させる言いぶりで
言うようにします。作り声はいけません。ゆっくりした言いぶりにすると、
しぜんとお年寄りの言いぶりになります。


まさるが自省してる最後の場面

  「小学校へ行くまでは、ぼくとおじいちゃんはいつもいっしょだっ
た。」から最後尾「麦わらぼうしのひさしを下げて、ぼくは川へ続く道に出
た。」までの文章個所です。
  ここは、まさるのおじいちゃんを思う感情がこみ上げてき
て、涙があふれてくる文章部分です。音声表現では、かなりむずかしいが、
大切な文章個所があります。「目のおく
が熱くなった。鼻がつまって……とうとうこらえきれなくなった。泣き始め
たら止まらなくなって、なみだがぽろぽろ流れ落ちた。」「じいちゃん、ぼ
く、ひまわりのようになるからね。」という文章部分にどれだけ感情同化し
て読めるかです。本教材は主人公・まさるの目になり、気持ちになって、い
り込んで読んでいく(音声表現していく)文章です。読み手である子ども達
がまさるの気持ちを冷たくつき離した音声表現ではいけません。読み手が、
まさるの感情同化して、まさるの気持ちに入り込み、涙があふれ、泣き出
し、泣きが止まらない状態に入り込んで(それに近い感情で)読んでいく文
章です。
  ここの音声表現は、淡々とでなく、突き放してでなく、自分と関係ない
よという音読ではいけません。まさるの気持ちにのめりこんで、はいりこん
で、近づいての音声表現にしてほしいなあと思います。
  子ども達の中には、どっぷりとまさると感情同化してしまって、涙声に
なって音声表現する子もいるのではないでしょうか。

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