音読授業を創る  そのA面とB面と           03・08・26記



     
「一つの花」の音読授業をデザインする


                       
●「一つの花」(今西祐行)の掲載教科書……光村4下、教出4上、
                                         大書4上




            
教材化の視点


  今西祐行さんは昭和18年12月、大学生活を半ばにして学徒出陣で出
征なさったそうです。復学後、学徒出陣で被爆直後の広島に救援隊として入
り、そこで五日間を過ごしたそうです。「一つの花」は今西さんの実体験が
もとになって書かれた物語です。
  現在の子ども達は、ほしいものは何でも手に入ります。戦時中の食糧欠
乏の時代を知らない子ども達は、ゆみ子を「わがままな子」、「食いしん坊
な子」、「貧乏な家に生まれた子」などと思うかもしれません。こうした
誤った理解をしてしまっては、この物語の読解指導は失敗です。
  この物語の理解には、戦時中の食糧の欠乏していた現実を知らせる(感
じとらせる)ことが前提としてあります。今西さんは、この物語の冒頭部分
で当時の物資欠乏について言葉は少なく、おさえた表現ではあるが、幾つか
を列挙して描写しています。教師はこれらの文章記述からイメージをふくら
まさせ、補説を加えながら戦時中の食糧欠乏の様子をありありと表象させる
必要があります。
  こうすることで、ゆみ子はなぜ「一つだけちょうだい」を最初に覚えた
言葉なのか、が理解できます。そして、「一つだけ」を口癖にしなければな
らないゆみ子をかわいそうと思う同情心が生まれ、一つだけをも与えられな
い父母の辛く、やりきれない思いへの同情心も生まれるようになってきま
す。さらに、戦時中に生きた人々の悲惨な生活に同情し、戦争の残酷さや非
情さへの理解もできるようになっていきます。


          
地の文の読み方


  「一つの花」は、三人称客観の視点で描写されています。つまり、語り
手や登場人物の目や気持ちがひっこんだ地の文になっています。この種類の
地の文は、語り手が作品世界の外から、後ろから、ながめて紹介するだけの
音声表現となります。
  読み手(音読する人)は、どんな作品でも語り手になって音声表現して
いくわけですが、この種類の地の文は、語り手が作品世界の外にいてゆみ子
一家の行動や周りの様子はこうですよ、と淡々と紹介するだけの音読となり
ます。
  語り手(読み手)は、作品世界のだれかの立場(目や気持ち)に入り込
んだり、寄りそったりして読むのでなく、作品世界の外にいて、少し離れた
位置から、ゆみ子一家の行動や周りの様子を淡々と紹介するだけです。語り
手の思い入れをこめて読むのでなく、語り手の主観的な感情を抑制して、作
品世界の事実だけをそっくりそのまま読者(聞き手)にポンと差し出す客観
的な(覚めた冷たい)読み方になります。つまり、アナウンサーのニュース
読みのような読み方になります。これが基本となります。
  ニュース読みのような読み方になるとはいっても、三人称客観の文体に
も、語り手は、ゆみ子一家や彼らをとりまく社会状況に対して一定の立場
(姿勢、態度)にたって描写しています。冒頭部分の文章例を挙げれば、
「はっきり覚えた最初の言葉」、「…だの、…だの、」、「そんな物はどこ
に行ってもありません」、「…どころではありません」、「…や…しかあり
ません」、「いくらでもほしがる」、「…のでした」などです。これらの文
体(語彙的意味)に、語り手の主観的な立場(姿勢、態度)からの思い入れ
(感情的な価値づけ)の文章表現(語えらび、文づくり)を見出すことがで
きます。ですから、これらを音声表現するときは、当然に語り手の主観的な
態度の音調が部分的に入り込んできます。ここが、アナウンサーが事実報告
だけの客観的なニュース読み口調とはちがってきます。



        
音読に適する文章個所(1)


文章範囲
  冒頭「一つだけちょうだい。」これがゆみ子のはっきり覚えた最初の言
葉でした。から、「もっともっとと言って、いくらでもほしがるのでし
た。」まで。

指導のねらいと方法
  ここの文章部分は、戦時中の食糧欠乏の様子、敵機爆撃によって焦土と
化す町の様子を読者に知らしているところです。これらの様子が音声にのっ
て表現する指導が第一です。
  ここの文章部分は、あわてず、ゆっくりと、事実はこうですよと、読者
(聞き手)に説明するように(報告するように、聞かせてやるように)淡々
と読みます。意味内容の区切りに気をつけ、つながりと切れをはっきりさせ
て音読します。
  全体を淡々と読みつつも、前述したように語り手の思い入れの表現もあ
りますので、その語句ははっきりと、目立つように、強調して読みます。区
切りやつながり、強調などの記号をつけさせて読ませるのもよい指導方法で
す。
  冒頭「一つだけちょうだい」は、会話口調でなくともよいですから、
はっきりと、ゆっくりと、目立つように読みます。
  ほかにも、目立たせて読む語句が幾つかあります。目立たせて読むと
は、はっきり発音して目立たせて、そして、やや強めに読んで目立たせて、
ということです。
次の「   」の中の語句がそうでしょう。
  「はっきり」覚えた。「最初の」言葉。戦争の「はげしかった」こ
ろ。…「だの」、…「だの」。「そんな」物は「どこへ行っても」ありませ
んでした。おやつ「どころ」では「ありません」でした。「おいも」や
「豆」や「かぼちゃ」「しか」ありませんでした。「ご飯」のときでも、
「おやつ」のときでも、「もっともっと」といって「いくらでも」ほしがる
のでした。などです。これらは、はっきりと、目立つように、軽く語気を強
め、ゆっくりと、こうして強調して音読するとよいでしょう。
  強調のしかたには、語気を強めて読む方法のほかに、反対に語気を弱め
て、低く落として、ゆっくりと一音ずつ間をあけて、ポツリポツリと読むこ
とで、目立たせて
強調する方法もあります。この方法に適する文章個所もあります。「毎日、
適の飛行機が飛んできて、ばくだんを落としていきました。町は次々に焼か
れて、はいになっていきました。」の二文などはそれに当たるでしょう。特
に「ばくだんを落としていきました。」、「はいになっていきました。」の
述部個所は、ポつりポツリと声を落として、しだいにゆっくりと読んで強調
するとよいでしょう。


        
音読に適する文章個所(2)


文章範囲
  次の会話文だけを取り出して、配役を決め、役割音読をさせます。
「みんなおやりよ、母さん。おにぎりを……。」
「ええ、もう食べちゃったんですの……。ゆみちゃん、いいわねえ。お父
ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって。ばんざあいって……。」
「一つだけ。一つだけ。」
「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよ
う……。」

指導のねらいと方法
  これら会話文だけの役割音読によって、地の文を読まなくてもプラット
ホームでの最後の別れの場面がどんな様子だったかがありありと表象できる
ようになります。これら会話文だけをありありと音読することによって、地
の文に書かれている解説の内容が、すべてこれら会話文の中にこめられるよ
うになります。これら会話文だけの音読で場面の様子が一挙に把握できるよ
うになります。

  「みんなおやりよ、母さん。おにぎりを……。」は、父さんが母さんへ
向って語っている言葉です。父から母への語りかけ口調になります。
  「ええ、もう食べちゃったんですの……。」は、父さんの問いかけに対
する母さんの返答です。母さんがゆみ子をあやしながらも、父さんへ向って
の語りかけ口調になります。

  「ゆみちゃん、いいわねえ。お父ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって。
ばんざあいって……。」は、母さんがゆみ子をあやしつけている口調になり
ます。どんなあやし方の口調(ゆみ子への語りかけ)になるのでしょうか。
種々に考えさせます。各児童に種々に試みさせます。思い切りよく、大胆な
あやし方(小さくかためないで)の口調を試みさせると、うまくいきます。
そして発表させましょう。上手な児童のあやし方の口調は、全児童に模倣
(一斉に後をついてまねさせる)させます。こうすると、自分が気づかな
かった、上手な口調がたちどころに身につきます。

  「ばんざあいって……。」は、ちょっとした音声化技術が必要です。
「バンザーイ」をはっきりと大きくやり、「て」は小さく、軽く、押えるぐ
らいの音調にすると、うまくいきます。

  「一つだけ。一つだけ。」は、急に泣き出したゆみ子の言葉です。たぶ
ん足をばたつかせ、大声で泣いているのでしょう。泣きながらの言葉です。
幼児と小学四年生ではやや年齢が離れていますが、近いですから、子ども達
は案外、上手に音声表現するかもしれません。

  「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよ
う……。」は、どんな語りかけ口調でしょうか。お父さんが朴訥な性格で、
芝居気のない人ならば、この会話文を真っ正直な気持ちで、無変化で、スト
レートな音調で語っているでしょう。
  わたしなら、泣きやまないゆみ子をあやす、きげんをとるため、ゆみ子
への語りかけ口調に変化をつけ、芝居気たっぷりに音声表現したいところで
す。ゆみ子を泣きやまさせ、気分を変えさせ、明るく陽気にさせ、笑わせよ
うとして、おもしろおかしくあやす、はずんだ音調にして表現します。ゆみ
子を泣きやまさせるため、児童たちに種々の語りかけ音調を工夫させてみま
しょう。

  一輪の花をもらうと、ゆみ子は足をばたつかせて喜びました、と書いて
あります。お父さんの語りかけ方が上手だったのでしょうか。こうも考えら
れます。幼児というものは、泣きやまない時、近くにある一枚の紙切れ、一
本の棒切れ、一つの空箱などを手に持たせると泣き止むという習性がありま
す。こうした子育てのコツをお父さんは上手に使ったのでしょうか。



        
音読に適する文章個所(3)


文章範囲
  「それから、十年の年月がすぎました。」から最後まで。

指導のねらいと方法
  出征してから十年後、お父さんは戦地から帰ってきていません。戦死か
生存してるか書いていません。本土爆撃があってから十年後ですから、た
ぶん死亡していることを暗示的に示しています。
  しかし、母と子は貧しいながらもつつましく幸せに暮らしている様子が
描かれています。ゆみ子の小さな家はコスモスの花でいっぱいに包まれてい
ます。
「母さん、お肉とお魚とどっちがいいの。」
と、ゆみ子が母に語りかけるかん高い声がコスモスの中から聞こえます。
  ゆみ子の「高い声」とは、明るく晴れやかな、はずんだ声だと想像でき
ます。にこやか、楽しそう、上機嫌な声でしょう。ゆみ子が明るく健やかに
成長している様子、母と子の温かな情愛に満ちた人間関係がわかります。そ
のつもりでこの会話文を音声表現すべきです。
  十年後の場面は、暗から明へと転換している場面です。ここの場面は全
体が明るく、晴れやかに声質を変えて音読する場面でしょう。
  意味内容の区切りに気をつけて、切るところでは切り、続けるところで
は続け、そして、明るく晴れやかな声質で読むようにします。(そこから)
(ミシンの音が、たえず速くなったり、おそくなったり、)(まるで、何か
お話しているかのように、聞こえてきます。)(それは、)(あの)(お母
さんでしょうか。)のように、かっこの中はひとつながりに、かっこの区切
り個所では間を開けて、声を張り気味にして明るい晴れやかな声で音声表現
していきます。


         
音読に適さない文章個所

文章個所
  「この子は、一生、みんなちょうだい、山ほどちょうだいと言って、両
手を出すことを知らずにすごすかも」以下、このお父さんのひとつながりの
会話文のみ。

適さない理由
  わたしたちは文章(作文)を書いた時、その文章(作文)を声に出して
読み、推考します。自分の書いた文章を「音読しつつ推敲するよさ」につい
ては、谷崎潤一郎
(『文章読本』)をはじめとして多くの人々が指摘しています。わたしたち
は文章を推考するとき、はっきりした声にするか、つぶやき声にするかは別
にして、実際に音読していることが多いです。
  この会話文は、お父さんがゆみ子の現在と将来をなげきうれいている場
面です。わたしは、この父親の会話文をすんなりと、父親の自然なリズムと
呼吸にのって音声表現することができないのです。こんな言葉が父親から実
際にほんとに出たのだろうか。現実に話された父親の言葉としては、嘘があ
る、何となくすわりが悪い、不自然さがある、リアルさが弱い、と思うので
す。
  作家(今西祐行)が地の文に形象として描くべき事柄を、父親の会話文
の中に、作家の世界観・価値観を、強引に無理に押し付け・入れ込んで、観
念的で安易な表現にしてしまっている、と思うのです。父親の日常性ある語
り口と言葉になっていない、作為的でこなれてない、稚拙な表現になってし
まっていると思うのです。だから、わたしはすんなりと音読できないので
す。
  ここの父親の会話文を、小学四年生が現実味あるリアルな語り口で音声
表現するには、かなり困難だと考えます。


              
補遺


  そのほか、この作品の中で「嘘がある、何となくすわりが悪い、不自然
さがある、リアルさが弱い」と思われる文章個所がいくつかあります。二つ
だけ書きましょう。

  一つめは、「駅には、ほかにも戦争に行く人があって、人ごみの中から
ときどきばんざいの声が起こりました。また、別の方からは、たえず勇まし
い軍歌が聞こえてきました。/ゆみ子とお母さんのほかに見送りのないお父さ
んは、プラットホームのはしの方で、ゆみ子をだいて、そんなばんざいや軍
歌の声に合わせて、小さくばんざいをしていたり、歌を歌っていたりしてい
ました。」という文章個所です。
  当時は、村内から、町内から、出征者を見送る場合は村内の人々が総出
で、町内の人々が総出で、駅に集合して軍歌を歌い、威勢よく大声でばんざ
いを言って見送ったものでした。それが通常の、通例のしきたりでした。
「ゆみ子とお母さんのほかに見送りのないお父さん」という文章記述には不
自然さや嘘を感じざるを得ません。

  二つめは、「それから、十年の年月がすぎました。/ゆみ子は、お父さ
んの顔を覚えていません。自分にお父さんのあったことも、あるいは知らな
いのかもしれません。」という文章記述です。
  ゆみ子のお母さんは、ゆみ子に、お父さんのことを、語って聞かせなか
ったのでしょうか。十年間も、です。父親のことを何も話さなかったのでし
ょうか。「ゆみちゃんのお父さんの写真はこれよ。こんな姿形で、こんな人
だったのよ。ゆみちゃんが小さかったとき、こんなふうに可愛がったのよ。
ゆみちゃんと、こんなことがあったのよ。」と語って聞かせなかったのでし
ょうか。作為的でこなれてない、リアルさに欠ける文章表現になっていると
思いますが、どうでしょうか。

  そのほか、気づいたことを書きます。音声表現のしかたについてです。
  お父さんがゆみ子に一輪のコスモスの花を手わたして汽車に乗っていく
場面です。「お父さんは、それを見てにっこり笑うと、何も言わずに、汽車
に乗って行ってしまいました。ゆみ子のにぎっている、一つの花を見つめな
がら」の文章個所です。
  次の(1)と(2)との文を児童に提示して、二つを比較させて、音声
表現のしかたを考えさせましょう。
(1)汽車に乗って行ってしまいました。
(2)汽車に乗っていってしまいました。
(1)の音声表現のしかたは、(汽車に乗って)(行ってしまいました。)
のように区切って読むべきでしょう。
(2)の音声表現のしかたは、(汽車に)(のっていってしまいました。)
のように読むべきでしょう。「汽車に」のあとに間をあけなくてもよいです
が、「のっていってしまう」をひとつながりに読むべきでしょう。

  もう一つだけ書きます。作品の文中にある「配給きっぷ」についてです。
  戦時中の食料の配給制度について、今の若い教師たちにはご存知ない方
が多いと思われます。これについてはWEBサイトですぐに調べることがで
きます。googleで「配給制度」と書き入れて検索・クリックしてみよ
う。[配給制度」について書いてある幾つかのサイトを見出すことができるで
しょう。


           
参考資料(1)


  朝比奈昭元(元椎名町小・東京)さんは、「一つの花」の授業で、表現
よみ(音読)を、「前時のつなぎ」と「ひとり読み・指名読み」に取り入れ
た実践を発表しています。以下『国語の授業』(一光社)1976年4月号
より引用。

●「前時とのつなぎ」部分からの引用
  
前時の授業と本時の授業とを結びつけるには幾つかの方法があります。
前時とのつなぎは、本時の読みの構えつくりにねらいがあります。(1)前
時の話し合いの中心点をしぼって話させる。(2)だれがどんな発言をした
か、具体的に想起させる。(3)前時部分を要約的に話させる。(4)前時
部分の表現よみから入る、などの方法が考えられます。ここでは(4)の方
法をとりました。
教師  これから国語の勉強を始めます。きのう勉強した文章個所、表現よ
        みしてもらいましょう。並木さん、読んでみましょう。
  (並木さん、起立し読む)
田辺  助言します。句読点に気をつけて読んでいたと思います。歯切れも
        よく、一字一字ていねいに読んでいました。
小林  「まるで戦争になんか行く人ではないかのように……」のところの
         イメージがよくでていました。

●「ひとり読み・指名読み」部分からの引用
教師  みんなで解釈の話し合いをしていく前に、各グループごと、どこを
        どのように表現よみしたらよいかを考えて、話し合ってください。
 (すぐに指名読みするのでなく、グループごと、または個人で、音読の仕
    方を考えさせる。ここではグループごとで話し合わせた。教師は各グル
    ープを回って耳を傾ける。Aグループはお母さんの困っている様子が浮
    かんでくるように読もう。Bグループは「キャッキャッと足をばたつか
  せて喜びました」のところを本当に嬉しそうに読もう。Cグループは会
  話文の……のところを、間を置いて聞き手に人物のイメージ・のこる思
  いが浮かぶように読もう。などの話し合いが行われていた。)
教師  では、読んでもらいましょう。門川君、どうぞ。
    (門川君、起立して読む)
所   感想を言います。ゆっくり一字一字確かめながら、よく読めていた
        と思います。
永島  イメージがよく出ていたと思います。お母さんの言葉が、よく読め
      ていました。所さんに付け足すと、「ええ、もう食べちゃったんです
      の……。ばんざあいって……。」のところが、間を取って聞き手にイ
      メージを浮かばせるように読めていました。


  以上の朝比奈先生の授業実践について、小林喜三男(元梅田小・東京)
さんが次のようなコメントをしています。朝比奈氏の授業からヒントを得た
ことです。表現よみ(音読)する直前、起立した時、次のような「前おきこ
とば」を言わせてから読ませると、意識的で目的のある音声表現になると思
います。
・ 「わたしは、ゆみ子が泣き出したので、どうしようかと困っているお母
さんの気持ちをこめて会話文を読みたいと思います。では、読みます」
・ 「わたしは、コスモスの花をもらって、ゆみ子が足をばたばたさせてよ
ろこんでいるところの地の文を、前と気分を変えて明るく読みたいと思いま
す。では、読みます」 
・ 「ほかと比べて、ゆみ子一家の見送りがつつましく淋しい様子であるこ
とを、声を落として、ゆっくりと、淋しい見送りの場面の雰囲気を出して読
みます。」(小林先生は、要約してから読むということも書いており、荒木
が若干、補筆しています。)


           
参考資料(2)


  西嵜康雄(にしざきやすお。大阪国際児童文学館専門員)さんは、「一
つの花」について次のように紹介しています。上田信道・大藤幹夫ほか共編
著『現代日本児童文学選』森北出版、1994)より西嵜康雄論文「今西祐
行〈人と作品」の中から一部抜粋しています。

 「ひとつの花」が初めて発表されたのは、1953年11月1日発行の
『小二・教育技術』誌上においてであった。(「一つの花」と表題)戦後、
結婚して長女が生まれたにもかかわらず、「勤め先を転々としたため家計が
なり立たず、短編童話を新聞や雑誌につぎつぎと発表、家計に足しに」(「
今西祐行年譜」『現代児童文学作家対談』四、偕成社、’88)するといっ
た生活をしていたところへ、与田準一が同誌への執筆を紹介してくれたもの
である。
  「私はおいしいものが手にはいると、一時の満足感を求めて、パッと食
べてしまい、あとはまたカユでもすすっているという生活です。しかし、家
計をあずかる家内となれば、そうもまいりません。「一つだけ」というわけ
です。そんなことで、よく口争いをしました。小さい娘はちゃんとそれを知
っていたのですぅ。(略)そうだ、いくら貧乏しても、この世の中のたった
一つしかないもの、それだけは与えてやらなければならないと思いました。
”一つのもの”いったいそれは何だろう。それを考えながら、私はこの作品
を書いたのです。」(今西祐行「『一つの花』『ヒロシマの歌』のことなど」
「教育国語19号、1969・12)と、今西はその執筆の動機を語ってい
る。(略)
 「ひとつの花」は、出征する父親を見送る戦時中のエピソードと、それか
ら十年後の成長したゆみ子のエピソードからなり、〈語り手〉が回想の形で
それらを淡々と言葉少なに物語っていくが、その語り口は、文字どおり「対
象にのめりこまず、また遠ざかって無視せず、実感」のこもった姿勢を貫い
たものだといえる。しかし、そのことは作者に何の思いも無いということを
意味しているのではない。むしろ、誰にも負けない熱い思いと強い意志を秘
めているからこそ、確かな〈まなざし〉をもって冷静な語り口で表現するこ
とができ、読者の読み方によって多様な解釈が生まれる作品をつくることが
できたといえるのではないだろうか。


           
参考資料(3)


  「一つの花」を反戦にだけ結論づけるのでなく、親子愛や家庭のぬくも
りや健気に・可憐に・力強く生きるゆみこにも焦点を当てて指導していくべ
きなのでしょう。宮川健郎さんは、今西祐行さんにインタヴ−した後、つぎ
のような報告を書いています。

  「一つの花」は、いくつもの教科書にとられ、たくさんの子どもたちの
手にわたることになった。今西先生は、戦争の中で人々が何を考え、何をし
て生きていたのか、そういう記憶には残らないようなことを伝えたいとは思
うと話してくださった。だが、作品を十分に読みこまずに、簡単に反戦とい
うテーマを引き出すやり方には抵抗を感じる、「一つの花」は戦争を抜いて
は成り立たない作品ではあるが、親子や家庭という問題も読み取ってほしい
ともおっしゃった。「教科書ですから、半強制的に読まされるわけですが、
子どもたちが大人になって、また子どもをもって、そのときに、ああ、あの
作品は、こういう話だったのかと思ってくれたら、いちばんいいですね。」
とおっしゃった。
         『日本児童文学』 1985年5,6月号より引用



           
参考資料(4)


  上述した参考資料(2)と類似した内容で、万屋秀雄(児童文学研究
家)さんは、次のように書いています。

  「ひとつの花」について、今西祐行は、『太郎コオロギ』のあとがき
で、他の作品「ゆみ子のりす」「空のひつじかい」とならべて、

「私の娘が幼いころ、まだ食糧は配給で、焼け跡にトントンぶきの家が建っ
ていたような暗い貧しい時代でした。私童話とでもいえるものですが、いず
れも主人公の父親がいないのは、そのころの私自身の実生活の貧しさがそう
させたのかもしれません。

  と述懐しているが、この文章の中に、彼の戦争児童文学を解く一つのか
ぎがあるように思われる。父親(作者)のひとり娘(一人っ子と聞いてい
る)への愛情が、これらの作品の基調になっているように思われてならな
い。
  「ひとつの花」の世界は、戦争の非情さ、悲惨さをうきぼりにしてはい
るが、より強烈に読者に迫ってくるのは、戦争によっても消すことのできな
かった父親の愛情の世界ではないでしょうか。この作品は、小学校の現場で
戦争文学教材としてよくとりあげられるが、多くの教師の批判ーー戦争の非
情さ、悲惨さが描ききったいない、とくに後半はそれがボカされているので
はないかーーに出会う。元々この作品は、戦争の悲劇性のみを追求された作
品ではないだろう。先に指摘したように一貫して流る父親の愛情(おそらく
作者自身のそれ)にこそ力点があり、戦争そのものという素材の中でそれは
存分に生かされている、と私は思っている。
          『日本児童文学』 1972年7月号より引用


          
参考資料(5)


  本HPの「各学年別音読教材をデザインする」にある「四年生教材」の
表の下段に「一つの花」(資料編)があります。こちらもお読みになって
ご指導に当たってください。
  この作品「一つの花」が生れた時代背景が詳述されています。これをお
読みになることで、より深く作品内容が理解できます。そして自信を持って、
より充実した、楽しいご指導ができるようになることでしょう。
 下記(「一つの花・資料編)をクリックしましょう。
  http://www.ondoku.sakura.ne.jp/gr4hitotunosiryouhen.html


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