音読授業を創る  そのA面とB面と           04・4・29記



      
「春のうた」・「春の歌」の音読授業をデザインする


                                   

●「春のうた」(草野心平)の掲載教科書…………光村4上、日書4上、教
                       出4上
●「春の歌」(草野心平)の掲載教科書……………学図4上



          
楽しく声に出そう


  この詩は、蛙が長い冬眠から覚めてはじめて地上に顔を出した喜びの
声、土の中から地上に出られたうれしさにはずんでいる声を表しています。
蛙の気持ちになって喜び・うれしさの気持ちをいっぱいにして楽しく声に出
させて読ませましょう。
  春になって地上に出られた歓喜の声(鳴き声)です。この詩の言葉には
心地よいリズムがあります。言葉の連なりに調子のよさがあります。蛙の歓
喜の気持ちに入り込むと自然にリズムが生み出されてきます。蛙のうれしさ
いっぱいの気持ちにのせて楽しく音声表現させてみましょう。
  読み手は、蛙と同じ地上に出てきた喜びの気持ちに同化し、蛙になって
音声表現することによって、より豊かに詩の世界に入り込んで声に出すこと
ができます。蛙の気持ちに入り込むと、蛙の鼓動や呼吸のリズムと同じにな
ることができます。そうすると、詩の言葉は読み手の肉体に響いて血肉化
し、情感性にとんだ音声表現となるでしょう。



       
種々の読み声の出し方を工夫させる


  静まりかえった教室の中、硬直した身体、きまじめな顔で、音声表現さ
せてはいけません。ゆったりと開放された、のびやかな、がやがやした教室
の自由な雰囲気の中で、一人一人の児童が蛙と同じに喜びとうれしさに満ち
た笑顔で、あちらからこちらから、自分勝手に自由に声に出させて、破綻や
破格があってよし、大胆な、はめ(枠)をはずしたぐらいの歓喜の声の音声
表現をさせてみましょう。「美は乱調にあり」と言うではありませんか。

  いろいろな声の出し方にチャレンジさせてみましょう。いろいろな形の
試し読みをさせてみましょう。一つに詩句を勝手気ままに種々の音声表現で
挑戦させてみましょう。蛙の喜びの声は一通りではありません。通りいっぺ
んで平凡な音声表現でなく、大胆に、これまでとは違った、全く新しい読み
方、表現の仕方をいろいろと工夫させてみましょう、発見させてみましょ
う、チャレンジさせてみましょう。当初は全くふさわしくない、へんちくり
んな、おかしな音声表現が出現するでしょう。それも音声表現することの楽
しさであり、おもしろさです。

  大筋(大枠)は「冬のあいだに土の中にいて春になって地上に出てき
た、蛙のはじめての日の歓喜の声(気持ち)・鳴き声」です。これを明確に
児童に把握させておけば、おかしな読み声は自然に淘汰されていきます。耳
で、これは上手、これはだめ、これはややよい、と自分で評価しつつ、耳で
音声表現していくようにさせます。次々と大胆に、思いつかなかったような
読み声が発表されていくようならしめたものです。
  「ほっ」は、「ほ」、「ほっ」、「ほおう」、「ほー」、「ほおーっ」
など、種々あるでしょう。このほかにもあるでしょう。いろいろ試みをさせ
てみましょう。
  四個ある「ほっ」は、みんな同じ音調に表現する必要はありません。四
つとも、それぞれ違っていいのです。違えた方が変化に富んでいいのです。
演歌の歌い方も同じようです。天童よしみは、「旅まくら」にある歌詞「北
の汽笛の淋しや ああ ああ ああ 酔えないお酒」の六つの「あ」を大胆
な節作りで違えて歌っています。川中美幸は、「おしょろ海岸わかれ雪」に
ある歌詞「恋をするのも 女ゆえ 恋に泣くのも 女ゆえ 抱けばいとしい
 乳房の重み」の二つの「女ゆえ」を違えた節で歌っています。千昌夫は、
「北国の春」で「あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな」の二つの「帰ろかな」
を違えた節で歌っています。

  「まぶしいな」は、「まーぶしいーな」、「まぶしいーなー」、「まぶ
しいーなあああ」など、種々あるでしょう。ほかにもあるでしょう。
  「つるつる」は、「つるっ、つるっ」、「つるつる」、「つーるつー
る」など、ほかにも種々あるでしょう。
  「ああいいにおいだ」は、「ああっ、いーにおいだ」、「あーいーに
おーいーだー」など、ほかにも種々あるでしょう。

  人間には、いろいろな性格の人がいて、いろいろな語り口(しゃべり調
子)の人がいます。蛙にだって、いろいろな性格の蛙がいて、いろいろな語
り口(しゃべり子)の蛙がいて当然です。種々の音声表現の仕方を工夫させ
てみましょう。声に出すことの楽しみとおもしろみを実感さてみましょう。
  おもしろい読み声が発表されたら、その子のあとに続けて、学級全員で
その音調をまねさせて楽しみましょう。新しい発見を全員でまねすること
で、今まで気づかなかった音調に慣れさせ、さらに新しいメリハリの発見を
しようとする意欲を全児童に持たせていきます。



         
語感を敏感に働かせて


  動作化をしながら(たとえば机の下から顔だけをのぞかせる)音声表現
させると、場面の様子がはっきりとイメージでき、場面に即応したぴったり
した音声表現が出やすくなるでしょう。
  蛙は今まで土の中の暗闇でじっとしていました。外に出たい、外に出た
いという気持ちで待ちこがれていたのです。土の中で春を待ち望んでいた蛙
の気持ち、それを蛙になって詳しく話しかえ、吹き出しの中へ蛙の会話文
(気持ち)を書き入れる作業をさせたりもしましょう。

  土の中から地上に出てきた、はじめての日、蛙の目に何が見えてきたの
でしょう。どんな形の、どんな色の何が見えたのでしょう。いぬのふぐりや
大きな雲だけではなかったはずです。多分これも目に入ったでしょう、と児
童が自由に想像したものをどしどし発表させてみましょう。それを「ほっ 
どんな〇〇〇がどうしている」の詩句として挿入して音声表現させてみるの
もおもしろいのではないでしょうか。

  蛙は地上に出た初めての日、どんな匂い、何の匂いをかいだでしょう。
どんな音、何の音を聞いたのでしょう。どんなはだざわり、どんな手ざわり
のものが見えたのでしょう。それら、どんな味がするものだと思えたので
しょう。温冷やぬるさはどうだったのでしょう。
  地上に出たときの蛙の気持ち・思い・思考はどんなだったのでしょう。
「うれしい」だけではなかったはずです。その時に思っていたこと、考えた
こと、こうしたいという意志など、どんなことが考えられますか。いろいろ
と想像させてみましょう。

  この詩を読んでカラー絵にして、イメージをいろいろと呼び出させてみ
ましょう。いろろな事物が見えてきたでしょう。音が聞こえてきたでしょ
う。色が見えてきたでしょう。つけたす景色が見えてきたでしょう。つけた
す事物(もの)が見えてきたでしょう。なまあたたかな風がほほをなでてい
るのも浮かぶでしょう。どんな花や土の匂いがしてきたでしょう。
  喜びに目を輝かせている蛙は、土の中から身体が全部出ているのでしょ
うか。頭だけでしょうか。蛙の身体の色はどんなでしょうか。「春のうた」
の詩句に導かれつつ、自由に表象をふくらませて創造世界を作り上げさせて
みましょう。これらを全員の前で発表させてみましょう。

  完成された詩表現や、完成された音声表現を求めなくてもいいです。未
完成や破綻・崩れがあってもいいです。大いなる未完成を目ざして自由に、
のびのびと表現させてみましょう。完成は、その後の変化なし、発展なしだ
からです。絶えず挑戦(練習)を続ける、そうしたパラダイムシフトを育成
すればいいのです。たえず変化を求める行動力と、安易な結論を求めない、
逃げない創造力と精神力を育成していく能力を育てることが重要なのです。

  こうした詩の学習活動をとおして、豊かな想像(創造)力と詩的表現の
感覚を育てていきます。とらえかたの奇抜さ、個性的な感覚表現、発想のお
もしろさ、言葉に喚起する豊かな表象力と独特な個性を育成していくように
します。

  これまで草野心平の原詩を壊すようなことを書いてきました。
  もちろん、草野心平作の原詩「春の歌」「春のうた」の詩句の形象(連
なり)とその詩的世界はすばらしいです。原詩を損じたり傷つけたりは絶対
にしてはいけないことです。児童に原詩を自由勝手に変更してよいという考
えを持たせてはいけません。
  だが、そのことを前提に置いて、上述してきたことはこの原詩が表現し
ている詩的形象を豊かに自由に想像(表象)し、楽しく鑑賞していく学習活
動の教育指導上の配慮から生まれたものです。詩的表現への誘い合わせをも
含めた鑑賞指導プロセスとしての指導方法の一つになのです。これは当然に
許されることです。

  最後には、この原詩の詩句の連なりと詩的世界の完成度の高さに戻っ
て、のびのびと情感豊かに音声表現させるようにします。原詩の詩的形象の
すばらしさを心ゆくばかりにたゆたいつつじっくりと音声表現して味わい楽
しむようにさせます。


         
いろいろな蛙の鳴き声


  にわとりの鳴き声は日本と諸外国、国によって違うとはよく例に挙げら
れます。川の流れは「さらさら」だけとは限りません。蛙の鳴き声は一般に
「げろげろ」と言われていますが、それだけとは限りません。
  ものの本には、アマガエルは「ゲゴゲゴ」と鳴くと書いてあります。あ
る本には、アマガエルは「ケケケキャキャキャ」と鳴くと書いてあります。
アオバズクは「ホーホー」と鳴くとあります。トウキョウダルマガエルは
「グガガガッ」と鳴くとあります。シュレーゲルアオガエルは「コロコロコ
ロ」と鳴くとあります。
  鳴き声は、聞き手の受け取り方、その表現(表記)の仕方によって随分
と違ってくるはずです。草野心平は「ケルルン クック」と表現していま
す。学級児童に特定蛙の鳴き声でよし、不特定な、名の知らぬ蛙の声でよ
し、一般的に蛙というものはの鳴き声でよし、いろいろと素直な受け取りの
感じを独自に表現(表記)させてみましょう。それを「春のうた」の鳴き声
個所に差し替えたり、新たに挿入したりして音声表現させてみましょう。こ
うした授業も、この詩をおもしろく、楽しく組織する方法としてあってもよ
いでしょう。こうして詩に遊びを取り入れて、詩的表現というもの、詩を作
る楽しみを分からせていきます。


       
蛙は一匹か、二匹か、三匹か


  嵐山光三郎さんの調査によると「古池やかわず飛びこむ水の音」(松尾
芭蕉)には、蛙は単数説と複数説とがあると言います。日本人は一匹説が多
く、アメリカ人は複数説が多いということです。下記、参考資料(3)参
照。
  さて、草野心平「春のうた」は、蛙は単数でしょうか。複数でしょう
か。わたしは単数だと思うのですが、読者のみなさんはどう想像しているの
でしょうか。あなたの学級児童に質問したら、何と答えるでしょうか。詩句
に書いてありませんから決定打がなく結論がでません。読み手の解釈の仕
方、趣向や感性によって違ってくるでしょう。発表させてみましょう。

  一匹説なら、この詩を音声表現するとき、その一匹の蛙の目や気持ちに
なって、その一匹の性格・思考様態・ものの言い方(しゃべり音調)に統一
性や一貫性を持たせて音声表現していくようになります。

  複数説なら、何匹とするかが問題となります。これによって役割音読の
読み手分担が変わってきます。二匹なら、一行ずつ交代で音声表現したり、
鳴き声をリフレーンを使って二匹に分担で表現したり、種々の方法があるで
しょう。
  三匹、四匹なら、また分担方法が変わってきます。大勢の蛙たちなら、
どうなるのでしょう。しゃべり言葉のリフレーンや詩句の新規挿入もあるで
しょう。鳴き声などは、あっちから、こっちから、そっちから、重層的な大
合唱の群読の音声表現となってくるでしょう。夏の夕方の田舎の田んぼの蛙
の大合唱みたいにです。
  題名「春のうた」は、「蛙が春を迎え地上に出られる歓喜のうた・歌・
声」という意味でしょう。「春の合唱」と書いてないところが意味深なとこ
ろがあります。


           
関連資料・録音


 本ホームページの第18章第2節「読み声例5・春の歌」の録音に耳を傾
けてみよう。荒木学級の児童の読み声が録音されています。みなさんがこの
詩を学級で音声表現指導をなさるときの参考にしていただけたらうれしいで
す。


           
参考資料(1)


  わたし(荒木)は音読の効果をこう考えています。音声表現することに
よって、作品内容を身体に響かせて、より深く理解させることができます。
国語授業で音読(表現よみ)を取り入れることは身体化して読み取るのにと
ても効果的な指導方法だといえます。

  今から20年前になりますが、静岡県の小学校教師(対木美佐子・清水
市立有度第一小、川本寿夫・静岡市立竜南小)が、わたしの所属する児童言
語研究会の機関誌『国語の授業』(一光社)に、次のような「春のうた」の
音読指導の実践例を書いていますので、次にそれの一部を紹介します。

  希望あふれる明るい春が子ども達に好まれるようです。また、短い言葉
で歯切れよいリズム感をもっているので、楽しく音読できるのです。
  ある女の子は、日記の中でこんなふうに書いています。
  「国語の詩は、春の歌です。読み方にもたくさんあります。歌うよう
に。やっと土の中から出て来たので、楽しそうに。ゆかいそう。かえるの
春。かぜはそよそよ。春の気分…」この子の日記そのものが詩のようでし
た。かえるの喜びを素直に表現しやすいのでしょう。かえるの希望にゆれる
喜びを自分の喜びとして表現できればと思います。
  かえるの視点、つまり地面の位置から描かれている詩ですから、「かえ
るの気持ち」「かえるの見たり聞いたりしたまわりの様子」などを書き込ま
せ、音読させます。あるいは題名と「かえるは……」の部分を話し合った
後、「わたしは、この詩をこんなふうに表現よみ(音読)をしたい」という
目当てを持たせた授業ができるでしょう。
  かえるの喜びを自分のものにするためには、生き生きとしたリズム感を
生み出している「ほっ」の部分や草野心平のかえる語「ケルルン クック」
など声に出させて感じとらせます。一人ひとりが、かえるになったり、机の
上という地上に顔を出して音読させます。きっとかえるの歓喜の歌がいくつ
も子どもたちから発表させ、いくつもの読み声が聞かれることでしょう。
  「ル」というかえるの鳴き声「ルルル」にも似た音の繰り返しは、子ど
も達を詩の世界へ誘います。かえるの冷たい皮膚をさわった子、冬眠を実際
に見たり、図鑑などで知っている子、春を待ちこがれる生活経験のある子、
土のかおりを知っている子などで、授業の組み立ては変わっていきます。詩
というのは楽しいものだと思わせるためにも知的な分析に走り過ぎないこと
が大切です。散文で冬眠から覚める状況を描くのと比べれば、詩は時をも一
瞬に凝縮してしまうものだということ、この詩で子どもたちは知ることで
しょう。    『国語の授業』(一光社)1984年2月号より引用



            
参考資料(2)


  冬になると蛙と同じに土の中で冬眠する動物には、他にカタツムリ、ト
カゲ、クサガメ、ヘビなどがいます。この詩「春のうた」の理解には、冬眠
についての知識が前提として教師(児童)には必要です。
  次に、j蛙の冬眠について書いてある児童用書籍から、その文章の一部
を三つ引用します。

  カエルにとって、えさの不足よりももっとおそろしいことは、きびしい
冬の寒さと空気の乾燥です。乾燥した空気にふれると水分がどんどんうばわ
れてしまいます。それにカエルのからだには、体温を一定にたもつしくみが
ありません。まわりの気温が0度以下にさがると、体内の水分がこおって死
んでしまいます。
  乾燥と寒さから体を守るため、カエルは土の中にもぐりこみ、冬眠しな
ければなりません。落ち葉の下や土の中には、カエルと同じような性質をも
つ生き物たちが、冬のおとずれとともにもぐりこんでいきます。
  雪がふりつもった土の中でカエルは冬眠します。体温はおそらく3度〜
5度。じっとしているので、すこしの酸素しかいりません。冬眠中のカエル
は、肺呼吸をやめて、ひふの表面で、地中にしみこんでくる空気から酸素を
わずかにとりいれて呼吸し、体内にたくわえていた栄養を、すこしずつつか
いながら生きつづけます。
       七尾純『カエル』(国土社、2000年)より引用


  カエルたちは、10月の末ごろになると、冬眠の準備をはじめます。林
や竹やぶの中にもぐりこみ、体を回転させながら、後ろ足で土をかき分けて
穴をほります。10〜15cmほどの穴をほって体をうずめると、春まで冬
眠にはいります。
  やがて春がきたら、カエルたちは、生まれ故郷の池や湿地に産卵のため
に出てきます。でも、無事に生まれ故郷の池や湿地にもどれるでしょうか。
最近は開発のために、つぎつぎに古い池や湿地がうめたてられてきていま
す。農薬や排水による汚染で、生物が住めなくなった池や水田もあります。
  あなたのまわりには、どんな池や湿地や水田がありますか。そこには今
も、カエルたちが産卵にきて、オタマジャクシが元気に泳いでいますか。
 小田英智、桜井淳史『カエル観察字典』(偕成社、1996年)より引用

  カエルは変温動物なので、まわりの温度が低くなると、カエルの体温が
下がり、動きがにぶくなります。気温が0度よりも低くなると、体の中の水
分がこおり、死んでしまいます。気温が8〜10度になると、後ろ足で土を
ほり、後ずさりするように土の中にもぐっていきます。
  関東地方では、冬眠を終え、土の中から出てくるのは4月半ばすぎで
す。   
アトリエ モレリ作・絵『かえるよ!カエル』(リブオ出版、
2001年)より引用



            
参考資料(3)


  嵐山光三郎さんは、「古池やかわず飛びこむ水の音」(芭蕉)につい
て、「蛙は何匹? 日米異なる見解」という題で次のように書いています。

  中学三年の国語の授業で先生に「この句の蛙は何匹ですか」と質問し、
「そんなことはどっちでもよい」と叱られた。その後、会う人ごとに質問す
ると、「そりゃあ一匹にきまってる」と言われた。十五年前、ニューヨーク
のコロンビア大学の俳句ソサエティーに行って同じ質問をすると「蛙は複数
ですよ。だからカワズと言うんでしょ」とのことであった。アメリカの俳句
人口は五百万人もいる。
  で、二年前のNHKの番組「ようこそ先輩」に出演したとき、生徒たち
に、この句の絵を描いてくるように宿題を出した。すると三分の一の生徒が
複数の蛙の絵を描いてきた。
  これは「古池や……」の芭蕉自筆画賛があれば、一気に解決することな
のだが、残念ながら残されていない。私はいろいろと調査するのに四十年か
かり、その過程で芭蕉にはまってしまった。
  「古池や……」を最初に英訳したのは小泉八雲ことラフカディオ・ハー
ンで、「Old  ponnd  frogs  jumping  in  sound  of  water 」という直
訳だ。つまり、外国人は最初からfrogs と複数で読んでいたことになる。
  その後、サイデンステッカーにより「An  old  quiet  pond…  A
frogjumps  into  the  pond,  splash !  Silence  again 」と蛙は単数
に訳され、この英訳はアメリカのハイスクールの教科書にのっている。サイ
デンステッカーによれば、「多くの日本人が一匹と言っているから理屈なし
に単数にした」ということであった。
  ところが、アメリカ人は小泉八雲によって英訳された「古池や……」の
蛙が複数であったか単数であったかは、さして記憶にない、というのであ
る。アメリカ人の感性によれば、「蛙はいっぱいいるから複数だ」という認
識である。日本人だって、芭蕉さんに聞いたわけでないので、ただ感性とし
て「一匹だ」ときめてしまっている。
  私の結論を言えば、「どちらでもよい」のであって、それが俳句のおも
しろさであるのだ。まあ、それほどこの句は世界中で知られている。
         東京新聞、2003・10・22・夕刊より引用



               
参考資料(4)


  嵐山光三郎さんは「多くの日本人は一匹と感じる」と書いていますが、
その少数意見が鴨下信一『日本語の呼吸』に書いてありました。なお、この
本には、音読のしかたのテクニックがたくさん書かれています。鴨下さんは
演出家です。ほかに「しずかさや岩にしみいる蝉の声」で鳴いている蝉はな
んの蝉か。「枯れ枝にからすとまれけり秋の暮れ」で鳴いているからすは一
羽か、たくさんか、などの薀蓄も披露されています。では、鴨下さんの蛙多
数説を下記に引用します。
 「この池はずっと静まりかえっていたのではありません。ふだんどおり、
蛙の鳴き声でやかましかったはずなのです。しかし本来その鳴き声にかき消
されて聞こえてこないはずの蛙の飛び込む小さな水音が聞こえた。気がつく
と蛙は皆鳴き止んで静寂が支配している。いつ鳴き止んだかはわからない
が、蛙の飛び込む実の音によって、はじめて周囲の空漠という虚の音が意識
された。
  こうした実と虚の関係が、やがて拡大されて全世界、全存在の実と虚の
関係を暗示するように思われ、この句の名声、その深みと高みをいっきょに
上げていったのではないかと思うのです。」    
 鴨下信一『日本語の呼吸』(筑摩書房)228ぺ〜229ぺより引用



            
最後におまけ


  最後に、笑話を二つ。

  一つめ    (主婦万引き。)
        「 古い手や!買わずに 飛びこむ 店の中 」

  二つめ
        「 古池や ポチャンと いうと 手帳出し 」



          トップページへ戻る