音読授業を創る  そのA面とB面と    07・7・25記



「ぼくがここに」の音読授業をデザインする

                

●詩「ぼくがここに」(まど・みちお)の掲載教科書……………学図4上



            ぼくが ここに
                   まど・みちお

         ぼくが ここに いるとき
         ほかの どんなものも
         ぼくに かさなって
         ここに いることは できない

         もしも ゾウが ここに いるならば
         そのゾウだけ

         マメが いるならば
         その一つぶの マメだけ
         しか ここに いることは できない

         ああ このちきゅうの うえでは
         こんなに だいじに
         まもられているのだ
         どんなものが どんなところに
         いるときにも

         その「いること」こそが
         なににも まして
         すばらしいこと として


        
       
作者(まど・みちお)について


  本名・石田道雄。1909年、山口県徳山町に生まれる。台北工業学校卒。
台北工業学校在学中に詩や短文を書き始め、友人と同人誌を作る。
  戦前台湾で総督府に勤めながら「コドモノクニ」「綴方倶楽部」などに
投稿。児童誌「コドモノクニ」に投稿した詩が北原白秋選で特選になり、童
謡を創りはじめる。北原白秋に詩、童謡を学ぶ。戦後帰国して、婦人画報社
に入社、子どもの雑誌「チャイルドブック」の編集に携わる。この頃より幼
児雑誌、ラジオなどで童謡を発表するようになる。
  「一年生になったら」「ぞうさん」「ふしぎなポケット」「やぎさんゆ
うびん」などの童謡の傑作がある。野間児童文芸賞、芸術選奨文部大臣賞、
路傍の石文学賞特別賞、日本児童文学者協会賞、巌谷小波文芸賞、国際アン
デルセン賞、朝日賞など受賞。
  ペンネームについて、あるところで次のように語っている。
「本名は石田道雄ですが、若いときにペンネームのつもりでつけたんです
ね。つけた途端にいやになりまして……(笑い)。ところが恩師の北原白秋
先生が「いい名前じゃないか」とおっしゃったので、それじゃ、このままで
いいだろうと、それからずっと使っているわけです。「まど」というのは、
家でも何でも、外に通じる窓がなかったらどうにもなりませんね。窓を通じ
て外の景色を見たりします。そんな感じでつけたんです。」と。


              
教材分析


  第一連の詩内容は、この詩全体の意味内容の大要を表現しているよう
に思われます。第一連には「ぼくがここにいるとき、ほかのどんなものも、
ぼくにかさなって、ここにいることはできない」と書いてあります。
  地球上のこの地点(位置)にぼくが立っているとします。ぼくが立って
いるこの地点(位置)に、他人が同時に立つことはできません。ぼくの肩の
上に他人が両足をのせて二重に立つことはサーカスなど特別な場合にはでき
ますが、それとて、ぼくが両足を接地して立っている大地の、その同一地点
(位置)に同時の二人が両足を接地して立つことはできません。
  つまり、ぼくは、というか、すべての人々は、一人一人が個人として尊
重され、尊厳を与えられている、かけがえのない存在であるということで
す。一人一人が社会的にその存在が認められ、個人として尊重され基本的人
権が保障されているということです。この詩はそういうことを主張している
詩だと思います。アイデンテティティの尊厳を主張している詩だと言えま
しょう。

  第一連では、「ぼく」のアイデンティティについて書いています。第二
連では、身体が大きいものの代表としてゾウのアイデンティティについて書
いています。第三連では、身体の小さいものの代表としてマメのアイデン
ティティについて書いています。第四連では、この地球上のどんなものにも
すべてアイデンティティが保障されているのだと書いています。第五連
では、「いるということ」つまり「存在するということ」は何にもましてす
ばらしいことである、個々人の(いや、人間と限らず、動物や植物すべて)
のアイデンティティは保障されるべきである、侵害されたり、抹殺されたり
してはいけない、世界人類みんなで守り育てていかなければからない、と書
いています。
 
  第二連の「そのゾウだけ」のあとにどんな言葉がはいるかを子ども達に
考えさせてみましょう。解答は一つとは限りません。例えばこんな文を入れ
ることもできましょう。「そのゾウだけしか いることはできない。ゾウに
かさなって ほかのものが ここに いることは できない」など。

  第三連の三行目「しか」は、なぜ二行目の後「マメだけしか」と書いて
ないのでしょうか。三行目のあたま「しか ここに いることは できな
い」と書いてあるのでしょうか。
  「マメが(ここに)いるならば、その一粒のマメだけしかその地点に接
地して位置することはできない、マメはいくら小さくても、その場所は、そ
のマメだけが位置できる、そのマメだけが独占し占有する場所なのであると
強調しているのです。たった一粒のマメであるが、その一粒のマメだけの独
占場所だと主張しているのです。そのことを特立して強調したいがために
「しか」を目立たせて第三行のあたまに記述しているのだと考えます。
本来は通常の語順では位置すべき場所でないところに「しか」を記載するこ
とで≪たった一粒のマメであるが、そのマメだけ「しか」存在することがで
きない。そういう指定席という特別の存在の場所である。≫と「しか」とい
う言葉を強調して行頭にもってきているのだと考えます。
  ですから音声表現するときは、「その一つぶの・ マメ・だけ // し
か // ここに・ いることは ・で・き・な・い // 」のように、ひと
つながりの意味内容であることを意識しつつも「しか」の前後でたっぷりと
間をあけ、「しか」を高く強めに目立たせて音声表現するようにします。

  第四連には、語順変形があります。意味内容から考えると「どんなもの
が どんなところに いるときにも」(四行目、五行目)とはじめにあっ
て、つづいて「ああ このちきゅうの うえでは こんなに だいじに ま
もられているのだ」(一行目、二行目、三行目)という順番になるのが通常
でしょう。語順変形をさせることで、自然の摂理としてのアイデンティティ
の場所は確保されているのだ、ということを強調している表現だ考えられま
す。
  物理的位置でのアイデンティティは確保されているが、人間社会という
魑魅魍魎の世界でのアイデンティティはどうでしょうか。
  人間社会でのアイデンティティは侵害され抹殺されている側面が多くあ
ります。そうしたことが毎日の新聞紙上に満ちあふれています。この詩は、
人類の英知と知恵を出し合って各人のアイデンティティを守り育てていかね
ばならない、と訴えています。この詩の裏ではこういうことを主張している
のだと考えます。

 憲法第13条    
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の
上で、最大の尊重を必要とする。

民法第709条 (不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した
者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

毎日の新聞を読んでいて気づくこと
  戦争による大量殺戮、大量の核兵器の製造、テロ、内戦内乱、難民移
動、国外脱出、卑近な日常生活の例では、子どもの親殺し、親の子殺し、子
捨て、虐待、陰湿ないじめ、子どもの自殺、格差社会と基本的人権の侵害な
ど数えあげたらきりがありません。


           
音声表現のしかた


  この詩の意味内容を、こうで、こうで、こうなんだと、論理的に理屈っ
ぽく誰かに伝える言いぶりにして音声表現してみましょう。急がず、ゆっく
りと、一つ一つの音をていねいに発音しましょう。詩内容を誰かに伝えてる
つもりで、かんでふくめるように、相手に丁寧に分かりやすく伝えてるよう
に、詩内容が、分かる分かると相手が容易に理解してもらえるように、そん
な気遣いをしながら音声表現していきましょう。
  「ならば」とか「しか」とか「だけ」とか「こそ」とか「のだ」とか
「にも」とか「として」とか、これらの言葉は強調して、目立たせて、ふん
ばるようなつもりで、高い声で強めて音声表現するとよいでしょう。
  次のような音声表現をしてみるのも一つの方法です。太字は、かんでふ
くめて、粒立てて、押さえて、目立たせて、高めの声で強調して音声表現す
るしるしです。


       ぼくが ・ここに /
              まど・みちお ///

    ぼくが ・ここに・ いるとき /
    ほかの ・どんなものも /
    ぼくに・ かさなって・
    ここに ・いることは ・で・き・な・い///

    もしも ・ゾウが ・ここに・ いるならば /
    その・ゾウ・だ・け///

    マメが ・いる・ならば/
    その・一つぶの ・マメ・だけ・
    しか ・ここに・ いることは・ で・き・な・い///

    ああ ・この・ちきゅうの・ うえ・では /
    こんなに ・だ・い・じ・に・
・   まもられて・い・る・の・だ //
    どんなものが ・どんなところに・
    いる・と・き・に・も ///

    その・「い・る・こ・と」・こそが /
    なににも ・まして /
    すばらしい・こと と・し・て ///



            
参考資料(1)

  
  まど・みちおさんの詩に、同じくアイデンテティティについて書いてい
る詩があります。一人一人の存在証明を強調している詩です。自分の居場所
で輝いて生きる喜びの大切さを主張している詩です。
  まず、一人ひとりのかけがえのない価値、アイデンテティティを確立す
ることが大切です。そして、一人ひとりがお互いにアイデンテティティの違
いを認め、その違いを尊重しあうこと。そのためには相手を知り、自分をき
ちんと相手に伝えていくことが重要となってきます。まさに、ひよこたちが
努力していることがここにあり、と言えましょう。


            ひよこ
                まど・みちお

       ひよこたちが なく
       めいめい じぶんのなまえを いって
       じぶんが ここに いることを
       おかあさんが わすれないように

       ピヨピヨピヨ ピヨはここよ
       キヨキヨキヨ キヨはここよ
       ミヨミヨミヨ ミヨはここよ
       チヨチヨチヨ チヨはここよ

       みんな なく
       みんな なく

       おかあさんの むこうの
       もっととおくへも きこえるように
       せかうじゅうに きこえるように

       せかうじゅうを みていらっしゃる
       かみさまに きこえるように


  なお、この詩は、拙著『表現よみ指導のアイデア集』(民衆社。2800
円)の付録CDに、わたしの学級児童の、この詩の読み声録音や、わたしが
児童に読み声指導をしている授業風景の録音が収録されています。


            
参考資料(2)


  斉藤孝『子どもに伝えたい〈三つの力〉』(日本放送出版協会刊)を読
んでいたら次のようなアイデンテティティに関する文章がありました。斉藤
孝(明治大学教授)さんは、アイデンテティティという概念が教育の基礎概
念として位置づけられるべきだということを主張しています。「アイデンテ
ティティが教育の基礎概念として位置づけられるべき」という考えは、とっ
ても重要なことだと思います。

ーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーー

  エリクソンによれば、アイデンティティの基本用件は二つある。一つ
は、自己の内的な一貫性の感覚であり、もう一つは、自分と他者がある本質
的な部分を共有しているという感覚である。どんなに時間がたっても自分は
やはり自分であるという、自己の存在の一貫性を感じることができれば、自
分の存在をかなりの程度実感できる。もし10年前の自分、あるいは一年前
の自分と現在の自分とのあいだに内的な一貫性を感じることができないとす
れば、アイデンティティは相当混乱する。人間は、細胞が絶えず入れ替わる
ように少しずつ変化している。しかし、個々の細胞が日々入れ替わっている
にもかかわらず、自分の身体が一貫性を保っているように、さまざまな状況
の中で変化しながらも、人間は基本的には内的一貫性を保っている。こうし
た内的一貫性が、教育では大筋として目標とされてよいあり方である。もち
ろん、ラディカルに自分のアイデンテティティを壊しつづけることによって
生きるという生き方を否定するつもりはないが、こうしたいわば芸術的な生
き方をノーマルな主流と位置づけるのは適当でない。
  アイデンティティは、心理的側面を持つと同時に社会的側面をも同時に
持つ。社会(他者)との関係においては自分の本質的な部分を共有している
という感覚が、アイデンティティにとっては重要である。外部との関係を
絶った精神的なひきこもり状態によっては、アイデンティティは形成されに
くい。「自分は自分だ」という同語反復的な内部循環的プロセスだけでは、
アイデンテティティは成熟していかない。
  『子どもに伝えたい〈三つの力〉』(日本放送出版協会刊)137ぺより

ーーーーーー引用終了ーーーーーーーーー

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