音読授業を創る そのA面とB面と 04・09・08記 「ちいちゃんのかげおくり」の音読授業をデザインする ●「ちいちゃんのかげおくり」(あまんきみこ)の掲載教科書…光村3下 音読したい場面を選んで 絵本「ちいちゃんのかげおくり」(上野紀子)は、1982年(昭5 7)年、あかね創作絵本の中の一冊として発行されました。翌年、青少年読 書感想文コンクールの課題図書に選定されています。 現在の子ども達はかげおくりの遊びをしているのでしょうか。わたしが この物語を授業した6年前の三年生学級児童に質問してみたことがありま す。約半数強がやった経験があると答えました。かげふみ遊びと比べてかげ おくり遊びはいまひとつ人気がないようでした。 わたしは、この物語を読むまでかげおくり遊びを知りませんでした。体 育の授業が終了した晴れた日に、やった経験のある児童から教わりながら学 級全員でかげおくり遊びをしました。太陽が雲にかくれると影法師ができま せん。太陽を背にして、自分達の影法師をじっと見詰めます。ちいちゃんの 家族のように「十」まで数えて待ちます。ぱっと空を見上げます。自分達の 影法師が青い空に白く写ります。冬季のことだったので影法師が長く、場所 によっては下半身が校舎に写りました。空に写った影法師をみつめている と、すうっと体が空に吸い込まれていくような感覚を覚えました。 この物語は光村版教科書で13ページあり、三年生にしては長い物語文 です。声量たっぷりに表情豊かにまともに最後まで音声表現しつづけると、 へとへとに疲れてしまいます。一本調子のずらずら読みでは疲れませんが、 情感豊かに読もうと思いを込め、抑揚・緩急変化・強弱変化・転調・間など に気をつかって読もうとすると、ほんとに神経を使います。最後部の文章に 近づくにつれて、しだいに疲れを感じ始めます。声量の勢いが弱くなり、呼 吸が乱れるようになり、あとが続かなくなってきます。 全文をていねいに音読指導するだけの時間的余裕はありません。全文を 情感豊かに音声表現でき、そのための個別指導の時間的ゆとりは到底ありま せん。子ども達にどの文章部分を音声表現して読みたいか、選択させます。 また教師が音読に適するかなめとなる文章部分を選択します。その文章部分 だけを重点的に音読表現する指導を、繰り返しの徹底指導をするようにしま す。 会話文のト書きに注目させる この物語には会話文が多いです。会話文には、地の文となるべきもの、 つまり、筋の論理関係を説明するために誰かの会話文の形で使われている性 質の会話文もあります。が、「ちいちゃんのかげおくり」にある会話文の多 くは、そうではありません。誰かに向けて対話している会話文が殆んどで す。ちいちゃんと家族、ちいちゃんと母親、ちいちゃんと隣人、ちいちゃん の幻覚の中の独り言など、ちいちゃんが相手に向けて語っている会話文が殆 んどです。 家族または二人の対話が長くつづいている会話文個所があります。この ような会話文個所は、場面が生き生きと伝わってきて臨場感があり、役割音 読で音声表現するのに適しています。 会話文には、会話文の前後に、その会話文が人物のこんな表情や音調や 動作で語られたという脚本のト書きみたいな地の文があることがあります。 この物語の冒頭部分からそれを抜粋してみましょう。【 】がト書き部 分です。 青い空を見上げながらお父さんが【つぶやきました。】(1) 「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」 「えっ、かげおくり。」 と、お兄ちゃんが【きき返しました。】(2) 「かげおくりって、なあに。」 と、ちいちゃんも【たずねました。】(3) 「十、数える間、かげぼうしをじっと見つめるのさ。十、と言ったら、空 を見上げる。すると、かげぼうしがそっくり空にうつって見える。」 と、お父さんが【せつ明しました。】(4) 「父さんや母さんの子どものときに、よく遊んだのもさ。」 「ね。今、みんなでやってみましょうよ。」 と、お母さんが【横から言いました。】(5) 「まばたきしちゃだめよ。」 と、お母さんが【注意しました。】(6) 「まばたきしないよ。」 ちいちゃとお兄ちゃんが、【やくそくしました。】(7) 「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」 と、お父さんが【数えだしました。】(8) 「ようっつ、いつつ、むっつ。」 と、お母さんの声も【重なりました。】(9) 「ななあつ、やあっつ、ここのうつ。」 と、ちいちゃんもお兄ちゃんも【いっしょに数えだしました。】(10) 「とお。」 「すごうい。」 と、お兄ちゃんが言いました。(11) 「すごうい。」 と、ちいちゃんも言いました。 「今日の記ねん写真だなあ。」(12) と、お父さんが言いました。 「大きな記ねん写真だこと。」(13) と、お母さんも言いました。 「つぶやくように」「たずねました」「きき返しました」「せつめいし ました」などは、つぶやくように、たずねるように、聞き返しているよう に、説明しているような音調で音声表現する必要があります。児童に、これ らト書きを取り出して注目させ、実際に指示どおりの音声表現を試みるよう に努力させます。「つぶやきました」では、小さい声で、ぼそりと、独り言 みたいに、他人に伝えようと思わないで、などつけたしのト書き言葉を発表 させ、補充させ挿入して理解させます。これら補充によって実際に音声表現 するときの思いがより明確になります。 ●ト書きがない場合は、ト書きを作らせる。 (5)のト書きには、お母さんが【どのように】言ったのか、が書いて ありません。(11)から(13)までは「言いました」だけで、「どのよう に」言ったかが書いてありません。どのように言ったか、音調や表情を児童 たちに考えさせます。発表されたト書きを板書します。「(みんなのほうを 見て、さそいかけて、みんなでやりたいという気持ちで、うながすように、 呼びかけて、)言いました」のように板書します。これを全員共通の目当て にして実際に会話文の音声表現をさせます。 ●役割音読で、声の重なりを入れる。 (8)の会話文の読み手は父一人です。(9)の会話文は、父と母、二人 いっしょです。(10)(11)の会話文は、父・母・ちいちゃん・お兄ちゃん の四人いっしょす。 運動場や屋上で実際に四人ならんでかげおくりをしながら、または教室 内で四人ならんだ場面設定をして、配役を決め、役割音読をします。地の文 を省略し、会話文だけを取り出して役割音読をします。会話文が連続する場 面で役割音読をすると臨場感あふれる迫力で音声表現することができます。 拙著のCD参照、後述。 ●ひとつながりの会話文が、地の文で切断されていることある。 (4)「と、お父さんがせつ明しました。」の前後の会話文は、実際は ひとつながりで発話されている会話文です。途中で切断して話された別個の 会話文ではありません。一つの会話文が長くなりすぎたり、話内容が別のこ とになったりする場合、途中に「と、○○が言いました。」というような地 の文が挿入されることが物語(小説)の執筆作法の一つの方法としてよく使 用されることがあります。 一つの会話文が長口舌になると理屈っぽくなり、読み手も長々した会話 文を読むのが嫌になります。途中で一度区切って地の文を入れると単純化さ れ、くどさがとれ、ぐっと分かりやすい表現になります。役割音読の場合、 「と、お父さんがせつ明しました。」はじゃまになり、くどくなります。省 略して読み進めてもよいでしょう。 最終場面のかげおくり 子ども達にどの場面を音声表現したいかと問いかけると、多い答えは冒 頭のかげおくりの場面と最終のかげおくりの場面です。ここでは最終のかげ おくりの場面の音声表現について書きます。 ちいちゃんは防空壕の中でねむり、空腹と脱水で身体が衰弱していま す。二日目の朝です。目が覚めると、「まぶしいな」と思い、暑いような寒 いような気がして、ひどくのどがかわいています。そこへ「かげおくりので きそうな空だなあ」というお父さんの声が空からふってきます。 ちいちゃんはたった一人でかげおくりをします。「ふらふらする足をふ みしめて立ち上がると、たった一つのかげぼうしをみつめながら、数えだし ました。」です。青い空に四つの影法師ができます。ちいちゃんは「お父 ちゃん、お母ちゃん」と空に呼びかけます。「そのとき、体がすうっとすき とおって、空にすいこまれていくのが分かりかした。」と書いてあります。 ここの文章から三年生児童にも、ちいちゃんは死んだんだということが理解 できます。ちいちゃんはお花畑の中をきらきら笑いながら家族(父・母・ 兄)と再会できました。ちいちゃんの死が美しく、悲しく描写されていま す。 「ちいちゃんは、ふらふらする足をふみしめて立ち上がると、たった一 つのかげぼうしを見つめながら、数えだしました。」と書いてあります。ち いちゃんは、ほんとにふらふらする足をふみしめて実際に立ち上がったので しょうか。わたしは、実際には立ち上がっていない、と思うのです。防空壕 の中で横になっており、意識は薄れ、幻覚(幻聴、幻視)の中にあって、幻 覚の中で立ち上がったのであり、実際は横になった臨死状態にあるのだと思 います。わたしは解釈はそうなのであり、実際に立ち上がってかげおくりし たと解釈する人(児童、教師)がいても、それはそれでうなずけます。そう 解釈する人が多いのでは、とも思います。 わたしがここで問題にしたいのは、解釈の違いが、最終場面で、ちい ちゃんの会話文を、どんな身体状態の中で、どんな声の強弱や大小や明暗 で、つまりどんな声の表情で音声表現するか、そこに微妙にかかわってくる からです。わたしの解釈では、死にゆく際の薄れた意識状態ですから、声の 表情は、か弱く、かすかに、細く、透明に、スローテンポで、遠くから聞こ えるような微弱な声で、でも明るく、そんな声になるのではないでしょう か。 いずれにせよ、冒頭のかげおくり場面と最終のかげおくり場面とでは全 く音声情の仕方が違うことを児童にはっきりと理解させることが重要です。 どう違うか、どんな声の表情(場面の感じ・雰囲気・気分)で音声表現すれ ばよいかを話し合わせます。その話し合い内容を目当てにして実際に音声表 現をさせましょう。 最終場面も、配役を決めた役割音読が可能だと思います。役割音読した ほうが場面の様子が臨場感をもって、身体の響かせて理解できます。ただ し、最終場面は冒頭場面のように児童の日常生活の地を出して、思い切り ドーンと遠慮なく感情をだして音声表現することはできません。ちいちゃん は家族に出会えて喜んでいますが、、場面全体は悲しく哀れな場面の状況 (雰囲気)です。 この相反する二つの場面の状況(雰囲気)をどう音声表現するかです。 読み手はこの場面全体の深い悲しみに沈んでいる気持ちにあるわけですか ら、それがこの場面全体を包む音調になります。ちいちゃんの喜びの小さな 声の音調がいっそう悲しく哀れな場面をもようさせる、この場面の音声表現 をするにはそれなりの技術が必要ですね。 とりたて場面の音読指導(1) 「ちいちゃんのかげおくり」は、光村版教科書で13ページあります。 三年生の教材としては長い文章にはいります。全文をていねいに音読指導し ていては時間が足りません。音声表現でここを指導したいという文章個所を 選択し、そこを取り立てて音読指導をするようにします。 わたしは二つの文章個所を選択してみました。ひとつめを、次に書きま す。 ●文章範囲 「ちいちゃんとお兄ちゃんは、かげおくりをして遊ぶようになりまし た。ばんざいをしたかげおくり。」から「広い空は、楽しい所ではなく、と てもこわい所にかわりました。」まで。 ●指導のねらいと方法 ここには二つの段落があります。前段落には、ちいちゃんとお兄ちゃん は楽しくかげおくりをして遊ぶようになったと書いてあります。音声表現の 仕方は、明るく高い声で、元気よく、楽しそうな雰囲気をこめて読むとよい でしょう。こんなかげおくり、こんなかげおくり、一つ一つを区切って、 はっきりと音声表現します。 後の段落には、この町にも焼夷弾や爆弾をつんだ敵機が飛んでくるよう になり、かげおくりができるような楽しい空ではなく、恐怖の空にかわった ことが書かれています。音声表現の仕方は、低く沈んだ声で、声に力がな く、暗く滅入るような失意と落胆の気持ちをこめて音声表現するとよいで しょう。 前と後、二つの段落を対比的にくっきりと区別して音声表現します。わ ざと二つの区別をはっきりさせて音声表現させるのもよいでしょう。やが て、このような対比的な音声表現の文章個所に出くわした時、ここで練習し た能力が自力で適用できる音読力になれば、と思います。 とりたて場面の音読指導(2) ●文章範囲 「夏の初めのある夜、空しゅうけいほうのサイレンで、ちいちゃんたち は目がさめました。」から「ちいちゃんは、ひとりぼっちになりました。ち いちゃんは、たくさんの人たちの中でねむりました。」まで。 ●指導のねらいと方法 夏の初めのある夜、空襲警報のサイレンが鳴り、ちいちゃん一家は避難 場所を探して逃げます。敵機の爆撃により町は火の海となります。逃げ回る 途中、お兄ちゃんが転び、足に怪我をします。お母さんはお兄ちゃんをおん ぶして走ります。火の海の中を逃げまどう途中でちいちゃんとお母さんは離 れ離れになってしまいます。 爆弾は無差別に落ちてきます。火はところかまわず、あちこちから燃え 上がり、火の勢いは強くなります。人々は火のない場所を求めて逃げ回りま す。ここの場面は空襲による大混乱の様子、人々の逃げ回る様子、ちいちゃ ん一家の行動の順序と様子を簡潔な文章で次から次へとつづけざまに追い込 んで描写されています。 ここの場面の音声表現の仕方は、前半と後半とでは違ってきます。 前半の文章個所は、「夏のはじめのある夜、空しゅうけいほうのサイレ ンで」から「お母ちゃん、お母ちゃん。」ちいちゃんはさけびました。」ま でです。前半はちちゃんがお母さんに手をひかれ、お兄ちゃんもいっしょに 逃げて、そして、はぐれ てしまう場面までです。 後半の文章個所は「そのとき、知らないおじさんが言いました。」から 「ちいちゃんは、ひとりぼっちになりました。ちいちゃんは、たくさんの人 たちの中でねむりました。」までです。知らないおじさんに抱いて走っても らったが、結局、ひとりぼっちになってしまうまでの場面です。 ●前半の音声表現の仕方 前半の音声表現の仕方は、短文で、危急な場面をたたみかけるように描 写されていますので、声に勢いをつけ、たたみかけて、追いこみ追いかける ように一家(ちいちゃん、お母さん、お兄ちゃん)の行動にスピードをもた せて音声表現します。 お母さんの会話文「さあいそいで。」「お兄ちゃん、はぐれちゃだめ よ。」「さあ、ちいちゃん、母さんとしっかり走るのよ。」町の人の声 「こっちに火が回るぞ。」「川のほうに逃げるんだ。」は、心が急いていら だっているように早口で、感情が高ぶり力んだ声高で、そして激励し伝える 気持ちをこめて、力強く、音声表現します。 地の文も早口にスピードをつけて音声表現します。例えば、「外に出る と、もう、赤い火が、あちこちに上がっていました。お母さんは、ちいちゃ んとお兄ちゃんを両手につないで、走りました。」の一文内部はスピードを つけて一気に読みます。ただし、一文と一文とのあいだの間(ま)はとった ほうがよいでしょう。間(ま)はとっても、一文内部にスピードをつけて一 気に読めば、文章全体の場面(人物の行動)の動きは急展開に音声表現され ます。 「お兄ちゃんが転びました。足から血が出ています。ひどいけがで す。」は、三文の一文内部を早口で読みます。一文と一文とのあいだの句点 個所はちょっとした間をあけて読みます。句点で間をとらず、三文をずらず らと一気読みするのもいいですが、句点でちょっとした間をあけたほうが意 味内容が明確に印象に残るように聞き手に聞こえる(伝わる)ようになりま す。 ●後半の音声表現の仕方 後半の音声表現の仕方は、知らないおじさんに橋の下に連れて行かれ ほっとしているわずかな時間のことですから、前半の「急ぐ・速い」とは対 照的に、後半は「緩く・遅い」で音声表現するようにします。 ちいちゃんはお母さんとはぐれてしまいましたが、知らないおじさんの 善意で助けられました。ちいちゃんは大勢の避難している人々の中の一人と なることができました。読み手は、ここでほっとします。よかった、よかっ た、心が落ち着きます。心が静まります。そうした場面の雰囲気を音声で表 現します。落ち着いた声で、ほっとした安堵の気持ちで、通常の声の高さ で、ゆっくりと、事実(おさまった結果)を報告するように淡々と音声表現 していきます。 感想意見だしで、話し合う ちいちゃんに同化して、ちいちゃんの気持ちになって読んでしまうと、 「ちいちゃんは、お父さん、お母さん、お兄ちゃんに会えてよかったね。天 国でしか会えなかったけど、またかげおくりができてよかったね。」とか 「ちいちゃんはどんなにずっと家族との再会を待ち望んでいたことでしょ う。最後に家族みんなと再会できてほんとによかったね。幸せになれた ね。」という読み方で終わってしまいがちです。これはこれですばらしい読 みとり方ですが、これだけでは不十分でしょう。戦争は家族を奪い、多くの 家族の命を奪ってしまったのです。この作品には、死によってしか再会でき なかった戦争の悲劇、平和を願う態度の育成という重要なテーマがありま す。 上述したような不十分な読み取りだけで終わってしまっている児童がい た場合には、本教材の最後のまとめ指導で児童たちに次のような文章に注目 させ、話し合わせたらどうでしょう。ほんとは、まとめでこんな指導をしな くてもよい授業をしてくるべきであったのですが。 「広い空は、楽しい所ではなく、とてもこわい所にかわりました。」の 「とてもこわい所」とは、どんな所に変わったことなのでしょうか。もう一 度復習して話し合わせたいと思います。 「朝になりました。町の様子は、すっかりかわっています。あちこち、 けむりがのこっています。どこがうちなのかーー。」の「すっかりかわっ た」の様子を、具体的な景色の変化として、幾つかの事実を挙げて語り合い たいと思います。文章や挿から想像できます。図書室から爆撃直後の焼け跡 写真の本を持参し見せたりもして語り合うと、ここの文章部分が具体的に鮮 明に理解できるでしょう。 「夏の初めのある朝、こうして、小さな女の子の命が消えました。」の 文章個所にも注目して語り合いたいと思います。ここで、はっきりとちい ちゃんが死んだと書かれています。ちいちゃんは天国でしか家族と会えな かったという悲劇を、その原因に注目させ、戦争による悲劇として再認識さ せたいと思います。死んでしか家族と会えなかったちいちゃんに感想意見だ しをして語り合わせたいと思います。手紙を書いたり、感想文を書いたりす るのもよいでしょう。 それから何十年、ちいちゃんが一人でかげおくりをした所は小さな公園 になっています。そこで、今日も子ども達がきらきら笑い声をあげて元気に 遊んでいます。ここの場所で死んでしまったちいちゃん、今きらきら笑って 遊んでいる子ども達、二つを対比して感想を出させ、戦争の非情さ、不合理 さ、愚かさ、平和の尊さについて語り合いたいと思います。 「ちいちゃんが一人でかげおくりした所は、小さな公園になっていま す。」と書いてあります。題名「ちいちゃんのかげおくり」は、「ちいちゃ んの、たった一人のかげおくり」であり、「この場所で、こんな悲しい出来 事があった公園での、たった一人の、ちいちゃんのかげおくり」というよう な暗示性・象徴性をもっていると、わたしには思われますが、どうでしょう か。そのことも語り合いたいと思います。 関連資料・録音 本ホームページの第18章第3節「表現よみにおけるいろいろな指導技術 例6・ちいちゃんおかげおくり・役割音読」録音を聴取してみよう。みなさ んの学級でもこの場面を役割音読してみよう。 参考資料(1) 下記は、東京大空襲(1945年)を体験した人々から、新聞記者による 聞き書きの文章です。凄惨かつ残酷な空襲直下の状況が語られています。 東京新聞・2009・12・13朝刊からの引用文です。本教材にかか わる空襲直下・直後の様子部分のみを補充資料として一部抜粋引用していま す。 広場に重なる遺体、まるで地獄 篠原京子さん(71) 七歳のとき、浅草(現台東区)千足町で東京大空襲に遭った。母親とお 手伝いさんと外へ逃げ、焼夷弾がマッチ棒を横にしたような形で、バラバラ と落ちてくるのが見えた。「大事なものを取ってくるから、先に行きなさい」 と引き返した母は、二度と会えなかった。 道端の防空壕の中で炎に耐えた翌朝、公園や広場に積まれた遺体を見た。 炭と化したマネキン人形のような人、赤茶色に膨れた半焦げの人、煙にまか れたのか眠っているような人。母親におぶさった赤ん坊の遺体は、青白いほ おに涙の跡が白く乾いていた。「まるで戦場、死臭と焦げた匂いが入り交じ り、地獄のようだった。 背中で息絶えた弟、内地は戦場だった 渡辺紘子さん(76) 1945年3月10日未明、約三百機の米軍の爆撃機が東京に飛来し、 おびただしい数の焼夷弾を投下した。十一歳だった渡辺さんは本所(現墨田 区)東駒形の自宅から燃えさかる炎の中を母たちと逃げた。家を守るために 残った父の遺体は見つからなかった。 7月7日、避難先の千葉市で再び空襲に遭った。「火事になっても海に 入れば大丈夫」と海岸に逃げた。渡辺さんは生後八カ月の弟茂雄ちゃんを背 負い、母が妹諒子ちゃんを(二歳)をおぶって走った。 急に辺りが明るくなり、バタバタと鋭い爆音が頭上をかすめた。米軍機 の機銃掃射だった。隠れる場所がない砂浜を大勢の人が逃げ回った。渡辺さ んの右手にぴりっと痛みが走り、血がだらだら流れた。背負っていた茂雄ち ゃんは、頭に直撃を受けて死んでいた。 「頭も顔も分からなく、ザクロのようになって。小さな体いっぱいの血 を私の背中に残して死んでいた。無我夢中ではんてんで包み、浜辺にあった 荷物の上に寝かせた」 家に戻ると、母が茂雄ちゃんを取り戻しに飛び出した。弟を抱えて帰っ てくると、妹が「ちゃあちゃん、ぽんぽんがいたいよ」と苦しい息の中から つぶやいた。最期の言葉だった。弾がおなかを貫通していた。「母は、こん なになってしまってと、いつまでも妹を抱いていた。」 渡辺さんに当たった弾は、手のひらをそぎ、指先の骨をえぐった。目に 触れる傷跡が戦禍の記憶を呼び覚ます。 腰に大穴、こころはまだ闘っている 内田道子さん(77) 終戦の年の五月二十五日夜、麹町区(現千代田区)九段で被災した。当 時十二歳。自宅の防空壕に入ろうとした瞬間、「ゴーッ」と音がして意識を 失った。 父の声で気がつくと、防空壕の入り口で倒れていた。父に背負われ、近 くの救護所に避難した。下着までカギ裂きになり、腰に今の五百円玉ぐらい の穴が開いていた。 病院に入院したが、薬はなくガーゼだけ。傷が化膿して高熱と痛みに襲 われ、麻酔なしでピンセットで膿を出した。「傷口は腐って、げんこつが入 るくらいの穴になり、ウジがわいていた。痛い、殺して、と叫んだ。 父が闇市で手に入れたペニシリンで化膿は止まったが、一年入院して寝 たきりの間に骨盤が曲がり、右脚が十センチも短くなった。脚を引きずって 歩くのをからかわれた。 空襲から十五年ほどは冬に膿が出た。出産は骨盤が開かず苦労した。長 男は小学生のとき、「お母さん、脚なおらないの」と泣いた。「戦争でこう なったんだよ。戦争は怖い」と話した。 東京大空襲 1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機約300機が、東京の 下町を標的に焼夷弾計1700トンを投下した。現在の江東、墨田、台東区 などで約10万人が死亡、100万人以上が家を失った。米軍の本土空襲は この日を境に、昼間に軍需工場などを狙う高高度精密爆撃から、東京、大阪、 名古屋などの大都市に夜間に焼夷弾を落とす無差別爆撃に移行。6月からは 中小都市空襲も始まり、原爆の被害を含め、民間人だけで計50万人以上が 空襲の犠牲になった。 参考資料(2) 作家は創作するとき、登場人物を登場させ、登場人物を行動させながら 作品を仕上げていきます。そのとき登場人物は作家の意図にかまわずに一人 歩きすると言われています。このことの実例を、「ちいちゃんのかげおく り」の作者・あまんきみこさんは次のように書いています。 わたしが、はじめて「かげおくり」を書こうとしたのは、『ちいちゃん のかげおくり』上梓より、十五、六年前のことでした。かげおくりをして空 に遊びに行った小さい女の子の話が、変色した原稿用紙に、未完成のまま、 まだ残っております。その時から、わたしの思いの中で、「かげおくり」が 浮いたり沈んだりしていました。それは全く、混沌の世界でした。 それから八年ばかり時を経て、また、わたしは「かげおくり」を書きだ しました。 それは、「かげおくり」で遊ぶ女の子、三代の話で、それぞれの時代を 背景において書こうと思いました。おばあさんが女の子の時の「かげおく り」、そのおばあさんの娘、お母さんが女の子の時の「かげおくり」、そし て、お母さんの娘ー現実の女の子の「かげおくり」−と、三代重ねるつもり でした。三つの人生が渦を巻き、再び、なにもかもが混沌にもどり、幾年か が過ぎました。 まず、わたしは、おばあさんが女の子の時、「なみちゃん」の楽しいか げおくりを書きました。つぎに、なみおばあちゃんの娘「ちいちゃん」のか げおくりを書きました。ちいちゃんの時代は、いくさの最中です。B29の 空襲で爆弾や焼夷弾が落とされ、街は焼けました。そうです。ちいちゃんの 青い空は、「かげおくり」どころか死が降ってきました。その中で、ちい ちゃんだけは生き残って、その「かげおくり」を娘「せんこちゃん」に語っ てもらわねばなりません。 ところが、書いていくと、ちいちゃんが死んでしまいました。作者のわ たしは、途方にくれて呟きました。 「ちいちゃん、生きてちょうだい。大人になって恋をして、お母さんに なってちょうだい」 そうして書き直しを繰り返しましたが、ちいちゃんは空から帰りません でした。 一年ばかりして、わたしはあきらめ、作品の中で生きることを拒否した ちいちゃんの鎮魂のため、ちいちゃんの母親「なみちゃんのかげおくり」 と、ちいちゃんの娘の「せんこちゃんのかげおくり」の話を、埋葬しまし た。 あまんきみこさんは、おなじ文章の続きで、次のようなことも書いてい ます。 一昨年のこと、『ちいちゃんのかげおくり』の感想文で、受賞した一年 生の松田友美ちゃんに、わたしは「おめでとう」の挨拶をしなければなりま せんでした。 「松田友美ちゃん、おめでとうございます。……わたしが子どもだった 頃、この国はいくさをしていました。そう、沢山のちいちゃんや、沢山のお 兄ちゃんがいまた。そして地球の上では、今でもいくさが絶えていません。 今でも、地球の上では、沢山のちいちゃんや沢山のお兄ちゃんがいるので す。……日本も、そしてほかの国も、すべて平和である時、このわたし達の 住んでいる地球星が、ほんとうに光る時だと、わたしは思います。……」 戦後が百八十度転回して、戦前にならないように、「戦後」という言葉 を、風化させてはいけないと思います。「百八十度の転回」という言葉を、 敗戦の日を境にて、繰り返し教えられた当時の生徒は、疑い深く、いつまで も、そのことに固執し続けています。 『子どもの本棚』 臨時増刊48号(1985年)より引用 トップページへ戻る |
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