音読授業を創る そのA面とB面と 07・4・2記 「みえないストロー」音読授業をデザインする ●「みえないストロー」(のろさかん)の掲載教科書………………大書3下 みえないストロー のろ さかん しゃぼんだまを ふきふき おもう なんてきれいな まるなんだろうと このまるは どこからくるんだろうと そういえば りんごも ぶどうも なしも わたしのすきなくだものは みんなまる わたしがシャボンだまを ふくらますように だれかが みえないストローで くだものを ふくらませているのではないかしら りんごのきのしたで ぶどうのきのしたで 作者について 野呂昶(のろ・さかん) 1936年、岐阜県大垣市生まれ。関西大学 法学部卒。大阪市立教護院、阿武山学園教護。 日本児童文学者協会、日本文芸家協会会員。「子どもと詩」文学会、 「すふいんくす」「亜空間」「ラルゴ」同人。 著書として『あおいさぎ』『赤ちゃんの絵本』『いろがみの詩』『てぶ くろのさんぽ』『ふたりしずか』『みずのことば』などがある。 音声表現のしかた(1) 語り手(わたし)がシャボンだまを吹いて(作って)遊んでいます。 「まあ、すてき!! なんてすてきな丸い玉なんでしょう。こんな素敵な しゃぼんだまの丸い形(球)はどこからくるんでしょう」と不思議に思って います。 語り手(わたし)は、果物が大好きだとも言っています。「大好きな果 物は殆んどが丸い形(球)をしている。りんごも、ぶどうも、なしも、みん な丸い形(球)をしている。果物の丸い形(球)はどこからくるのだろう。 どなたかが、これら果物の木の下で、見えないストローを吹いて、丸い形 (球)を作ってくれているのではないかしら。」このように語り手(わた し)は想像して、語っています。 「しゃぼんだま とんだ どこまで とんだ やねまで とんだ こわ れて きえた」という童謡がありますが、この詩「みえないストロー」は、 「しゃぼんだま とんだ」の童謡と比較して、何となく理屈っぽくて、説明 過剰なところが感じられます。あまりにくどすぎる説明調になっていると思 います。それだから、最後尾に「なしのきのしたで」というフレーズを付け 加えていない(書いていない)のでしょう。理屈っぽくて、解説過剰となる ので、こうした作詩上の工夫をしているのでしょう。 この詩のよさは、果物(りんご、ぶどう、なし)はみんな丸い形(球) をしている、これはシャボンだまの丸い形(球)と似ている、シャボンだま の形と果物の形を結びつけて、果物の丸い形はどなたかが見えないストロー でふくらましているのではないかと考えた発想の新鮮なおのしろさにあると 思います。 音声表現のしかた(2) 第一連の冒頭で、語り手(わたし)が「シャボン玉を吹き吹き思う」と 明言しています。自分の考え(意見)を堂々と自信たっぷりに断言していま す。自信たっぷりに断定している音調で音声表現します。 次の2行目と3行目は、「シャボン玉を吹き吹き、どんなことを思う か。二つある。」という気持ちで、2行目と3行目とを間をあけて区分けし つつ、これも自信たっぷりに断言的な音調で音声表現するとよいでしょう。 「なんてきれいな まるんなんだろう」(疑問・質問の問いかけ音調で) 「と」(軽く、目立たせない) 「このまるは どこからくるんだろう」(疑問・質問の問いかけ音調で) 「と」(軽く、目立たせない) (疑問・質問の問いかけ音調は、不思議に思って自分自身で自問している 音調でもあります。) 第二連は、文意のつながりに気をつけて音声表現します。 「そういえば」(軽い間) 「りんごも、ぶどうも、なしも、わたしにすきなものは」(三つの果物名は 区切りつつも、ここまでひとつながりに読む。ここでやや長い間をあけて、 次は何がくるかと期待を持たせる間をあけて) 「みーんな、マル」(と、自信たっぷりに断定する。「マル」は高く、強 く、目立たせて読む) 第三連は、この連内部の3行を意味内容のまとまりごとに各行のおしま いで軽い間をあけて音声表現します。 3行全体の伝達意図の気持ちのつながりでは「………をふくらますよう に / ………ストローで / ………ふくらませているのではないかしら / 」 という区切りと論理の展開になっています。この論理的な展開の起伏のメリ ハリをおさえて音声表現します。「かしら。」までひとつながりになってい ますので、これにも配慮して音声表現しなければなりません。「………かし ら。」を粒立てて、目立たせて音声表現するとよいでしょう。 第四連は、二つのフレーズが並記されています。 「りんごのきのしたで」 「ぶどうのきのしたで」 二つが対等に並んでいるように、二つを同等に、二つに区切って音声表 現します。 第三連と第四連との行間があいていますが、このあきをどう読むかで す。文意では、第三連の最後尾「ふくらませているのではないかしら。」を 受けて、第四連「りんごの木の下で」「ぶどうの木の下で」と繋がっていま す。第三連と第四連との行間のあきは、間を閉じるよりは開けたほうがよい ですが、文意のつながりでは連続している・つながる心づもりで読みすすめ るほうがよいでしょう。ここの行間の間は、そんなに長く、たっぷりとあけ る必要はないでしょう。 トップページへ戻る |
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