音読授業を創る そのA面とB面と 07・4・2記 「キリン」の音読授業をデザインする ●詩「キリン」(まど・みちお)の掲載教科書…………………光村3上 キリン まど・みちお キリンを ごらん 足が あるくよ 顔 くびが おしてゆく そらの なかの 顔 キリンを ごらん 足が あるくよ 作者(まど・みちお)について 本名・石田道雄。1909年、山口県徳山町に生まれる。台北工業学校卒。 台北工業学校在学中に詩や短文を書き始め、友人と同人誌を作る。 戦前台湾で総督府に勤めながら「コドモノクニ」「綴方倶楽部」などに 投稿。児童誌「コドモノクニ」に投稿した詩が北原白秋選で特選になり、童 謡を創りはじめる。北原白秋に詩、童謡を学ぶ。戦後帰国して、婦人画報社 に入社、子どもの雑誌「チャイルドブック」の編集に携わる。この頃より幼 児雑誌、ラジオなどで童謡を発表するようになる。 「一年生になったら」「ぞうさん」「ふしぎなポケット」「やぎさんゆ うびん」などの童謡がある。野間児童文芸賞、芸術選奨文部大臣賞、路傍の 石文学賞特別賞、日本児童文学者協会賞、巌谷小波文芸賞、国際アンデルセ ン賞、朝日賞など受賞。 ペンネームについて、あるところで次のように語っている。 「本名は石田道雄ですが、若いときにペンネームのつもりでつけたんです ね。つけた途端にいやになりまして……(笑い)。ところが恩師の北原白秋 先生が「いい名前じゃないか」とおっしゃったので、それじゃ、このままで いいだろうと、それからずっと使っているわけです。「まど」というのは、 家でも何でも、外に通じる窓がなかったらどうにもなりませんね。窓を通じ て外の景色を見たりします。そんな感じでつけたんです。」と。 教材分析 題名は「キリン」です。「キリン」とカタカナで書いてあります。ひら がなよりカタカナの方が堅い感じ、目立つ感じがします。ひらがなだけの詩 文の中に三文字だけカタカナがあると注目度がぐっと増します。キリンとい う動物名を目立たせたかったのでしょうか。また、学術論文や学術書籍では 動物名や植物名はカタカナで表記することになっています。 まず、「キリン」について子ども達が知っていることを話し合わせま す。動物園で実際にキリンを見た体験を発表させたりもします。図鑑や絵本 でキリンの写真・絵を見たことなども発表させます。こうしてキリンのイメ ージをふくらませます。 次に詩の本文を黙読させたり微音読させたりします。どんなことが書い てあるかを発表させます。分ったこと、感じたこと、様子でわかってきたこ と、分らないことなどを語り合います。こうした話し合いをした後、本文の 前方から詩文を順繰りにイメージする話し合いをしていきます。 この詩の語り手は動物園のキリンの檻の直前に位置しているようです。 1・2行目では、語り手(子ども)はキリンの足元の直前に位置していて、 キリンの足元を間近に見ているようです。キリンの足が静かにゆっくりと動 くのを見ていて、「足が あるくよ」と語っています。キリンを見ている語 り手(子ども)の視線はごく狭い範囲のようです。キリンの直前に位置して いるので、キリンの足だけが額縁(子どもの視線の範囲、「まど・みちお」 の窓・枠)の中に入っていて静かにゆっくりと動くきりんの足だけが視線に 入っているようです。それだけキリンの背丈が高いということを現出してい る表現です。 次に子どもの視線がしだいに上部に移動していきます。視線が足から顔 に移ると、子どもの視線の額縁・窓の中にキリンの顔だけが入ります。です から、第3行目は「顔」一字の詩文となっているのでしょう。 第4行目は「くびが おしてゆく」と語っています。語り手(子ども) の視線の範囲はキリンの首の部分だけに移りました。子どもの視線の額縁・ 窓の中はキリンの首だけとなっています。足はありません。頭もありませ ん。細長い首の一部分だけが額縁・窓の中に入っています。ですから、動い ているのか動いていないのか判然としないほど静かにゆっくりと、首の一部 分だけが移動して見えているわけです。つまり首の後ろ側から前方へ押され ているように前進している、動いている首の一部分だけが見える、となるわ けです。「くびが おしていく」という表現はこのことを言っているのでし ょう。 「そらの なかの 顔」とは、額縁には「そらの なかに 顔だけが ある」ということでしょう。「上空の中に見える・ある、キリンの顔だけが (きりんの首だけが、上空の中に見える・ある。)」そんな視線の範囲の中 の絵のことを表現しているのでしょう。 音声表現のしかた 第一行目は「キリンを ごらん」です。語り手が誰かに向かって「見て ごらん」と誘いかけています、要望しています。「見てよ、見て、見て。」 という気持ちで音声表現します。 第二行目は「足が あるくよ」です。これも語り手が誰かにむかって見 て見てと誘いかけ、告げ知らせている気持ちを込めて音声表現するとよいで しょう。 第三行目は、「顔」の一文字だけです。視線が顔の部分に注目してい て、「顔だ。顔が見える」という気持ちで、歯切れよく、明確に、短く、宣 言的に音声表現するとよいでしょう。 第四行目は、「くびが おしてゆく」です。ひとつながりに、しかも ゆっくりと、首がゆっくりと動いていく様子を頭に思い描きつつ、ぽつぽつ と、つまり「く・び・が・お・し・て・ゆ・く・」のように静かに音声表現 していくとよいでしょう。 第五・六行目は、「そらの なかの 顔」です。「そらの なかに 顔 が ある」というつもりで音声表現していきます。「空の中に・空中に・顔 がある」とはキリンが、いかにも背高のっぽであるか、子どもがキリンの足 元の位置にいて、そこから首をひん曲げて上部を見上げているかを想像しな がら音声表現します。最後部にある「カオ」は、歯切れよく、目立つように 強調して、ピシリと言い切って・断止して音声表現するとよいでしょう。 「キリンを ごらん。足が あるくよ」は、前と同じに誘いかけ、要望 の気持ちをこめつつ、誰かに告げ知らせている音調にして音声表現します。 「足だけが歩いているよ」と感動(驚き)の気持ちをこめて音声表現しま す。 「キリンを ごらん。足が あるくよ」は「キリンって、背高のっぽだ ね。足は地面だが、顔は空の中に見えるんだよ。足元を見ると足の部分だけ しか見えなくて、顔を見ると顔の部分だけが空の中に見えるんだよ。ほかは みえないんだよ。」というような驚きの気持ちを込めて音声表現すると、音 声の現れ方が違ってくるでしょう、ぐっとよくなるでしょう。前半の「お い、見て、見て。」という誘いかけ、要望とは感動の質が違った音声表現と なります。 補充教材 同じ「きりん」を題材にした武鹿悦子さんの詩があります。きりんの顔 だけがこちら側に寄ってくる描写がとても巧みな詩です。一読しただけで、 直ぐに理解できる分りやすい詩です。すなおに情景がイメージできる詩です。 武鹿さんの詩を先に与えてから、まどさんの詩を学習すると、まどさんの詩 が容易にイメージできるのではないでしょうか。二つを対比して、比べ読み で語り合うのもよいですね。 きりんは ゆらゆら 武鹿悦子 きりんは ゆらゆら よってくる うえから そっと よってくる かおだけ ぼくに よってくる からだは むこうに おいといて きりんは ゆらゆら よってくる なぜだか ぼくに よってくる やさしい め して よってくる こえも むこうに おいといて トップページへ戻る |
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