音読授業を創る そのA面とB面と     05・5・15記




「ことばあそびの詩」の音読授業をデザインする



             
本稿で扱っている詩
●「いるか」(谷川俊太郎)の掲載教科書…………光村2下、日書1下
●「ののはな」(谷川俊太郎)
 「かっぱ」(谷川俊太郎)
 「ことこ」(谷川俊太郎)
 「やんま」(谷川俊太郎)
 「うとてとこ」(谷川俊太郎)     以上の掲載教科書なし




          
ことばあそびの詩


  子どもの詩にもいろいろあります。わらう詩、かなしい詩、あそぶ詩、
絵のような詩、うたう詩、早口で読みたくなる詩、声に出して読みたくなる
詩、みんなで読みたくなる詩、難解な詩などいろいろです。
  谷川俊太郎『ことばあそびうた』(福音館書店)には、ことばあそびの
詩がおさめられています。この本にある詩は、子どもたちにたいへん喜ばれ
て読まれています。本稿では、この中から六つの詩を選んで音読の指導デザ
インについて書くことにします。

本稿詩の出典
 谷川俊太郎詩、瀬川康男絵『ことばあそびうた』(福音館書店)より

  谷川俊太郎『ことばあそびうた』の中から「ののはな、かっぱ、いる
か、ことこ、うとてとこ、やんま」の六つを選びました。
  これら言葉遊びの詩は言葉の新鮮な組み合わせよって新しい意味世界
が生まれ出た詩です。ことばで遊びたくなる詩、笑いたくなる詩、声に出
して読みたくなる詩などがあります。
  「ののはな」「かっぱ」「いるか」「ことこ」「やんま」「うとてと
こ」の教科書掲載は過去には幾つかありましたが、現在(05年)は「いる
か」だけのようです。自主教材として採用して、ことば遊びを子どもたち
と楽しんでみましょう。子どもたちはたいへん喜びます。

  ことばあそびの詩は、従来の日常言語の使い方を超えた結合をしていま
す。こうすることで新しい言語世界のおもしろさをを子どもたちに体験さ
せ、新しいことば世界につれていってくれます。
  とかく教師というものは主題は何か、場面の様子はどうだ、人物の気持
ちはどう変化しているか、そういう意味世界だけを求めたがりますが、こと
ばあそびの詩はそうした日常言語による意味世界(ありありとしたイメージ
作り、事件の流れや因果関係、主題指導)を超越した言葉世界のおもしろさ
があることを知らせてくれます。


                
日常言語からの脱出


  一般に詩の言葉は、実用的な日常言語の使用法からはみだした使われ方
をしています。日常の情報伝達の実用的用法からはみだす使い方をすること
によって、詩の言葉は既成の伝達コードの枠内にとどまっていたら得られな
い新しい別世界を開示することになります。ふだんの日常経験をこえる別世
界の言語経験を開示してくれます。現代詩は難解だといわれますが、その原
因の一つはここにあります。
  ことばあそびの詩も、同じです。既成の伝達コードでは結合しない言葉
を組み合わせることで、日常の惰性的な生活経験から抜け出させ、新しい言
語世界を開いてくれます。そして、ことばあそびの詩はそれを読み味わうこ
とで、言葉そのもののおもしろみ、言葉の楽しさに気づかせてくれ、言葉の
生き生きした新鮮な使い方に目を開かせてくれます。
  ことばあそびの詩は、日常の言語使用の伝達コードを超越させることで、
読者をことばそのものへ注目させます。これらことばの組み合わせのもてあ
そびが、詩のことばそのものへ注目させ、結果として非日常の意外な世界を
開示させ、読み手におもしろさと楽しさを与えることになります。


         
 言葉のずれを楽しむ


  ソシュールは言語の恣意性と差異性ということを主張しました。言語の
シニフィアンとシニフィエとは恒久の結合ではなく、一時的な恣意的な結合
でしかないということを主張しました。ことばあそびの詩はこの恣意性をい
かんなく発揮しており、本稿で扱っている詩は、同音異義語の差異性のずれ
のおもしろさ、この音声の差異性を巧みに利用した言語使用の詩だと言えま
しょう。
  ラカンはシニフィアンをシニフィエから切り離して、「象徴界」という
言葉が織りなす複雑なシステムがあることを主張しました。シニフィアンの
力によって「事物の殺害」がおこり、これは「死の欲動」に関連していると
いうことを主張しました。ことばあそびの詩は、ラカンのいうシニフィアン
による「想像界」の存在を一側面で明示していると言えましょう。
  「いるか」の詩では、「居るか」(存在)と、「イルカ」(動物)の意
味の重なりがあり、このずれによる二つの解釈が成立しており、言葉の組み
合わせのおもしろさと新しい世界の開示を表出しております。
  ことばあそびの詩は、小説の言葉のように対象世界に読者をひきつける
のではなく、サルトルのいう「モノとしてに言葉」そのもの、つまり言語の
通達性よりも物質性に、限りなくシニフィエを切り離したシニフィアンに読
者をひきつけさせて、言葉(シニフィアン)そのものの組み合わせが作り上
げる関係性へと読者の目を向けさせます。
  ラカン流に言えば、一つのシニフィアンは通常のシニフィエをはずれ、
そのシニフィエはそのままシニフィアンとして新しいシニフィエに向けられ
る、こうしたシニフィアンの連鎖があるのだと言えましょう。
  ことばあそびの詩は、対象世界の具体的で緻密な描写は無化しており、
シニフィアンそのものの組み合せの遊戯性のおもしろさに読者の目を向けさ
せています。言葉そのものの組み合わせの戯れが、コノテーションとしての
たぐいまれなるおもしろさ、おかしさを生み出しています。それが時として
詩の言葉の難解性として読者に受けとられることにもなります。現代詩の難
解性はふだんの日常コードを逸脱し組み換えることによって起こります。こ
うすることで自明なものとして疑うことのないもの、自動化された認識を脱
却して、見慣れぬもの、気づいてないものを見出させてくれます。思いがけ
ない対象を見出し、価値を創造してくれます。


         
言葉の重なりを楽しむ


  「やんま」の詩では、第一行に「やんまにがしたぐんまのとんま」とあ
り、逃がしてとんまがどうした?と思って次を読むと、「さんまをやいて、
あんまとたべた」とあります。この詩には「やんま」「ぐんま」「とんま」
「さんま」「あんま」という三音節単語が連鎖し、第二音節がすべて「ん」
となっています。これが心地よい三音節の拍を作り、ほかの単語が四音節の
拍を作り、三音と四音とが繰り返して、音読するとリズム調子よく、はずん
で、軽快に読めます。また、意味のない三音節と四音節の連鎖は、読み手に
ナンセンスとユーモアのおもしろさを感じさせてくれます。


         
音の響き合いを楽しむ


  教師はとかく主題はなんだ、どんな場面(情景)を叙しているか、人物
の気持ちはどうであるか、という発問で授業をすすめがちです。この発問
は、ことばあそびの詩の授業には適しません。
  詩はもともと詠われていました。万葉集、古今集などを読むと分かるよ
うに愛する者への心の叫び(訴え、伝え)でした。
  しだいに詠うことから物語ることに重点が移行するにつれ、音声から文
字(活字)重視へと移ってきました。とくに現代詩は身体性から離れ、文字
(活字)の羅列が肥大化した詩へと移行してきました。ことばあそびの詩
も、現代詩と同じに文字(活字)が肥大化した詩だと言えましょう。しか
し、ことばあそびの詩には現代詩に欠けている音声が、音声のリズムが、怒
涛のように息巻いています。現代詩とことばあそびの詩とは、ここに差異性
があります。
  ことばあそびの詩は、文字(活字)を黙読して読むよりは、声に出して
読んだほうが詩世界がダイナミックに立ち上がります。声にすることで、初
めて詩世界がいきいきとステレオ化して、おもしろく表現されます。言葉の
おもしろいつながりの新鮮さを体感し、声にすることのおもしろさ、遊ぶお
もしろさの楽しみ実感することになります。


        
ことばのリズムを楽しむ


  ことばあそびの詩は、ひらがな文字だけで書かれています。分かち書き
がされていませんので、意味内容が分かりにくいです。子どもたちはこの詩
を見ると「おや、なんだ、なにが書いてあるんだ?」という疑問や好奇心を
覚え、探究心がわいてくるでしょう。ひらがなだけの文字列を目で追い、そ
れを文節(語群)に分けて意味を探ろうとするでしょう。一字一字のひらが
なの文字列をあれこれと区分けし、単語(文節)のまとまり、文のまとまり
にしようと考えるでしょう。
  「ののはな」の詩でいえば、同じ種類のひらがな文字が並んでいるの
で、子どもたちはどう区分けすればよいかに迷うでしょう。区分けができ
て、それを声に出して読むと、同じに繰り返している文字が多いことに気づ
くでしょう。そして、音読する楽しさにも気づくでしょう。
  子どもたちは、心地よいリズム調子で読めることが楽しくなります。同
じ音が繰り返す心地よさ、響きのよさを味わい、楽しんで音読するようにな
るでしょう。初めはひらがな文字だけの羅列でよく分からなかった詩が、何
かしらの意味内容で区分けができ、声にして口の中で転がして音読しはじめ
て、とたんいダイナミックにことばの並びの何かしらおもしろい意味世界が
声に立ちあらわれることに気づくでしょう。


       
いろいろな声の出し方を楽しむ


  ひらがな文字だけで書かれています。同一のひらがな文字だけが並んで
いるところもあります。たとえば、「ののの……」とか「いるいるい
る……」などのようにです。初めは何の詩内容かが分かりません。何回か読
んでいくうちに少しずつ分かってきて、文節の区分けの音読ができてくるよ
うになります。
  一字一字のかな文字を読みつつ、文節に分け、文のまとまりにしていき
ます。意味内容のつながりを探っていくなかで突拍子もない単語が混じって
いることを発見します。新奇な単語の闖入によって、どんな意味内容かを改
めて考え、どんな表現内容かをあれこれ考え出すようになります。
  少しずつ言葉の新奇な組み合わせによるナンセンスな意味世界の開示し
てくるようになります。子どもたちは、それに驚きを覚え、おもしろさと楽
しさを見出すことでしょう。こうして自由で創造的な別世界にわが身をおい
て新しい言葉世界を楽しむようになります。
  何度か音読を繰り返していくうちに、詩のリズムと自分の呼吸が合って
くるようになります。ナンセンスとユーモアの詩世界ですから、楽しみなが
ら、自由にのびのびと、自然と体が開いてくるようになります。
  文節のまとまりごとに音読をしていくうちに、大胆にメリハリを変えて
音声表現する新奇さを発見することもあるでしょう。自由勝手な増幅行為
(メリハリづけ)で楽しむおもしろさを発見することもあるでしょう。種々
に読み声を変えてみると、全く別世界のナンセンス世界が立ちあらわれるこ
とに気づくこともあるでしょう。ことばあそびの詩の音声表現は、リーデン
グというよりパフォーマンスというべき性質のものといえます。
  種々に読み声を変えるとはいっても、へんに嫌味な、ちぐはぐな音声表
現では誰も喜びません、楽しめません。より多くの人におもしろく聞いても
らえる素直な読み方でなければなりません。
  ことばあそびの詩は、意味内容を音声に表現するというよりも、言葉の
新鮮な、新奇な組み合わせの音声の響きを楽しんで表現することにねらいが
あると言えます。

           
ののはな


  文字列を目にして気づくのは同じひらがな文字が並んでいることです。
意味内容はともかく、同音の連続から感じられることばの響きやリズムのお
もしろさがあります。
「な」が12個、「の」が7個、「は」が4個、ほかは1個です。子音を調
べると、「n」が20個、「h」が4個、ほかは1個です。母音を調べる
と、「a」が18個、「o」が7個、「i」が2個、「u」が11個、「e」が
0個です。子音は「n」、母音「a」に偏っていることが分かります。
「na.no」で全体の62%、「na.no.ha」で全体の76%を占めています。
  「ののはな」を漢字かなまじり文にすると、「花野の/野の花/花の名/
なあに。なずな/菜の花/名もない/野花」となります。リズムは「444
3、3443」の繰り返し構成になっています。
  「の」の音の連続した繰り返し、「はな」の繰り返し、こうした繰り返
しが声に出して読む人に心地よさを与え、春のうららかな花畑のイメージと
重なり、晴れ晴れとした、さわやかな、すがすがしい気持ちで読むことがで
きます。
  音声表現は楽しくやりましょう。
  同じ音が連続しています。前後の音が重ならないように歯切れよく、一
つ一つの音を切って発音しましょう。この詩の特徴である、こうした歯切れ
よい発音で楽しむようにしましょう。
  二人のかけあい読みも、おもしろいです。どこで区切って分担するかは
いろいろ考えられます。
(例1)
 A  はなののののはな、はなのななあに?
 B  なずななのはな、なもないのばな。
(例2)
 A  はなのの
 B  ののはな
 A  はなのな
 B  なあに?
 A  なずな
 B  なのはな
 A  なもない
 B  のばな

 (例1)は、応答文ですから、スタンダードな問い・答えの掛け合い読み
です。音声表現はこれだけではありません。ことばで遊ぶ、音声で遊ぶ、の
詩ですから、ほかにもいろいろ考えられます。全体を早口にしたり、一部分
をのばしたり、ゆっくりにしたり、いろいろと工夫して、同じ音の組み合わ
せを音声表現で楽しみましょう。


            
いるか


  この詩には、「いるか」「いる」「いない」の言葉が多く使われていま
す。「いるか」は、「イルカ」(動物)と「居るか?」(その場所に存在し
ているか?)の二つの意味を掛けた言葉です。
  「イルカ」のアクセントは「イ」が低く、「ルカ」が高くなります。
「居るか」は、疑問や問いかけの意味にすると通常はイントネーションが上
昇調になり、断定や落胆や詠嘆の意味になると下降調になります。
  第一行「いるかいるか」は、「イルカ、イルカ」という魚への呼びかけ
音調の繰り返しで読むことができますし、「イルカ、居るか?」の呼びかけ
と問いかけで読むことができますし、「居るか? 居るか?」と問いかけの
繰り返しで読むこともできます。「イルカ」「居るか?」のどちらを選択し
て読むかによって、詩世界が違ってきますし、種々の音声表現(イントネー
ション、上げ下げ)を楽しむことができます。
  この詩は、三音と四音とが単純に繰り返すリズムです。読む人に安心感
を与え、心地よく口の中で繰り返して転がし遊びとして楽しんで読むことが
できます。ここにこの詩を音読するおもしろさ、楽しさがあります。
  イルカは水中にもぐって姿が見えなくなり、時に顔(頭、体)を出して
泳ぎます。「イルカ」の呼びかけは、親しい音調、驚いた音調、かわいらし
い音調など、いろいろできます。すぐそばからの呼びかけ声、遠くからの呼
びかけ声もありましょう。「居るか?」の呼びかけも、ゆっくりと、早口
で、幼児の声で、やさしい声で、大きな声で、遠くから、近くからなど、い
ろいろできます。


            
やんま


  この詩は「やんま、ぐんま、とんま、あんま、まんま、たんま」など三
音節で、第二音節が撥音「ん」となっている単語があるのが目立ちます。こ
の詩全体は文節が三音節8個、四音節8個でできています。また、これら三
音節と四音節の繰り返しで構成されており、リズムの心地よさを形成してい
ます。
  「やんま」とは、銀やんまのトンボのことでしょう。トンボの王様と
いってよい銀やんまです。そんな銀やんまを逃がしてしまったので、「とん
ま」なんでしょうか。そこまで考えるのは、かんぐりすぎでしょうか。
  「とんま」の次へのつながりがおもしろい。「ぐんまのとんま」が「さ
んまを焼いて、あんまと(いっしょに)食べた」です。ナンセンスな意味内
容です。撥音「ん」がつづいておかしなリズムで読めて、声に出すとしぜん
と笑いがこみあげてきます。笑顔で、音声表現してみよう。
  「たんまもいわず」とは「ちょっと待っても言わず」という意味でしょ
うか。「あさま」とは地名でしょうか、朝の間(時間、空間、場所)のこと
でしょうか。そんな詮索はどうでもよいこと、まんまと逃げられたので、そ
の人は「とんま」なのでしょう。言葉のリズムと響きを、おもしろく、おか
しく、心から楽しんで、音声表現していけばいいのです。


            
かっぱ


  前の「さんま」の詩は、撥音「ん」を上手に使ったことばあそびの詩で
すが、ここの「かっぱ」の詩は、促音「っ」を上手に使ったことばあそびの
詩だと言えます。
  「かっぱ」「かっぱ、らった」「らっぱ」「とって」「ちって」「なっ
ぱ」「いっぱ」「かった」「かって」「きって」「くった」と、促音が19
個もあり、題名を入れると20個になります。意味の区切りの文節のまとま
りにはすべて促音が入っていて、促音のない文節はありません。
  小学校では、音楽の時間にカスタネットなどでリズム打ちの指導をしま
す。「かっぱ」の詩は、すべて「タッカ タッカ タッカ……」の付点つき
音符のリズム打ちの繰り返しになっています。手を打ったり、足踏みでリズ
ムをとったり、身体を揺らしたりして音声表現することができます。言葉の
リズムに合わせ、身体を前後または左右にゆらしつつ読ませてみましょう。
  「かっぱがラッパをかっぱらった」などと意味内容はナンセンスな物語
です。でも、ナンセンスさに価値があるのです。かっぱがラッパをかっぱら
う、なんていう言葉の組み合わせの新奇さと、事態のおかしさとが読み手に
新鮮な驚きの物語、おかしな場面の物語を提供し、おもしろおかしく読ませ
てくれさせます。
  第一連の最後「取って、散って、行った」とも「トッテチッテター」
(らっぱの音)ともとれます。第二連の「かった」は、ふつうは「買った」
でしょうが、「刈った」の意味にもとれます。
  タッカタッカのリズム調子で、だんだん早口読みにしていき、とちらな
いで音声表現したり、河童がこんな変な、おかしなこと(行為)をしたん
だってと他者におもしろおかしく、大げさに伝える音声表現をしたり、音読
する楽しさをあれこれと楽しく味わうようにしましょう。


           
うとてとこ


  第一連の第一行に「うとうとうと」と書いてあり、何だかうとうとして
眠くなってきますが、ここはそうではなさそうです。「う」は長良川の鵜飼
の「鵜」という鳥のことのようです。ところが第三行を読むと「うとうとう
とと、いねむりだ」とあり、何だかはぐらかされてしまいます。
  第一連「鵜と鵜と鵜と鵜、鵜が四羽、うとうとうとうと居眠りだ」
  第二連「手と手と手と手、手が四本、テトテトテトテト、ラッパ吹く」
  第三連「子と子と子と子、子が四人、コトコトコトコト、戸をたたく」
  この詩は、「鵜、手、子」という一音構成の実在物と、「テトテト…」
や「コトコト…」という擬声(態)語をつかっているところに特徴がありま
す。同じ音の繰り返しでも違う意味の使われ方を提示し、読み手に「オヤオ
ヤ」と受け取らせる装置を用意しており、読み終えると変わり身の見事さに
感心し、事態のおかしさにまた感心します。
  鵜は四羽だ、手は四本だ、子は四人だ、と一つ一つ数えているのですか
ら、たとえば「鵜」と「鵜」と「鵜」と「鵜」のように「鵜」に強勢を加
え、一羽ずつ「鵜」を指さして数えているように音声表現するのでしょう。
  擬態語「うとうとうとうと」は、意識朦朧で眠気を催すようにゆっくり
と弱弱しい声で音声表現します。擬声(音)語「テートーテートー……」の
ようのラッパの響く音、「コトッコトッ……」みたくに戸を叩く音にして音
声表現できます。必ずしもこうでなくとも、ほかもあるでしょう。
  ことばあそびでは、必ずしもリアルさや現実味がない音声表現でもかま
わないこと当然です。現実味がない方が、かえっておもしろい音声表現にな
る場合もあります。音声表現の仕方をいろいろ変えて、音声のことばあそび
を楽しんでみましょう。


            
ことこ


  題名「ことこ」は物音でなく、「子と子」であることが先を読むと分か
ります。事前に「子ども」の「子」という漢字を指導しておくとよいでしょ
う。「のこぎり」を簡単に「のこ」と言うこともある、と指導しておくこと
も必要でしょう。
  漢字かなまじり文にすると「この子、のこのこ、どこの子、この子。こ
の子の、その鋸、たけのこ、切れぬ」「その子、のそのそ、そこのけ、その
子。その子の、その斧、きのこも、切れぬ。」です。
  第一連の第一行「このこのこのこ」は「この、この、この子」とも区切
ることができます。第三連は「この、この、この鋸」とも区切ることができ
ます。第二連の第三行も「その、この、その、斧」と区切れないこともあり
ません。
  第一連は「こ」と「の」が多用されています。この二つの繰り返しのリ
ズム調子に音読するおもしろさがあります。とくに「この」が四回も繰り返
されています。「タタタ タタタタ タタタタ タタタ」という3拍と4拍
のリズムの繰り返しが心地よく、軽快な響きを作り、楽しく音声表現してい
くことができます。
  第二連も同じに3拍と4拍との繰り返しになっており、心地よく、楽し
く音声表現していくことができます。
  さまざまに音声表情のつけ方を工夫してみるのもおもしろいです。早口
ことばの練習みたいにすることもできます。あるいは、「この子」と指差し
て言い、「のこのこ」は「のうこのうこ」と大げさに表情をつけ、「どこの
子? この子?」と上昇調にして、「この子の、その鋸」と二つを順番に区
切って指差して言い、「たーけ、のこ、のこ、きーれーぬー」など、おもし
ろおかしく音声表現を工夫して楽しむこともできます。ナンセンスな意味内
容ですから、ナンセンスな音声表情にして、おもしろおかしい音声に出して
読むことを楽しみましょう。

  
        
わたしの実践記録の紹介


  わたしが三年生を担任したときに「いるか」「ののはな」の表現よみ指
導をしました。二つの詩の荒木学級児童の読み声録音を耳にすることができ
ます。本ホームページの第18章第2節の「音声表現で楽しむコトバ遊びの
詩」をクリックしてみましょう。荒木学級児童による「いるか」「ののはな」
の読み声録音が収録されています。
  


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