音読授業を創る そのA面とB面と    06・12・12記




「いちばんぼし」の音読授業をデザインする




●「いちばんぼし」(まど・みちお)の掲載教科書……教出3下、学図2下



             いちばんぼし
                   まど・みちお

           いちばんぼしが でた
           うちゅうの
           目のようだ

           ああ
           うちゅうが
           ぼくを みている



        
作者(まど・みちお)について


  本名・石田道雄。1909年、山口県徳山町に生まれる。台北工業学校卒。
台北工業学校在学中に詩や短文を書き始め、友人と同人誌を作る。
  戦前台湾で総督府に勤めながら「コドモノクニ」「綴方倶楽部」などに
投稿。児童誌「コドモノクニ」に投稿した詩が北原白秋選で特選になり、童
謡を創りはじめる。北原白秋に詩、童謡を学ぶ。戦後帰国して、婦人画報社
に入社、子どもの雑誌「チャイルドブック」の編集に携わる。この頃より幼
児雑誌、ラジオなどで童謡を発表するようになる。
  「ぞうさん」「ふしぎなポケット」「やぎさんゆうびん」などの童謡が
ある。野間児童文芸賞、芸術選奨文部大臣賞、路傍の石文学賞特別賞、日本
児童文学者協会賞、巌谷小波文芸賞、国際アンデルセン賞、産経児童出版文
化賞、路傍の石文学賞、国際アンデルセン賞、巌谷小波文芸賞、朝日賞など
を受賞。
  ペンネームについて、あるところで次のように語っている。
「本名は石田道雄ですが、若いときにペンネームのつもりでつけたんです
ね。つけた途端にいやになりまして……(笑い)。ところが恩師の北原白秋
先生が「いい名前じゃないか」とおっしゃったので、それじゃ、このままで
いいだろうと、それからずっと使っているわけです。「まど」というのは、
家でも何でも、外に通じる窓がなかったらどうにもなりませんね。窓を通じ
て外の景色を見たりします。そんな感じでつけたんです。」と。


             
教材分析


  難語句というほどではないかもしれませんが、「いちばんぼし」と「う
ちゅう」という単語(事物)について内容精査の授業前に語り合っておく必
要があるでしょう。これら単語(事物)は、この詩の中心概念ですから、こ
られ単語の意味(概念内容)についてまず語り合っておきます。不確かで、
あいまいな理解で内容精査の話し合いにはいっては、この詩を表象豊かに理
解させることはできないでしょう。
  「いちばんぼし」について知っていること、「うちゅう」について知っ
ていることを、子ども達から自由に発表させて語り合います。二つの単語の
概念くだきをしてから詩全体の具体的イメージをふくらませる話し合いへと
進んでいくようにしましょう。
  次に「大辞林」(三省堂)から辞書的意味を引用しておきます。ご参考
までに書いておきます。

【一番星】
  夕方、最初に見え始める星。宵の明星。

【宵の明星】
  日没後、西天に輝く金星。

【明けの明星】
  明け方、東の空に見える金星。夜明けの明星。

【宇宙】
 (1)(ア)すべての天体を含む空間の広がり。特に、地球の大気圏外。
    (イ)(物)物質とエネルギーが存在する空間。
 (2)存在する事物の全体。また、それを包む空間。天地万物。森羅万
    象。全世界。
 (3)(哲)一定の秩序をそなえた世界。コスモス。

  「うちゅうの目のようだ」は直喩表現で、わかりやすく書けば「一番星
は、まるで宇宙の目のようだ(みたいだ。ようにみえる)」となるでしょ
う。
  これを隠喩表現になおせば「一番星は宇宙の目だ」となるでしょう。
  こうした表現は、一番星を宇宙の目と認識する詩人(まど・みちお)の
感性の鋭さにただ感服するばかりです。

  なぜ宇宙の目のようだといっているのでしょう。これについて子ども達
に話し合わせてみましょう。目があれば顔もあるはずです。目は二つではな
いか、と言う児童もいるかもしれません。この詩では、地球以外に宇宙とい
う別世界が存在しているかのようにも解釈されます。宇宙の目とは、地球以
外の別世界の目のことであるようにも解釈されます。しかし、ほんとは宇宙
とは人間が住む地球も含んで存在しているわけで、この詩ではそのへんの理
解があいまいもことしており、この詩の理解を困難にしているところのよう
にも思われます。

  「うちゅうがぼくをみている」は、隠喩表現で、これを直喩表現にむり
に直すと「一番星はまるで(宇宙の目のようで)宇宙の目がぼくを見ている
ようだ(みたいだ)」となるでしょう。
  「うちゅうがぼくをみている」とは、語り手(ぼく)の目と一番星の目
とがピカピカッと出合ったのでしょう。激しいか、衝撃的か、どんなウィン
クだったかどうかは分りません。その瞬間に、語り手である「ぼく」は、
「あの一番星がぼくを見ている」と思った・判断したのでしょう。こうした
認識のしかたも、詩人(まど・みちお)の詩的感性の鋭さにあり、ただ感服
するばかりです。


           
音声表現のしかた


「いちばんぼしが でた」
  夕方、西の空に最初の星が出ている。よく光ってる。きれい」と、最初
に発見した喜び、感動、驚きの気持ちをこめて、声を高めて、強めて音声表
現します。

「うちゅうの目のようだ」
  「目みたいだ、そうだ、そうだ」という驚き、感動、感嘆、感極まった
気持ちをこめて強調して音声表現します。

「ああ」
  「あーー」と長く伸ばして音声表現すると「嘆き悲しむ」音声表現に
なってしまいます。これでは、いけません。
  ここは「あ、あ」とか「あっ、あっ」とかの「オー、そうだ、そうだ。
宇宙の目がぼくを見ているぞ。見つめているんだあ。」という気づき・驚き
の気持ちをこめて音声表現するとよいでしょう。「ああ」を、「あ、あ、」
とか「あっ、あっ」とか「発見、驚き」の気持ちで音声表現します。
  これ以外の音声表現のしかたもあるでしょう。挑戦させてみましょう。

「うちゅうが ぼくをみている」
  ここも「ぼく」が胸を驚かせている、驚き、発見、感動の気持ちをこめ
て音声表現するとよいでしょう。声はやや高め、テンポもやや速めのなるか
もと思います。「みている」は、しりあがりになる読み方も一つの読み方で
しょう。


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