音読授業を創る そのA面とB面と 05・12・15記 [ひよこ][たんぽぽ]の音読授業をデザインする ●詩「たんぽぽ」(川崎洋)の掲載教科書………………学図2上 ●詩「ひよこ」(まど みちお)の掲載教科書…………なし たんぽぽ かわさき ひろし たんぽぽが たくさん とんで いく ひとつ ひとつ みんな 名まえが あるんだ おーい たぽんぽ おーい ぽぽんた おーい ぽんたぽ おーい ぽたぽん 川に おちるな 名付けの意義(1) この詩で、語り手は、たんぽぽの飛散していく綿毛の一つ一つに名前を 付け、「川におちるな」と愛情たっぷりな言葉をかけています。おもしろい 名前を付けています。名付けることの意義について考えてみましょう。 ヘレン・ケラーは、言葉を知らない時期は野獣であった、Waterを初め として、しだいに言葉を覚えていくことで人間となっていった、とはよく言 われることです。 ソシュールは、言葉を覚える前の赤ちゃんは、不分明な世界に住んでい て、不定形な無限連続体、混沌としたとりとめのない星雲のような状態感の 中に存在している、と言っています。 人間はひとたび言葉を覚えだすことによって、対象世界をしだいに明確 に画定できるようになり、獲得した言葉を使って分析綜合(認識思考)がで きるようになりす。対象世界を人間化し、対象世界をわがものとして積極的 活用ができるようにもしていきます。 たとえば、わたしが草花を見ても、ただぼんやりといろんな草が生えて いるなあ、いろんな花が咲いているなあ、とだけしか見えません。しかし、 植物学者が草花を見ると、草花の一つ一つを名付けることができるでしょ う。そのことで対象世界(自然界)を科学的に分析綜合し、認識思考してい くことでしょう。科学的概念(言葉)を操作することで、それら草花の分 類、形態、発生、遺伝、進化の歴史、未知の解決すべき問題など、草花たち を深く観察し、認識思考し、人間生活に積極的に役立てていくことができる でしょう。 名付けの意義(2) 「たんぽぽ」の詩において、語り手は綿毛の一つ一つに名前を付けてい ます。そして、おーいと呼びかけ、珍妙な名前をつけて遊びつつ、珍妙なシ ニフィアンの音(おん)の連鎖を操作して楽しんでいます。語り手は、結 構、自己満足して、悦に入って読者に「おもしろいでしょう」と問いかけて いるようにも思われます。 また、「川におちるな」という愛情たっぷりな気づかいの言葉を投げか けています。綿毛の一つ一つに個性的な名前をつけ、愛情たっぷりな言葉を 投げかけています。綿毛たちは、喜びに満ちあふれた気持ちで遠くへ飛んで いってる姿も目に浮かびます。 名前を付けるということは、綿毛の一つ一つに人格性を付与することで す。綿毛の一つ一つは、名前を付けられることで、かけがえのない人格とし て人間化されて扱われることになります。名前はうすっぺらな番号や記号の ようなものではありません。名前を付けることは、一個人としての人格の尊 厳を与えたことになります。 名前をつけられ、人格を付与されたということは、アイデンティティー を持ったということです。綿毛の一つ一つは名前を持ったことで、自己同一 性という存在証明を与えられたことになります。綿毛の一つ一つは、名前を 付けられることで、かけがえのない人格として扱われることになります。 1989年に成立した「子どもの権利条約」の第8条には、「アイデン ティティーの保持の権利」という条項があります。世界の子ども達の中に は、アイデンティティーが保障されていない、かわいそうな子供たちがたく さんいます。世界中には、ひとりの人間として幸福に生きる権利が保障され ず、存在根拠が剥奪されている子ども達がたくさんおります。それ故に、 国連から世界中の国々に向けて、この「子どもの権利条約条約」の締結が発 せられたわけです。 日本においても、自分が輝いて生きる居場所がなくて、アイデンティ ティーが確立していない子ども、アイデンティティーの病的症状の子どもた ちがたくさんいます。ひきこもったり、むかついたり、手首をカットした り、自殺を願望したり、すぐキレて、家庭内暴力をふるったりする子供たち がたくさんいます。彼らは、そうした問題行動でしか自分のアイデンティ ティーを誇示することしかできない子供たちです。 ここ数年、成人式という厳粛な式典で騒ぎが起こり、新聞ニュースとな って、社会問題となっています。前田義子『前田義子の迷わない強運哲学』 (小学館)という本を読んでいたら、次のような文章を目にしました。 ーーーーーーーーー引用開始ーーーーーーーー 成人式で騒ぐかれらは「みんな見て!僕はここにいるんだよ」と言って いるように私には聞こえました。自分を認めてほしいから、さみしさの裏返 しで騒ぐのではないでしょうか。本当に嫌だったら、わざわざ式には来ない でしょう。目立ちたいという気持ちの裏側に認められたい、愛されたいとい う心の叫びが秘められているんです。だから、市長さんがあのとき「出てい け」という前に「そんなに騒がなくても、君たちがいることはわかっている よ。さみしいのだったらもっと前においで」と言ったら彼らはどうしたで しょうか。「なんだ、馬鹿野郎」って言いながらも恥かしくて出ていったか もしれない。「そんなことねえよ」ともっと騒ぐかもしれない。そのとき、 「君たちがそんなに騒がなきゃ自分たちを認識してもらえないと思う社会が すごく問題だよね。でも、それを変えるのは私じゃないんだよ。自分たちが 社会を作っているんだから、自分たちで変えてよ。私ひとりでみんなの社会 を改善なんかしていけない。20歳になったのだから協力してほしい。そこ で怒鳴っていたって何もよくならないし、何に不満があるか話を聞くから、 壇の上においでよ。」と、もし私が市長だったらそう言うと思います。「出 ていけ」だけでは問題の解決にならないし、双方に愛を感じられなかったの は私だけでしょうか。(44ぺより引用) ーーーーーーーーー引用終了ーーーーーーー もう一つの詩 自分の居場所を持っていること、そこで輝いて生きる喜び、充実感を持 って生きる喜び、アイデンティティーに充足感を持つこと、そうした満ち足 りた日常生活で生きることはとっても重要なことです。 自分の存在証明を求め、自分のアイデンティティーを強力に主張してい る児童向けの詩があります。まど・みちお「ひよこ」という詩です。 ひよこ達はそれぞれ一匹一匹が、自分の存在を誇示して「われは、ここ に居るなり。」と他者を押しのけるようにして自己存在を主張しています。 自己確立(アイデンティティー)に一生懸命です。 アイデンティティーの概念は、E・H・エリクソンが提唱したそうで す。「エリクソンによれば、アイデンティティーの基本要件は二つある。一 つは、自己の内的な一貫性の感覚であり、もう一つは、自分と他者がある本 質的な部分を共有しているという感覚である。」(斉藤孝『子どもに伝えた い三つの力』NHKブックス、137ぺより引用)。 斉藤孝先生は、「このアイデンティティーという概念は、教育の基礎概 念として位置づけられるべきである。」(135ぺ)と書いています。今後、 アイデンティティーと教育の関連とその位置づけ、その一層の掘り下げは、 緊急かつ重要な課題として究明されていかねばならない重要な教育問題で す。 下記の詩にあるひよこ達のようにアイデンティティーの確立に一生懸命 な子供達ならば、自分の居場所が見出せず、ひきこもったり、むかついた り、リストカットしたり、かっとなってすぐ暴力をふるったりする問題行動 はなくなるはずです。 ひよこ まど・みちお ひよこたちが なく めいめい じぶんのなまえを いって じぶんが ここに いることを おかあさんが わすれないように ピヨピヨピヨ ピヨはここよ キヨキヨキヨ キヨはここよ ミヨミヨミヨ ミヨはここよ チヨチヨチヨ チヨはここよ みんな なく みんな なく おかあさんの むこうの もっととおくへ きこえるように せかいじゅうに きこえるように せかいじゅうを みていらっしゃる かみさまに きこえるように ひよこたちは、生まれたばかり、母にすがって愛情を求め、母の後に ついて母の行動を真似て生きる知恵を学習していきます。やたら自己存在を 主張するだけでは社会生活をうまく生きてはいくことはできません。 「ひよこ」は「ひよこ」(未熟)でしかありません。この詩のひよこた ちは生得的なアイデンティテーの生存能力を基盤に、各自の場所で嬉々とし て充実した生活力、生きる知恵(力)を主体的に求め、獲得しようとかわい い声をあげて、一生懸命になっています。意欲的に生きる、社会生活してい ける力量を高めようと一生懸命です。 いま、ひよこたちは、自分の居場所を見出しており、その場所で嬉々と して充実した生活、満ちた生活の環境の中で更なるアイデンテティーを求 め、屈託ない呼び声をあげています。ひよこたちのこの屈託ない呼び声は、 母親や神様にきっと届き、ひよこたちを正しく導いていってくれることで しょう。 太鼓持あらい『間の極意』(角川新書)を読んでいたら、次のような文 章を目にしました。 ーーーーーーーー引用開始ーーーーーーーーーーーーーー 人間の「我」は、ときに見栄を張ったり,虚勢を張ったりという「はっ たり」のかたちであらわれます。 暴走族が大きな音をたてて派手に暴れまわるのは、そういうかたちでし か自分を主張できないからです。「俺がここにいるぞ。俺が、おれが」と自 分の存在を、派手な身なりをしてバイクで騒ぎまわらないと誇示できないか らです。(略) そんな見栄や虚勢で自分を取りつくろわなくてもやっていけるように なったら、ちっぽけな「我」なんか張る必要がなくなったら、そのとき人 は、他人にどう接するべきか、自分はどう振舞うべきかということがほんと うに見えてくるのではないかと思いますね。自分のことしか頭がまわらない ときは、どんなに相手に合わせてみたら、と言ったところでだめです。理解 できないんですから。心に響かないんですから。 他人に合わせることの意味が理解できたところで、やっと気配りとか、 気遣いというのはどうしたらいいかと、自分でかんがえられるようになるん ですね。(159ぺより引用) 「たんぽぽ」の音声表現 「たんぽぽ」の詩を一読して「おもしろい」と感じるのは、「たんぽ ぽ」の一文字ずつを並べ替えて作った「たぽんぽ」「ぽんたぽ」「ぽぽん た」「ぽたぽん」の組み合わせの名前でしょう。アナグラムのような無意味 な四文字の組み合わせの名前がかもしだす、珍妙かつ珍奇なおもしろさと、 そこから生まれる四文字の組み合わせが提示する新鮮な驚きでしょう。 子どもたちに「この詩のおもしろいところは、どこ?」と問いかけてみ ましょう。やはり、「たんぽぽ」の入れ替え名前の個所と答えるのではない でしょうか。 子どもたちに「たんぽぽ」の四文字を使って、四つのほかの名前づけ はないだろうかと問いかけます。画用紙を切断して作った、「た、ん、ぽ、 ぽ、」の四枚のカードをつくり、それを各児童に配布します。画用紙の順番 をいろいろと操作させて(並べ替えさせて)できた新しい名前を発表させる のもおもしろいでしょう。 光村版教科書には、挿絵に、飛んでいる、たくさんの綿毛の絵が描かれ ています。綿毛が16個、描かれています。 「これら挿絵の一つ一つの綿毛に名前をつけてみよう」と問いかけて、 鉛筆で一つ一つの綿毛のそばに自分の好きな名前を名づけて、書き入れさせ ると、子どもたちは喜んで作業するでしょう。 ほか、任意に選んだ三文字の無意味な組み合わせで三文字の名前を見出 して名付けたり、四文字の組み合わせで四文字(ほか、自由に)の名前など で名付けてみるのも、おもしろいかもしれません。無意味なひらがな文字の 組み合わせによってできる、言葉のたわむれや遊戯性の珍奇なおもしろさを 楽しませたらどうでしょう。 これら名前を、この詩の四つの名前個所に挿入して(入れ替えて、交換 して)「おーい、○○○」とか「おーい ○○○○」とか呼びかけて音読さ せるのもおもしろいでしょう。 かな文字の書字や五十音表を学習したばかりの一年生たちです。こうし た単音の操作の遊びで、偶然に生まれる珍奇な名前の出現に子供達は喜びや 驚きを見出すことでしょう。無意味な文字の組み合わせや配列が、新鮮な・ めずらしい言葉表現が現出することに気づいて、子どもたちは言語の持つお もしろさや、言語の詩的表現への目を開かせられていくことでしょう。(こ れら詩的なことば遊びや遊戯性についての詳細は、わたしのHP「学年別音 読授業をデザインする」の2年生「ことばあそびの詩」を参照のこと) 前半部分の音声表現 前半の四行は、たんぽぽの綿毛が、今たくさんとんでいってる、と驚き の気持ちでその光景を描写しています。驚きの気持ちをこめて、「たーくさ ん とーんでいく」とか「たくーさん とんーでいくー」とか、のような音 声表現をして読んでいくのも一つの方法です。このほかの音声表現のしかた もいろいろあるでしょう。こう読まなければならない、というようなものは ありません。各自、自由勝手にイメージのおもむくままに面白く楽しく音声 表現していけばよいのです。 「ひとーつ ひとーつ」とか「ひーとつ ひーとつ」とか「ひ・と・つ ・ひ・と・つ」とか、いろいろ考えられます。 「みーんな なまえがー あるんだー」とか「みんなー なまえがー あ・る・ん・だー」とか、音声表現のしかたは、いろいろ考えられます。 この詩の表現内容から考えるに、「みんな名まえがあるんだ」に強調を 加えるよりも、前の「ひとつ ひとつ」を強調して、「ひとつ ひとつ」の 強い語勢で後半の「おーい」という一つ一つのたんぽぽへの呼びかけの音声 表現の強調へとつなげていった方が、この詩のテーマが分かりやすく押し出 し出されて音声表現されるのではと思います。 後半部分の音声表現 後半の五行は、たんぽぽへの呼びかけ文です。たんぽぽと話している会 話文です。五行の会話文に「 」を書き入れさせると作文のかぎかっこの 勉強になります。 「おーい」につづく五個の会話文は、大きな声で、遠くの綿毛に届ける 語勢の呼びかけ口調で音声表現させましょう。 名前部の伸ばし方は「たーぽんぽー」「たぽんぽー」「たぽーんぽー」 など、さまざまなよびかけ音調があるでしょう。ほかの三つの名前の音調 も、いろいろな呼びかけ音調が考えられます。児童の読み音調はそれぞれが 十人十色でよいのです。肝要なことは、遠くへ呼びかけている音調であるこ とが重要です。 いずれにせよ、呼びかける楽しさを失わないで音声表現することです。 おもしろい、たのしい、という気持ちになって、珍妙な音(おん)の組み合 わせを舌で転がし楽しんで、大きな声で呼びかけさて読ませ、楽しませまし ょう。 この詩の語り手は、なぜ「川におちるな」と呼びかけたのでしょう。 子どもたちからは、さまざまな答えが返ってくることでしょう。それぞ れ、みな、正答とします。この詩は自由な想像世界で楽しく遊べばいいので す。この詩は、綿毛の一つ一つに名前を考え出して呼びかけるという、日常 性を超越した想像世界を開示しており、その想像世界のおもしろさを楽しめ ばいいのです。この詩世界で突出している「た・ん・ぽ・ぽ」の四文字の位 置を自由に入れ替えた名前に組み替えた音声で呼びかけて、児童一人ひとり が、それぞれの思いで、おもしろく、楽しく、音声表現していけばいいので す。 「ひよこ」の音声表現 詩「ひよこ」は、全体が5連で構成されています。各連ごとに音声表現 の仕方について書いていきましょう。 ●第一連 「め・い・め・い、 じぶんの・なまえを・いって」のように区切り、 一音一音をはぎれよく発音し、「ひよこ各自が、それぞれに、自分の名前を 言っている」という事実が聞き手に明確に伝わる思いをこめて音声表現して いきましょう。 「じぶんが、ここに、いる、ことを」も、同じように一音一音はぎれよ く発音し、このように区切りつつ、音声表現して、その事実を聞き手に明確 に伝わる思いをこめて音声表現していきます。 ひよこは、自分の存在を誰に伝えたかったのでしょうか。何と言っても それは「おかあさんに」です。「おかあさんが」「わすれないように」で す。「(おかーさん)が」「わすれない」を強めに、高く音声表現して強調 するとよいでしょう。こうして、聞き手に、詩の意味内容が明確に伝わるよ うに、この意味内容を伝える思いをこめて音声表現していくようにします。 ●第二連 ピヨとキヨとミヨとチヨ、四匹のひよこの名前が登場してきます。 四名の児童に役割分担読みをさせましょう。各児童に、思い思いに、自 由な音声表現の仕方で好きなように読ませてよいでしょう。 また、一児童が四匹分をひとりで全部、読む場合も当然にあります。四 匹それぞれの鳴き声や鳴き方、しゃべり方に変化をもたせ、区別させた読み 方にします。それぞれのひよこたちに個性(特徴)を与え、各自の音声表現 の仕方を変化させ、区別させ、いろいろと工夫した音声表現をさせましょ う。 「ここよ」はここに居るのよー」と、おかあさんに向かって告げ知らせ ている気持ちをこめて音声表現させましょう。 ●第三連 二つの「みんな なく」は、二つを同じ調子の読み方にしないようにし ましょう。二つを同じ調子で読むと、二つを繰り返して記述して強調してい る意味内容が音声に現われ出てこなくなるからです。二つを、変化させた読 み方にすると、音声による「みんななく」の意味内容の訴える力が強調され てきます。二つの読み調子を違えると、「みんな なく」の意味内容が強調 して音声表現されてくるからです。 「みんな なく。みーんな なく。」とか「み・ん・な・な・く、 みーんなー ナク。」(「ナク」は特立強調)とか、いろいろと変化させた 音声表現を工夫させるとよいでしょう。 ●第四連 この連には、ひよこたちが自分の存在を伝えている相手が「おかあさ ん」だけではないことが書いてあります。「おかあさんのいる場所から、 もっと遠くの」という思いをこめて「おかあさんの むこうの」を音声表現 していきます。この勢いを保持しつつ次の「もっととおくへも」「せかい じゅうに」につながる思いをこめてつなげていきます。 「もっととおくへも」「せかいじゅうに」の二つを、強く高く音声表現 して強調します。おかあさんだけでないよ、まだ他にもあるよ、遠くの、世 界中にだよ、という気持ち(思い)をこめて「もっととおくへも」「せかい じゅうに」を読んでいきます。この強調した読み声で、次の「きこえるよう に」につなげていくようにします。 ●第五連 第四連の最後の行「せかいじゅうにきこえるように」(間)、それを受 ける思いをこめて、それにつなげて、ここ第五連の冒頭「せかいじゅうを みていらっしゃる」を読み進めてすすめていきます。第四連の「せかい じゅうに」よりも、さらに強調した思いをこめて、第五連の冒頭「せかい じゅうを」を音声表現していくと変化がつき、さらに強調され、「世界中」 の意味内容が目立って声に現れ出るようになるでしょう。 第五連「せかいじゅうを」に負けないくらいの思いをこめて「かみさま に」をさらに強調して音声表現していきます。 いずれにせよ、この詩全体では、ピヨとキヨとミヨとチヨの登場・存 在、「おかあさんへ」「もっととおくへ」「かみさまへ」、これらが聞き手 にはっきりと伝わるように強調して音声表現していくことがたいせつです。 この詩の意味内容が、そうした音声表現を要求しているからです。 (なお、「ひよこ」の詩の実際の読み声は、拙著『表現よみ指導のアイデ ア集』(民衆社)付録のCDに収録されております。そこでは、わたしが一 児童に繰り返し音声表現させて、上述したことがらを指導している授業の様 子を耳にすることができます。) トップページへ戻る |
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