卒業生からの寄稿文 07・1・17記 表現よみを体験して(その2) 大久保忠宗(慶應義塾普通部教諭) 「大きなしらかば」の録音テープ、あらわる 驚いたことがあるものだ。この発表会の録音が、荒木先生のお宅から出て きたのである。先生も存在を忘れておられたものだという。春先、先生はわ ざわざこれをダビングして僕に送って下さった。貴重な後日談として、この ことも書いておこう。 30年ぶりに、小学生時代の自分の声を聴くというのは、何とも気恥ずか しいような、楽しみでもあるような、不思議な体験だ。記憶の中の思い出と 違っていることが怖くもある。だが早速聴いてみようと「決意」した。 レコーダーから聞えてきたのは紛れもない、30年前のあの授業だった。 まず荒木先生の声が懐かしかった。小田さんと斉さんも自分の記憶通りだ った。少しハスキーな小田さんの可愛らしい話し方、普段はおっとりとした 斉さんのちょっと甘ったれたような感じの話し方。 とても嬉しかった。しかし、僕自身が話すのを聴いた時に、少し意外な感 じがした。随分明朗快活な感じがする。こんなにはきはきとした物言いが出 来たのだろうか。それが第一印象だった。 続けて聞いてみると、当日の授業は記憶と大筋で違っておらず、安心し た。 そして忘れていた細部も明らかになった。先生は読み方の注意を、本当に一 つ一つきちんとしておられ、そして僕が書くのもなんだが、授業の進め方が とても手際よくて鮮やかであった。 やがて、自分が読んだ「たいへんだ」という所に来た。早口で捲し立てて いる印象。ただ、つっかかることもなく、本当に何とか読みおおせたという 感じである。その後の「おーい」は、自分で聞いても面白かった。それまで 静かだった会場に、それで起こった笑い声が、マイクにも拾われていた。 実はテープを聞いて気がついた大事なことがもう一つある。それは、声が 変り、語彙が増え、話の緩急物腰も変わるというのに、話し方や発音の基本 的な部分では、昔の話し方の癖が今も実によく残っていることである。 今の自分の話し方なら、講演の録音などを聴く機会もあって知っている。 その僕がこのテープを聞いて実感した。恐ろしいことだ、話し方の根幹が、 小学生のときの自分と変わっていない! そうであれば、小学校低学年頃までの間の発音や発声、話し方全般の指導 は、非常に重要だということになる。その人の、その後の話し方を大きく決 定付けるということになろう。母音の発音、助詞の発音、言葉の繋ぎ方な ど、荒木先生が特に意を用いて指導なさってきたことが大事だと、このテー プを聞いて、改めて認識したのであった。 「が、が、んが、が」の鼻濁音練習 そこで、読みの発音発声練習について書いてみたい。 発音指導としてまず思い出すのは、「が」の音の矯正だ。 先生は助詞の「が」を鼻濁音で読むように、と指導された。例えば「学校 が」という場合。「がっこう」の「が」と、後ろの助詞の「が」を、濁音・ 鼻濁音で読み分ける。この趣旨で、先生が繰り返し「が」の練習を課された ことをよく覚えている。「が」「んが」と繰り返し声に出してやってみた。 これが癖になり、気がつくと独りでつぶやいていることもり、それで「が」 の鼻濁音・濁音を使い分けるようになったらしい。 それを大学院生のとき、僕はそれを同級生から指摘されて知った。何もそ の後十数年間、そんな練習を繰り返していたわけではない。ところが彼は、 「いまどき珍しい、お前はいつも鼻濁音を区別して言っている」と言う。 そうか、そうなっていますか。果たして他人が聞いて分かるほどその使い 分けが出来ているなら、それは荒木先生の授業とその後の練習の成果以外の 何物でもない。三つ子の魂百まで、子どもの発音大人まで、なのだ。 もう一つ。文節の切れ目に当たる「が、」「で、」「に、」を引きずるの は、非常に耳障りに聞えるものだ。「学校がぁー」「それでぇー」「お母さ んにぃー」という口調。普段の授業で、先生はきちんと文節で区切って息を 継ぐことを教えながら、この部分をよく直しておられた。先生はそんな時、 「がぁ」「でぇ」と喉の奥から声を出すようにデフォルメした「悪い見本」 を、自ら示して下さった。 ほかにも、子ども独特の発音を矯正される場面は、きっとたくさんあった のだろう。が、何せ子どもだったから、あら方は記憶の彼方。ただ、今自分 で中学生を受け持っていると、教科書を読ませる場面で、子供っぽい発音や 読み方が兎角耳に障るのは、そのような矯正の賜物だろう。 子どもが言葉を覚え話せるようになるまでの過程については、いろいろな 研究があるけれど、引きずるような読み方や発音の不正確さ、息継ぎなどの 矯正は、小学校の先生にとって、一つの大きな、そして大事な課題と思う。 荒木先生は、表現読み指導の場でも、普段の授業でも、それらを重視してお られたのだった。 「つきよのからす」の感想文 荒木先生から受けた指導は、何も「表現よみ」ばかりではない。1、2年 生を通じて殆どの科目を教わった。円形ドッヂボールもした。掛け算の九九 も一の段から上がってゆき、昇順次いで降順と毎日繰り返しやった。しかし 以下、国語の授業で記憶に残ることだけを幾つか書いてみたい。 印象に残る教材に教科書(光村)「つきよのからす」がある。 これは月夜の奇麗な晩に、群れを成したからすが赤組白組二手に分かれて 帽子とりをする、という、まあ他愛もない話なのだが、これを読んで、自分 が「からす」になった積もりでその気持ちを書いてみましょう、という課題 が出た。それで書いてみた。 「こんなにまぶしくては寝てはいられないよ。」こんな調子で「積もり」 になれたので、無事書き上げられた。やはり他愛もない物で、僅か数行、し かし初めてちゃんと書けた「作文」だ。そして、多分、他の人のものと違っ て、ひどくのんびり屋のからすに見えたからだろうか、これが荒木先生の目 に留まったのだ。 文集に載せるので、ガリ版原紙に書き直すようにという。しかし、それを 書くとき、恐ろしく時間が掛かって、僕はついに半分泣きべそをかき、そし て先生はすっかりあきれてしまった(と思う)。結局これは「下田の子」と いう学校文集に載った。僕の文章が公になった最初の、記念の文章だ。 ただ、実は時間が掛かったのにはわけがあった。今明かせば、清書のとき 最後に一つ文を加えるようにと助言を頂いたのだが、実はそれが書けなかっ たのである。後々まで文集を開いては、結局加えたその一文を見るたびに思 い出されて喉に刺が刺さったような気持ちであったから、よく覚えている。 先生がつくって下さった文は、確か「もみじがよく光っているよ。」とい うので、これを加えてごらんとおっしゃった。ところがこれがあるとないと では文の印象が恐ろしく違ってしまうのだ。だから、書けば自分の文ではな くなるような感じがし、からすの僕がどこかへ行ってしまうような気がし て、怖くなり、悲しくなり、ついに岩のように動けなくなっていたのだ。 僕は恐ろしく自意識の敏感な生徒であったのかもしれない。 しかし、今考えてみてこんなことを思う。登場人物の気持ちに成りきり、 何を思っているか、彼の目に何が映り、どう感じられたかを考えることは、 国語教育一般の視点でもそうだが、特に「表現よみ」については、基礎とし て重要なことだと思われる。 先生はそれでこの課題をお示しになったのだろう。添削も完全に善意に出 たものである。だから、こんなことを書けば先生は驚かれるかもしれない。 意外に思われるかもしれない。しかし一方、大人の思い描く世界、見える世 界と子供のそれらには、自ずから大きな違いがあり、子供それぞれの個人差 もあるのである。だから、どこまで生徒自身の想像の範囲にあるか、どこま でのものを生徒が自発的に示しうるか、「指導」がどのような意味を持つか は、大人もよくよく考えなければならない。そしてそれは、実際には非常に 難しいことだと思うのだ。 この点は、小学生、中学生の作文指導にも言えることで、赤を入れて文を 良くするときに、大人がよかれと思って行う「指導」が、子供にどう受け止 められるかは分からないのである。 だがよき添削は人の作文力を高めるのは間違いない。まずこう信じるしか あるまい。かの漱石の「猫」だって、第一回は虚子がバッサリやって、それ で名文となり評判ともなったのだ。大胆にして細心、これが難しいが一つの ポイントではないか。そして自分の指導に謙虚であること、経験を重ねるこ と、これが指導する者を高める術ではないかと、教師になった僕はいま思う のである。 荒木からのコメント 大久保君が第二稿を寄稿してくれました。小学校1、2年生のときに受 けた授業のおぼろげな記憶をたどって、しかも詳細に書いてくれています。 ご寄稿、ありがとう。 読者の皆様のご参考になればと思い、二つばかりのコメントを、ここに 書き添えることにします。 ≪コメント・その1≫ 大久保君が鼻濁音の授業について書いてくれています。 「学校が」という場合、「学校」の「が」と、助詞の「が」とは発音が違 い、前者は濁音、後者は鼻濁音で発音するという指導についてです。大久保 君は小学校低学年のとき「が、んが、が」の発音練習を繰り返しやった、と 書いています。 読者の皆さんが今後、ご自分の学級児童に鼻濁音の発音指導をなさると きのご参考になればと思い、わたしが大久保君の学級を受け持っていたとき に指導した「鼻濁音の発音の指導方法」について詳述することにしました。 本稿のこの場所に掲載すると、かなりの長文になってしまいますので別 稿として、わたしのHPに独立した章「表現よみの授業入門」として特立し て掲載することにしました。 下記をクリックしてください。 http://www.ondoku.sakura.ne.jp/nyumon6.html へのリンク ≪コメント・その2≫ 「つきよのからす」の授業で、荒木は「からすになって、からすの気持 ちになって、くわしく書きなさい」という課題を出したらしい。現在のわた しは覚えていません。忘却の彼方にあります。 この指導方法は、当時はわたしが所属していた児童言語研究会で提唱し ていた方法で、わたしもよくやっていた「入り込み法」という読解の指導方 法です。今ではどなたの先生もよくやっていらっしゃる一般的な方法の一つ といってよいのではないでしょうか。 読み手児童が登場人物に同化し、人物になったつもりで、人物の目をと おし、耳をとおし、気持ちになって、教科書本文に書かれていないことまで を想像して、物語の場面や人物の気持ちをくわしく語る(話しかえる)とい う方法です。一人一人の児童が自力で、積極的に文章に反応し、表象豊かに 感情をこめて読みとったことを教科書の本文を離れて、自分の言葉で表現す るという「くわしい話しかえ」の学習作業です。 たとえば、次のようにです。 【ぼうしとりのようす】「からすたちが、あかるいつきよに、まっくろ になってぼうしとりをしています。おまつりみたいに、にぎやかです。みん な、たのしそうにぼうしとりをしています。めがまわるぐらい、からすたち がとんでいます。すごいスピードで、あっちへ、こっちへととんでいます。 からすたちはぼうしをしっかりとおさえて、おとさないようにしています。 カーカーなくこえがうるさいくらいです。」 【からすのきもち】「ああ、まぶしくてねむれないよ。こんやは、まん げつで、つきがひかっていて、きれいだな。ひるまみたいだ。ねてるにはも ったいないよ。みんなをおこして、あそぼうかな。」 さて、「からすのきもち」の詳しい話しかえの指導で荒木は大久保君 に、明るい月夜だから、「もみじがよくひかっているよ。」の言葉を付け加 えなさい、と指導したらしい。 大久保君の意識には全くなかった事柄なので、大久保君はたいへんに躊 躇し、悩まれたようだ。荒木は、ぼうしとりの場面の様子を詳細に想像さ せ、それを説明もしないで、短兵急に強引な指示の言葉だけで、大久保君に 言ってしまったようだ。いや、説明をしたのかもしれないが、大久保君には 納得までいかなかったのかもしれない。 わたしたち教師は、作文指導で赤ペンで添削指導をよくやります。 作文の添削指導では、なぜそう書き換えたらよいのかの理由を児童が納得 するように、ていねいに、押し付けでなく、児童の考えを引き出すようにし て時間をかけて指導する必要があるということを、大久保君の文章は教えて くれています。 作文の種類には生活作文、行事作文、読書感想文、随筆、議論文、生活 意見文などいろいろあります。そして教師は児童作文の添削指導をよくやり ます。 教師の赤ペンによる添削で指導する内容は、「こんなことがあるでしょ う。よく思い出して、そのことを書くともっとくわしい作文になるよ。」と か「ここを、もっと詳しく、よく思い出して書き加えてごらん」のような添 削指導、「ここに、こんな事柄の内容を書き加えたらどうかしら。これは削 除したらどうかしら。」とか「ここの文章表現を、こんなふうに書き換えた らどうかしら」のような添削指導、そして筆者である児童生徒の全体発想 (考え方・見かた)の転換まで要求する添削指導、児童生徒が書いた文章の 全体構想(文章構成)の変更を求める添削指導、こうした大掛かりな添削指 導まで、いろいろあるでしょう。 児童生徒の表現意図になかった事柄や、児童生徒のモチーフとして意識 してなかった事柄まで添削指導で要求することも出てくることもあります。 とくに論理的・説明的な文章表現になると、そういう添削指導がかなりの確 率で出てきます。そういう添削指導はいけないことなのかというと、そうは 言えないでしょう。 結局、あいまいな結論になってしまいますが、大久保君が漱石「猫」の 例などを出して語ってくれていますが、大久保君が総体としてまとめてくれ ているような結論に落ち着くのではないでしょうか。 トップページへ戻る |
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