音読授業を創る そのA面とB面と      08・07・16記




      
日本人は濁音が嫌い?




       
ズーズー弁には濁音が多い


  東北方言はズーズー弁と言われます。なぜ、ズーズー弁なのでしょう
か。東北方言では「ぢ」「づ」「じ」「ず」が「ズ」のように発音され、
この発音が特に目立つことからだと思われます。
  いくつかの例を挙げてみましょう。「火事」は「カズ」と発音され、
「ジ」が「ズ」となります。「知事」は「ツズ」と発音され、「ち」が
「ツ」へ、「じ」が「ズ」となります。「父」と「乳」と「土」は、三つ
とも「ツズ」と発音され、「ち」が「ツ」や「ズ」となります。「寿司」は
「スス」と発音され、「新聞紙」は「スンブンス」と発音され、「し」が
「ス」となります。
  これらの例から言えることは、「じ」から「ズ」へ、「し」から「ス」
へ、「ち」から「ツ」や「ズ」へと変わっていることです。わたしの独断的
感覚から言えば、「じ、し、ち」という明るい澄んだ感じの音から、「ズ、
す、つ」という暗い沈んだ感じの音へと変わっているところです。
  また、東北方言の特徴の一つに「かきくけこ」が「ガギグゲゴ」へ、
「たちつてと」が「ダヂヅデド」へと濁音に変わる、があります。「酒・さ
け」が「サゲ」、「息・いき」が「イギ」、「机・つくえ」が「ツグエ」、
「福島・ふくしま」が「フグスマ」、「岩手・いわて」が「イワデ」、「秋
田・あきた」が「アギダ」、「男・おとこ」が「オドゴ」、「女・おなこ」
が「オナゴ」と発音されます。カ行とタ行とで、日本語ではどれぐらいの使
用量を占めているのかは知りませんが、東北方言ではかなりの量を濁音で発
音していることになります。
  ためしに齋藤隆介「八郎」の冒頭部分だけ、わたしの古里(山形県新庄
市)のズーズー弁に直してみましょう。原文の文体をそのままにして直すこ
とにします。上段は原文、下段は新庄方言になっています。変化部分を分か
りやすくするために太字にしています。

かしな、あきたのくに、はろうって やまおとこが すんでい
がすな、あぎだのくに、はろうっで やまおどごが すんでい

っけもの。はちろうは、  やまおとこだっけから、せえが 
っけなー。はずろうはにゃあ、やまおどごだっげがら、せえが 

たあいして たかかたけもの。んだ、ちょうど あら、あのかな、
たーんと  たががだげなあ。んだ、ちょうど あら、あのかな、

あのぐらいも あったべ
あのぐれーも あったべにゃあ

  上の例からも、濁音への変化部分が多いということが分かります。「濁
音」は「濁った音」と書きますから、「清音」と比べて汚く感じます。
「ズーズー弁」は全体に濁った音が多くなっていますから汚く感じることに
なります。澄んだ音(清音)が多い話し言葉はきれいに感じますし、濁った
音(濁音)が多い話し言葉は汚く感じるのは当然です。数年前までは、ズー
ズー弁を使うと、教養がない、レベルが低い人間とみなされ、田舎者とバカ
にされ、人格まで下等な人間だと差別されました。
(ズーズー弁は濁音が多いから汚く感じる、ということの他に汚く感じる原
因は多々ありますが、ここではそれについては問いません。)



        
ズーズー弁は汚い言葉だ


  昔から東北方言は「汚い言葉」「下等な言葉」「教養のない言葉」「洗
練されてない言葉」「どんくさい言葉」「下品な言葉」「田舎者が使う言
葉」「卑しい言葉」「わるい言葉」だと思われてきました。パブリックな公
共の場では使ってはいけない言葉と思われてきました。
  方言のことで、わたしは思い出すことがあります。わたしは山形県生ま
れで、山形県育ちです。わたしが山形県の田舎から出てきて、初めて神奈川
県川崎市の日吉小学校へ新卒教師で勤務しました。そのとき、そこの教頭先
生であられた筒井喜代蔵先生から「東北弁は、汚ない言葉だ。教室の中で担
任教師が生徒の前で東北弁を使うと、子どもたちが東北弁を覚えしまう。子
どもたちが汚い東北弁を使用するようになる。教室では、東北弁を使って授
業をしないように。」というご指導を受けました。
  新卒で勤務したばかりの新米教師には、その場で、教頭先生に、直接に
「東北弁はけっして汚い言葉ではありません」と申し上げることはできませ
んでした。が、新旧職員と全職員参加の歓送迎会で、わたしの着任挨拶の中
で次のように申し上げたことがあります。
 方言は、日本古来からの各地方人たちの生活の知恵や魂が身体化・信号化
されている精神的血液としての言葉である。各地方人たちの人情や思いやり
や温もりや慈愛の心ががこもっている気品のある美しい言葉である。けっし
て「汚い言葉」ではありません。どうかこのことを分かってほしい。が、で
きるだけ教室では共通語で授業するようにする、と。
 わたしには、どうも日本人の濁音の多い方言を蔑視したり差別したりする
心には、濁色(黒色・褐色・黄色)人種を蔑視したり差別したりする心と同
じものを感じるのですが、わたし一人でしょうか。現在でも女性たちは色白
美白にあこがれていますよね。でも、オバマ氏が大統領になる時代です。日
本人の方言蔑視もかなり薄れてきているように思われます。東京人の大多数
が地方人になってきていますから。
 ごく最近(昭和年代の終わり)まで関東圏で東北方言を使用すると、人格
まで蔑視され差別される風土がありました。東北方言を使用すると、田舎っ
ぺ、野暮ったい人間であり、下品、粗野、低級、下卑、無知、貧困と結びつ
いた人間観、差別観がありました。テレビの普及で東北人も共通語を使うよ
うになり、東京人の大多数が地方人になった現在は、そうした差別観や人間
観はしだいになくなりつつあります。


        
    
学校における方言矯正・方言撲滅運動



  日本には、東北方言だけでなく、北は北海道方言から、南は沖縄方言ま
で多くの方言があります。明治政府になり日本全国を中央集権的権力で統一
政治を行っていくには各地に方言があってばらばらでは意思疎通がうまくい
きません。そこで明治政府は学校教育では「方言撲滅運動」をするように指
導しました。

  明治43年の小学校作法教授要項・言語応対には
  「
下品なる言語及方言・訛語ハ之ヲ避クベシ」と書いてあります。方言
は下品なる言語の一つという規定、方言を避けるべし、という方言観がはっ
きり書かれています。明治時代に、そうした指導観で、どれぐらい教室実践
されていたかについて、残念ながら知りません。

  昭和16年の小学校令施行規則(昭和16,3,14文部省令第4号)には
 
「話シ方ハ主トシテ読ミ方綴リ方等ニ於テ之ヲ指導シ尚各教科諸行事等ニ
現ルル事項ヲ話題トシテ練習セシメ実際的効果ヲ挙グルニ力ムベシ発音ヲ正
シ抑揚ニ留意シ進ミテハ文章ニ即シテ適宜語法ノ初歩ヲ授ケ醇正ナル国語ノ
使用ニ習熟セシムベシ他ノ教科及児童ノ日常生活ニ於テモ醇正ナル国語ヲ使
用セシムルコトニ留意スベシ」「我ガ国語ノ特質ヲ知ラシメ国語ヲ尊重愛護
スルノ念ニ培ヒ其ノ醇化ニ力ムルノ精神ヲ養フベシ」
と書いてあります。

  上は、昭和16年文部省令の中の「話シ方」の項目に書いてある文章で
すが、
「醇正ナル国語」「国語の醇化」という文字表現が繰り返し出現して
います。日本全国を国家権力で掌握していくには国語の純正を図っていく日
本語教育が求められていたのでした。社会生活を行っていくに必要な、全国
共通に意志・感情が通じ合える標準語を使用できる能力を育成していくこと
が求められていたのでした。それは、つまり方言を使わない教育、方言矯正
指導あるいは方言撲滅運動の教育へと進んでいくことになります。

  これは沖縄の学校の方言撲滅運動の例ですが、学校で児童が方言を使う
と首から方言札をぶら下げて廊下に立たされた、ということです。そし
て、他の子が方言を使ったのを発見すると、代わりにその子に方言札を渡
して、首から方言札をぶら下げるようにする、という学校規則があったとい
うことです。

  井上ひさし(作家、劇作家。昭和9年に山形県生まれ)さんは、山形県
川西村の国民学校で受けた自分の方言矯正指導を次のように書いています。
井上ひさし著『私家版 日本語文法』(新潮社、昭和56)より。井上ひさし
さんは、第二次大戦の敗戦直前の国民学校と呼ばれた戦争一辺倒の皇国民育
成のための小学校で学ぶ学童でした。当時を振り返って、書いています。

ーーーーー引用開始ーーーーーーー
 
 ズーズー弁圏内の国民学校であればいずこも事情は似たようなものだっ
たろうと思われるが、わたしたちの学校の朝礼はいわば方言矯正のために
あった。校長訓話に続いて体操があり、そのあとに教頭が登壇して「口の体
操」(とわたしたちの学校では呼びならわされていた)がたっぷり七分間は
行われるのが常だったからである。
  この「口の体操」は三部からなっていた。
  第一部は全校生徒口を揃えてアイウエオからワイウエオまでを五回繰り
返す発声練習、第二部は教頭が収集した早口言葉の斉唱、教頭が、たとえば
「河童と亀とがかけっこだ、河童は途中で脚気にかかり葛根湯を飲みまし
た、亀はかまわずかけつづけ、亀勝った、亀勝った」というような早口言葉
を数回唱え、それから「ハイ、四年一組、やってみなさい」と当てにくる。
四年一組は大声でそれを叫び、うまくいけば褒めれ、言い損ねたり誰か訛っ
ていたりすると叱られるわけだ。
  第三部は、その日一日、なにを心掛けてすごすかについてのおはなし。
「友だちを呼ぶときは〈きみ〉と言いましょう。口が曲がっても〈にしゃ〉
と言ってはいけません。今日一日で〈にしゃ〉と呼びかける悪い癖を直しま
しょう」などとさとされて教室に入る。

ーーーーー引用終了ーーーーー

  戦後になっても、方言矯正指導、方言撲滅運動は継続していきます。
  昭和30年代、高度成長期に入り、東北の若者達が東京へ集団就職で多
くがやってきました。若者達がズーズー弁で笑われないように、差別されな
いように、言葉で恥ずかしめを受けることがないようにと、東北地方の学校
教育では方言を使わない教育、学校内では方言使用を禁止する教育指導が行
われました。

  昭和26年版小学校学習指導要領の第三学年には
 「教科書や、いろいろな読み物の文を読んだり、ラジオを聞いたりするこ
とによって、自分の使っていることばの中に、幼児語・方言・なまり・野卑
な言葉などのあることに気づかせ、だんだんとよいことばや、共通語を使わ
せていくようにする。」と書いてあります。第六学年には「正しい語法に基
づいた共通語を話し、俗語や方言はできるだけ避けるようにする。」と書い
てあります。「方言はできるだけ避ける」指導をすると書いてあります。
「だんだんよいことばや、共通語」という表現には「方言はわるい言葉」と
いうニュアンスがあると考えてよいでしょう。これが昭和26年の学習指導要
領の中にあった言葉です。

  昭和43年版小学校学習指導要領の第三学年には
  「発音のなまりや癖を直すようにすること」とあります。「発音のなま
り」とは方言なまりのことでしょう。、第四学年には「共通語と方言とでは
違いがあることを理解し、また、必要な場合には共通語で話すこと」とあ
り、第五・六学年には「必要な場合には、共通語ではなすこと」と書いてあ
ります。
  第三学年にある「発音のなまり」とは「方言なまり」のことでしょうか
ら、三年生から方言直し・方言矯正を開始する時期としていることが分かり
ます。この開始時期は、一応の目安ということでしょう。四年生から六年生
までは「必要な場合は共通語で話す」が目標になっています。

  昭和55年版小学校学習指導要領の第4学年には
 [言語事項]
 ・なまりや癖のない正しい発音で話すこと
 ・共通語と方言とでは違いがあることを理解し、また、必要に応じて共通
  語で話すようにすること

  平成4年版小学校学習指導要領の第4学年には
 [言語事項]
 ・なまりや癖のない正しい発音で話すこと
 ・共通語と方言とでは違いがあることを理解し、必要に応じて共通語で話
  すようにすること

  平成14年版学習指導要領の[第3学年及び第4学年]の項を見ると、
これまでにあった「発音のなまりや癖を直す」とか「共通語と方言には違い
があることを理解し、必要に応じて共通語で話すようにする」という文言は
書かれていません。他学年の指導内容を見ても、「方言」や「共通語」に
関する文章内容は見当たりません。ということは、日本各地域の子ども達は
方言も使うが、共通語でも話せるようになってきている、だから、わざわざ
学習指導要領に書く必要がない、という判断があったのでしょうか。

  平成24年の新学習指導要領には、第五・六学年に「共通語と方言
の違いを理解し、また、必要に応じて共通語を話すこと」とだけ書いてあり
ます。方言については、たったのこれだけです。「発音のなまり。方言のな
まり」とかの文字は見当たりません。「訛りは国の手形」と言われ、「なまり」といえば「方言のなまり」を多くは指します。ということは、学習指導要領
では、地方の子ども達は方言と共通語とのバイリンガルの生活言語になって
おり、なまりのない共通語でも話せるし、なまりのある方言でも話せるし、
あえて指導要領に書く必要がないということからこうなったのででしょうか。

  テレビの普及により、現在では、東北地方だけでなく、日本全国の地方
の子ども達は方言を話すことが少なくなりつつあります。仲間うちでは方言
を使い、フォーマルな場所では共通語を使う、というバイリンガルの言語生
活をするようになってきています。日本全国の方言は、こうして衰退の一途
をたどりつつあります。
  現在は方言のよさが見直され、方言の讃歌を主張する人々が増えてきて
います。方言の復権を叫ぶエッセイ・論文・著書も目立つようになってきま
した。齋藤孝『声に出して読みたい方言』(草思社)などはその一つです。

  「方言は汚い言葉」という概念も、学習指導要領においては平成14年
版をさかいになくなってきました。方言も、共通語も、地方の子ども達は両
方が話せるようになろう、という考え方になりました。「方言はわるい言
葉」「共通語はよい言葉」という考え方はなくなってきています。各地域に
おいては方言も話せるし、公共な場所では共通語も話せる、そうしたバイリ
ンガルな言葉の使い方ができる子の育成という、ニュートラルな価値観の考
え方に学習指導要領も変わってきています。
  先に、齋藤隆介「八郎」の冒頭部分を、わたしの古里新庄方言に書き直
してみましたが、現在では新庄に住んでいる子ども達はもちろん、成人の人
でも、純粋に新庄方言を話す人は少なくなってきています。純粋の新庄方言
を知っている人がいなくなってきています。これは、テレビの影響が大きい
と思われます。現在、新庄に住んでいて、新庄弁で話している人も、自分が
話している言葉が、どこまで新庄方言か、共通語か、テレビ語か、独特の自
分語か、分かっていないで日常しゃべっているのではないでしょうか。ご
ちゃまぜになって使われている「ごちゃまぜ語」と言ったほうがよいのが現
状だと言えます。
  日本人の方言に対する考え方は、現在においては、「方言は汚い言葉
だ。下品な言葉だ」という「方言蔑視」の考えは皆無とはいえないが、希薄
になってきています。東京都内をはじめ関東近辺の居住者も地方出身者が
八、九割を占めるようになり、都内や関東近辺で方言を耳にすると「ほう、
あなたのお国はどちらですか」と質問を受けたり、方言をめずらしがって受
けとめたり、いとおしむ態度を示すようになったりもしてきています。
  方言は撲滅すべきものという考え方はなくなってきています。多くの日
本人は、現在では、話し相手の話すお国言葉を尊重し、愛おしむ態度を示す
ようになってきています。日本全国の各地方の方言をなくして、共通語で統
一するという考え方は、現在ではアナクロニズムの考え方となり、各地方の
お国言葉を尊重し、お国言葉の多様な言語使用を認め、お国言葉は新しい日
本語の洗練と創造をめざす基盤であるという考え方に変わってきています。



     
山田五十鈴さんの「濁音なしのせりふ」
 


  
これまで、ズーズー弁は濁音が多くて、汚く感じる言葉だ・下品に感じ
る言葉だ、という考え方の歴史的経過について書いてきました。
  このこと教育界だけでなく、映画界(昭和初年)にもあったようです。
昭和六年にサイレント映画からトーキー映画へと変わり、俳優さんたちのせ
りふ回しが大変だったようです。女優・山田五十鈴さんは当時を回想して、
美しい顔をした女優さんがズーズー弁をしゃべるというのでトーキー映画で
は出演できなくなった、失格となった。その理由は、濁音は汚く聞こえると
いうので、せりふから全部濁音を除くしまつになったからだ、と書いていま
す。学校教育だけでなく、映画界でも濁音蔑視、方言追放、方言撲滅があっ
たことが分かります。
  そのことを山田五十鈴さんはご自分の著書の中で書いています。山田五
十鈴さんは大正6年(1917)生まれの女優さんです。2000年には文化勲
章を受賞しています。
  下記は、山田五十鈴著『山田五十鈴』(日本図書センター、2000)
中にある「濁音なしのせりふ」という章からの引用です。 


           濁音なしのせりふ    


  昭和八年には、復帰された伊藤大輔さんの「月形半平太」「丹下左膳」
(第一篇)その他に出演しましたが、この年の最大の出来事は、なんといっ
ても、私の最初のトーキー「丹下左膳」への出演です。
  日活の競争相手だった松竹では、すでに着々と準備をすすめ、昭和六年
にすでに第一回トーキー「マダムと女房」を五所平之助さんの監督で発表
し、日本にもようやくトーキー時代がきたということを、みな感じておりま
した。だがその当時は、まだサイレント映画に未練をのこす人も多く、俳優
さんのなかにも「ああいうトーキーなどはながつづきしない」とおもってい
た人もいたようですが、そうおもっていた人は結局、演技者としてはだめに
なってゆきました。なにしろ、はじめての経験なので、それぞれの分野でい
ろいろ苦心したものですが、当時河合映画の琴糸路さんが、発音をきれいに
するためにフランス語をならいはじめて話題になったりしました。
  映画館では、トーキーになると説明者がいらなくなるというのでたいへ
んなさわぎになり、争議などもさかんにおこなわれましたが、撮影所では、
むしろ人手が足りなくなって困っていた、という皮肉な現象も過度期の出来
事でした。
  いちばんかなしかったのは俳優で、せりふがしゃべれないとすぐオミッ
トされて、お払いばこになるという人が多くでてきました。美しい顔をした
女優さんが意外にも仙台弁だったり、二枚目が「仕方ない」のことを「スカ
タネ」などといったりして没落したのも、そのころです。
  日活のトーキー・システムはウェスタン式といって、アメリカのウェス
タン・イレクトリック会社と、当時のお金で年額十万円で契約したというだ
けに、性能はなかなかよいものでした。第一回が青山三郎さん(戦後、占領
軍の映画関係者として来日、事故で死亡)の監督で鈴木伝明さんと夏川静江
さんの主演された「戯れに恋はすまじ」で、第二回が牛原虚彦さんの監督で
おなじく鈴木さん、夏川さんの主演になる「東京祭」でしたが、この二本
は、トーキーとしてはあまりかんばしくなかったようで、批評家から、「戯
れにトーキーはすまじ」などという悪口をたたかれたりしました。
  そして、第三回が伊藤さんの「丹下左膳」だったわけです。伊藤さん
は、サイレント映画のころから、もともと「話術の大家」といわれていたか
たなので、第一回の試作程度のトーキーでも音を巧妙に処理して、物語がス
ピーディーに展開され、この作品は封切館で三週続映という興行成績をあげ
ました。大河内さんの左膳、澤村国太郎さんの柳生源三郎、吉野朝子さんの
櫛巻お藤、私の萩乃、山本礼次郎さんの与吉という配役でした。
  撮影がたいへんだったことは想像以上で、たとえば濁音は再生するとき
きたなくきこえるというので、せりふから全部濁音を除くというしまつで
す。だから、あの「丹下左膳」はいっさいの濁音なしのせりふで、いわば国
籍不明の映画になったのかもしれません。私の萩乃という娘を呼ぶとき、相
手役が「はきさま、そうてこさいます」というようなわけなのです。私が、
いちばんはじめにいったせりふが「だれ」ということばなのですが、それが
濁音がとれないで、何回やっても「だれ」ときこえるからいけないといわ
れ、その「たれ」だけに一日かかったりしました。あのころのトーキーは、
せきばらい一つしてもいけないというので、テスト以外でもステージに入っ
ているときは見学の人はもちろん、スタッフ一同無音の行でしいんとかしこ
まり、いま考えるとまったくこっけいなものでした。
  「丹下左膳」が終わると、こんどはつづいて日活の第4回トーキー「金
色夜叉」に出演しました。青山三郎さんの監督で、鈴木伝明さんと私が主演
したのですが、このときはもうだうぶなれて、せりふをしゃべるのも楽に
なっておりました。
  考えてみると、私がトーキーになってから、発声ということにたいして
苦労しなかったのは、やはり小さいときからやっていた清元のおかげだと思
われます。サイレント映画のスターで、トーキーになってから没落した人は
ほとんど基礎的な発声訓練をやっていなかったからだとおもいますが、私は
清元のおかげで第一回、第二回のトーキーをまずやりとげることができたの
です。


   下記は、サイレント映画からトーキー映画へ移行した昭和六年の話では
ありません。時代が移り代わって平成21年9月23日の東京新聞の記事からで
す。平成21年8月30日に衆議院の総選挙が実施され、自民党から民主党へ政
権が移行しました。それから一カ月もたたない時点での話です。
  下記引用は、斎藤学(精神科医)さんが東京新聞・09年9月23日の「本
音のコラム」欄に寄稿していた文章からの引用です。斎藤学さんは、冒頭で
「鳩山内閣は官僚依存からの脱却を目指すそうだ。結構なことだと思う。」
と書き、コラムの後半で「官僚依存」の「依存」は、「いそん」か「いぞん」
かと問題を投げかけています。「そ・清音」か「ぞ・濁音」か、濁音が正し
いという問題提起の文章です。

  NHKでも民放でも、アナウンサーたちは官僚依存の「依存」のところ
を「いそん」と発音している。あれは誰が決めたのか。一九七八年にアルコ
ール依存症という言葉を提案したのは私だ。厚生省(現、厚労省)がこれを
正式な疾患名とするときの委員会で説明にあたったのも私。その当時も今も
私にとって依存は「いぞん」であって「いそん」ではない。学会を含め、私
の周囲の人々の中で「いそん」と発音する人はいない。それがいけないとい
う理屈が正当なら、今からでも直したい。あの発音に決めた理由は何だ。
        東京新聞・09年9月23日の「本音のコラム」欄から引用

 「ぞ・濁音」よりは「そ・清音」の方が、聞いた感じがどろくささがなく、
上品に聞こえるから、という昔からの理由からなのでしょうか。 



          
鼻濁音の行方は? 


  東北方言は、清音が濁音化している話し方になるのが多いので、聞いて
いて汚く感じるということを書いてきました。だから東北方言(ズーズー
弁)は「汚い言葉だ。下品な言葉だ。野卑な言葉だ。わるい言葉だ」と評価
されてきた経過があるということについても書いてきました。
  だが、東北地方は、澄んだ、きれいな、柔らかい感じのする通鼻音で発
音するガ行鼻濁音の使用地域でもあります。東北地方は、「ガ行鼻濁音」と
いうきれいで、すてきな発音地域でもあります。

  ところが、この澄んだ、きれいな、柔らかい感じのする通鼻音のガ行鼻
濁音で発音する人々が少なくなりつつあることが問題で、とても残念なこと
です。「ガ行鼻濁音」に代わって、ごつごつした、堅い、重い感じの破裂音
の濁音、つまり破裂音の「ガ行濁音」で発音する人々が増えている傾向があ
ります。この鼻濁音の濁音化傾向は東北地方ではそんなでもないように思わ
れますが、わたしの住んでいる横浜や関東近辺ではその傾向が強いようで
す。鼻から抜ける通鼻音である鼻濁音の澄んだ、きれいな音「がぎぐげこ」
が、破裂音である濁音のごつごつした、堅い、汚い、「がぎぐげご」で発音
する人々が増加する傾向にあるのです。

  本稿の論題は「日本人は濁音が嫌い?」と書いてあります。こう書いた
わけは「日本人はズーズー弁に多くある濁音を下品・野卑と評価づけて嫌っ
ている。が、近年の鼻濁音の濁音化傾向をみると、濁音で発音する人々が増
えているわけだから、どうも濁音が嫌いとも言えないみたいだな」という考
えから、疑問符つきの「日本人は濁音が嫌い?」と書いたのでした。本稿の
最後に、これについて書くことにします。
  ガ行鼻濁音とは、発音するときに息が鼻から抜ける「ガギグゲゴ」の音
です。鼻をつまんでも出る「ガ行音」、つまり鼻から息が抜けないで出る音
の「ガギグゲゴ」は破裂音の音です。通鼻音の鼻濁音は、鼻をつまむと出ま
せん。鼻から息が抜ける通鼻音の「がぎぐげご」は「鼻濁音」と言い、鼻か
ら息が抜けない破裂音の「がぎぐげご」は「濁音」と、本稿では呼んでいま
す。
  「まん」の「」、「おにり」の「」、「ういす」の「」、
「わた」の「」、「りん」の「」、これらの「がぎぐげご」は鼻か
ら息がぬける通鼻音である鼻濁音で発音します。
  「まん」の「」、「んこう」の「」、「んたい」の「」、
ひん」の「」、「はん」の「」、これらの「がぎぐげご」は鼻か
ら息が抜けない破裂音である濁音で発音します。
 鼻から息をぬいて発音する鼻濁音は、破裂音の濁音と比較して、聞いてい
て話しぶりが柔らかく、なめらかで、軽く、澄んでいて、きれいな発音の感
じがします。これに対して、破裂音で出す濁音は、聞いていてごつごつし
て、堅く、重く、がんがんしてきつく、聞き手に押し付けているみたいな感
じがします。

  これについての詳細は、下記をクリックしてみてください。
       http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/nyumon6.html


  最近は、澄んで、きれいな感じのする発音の鼻濁音が衰退している傾向
にあります。最近の若者達から鼻濁音の発音が消えている傾向があるので
す。この傾向は、日本全国の地域にみられる傾向です。最近の若者たちは
鼻から息をぬく鼻濁音で発音しなくなり、口中で破裂させて出す、ごつごつ
した、堅く、ぎすぎすした濁音「がぎぐげご」で発音するようになってきて
います。
  その原因の一つは、テレビから送られてくる若者達が話す、彼等の話し
言葉の影響が大きいと思われます。
  最近のテレビから流れてくる若者達のしゃべり言葉は、視聴者の受けを
ねらうために、これでもかこれでもかと視聴者にがんがんと押しつける話し
方、早口で、きつく押しつける、まくしたてるしゃべり方が多くみられま
す。意味内容を強調して強く押しつける話し方が多くみられます。落ち着い
た声で、しっとりと、ゆっくりと視聴者に語りかける、心にじんわりと、
ゆったりと入ってくる話し方はみられません。視聴者の受けをねらうには通
鼻音の「が」を、破裂音の「が」にして強く発音した方が、その方が視聴者
に訴えかけるインパクトが強いのは当然です。これでは当然に、澄んだ、き
れいな発音の、鼻濁音を使った、ゆっくりと、しっとりと語りかける話し方
にはなりません。

  例えば「ぞうは はなが ながい でしょ」という文内容を視聴者にイ
ンパクトを強くして語りかけるとします。聞き手に念押しして問いかけるよ
うに語りかけるとします。すると、この文は「ぞう はな ない で
しょ」の太字部分を強めて高めて発音するような物言いになるはずです(一
例で、このほかの強調の言い方もあり)。「はなが」の「が」は通常は鼻濁
音で発音する音です。「ながい」の「が」も通常は鼻濁音で発音する音で
す。これが太字部分のような物言いになると、二つの「が」が破裂音の濁音
に変化して発音されることになります。破裂音で発音した方が視聴者に強い
インパクトのある話し方になるからです。

  こうした鼻濁音の衰退は昭和30年代から言われだしたと記憶していま
す。テレビから流れる若者言葉がだんだんと早口になり、受けをねらい、笑
いをねらう強調した物言い、その影響が鼻濁音の消滅にいっそうの拍車をか
けているように思います。
  話しぶりが柔らかく、なめらかで、澄んだ、きれいな感じのする鼻濁音
の発音が日本語から消えていくことはとても残念なことです。美しく、澄ん
だ音の、すてきな鼻濁音の発音を日本語の発音として残していく、こうして
日本語の発音にいっそうの磨きをかけて洗練した日本語の発音を構築してい
きたいものです。このことは、発音にかかわる仕事をしている人々、日本
語を大切にしようとしている人々の誰でもが思っていることでしょう。アナ
ウンサーや、朗読者たちや、俳優さんたちや、国語学者たちの誰でもが思っ
ていることです。


  これについての現実はかなり悲観的です。鼻濁音の現状について、相沢
正夫(国立国語研究所員)さんは次のように書いています。国立国語研究所
発行『ことばの地域差─方言は今─』(国立国語研究所発行、平成15年)よ
り引用しています。
  

  ところで、全国を見渡すと、地域によってガ行鼻濁音の現れ方に違いが
あることが分かります。しばらく前までは、関東・中部・近畿の半分くらい
と、東北・北海道の大部分などが、鼻濁音の行われている地域として知られ
てきました。ところが、最近ではこれらの地域でも、若い人を中心にこの音
を使用しない傾向が目立つようになっています。全国的に見ると、ガ行鼻濁
音は明らかに衰退の道をたどっておるのです。
  東京語の場合も、その例外ではありません。東京語では、鼻濁音が伝統
的に正しい発音と意識されてきました。そして、その東京語を基盤とする全
国共通語も、鼻濁音を標準的な音とみなしてきたと言えます。実際、NHK
は「共通語の担い手」といわれるアナウンサーに鼻濁音で発音することを求
めてきています。
  しかし、現実には、そのアナウンサーといえども、鼻濁音を使えない人
が増えてきているようです。第20期の国語審議会報告(1995年11月)にあ
るように、ガ行鼻濁音は、「これを全国民に要求することは難しい」とする
のが、現時点での穏当な見方と言えるでしょう。




         
ちょっと横道へ


  本稿を閉じるにあたって、ちょっと横道へ、どうでもよいことなんです
が、書かなくてよい余計なことを書くことにします。

  東京新聞(2008・12・14)の「300文字小説」欄の投稿小説にあった次
の 小品を読んで、わたしは「東北方言」と「カラスの真っ黒な羽」とが重
なり合って考えてしまい、クスリと笑ってしまいました。

ーーーーーーー引用開始ーーーーーー

      もしも綺麗な羽だったら
                武藤喜明(東京都江戸川区・72歳)

カラスの子供が言いました。
「なんで俺たちはこんなに真っ黒な羽なんだ? もっと綺麗な羽していた
 ら、 これほど人間に嫌われずに済んだのに……」
「そうだよ。もっと美しい羽持っていたら、エサだって人間たちがくれる
 かもしれないのに、この羽のためにごみ漁りをしているんだ!」
そう言って自分たちの地味な羽を恨んでいます。すると、年老いたカラス
が言いました。
「お前たちな。その黒い地味な羽を恨むことはないぞ。むしろ感謝しなさ
 い。」
「どうしてさ」
「もしも、わしらが美しい羽を持っていたら、今頃は人間に捕り尽されて
絶滅種になっていたからな。そうであろう……」

ーーーーーーー引用終了ーーーーーーー

  現在では、正面から東北方言を貶す人はいなくなりました。どちらか
というと素朴な人情味のある温かい言葉だと、一般的には好意的に受け取
られるようになってきています。今では蔑視する人はいなくなっている、
表面上はそうなっていると言えましょう。東京居住民の大多数が地方出身
者で構成される現状になっていることも原因のひとつでしょう。現在で
は、東京やその近辺で方言を耳にすると、「おや、おめずらしいこと!」と
むしろ称揚されるほどになっています。
  現在では「東北方言」だけでなく「日本の総ての地域の方言」は「い
わゆる共通語と称される東京方言」に捕り尽されて絶滅種になっていく傾
向にあると言えましょう。日本語の単一化現象をどう考えたらよいのでし
ょうか。豊かな日本語の構築には悲しむべきことだと多くの識者に指摘し
ています。「共通語の中に方言を取り込んで日本語を豊饒にしてくべきだ」
と主張しています。
  現在、日本語には外来語がどんどん滲入しており、遠い将来には「日
本語」は「英語」(外来語)に捕り尽くされて絶滅種になっていく傾向に
あるように考えらなくもありません。それほど日本語に外来語の増加傾向
が甚だしい現象がみられます。しかし日本語の絶滅など、絶対にありえな
いと主張する人々が殆んどです。わたしも日本語への外来語の増加傾向は
止まらないでしょうが、日本語の絶滅などは絶対にあり得ないことだと思
います。現在、日本人の大部分は外来語を使用することがかっこいいこと
だという雰囲気がありますが、これはたいへんに残念なことです。日本人
は古代の万葉以前から創り上げてきた優れた日本語をこれから将来にわた
って一層、豊かさを洗練させて育てていく責務があります。
  参考文献、水村美苗『日本語が亡びるとき』(筑摩書房、2008)本書
の副題は「英語の世紀の中で」。「現地語」「国語」「普遍語」のキーワ
ードを立てて、ここままでの日本語の危機感を論じている。



        
もう一つの参考資料


  たいていの日本人は、東北が首都である東京から見て東北の方角にあ
るから東北と呼ばれているとおもっているにちがいない。でも、日本の他
の地方は、そういった方角で呼ばれないのに。たとえば、九州は日本の「
南部」と呼ばれないし、まして鹿児島や沖縄は、方角ですべての地域を示
す米国にならって、「深南部」(ディープ・サウス)などと呼ばれない。
なぜ、東北だけが、方角で呼ばれるのか?
  それは、一口でいってしまえば、そこがただの地方でないからだ。そ
こは中央から見て「鬼門」として、アイヌの北海道、南の沖縄と同じよう
に、日本の歴史のなかではげしく周縁化(差別化)されてきた土地であり、
その土地に住む人々は違うコトバを話す異人種として、時の支配者に従わ
ないものとして、中央政府から絶えず懼れられてきた存在だったからだ。
そのため、平安以降たびたび、「征伐」が行われ、「東北」は迫害される。

 月刊誌「すばる」(集英社)2008年12月号所収の越川論文
 越川芳明「身体に刻まれた歴史の痕跡…古川日出男『聖家族』」
 り引用しています。



               
さらなる参考資料(1)


  丸谷才一(作家)さんと井上ひさし(劇作家)との対談で、二人の郷里
である山形県の方言から実感したタミル語起源説について語っています。山
形県で現在も使われているズーズー弁の方言の鼻濁音がタミル語に対応して
いて、日本語はタミル語に起源を持つということの根拠の一つにして語って
いることです。 

丸谷 井上ひさしさんが大野晋さんの学説を信奉することを表明した時に、
   これで一人が二人になったぞと思って喜んだという話はさっきしま
   したけれども、その時に、二人は共通点があるんじゃないか、と思っ
   たのです。第一の共通点は、二人とも東北人だということ。東北はタ
   ミル語が日本で一番よく残っている土地なんです。
井上 ええ、そうですね。
丸谷 われわれは子供のころに実地で体験してきました。例えば鼻濁音とい
   うのがありますね。九州はもともと鼻濁音の本場だったわけだけど、
   今はもう消えてしまっているわけでしょう。それが東北には残ってい
   る。「まずまず」を「まんずまんず」なんて言うけれども、あれも鼻
   濁音なんですね。
井上 「まど」のことを「まんど」とか、「ばばあ」を「ばんば」とか。ち
   ょっとフランス語風の鼻音です。(笑)
丸谷 東北方言では「然り」が「んだ」、「否」が「んでね」、あのndの音
   も鼻濁音ですね。大野さんの『日本語の形成』によれば、東北方言と
   タミル語では、鼻濁音に対応がみられるというのです。さらに、東北
   方言は16世紀の京都の言葉の音韻を残してる。だから、日本語全体
   がタミル語と対応しているということの一例になるというのです。こ
   れは大変なことですよ。
   考えてみれば、大野さんは日本語の音韻史の大家だった橋本新吉の一
   番弟子みたいな人で、本人も「私のホームグランドは上代仮名遣いで
   す」と言っていた。つまり、日本語の音韻について多くの知識を持っ
   ていました。だからこそ、タミル語と日本語との系統を関係づけるこ
   とも非常にうまくいったと思います。そして、ひさしさんと僕という、
   タミル語の音韻が一番よく残っている地方で育った人間二人が大野説
   に心服したというのは、非常に筋が通っていると思うんだな。
井上 ええ、ほんとうに明快な話ですね。

   月刊誌『新潮』2009,7新潮社の対談特集・丸谷才一と井上ひさしの
   「大野晋への感謝」より引用しています。



         
さらなる参考資料(2)


  以下は、東京新聞(平成22年7月23日)の社会面に掲載されてた記事から
の全文引用です。今どきも、こんなことがあるんだと思い、引用しています。


  
          「秋田弁をばかに…」
             教頭殴った疑い
             生徒の父を逮捕

  長男が通う中学校の男性教頭(50)に暴行してけがをさせたとして、栃
木県警さくら署は二十二日、傷害の疑いで同県高根沢町大田、会社員畠山次男
容疑者(45)を逮捕した。同署によると「自分の秋田弁をばかにされたので
やった」と容疑を認めている。同容疑者は本籍が秋田県。
  逮捕容疑では、十三日夕、同町立中学校の廊下と校長室で、教頭の胸やあ
ごを殴り軽傷を負わせたとされる。
  さくら署によると、十〜十一日に同県佐野市で開かれた陸上競技大会で生
徒同士がペットボトルの投げ合いになり、畠山容疑者は長男だけが大会役員に
注意されたとして、十二日に学校に電話した。
  その際に「秋田弁をばかにされた」と応対に出た女性教員と口論になり、
十三日には抗議のために学校を訪れ、教頭が応対していた。十二日も十三日も
酒に酔っていたという。



         
さらなる参考資料(3)


 瀬戸内寂聴(作家)さんの著書を読んでいたら、次のような文章がありま
した。作家の水上勉さんの呼び名について書いてある文章部分です。

 水上勉さんのことを、私は長いこと「みなかみつとむ」さんと呼んでいた。
物書き仲間の間では、フルネームでそう呼ぶことはめったになく、たいてい
「ベンさん」で通っていた。
 それがいつの間にか「みずかみつとむ」さんと変わっていた。濁音のない
「みなかみ」さんの方がずっと耳ざわりがいいように思う。いつだったか、
御本人にどうして変えたのですかと訊いてみた。
「もともとみずかにやから」
といっただけであった。
     瀬戸内寂聴『老春も愉し 続・晴美と寂聴のすべて』
    (集英社、2007)より引用


 瀬戸内さんは、「濁音のない「みなかみ」の方がずっと耳ざわりがいいよ
うに思う」と書いています。濁音より清音の方が耳ざわりがいい、それも
「ずっと」いい、と書いてあることに注目しました。なぜ清音から濁音に変
えたか、不思議? という瀬戸内さんの気持ちがあって、直接に本人・水上
勉さんに質問しています。
 この文章は、瀬戸内さんが平成16年に執筆しています。こうした濁音観は
平成の世の中になっても、瀬戸内さんだけでなく、日本人に広くみられる濁
音と清音との言語感覚ではないかと思われます。



         
さらなる参考資料(4)


 金田一春彦(国語学者)さんは、濁音が嫌われる要因は、方言にあると書
いています。

 日本語の子音で重要なことは、清音と濁音の違いで効果が違うことである。
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの葉の上
を水玉がころがるようなときの形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒く
遅い感じで、力士が土俵の上でころがる感じである。キラキラと言うと、宝
石の輝きであるが、ギラギラと言うと、マムシの目玉でも光っているときの
形容になる。
 一般の名詞・形容詞などで、一番明瞭に見られるものは清濁ときれいきた
ないの関係で、和語で濁音ではじまるものは、ドブ・ビリ・ドロ・ゴミ・ゲ
タ等、きたならしい語感のものが多い。
  たちまちに色白のビハダになります
というのがあったが、聞いていて、肌がザラザラになりそうだと言った人が
あった。こんなことから、女子の名に濁音で始まるものはきわめて少なく、
たとえばバラは美しい花ということになっておるが、バラ子という名前の女
の子はまだ聞いたことがない。
 日本人は、この、濁音に対する感覚がかなり固定している。濁音が本来き
たない音というように思いがちであるが、科学的にはそういうことは証明さ
れないそうで、英語では b ではじまる言葉に、best とか beautihul
とか良い意味のものが多く、女子の名前などでも b ではじまるものがい
くつでもある。日本人が濁音を嫌うのも語頭にくる場合だけで、「影」とか
「風」とか「かど」とか、語頭以外の位置に来たものには悪い感じをもたな
い。これは、濁音ではじまる言葉は古くから方言にのみ見られ、それを卑し
む気持ちが作用したものと想定される。
 濁音ではじまる単語のほかに、拗音の拍からも、多少品位が下がった感じ
を受ける。シャブル・シャベル・シャレル・チャチ・チャンポンなど。これ
も多くは方言に使われていた音だったせいであろう。
  金田一春彦『日本語 新版上』(岩波新書、1988)より引用



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