語り手の声、筆者の声   04・08・04記




 
  文学作品は語り手の声を音声表現する



  文学作品は、地の文と会話文とで成立しています。地の文は語り手が語
っているコトバです。会話文は登場人物が語っているコトバです。会話文は
登場人物が発話者ですから、その登場人物になって、かれの気持ち(表現意
図)を押し出して、その音調をつけて読めばいいわけです。
  では、地の文はどうでしょう。地の文の読み方について次に少し詳しく
述べていきましょう。
  文学作品は作家が語り手を作り、その語り手の目や気持ちをとおして読
者に作品世界を物語っています。語り手は、作家によって作品世界を物語る
ために作られたツールとしての人物です。作品世界は作家が語っているので
はなく、語り手が語っているのです。だから、作家と語り手とは同じ人物で
はありません。作家はペンを持って原稿用紙に向かっている実在人物です
が、語り手は作家によって作られた虚構人物です。
  表現よみするとは、語り手が物語っている声を音声表現することです。
だから、語り手を無視して文学作品を音声表現することはできません。読み
手は語り手を意識しつつ、語り手の位置(立場、視点)から、語り手の声を
表現することになります。
  語り手が作品世界にどのような現れ方をするかは種々な存在形態があり
ます。どのように語り手が作品世界に表れて・顔をだして物語っているか、
それによって文学作品の音声表現の仕方は違ってきます。語り手の表れ方・
顔の出し方はいろいろです。
  わたくしは大きく五種類に区分けしています。本ホームページ「上手な
地の文の読み方」章の「地の文の種類」の個所に書いてあります。より詳し
いことは拙著『群読指導入門』(民衆社)の24ぺ〜26ぺ、65ぺ〜72
ぺあたりに書いています。語り手の語り方の種類のよって音声表現の仕方は
種々に変化してきます。
  つまり、語り手が作品世界を案内してくれているのです。読み手は、語
り手の目や気持ちになって音声表現することになります。語り手がどの位置
にいて、どんな目や気持ちで語っているか。語り手がどの視点(観点)か
ら、どんな気持ちで語っているか。それを文章表現(語られ方・書かれ方・
語り口・顔の出し方)からつかみ、それを意識して音声表現しなければなり
ません。読み手はその語られ方に即して、作品世界に同化したり異化したり
しつつ音声表現していくことになります。



    
説明文は筆者の声を音声表現する
   


  説明文はどうだろうか。説明文は、筆者が読者に直接に語っている文章
です。説明文は、文学作品にみられる語り手は存在しません。説明文では直
接に筆者が読者に語っております。そして筆者の伝達意図は文章の語られ方
・書かれ方のすみずみに露呈しています。ですから、説明文の読解指導で
は、筆者の伝達意図の語られ方・書かれ方の文章分析が大きな比重を占める
ことになります。
  説明文の読解指導では、筆者がどのように語って(書いて)いるかの、
書きぶりの文章分析をとおして、何(内容、主題)が書かれているかを理解
させることになります。文章の語り方・書かれ方の話し合い活動をとおし
て、何(内容、主題)が書かれているかの内容把握をさせることになりま
す。「筆者は、どんな立場(思想や哲学、問題意識)から、どんなデータを
用いて、どんな語り口と順序で文章全体を構成し、どう結論づけているか」
の文章分析をとおして内容把握をさせる説明文指導になります。
  説明文の読解指導では、情報(資料、データ)がどのように取捨選択さ
れ、どのような順序(構成)で提示され、どう結論づけられているか、その
論理的な連関の構成、事実(データ)と意見の識別、などの文章分析が重要
となります。
  「筆者は、結局、読者に何を伝え、読者をどこに導き、どこへ連れてい
こうとしているのか。読者の感想意見(単なる批判だけでなく、新たな知識
獲得や自己成長や自己変革したことをも含めて)はどうか」というクリティ
カルな読み、弁証法的な読みの能力高めの指導が求められます。
  説明文は、筆者の視線(観点)の向け方、切り取り方とその構成の仕方
によって、同一事象を説明(議論)しているのです。だから同一対象でも、
筆者によってずいぶん違ってきます。アルチュセールのいうプロブレマティ
ックを見抜く能力も要求されます。つまり、説明文の読解指導は究極は筆者
が書いた「文章の骨を洗う」までの指導が求められているのです。
  だから、説明文の表現よみ指導は、筆者が読者に直接語っている、その
筆者の声を音声表現することが基本となります。第一義的には筆者の伝達意
図を、筆者の思いで、筆者の声を直接に音声表現することになります。筆者
の伝達意図の論理的力点を、筆者の声で、その文章の書きぶりの即して音声
表現することになります。この音読の仕方が説明文の音声表現の基本となり
ます。
  それに次のことも加わります。同時に読者(読み手)の批判的味読の声
も入れて音声表現することです。
  批判的味読とは、読者(読み手)の感想意見を入れて音声表現すること
です。読者の感想意見を入れた批判的味読とは、読者が文章内容をどう受け
取ったか、読者の批評的感想をもこめて音声表現するということです。読者
が受け取ったある種の感情的な反応態度をこめて音声表現するということで
す。
  読み手の主観的な感情の入れ方の濃い・薄いは、読者(読み手)の文章
内容に対する評価的感情反応の態度・有り様によって決まってきます。読者
(読み手)ひとり一人の受け取り方の態度によって違ってきます。
  肯定的な受け取り方、否定的な受け取り方、深く感動的した受け取り方、
途中で読み捨ててしまう全く受け付けない読み取り方などいろいろあるでし
ょう。これら受け取り方の違いによって、読者(読み手)の音声表現の仕方
はいろいろと違ってきます。
  わたしたちが広く新聞・テレビなどふくめてメディア情報を読むとき
は、これらのことが強く要求されます。これまで説明文の文章の語られ方
(書きぶり、語り口、論運のしかた、文章構成)分析の重要性について書い
てきました。これはわたしたちが、新聞、テレビ、雑誌、週刊誌、ジャーナ
リズム報道、広告、CMなどを含めたメィア情報を読むときはいっそう強く
要求されています。つまり、これまで説明文について書いてきたことはメデ
ィア・リテラシーの教育ということになります。
  メディア・リテラシーを育てる指導には、書かれている事柄や筆者の考
え方をクリティカルに読む方法の能力を児童生徒に身につけることです。そ
の能力高めとして、藤田伸一先生(東京・第一日野小)が紹介している次の
メディア指導の方法はとても参考になります。
   ○読みの指導の観点
     ・知っていること
     ・分かったこと
     ・思ったこと
     ・?疑問
     ・本当にそうかな
     ・足りないところはないかな
     ・決めつけてないかな
     ・書きぶりの特徴に注目して指導する。
    (2004年児言研夏季アカデミー発表資料から引用)



          
  まとめ



  文章の語られ方・書かれ方の分析は説明文読解に特権化されるべきでは
ありません。文学作品においても同じであることは「地の文の五種類」とい
うことで前述しておきました。
  もちろん、文学作品と説明文とでは、読解指導においては差異がありま
す。語り手の声か、筆者の声か、の違いがあります。また、文学作品は虚構
世界を対象にした形象的認識であり、説明文は現実世界を対象にした概念的
認識です。文学作品の読解指導では、表象喚起性、創造性、情感性を重視し
ます。説明文の読解指導では、事実性、論証性、抽象から具体へを重視して
指導します。こうした差異性はあります。
  しかし、前述したように文学作品も説明文も、文章の語られ方、書かれ
方、語り口、書きぶりに即して、読み手はそれを意識して、音声表現してい
くことは、全く同じです。
  広告文やCMや新聞報道やテレビ映像に対するメディア教育は容易です
が、教科書にある文学作品や説明文に対するメディア教育は前者ほど批評眼
の観点がはっきりしておらず容易ではありせん。
  しかし、文学作品は作家の主張(思想、モチーフ)や登場人物たちの姿
勢(生き方・行動)、事件(事柄)の取り上げ方やその構成の仕方の分析を
とおしてメディア教育は可能です。これは作家論や作品論にもつながります
が、そんな難しいことでなく、小学1,2年生でも読みの途中での登場人物
の考え方(思想)や行ない(行動)に対する児童なりの評価的感情反応の声
立てを入れて音声表現することは自然ななりゆきとして当然に出てきます。
この読者(読み手)の声は、主体的な読者育てにとても重要だといえます。
  教科書にある説明文は児童生徒の論理的思考育ての典型的文章として十
分に練られた文章であり、片寄りのない思考で構成されているのが多い文章
といえましょう。しかし、メディア教育的な「方法」による文章分析と指導
方法による読解指導は当然にあります。教科書にある説明文においてもメデ
ィア教育的な「方法」による文章分析は、今後の社会ではますます強く要求
されています。これは、賢い読者育てにとても重要な指導です。



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