音読授業を創る そのA面とB面と            04・7・24記




  
「朗読ブーム」について思う



   
          
朗読本が売れている


  今、朗読ブームだそうだ。毎日新聞の2002年6月3日夕刊に特集ワイド
「朗読ブーム」という取材記事が一面全面に掲載されている。今、朗読本が
売れている。日本語の名文、美文といわれるもの、それらのさわり文句、有
名な章句だけを引用し、一冊にまとめた本である。斎藤孝『声に出して読み
たい日本語』が火付け役となり、大ベストセラーとなるや、二匹目のドジョ
ウをねらって次々と斎藤本をまねた朗読本が書店に出るようになった。それ
も書店の書棚に一冊ということではなく、十数冊が店頭に平積みにされて並
んでいる。平積みということは、それら朗読本がかなり売れているというこ
とを示している。

『ダカーポ』2002、7,17号、マガジンハウス)には、次のように書いて
あった。これらの本の一覧、原典引用率順に記す。発行部数に注目を。
  
 『もう一度読みたい国語教科書』 ぶんか社。1400円。2002・4・10.発
                 行。原典引用率90,9%。1万部

 『人間劇場』 斎藤孝。新潮社。1300円。2002・5・25発行。原典引用率
                 74,7%。3万部

 『理想の国語教科書』 斎藤孝。文芸春秋社。1238円。2002・4・30発
                行。原典引用率65,7%。25万部

 『声に出して読みたい日本語』 斎藤孝。草思社。1200円。2001・9・18
                発行。 原典引用率49,0%。124万部。

 『美しい日本の名文・名詩・名歌』 上野和昭。1800円。三省堂。
        2002・4・20発行。原典引用率44,3%。1万2000部。CD付。

 『からだが弾む日本語』 楠かつのり。1000円。宝島社。2002・4・13発
             行。原典引用率39,8%。3万部

『ダカーポ』には、これら朗読本から「見えてきた名文・美文の条件」とし
て次のようなことも書いてあった。

  これらの朗読推薦本で取り上げられやすいのは、杜甫や李白といった中
国の漢詩、近世の俳句や短歌、明治・大正期の日本文芸といったジャンル。
もっとも引用数が多いのは松尾芭蕉の17作品であるが、3冊で共通して紹介
されている作品は「春の海/ひねもすのたり/のたりかな」と、正岡子規「柿
くへば/鐘が鳴るなり/法隆寺」のみだ。4冊で延べ7作品取り上げられた宮沢
賢治、3冊で9作品の夏目漱石が人気の存在で、他には小林一茶、森鴎外、高
村光太郎、与謝野晶子、北原白秋、中原中也らが3冊以上に登場する定番メ
ンバー。地味ながら2冊で重複した近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」、
カール・ブッセの「山のあなた」は隠れた名作か。


           
朗読CDも売れている


最近、朗読CDも売れているようだ。『東京新聞』(2002・7・8、朝刊)に次
のような記事があった。

  文学や民話、詩を吹き込んだ朗読CDは、以前からあったが、五千枚売れ
れば大成功といわれていた地味な分野。それが、ここ一、二年で活気づいて
きた。
 キングレコードは昨秋、長岡輝子が岩手なまりで宮沢賢治の作品を語るC
D四枚を出した。初回盤は計二千枚だったが、評判がよく、計四万枚に伸び
た。寺田農の二枚組「奥の細道」も約二か月で一万セットに迫る。忌野清志
郎が歌い語る「ブーアの森へ」は、三ヶ月足らずで一万二千枚売れている。
火付け役は、三年前に出た森繁久弥の「葉っぱのフレディ」(東芝EМ
I)。十八万枚という異例の数字を記録し、市場としての可能性を見せつけ
た。


            
短歌の世界でも


『東京新聞』に次のような記事があった。

短歌の世界でも「朗読ムーブメント」が勢いを得ている。短歌朗読の火付け
役は歌人の岡井隆らしい。1997年秋、武蔵大学での詩人、歌人の朗読会だっ
た。短歌は文字どおり歌うもので、声に出してこそ、その味わいがわかる。
外国では詩歌は、みんなの前で朗読するのが常識である。アメリカでの短歌
朗読の経験が日本にも伝えられたのだ。翌98年、横浜で「朗読する歌人た
ち」のシリーズが始まって、ムーブメントはひろがっていく。朗読会のCD
も出ている。朗読ムーブメントが短歌人口の裾野を広げ、作品そのものにも
影響を与えているかに見える。 
        (東京新聞、2002・7・13.。朝刊。筆洗欄。)より


           
朗読文化の構築を


  こうした朗読ブームは中高年を中心にかなり根付いているようだ。
前記した朗読本を読んだ方から、わたしのところにも問い合わせがくること
がある。「いま、仲間達で朗読本を使って声に出して読む練習会を持ってい
る。先生の、上手な朗読のしかた・技法が書いてある本をまとめ買いした
い。割引にならないか。」などと。この事実は朗読ブームがマスコミで単に
話題になっているだけでなく、朗読本が単に教養として黙読されているだけ
でなく、人人のあいだ(年配者が多いようだ)で、実際に声に出して、まじ
めに声高らかに読み上げられていることを示していると思う。
  こうした朗読ブームは大変に好ましいことだ。喜ばしいことだ。とわた
しは思う。わたしは大歓迎だ。しかし、「朗読ブーム」の「ブーム」とは、
一時的な流行現象ということだ。やがて下火となり、火が消えてしまい、朗
読することのの楽しみが忘れ去られてしまうということにもなる。
  わたしは、この朗読ブームがきっかけとなり、日本人の日常生活の中に
書物(文章、詩文)を声に出して読むこと、他人の読み声を聞いたり、他人
に聞かせたりして日本語の音声表現を楽しむこと、映画・演劇・音楽の楽し
み(享受、鑑賞)と同じレベルで朗読を楽しむこと、そうした朗読文化が日
本人に日常化し、根付いていくことを期待している。
  かつて、わたしは次のようなことを書いたことがあった。

  「父母の皆様へ 。 わが家にお客様がみえられたとき、わが子に「お
客様へ本(教科書、物語、詩)を読んで聞かせてあげましょう。」というよ
うな習慣が日本にはありませんね。フランス、イギリス、ロシアなどの国々
では普通の習慣になっているようです。これらの国々では文化として、朗読
をとおして国語を大切にする教育が行われています。あなたのご家庭から始
めてみませんか。」と。
  外国にはすぐれた朗読文化を持つ国が多い。はじめに映画「ローマの休
日」の話から始めよう。


          
「ローマの休日」の例


 「ローマの休日」という映画があった。ヨーロッパ最古の王室・アン王女
(オードリー・ヘップバーン)はアムステルダム、パリ、ローマと強行軍の
行事を次々とこなしていた。分刻みの行事に、あきあきしていた。その夜も
舞踏があリ、行列をなしている要人たちを一人ひとり紹介され、ダンスの相
手をしなければならなかった。それが終わると、アン王女は翌日の分刻みの
スケジュールを聞かされた。突然、アン王女は大声で泣き出し、ヒスを起こ
す。ドクターが睡眠注射をうつ。
  アン王女はベットから起きだし、こっそりと城のような宿舎を抜け出
し、街へ逃げる。橋でぶらついているところをアメリカの新聞記者(グレゴ
リ−・ぺック)に見出され、大丈夫?と声をかけられる。記者の安宿にひと
まず仮寝することになる。
  記者の安宿で、王女は意識もうろう状態で暗誦している詩の一節を朗読
する。「彼女は山深き雪の中で長椅子から立ち上がった」と。記者はシェ
リーの詩だと言い、王女はキーツの詩だと言う。こうした会話から、王女
(オードリー・へップバーン)と記者(グレゴリ-・ペック)との、ローマ
でのつかの間の恋が始まる。
  わたしが言いたいことは、こうだ。暗誦している詩の一節が、日常生活
の会話の中に、こうしてごく普通の話題として語られる、それで恋が生まれ
たりもする、そうした朗読文化がヨーロッパにはあるということだ。


以下、こうしたすぐれた朗読文化を持つ国々の例を幾つか紹介してみよう。


           
フランスの例(1)


  パリのメトロの中で、リセの学生たちがラシーヌやコルネイユの劇をお
互いにチェックしながら朗読している姿を何度かみたが、これは宿題のため
である。
  欧米に引用語辞典があれほど幅をきかしているのは人々が朗誦になれて
おり、パーティーでもビジネスの上でも始終、名歌佳句が引用されるからで
ある。
  今日の日本で人々の知っているのはコマーシャルや故事ことわざである
のは、まことに悲しい。
      飯沢匡(三省堂『ことばと教育』76年8月号所収論文)より引用


           
フランスの例(2)


  日本人は、自国の文化よりも欧米の文化に関心があって、自国の文化に
ついて意外なほど知らない人が少なくないので、ミスマッチが起りやすい。
  フランス人は自国の文化と言葉に誇りを持っているので、小さな店の女
将さんでも、日本人がフランス語で間違った言い方をすると、即座に正しい
言い方を教えてくれる、と幾人かの友人が打ち明けてくれました。
  フランス人同士のパーテイでは、隠し芸として、暗唱している詩の朗読
をする人がいます。言葉の抑揚、リズムに酔えるからで、日本でしたら、カ
ラオケではなく、さしづめ与謝野晶子の詩の朗読に当たるでしょうが、日本
ではそれを聞く機会はあるでしょうか。フランスでは、国語の時間に優れた
文章の一節や詩の暗唱もありました。
    薮内宏さんのメルマガ「日仏マナーのずれ」2008・11・07より引用
 

           
イギリスの例(1)


  イギリスでは、少年少女をつれてシェイクスピアの芝居を見にゆく人が
多い。幼児が「ハムレット」がわかるのですかときく人もない。これは「ハ
ムレット」の勉強でなく、正しい英語の使い方の勉強のためである。
   淀川長治(児言研機関誌『国語の授業』76年7月号所収論文)より引用


           
イギリスの例(2)


  シェイクスピアは食べ物のようなものだ。私達は、どちらもごくあたり
まえのものと考えてしまう。‥‥たいがいの子供は中学三年生ごろまでに
シェイクスピアについて習う。それ以降、シェイクスピアはたいていの学校
でいつもカリキュラムに入っている。もちろん、高学年になれば新しいテク
ストも勉強する。さらに、学校や両親はシェイクスピアの上演を見に劇場へ
出かける。大学でシェイクスピアに関する授業をとらずに英文学の学位を取
るなど想像もつかない。私達の日常の言葉の中に極めて多くのシェイクスピ
アの表現が溶け込んでしまっている。劇場で俳優がシェイクスピアの句を読
んだり聞いたりする時には、旧知の人に会ったようなものだ。劇は見慣れな
いもの、新奇なものとして迫ってこない。
  ノーマン・F・ブレイク著、森祐希子訳『シェイクスピアの言語を考え
る』紀伊国屋書店、1990より引用


            
ロシアの例(1)


  生徒の美の活動の中で、表現よみはもっとも実施しやすく、そのゆえに
もっとも広く普及している。ロシア語と文学の授業の大部分は表現よみで始
まり、それで終わる。表現よみは学校の朝や、夕べの集会プログラムに入っ
ている。どのような祝日も、組織された修学旅行も、またピオネールのかが
り火の集会も、表現よみなしではすまされない。
   ヤゾビツキー『ソビエトの読み方教授』(明治図書)28ぺより引用


            
ロシアの例(2)


  次は、五木寛之(作家)さんの体験談です。

  私は大学では、ほとんど授業にでなかったが、ブブノワ先生というもと
亡命貴族という噂のある先生から、ロシア詩の授業を受けたことだけは今で
も忘れることができない。
  ブブノワ先生は徹底的に口うつしで、詩の数々を私たちに暗記させた。
農村の古い民謡とか、子どもの歌とか、あるいはプーシキンやレールモント
フの詩などいろいろだった。とても恐い先生だったので、私たちは必死でお
ぼえたものだった。
  指名されると立ち上がって、たどたどしく暗記した詩を朗誦する。うま
くできるとブブノワ先生は発音の誤りを指摘しながらも、とても嬉しそう
だった。
  そのおかげで、私は今でもロシアの詩をいくつか、朗誦することができ
る。このことは私にとってのとても大事な財産である。
  1960年代のなかば、横浜から船でナホトカへ渡り、そこからシベリア鉄
道に乗った。シベリア鉄道の列車の車掌は、いっぷう変った男で、車掌室で
オームリとかいう魚を焼いてウオトカを飲んだりする、不思議な人物だっ
た。机の上に、枕になるような分厚い本がおいてある。
  表紙には『ヴァイナー・イ・ミール』と書いてある。どうやらトルスト
イの『戦争と平和』らしい。「この本、あんたが読むのか」と、手真似入り
でたずねると、「シベリア鉄道は、長いからな。薄い本じゃ、もたないんだ
よ。」と彼は言った。そして彼は「ここのところは何度読んでも素晴らしい
よな。」と言いながら、あるページを開くと、うっとりした表情で、声を張
り上げてその文章を読んでくれた。私には内容はさっぱりわからなかった
が、どうやら戦場の描写だったように思われた。
 「オーチェニ・ハラショー」
と、本をおいて首をふりながら言った彼の表情を、今でもふと思い出すこと
がある。
  そのころ私はレコード会社で作詞の仕事をしていた。ビザには作詞家と
書かず、大げさに詩人(ポエット)、と記入してもらっていた。出入国の管
理官はそのビザを見ると、突然、それまでの傲慢な態度から一転して、いか
にも尊敬のまなざしで、「あなたは詩人か。」と聞いたものである。「わた
しはポエット」と答えると、彼は軽く一礼して、「私はエセ−ニンの詩がい
ちばん好きです。」と言った。ロシア人たちは作家のすぐれた文章の一部
や、詩人の詩などを今でも、みんなが暗記して、すらすらと声に出す習慣が
ある。
  一度、サンクト・ぺテルブルクで、ある家庭を訪問中、アンナ・アフ
マートワの葬儀の場面を、テレビで記録として放映するのをみたことがあっ
た。その映像にかぶって、アフマートワの詩が流れ出すと家族たちは一斉に
「オオ、アニョ−ター!」と叫び、全員でそのアナウンサーの声に唱和し
て、アフマートワの詩を朗誦したものだった。
          五木寛之『知の休日』(集英社)144ぺより引用


           
ロシアの例(3)


  ロシアに留学した一青年が、ロシアの朗読文化について語っています。
この若者はロシアで女の子を口説くのに詩の暗誦がとても役立つということ
を次のように書いています。

  東京外大でロシア語を学び、ロシアに一年間留学した。モスクワでは、
サルサやメレンゲなどラテンダンスがはやっていた。私もはまり、週に4、
5日ディスコの通っていたので有名人でした。いつの間にか入場料はタダに
なり、酒もおごってもらっていた。おかげで生のロシア語がしゃべれるよう
になった。
  ロシアでは詩の文化が発達しているのに驚いた。女の子を口説くのにも
詩を引用した言葉がいいので、私もプーシキンやマヤコフスキーの詩を10
以上、暗誦できるようになりました。
  詩を理解しないとロシアの文化や風俗の本質は分からない。パーティー
などで
「おい、日本人、なにかやってみな」と言われたとき、詩を朗読すると一目
置かれます。留学中はどっぷりとロシアに漬かることができ、有意義でし
た。(望月俊佑・27歳)
   東京新聞・2004・4・8、東京解剖図鑑「顔」欄より引用


            
トルコの例


五木寛之さんは前掲書の同じ文章個所に、次のようなことも書いている。

  何年か前に、イスタンブールでヒクメットの詩を有名な俳優が朗読する
場面にでくわした。ヒクメットはトルコの国民的詩人と言っていい反体制派
の詩人だが、彼が異国にあってイスタンブールをなつかしむ詩を、その俳優
が深い感情のこもった声で朗読すると、会場の間からはすすり泣きの声が漏
れ、みんなが目がしらを押さえて肩をふるわせるのだった。トルコ人は涙も
ろい、というのは有名な話だが、それだけではあるまい。私たちは批評の
詩、思想としての詩に慣れ親しんできたが、肉体的な共感や感情を鼓舞する
肉声の詩を作り出す必要がありそうだ。そのためにも、声に出して読むこと
をもう一度とりもどしてみたいと思う。
      五木寛之『知の休日』(集英社)147ぺより引用


            
アメリカの例


 アメリカやイギリスの作家には、自作の朗読に熱心な人間が多い。もちろ
ん、トマス・ビンチョンやコーマック・マッカーシーといった、公の場には
決して姿を見せない例外はあるけれど、そのほとんどは新作が出ると、書店
やカルチャーセンターのような場所で、聴衆を前に本を読む。
 まあ、出版プロモーションの一環だからと言えば、身も蓋もないのだが、
ファンにしてみれば、本を通してしかふれあいがない作家が、目の前に現
れ、その声が聞けるのは格別のものである。先日も、マンハッタンでの大き
な書店での朗読会へと出かけた。
 さて、その朗読会で、おもしろい趣向のものが、アッパーウェスト・サイ
ドにある、改装したばかりのシンフォニー・スペースで行われると聞いた。
おもしろいと書いたのは、著名な作家による短編小説を、作家本人でなく、
映画や舞台で活躍する役者が読むからだ。すっかり人気が定着し、毎年恒例
となった同シリーズだが、今回のイベントのスケジュールを見ると、村上春
樹の作品(「神の子どもたちはみな踊る」)が取り上げられているのに目が
留まった。
 (中略)
 今まで、かなりの回数でこの種のイベントへ出かけたが、多くが日常的な
エンターテインメントとして受け入れられ、読む側も聞く側も楽しみ、小難
しく考えていない様子である。しかめっ面する顔も、あまり見かけないの
だ。日本と比べ、朗読会がさかんと言われるアメリカだが、その違いが出る
理由は、言葉だけではないような気がしてくるのだが、どうだろうか。
     『本の雑誌』2002年7月号、荒元良一氏のエッセイから引用。


            
ドイツの例(1)

  なにかで次のようなエピソードを読んだことがる。捕虜収容所(シベリ
ア?)でみなが「読むもの」に飢えていた時、新聞か雑誌のキレハシをだれ
かが手に入れた。ドイツ人はだれかひとりがそれを「朗読」すると、みなは
聴いて満足したが、日本人はひとりひとりが手にとって自分で「黙読」しな
いと満足しないので、キレハシはついにボロボロになって消えてしまった。
−−というようなハナシである。
     『海燕』(福武書店)1992年1月号  富岡多恵子論文より引用


            
ドイツの例(2)


  五月の連休明けから二週間近くドイツを訪れ、自作詩の朗読を行ってき
た。ドイツで朗読会を開くのはこれが三回目。今回は、デュッセルドルフに
あるハインリヒ・ハイネ研究所の招待による。ハイネ研究所は、デュッセル
ドルフ古書協会との共催で、作家・詩人による朗読会を毎年開いているのだ
が、今年は折りしも「ドイツにおける日本年」にあたるため、その記念行事
として朗読会が計画され、作家でドイツ語学者でもある柴田翔氏、日本語と
ドイツ語の両方で書くハンブルク在住の作家多和田葉子氏、そしてわたし
(高柳誠)の三人が招待されたのである。(中略)
  朗読は一編ずつ、前半がまずわたしが日本語原文を、その後にドイツ語
朗読者が翻訳を読み、後半は逆に、ドイツ語訳を先に、日本語原文を後に読
むという形で進められた。
   『全人教育』74(10)巻。2000年10月刊。高柳誠論文より引用。

(日本では、詩人の自作詩朗読会はけっこう盛んである。「詩のボクシング」
もある。「詩のボクシング」は、高校野球と同じに地方大会、県大会、全国
大会があり、2002年の全国の出場者は500人にのぼったそうだ。教育現場で
も「詩のボクシング」を実践(指導)したという記事をちらほら目にするよ
うになった。)


            
ドイツの例(3)


(日本では、小説家が自作小説を朗読する作家はめったにいない。多和田葉
子氏だけは例外で、積極的に自作小説の朗読活動を日本でも実施している。
これは多和田氏がドイツに住んでいて、ドイツの朗読会で自作小説を聴衆に
聴かせており、ドイツの朗読文化に慣れているので、日本で俳優さんたちに
交じって朗読会に参加するのに違和感を感じていないのだろうと思う。もっ
とも、ドイツでの自作朗読会は、音声表現を楽しむだけの朗読会ではないよ
うだ。多和田氏は次のように書いている。)

 「ドイツでは、作者が自作を朗読し、その後、聴衆の質問に答え、討論す
る「朗読会」が盛んだ。わたしも、1978年に初めてドイツで詩集を出し
てから総計二百五十回、ドイツ、スイス、オーストリアなどで朗読したが、
これはどちらかと言うと、講演のようなもので、舞台芸術とは言えない。」
  多和田葉子『カタコトのうわごと』青土社、1999年5月刊より引用


           
ドイツの例(4)


  小塩節(ドイツ文学者、フェリス女学院理事長、中央大学教授)は、次
のように書いています。

  私の学生時代にドイツ人の教授ローベルト・シンチンゲルという長身の
先生がいらして、詩や小説などをテキストなしに朗々と読みあげる。一字一
句の誤りもないどころか、内容をよくつかみ、音素の組み合わせやリズムを
とらえて、作品の中から湧き出してくることばの音楽を、楽譜を読むように
読みとって声に出し、ことばの音楽として再創造し演奏する。それから解釈
や分析の作業をする。
  そのうえドイツ人だから当たり前かもしれないが、先生はとくにゲーテ
の悲劇「ファウスト」全編を完全に覚えておられて、つやのあるバリトンの
声で朗誦し、私たちにも次々と朗読させ、そのあとできびしい演習となる。
この作品をゲーテは生涯の六十年をかけて完成したのだが、折に触れては友
人や家族の輪の中で自作朗読して楽しみ、また批評を乞うていた。ヨーロッ
パの詩人や作家たちはいまでもよく朗読会を開いている。
  若いころハイデルベルグ大学の教官として、年上の留学生三木清や大内
兵衛たちにギリシャ語などを教えたシンチンゲル先生から、こうして私は何
百もの詩とゲーテ「ファウスト」などの味読を教わった。楽しかった。
   小塩節『自分に出会う ある生い立ちの記』(青蛾書房)より引用
            


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