第17章・小学生への読み聞かせ技術   2015・7・13記




  
第4節 
  読み聞かせ本番の語り方(2)





      目次(教師の学級児童への読み聞かせ方)
        読み手の顔の表情の表わし方
        読み手の視線の向け方
        作為的な言い回し・ゼスチャーはしない
        ひとり言をいいながら聞きとらせる
        児童のつぶやき・質問の受けとめ方
        お話を聞けない子への対応のしかた
        翻案・改作は原則禁止だが……
        教師の介入の仕方
        参考資料(徳川無声)



      
読み手の顔の表情の表わし方



 読み聞かせにおいては、読み手と聞き手とは親密な関係が保たれていなけ
ればなりません。心の通い合った、なごやかな、うちとけた、気さくな、ね
んごろな関係でなければなりません。両者のあいだに冷たいカーテンがあっ
てはなりません。
 読み手と聞き手とが初対面の場合は、読み聞かせ直前に親密な関係を作っ
てから始めましょう。
 「みなさん、お行儀がいいですね。わたしの名前は○○です。わたしが
「こんにちは」と言ったら、みなさんも「こんにちは」と元気な声で返事し
てください。
 みなさんの好きな給食は何ですか。カレーライス? やきそば? みなさ
ん好きな教科は何ですか。国語? 算数? 体育? そう、体育が好きなの。
体育の中では何が好き? かけっこ? ドッジボール? 鉄棒? 」
 読み手と聞き手との親密な関係ができると、気持ちの通じ合いがらくにな
ります。聞き手は安心して読み手の語りに身をゆだねて聞き入るようになる
でしょう。
 読み聞かせにおいては、聞き手は、読み手の感情にうらうちされた身体表
情をまるごと受け取っています。特に顔の表情は重要です。
 読み手が読んでいる時の、その時々の気持ちは、声だけでなく、顔の表情
にも出てきています。顔の表情には、読み手の内面世界がむきだしに無防備
に露呈してきています。読み手の身体表情には、読み手の精神的な全人格が
現れ出てきています。読み手が物語世界をどのように受け取っているか、聞
き手にどのような気持ちで発信しているか、これらがもろに表情として現れ
出てきています。
 絵本の場合は、子どもは、絵はもちろんのこと、読み手の顔の表情を同時
に注視しています。絵のない本の場合は、注視の対象は、読み手の声と顔の
表情(身体表情)だけになります。顔の表情がつまらなそうな、なげやりで
は、児童は物語世界に入り込むことができません。冷やかな、よそよそしい、
つれない、つっけんどんな、あさってを向いた顔の表情では児童を物語世界
に入り込ませることができません。
 こんなにおもしろいよ、おもしろさがいっぱい詰まっているよ、そうした
顔の表情で語り聞かせましょう。聞き手を、楽しいな、おもしろいなの雰囲
気に引き入れることを意識した顔の表情で読み聞かせることです。読み手も
聞き手と一緒になって泣いたり笑ったり怒ったり、そうした読み手と聞き手
とが共振している顔の表情で語り聞かせます。
 だからといって、おもしろがらせようと、児童に媚びへつらって、機嫌を
とったり、わざと作ったうそっぱちの顔付にすると、マンガになってしまい
ます。自然な表情で、楽しい雰囲気に引き入れていく、そうした気持ちを込
めた顔の表情で語り聞かせていくようにします。



        
読み手の視線の向け方



 教師は文字を読むことばかりに集中して、児童に目を向けないのはいけま
せん。時々、児童と視線を合わせ、アイコンタクトで、つまり身体的な触れ
合いで語り聞かせていくようにします。
 教師の視線は、児童座席の中央よりやや後ろに焦点(中心点)を置き、ゆ
っくりと前後左右を見わたすようにしましょう。児童たちの表情の動きに気
を配ります。身をのりだして教師を注目しているか、集中して聞き入ってい
るか、どんな顔の表情で聞いているか、ふざけていないか、この調子で読み
進めていってよいか、語り方を変化させた方がよいか、などをすばやく把握
します。
 教師が読み聞かせに熱中してしまい、児童をのぞきこんで身をのりだす前
傾姿勢で読み聞かせると、児童に恐怖感を与えます。気をつけましょう。
 読み聞かせ途中に児童から突然の発言(反応コトバ)が出ることがありま
す。これをどう処理するか。無視してよいものか、取り上げたほうがよいも
のか、これについては、次節からくわしく書きます。



   
作為的な言い回し、ゼスチャーはしない



 大きな声をはりあげっぱなしの読み聞かせ方はよくありません。キンキン
ひびきっぱなしはいけません。教師の読み声は児童の耳にじわっとしみいる
ぐらいがよい。だからといって、かぼそい声・聞き取れない声もいけません。
 殊更に上手に読んでやろうと、力んで、作為的に読み声に変化をつけるの
もよくありません。児童から気に入られよう、児童の注意をひきつけよう、
もっと笑わせてやろう、もっとびっくりさせたやろう、もっと悲しませてや
ろうとして過剰で不自然な音声表現のしかたもいけません。大げさな身ぶり、
手ぶり、ゼスチャーもいけません。ゼスチャーはコトバで言う以上にインパ
クトが強いです。児童の興味をひくための、ほんの一瞬のやりすぎはよいで
しょうが、いつもですと漫画になってしまいます。
 こうした児童に媚びた、大げさな読み聞かせは、物語世界の本筋から離れ
てしまい、自己本位で独善的な、教師のひとりよがりな読み聞かせになって
しまいます。
 教師の気持ちが高揚して気分がのってくれば、自然と読み声に変化が出て
くるし、顔の表情や身体の動作やゼスチャーが出てきます。しかし、わざと
作為的にやるものではありません。自然で必然性のある身体表情やゼスチ
ャーでなければなりません。身体表情やゼスチャーはあってもよいが、それ
はひそやかに自然な表現として出てくるべきもので、わざと大げさに、うそ
っぱちにやるものではありません。



    
ひとり言をいいながら聞きとらせる



 児童たちは、ある場面では、静まりかえり、声も立てず身動きしません。
ある場面では、クスクス笑い、時には声を立てて大笑いをします。ある場面
では、ぼそっとひとり言の感想批評の反応が飛び出したりもします。
 これは児童が物語世界に深く入り込んで、イメージ豊かに反応しているか
らです。自分が登場人物になりきって行動しているのでしょう。あるいは外
から批評しているのでしょう。登場人物を、まるで友人か身近な人のように
心配したり、話しかけたりしているのでしょう。
 桃太郎が鬼を退治する場面では、自分が鬼を退治している気持ちになって
聞き入っています。桃太郎の活躍は、自分が活躍している気分です。頭の中
で「もっとこらしめてやれ」とか「もっとこらしめるぞ」とか「やれ、や
れ」とか、ひとり言の反応を言いながら聞き入っている子もいるでしょう。
ひとり言がぼそっと口からひとりでに洩れ出ることもあります。
 教師は読み聞かせる時、「黙って聞きなさい。おしゃべりしながら聞いて
はいけません」と言います。物語と無関係な規律を乱すおしゃべりはいけま
せんが、物語に関係するおしゃべり、ひとりでに洩れ出てくるひとり言は大
いに言わせるようにします。
 時には、児童からぼそっと洩れ出たひとり言の反応を拾い上げ、それと対
話しつつ読み聞かせを進行することもあってよいでしょう。横道にそれない
配慮をしながらです。
 児童から洩れ出るひとり言の反応は、真剣に聞き入ってる証拠です。物語
世界に深く没入したことで生れ出たひとり言です。
 ひとり言は思考のコトバです。自分自身に向けた考えコトバです。それに
対して、声に出して相手としゃべる言葉は、伝達のコトバです。ひとり言を
内言といいます。相手とのしゃべりコトバを外言といいます。読み聞かせ中
に、内言を活発に働かせつつ聞き入ることは、思考を活発に働かせている証
拠です。これは歓迎すべきこと、奨励すべきことです。
 「ダマッテキキナサイ」には、「読み聞かせ中はしゃべるな」という意味
があります。ひとり言との関連でいえば、二つの意味があります。「ひとり
言しないで、ダマッテキキナサイ」と「ひとり言をしながら、ダマッテキキ
ナサイ」の二つです。読み聞かせを聞く時は、(いや、読み聞かせだけとは
限りません。通常の授業の時でも、日常生活のすべてにおいてです)ひとり
言をうんと言いながら、ひとり言で反応しながら、聞くことはとても重要な
ことです。


小林喜三男『教師の力量』(明治図書)1963・3)に、次のようなこと
が書いてありました。参考までに引用します。

ーーーー引用開始ーーーー
教室童話の話し方の工夫
 少しも気の散ることのない教室という環境。気心の知れた子どもたち、そ
れも話を聞こうと身構えています。教室童話は楽しいものです。話術のヒン
ト。

(1)登場人物を初めに板書してしまう
 教師「これから『森のおおかみ』のお話をしてあげようね。このお話には、
こんな動物たちが出てくるのです。と言って、まずはじめに、登場人物たち
を板書してしまいます。
子ども達は、お話を聞きながら、板書をちらっちらっと見ています。(まだ、
白鳥が出てこない、ここで出てくるのかなあ。と、思います。)
○「こんど白鳥だ」
○「こんど、白鳥が助けに来てくれるのでしょう」
教師「そうです。白鳥が助けに来てくれます」
登場人物を知らせていくと、子どもを話しの中に引きずりこむことができま
す。
 紙芝居を見せるときにも、これと似た工夫があります。
それは、最初に、黒板の前に全部の絵をならべて見せてしまうのです。見せ
てしまってから、また絵を集めて、一枚一枚話していくのです。画面を追う
子どもたちの目に二倍の輝きが見られるようになります。子どもたちは、あ
らかじめ知っている話に、それに肉づけされる話を好みます。
(2)教師のひとりごとを聞かせるように話す
「いっすんぼうし」を例にしてみます。
「むかしむかし、じいさんとおばあさんがありました。……ふたりは、自分
たちに子どもがないのを、さびしくおもいました」
(子どもは宝というけれど、こどもがいないなはさびしいだろうな。かわい
そうなおじいさんだ。かわいしいなおばあさんだ」

「やがてふたりに小さな男の赤ちゃんが生まれました。ふたりはだいじにそ
だてました」
(よろこんだだろうな。おしいさんとあばあさんは。きっと赤いご飯を炊い
ておいわいしたことだろうな)

「いっすんぼうしは五つになったも、七つになっても、ゆびだけより大きく
なりませんでした。」
(へえ、これはおどろいた。七つになってもゆびぐらいのおおきさなんだっ
てさ。君たちも七つでしょう。それなのに、(教師、指立てて)これだけな
んだってさ。)

「いっすんぼうしが往来を歩いていると、近所の子供たちが集まってきて、
『やあ、ちびがいる』『ちびやい、ちびやい』とからかいました。
(さあ、これからがいっすんぼうしのえらいことがかいてるんだよ)
「からかわれても、いっすんぼうしはだまって、上を向いて平気で歩いてい
きました」
(せんせいは、いっすんぼうしのような子どもがすきだな。いっすんぼうし、
あまえは、えらいぞ。大好きだぞ)

 原文の中に、教師のひとりごとをくわえることは、話の付加的解説ともな
り、また、聞きの期待づくりともなります。「からかわれても平気でいる。
いっすんぼうしはえらい」「そうだ」子どもたちは大きくうなづくことでし
ょう。
ーーーー引用終了ーーーー

 一読総合法読解で、かきこみ、かきだし、の読解方法があります。文・文
章という信号に鋭く反応する力を育てる読解方法です。文・文章を読んで、
そこから浮かんだ反応・読み取り内容を、文・文章の傍に単語メモで書き入
れていく方法です。教室童話の話し方の中に、教師のひとり言の見本を見せ、
それを見本に、子どもたちにもひとりごとを言わせるようにします。教師の
話の中に、子ども達からひとり言を言わせるチャンスをあたえ、作っていく
のもよいでしょう。



  
児童の発言・つぶやき・質問の受けとめ方



 読み聞かせの途中で児童から突発的な発言・つぶやき・質問が発せられる
ことがあります。物語世界から触発されて思いついた感想がひょいと口から
洩れ出てしまうのです。

  
エッ、コワーイ!
  オウ、ビックリシタ!
  コイツ、スゲー、ワルだ!
  知ってる、知ってる。
  ほんとかなー、うそだーい。
  それ、見たことある。ぼくも見たことある。
  ○○ってなあに?  ○○のことだよ。


 ひょいと口から洩れ出てしまうこうした発言・ひとり言・質問は物語世界
に没入して楽しんでいる証しです。お話がるすにならない程度にちょっとだ
け受けとめてやりたいものです。児童の中からふっと洩れ出るおしゃべり・
ひとり言はできるだけ制止しないようにしたいものです。
 しかし、お話が佳境に入っている場面では、読み聞かせを中断するわけに
はいきません。そんなときは、発言した児童の目をちょっと見て、「はい、
わかってますよ。でもね、今は、クライマックス場面なので途中でやめるわ
けにはいかないの。ごめんね」という合図を送ります。目や手で合図したり、
頭をこっくりしたり、こうしたサインを送るとよいでしょう。
 児童同士が「それ知ってる」「ぼくも知ってるよ」「本で見たことある」
としゃべりだしたら、「シーッ」と唇に指を当てて静かにさせるのもよいで
しょう。教師がほんのひとこと「そう、みんな物知りね」と受け応えて、読
み聞かせを続行していくのもよいでしょう。
 児童の発言・つぶやき・質問を無視して、どんどん読み聞かせを続行して
いくこともできます。児童の反応コトバにかまわずに読み聞かせを続行して
いくと、いつのまにか児童の発言は止まり、教師の読み声に全児童が耳を傾
けるようになっている、こうした事実は教師ならだれでも体験的に知ってま
す。だけど、むやみやたらに無視や禁止はしないようにしたいものです。
 読み聞かせを中断して、ちょっとだけ横道にそれてもよい場面であるかど
うか、教師はその場面場面で主体的に判断していくようにします。
 絵本の読み聞かせの場合は、絵について語り合う場面が多くなります。で
すから、読み聞かせ途中の語り合い(横道、脱線)は多くなります。特に母
と子の「幼児絵本」(幼児の絵物語、動物・乗り物などの絵・写真)の読み
聞かせの場合は、絵や写真にある事物が話題の中心になります。文字・文章
はぐっと少なくなります。ですから、絵について語り合う時間がうんと多く
なります。絵や写真に関連するもろもろの事柄、話題があっちこっちと無限
に拡大していくこともあるでしょう。
 これは横道とか脱線とか言えないでしょう。母と子の読み聞かせは、母子
のたっぷりした愛情・温もり・触れ合いの接触が目的の読み聞かせです。母
と子の読み聞かせは、幼児絵本を媒介にした両者の心の交流であり、語り合
いを通して幸福感と安心感にひたる、そうした目的の読み聞かせでもありま
す。
 小学校中学年以上になると、挿絵はあっても文章中心の物語本になります。
読み聞かせ途中の語り合いはぐっと少なくなっていくのは当然です。



     
お話を聞けない子への対応の仕方



 一部の子が、読み聞かせの途中で、わき見をしたり、隣りの子へ話しかけ
たり、いたずらしたり、ということがあります。一か所のグループがざわつ
きだすこともあります。
 あたまごなしに叱るのはやめましょう。読み聞かせを中断し、その子の方
を注視し、目を合わせます。いけないことを分からせます。納得させ、悪か
ったと思わせるようにします。

 いろいろな方法があります。

◎読み聞かせをちょっと止めて、その子を注視して気づかせる。

◎「……が飛び跳ねていますよ。○○くん」とにっこりしてやる。

◎「○○くん、この人だあれ?」と、さし絵を見せて、質問し、答えた
 ら賞賛してやる。


◎「○○さん、おさるさんは何と返事すると思う?」と質問し、答えた
 ら賞賛してやる。


◎「○○さん、これからどうなると思う?」と、先を予想させる。

◎物語に出てくる短い会話文を学級全員で唱和する。
 例文………武井博「はらぺこプンタ」より
  
あたまは、へびにそっくり。目は、ねこの目のようにひかっています。
  「こ、これは、わにだ。」
  プンタは、目をしろくろさせました。

 (荒木注。学級児童全員で「こ、これは、わにだ。」を、声をそろえて唱
  和します。)

◎物語の中にオノマトペ(擬音語、擬態語)の繰り返し言葉が出現したら、
 学級全員でリズムをつけて唱和する。

例文
「うさぎさんが、ぴょんぴょん、ぴょんぴょん、かけてきます。」
(教師が「うさぎさんが、……かけてきました」個所を読み、児童全員が
「ぴょんぴょん、ぴょんぴょん」部分を読む、など。)

◎文章の中には動作化ができる内容の表現があります。学級全員で動作を
 して集中させます。

例文1………中野みち子「七つになったけんちゃん」より
  
みんなとならんでペンギンをみながら、けんちゃんはとおくにいるマ 
 マに手をふる。
  きつねをみたら、また手をふる。ママもあきこも手をふる。おべんと 
 うのとき、けんちゃんはこっそりママのところへいって、おいなりさ  
 んを一こつまみぐいしてにげてきた。

(学級全員が、けんちゃんになったつもりで手をふる動作をします。ママや
 あきこになったつもりで手をふる動作をします。「つまみぐい」している
 つもりで、つまみぐいの動作をします。)

例文2………中野みち子「七つになったけんちゃん」より
  
けんちゃんはおおきなこえで、
  「あいさつをします。」
  といった。
  「きょうはたんじょうかしをありがとう。ぼくは七さいになったんだ 
  から、ママがいなくてもわすれものしません。がようしもやぶいたり 
  しません。」
   みんな、パチパチ手をたたきました。

(荒木注。学級全員が「みんな」になったつもりで、けんちゃんに向かって
 拍手の動作をします。)

 こういう指導は最小限にとどめたいものです。ないにこしたことはありま
せん。読み聞かせしている途中で立ち止まってこういうことをすると、物語
の流れをせきとめ、力動感を薄めてしまいます。流れに乗っているときは、
立ち止まらないで、ひたすら読み進めるようにしたいものです。
 動作化と唱和は、児童はけっこう喜びます。児童が喜ぶからと、むやみや
たらにやると、お話の本筋から外れてしまいます。動作化や唱和が大きく表
面に出てしまうと、文章内容と齟齬をきたし、ちぐはぐになり、おかしさや
こっけいさが浮上するだけになります。ほんの、たまに、これぞという場面
だけで使用しましょう。楽しさ、面白さが増大し、意味内容の表現効果も上
がります。


      
翻案・改作は原則禁止だが……



 教師は読み聞かせをする時、原文をそのままに一字一句を違えないで読ま
なければならないのでしょうか。原文の文章を、多少変更して読み聞かせて
もよいのでしょうか。
 「翻案」とは、原作の大筋を生かし、こまかい点を作り直すことです。
「改作」とは、翻案よりも大胆な作り変えで新しいものに作り直すことです。
もう一つ「脚色」があります。「脚色」とは、舞台・映画・放送で上演でき
るように脚本化することです。「脚色」には、かなり大胆な作り変えがある
のが殆どです。下記のディズニー映画がその一つです。また「お話を多少脚
色した個所がある」という言い方をすることがありますが、これは、お話を
おもしろくするために粉飾を加える、という意味で使われています。
 「読み聞かせ」は原文を目で見ながら、原文の文字を声に変えていくこと
です。「読み聞かせ」と似た言葉で「口演」があります。「口演」とは、浪
曲師や講談師や落語家の語り芸のことです。これは話術の演芸で、原文を見
ないで脚色したものを聴衆にドラマ仕立てで語り聞かせることです。

 教師は読み聞かせをする時、原文をそのままに一字一句を違えないで読ま
なければならないのでしょうか?
 二つの意見があるようです。
 (A)「原文をそのままに読むべきだ」
 (B)「原文を多少は改変して読んでもよい」


(A)の意見をお持ちの一人として松居直さんの主張を紹介します。松居さ
んはA意見をお持ちの一人と書きましたが、松居さんは、直接に読み聞かせ
の翻案・改作については何も語ってはいません。ディズニー映画は、原作と
は別物に作り変えられ、原作のもつ芸術性はそぎ落とされ、安物のおもちゃ
になっている、と書いています。最後尾の引用は、教科書の昔話に方言の語
り口を生かせ、と主張しています。松居さんは、編集者・絵本の研究者とし
て著名な方です。
以下に、松居直『絵本とは何か』(日本エデタースクール出版部、1973)
から引用します。

 
ディズニーの「バンビ」を見たとき、私が本で読んだザルデンの原作とデ
ィズニーの映画とでは、相当の違いを感じました。原作の「バンビ」は、深
い森の中の静寂や、木々のささやき、その中に住む動物たちの語らい、木も
れ日に暖められた地面によりそって抱きあっているような鹿の親子の愛情と
いった、森の生活の息吹がしみじみと感じられます。それは決してはでな色
彩の世界ではなく、重厚な光と影の物語といった印象でした。
 それがディズニーのかがやくばかりの極彩色の光の世界におきかえられ、
すばらしいテクニックで表現される色と光と動きのスペクタクルになってい
るのを見て、ディズニーの才能と技術に圧倒されながら、何か「バンビ」の
世界に入っていけぬ違和感が残りました。その後に見たディズニー映画のす
べてに、この違和感はつきまとって離れません。(中略)未だに私の心の中
には、ザルデンの「バンビ」と、ディズニーのあのかわいらしいバンビの二
つが、はっきりと別々に存在しています。       35ぺより

 おやゆび姫にしても、漢字まじりで400字詰30枚以上もある原作を、かな
書きにして五分の一にもちぢめれば、当然作品は変質して骨組みだけになっ
てしまいます。話の筋の単なる解説にしかすぎなくなります。 38ぺより

 いわゆる名作絵本は、ダイジェスト版であり、原作とは似ても似つかぬに
せ物です。名作絵本というものは原作が名作である絵本という意味で、絵本
そのものはまっ赤なにせ物だといってよいでしょう。子どもたちに絵本を準
備するには、まずこの名作絵本を捨てるところから始めていただきたいと思
います。   39ぺより

 ディズニーは名作の中味をすりかえ、かってに書きかえ、原作と似ても似
つかぬものにしてしまいます。原作の登場人物の性格はすっかり変えられ、
重要でない部分が誇張されるため、物語の世界は変質し、子どもの想像力を
豊かにふくらませている芸術的に高いものが、安物のおもちゃを並べた店先
のようになっています。   39ぺより


 教科書に代表される標準語の文体などは全く血がかよってない日本語であ
る。私は教科書に安易に昔話がとり入れられたことにより、日本の昔話は民
衆の伝統から切りさかれて、いたずらにむくろをさらすだけになってしまっ
たと思っている。そして教科書からはむしろ一切の既存の文学作品を取り下
げてもらいたい。もしどうしても採用するなら、いかなる欠点があるにして
も原文のママにしてもらいたい。欠点は欠点として教えればよいことだ。そ
の方がはるかに教育的であり、日本語の本質がよくわかる。それをとりすま
した教科書的完全主義で統一するところに、教科書の最大に欠点と弊害があ
る。教科書は生きた日本語を殺して、日本語のドライフラワーを生産してい
るのではないか。     180ぺより


 (B)の意見をお持ちの一人に徳川無声さんがおります。徳川無声さんは
弁士、漫談家、朗読家、随筆家、俳優、話芸家など、マルチタレントとして
著名な方でした。NHKラジオの朗読「宮本武蔵」は、間のとり方が絶妙、
天下一品といわれました。以下に、徳川無声『話術』(白楊社、1949)
らの引用です。

 原作は、もちろん尊重しなければならないが、もともと放送ということを
念頭において書かれたものでないからそれを放送用に造りかえる、というこ
とは、私の自由であるはずだ。つまり眼で読む文章を、耳で聞く文章につく
りかえるのである。例えば吉川英治「宮本武蔵」で、

 
―「思い出した」―この辺の浦々や島は、天歴の昔。九郎判官殿や、平和
盛卿などの戦の跡だの」
 と、武蔵が船頭と語る件がある。眼で読めばこの「思い出した」を「ふ―
む」にかえる。「ふ―む」という声の響きに、思い出した感じを含ませる。
聞いていて、その方が自然なのである。

 ――舷(フナベリ)から真っ蒼な海水の流紋…………。
 この「流紋」を私は、ただの「流れ」にかえる。眼で眺めれば「流紋」と
は面白い文字であるが、これを耳で「リューモン」と聞いた時、おそらく分
かる人は幾人もあるまい。

 ――「武蔵か」厳流から呼びかけた。彼は、先を越して、水際に立ちはだ
かった。
 これを私のように替える。
 ――「武蔵か」厳流は先を越して、水際に立ちはだかった。 
 何故かというと、「武蔵かッ」という呼びかけは、声で表せるのだから、
呼びかけたという説明の言葉は要らないからである。    188ぺより


徳川無声さんの宮本武蔵「巌流島の決闘」場面の語りを聞くことができます。

  https://www.youtube.com/watch?v=BB5THLiS7G4

 徳川無声さんは、原作は放送用に書かれた文章でないから、放送において
は作り変えることがあってよい、と語っています。目で読む文章を、耳で聞
く文章に作り変えてよい、と語っています。
 日本語には、「書き言葉」と「話し言葉」とがあります。二つは文体が違
います。「書き言葉」を「話し言葉」に変えて分かりやすく語って聞かせよ
うとすると、どうしても若干の「文章の作り変え」ということがおこります。
「話し言葉」の聞き手意識が強くなると、文章の「読み聞かせ」や「朗読」
に大胆な脚色が加わっていくようになり、「落語」や「講談」や「浪曲」な
どの口演へと移行していきます。

 以上、二つのA・B意見に対して、私の考えは、こうです。結論をから先
に短く言いましょう。教育的配慮から必要があれば多少の翻案(改作や脚色
でない)は許される、という意見です。
 これについては、次節でくわしく書くことにします。



         
教師の介入の仕方



 教師の介入とは、教師が物語の原文の一字一句をそっくりそのままに読ま
なければならないか、少しは変更して読んでもよいか、教師はどこまで原文
に介入して読み聞かせしていくことができるか、という問題です。
 わたしの結論を先に言えば、教育的配慮があれば、多少は翻案して読み聞
かせてよい、という意見です。前節でわたしは「翻案」「改作」「脚色」の
三分類の基準を書きました。この三つの分類基準でいえば、「翻案」の読み
聞かせはヨイ、「改作」の読み聞かせはダメ、「脚色」の読み聞かせはダメ、
という意見です。
 この問題には、著作権がかかわってきます。徳川無声さんが、NHKラジ
オで宮本武蔵を放送した55年ほど前の時代は、著作権にルーズで、著作権
がどうこう問題になることがありませんでしたが、現在は違います。
 著作権法には、「同一性保持権」(著作権法20条)と「翻案権」(同27条)
などがあるようです。やっかいな法律論議は省略します。著作権法には、作
家の書いた文章の一字一句をそのままに使用しなければならないという「同
一性保持権」があります。その適用が除外できる例外もあります。除外でき
るものの一つに、学校教育の目的上やむを得ないと認められるもの、があり
ます。
 たとえば、小学生向けの国語教科書に文学作品を掲載する場合、小学生の
学力では読むことが困難な漢字があった場合、漢字をひらがなに変更できる、
という例外規定です。
 わたしは先に「翻案の読み聞かせ可」と書きました。翻案とはどこまでの
改変か、詳細に論じたらこれまたやっかいで、きりがないでしょう。作家の
意図というものがありますから、作家の真意やモチーフをそこなうような改
変はやめるべきでしょう。ディズニー映画のように別作品にした脚色の読み
聞かせはとんでもないことです。読み聞かせにおいては、ストーリー展開の
歪曲、捻じ曲げ、再構成がよくないことはいうまでもありません。
 文学作品には、表現の妙というものがあります。表現の妙は、助詞一字を
変えただけで、ニュアンスが微妙に、またはがらりと変わります。読み聞か
せの翻案・改作に表現の妙を入れて論議しだしたらこれまたやっかいで、き
りがないでしょう。「改作」はもちろん「翻案」も不可能となってくるでし
ょう。
 わたしは先に「教育的配慮があれば翻案の読み聞かせは可である」と書き
ました。教育的配慮とは何か。これが問題です。
 読み聞かせ対象児童が小学校低学年や中学年、就学前の幼稚園児や保育園
児、乳幼児の場合を考えてみましょう。絵本の文が簡単すぎたり、逆に地の
文が長ったらしい情景描写や心理描写が延々と続いていたりしたらどうでし
ょう。教師や母親は、当然にそれらに、必要に応じて言葉を付け加えたり、
平易化したり、注釈を加えたり、一部省略したり、簡略化したり、敷衍した
りして読み聞かせをするでしょう。聞き手である子どもの顔色の反応によっ
て、原作をふくらませたりカットしたりすることもあるでしょう。これが読
み聞かせを楽しく、面白く聞かせるための教師や母親による教育的配慮だと
思うのです。
 これら教育的配慮は著作権の適用外だと、わたしは思うのです。公会堂で、
料金徴収の、多数の観衆を前にしての読み聞かせの舞台公演の場合は、著作
権が発生するのかもしれませんが、教師・保育士・母親が、学校や幼稚園や
家庭で実施する読み聞かせは、多少の翻案は著作権適用外だと思います。

 以下に、教師が教室で児童に読み聞かせをする場合の教育的配慮による翻
案の事例を書いてみました。いろいろな手法の教育的配慮による翻案例を列
挙しています。参考になさってみてください。

(1)擬音語や擬態語を挿入して読む

  
【感覚に訴える力が強くなる。有様が目に浮かぶように伝わってくる。
   その場にいあわせたように感じる。音に聞こえるように、目に見える
   ように、聴覚や視覚に訴えて現実感をかもしだす。挿入をむやみやた
   らに繰り返すと食傷気味、煩わしい、ばかばかしく感ずるので注意を
   要す。】


原 文
「カラスが、鳴いています。」
翻案文「カラスが、カアー、カアー、カアーと鳴いています。」

原 文
「空にお星さまが光っています。」
翻案文「空にお星さまがピカッ、ピカッ、ピカッと光っています。」


(2)修飾語を挿入して読む

  【場面の様子や人物の気持ちがこまかいところまで目に見えるように伝
   わってくる。視覚や聴覚に訴えて、直接に見たり聞いたり触れたりし
   ている感じに伝わってくる。】


原 文「
たかしは、ぼくをにらみつけました。」
翻案文「たかしは、ぼくを目をつりあげてにらみつけました。」

原 文
「くちばしをいっしょうけんめいに動かしてえさを食べている子ツバ
    メは、かわいらしい。」

翻案文「おなかをすかせているようにくちばしをいっしょうけんめいに動か
    してえさを食べている子ツバメは、とってもかわいらしい。」

原 文
「空は、どんよりとくもって、海には、たつまきがまきあがってい 
    た。」

翻案文「空は、まるで死んだ魚の目のようにどんよりとくもって、海には、
    たつまきがちょうど怒り狂った大蛇のようにまきあがっていた。」


(3)繰り返し言葉を挿入して読む

  
【繰り返された言葉が目立つように浮き上がる、強調される。擬音語や
   擬態語と同じに、むやみやたらと繰り返しを入れると、食傷気味、煩
   わしい、ばかばかしく感ずるので注意を要す。リピートの挿入が多す
   ぎると、読み手の声がでしゃばりすぎて、から芝居がかり、嘘っぱち
   に聞こえ、漫画的な読み聞かせになるので注意を要す。】

原 文
「おばあさんが、うりを切ると、小さなかわいい女の子が生まれ  
    ました。」

翻案文「おばあさんが、うりを切ると、小さな、小さな、かわいい、かわ
     いい女の子が生まれました。」

原 文
 
えんとつから おちてきた おおかみは ぐらぐら にえた おゆの な
 かに、どぼーん!
 「ぎゃあ! あちちっ!」
 「うわーい。やったぞ!」
 やけどを した おおかみは、それきり 二どと こぶたたちの ところ
 へは やって きませんでした。


翻案文
 えんとつから おちてきた おおかみは ぐらぐら ぐらぐら にえたっ
 た おゆの なかに、どぼーん!
 「ぎゃあ! あちちっ! あちちっ! あついよー! あついよー!」
 「うわーい。やったぞー! やったぞー! やったぞー!」
 やけどを した おおかみは、それっきり 二どと こぶたたちの とこ
 ろへは やって きませんでした。


(4)読み手が動作をしながら読む

  
【場面の様子が具象的になる。視覚的に訴えて分かりやすく理解できる
   ようになる。いつもいつも動作化を入れると、マンガになり、興ざめ
   してしまうので注意を要す。ここぞの機会を選んで動作化を入れると
   よい。】

原 文
 
お母さんは、木のてっぺんにいるボロージナを見上げた。
(この地の文を、読み手・教師が、目を上にあげ、上を指さす動作をしなが
 ら読む)

原文
 
きつねは、つりをしている彦一がいつまでも目をつぶってじっとしている
 ので、ふしぎでたまりません。そこで近づいてたずねました。
 「彦一どん、何ばしよるとな。」

 (この会話文を、読み手・教師が、きつねになったつもりで、彦一の顔を
  のぞきこむ動作をしながら読む。)
 
「こうやっとると、さかながたくさんよってきよる。」
 (この会話文を、読み手・教師が、彦一になったつもりで、目をつぶった
  顔の動作をしながら読む。)


(5)長い地の文を、簡略化した地の文に直して読む

  
【場面や事柄が、単純明快に、ストレートに伝わってくるようになる。
   はっきりした姿・形になって目に見えてくる。分かりやすく伝わって
   くる。詳細描写や詳細解説のある長い地の文は、子どもは飽きてきて、
   集中力が続かない。】


原文1
 
山にすむ、いたずらずきな、あまのじゃくが、はたおりをして歌をうたっ
 ているうりこひめの声をきいてやってきました。うりこひめの家の戸を、
 トントンたたきました。
 「うりこひめ、あそぼうや。」
 うりこひめは、じいさまとばあさまから、だれがきても、けっして戸をあ
 けてはいけないと聞いていました。だから、知らんぷりをしていました。
 しらんぷりして、ギコバタと、はたおりをつづけていました。
 「あけれえ、あけれえ、ゆびのかかるほど、あけれえ。」
 と、あまのじゃくは、大きなな声で、戸をドンドンドンドンたたきました。
 うりこひめはしらんぷりです。
 あんまりうるさいので、うりこひめは、ほんのすこし戸をあけました。
 こんどは、あまのじゃくは、
 「頭のはいるほどあけれえ。」
 と、やさしい声でいいました。


翻案文1
 山にすむ、いたずらずきな、あまのじゃくがやってきました。
 「うりこひめ、あそぼうや。」
 うりこひめは、しらんぷり。はたおりをつづけました。
 「あけれえ、あけれえ、ゆびのかかるほど、あけれえ。」
 あんまりうるさいので、うりこひめは、ほんのすこし戸をあけました。
 こんどは、あまのじゃくは、
 「頭のはいるほどあけれえ。」
 と、やさしい声でいいました。

原文2
 
かさやさんは、やっと、一本のかさをつかまえました。大風が、ビュービ
 ューとふきつけて、あれ、あれ、あれ、かさやさんは、かさをさしたまま
 のかっこうで、空高くふきあげられてしまいました。
 「こりゃ、えらいことじゃ。たすけてくれー。」
 けれども、どうすることもできません。かさやさんは、一本のかさにつか
まったままそらのなかを飛んでいます。下を見ると、店も町も、通りも、み
るみる小さくなっていきます。
 野をこえて、山をこえて、青い空の上を、ふわりふわりと飛んでいきます。
 かさやさんはもう、なきべそをかいています。
 「たすけてくれーよー。」
 青い空を飛んで、とうとう雲の上まで飛んできました。


翻案文2
 かさやさんは、やっと、一本のかさをつかまえました。大風が、ビュービ
 ューとふきつけて、あれ、れ、れ、れ、れ。かさやさんは、かさをさした
 ままで、空高くふきあげられてしまいました。
 「こりゃ、えらいことじゃ。たすけてくれー。」
 野をこえ、山をこえ、ふわーり、ふわーりと飛んでいきます。
 「たすけてくれーよー。たすけてくれーよー。」
 とうとう雲の上まで飛んできました。


(6)会話文と会話文とのあいだにある地の文を省略して、対話文の
   掛け合いにして読む。

  【人物同士が対話している臨場感が出てくる。対話場面が目に浮かぶよ
   うになる。実際に対話している現場に身をおいて耳にしている感じに
   なる。】


原文
 
かえるくんは、家からとび出しました。
 知り合いのかたつむりくんに会いました。
 「かたつむりくん。」
 かえるくんが言いました。
 「おねがいだけど、この手紙をがまくんの家へもっていって、ゆうびんう
  けに入れてきてくれないかい。」
 「まかせてくれよ。」
  かたつむりくんが言いました。
 「すぐやるぜ。」
 それから、かえるくんは、がまくんの家へもどりました。
 がまくんは、ベットでおひるねをしていました。
 「がまくん。」
 かえるくんが言いました。
 「きみ、おきてさ、お手紙が来るのを、もうちょっとまってみたらいいと
  思うな。」
 「いやだよ。」
 がまくんが言いました。
 「ぼく、もう、まっているの、あきあきしたよ。」
 かえるくんは、まどからゆうびんうけを見ました。かたつむりくんはまだ
 やってきません。
 「がまくん。」
 かえるくんが言いました。
 「ひょっとして、だれかがきみに手紙をくれるかもしれないだろう。」
 「そんなこと、あるものかい。」
 がまくんが言いました。
 「ぼくに手紙をくれる人なんて、いるとは思えないよ。」
 かえるくんは、まどからのぞきこみました。かたつむりくんは、まだやっ
 てきません。
 「でもね、がまくん。」
 かえるくんが言いました。
 「きょうは、だれかがきみにお手紙くれるかもしれないよ。」
 「ばからしいことを言うなよ。」
 がまくんが言いました。
「今まで、だれもお手紙くれなかったんだぜ。きょうだっておなじだろう 
 よ。」


翻案文
 かえるくんは、家からとび出しました。
 知り合いのかたつむりくんに会いました。
 「かたつむりくん。おねがいだけど、この手紙をがまくんの家へもってい
  って、ゆうびんう  けに入れてきてくれないかい。」
 「まかせてくれよ。すぐやるぜ。」
 それから、かえるくんは、がまくんの家へもどりました。
 がまくんは、ベットでおひるねをしていました。
 「がまくん。きみ、おきてさ、お手紙が来るのを、もうちょっとまってみ
  たらいいと思うな。」
 「いやだよ。ぼく、もう、まっているの、あきあきしたよ。」
 かえるくんは、まどからゆうびんうけを見ました。かたつむりくんはまだ
 やってきません。
 「がまくん。ひょっとして、だれかがきみに手紙をくれるかもしれないだ
  ろう。」
 「そんなこと、あるものかい。ぼくに手紙をくれる人なんて、いるとは思
  えないよ。」
 かえるくんは、まどからのぞきこみました。かたつむりくんは、まだやっ
 てきません。
 「でもね、がまくん。きょうは、だれかがきみにお手紙くれるかもしれな
  いよ。」
 「ばからしいことを言うなよ。今まで、だれもお手紙くれなかったんだぜ。
  きょうだっておなじだろうよ。」


(7)読み手のひとり言を入れて読む。

  
【原文のところどころに教師の疑問・感想・意見を挿入して読みすすめ
   る。児童を場面に入り込ませ、一体化させる力が強くなる。やりすぎ
   ると、じゃまになり、うるさくなり、いやみったらしくなり、嫌われ
   る。入れるなら、極少にする。通常は入れない。教師が文章への反応
   コトバの見本を示すなど、読解で反応だしの指導例示、書き込みの指
   導例示として、教師が見本を示すことに利用するのは大いにあってよ
   い。】


翻案文……原文をそのままに、原文のところどころに教師がひとり言を入れ
     ている。ひとり言を(  )の中に挿入して例示している。
     下記(  )の中のひとり言を、ぼそっと、つぶやき声で読んで
     みよう。

  
すさのおが、
 「わたしが、やまたのおろちをたいじする。」
 と、いいました。

(村人を助けるために約束したんだ。すさのお、かっこいいぞ)
  
それから、うんとつよいおさけを、おじいさんに八つ作らせました。
  そして、ながいながいかきねをくませて、おろちの頭が入るように、八
 つのあなをあけさせました。
 あなのむこうがわに、さけつぼを一つずつならべておきました。

(すさのおは、おろちを退治するための計略をめぐらしているんだな。これ
 でうまくいくかな。成功するといいな。)
  よういができると、すさのおは、
 「さあ、こい。やまたのおろち、こい。」
 と、いって まちかまえました。
(いよいよ、おろち退治が始まるぞ。すさのお、がんばれー)
  まもなく、あたりが暗くなったとみると、なまぐさい風が、ごおっとふ
 きだしてきました。地面がどろどろにゆれだしました。

(なまぐさい風だって、いやな感じの風だね。地面がゆれるだって、おろち
 の体はすごくでっかそうだな。地面がどろどろにゆれるんだからな。)
  
やまたのおろちが赤い目だまを光らせながら、ずりっずりっとはいだし
 てきました。

(赤い目玉を光らせて、ずりっずりっだって。何かこわそうな、すげえでっ
 かそうなおろちだ。)
 
 おろちは、すぐお酒のにおいをかぎつけました。
  八つの頭をかきねのあなへつっこんで、火のようなしたを出し、ごぼん
 ごぼんと飲みだしました。
  おじいさんがこしらえたつよいお酒です。さすがのおろちも、みるみる
 うちによっぱらって、ねてしまいました。

(おろちを退治する計略は、成功しそうだ。おろちを酔っぱらわせて、酔っ
 て寝ているところをやっつけるんだ。計略に、うまくはまったぞ。)
 
「いまだぞ。おろちめ、いざ。」
 と、きりつけました。「えいっ!」
 「えいっ えいっ えいっ えいっ えいっ えいっ えーい」
  八つの頭を、つぎつぎに切りおとしました。

(ハっつの頭だから、「えいっ」を8回、言っているんだな。おろのは首を
 切る、悪者だから仕方ないよな。みんなも、そう思うだろう。)


(8)普通語順を倒置文に変えて読む

  【通常の語順を入れ替えることで強調される。倒置文になると、先頭に
   きた文が強調される効果を生む。】


原 文 
「自動車が近づいてきた。早く、こっちへおより。」
翻案文1「早く、こっちへおより。自動車が近づいてきた。」
翻案文2「アッ、早く、こっちへ来て。自動車が近づいてきたよ。」

原文
 
 ところが、タヌキのふねは、どろのふね。たちまち水がしみこみ、ぶく
 ぶくぶくとしずみはじめました。
 「ウサギさん、たすけてくれえ。」
  それを見て、ウサギが言いました。
 「おばあさんのかたきうち、おもいしったか。」


翻案文
  ところが、タヌキのふねは、どろのふね。たちまち水がしみこみ、ぶく
 ぶくぶくとしずみはじめました。
 「たすけてくれえー。たすけてくれえー。ウサギさーん。」
  それを見て、ウサギが言いました。
 「おもいしったかー。おばあさんのかたきうちだー。」


(9)登場人物名を、わざと学級児童名に入れ替えて読む 

  
【めったに使ってはいけないが、児童席がざわついてきたり、ちょっと
   だけ学級児童をおもしろがらせたり笑わせたりする時に使ってみる。
   読み聞かせを、なごやかな、楽しい雰囲気にさそいこむために使っ
   てみる。いやがる児童もいるので注意を要す、】


原文
 
「ももたろうさん、ももたろうさん、お腰につけたきびだんご、一つ、 
  わたしにくださいな。」

翻案文
 「よしのりさん、よしのりさん、お腰につけたきびだんご、一つ、   
  わたしにくださいな。」


(10)難語句を分かりやすい語句に入れ換えて読む

 
 【物語に出現する難語句は、お話の筋の展開の流れからおおよその意味
   内容の見当はつきます。一つ一つの難語句を他の語句に置き換えて読
   む必要はない。低年齢の児童には、聞きなれない難語句が出てきたら、
   分かるコトバに置き換えて読むか、ちょっとだけ中断して、ごく短い
   注釈を加えるようにする。
   絵本には難しいコトバを入れるべきだ、コトバを覚えさせるために、
   という意見もある。
   注釈挿入は、ない方がよいことは当然です。難語句が出現したからと
   いって、いちいち注釈を加える必要はない。大体はそのまま読みすす
   めてよい。前後の文脈で児童は理解できるものだ。おもしろがって静
   かに聞いていれば、そのまま読みすすめていってよい。】


原 文「腹痛がおこった」→「おなかが痛くなった」「ポンポンが痛くなっ
    た」
   「驚愕した」→「びっくりした」「おどろいた」
   「停車場に列車が停車していた」→「駅に汽車が止まっていた」
   「それは何と興ざめな話だ」→「それは、今まで楽しかったのに、 
    何とおもしろさがさめて・うすれてしまう話だ。」

原 文
 
力太郎は、むすめをおくの空びつにかくし、自分は、その前にどんとすわ
 った。みどっ子太郎が庭にいて、石っ子太郎が戸口で待っていた。


翻案文
 力太郎は、むすめをおくのふたのついた大きな箱にかくし、自分は、その
 前にどんとすわった。みどっ子太郎が庭にいて、石っ子太郎が入口・玄 
 関で待っていた。

注釈文(難語句の直後に声を低くして注釈をぼそって入れるのもよい)
 力太郎は、むすめをおくの空びつ(ふたのついた大きな箱)にかくし、自
 分は、その前にどんとすわった。みどっ子太郎が庭にいて、石っ子太郎が
 戸口(家の出入り口・玄関)で待っていた。


(11)途中省略して先を読み聞かせる

 
【長文の物語の読み聞かせの場合、各教科進度が遅れて、読み聞かせの時
  間が確保できない場合がある。こうした場合には、物語の途中を省略し
  て、先を読み聞かせて終わりにする。】


●数種類の翻案例が含まれている読み聞かせ例

  読み聞かせにおいては、児童の反応が直接に返ってくるので、楽しさも
 あり、怖さもあります。読み聞かせのおもしろいところは、その場その場
 で児童の反応の仕方、会場の雰囲気、空気感によって、教師の語り方(音
 声表現のしかた)を変化させていくことが起こります。

●「擬音語」と「修飾語の挿入」の組み合わせ例

原文
 
おひめさまは、うちでの こづちを カラン カランと ふって、
 「いっすんぼうしよ、おおきくなあれ。」
 と、いいました。そのとたん いっすんぼうしは みるみる 大きくなり、
 りっぱな わかものに なりました。


翻案文
 おひめさまは、うちでの こづちを カラン カランと ふって、
 「いっすんぼうしよ、おおきくなあーれ。おおきくなあーれ。」
 と、いいました。そのとたん いっすんぼうしは ぐぐっ ぐぐっ ぐぐ
 っと みるみる 大きくなり、それは それは りっぱな わかものに 
 なりました。


●「修飾語」と「繰り返しの挿入」の組み合わせ例

原文
 
タヌキのふねはどろのふね。たちまち水がしみこみ、ぶくぶくとしずみは
 じめました。
 「た、たすけてくれえ。」


翻案文
 タヌキのふねはどろのふね。たちまち水がしみこんで、ぶくっ、ぶくっ、
 ぶくっ、ぶくっ、としずみはじめました。
 「た、たすけてくれえーー。た、たすけてくれえーー。た、たすけてくれ
  えーー。」


●「擬態語」と「繰り返し」の挿入を含む組み合わせ例

原文 
 
二ひきの こぶたは、三ばんめの こぶたの れんがの いえに、にげこ
 みました。
 「うおーっ、うおーっ。こんな いえだって ひとふきさ。」
 おおかみは、おもいっきり
 ぷう ぷう ぷうーっ! 
 でも、どんなに ふいても、れんがの いえは、びくとも しません。

翻案文
 二ひきの こぶたは、三ばんめの こぶたの れんがの いえに、にげこ
 みました。
 「うおーっ、うおーっ。こんな いえだって ひとふきさ。」
 おおかみは、おなかに いきを いっぱいに すいこんで おもいっきり
 ぷう ぷう ぷうーっ!
 ぷう ぷう ぷうーっ!
 ぷう ぷう ぷうーっ! 
 でも、どんなに ふいても、れんがの いえは、びくとも しません。

●「繰り返し」と「動作の挿入」の組み合わせ例

原文
 
とのさまは、おきあがろうともがきながら、大声でどなりちらしました。
 「早く、あいつをつかまえろ。つかまらないなら弓でいころしてしま  
 え。」
 家来たちは、いっせいに追いかけました。けれども、白馬にはとても追い
 つけません。


翻案文
 とのさまは、おきあがろうともがきながら、大声でどなりちらしました。
 「早く、あいつをつかまえろー。早く、あいつをつかまえろー。つかまら
 ないなら弓でいころしてしまえーー。」
 (読み手・教師は、白馬への指さしをしながら殿様の台詞を大声で言う)
 家来たちは、いっせいに追いかけました。
 「それー、白馬をつかまえろー。」
 「つかまえろー。」
 「つかまえろー。」
 けれども、けいば大会で一等になった白馬にはとてもとても追いつけませ
 ん。白馬の速いこと、速いこと。とても、とても、追いつけません。



            
参考資料


 みなさんは、読み聞かせしている時、会話文と比較して地の文は読みにく
い、音声表現がしにくい、地の文の音声表現が難しい、と思ったことはあり
ませんか。
 会話文はそれらしい会話口調で読めばよいですが、地の文の音声表現は平
板になってしまい、一本調子になってしまい、メリハリをつけるのが困難だ、
と思ったことがあるでしょう。
 この事実は、話芸・朗読の大家といわれた徳川無声さんもそうだったと語
っています。徳川無声さんでさえ地の文の読み方は難しい、だったのですか
ら、まして凡人のわたしたち(失礼)が地の文の音声表現が困難なのは当た
り前だと言えます。
 このことは、上記に引用した、徳川無声『話術』(白楊社、1949)の中
に書いてありました。
 徳川無声さんは、地の文は、「とかく単調平板になり勝ち」である、「聴
取者はこの単調平板をもっとも嫌う」と書いています。このことは、教師が
児童に読み聞かせする時においても、聴取者である児童が「地の文の単調平
板をもっとも嫌う」ことでは、まったく同じです。教師が読み聞かせする時
に苦労するのは地の文の音声表現の仕方です。
 その解決策に、徳川無声さんは、「間を上手にあける」だと書いています。
「マ」さえ巧くとれていれば、ノッペラボーの棒読みでも、ある程度までは
聴取者を引きつける力がある、と書いています。さすが無声さん、ピンポイ
ントをズバリと指摘していると感心しました。みなさんも、間を意識した読
み聞かせをしてみましょう。読み聞かせの音声表現でもっとも重要なもの、
それは、間です。マだ、マだ、マだ、です。

ーーーーーー引用開始ーーーーーー

 物語の放送者が、もっとも聴取者を退屈させ勝ちなのは、地の文章を読む
時である。台詞の方は恰好がついても、なかなかの地の文章は、もち切れる
ものではない。仮に俳優が物語をやる場合、すなわち台詞(会話)のところ
は、お手のものだから、大ていの人は巧くやれる。しかし、これが地の文章
を読む段になると、大ていは落第である。逆にアナウンサーが、物語をやる
とする――これはきっと地の方は割に巧く読めるが、台詞になると落第とい
うことになるであろう。
 心理の説明、情景の説明――大体地の文章は、そうしたものだが、由来、
このセツメイということが退屈させずに、興味をもたせながら、読んで行く
ということは、容易な仕事ではない。
 おこがましく「物語放送のコツ」などという文を書いている私自身、あん
まり長い地の文章の朗読には、はなはだ自信がない。だから、いつでも地の
文章は、なるべく短く短くと心掛けて原作者には済まないが、青い鉛筆を用
いて行数を減らしている始末だ。
 何故そんないむずかしいかというと、とかく単調平板になり勝ちだからで
ある。聴取者はこの単調平板をもっとも嫌う。むろん放送者の方も百も承知
のことだから、できるだけ苦心して単調平板を避けようとする。そして、一
種の節をつけたり、メリハリをつけたりして、聴取者の注意を引っ張って行
こうとする。
 ところが、その節回しや、メリハリが同じように何回も繰り返されると、
やっぱり単調平板の感覚しか与えない。
 極端にいうと「マ」さえ巧くとれていれば、ノッペラボーの棒読みでも、
ある程度までは聴取者を引きつける力がある。  
           徳川無声『話術』(白楊社、1949)190ぺより

ーーーーーー引用終了ーーーーーー


 下記をクリックしてみましょう。
 徳川無声さんの人となりが語られています。前半部分に「間についての
エピソード」が語られています。ほんとか、うそか、くすっと笑いをさそ
う話です。後半、無声映画時代の活弁の様子が語られています。
   https://www.youtube.com/watch?v=8jJ8J7MYWfw


 わたしは地の文の読み方について、本ホームページの第5章「上手な地の
文の読み方」でくわしく書いています。下記をクリックしてみましょう。
   http://www.ondoku.sakura.ne.jp/jinobun.html

  http://www.ondoku.sakura.ne.jp/manoakekatadenanawari.html
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