第17章・小学生への読み聞かせ技術   2015・7・13記



 
 第3節 
  読み聞かせ本番の語り方(1)





      目次(教師の学級児童への読み聞かせ方)
       読みだし方を工夫する
       目に見えるように語る
       「ゆっくり、たっぷり」と語る
       めくりのタイミングを工夫する
       会話文と地の文とを区別して読む
       会話文の二種類を区別して読む
       地の文の四種類を区別して読む
       方言は方言のままで読む
       難解なコトバが出現したら
       「期待もたせの間」を上手に使う
       児童は同じ本を何度も「読んで」とせがむ
       参考資料(中野重治「梨の花」)



    
  読みだし方を工夫する


 教師は読み聞かせする座席についたら、児童席をひとわたり見渡しましょ
う。親しみををこめた眼差しで一方の端から他方の端へとずうっと見渡しま
しょう。
 児童は期待にあふれた顔で教師の方を向いているでしょうか。ざわついて
いませんか。がやがやしていませんか。好き勝手にあっちこっちでうるさく
話し合っていませんか。
 ざわついている時は、教師がわざと突拍子もないことをしてみましょう。
児童たちは驚いて教師の方を向くでしょう。たとえば、教師が両手をパンパ
ンと打ちます。それに気づいた児童に同じ動作を模倣するようにうながしま
す。しだいに両手打ち動作が広がっていくでしょう。つづいて簡単な手遊び、
指遊びをちょっとだけ模倣させるのもよいでしょう。
 
 児童が教師に集中するようになったら、次のような読み聞かせへの導入指
導をします。書名を板書します。作者名を板書します。板書を、全児童で音
読します。「登場人物はたくさん出てきますが、3人だけ書きましょう」と
言って、3人を板書します。人物名を全児童に音読させたりもします。「3
人のほかにも人物が出てきますよ。何という名前でしょうか。覚えておきま
しょう。「この本の中には、こんな文もあります」と言って、「ガラガラ、
ドスン、ガラガラ、ドスンと転がりました」などと紹介して、全児童で声を
そろえて唱和したりもします。児童たちはけっこうオノマトペ(擬音語、擬
態語)のくりかえし言葉を全員で音読するのを喜びます。これらの指導は多
くの教師は省いていると思われます。やる教師もやらない教師もいるでしょ
う。すぐ読み聞かせに入る教師もいるでしょう。これらは、やってもやらな
くでもよいのですが、一応書いておきました。
 読み聞かせが2回目、3回目の続き話の場合は、前回のあらましを復習し
たり、今後の予想を推測させたりもします。
 こうした指導をすればざわついていた児童席は一転して読み聞かせに集中
し、緊張感をもって教師の方を向くようになります。これで児童の態勢作り
はOKです。児童の心を教師側に引きずり込む準備ができました。教師と児
童との一体感が生まれました。教室全体が物語場面の舞台となることができ
ました。
 いよいよ読み聞かせに入ります。最初の出会いを感動的に、おもしろさが
感得できるようにしたいものです。読みだし方は、声を低くして、ゆっくり
と語りだしていきます。もぐもぐした発音はいけません。はぎれよい声で読
みだしましょう。だれ(人物)が、どこ(場所)で、何を、どうした、これ
ら場面がはっきりと分かるように語っていきます。出来事の展開がすすむに
つれて、児童の思考のスピードも速くなるでしょう。児童の思考のスピード
に合わせて、教師の語り方もだんだんと速くなっていくでしょう。物語の終
末は、またゆっくりと余韻を残すように語っていくとよいでしょう。



        
目に見えるように語る



 読み聞かせの語り方は、目に見えるように、からだに感じるように語るこ
とです。場面を「見せてやる」語り方にします。人物像、人物行動、、事件
の流れがはっきりと浮かびあがる語り方にします。文章の背後にある世界が
ありありと児童の目に浮かぶような語り方にします。
 目に見えるように造形するには、文字をただ声にしているだけではいけま
せん。物語場面を心の中に描きながら、イメージをいっぱいに浮かべながら、
声に色付け(メリハリづけ)をして語っていきます。
 文字のずらずら読み、機械的な読みでは、人物行動や情景をありありと浮
かび上がらせることはできません。
 読み聞かせとは、冷たい文字の羅列に生命をふきこみ、生きかえらせ、物
語世界を再創造する行為です。そのためには物語を十分に読み込んでいる必
要があります。第2節で書いたように「下読みで演出を工夫する」ことがと
ても大切です。下読みなしのぶっつけ本番の読み聞かせではいけません。
 教師が物語から受けた感動が大きければ大きいほど児童の胸にひびく語り
かけ方になります。教師が受けた感動を伝えよう、ほれこんだ感動を目に見
えるように語り方を工夫して伝えようと一生懸命になることです。物語に生
命をふきこもうと一生懸命に読み方を工夫し、語りかけることに気を使うこ
とです。こうすることで読み聞かせは、生き生きした語りかけになり、児童
の胸をうつ伝わり方になります。
 時間つぶしの、投げやりな態度の語りかけでは児童の胸にちっともひびい
てきません。物語場面を、目に見えるように伝えようと一生懸命に語り方を
工夫しながら語り聞かせていくことです。
 そうすれば児童たちは、どきどき、わくわくしながら聞き入るようになる
でしょう。教室全体が笑ったり、しんみりしたり、おこったり、ため息つい
たりするような空気になればしめたものです。



    
「ゆっくり、たっぷり」と語る



 あなたは、次の(A)と(B)の読み聞かせか方、どちらがよいと思いま
すか。

(A)声高にガンガンと一生懸命になって児童に押しつけるように語る

(B)ゆっくりと静かにたっぷりと落ち着いた声で語る

 正解は(B)です。
 早口で次々と押しつけるように読み聞かされると、児童は耳をそばだてて
聞きとることだけに集中させられ、意味内容を理解することに精一杯です。
自由にゆったりと想像をめぐらし、イメージや感情をふくらます余裕があり
ません。
 ゆっくりと静かに読み聞かされると、余裕をもって理解する時間が与えら
れ、場面の情景や人物の気持ちをたっぷりとふくらませて思い描くことがで
きます。ゆっくりと静かに読み聞かされると、作品世界の中に静かに引き込
まされ、作品世界の中を自由に遊び、生き、楽しむことができるようになり
ます。
 「静かに読み聞かす」とは、小さい声・低い声ということではありません。
声を一人一人の児童にしっかりと届けなければなりません。余裕のある声量
で届けなければいけません。子どもの頭にガンガンと押しつけ、押さえつけ
る声ではいけないということです。たっぷりとした声量でありながら、子ど
もの心に柔らかくしみいる声にして語るようにします。
 声高にガンガンと一生懸命になって押しつける語りかけは、先へ先へと読
み急ぐので、文章の意味内容が読み声にうまくのっかってきません。
 「ゆっくり」と読めば、読み手も、聞き手も、ひとりでに内容を思い浮か
べざるを得なくなります。ゆっくりと読めば、読み手は文字の一字一字をお
さえて正確に読むことが強いられます。意味内容を音声にのせようと意識す
れば、「たっぷり」「ゆっくり」と時間をかけて読まざるを得なくなります。
 「ゆっくり、たっぷり」とした読み方にすると、読み手の思い・イメー
ジ・気持ちが一文字一文字の音声に着実にのっからなければならなくなり、
間のあけ方もしぜんと余裕ができきます。間も、たっぷりとあくようになり
ます。
 「ゆっくり」「たっぷり」と読むと、ひとりでに意味内容の思い・イメー
ジ・気持ちが脳中に充満するようになります。その読み声はひとりでに「た
っぷり」とした感じになってきます。意味内容も読み声に「たっぷり」との
っかって送り出されてくるようになるでしょう。



     
めくりのタイミングを工夫する



 絵本の読み聞かせでは、めくりのタイミングがとても重要です。先がどう
なるかを期待させるページめくりの演出が重要です。
 お話がどのように展開していくか、児童は心待ちにしています。早く次
ページを読んでほしい、次ページの絵を見せてほしいと待ち望んでいます。
こうした期待をどう読み聞かせに生かしていくかです。たまに使うじらすテ
クニックも必要です。
 ページめくりは大別して三つの方法があります。

@すばやく、瞬時に、急いで、パッとめくる
Aおもわせぶりに、間をあけて、ゆっくりとめくる
B通常のめくり方(読み終わったら通常の速さでめくる)

 三つの方法のどれにするかは、物語内容によって、場面展開のしかた
によって、違ってきます。@とAを効果的に使うと、児童はどきどき、
わくわく身につまされて絵本世界を楽しむことができます。Bが通常
で使う場面は多いでしょう。その中に、ときたまに@とAとを使うよう
にします。

 ページ個所によっては、次のような方法もあるでしょう。


方法1
 教師は絵本の絵を児童に見せないで、文章だけを読み聞かせます。児童に
は表紙部分を見せ、読み聞かせしているページの絵・文章は教師側に向けま
す。そのページの文章を読み終わったところで、間をおいて、おもわせぶり
に、おもむろに絵を見せます。児童が早く絵を見たいという気持ちをがまん
させ、じらさせて、みなさんがみたがっている絵はこれですよ、というよう
に絵を提出します。

方法2
 前とは逆に、そのページの絵だけを見せ、文章は読み聞かせません。絵だ
けをじっくりと時間をかけて見させます。物語がどう展開しているか、自由
に想像させます。想像したことを児童に発表させたりもします。次に文章を
読みます。

方法3
 紙芝居のように、そのページの文章の終わりまで読み終わらないうちにそ
ろりそろりと次ページを開いていきます。次ページの絵を半分だけ、三分の
二だけ、などと絵を見せていきます。前ページの未読個所の文章は教師が暗
記しておき、次ページの絵と前ページの文章をかぶせて読み聞かせていきま
す。

 これら三つの方法の、どれを、いつ、使うかは、物語の展開のありように
よって決まってきます。これらを使うページ場面は、多くはないと思われま
すが、たまにはこうした方法の読み聞かせもあってよいでしょう。
 児童を物語世界に遊ばせましょう。物語世界を楽しませましょう。上手な
読み聞かせとは、読み終わったとき児童の心に残る読み聞かせ方です。その
ためには教師も児童と一緒に楽しんで遊びながら読むようにすることです。



   
 会話文と地の文とを区別して読む



 会話文にはカギカッコがついています。地の文にはカギカッコがついてい
ません。これで区別ができます。
 会話文と地の文とは、音声表現のしかたが違います。

 会話文は、登場人物が話しているコトバです。話しているコトバですから、
おしゃべりしているように、会話口調で読まなければなりません。相手に話
しかけているように、語りかけているように読まなければなりません。
 話し相手をはっきり意識して読みましょう。誰に話しているかをはっきり
意識して読みます。どんな内容を伝えたいのでしょうか。話し意図をはっき
り意識して読みます。話し意図や気持ちを押し出して読みます。
 「もし、自分が、その登場人物だったら、その人物の立場だったら」と、
その人物になったつもりになって読むとうまくいきます。その場面(状況)
の中にわが身を置いて、その人物の気持ちに「はいる、なりきる、のりうつ
る」と上手な会話文の音声表現ができます。

 他方、地の文はその物語を語っている語り手(話者)が話しているコトバ
です。地の文の音声表現のしかたは、会話文と違って、上昇下降のイント
ネーションの変化がありません。淡々と平らに説明しているように読みます。
 地の文は、語り手が事件の流れや因果関係を説明・解説したり、情景を描
写したり、語り手の解釈(感想、注釈、意見、批評)を付け加えたりしてい
る文章部分です。
 ですから、事件(出来事)の流れを説明したり、解説を加えたり、まわり
の情景(様子)はこうだと説明し報告しているように読みます。語り手(話
者)の気持ちになって、客観的に説明的に淡々とした音調で読みすすめます。



      
会話文の二種類を区別して読む



 会話文には、大きく分けて二つの種類があります。二種類を区別して読み
分けることが大切です。二種類とは、下の二つです。

   @話しかけている会話文
   Aひとりごとの会話文


 例文で説明しましょう。よく知られている新実南吉「ごんぎつね」の文章
部分から引用します。

        
@話しかけている会話の例文

 例文1 「いわしの安売りだあい。」
 例文2 「いわしをおくれ。」
 例文3 「ごん、おまえだったのか。いつも、くりをくれたのは。」

 例文1と例文2とは、声高に叫んで知らせている会話文です。声高に叫ん
で知らせているように読みます。
 例文3は、兵十がごんに向かって、初めて知ったと驚いて語りかけている
会話文です。驚いて語りかけて読みます。
 
 @の会話文には、連続している会話文もあります。下の文章部分がそうで
す。

「そうそう。なあ、加助。」
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とても、ふしぎなことがあるんだ。」
「何が?」
「おっかあが死んでからは、だれだか知らんが、おれに、くりや松たけなん
 かを、毎日、毎日、くれるんだよ。」
「ふうん、だれが?」
「それが分からんのだよ。おれの知らんうちに置いていくんだ。」
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。そのくりを見せてや
 るよ。」
「へえ、へんなこともあるもんだなあ。」


 連続している会話文は、連続した対話ですから、「やりとりしている音
調」「かけあい話し合ってる雰囲気」を出して読むことが重要です。ここの
会話連続では、兵十の語りだしの強さと、加助の受けの勢いの弱さの違い、
二人の気持ちの違いを音声表現することが重要となるでしょう。


       
Aひとり言の会話の例文

例文1 「ふふん、村に何かあるんだな。」
例文2 「何だろう。秋祭りかな。祭りなら、たいこや笛の音がしそうなも
     のだ。それにだいいち、お宮にのぼりが立つはずだが。」
例文3 「ははん。死んだのは兵十のおっかあだ。」

 例文1と例文2と例文3とは、すべてひとり言です。ごんぎつねの頭の中
のコトバです。声に出ていません。実際は声に出ていませんが、読み聞かせ
では黙っていては、人物がどんなことを思っているか、考えているか、児童
たちには分かりません。つぶやいて、ぼそぼそと、小さい、低い声で読むよ
うにします。
 ひとり言での話し相手は他人相手ではありません。自分自身です。ひとり
言とは、自分に向けて語りかけているコトバです。例文1、2は、自分に語
りかけて、不思議だなと思いつつ黙って頭の中にうかんだ事柄をつぶやいて
います。例文3は、自分の心に向けて語りかけて、自分でそうかそうかと納
得している気持ちで頭の中で黙ってつぶやいています。いずれも、頭の中で
つぶやいているように読まなければなりません。

※会話文の読み方については、本ホームページの第四章「上手な会話文の読
み方」(下記をクリック)に詳細に書いてあります。
 http://www.ondoku.sakura.ne.jp/kaiwabunnoyomikata.html へのリンク


会話文の音声表現メモ

※むりに声色を使って読む必要はありません。人物と全く同じにしようと語
 り口を模倣して読む必要はありません。
※その人物の気持ちになって、相手に伝えたい意図を押しだして読むように
 します。
※男性教師が女性の会話文を読むときは、声をやや張り気味にして言うとよ
 いでしょう。その人物の性別、年齢、性格、伝え意図、相手への態度など
 がそれらしく、ふさわしく気持ちを押しだして読めればよい。声色は必要
 なし。
※女性教師が男性の会話文を読むときは、声をやや低目にして読むとよい。
 ふさわしく読めればよい。その人物の性別、年齢、性格、伝え意図、相手
 への態度などがそれらしく、ふさわしく読めればよい。声色は必要なし。
※地の文を読むときは正面を向いて、会話文を読むときは上半身を右か左に
 向きを変えて読むとよい。落語では目上の者に向かって言うときは「かみ
 て」(舞台の、見物席から見て右の方)を向き、目下の者に向かって言う
 ときは「しもて」(見物席から見て左の方)を向いて話すのが原則となっ
 ているようです。しかし、読み聞かせではそこまで区別する必要はないで
 しょう。
※ひとり言の会話文を、相手に話しかけているように音声表現しやすいので
 気をつけよう。間違いやすい例を下記に書きます。

例文1………さとうさとる「まいごのおばけ」より
   
 「ほんとだ。」
    たっちゃんはつぶやきました。

(荒木注。「つぶやきました」です。カギカッコがついていますが、「ほん
 とだ。」は、つぶやいて読まなければなりません。

例文2………武井博「はらぺこプンタ」より
 
 おさんぽといっても、ただぶらぶらあるくだけではありません。
  「なにか おいしそうなたべものはないかな」
  と、あちこちさがしながらあるくのです。

(荒木注。カギカッコがついていますが、意味内容から考えて「なにか お
 いしそうなたべものはないかな」は、自分の頭の中に浮かんだひとり言で
 す。そっと、ひそやかに、考えているように読まなければなりません。)

例文3………さとうさとる「まいごのおばけ」より
   
もうねようとおもったとき、とだなにしまってある、あのまいごのお
   ばけのことを、おもいだしました。

  
(おっと、ぼく、もうちょっとで、あいつのことをわすれるところだっ
   たよ。)
  大いそぎでじぶんのへやへいって、とだなのまえにたって、そうっとと
  をあけてみたら、からっぽでした。

(荒木注。「  」でなく、(  )がついています。(  )の中は、け
 っこうひとり言で読む例が多くあります。(  )の直前に「おもい だ
 しました」と書いてあります。頭の中に思い出したひとり言にして読まな
 ければなりません。)



     
地の文の四種類を区別して読む



地の文には、四種類があります。四種類を区別して読み分けることが大切で
す。四種類とは、下の四つです。

 @語り手が直接に語り聞かせている地の文
 A一人称の登場人物の目や気持ちをとおした地の文
 B三人称の、ある登場人物の目や気持ちに寄りそった地の文
 C語り手や登場人物の目や気持ちがひっこんだ地の文
 

@「語り手が直接に語り聞かせている地の文」の例文

 これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお
話です。
 昔は、わたしたちの村の近くの、中山という所に、ちいさなおしろがあっ
て、中山様というおとの様がおられたそうです。
 その中山から、少しはなれた山の中に「ごんぎつね」というきつねがいま
した。ごんはひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱいしげった森の中に、
あなをほってすんでいました。    
新実南吉「ごんぎつね」より

この例文の地の文は、語り手「わたし」が物語の中ににゅうっと顔を出し
て、というか登場人物のように出てきて、聞き手に向かって、「昔のことだ
けど、私の村に1ぴきの、ひとりぼっちの、ごんぎつねがおってな……」と
語って聞かせています。読み手は、「わたし」になったつもりで、聞き手に
向かって、ごんのことを語り聞かせるように読んでいくとうまくいきます。


A「一人称の登場人物の目や気持ちをとおした地の文」の例文

 ぼくは悪くない。
 だから、絶対に「ごめんなさい」は言わない。言うもんか、お父さんなん
かに。
「いいかげんに意地を張るのはやめなさいよ。」
お母さんはあきれ顔で言うけれど、あやまる気はない。先にあやまるのはお
父さんのほうだ。
 確かに、一日三十分の約束を破って、夕食が終わった後もゲームをしてい
たのは、よくなかった。だけど、セーブもさせないで、いきなりゲーム機の
コードをぬいて、電源を切っちゃうのは、いくらなんでもひどいじゃないか。
               重松清「カレーライス」より

 この例文の地の文は、語り手(話者)が一人称の「ぼく」です。読み手は
「ぼく」の目や気持ちと重なり、一人称の主人公「ぼく」の内面をとおして
語り聞かせていくようになります。読み手は、一人称「ぼく」の目や気持ち
になって、重なって、「ぼく」の気持ちに入り込んで読み進めていくとうま
くいきます。
 引用個所に母親の会話文「いいかげんに意地を張るのはやめなさいよ。」
がありますが、これも「ぼく」の頭の中に浮かんだ、「僕」の気持ちの入っ
た会話文です。どれぐらい「ぼく」の気持ちを入れるか、母親が語った口調
そのままで読むか、これは読み手の判断(解釈)によって違ってきます。
 一般に物語の中に一人称人物(ぼく、わたし、おれ、吾輩、拙者など)が
登場するときは、その一人称人物が話者であり、その一人称人物の気持ちに
入り込んで音声表現していくとうまくいきます。


B「三人称の、ある登場人物の目や気持ちに寄りそった地の文」の例文

 大造じいさんは、青くすんだ空を見上げながらにっこりした。
 その夜のうちに、飼いならしたガンをえさ場に放ち、昨年建てた小屋の中
にもぐりこんだ。
 さあ、いよいよ戦闘とう開始だ。
 東の空が真っ赤に燃えて、朝が来た。
 残雪は、いつものように、群れの先頭に立って、美しい朝の空を、真一文
字に横切ってやってきた。
 やがて、えさ場におりると、グワー、グワーという、やかましい声で鳴き
始めた。大造じいさんの胸は、わくわくしてきた。しばらく目をつぶって、
心の落ち着くのを待った。そして、冷え冷えする銃身をぐっとにぎりしめた。
「さあ、今日こそ、あの残雪めにひとあわふかせてやるぞ」
 くちびるを二、三回静かにぬらした。そして、あのおとりを飛び立たせる
ために口笛をふこうと、くちびるをとんがらせた。と、その時、ものすごい
羽音とともに、ガンの群れが、一度にばたばたと飛び立った。
                椋鳩十「大造じいさんとガン」より

             
 この例文の地の文は、語り手(話者)は、三人称「大造じいさん」の目や
気持ちに寄りそいつつ、「大造じいさん」の内面世界を語って聞かせていま
す。語り手は、外からの視点で客観的に語っているようでいながら、三人称
人物「大造じいさん」の目や気持ちと重なっており、ないまぜになって、微
妙に重なり離れてもいて、そうしたつきつかずの中で語っています。客観的
につきはなして語っていながらも、三人称「大造じいさん」の目や気持ちに
入り込んでも語っています。「大造じいさん」の目や気持ちに「寄りそっ
て」読み進めていくとうまくいきます。


C「語り手や、登場人物の目や気持ちがひっこんだ地の文」の例文

 まだ戦争のはげしかったころのことです。
 そのころは、おまんじゅうだの、キャラメルだの、チョコレートだの、そ
んな物は、どこへ行ってもありませんでした。食べるものといえば、お米の
代わりに配給される、おいもや、豆や、かぼちゃしかありませんでした。
 毎日、てきの飛行機が飛んできて、ばくだんを落としていきました。
 町は、次々と焼かれて町ははいになっていきました。
 ゆみ子は、いつもおなかをすかしていたのでしょうか。ごはんのときでも、
おやつのときでも、「もっと、もっと」と言って、いくらでもほしがるので
した。             今西祐行「一つの花」より

 この例文の地の文は、語り手(話者)は作品世界の背後に退いて、引っ込
んで語っています。三人称のだれかの目や気持ちに寄りそったりしていませ
ん。戦争の激しかった様子が淡々と外側から客観的に紹介するように語って
聞かせているだけの描写文になっています。
 読み聞かせする時は、読み手は、物語世界に登場する人物たちの行動、ま
わりの様子、起こっている出来事を冷たく前へポンとさしだすだけの音声表
現にします。出来事(ここでは戦争直後の様子)を淡々と説明し紹介するだ
けの読み方にします。事件の流れをそっくりそのまま前へ差し出すだけの読
み方にするとうまくいきます。
 誤解を恐れずに言えば、アナウンサーのニュースを読み、それと似ていま
す。外側から淡々と紹介するだけの客観的な読み方にするとうまくいきます。

※以上、四種類のほかに、ほんとは、地の文にはもう一種類あります。
  D語り手が自在に登場人物の目や気持ちに入り込んだ地の文
 Dは、幼児の絵本や、小中学生の物語本には、めったに出現しない地の文
です。種類がたくさんあるとわずらわしくなるので、ここでは省略していま
す。

※地の文の種類や読み方については、本ホームページの第五章「上手な地の
文の読み方」(下記をクリック)は詳細に書いてあります。
http://www.ondoku.sakura.ne.jp/jinobun.html へのリンク



        
方言は方言のままで読む



 物語の中には、全文章が方言で書かれている文章があります。また、地の
文は共通語で、会話文だけが方言で書かれているものもあります。
 方言は方言のままで読んで聞かせましょう。
 作者は、それなりの理由があって方言で書いているわけです。どうしても
方言でなければならない、という確固とした理由があって方言で文章化して
いるはずです。ですから、方言で書かれたいる文章は、方言のままで読み聞
かせるようにします。方言の独特な言い回し・イントネーションは、読み手
の勝手流でそれらしく読めればよいでしょう。そこまで要求するのは無理で
す。
 方言を使った絵本の一つに『八郎』(斎藤隆介・作 滝平二郎・絵、
福音
館書店)があります。
 
 下記の文章を声に出して読み聞かせしているように読んでみましょう。

 むかしな、秋田のくにに、八郎って山男が住んでいたっけもの。八郎な、
山男だっけから、せえがたあいして高かったけもの。かしの木のようにすい
すいとよくのびて、かんかんかたい八郎のうでや、かたや、むねなんど見て
ると、あんまし大きくて、見てるものは、ほーいとわらって、つい、気持ち
よくなってしまったと。
 んだどもな、八郎は、まっとまっと大きくなりたくてせ、山からはままで
かけてっては、海さ向かって「うおーい、うおーい」って叫んだと。おっき
く育(おが)った八郎のむねのどこからかよ、「あーあー、おら、もっとも
っとおっきくなりてえなあー」って気持ちがよ、むくむくわいてくるんだと。

 上の文章を共通語に直してみましょう。わたしの下手な直しですが、声に
出して読み聞かせしているように読んでみましょう。

 むかしむかし、秋田のくにに八郎という名前の山男がすんでいましたと。
八郎は山男だから、身長がとっても高かったんだと。かしの木のようにぐん
ぐんのびて、かんかんに固くなった八郎の腕や肩や胸は、あんまり大きいも
のだから、見てる人は、ほーいと笑って、つい気持ちよくなってしまうだっ
てよ。
 だけども、八郎は、もっともっと大きくなりたくてよ、山から浜へ駆けて
行って、海に向かって「おうーい、うおーい」と叫びましたと。八郎の大き
くなった胸のどこからかよ、「あーあー、僕はもっともっと大きくなりたい
なあ」という気持ちがむくむく湧いてくるのでしたと。

 ふたつを比べると、文章の勢いや力強さが違ってくるでしょう。昔語りの
場面設定から現代場面に移行してしまっています。八郎は、なんとなく現代
のイケメンの大男に見えてきます。
 方言は、日本古来からの各地方人たちの生活の知恵や魂が身体化されてい
る精神的血液としてのコトバです。各地方人たちの人情や思いやりや温もり
や慈愛の心がこもっているコトバです。読み聞かせは情操教育であるととも
に一面言語教育でもありますから、方言は方言のままで読み聞かせるように
します。
 いま方言で読み聞かせしましたが、読み聞かせした方言の意味は、現在の
共通語に直すと、こんな意味ですよとあらましを語って聞かせることはあっ
てよいでしょう。あるいは方言の中から特別に難解な語句を取り出して、今
のコトバでは○○というコトバになりますと語って聞かせることもあったよ
いでしょう。


      
 難解なコトバが出現したら



 分かりにくい言葉、聞きとりにくい発音の言葉などは、ゆっくりと読みま
しょう。 
 難解な漢語、外来語、古語などが出現したら、 
  @その場で解説する
  A事前に解説する

 
二つの方法があります。

 @は、難解語が出現したら、その場面その場面、簡単なひとこと解説を加
え、すぐ読み聞かせを続行していく方法です。たとえば、新実南吉「ごんぎ
つね」の中に出現する「はりきりあみ」「かみしも」などは、挿絵があれば
「これよ」と指差し、なければ写真や絵を事前に用意しておき、その場面で
提示して見せて終わりとします。
 Aは、その場面場面の手短な解説では間に合わない場合です。たとえば、
新実南吉「おじいさんのランプ」(昭和17年刊)の中に「ランプ」「ランプ
のほや」「ランプの芯」「ランプの台」などが本文中に出現します。この作
品では、「ランプ」が重要語句となっており、「ランプ」が分からなければ
読み聞かせられても理解困難となる作品です。ランプの実物や写真や絵(挿
絵)を見せて、読み聞かせ事前の知識として教えておく必要があります。
 今の児童には、方言も難解な語句になってきています。児童読物の中に方
言が入っている場合は、方言のままで読み聞かせなければなりません。方言
に、一つ一つ、解説を加えていたら、読み聞かせが成立しなくなります。現
代語訳では方言のもつ情趣が理解できません。
 いま出版されている児童読物の方言物語は、方言で読み聞かせられていく
につれ、場面や事件の流れが何とはなしに、ぼんやりと、あるいは鮮明に分
かるように書かれています。作家がそのように気をつかって方言で書いてい
るのです。方言の物語は、教師が心配するほど理解困難でありません。読み
聞かせすると、児童はけっこう楽しんで聞いてくれます。


  
   
 「期待もたせの間」を上手に使う



聞き手に分かりやすく伝える、これは読み聞かせで第一歩です。
 分かりやすく伝えるには、文章の意味内容のまとまり、区切りで間をあけ
て読むことです。すらすら読みは、一本調子で変化がなく、場面の様子や人
物の気持ちが読み声に現れ出てきません。同じ調子が平らにつづくだけで、
聞いていてつまらなく、すぐあきてしまいます。
 ちょっとした間のあけかたで音声表現がぐっと変化します。分かりやすく
伝えることができます。
 どれぐらいの長さの間をあけるかは、大切です。長くあけすぎると「間の
びした」読み方になります。短すぎると「間がない」「走った」読み方にな
ります。
 文章のあちこちでむちゃくちゃにあけたからよいというものでもありませ
ん。わけもなくあける間は「死んだ間」となります。へんなところで間をあ
けると「間が合わない」「間がはずれた」読み方になります。
 どれぐらいの長さにあけるかも、大切です。短い間、長い間、いろいろあ
ります。一つ分の間、二つ分の間、三つ分の間、四つ分の間、いろいろです。
 長くあけすぎると「間のびした」読み方になります。短すぎると「間がな
い」「走った」読み方になります。
 テン(読点)があるから、マル(句点)があるから、そこで間をあけると
いう機械的にあける間もよくありません。マルでは大体あけますが、テンで
はあけたり、あけないで続けて読んだりします。
 間のあけ方の詳細については、本ホームページの下記の記事をクリックし
みましょう。
    第8章の中の「間のあけ方で音声表現の七割は決まる」
  http://www.ondoku.sakura.ne.jp/manoakekatadenanawari.html


 地の文の間には、主な種類として次のようなものがあります。
   1、意味内容の区切りの間
   2、係り受けの間
   3、はさみこみの間
   4、文終止の間
   5、場面変えの間
   6、期待もたせの間
   7、思いひたりの間
   8、驚きの間
   9、時間経過の間
   10、余韻の間

 これらの間の中で、読み聞かせでは、特に重要なのは「6、期待もたせの
間」です。次の場面がどう展開するか、期待、予想の緊張を児童に与えるた
めのちょっと長めに間をあけます。次はどう展開していくか、先を知りたい、
ここでわざと間を作り、わざとじらさせ、いらだたせる、教師がおもわせぶ
りにあける間です。前述した「めくりのタイミングを工夫する」で書いた内
容と似ている間のあけ方です。

 「期待もたせの間」の例を、前述「方言は方言のままで読む」個所で使用
した「八郎」の文章例で示しましょう。
 少しばかり強引な挿入になってしまいますけれど、「期待もたせの間」を
(  )として書き入れてみましょう。

 むかしな、秋田のくにに、八郎って山男が住んでいたっけもの。八郎な、
山男だっけから、せえがたあいして高かったけもの。かしの木のようにすい
すいとよくのびて、かんかんかたい八郎のうでや、かたや、むねなんど見て
ると、あんまし大きくて、見てるものは、ほーいとわらって、つい、気持ち
よくなってしまったと。
 んだどもな、(期待もたせの間1)八郎は、まっとまっと大きくなりたく
てせ、(期待もたせの間2)山からはままでかけてっては、海さ向かって
「うおーい、うおーい」って叫んだと。おっきく育(おが)った八郎のむね
のどこからかよ、「あーあー、おら、もっともっとおっきくなりてえな
あー」って気持ちがよ、むくむくわいてくるんだと。

 わたしが「期待もたせの間」をあけるとしたら、第一候補は(期待もたせ
の間1)個所です。第二候補は(期待もたせの間2)個所です。
 「んだどもな」(だけれども)と言って、これまでと逆の、大男のくせに
腕力が弱いとか、気弱な性格で大胆な行動ができないとか、いや、ほかに違
うことかな……、そんなことを予想させる、早く先を知りたいという気持ち
を、わざと間をあけて、児童のはせる思いをじらさせる、そうした先を期待
させの間をあけます。四つ分か、五つ分ぐらいの、たっぷりした思わせぶり
な間をあけて「早く聞かせてよ、読んでよ」という期待もたせの間をあけて
読みます。
 「期待もたせの間」の間の第二候補は(期待もたせの間2)個所です。こ
こでもおもわせぶりな期待もたせの間をあけることができます。(間1)だ
けでもいいですが、(間2)でもあけると、さらに期待もたせの効果が強く
なります。


  
児童は同じ本を何度も「読んで」とせがむ



 児童は、一度読み聞かせた本でも、「もう一度読んで」とせがみます。一
度読み聞かせた本だからといって、次は別の本を読み聞かせなければならな
いということはありません。同じ本を何度も読み聞かせましょう。
 このことは、年齢が低くなるほどよく見られる現象です。小学高学年より
も小学低学年の児童のほうが「もう一回読んで」とせがみます。低学年児童
よりも幼稚園や保育園の幼児のほうが「また読んで、また読んで」とせがむ
傾向にあります。幼児は毎回、同じ絵本を読み聞かされても平気です。かえ
って喜びます。
 読み聞かせは、自分で読もうとする意欲をなくすのではという心配する方
がおられます。心配は無用です。子どもは好きな話を何回も繰り返して読む
ことを好みます。ですから読み聞かせは、単に聞いて楽しむだけでなく、読
書への導入ともなます。読書好きな子に育てていきます。
 同じ本の読み聞かせをしていると、一回目よりの二回目、二回目よりも三
回目のほうが子どもたちは真剣に耳を傾けてくれます。同じ本を回を重ねる
ごとに手いたずらが減り、絵本への集中度が深くなります。
 なぜでしょうか。
 子どもは一回の読み聞かせで大人のようにすべてが理解できるわけではな
いのです。基礎的知識(ベースとなる既有知識)が貧弱なため初回の読み聞
かせだけでは大雑把で、いい加減な浅薄な理解になっているからだと思われ
ます。読み聞かせるたびに文章内容を再確認し、不十分(欠けている)な理
解を補強し拡充していっているのだと考えられます。幼児や小学校低・中学
年は、お話し内容のあちこちを断片的に理解し、理解に深い浅いがあり、母
親や教師のお話を、そのコトバ刺激を身体全体で理解しており、核心をくみ
取る力が弱いからだろうと思われます。
 このことで、幼児や低学年生は読み聞かせられるたびに物語世界を新鮮な
感覚で受け入れることができるのでしょう。その都度、絵や文からの受け取
り方が違っているのでしょう。だから、何度も読み聞かせられた絵本、知っ
ている話でも、顔を輝かせて何度でも聞きたがるのでしょう。初回の読み聞
かせでは部分反応が多く、二回目、三回目になると作品全体の流れやテーマ
にかかわる読みへとつながっていくのだと考えられます。幼児や低学年児童
は、コトバ(言語)からイメージをふくらます力が弱い、想像力が弱いから
なのでしょう。

中野重治『梨の花』を読んでいたら、「児童は同じ本を何度も「読んで」
とせがむ」場面の描写個所がありました。下記に参考資料として引用してい
ます。


           
 参考資料



 以下は、中野重治『梨の花』からの引用です。「児童は同じ本を何度も
「読んで」とせがむ」と「方言は方言のままで読む」の場面です。

ーーーーーー引用開始ーーーーーー

「おばばいの……」と良平がいう、「屁こきの話、してくんないのれ。」
「屁こきの話か。あれゃ、いつやら、したじゃないかいの。」
「したけれど、も一ぺん、してくんないのれ。」
「そうかァ……」といっておばばが前かけをおろす。そして「じょろかき」
(あぐら)になる。火たき座のおばばの顔を、囲炉裏の火が下の方からちょ
ろちょろと照らす。
「むかしむかしのその昔、とんとの昔あったんじゃと。」
「ふん」
「あるところうに、屁こき男がいたんじゃと。」
「ふん。」
 とんとの昔、ある村に屁をこく男がいた。屁をこく男はぎょうさんいたが、
この男はかわった屁をこいた。「だれじゃ。だれじゃ。」という屁をこの男
はこいた。「だれ、じゃ。だれ、じゃ。だれ、じゃ……」
 ある夜さりのこと、この男の家へ「ぬすとう」(盗人)がはいった。だん
だんはいって行って、箪笥、長持に手をかけようとすると、ちいさい声で、
「だれ、じゃ。だれ、じゃ。」というものがある。
 盗人はおどろいてしまって、手とぼしを片手でかくして見まわしてみた。
みんなよく寝ている。そこで安心してまた手をかけようとすると、また「だ
れ、じゃ。だれ、じゃ。」と聞こえる。
 盗人は気味がわるくなって、今度は声のする方をよくよく調べてみた。す
ると、寝ている男の夜着の下で、「だれ、じゃ。だれ、じゃ。」と小ごえで
聞える。盗人はそろっと夜着をまくってみた。そうしたところ、その男の尻
が屁をこいていて、その尻が「だれ、じゃ。だれ、じゃ。」と鳴っているの
だった。
 「これじゃな。」と盗人は考えた。盗人は、「待て、待て……」と考えて、
台所へ行って、樽の栓と才槌(さいづち)とを持ってきた。そうして、樽の
栓を、男の尻の穴へ才槌でとんとんと打ち込んだ。栓をかったので、もう屁
は出ぬようになった。
 盗人は安心して箪笥をあけた。長持もあけた。何もかも盗みだして、大風
呂敷いっぱいに品物を包み込んだ。それからどっこいしょとそれを担(か
つ)いで、ぬき足、さし足、はいったところから出て行こうとした。
 一方、屁こき男の腹は、屁がたまる一方で、太鼓のようにふくれてきた。
挙句の果て、栓がぽんとはずれた。それで、「だっじゃ、だっじゃ、だっじ
ゃあ……」と雷のように屁が飛び出た。盗人は仰天して、尻もちついてつか
まってしまった、と……         岩波文庫58〜58ぺ

ーーーーーー引用終了ーーーーーー

 小学一年の良平。孫とおばばの屁こきの話です。屁の話は民話にはけっこ
う多くありますね。屁の話なんて、子どもだけでなく、大人も興味があり、
大好きですものね。「誰じゃ。誰じゃ。」という屁なんて、けっこう難しい
ですよね。どんなオトなんでしょうね。語り聞かせる時の音調が難しいです
ね。
 前記の小見出しに「方言は方言のままで読む」がありました。上の屁こき
話は、方言で語られています。これぐらいの方言は、今の子どもたちにも解
説なしで、前後の文脈から理解できると思われます。解説するとしても「屁
をこく・屁こき」とは「屁をする」、ぐらいでよいでしょう。
 方言には独特のイントネーションや音調ニュアンスがあります。テレビド
ラマで京都弁や青森弁が出てくるときは、その方面の専門家が俳優さんに方
言指導をしているようです。小学校教師の読み聞かせの場合は、一人一人の
教師が工夫した、それぞれの方言らしい口ぶりの読み方でよいでしょう。
 児童読物には、方言が出現する物語があります。これら方言の中には、そ
の土地でむかしから使われていた方言をそっくりそのまま写し取って記述さ
れているとは限らないようです。作家が頭の中で作り上げた方言で書かれて
いる作品もけっこう多くあるようです。ある作家の場合、そこで使われてい
る方言は、その作家が独自に芸術的に考案した方言、日本語の将来の理想の
言葉を示唆する方言だ、なんていう論文を読んだこともあります。
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