第17章・小学生への読み聞かせ技術   2015・7・12記




 
第1節 読み聞かせの方法と工夫




      目次(教師の学級児童への読み聞かせ方)
      「読み聞かせ」で育つもの
       読み聞かせ作品の選び方
      「読む」でなく「語る」だ
       教師が率先して楽しむ語り方にする
       聞き手の反応に即して語り方を変える
       声優テープより教師の肉声が優れている
       教師の声のよしあしは問題ではない
       読み聞かせの独自な読み音調などない
       読み聞かせの指導計画作り
       長文の物語は一部分の読み聞かせで
       参考資料(桜井美紀)




      
「読み聞かせ」で育つもの


 「読み聞かせ」の利点を列挙してみましょう。

(1)文字や漢字が読めない子でも、読み聞かされることで、物語世界を楽
   しむことができます。

(2)読み聞かせは、教師のコトバ(言語)をとおして、児童の頭の中にイ
   メージを作り上げることで成立します。頭の中にイメージする力、感
   情を喚起して思いめぐらす力、想像力が身につきます。


(3)読み聞かせによって児童はたくさんのコトバ(言語)に触れることが
   できます。語彙が豊富になります。コトバのセンス(語感、ニュアン
   ス)が深化拡充します。

(4)読み聞かせでは、児童は物語世界に引きこまされ、静かに耳を傾けて
   聞き入るようになります。読み聞かせは聞き返しができません。聞き
   逃したらおしまいです。落ち着いて聞く力、集中力が身につきます。

(5)児童は、多様な事件に出会い、多様な喜怒哀楽を体験します。これら
   体験を通して、正しく生きる力のチエを身につけます。

(6)いろいろな体験(場面)を体験することにより、他人の気持ちが分か
   るようになります。価値を相対的にみる力、本質を見抜く力が身につ
   きます。人間社会を豊かに知り、適切に行動する力が身につきます。

(7)読み聞かせられている時、児童達は隣同士で相互に身体的な触れ合 
   い・感情的な共応をしつつ物語世界に没入して聞き入っています。他
   人との感情的な共振・身体的コミュニケーションを体得する力が身に
   つきます。

(8)読み聞かせをきっかけとして、児童は他の本に興味を持ちます。自分
   から進んで他の本を読むようになります。読書好きな子になります。
   読書意欲が身につきます。

(9)読み聞かせによって、想像世界の中で自由に楽しく遊ぶ力が身につき
   ます。のぞいてはいけない世界をのぞく、ひそかな喜びと高揚感、こ
   っそりと楽しむ喜びを身につけます。



        
読み聞かせ作品の選び方



 「読み聞かせ」に適する本の条件をいくつか書きます。

(1)児童がよく知っている出来事や、児童の興味のある動物、乗り物、食
   品などが出てくる作品、また児童の心情に結び付いた作品がよい。児
   童の生活とかけ離れた作品は適さない。

(2)ためになる本より、おもしろい本がよい。大人は感動するけど、子ど
   もは退屈する本ではいけない。道徳の徳目を押しつけ、勧善懲悪を押
   しつけ、知識を増やし勉強になるというまじめな本はあまり好まない。
   詩的な描写や童心をしっとりと描写した文章も好まない。児童は、血
   わき心踊るワクワクするストーリーの本を好む。

(3)登場人物が少なく、起承転結がはっきりしている作品がよい。すぐ読
   めて、すぐ読み切れる短めの作品がよい。分厚い本や長編物語は「読
   み聞かせ」に適さない。

(4)「小説」でなく、「物語」であること。
   小説、つまり「なぜ、そうなった」という原因結果を事細かに追求した
   り、人物の心理追求が長々と書いてあったり、登場人物が多く、筋が
   複雑に入り組んだ作品は適さない。
     物語、つまり「それからどうなった」という事件が簡明にはっき
   りと次々の展開し、事件の流れが次々と変化していく動きがあるもの、
   始まり・展開・山場・終末がはっきりした作品は読み聞かせに適する。
   情景描や心理描写が少なく、出来事がたたみかけるように次々と起こ
   り、繰り返しのリズムがある作品は適する。

(5)絵本の絵は、筋がはっきりと伝わる絵であること、絵と文とがくいち
   がわないこと。登場人物の気持ちや、人物の行動の意図がはっきりと
   伝わる絵であること。
     見開きページの中にいろいろなものがごちゃごちゃと描かれてな
   いこと、集団の読み聞かせでは、最後尾の児童にもよく見える、遠目
   がきく絵であること。

(6)児童の心をつかむ魅力ある主人公が活躍する物語であること。児童は
   主人公になりきって、没入して聞く。パッと主人公に入り込める作品
   が適する。


(7)児童は、同じ言葉の繰り返し、同じような筋の繰り返し場面の出現を
   喜ぶ。言葉表現にリズムがある文章を喜ぶ。単純なリズミカルな言葉
   の繰り返しを好む。
 例
(オノマトペの繰り返し)
 川上から桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。

(オノマトペの繰り返し)
 力太郎がジャンガジャンガとやってきた。

(オノマトペの繰り返し)
 ころりん、ころりん、すってんころりん、ひゅうころ、ころりんと転びま
 した。

(「ももたろう」イヌ、サル、キジの順番で繰り返すフレーズ)
 「おこしのものは何ですか」
 「日本一のキビダンゴ」
 「一つください、おともします」


(「大きなかぶ」おばあさん、まご、犬、ねこ、ねずみの順番で繰り返す)
  ○○が、△△を呼んできました。
 「うんとこしょ、どっこいしょ」
  それでも、かぶはぬけません。

 黙読すると無意味と思える繰り返しのリズム言葉やオノマトペの文章が、
音声表現するとがぜん生き生きした声の表現に変化することになる。逆に、
美しい詩的表現の連なりが耳で聞くと、上滑りした、浮き上がった、つまら
ない声の表現になることがある。「読み聞かせ」では、美しい詩的表現の連
なりには、細やかな描写表現の中にも行動の動的流れのリズムが必要なよう
だ。

(8)地の文が多い文章よりは、会話文が多い文章の方が「読み聞かせ」に
   適する。地の文よりも会話文のほうが理解が容易にできるからです。
   読み聞かせを始めたばかりの当初は、会話文が多い文章を選択する。

(9)さまざまなジャンルのものを幅広く出会わせるようにする。絵本には
   「ものがたり絵本」と「ものごと絵本」がある。「ものごと絵本」と
   は、動物絵本とか乗物絵本とか果物絵本とかです。そのほか、社会科
   図鑑、昆虫図鑑、天体図鑑、コトバ図鑑などもあります。季節や行事
   にあった内容の本を選ぶとよいでしょう。
   小学生以下の子どもは、紙芝居や飛び出す絵本など仕掛け絵本を用意
   すると喜びます。高学年や中学生には、戦争平和の読物、環境問題の
   読物、貧困疫病問題などの国連活動の読物を与える工夫も必要です。

(10)教師(読み手)自身がその作品にほれこみ、この感動を児童に伝えた
   いと願っている作品であること。教師(読み手)が気乗りしない、い
   やいや読んで聞かせるようでは語り方もおざなりになり、聞いている
   児童も興味が失せる聞き方になってしまうでしょう。

参考までに
  http://web.oml.city.osaka.lg.jp/net/list/yomikikaselist.html

  http://www.ehonnavi.net/special.asp?n=2733



     
  「読む」でなく「語る」だ



 「読み聞かせ」は、聞き手を意識した語り方です。「表現よみ」のように
「聞き手意識ゼロ」でなく、聞き手を強く意識する読み方なので、「読む」
よりも「語り」のほうがぴったりだと思います。
 表現よみは、聞き手は自分自身(読んでいる自分でなく、それを聞いてい
るもう一人の自分)であり、両者のあらがいの中で、内向き意識で作品世界
を創造しようと努めています。読み聞かせは、聞き手意識は他者であり、他
者への外向き意識で作品世界を創造しようと努めています。表現よみは、聞
き手意識はいますが、多くは後退しており、時に突出してくることもありま
す。読み聞かせは、聞き手を前面に立て、常に聞き手を意識して作品世界を
創造しよう努めています。読み聞かせは、表現よみと比べてずっと演劇的な
演出が要求されます。
 だから、わたしは「読み聞かせ」という呼称よりも「語り聞かせ」という
呼称のほうが適すると考えています。「読み聞かせ」というと、どうしても
「文字を読んで聞かせる」→「文字に引きずられる読み」→「文字を感じさ
せる読み方」という意味内容が強くなりです。
 「語り聞かせ」というと、「文字を読むのでなく、語って聞かせる」→
「文字を感じさせない語り方」→「昔語りの語り方、素話・素噺の語り方」
→「祖父母の炉端や寝物語の語り方」→「祖父母のコトバ・語り口で愛情の
こもった語り方」という意味内容になると、わたしは思います。
 日本では、古代から語りの輝かしい伝統があります。詳細は割愛しますが、
「語り聞かせ」は、文字のなかった古代時代から口承文芸で「語り」と呼ば
れてきています。
 文盲が大多数の時代は「語り」(口承、口演、せりふまわし)でよかった
のですが、識字率百%の現在は、絵本や童話の文字を読んで聞かせるのが通
常の姿となりました。文字なしの「語り」から、文字読みの「読み聞かせ」
へと大きく変化しました。現在では、絵本の「語り」「語り聞かせ」とは言
わないで、文字の「読み聞かせ」という用語が教育現場や社会一般で広く使
用されるようになりました。こうしたことで「語り聞かせ」と呼ばないで
「読み聞かせ」と呼ばれるのもしかたのない一面もあります。
 ここでわたしが言いたかったことは、「読み聞かせ」の読み方は、文字を
読んで聞かせるのでなく、文章や絵から読みとったことを、読み手(教師、
母親)のコトバで、語って聞かせる語り方だということです。「読み聞か
せ」の「聞かせ方」は、「文字を読む・文字を感じさせる語り方」ですが、
「語り聞かせ」は、文字を感じさせない語り方、文字が消えて、場面・情景
が浮き立つ語り方が第一要件として重要となってくる、現在の「読み聞か
せ」もそうであってほしい、ということを言いたかったのです。



     
教師が率先して楽しむ語り方にする



 読み聞かされている時は、びくびく、どきどき、ぞくぞくした状態、おも
しろくなければなりません。おもしろいなあ、ウフフ。では、またあした。
もう時間なの。もう少し続けてほしいよ。そう、もうちょっと続けようか。
読み聞かせはこんな雰囲気でありたいものです。
 教師が楽しくない本は読み聞かせにかけないようにします。教師が読んで、
楽しい本、おもしろい本を与えましょう。読み聞かせしている時、教師がま
ず物語世界を楽しむことです。教師が楽しいなあ、おもしろいなあという表
情を示すことです。楽しさを、おもしろさを、伝える語り方にすることです。
 わざとオーバーな、感情過多な、うそっぱちな、押しつけるような語り方
は、これはいけません。教師の一人芝居の、から芝居がかった、作った顔の
表情で語り方はいけません。わざとらしい、押しつけるような、児童がシラ
ケるような顔の表情で語ってはいけません。
 教師が物語世界を楽しんでいる、おもしろがっている、そうした気持ちが
素直に伝わる読み方にします。物語世界のおもしろさ、楽しさを受け取って
ほしいと心から願う気持ちが、教師の語っている態度ににじみ出るような語
り方にします。要するに教師が楽しんで語っている気持ちが伝わる読み方に
します。
 教師が心から感動し、大いに共鳴した時に、はじめてその語り方は生き生
きと児童に伝わります。児童の胸をうつ音声表現になります。教師が自ら感
動しない話は、どんなに巧みに語っても児童の胸をうつ語り方にはなりませ
ん。教師が感動した本は、その感動が子どもに伝わります。教師がいやいや
読んだりすると、それも子どもに伝わります。
 よくないのは、教師の目は文字だけを向き、つっけんどん、気迫なし、冷
やかな態度で読み聞かせることです。これでは、教師の声は児童の頭の上を
すべって流れていくだけで、心に入りこまないでしょう。



    
聞き手の反応に即して読み方を変える



 読み聞かせをしながら、いつも聞き手を意識しつつ語っていくようにしま
す。児童の反応の仕方に常時、センサーを働かせています。彼らの反応のあ
りようは、彼らの顔つきや姿勢に表われ出ています。児童の反応の状態を感
じとり、それに合わせて読み方を変えていくようにします。
 教師は、児童の思考のテンポに合わせて、理解しやすいように、ていねい
に、ゆっくりと語っていきます。児童の目の輝き、息づかいに注意し、どれ
ぐらい作品世界に入りこんでいるかを確かめつつ、音声表現の仕方を変化さ
せていきます。 児童はおもしろおかしい場面では笑顔で聞き入るでしょう、
くすくすと小さく笑うでしょう。児童が笑っているあいだは、次の文章を読
まないで待つようにします。待つ間がないと、児童の思考のテンポやリズム
を乱すことになります。
 ざわついてきたら、ちょっと大げさに音声表現のしかたを変えてみます。
理解に困難な個所では、ほんの少しの時間、読むのを止めて、物語の筋を確
かめ、大切なところをおさえます。くどくならない程度に簡単に終えます。
 読み聞かせをしていると、児童の反応の仕方が空気となって教師に反響し
てきます。この空気が読み聞かせの楽しさでもあり、怖さでもあります。息
をつめて、ひたすら聞き入っている教室の空気、しーんとした張りつめた静
寂さに圧倒され、圧迫感と怖さを感じるときもあります。ここに読み聞かせ
の醍醐味があります。
 このように児童たちの反応に助けられて、読み聞かせが出来上がっていき
ます。児童の反応のありようによって、はじめて教えられるところ、読み聞
かせの喜びや怖さ、語り方の技術が身についていきます。



   
声優テープより教師の肉声が優れている



 教師の下手な読み声を聞かせるよりは、有名な声優・俳優が朗読している
録音テープを聞かせたほうが最適だ、テレビのアニメを録画した映像、市販
の物語の漫画ビデオを見せたほうが子どもに深い感動を与える、と考えてい
る教師が多いのではないでしょうか。
 確かに、テレビ漫画や市販ビデオの映像は子どもの心をつかむように画面
構成が工夫されております。子ども達がそれら映像を視聴している瞬間瞬間
は興味を引きつけられ、画面に引き込まされて見ています。
 しかし、「テレビや市販ビデオが教師の下手な読み声よりずっとよい」は、
誤りです、間違っています。声優の音声表現がどんなに上手でも、子どもと
直接に対面して語りかける情愛に満ちた触れ合いの肉感性のある声のほうが
ずっと優れているのです。声優・俳優の語りには、機械的で無機的な、どこ
となく冷たい読み方になっていることは否定できません。テレビや市販の映
像は、おつにすました、妙に気取ったところがあります。子ども達は出来事
を対象物として冷やか距離を置いてに見入っています。子ども達の受け取り
方は、どこか醒めた、つき離した、客観的な、対象化した受容になっていま
す。
 教師の読み聞かでは、教師の語るコトバから子ども達はイメージ(想像
力)を自由にふくらますことができますが、テレビやビデオの映像は完璧な
セット画面で、完全無欠に構成されているため、子ども達が想像力を自由に
挿入する余地が狭められています。受動的にただ眺めているだけです。
 「読み聞かせ」の読み手は、多くは教師や母親です。音声表現は下手でし
ょう。しかし、教師や母親の肉声には、愛情がたっぷりと含み込まれていま
す。愛情たっぷりな語りかけ、問いかけがあります。場面場面の出来事を十
全にふくらまして伝えよう、そうした情愛のこめられた思いで語られていま
す。教師や母親と子どもとが一体となって場面を作り上げていこうとする楽
しい語らいの雰囲気の中で読み聞かせが行われています。
 教師の学級児童への、母親のわが子への「読み聞かせ」の音声表現は、下
手であっても、語り手(教師、母親)の親密な情愛たっぷりな肉感性を帯び
た全身的な語りかけになっています。子どもたちはそれを全身で受け止めて
反応し、心を動かして聞き入ります。教師や母親の情愛がたっぷり包み込ま
れている読み声は子どもの心を動かし、コトバ(言語)からの想像力をふく
らますエネルギーがあります。教師や母親は、子どもと一緒になって、おか
しければ笑い、恐ろしければ身を縮め、笑ったり、怒ったり、涙を流したり
します。そこには幼少時に祖父母や両親の膝に抱かれ、寝物語のぬくもりの
中で語り聞かせられた残滓が原型となって生きています。
 松井美紀『子どもに語りを』(椋の木社、1986)という本があります。
この本の中におもしろい実験報告が書かれています。簡単に紹介します。
 こんな三つの実験です。
@子どもがテレビでアニメ「さるのむこどん」の映像を視聴する。
A子どもが、ビデオに語り手が登場して「さるのむこどん」を語っている、、
 そのVTRを視聴する。
B子どもが、語り手と直接に対面し、語り手が語る「さるのむこどん」を聞
 く。
 結果は、@、Aでは、子どもは心を動かすこと、感情を変化さすことが少
なかったが、Bの語り手と直接に対面し、生の声で聞かされると、子どもは
心を大きく動かした。という報告です。
 これの詳細は、本稿の最後尾に参考文献として引用しています。お読みく
ださい。


     
教師の声のよしあしは問題ではない



 「読み聞かせ」というと、教師の中には「わたしは声が悪くて、人様に聞
いていただくなんて、とても自信ありません」としりごみする方がおります。

 
わたしはその言葉を聞いたとき、いつもこう言うことにしています。演歌
歌手の皆さんがテレビで会話している声を聞くと、決して素敵な美声の持ち
主ばかりでないことに気づくはずです。
 森進一さん、和田アキ子さん、北島三郎さんが会話している声は、決して
清く澄んだ美しい声だとは言えませんね。だけど、森さん、和田さん、北島
さんの濁ってざらついた声が、逆に聴衆を魅了し感動を与える歌になってい
るのです。
森進一さんのかすれ声、ざらついたノイズのある声が逆に情感のにじみで
た説得力のある歌声になっているのです。オペラ歌手がうたう透明な美声の
演歌の歌声よりずっと聴衆に感動を与えているのです。
 ですから、教師(読み手)の声のよしあしは問題ではありません。その教
師なりの声を持ち味を生かした語り方をしていけばよいのです。一人ひとり
の教師の声質を持ち味として作品世界の中身をイメージ豊かに児童に届けて
やろうという熱い思いで語っていけばいいのです。
 教師は読み聞かせしている途上で児童の反応を感じとりながら、児童と一
緒になって作品世界を共同して作り上げよう、同じ世界の中に生きよう、味
わい楽しんでいこう、という思いで語っていくようにすればよいのです。声
質よりも、こちらのほうがずっと重要です。



     
読み聞かせ独自な読み音調などない



 語りの世界では、独自な語り音調というものがあります。バスガイドの語
り音調、デパートの案内放送の語り音調、駅の案内放送の語り音調、落語の
語り音調、講談の語り音調、歌舞伎の語り音調、浪曲の語り音調、能の語り
音調などがそれです。
 文章の読み音調にも、いわゆる朗読音調というものがあります。特別な節
とリズムがついた読み音調です。平素の読み音調からかけ離れた、作為的な
調子づいた読み節のついた音調です。わたしは本ホームページ全体でこうし
た節のついた朗読音調を否定し、文章の意味価のみを素直に音声表現する
「表現よみ」の読み音調を主張しています。
 「読み聞かせ」の独自な読み音調などというものはありません。教師が平
素から話している話しぶり、語り音調で読み聞かせていけばいいのです。教
師がこの作品で児童に伝えたい部分を大切にして、場面の様子や人物の気持
ちを児童の心にしっかりと届けることに重点を置いて、あとはストーリーの
流れを、自分のコトバで語って聞かせていけばいいのです。百人の語り手が
いれば、百とおりの語り方があります。
 読み聞かせの読み手は、祖母、祖父、母親、父親、保母、学校教師、朗読
家そのほか誰でもが読み手(語り手)になり得ます。読み聞かせの語り方は、
読む人によってみな違ってきます。語り口調や音色やテンポやイントネーシ
ョンが違ってきます。間のとり方や強調の仕方や転調のありようがみな違っ
てきます。Aの口から出たコトバは、そのAの独特の読み聞かせ方になって
います。Aの口から出た「ももたろう」の語り方は、BやCではない、その
A独特な「ももたろう」の語り方になっています。



     
 「読み聞かせ」指導計画作り



 読み聞かせを、いつするか。次のような時間が考えられます。

   (イ)国語科の読書指導の時間
   (ロ)全校一斉の朝の読書時間
   (ハ)道徳(読み聞かせ→話し合い)
   (ニ)給食
   (ホ)総合的な学習の時間(情報提供)
 
 どんな内容の本を読み聞かせるかは、その時間の教育指導計画・目標によ
って違ってきます。
 国語科の読書の時間で「読み聞かせ」を実施する場合は、20分を一つ、
短い話を一つか二つを目安にするとよいでしょう。愉快な話、怖い話、悲し
い話など、とりまぜるとよいでしょう。一つの話が終わったら、あいだに短
時間ですむ、詩、わらべうた、指遊び、なぞなぞ遊び、歌をうたう、などを
入れると楽しい「読み聞かせ」の時間となるでしょう。



    
長文の物語は一部分の読み聞かせで



 小学校高学年になると、何かと忙しくなります。教科時間数が増え、部活
動や学校行事の仕事もあります。けいこ塾や学習塾もあります。読書する時
間がなくなります。当然に読み聞かせする時間の確保も難しくなります。高
学年は読書から離れていく時期です。
 なんとかして読書への関心をつなげ、いっそう読書への興味を増幅させる
必要があります。一つの方法として児童と向き合ってるちょっとした時間に
読書へ誘う場面クイズを出してみるのもよいでしょう。長文の物語は一部分
の読み聞かせで読書へ導いていくようにするとよいでしょう。

 さあ、読書クイズを出しますよ。

   (例1)
     「王様ははだかだ」
     「王様ははだかだ」
         この物語の題名は、何ですか。
         作者は、だれですか。

   (例2)
     ぼくの前に道はない。
     僕の後ろに道はできる。
        この詩の題名は、何ですか。
        この詩の作者(詩人)は、だれですか。

   (例3)
     「鏡よ、鏡よ。
      この世でいちばん美しい女(ひと)は、だあれ?」
        この物語の題名は、何ですか。
        作者は、だれですか。

 上のような有名な場面のエピソード・クイズを出して、読書への興味を持
たせます。物語の登場人物名をクイズ形式にして出して、作品名や、作者名
を当てさせるのもよいでしょう。
 その他、教室内に「私の読んだ本」掲示コーナーや「読書感想画展」の
コーナー展示、それらを「朝の会」や「終わりの会」でスピーチ紹介させる
させる、などもよいでしょう。朝の読書10分間などで行うのもよいでしょ
う。
 長文の物語は一冊を全部読み切るには時間がかかります。何回かに分けて
全文章を読み聞かせるのが最適ですが、高学年になると時間の確保が困難で
す。それで、山場となる一部分だけを読み聞かせ、前後はあらすじを語って
聞かせるという方法もあります。あるいは、途中まで読み聞かせ、「あとは
自分で読みましょう」といって本の出所や貸し出し方法を知らせ、希望者に
順次、貸し出すようにしたりします。



        
   参考資料


 上記「声優テープより教師の肉声が優れている」の箇所で書いた参考文献
下記に掲載します。
 桜井美紀『子どもに語りを』(椋の木社、1986)からの引用です。
 桜井さんは、「語り手たちの会」設立、世話人代表として活躍しました。
 著書『子どもに語りを』の中で「人間の肉声による生の語り」と「テレビ
放送による機械をとおした語り」とを比較している文章部分からの引用です。

ーーーーーー引用開始ーーーーーー

          
感情移入の実験

 1985年4月21日放映のテレビのドキュメンタリー番組で、「語り」
の問題をとりあげたことがあります。そのとき、語りの実践者の一人として、
わたしも少々のお手伝いを」しました。その日の放送分は「お母さん聞かせ
てよ! 心に残るお話を」というタイトルがつき、さまざまな場面が構成さ
れましたが、その中で、GSRという「ウソ発見機」を使って心の動きを見
る実験がありました。
 「ウソ発見機」の電極を被験者(小3児童)の片方の手のひらにつけ、思
考や感情などの刺激が加わると汗腺から汗が出て機械の針が動き、グラフに
記されるものです。
 その実験の結果が予想以上に鮮やかに出ましたので、ここに関係者のご厚
意を得て、大まかに再録させたいただきます。

実験の目的
  子どもが昔話を聞くときに、どのような感情の変化があるか、また、同
  じ昔話であっても受け取る方法の違いによって、感情の変化の仕方に差
  があるかどうかを調べる。

実験施行者
  川久保芳彦(日本大学医学部精神神経科専任講師)

実験期日
  1985年3月11日

実験場所
  東京都千代田区2番町、日本テレビ内

被験者
  A 小学3年男 語り手と面識がある。いつも文庫で語りを聞いている。
  B 小学3年男 (同上)
  C 小学3年女 (同上)
  D 小学3年男 語り手と初対面。語りを聞いたことがない。
  E 小学3年女 (同上)

協力 桜井美紀(語り手)

企画
  日本テレビ制作部「タイム21・お母さん聞かせてよ! 心に残るお話
  を」担当チーム

実験方法
  二人ずつ入室、二人同時に検査。「ウソ発見機」の電極を右手または左
  手の手のひらにつける。
  次の三つの実験を試みる。
  @テレビ受像機に写されるアニメ映画「さるのむこどん」を見せる。
  Aテレビ受像機に写されるVTRによる語り手Sの語り「さるのむこど
   ん」を見せる。
  B語り手Sが入室。向かい合って座り、生の声による語り「さるのむこ
   どん」を聞かせる。

実験の結果
   五人の小学生たちは、@、A、Bの実験を、順序を変えて受けたが、
  その結果はグラフに線の動きに共通の特徴がみられた。それは被験者と
  語り手との関係の差(五人のうち三人は語り手と面識があり、二人は初
  対面である)、経験の差(三人は語りを聞きなれており、二人は語りを
  初めて聞く)にはかかわらず、ほぼ共通のものであった。
   共通の著しい特徴とは、@の実験とAの実験の場合は、初めのうちは
  感情の移入があり針が動くが、1,2分後には針はほとんど動かなくな
  る。それに対してBの実験の場合は、語り始めから語り終わりまで、聞
  き手に感情の移入がみられ、その感情の変化により、よく針が動いた。
  
結果の吟味――川久保芳彦先生の話――
   今回の実験の結果、テレビのアニメを見ても、VTRを見ても感情変
  化の針は動かず、人がその場にいるときには感情変化の針が動く、つま
  り共感が起こっていることが分かりました。これほどはっきりと違いが
  出るとは予想していなかったのですが、はっきり出ましたね。
   この五人の子どもたちは、アニメを見ているときは、初めのうちはグ
  ラフの線がよく動きました。でも途中からは、もう線が動かなくなりま
  した。Aの実験で語っている人をVTRでとって放映しても、アニメと
  ほぼ同じような結果になりました。
   けれど、Bの実験で語り手が子どもの目の前に座って語ってくれると、
  最後まで腺がよく動いています。これが心を動かしながら聞いていると
  いうことで、語りによる感情移入を通して最終的には語り手との感情の
  共感があると解釈されます。
   @、A、Bの実験は、話の内容は同じわけですが、@の場合、アニメ
  に描かれる人物は、人間の造形化されたもので、人間そのものではあり
  ません。Aの場合、VTRのなかでの語り手も、媒体がテレビという物
  質で、人間そのものから話を聞くのとは違います。アニメやVTRに出
  てくる人物は、人であるけれども物質であるということです。それに比
  較してBの場合、曲線の変化は対人関係的要素と考えられ、そこに共通
  性の成立があります。人との関係がなければ心のなかの変化はないとい
  うことでしょう。いかに対人的要素が大事かということが分かります。
   第二に、想像力の問題があります。アニメの人物は視覚的にも聴覚的
  にもオーバーな作り方になっており、理解しやすいはずです。ストー 
  リーの理解は、視覚と聴覚が同時であるときは直接的に理解しやすいは
  ずなのです。けれど、アニメの視聴では「ウソ発見機」の線は少しも動
  かないというのは、アニメを視聴する場合は想像する必要がないし、自
  分なりの想像がいらないのです。視覚的にも、聴覚的にも、情報を一方
  的に得るという形で、それ以外に何もありません。イメージを湧かすた
  めには心のなかで創作的な動きをする必要があります。「ウソ発見機」
  の線が動くという心のなかの変化は、視聴を通してイメージを湧かして
  いるという考え方が成り立ちます。
   語りを聞くときには情景を必要とし、より深く理解するためには共感
  性も必要であり、イメージと共感性は切っても切れない関係にあります。
  その心の活動をしていると考えられたのがBの実験結果でした。
     桜井美紀『子どもに語りを』(椋の木社、1986)239〜244ぺ

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