表現よみの提唱(1)          03・3・21記



   
第一節 表現よみは学校教育の標準的な読み音調だ



 わたしは、小中学校という義務教育段階における音読の読み音調は、「表
現よみ」の音調であるべきだと思います。
 では、「表現読み」の読み音調とはどんな音調でしょうか。従来の朗読の
音調とはどう違うのでしょうか。以下、これに焦点化して書いていきます。



         
(1)「表現よみ」の出生


  この答えは、表現よみという概念が導入されたその脈絡を明示すること
から始めるとわかりやすいと思います。
 表現よみは昭和30年代初め、日本コトバの会によって提唱されました。
当時は学校教育でも朗読という言葉が広く使われていました。朗読の読み音
調は、「素読」という「読書百遍意自ら通ず」の、ただ声高にずらずらと読
み上げる読み方でした。つっかえないで朗々とした声で、ただすらすらと読
み上げればよいという読み方、意味内容を音声で表現するとは切れた、ただ
声高らかに読み上げる、ずらずら読みの「朗読」が一般的な読み方でした。

  その当時は児童達の実際の読み声の中には、いわゆる「学校読み」とか
「学童読み」とか言われていた、独特な上下の陥没を繰り返すメロディーの
ついた読み音調もけっこうみられました。独特なそして奇妙な語尾の上下変
化や音読全体の流れのへんな陥没のある抑揚のついた「学校読み」音調も
けっこうみられました。

  一方、新劇世界では、まだ時代は俳優の肉体が舞台上でドロドロした情
念をもって絶叫する芝居が主流でした。新劇口調という翻訳ものの脚本を独
特な音調の台詞回しで舞台上演されていました。そうした流れを受けて、朗
読の読み手といえば俳優さんたちでしたから、朗読の読み音調も独特な節の
ついた新劇口調の朗読表現がふつうでした。

 こうした読み音調が一般的だった時代風潮の中から、表現よみは生まれた
のでした。表現よみの提唱者たちは、「そうした朗読の読み音調を自明のも
のとみなし、その読み音調を真としてそのまま受け取り、学校教育における
児童たちの標準的な読み音調としてあることはよくない」と主張しました。
それを批判し、新しい枠組みの音声表現を築こうとする意図から、「表現読
み」が提唱されたのでした。表現よみは、いささか挑発的な響きをもった言
葉として提唱されたのでした。
 「文章の意味内容の表現価のみを音声表現する音声表現にすべきだ、それ
をめざした音読の仕方(技術)を学校教育の一般的な指導内容とすべきだ」
ということから主張されたのでした。



       
(2)「表現読み」と「表現よみ」


 「表現よみ」が提唱された昭和30年代当初は、「表現的な読み方」、
「表現的な読み」、「表現的読み」、「表現読み」とか種々な呼び方があり
ました。昭和30年代の後半からソビエトの読み方教授理論の翻訳本がつぎ
つぎと出版されるようになりました。ソビエトの国語教育で使われていた音
声表現のしかた、つまり「表現読み」が結果として内容が奇妙に符合し、し
だいに「表現読み」の呼称に統一されるようになりました。

  「表現よみ」(「読み」でなく「よみ」)のひらがな書きも使われてい
ました。「表現よみ」(ひらがな書き)という表記に統一して使用されるよ
うになったのは、昭和40年後半からではないかと思います。

 「表現よみ」の音調は、従来なかった音声表現の読み音調、全く新しい読
み音調かといえば、そんなことはありません。従来からも表現よみの読み音
調はありました。俳優,アナウンサー、声優たちの朗読といわれる読み音調
には表現よみと全く同じ読み音調、よく似ている表現的読み音調で音声表現
(朗読)する俳優さんたちもおりました。でも、それはごく少数でした



       
(3)「朗読」の一般的な読み口調


 しかし、朗読という概念には、現在でも、朗々と読み上げる、声高らかに
読み上げる、という内包(意味内容、概念内容)があることを否定できませ
ん。現在、書店に並んでいる国語辞典の「朗読」の項を引くと、次のように
書いてあります。

岩波・国語辞典(第六版、2000年)
 声をあげて(朗朗と)詩歌や文章を読むこと。

三省堂・大辞林(増補新装版、1998年)
 声に出して読み上げること。特に、詩歌や文章などをその内容をくみと
り、感情をこめて読み上げること。

岩波・広辞苑(第五版、1998年)
 声高く読みあげること。とくに、読み方を工夫して趣きあるように読むこ
と。

 現在も、日本社会では、「朗読」の言葉が次のようにも使われています。
  裁判官が判決文を朗読する,検事が調書朗読をする、提案者が議案書を
朗読する、組合で大会宣言を朗読する、結婚式で誓いの言葉を朗読する、聖
書の朗読,詩人が自作詩の朗読、祝辞の朗読、弔辞の朗読、などの使われ方
もあります。これらの読み音調は文章を音声に変えてだけ、ずらずらと読み
上げるだけの音声表現にしかすぎません。

 このように現在の日本社会では、朗読とは種種雑多な読み音調、すべてを
含んで使われています。「意味内容の表現価だけを音声表現するしかた」の
「表現よみ」も含むが、その他、朗読は、節つけ読み、オーバーな押しつけ
読み、口先の技巧読み、平板な一本調子読み、早口読み、小声読み、陥没読
み、メロディアス読み、へんな読み癖読み、ずらずら読みなど音声表現のい
らぬ夾雑物、むり、むだ、不純物など全てを含む読み音調で使われていま
す。

 現在、このように「朗読」は種々雑多な音声表現の仕方に使われていま
す。これら種種雑多な「朗読」の概念が、学校教育における理想の読み音
調、標準的な読み音調とすることができるでしょうか。できません。
 現在通用している、こうした「朗読」概念が一般社会に流布していること
が、学校教育の音読指導の停滞を招いている大きな原因の一つと考えられま
す。学校教育では、文章内容の表現価のみに焦点づけて音声表現させる、そ
うした音声表現の仕方を学校教育で徹底指導していこう、こうしたことが教
育界全般に広まり、教師全員がそれを目標に指導していくことが必要ではな
いでしょうか。


         
(4)「表現よみ」の特徴


 「表現よみ」の読み音調はどんな音調かについて詳述しましょう。以下、
義務教育段階における国語授業の、児童生徒たちの標準的(スタンダード)
な読み音調はこうあるべきだについて書いていきます。

 悲しい場面では、声を落とし、暗い音調で読むものだ,喜びの場面では、
声をはずませて明るい音調で読むものだ、という類型化され、パターン化さ
れた読み音調があります。それに機械的に合致させて音声表現するしかた、
こうした類型化した・出来合いのパターンに合わせて音声表現させる指導は
いけません。読み手の感情ぐるみの内的反応体験から生み出された音声表現
でなく、カナシソウらしく、ウレシソウらしく、内実の伴わない、出来合い
の、うわべだけの読み音調で表現する、こうしたジェスチャーだけの音声表
現はよくありません。

 子ども向けのテレビ番組、そこでのアニメの語り口調をまねた読み口調が
あります。アニメ口調をまねた読み口調もよくありません。のど声でむりに
発声させた甘ったるいおセンチな感情未消化な声調、日常語りと遊離した奇
妙かつ滑稽なしゃべり方、わざと声質を変えたむりな声の出し方、こうした
アニメ口調をまねた読み口調も学校教育で指導すべきものではありません。

 劇画化、戯画化したアニメ口調は、語り手の内的体験から生み出された表
現ではありません。アニメ口調は、視聴者を楽しませるエンターテイメント
から要求された作為的音調であり、日本語の文章をしっかりと標準的に読む
という学校教育の目的からはかけ離れた音声表現です。視聴者のご機嫌をと
るためのエンターテイメントは、商品としてのウケをねらって喜ばれること
はあるだろうが、義務教育学校における児童生徒の標準的(スタンダード)
な読本音読のありかたとは何の関係もありません。

 あるプロ児童劇団を観劇したとき、こんなことがありました。舞台上で普
通に歩けばよいものを、わざとつまずいて、へんな動作で転んでみせて、観
客の笑いをさっそた演技を見たことがあります。それも、一度でなく、二度
も三度もです。ずっこけて笑いをさそう、これは脚本内部の本質とは何の関
係もありません。観客を意識し、観客に媚びて、ウケをねらった演技は、大
方の観客からは失笑や反感をかうだけです。



     
(5)表現よみは「受け」をねらう読み方を嫌う


 表現よみは、聞き手を意識して,聞き手に媚びて、聞き手に向かってサー
ビス過剰に、オーバーに、音声表現するしかたではありません。表現よみ
は、ぎんぎらぎんでなく、さりげなく音声表現するしかたです。
 濃厚な厚化粧でなく、淡白な薄化粧で音声表現するしかたです。表現よみ
は、これでもかと飾りすぎない読み方、うるさくない程度に文章内容を的確
に直截に表現し、印象を強める音声表現のしかたです。表現よみは、オー
バーな表現で刺激的にあおりたて、押えつけ、押え込む読み方でなく、読み
手の音声(人格)が消えて、作品世界の状況や登場人物たちの行動(心理感
情)だけが浮き立ち、聞き手の心の底にじんわりとしみこむような音声表
現、そうした読み方をめざします。

 淡々と、さりげなく、なにげない読み方の方が、装飾過剰な音声表現より
は、より過剰な意味内容を立ち上げ、聞き手の心にじんわりと染み入む読み
方となります。静かで、緊張に富む教室内の方が、いつのまにか引き込まさ
れてしまっているような読み方になります。強調や誇張で、きらびやかに飾
りすぎないようにします。ひたすら文章内容が要求するものだけを、どう音
声に素直にのせるかに意識を集中して音声表現させます。

 表現よみは聞き手ゼロの読み方です。ゼロとは、ナシということではあり
ません。聞き手意識はあります。アルけれども、それは前面に出てはいませ
ん。背後に退いています。つまり、聞き手アリ、そしてナシの境地で音声表
現するということです。アルといえばアル、ナイといえばナイ、アルとも言
えないナイとも言えない、そんなきわどく重なり、微妙に離れている、そん
なゼロ地点の運動境地で音声表現するしかたです。



      
(6)よくとおる、共鳴のきいた声で読ませる


 大きな声とは、ばかでかい声ではありません。大きな声とは、よく通る声
のことです。よく通る声とは共鳴のついた声のことです。表現よみとは、共
鳴のきいた響きのある声で、へんな読み調子やメロディーをつけないで、正
確明瞭に、歯切れよく、そして表情たっぷりに音声表現することです。
 共鳴のついた声の出し方については、拙著『表現よみ指導のアイデア集』
に詳述しています。一つだけ書けば、声を頭のてっぺんの方向から出してみ
ることです。女性教師が体育館や運動場で「みなさーん、ここへ集まりなさ−
い」と大声で呼ぶ時、どんな発声をしているでしょうか。声を頭のてっぺん
に向けて、声を大きく高くして、つまり共鳴をつけさせて、呼んでいます。
無意識に共鳴をきかせつまりよく通る声を作って、遠くにいる児童に声を届
けようとしているのです。



      
(7)表現よみ音調のアウトライン


  表現よみは、従来の「朗読」という読み音調、つまり、朗々と高らかに
読み上げる音調、一種独特の型や節をつけた読み音調、プロの朗読家にみら
れる・その人が会得した個性的な読みスタイル・その人だけの洗練された
「型や癖」のもつ読み音調、こうした読み音調が、小中学生が学校で教科書
の文章を、物語文を、説明文を、音読するときにまねるべき通常の読み音調
でないことはいうまでもないでしょう。学校での、小中学生たちの標準的な
読み音調、手本とすべき読み音調、模範とすべき読み音調、めざすべき読み
音調は、「表現よみ」の読み音調だと言えましょう。
  表現よみは、文章の意味内容のみをポンと音声で外へ押し出すだけの読
み音調です。表現よみは、癖のない、素直な、淡々とした音声表現の読み音
調です。表現よみは、文章内容の表現価のみが声に出てて、文章内容とは無
関係な種々雑多な教雑物のついた妙な音調(癖、型、調子)を排除した読み
音調です。表現よみは、あっさりしと淡白に意味内容のみが声に出ている、
折り目正しい、端正な、清潔な、シンプルでピュアーな読み音調をめざした
音声表現のしかたです。「ギンギラギンでなく、さりげなく」の読み音調で
す。


         
(8)表現よみ上達の三段階


 音読の上達段階には、「初級読み→中級読み→上級読み」があります。

 初級段階
 初級読みでの指導の重点は、折り目正しく読むことです。つまり十分な声
量で、ゆっくりと、はぎれよく、文字を正確に拾って、へんな読み癖がな
く、意味内容で区切って読む段階です。

 中級段階
 中級読みでの指導の重点は、文章内容の論理や筋道を音声で形作ること、
つまり意味内容のかもしだす雰囲気や情感性を音声にのせて表現する段階で
す。
  
 上級段階
 
上級読みでの指導の重点は、力まないで、やわらかく、さらりと読み、最
小のめりはりで、最大の表現効果(たっぷりとした情感性)を発揮させて音
声表現する段階です。時には遊びや崩しがほのかに見えたたりもして、それ
が枯れた味、小味な芸ともなっているような段階の読み方の段階です。




             
次へつづく