父母と教師のための学級懇談会の話材集    2015・2・15記




      
遊びの効用と遊ばせ方




       
 遊びは勉強の土台になる


 母親の中には、遊びは役に立たないもの、無用なもの、不必要なもの、怠
けである、と考えている人がいます。外で遊ぶヒマがあったら勉強しなさい
と言います。勉強だけを重視し、遊ぶことは勉強にならないと考えている母
親が少なくありません。遊びと勉強とは、関連がないと考えている親がおり
ます。子どもの遊びを罪悪視している親がいます。
 遊びは、役に立たないもの、無用なもの、不必要なもの、怠けである、な
どとは、とんでもありません。全く間違っています。遊びは、国語や算数と
は別の一種の勉強なのです。遊びは勉強だというと、驚くでしょうが、これ
は本当なのです。本章では、これについて書いていくことにします。
 子どもは遊びをとおして学校の基礎的な知識や体験を身につけているので
す。これについては、あとで詳しく書きます。小学校の勉強は遊びで身につ
けた知識や体験が土台となっています。子どもは遊びをとおして友だちと触
れ合いながら実にたくさんの知識を身につけているのです。遊びの下手な子
は、学業成績もよくない傾向にあります。
 それなのに、母親は、洋服を泥でよごされては洗濯が大変だ、友だちと家
の中でドタバタとさわがれたり、ものを散らかされたりしては困る、友だち
を家の中に連れてこないようにしなさい、ケガでもされたら大変だ、家の中
でひとりで静かに勉強しなさい、と要求します。


      
いろんなタイプの子と遊ばせよう


 親の中には、わが子の遊び相手選びにまで口出しする人がいます。
「○○ちゃんね、あの子、コトバづかいは下品だし、乱暴だし、下着は汚れ
ていて不潔だし、あの子と遊ばないようにしなさい」
と言います。
 子どもの世界では、下品な子、上品な子、不潔な子、乱暴な子などの区別
はないのにです。子どもはいろいろなタイプの子と遊ぶことによって精神的
に成長していくのです。成人して、社会に出て働くようになってからも職場
の中にはいろんなタイプの人間がいるはずです。いろんなタイプの人間と円
滑に応対していける処世術を、小さい時から体験させておくことが必要です。
嫌いだからといって、付き合わない生活はできないのです。
 わが子がどんな性格の子であるかは、友だちと遊んでいるわが子の様子を
観察すると、すぐ分かります。わが子の性格やしつけの様子が、子ども集団
の中で、自由なのびのびした遊び集団の中で、子どもは本当の姿を見せてく
れます。
 子とも同士の力関係ははどうか、わが子は、どんな行動(位置、役割)を
しているか、ガキ大将か、子分か。ハズレっ子か、長い時間を一つの遊びに
集中できているか、飽きて次々と遊びを変えていないか、仲間に入って皆と
仲よく遊べているか。からだの動きや敏捷性、運動技能の上手さ下手さは他
児童と較べてどの程度にあるか。カッと夢中になるほうか。案外クールなほ
うか。後始末は上手にできるか。汚れた手や汗の始末はどうか。これらは集
団で遊んでいるときに、他の子どもたちとの行動関係の中で観察するとよく
分かります。これらの観察によって、母親がこれからどう育てていけばよい
かが分かってきます。集団の中でのわが子を、こんな観点からわが子を観察
してみましょう。今後の育て方のヒントを得ることができます。


          
子どものケンカ


 子どもをたくましく丈夫に育てるには、多少のケガやケンカは覚悟してい
なければなりません。わが子が少しの傷でも負って家に帰ってくると、加害
者は誰か、どうして傷を負ったか、どっちが悪いか、と責任の所在を追求し
たがります。謝罪がない、加害者の誠意がない、と言いたくなります。
 昔は、子どものケンカに親は出るな、という不文律がありました。子ども
のケンカに口出しする親は軽蔑されたものでした。わが子がケンカで泣いて
帰ったりしても、「泣いて帰ってきて、お父さんはなさけない、殴られたら、
相手を殴り返せ、負けて帰ってくるな。これから、その子のところへ行って、
殴り返してこい」と言ったものでした。
 今は泣いて帰ると、「どうしたの、誰がしたの、なぜなの。」と問い質し、
相手が悪いと分かると、すぐ相手の親に電話をかけたり、どなりこんだりし
ます。はては治療代がどうこうと言い出します。
 こんな風潮ですから、親も教師もケガをしないように、ケンカをしないよ
うに、つまり活発に遊ばないように、のびのびと遊ばないように育てるとい
うことになります。消極的で臆病な遊ばせ方しかできなくなっています。
 子どもの活発な遊びには、生傷はつきものであり、対立してケンカになる
こともよくあることです。大人のケンカは尾を引き、しこりが残ることが多
いですが、子どものケンカは尾をひきません。3分もしないうちに、すぐ仲
直りして、肩を組んで遊び始めるのが常です。
 家庭内で兄弟姉妹でケンカをすることも時々は(しょうちゅかなか)ある
でしょう。子どもはケンカしながら、人と人との付き合い方を学習していっ
ています。子どもはケンカしながら成長していっています。対立をうまく解
決するやりかたを学んでいます。親は直ぐに「きょうだいげんか、やめなさ
い」と言うのは簡単です。子どもは、あっちが悪い、こっちが良い、と言い
張るでしょう。親はある程度まで黙って静観していましょう。子どもの方か
ら裁断を求めてきたら、どっちがいいわるいでなく、子どもと一緒に「どう
したら、こんな問題が起こらないか」を考えるようにします。
 子どもはケンカによって成長していきます。したたかに、強く育っていき
ます。かしこく振る舞う力を身につけていきます。ケンカは自己主張のぶつ
かり合いです。子どもはこうしたトラブル(ケンカ)を通して自己主張ので
きる、理屈で自分の考えを主張できる力が身についていきます。親は、そう
した自己主張ができるわが子を見て、ほほえんで見守って、褒めてやるぐら
いでいいのです。それだけだけ成長している姿を見せているのですから。
 自己主張ができない子は、とかくいじめられっ子になります。生活意欲の
乏しい子になります。社会性の発達の遅れた子になります。
 子どもは、遊びの中でさまざまな経験をします。笑ったり、泣いたり、ト
ラブルを上手に解決したり、ケンカになったりします。ケンカで泣くことも
自己表現であり、自己主張の一種であります。ケンカをすれば、相手の腕力
の強さの程度が分かってきます。腕力の強さが分かってくると、腕力は避け
ます。腕力よりは、コトバで自分を主張したほうがよいことに気づきます。
ケンカをしないためには集団の中でどう行動すればよいか、ケンカを避ける
にはどうすればよいかも分かってきます。
 理不尽なケンカで泣かされた子を見ると、子どもたちの中には「どうした
の。だれが、どうしたの。そういうことだの。許せないことだわ。あたし、
とっちめてあげるからね。謝らせるからね。」と、肩に手をかけて慰め、正
義感を発揮する子もいるでしょう。今は、こうした昔のガキ大将がいなくな
り、みんな小粒になってしまいました。今は、同学年同士で遊ぶようになり、
異学年同士が入り混じって遊び、高学年生がリーダーとなって集団を采配す
るということがなくなりました。


        
 昔の遊びと今の遊び


 子どもの遊びの種類を見てみよう。昔はお金を使わなくても遊び場・遊び
道具がたくさんありました。わたしの小さい頃の遊びの種類を思い出すまま
に書きならべてみよう。

 くぎさし、馬とび、ゴムだん、輪回し、めんこ、なわとび、お手玉、かげ
ふみ、ビー玉、あやとり、竹馬、かんけり、こま回し、はさみ将棋、トラン
プ、すごろく、ボールけり、野球、せみとり、とんぼつり、鳥さし、小動物
(てん、いたちなど)のわなしかけ、ほたるがり、日光写真、あぶりだし、
かがみてらし、ベーゴマ、電話ごっこ、石板と石筆、戦争ごっこ、鬼ごっこ、
かくれんぼ、めかくしおに、きばせん、はないちもんめ、まりつき、ドッジ
ボール、すもう、おはじき、かざぐるま作り、竹・水・杉玉でっぽう作り、
はないちもんめ、じんとり、カルタ、水車作り、紙飛行機作り、グライダー、
羽根つき、じんとり、魚つり、けんけんとり、たこあげ、パチンコ作り、
水泳、木のぼり、笹舟うかべ、セミとり、どじょうとり、キノコとり、山ブ
ドウとり、あけびとり、イナゴとり、おちぼ拾い、ほおずき、木の若芽とり
(おひたしにして食べる)、くり拾い、山菜とり、セミ穴ほり、アリ穴ほり、
山鳥の巣(卵)さがし、だるまさんがころんだ、あがり目さがり目など。冬
は、スキー、そり遊び、雪ころがし、雪だるま作り、雪合戦などであった。
 その他、はっぱ鳴らしもありました。左手の親指と人さし指で輪を作り、
その上に葉をのせて押し込んで穴を作り、右手で上から叩いてポンと音を出
す、誰の音が一番よい音であるか、よい音を出す競争をしました。また、メ
スのトンボをつかまえて、それに糸をくくりつけて飛ばす。寄って来たオス
のトンボが交尾したところをつかまえる遊びもしました。

 このように、わたしの小さい頃の遊びは、自然との触れ合いの中での遊び
が多くありました。自然を相手にした、のんびりした遊びでした。自然は人
間の心の中にうるおいとやすらぎを与えてくれます。
 今の子どもは同年齢(同学年)の子どもとしか遊ばなくなりました。昔は
異年齢(異学年)の子ども達が一緒になって遊んだものです。ガキ大将、ま
たは高学年が年齢の低い子どもたちを相手に遊び方やルールや集団の規律を
教え、遊び集団を取り仕切っていたものでした。
 今は、同じ学年の子ども同士でも、学習塾やおけいこ事で、一緒に遊べる
時間の調整がつかないようです。昔は、カキ大将がいて、ガキ大将は、子ど
も一人ひとりに遊びを教え、役割をふり当て、遊びに必要なルールや規律を
教え、子ども集団を上手にまとめていました。ガキ大将は、地域の子ども仲
間では権威を持ち、時にはワンマンな行動もするが、地域の子ども集団を取
り締まり、集団遊びの中で連帯感、強調性、忍耐力、調和力を教えたもので
した。
 子どもは本来、遊びの中で育っていくものなのです。ところが今の子ども
達は、集団遊びができない現実があります。放課後の時間が、学習塾、習い
事、スポーツクラブ、水泳教室、バレエ教室、その他の塾に遊びの時間が奪
われています。学校で下校時間近くなると、子ども同士が次のような会話が
行われます。「今日、学校から帰ったら、遊べる?」「ぼく、塾がある」
「わたしは水泳教室がある」「君は遊べる?」「3時半までなら遊べるよ」
など。
 このように遊びの時間の調整がなかなかつかないようです。結局、自分の
家の中で孤独な一人遊びをするほかありません。


          
遊びの効用


 子どもは集団遊びの中で多くのことを学習しています。遊びの中で、親が
お金で買った与えることのできない大切なものを身につけていきます。親や
先生にはできない教育が、子どもの集団遊びの中にあるのです。 友だち同
士で遊ぶ機会が少ないと、子どもの成長によくない影響を与えます。


     
(1)体力がつくようになる


 精一杯走り回ります。とび跳ねます。投げたり打ったりします。転げ回り
ます。登ったり降りたりします。手先が器用になります。筋力が発達します。
運動技能が伸びます。危険防御の反射神経が鋭くなります。長時間、集中す
る持続力が身につきます。からだを鍛えます。敏捷性が身につきます。体力
がつき、身体的機能が発達します。


     
(2)規律を守るようになる


 遊びにはルールがあります。ルールを守れない子は、友だちから非難を受
けます。仲間にも入れてもらえなくなります。ルールを守ることに快さや喜
びが分かります。規律の順守が身につきます。統制ある集団行動ができるよ
うになります。一つの目的に向かって全員が協力して同一行動がとれるよう
になります。立場や役割の違いによって、命令したり、命令されたりの秩序
を守る行動がとれるようになります。支配と服従の秩序を守る行動がとれる
ようになります。


   
(3)物事に意欲的に取り組めるようになる


 遊びに集中することで物事に積極的に取り組む態度が身につきます。集中
力や持続力が身につきます。あきっぽい性格が、遊びに集中することで矯正
されます。子どもにとって遊びは夢中になれる唯一のものであり、遊びその
ものが喜びであり、毎日の生活に充実感を持ちます。子どもの旺盛な好奇心
は、生活を生き生きとバイタリティーあふれたものにします。瞬時も休むこ
とない活動力、たくましい精神力が身につきます。物事に夢中になれる、集
中力、注意力、ねばり強さ、忍耐力、計画的な実行力が身につきます。


       
(4)責任感が身につく


  友たちから非難を受けないように、自分の役割をきちんと果たすように
なります。遊びのルール、集団への規律を破る子どもは手厳しい非難を受け
ます。規律を破る子は次から仲間に加わることを拒否されます。ルールを守
り、自分の役割を責任をもって果たすようになります。集団の行動には、自
分だけがズルできない規律があることを知り、責任ある行動をするようにな
ります。遊びのルールを通して社会秩序を守ることを学びます。
 自分勝手な行動ができないことが分かり、ともだちと調和、協調して遊ぶ
方法が身につきます。自己中心的な思考(行動)から脱却していかねばなり
ません。


       
(5)創造力が身につく


 子どもは落っこっている木切れを拾っては、それをさまざまな遊び道具に
工夫します。子どもは遊びを創造するチャンピオンです。一つの遊びに飽き
ると、次々と新しい遊びを工夫していくところがあります。
 集団遊びでは、ルールを守り、ルールの範囲内でいろいろな遊び方を変化
させて遊んでいきます。野球で人数が足りなければ、その人数内でできる
ルールを工夫して遊びます。三角ベースとか、センターなしとか、ルールを
変更して遊びます。
 勝負に勝つにはどうするか、練習方法をいろいろと工夫し、練習の努力を
重ねていきます。ルールの範囲内でどう工夫し、努力していくかのチエをは
たらかせます。遊びの中で自発性を発揮して、その中で創造力を発揮して遊
んでいきます。


     
(6)忍耐力や協調性が身につく


 子ども同士の遊びでは、わがままは許されません。自分勝手な行動はでき
ません。相手に迷惑をかけないようにするため、相手から非難を受けないよ
うにするため、自分の欲望を押さえる態度が身につきます。みんなに気にい
られるように行動するようになります。
 対人関係の中で、自分がどう行動すべきかが分かるようになります。自分
を抑えるること、我慢することを学びます。家庭でのわがままな行動が、こ
こでは通用しないことを学びます。


     
(7)トラブルの処理が上手になる


 遊びの中では、大小のトラブルが発生します。試合では、せりあいからケ
ンカになることもあります。幾回となくトラブルを解決していくことを経験
していく中で、トラブルをうまく処理していく仕方を身につけていきます。
 事前にトラブルを防止するチエが身につきます。トラブルが起きないよう
にするにはどうするか、事前のルールを前もって作ります。起きた時にはど
う処理していくか、うまく処理する対応の仕方が上手になります。


    
(8)思いやり、やさしさの気持ちが育つ


 遊びでは、さまざまな性格の子と触れ合うことになります。いろんな性格
の子がいることに気づきます。それらと上手に対応できるコツが分かってき
ます。他人の存在に気を使うようになり、気にいられるように行動していく
ようになります。
 他人の気持ちを自分の中に取り込んで、他人に不快感を与えないように行
動するようになります。自制心や克己心が身につきます。
 集団遊びは、相手があっての遊びですから、相手が遊び方を知らない場合
はみんなでその相手を指導することになります。こうして、教え合い、励ま
し合いの協調心が育ちます。相手へのいたわり、思いやりの心が育ちます。
 野球のリトルリーグのコーチが言っていました。
「ぼくの指導方針は、野球技術の向上や勝負は二の次である。スポーツマン
シップ、マナー、責任と自覚、自主性を植え付けることである」と。
 まさにそうだと思います。やさしさ、思いやり、誠実、規律を厳守する、
こんちくしょうと自分を叱咤激励してがんばる根性と勇気と努力を身につけ
ていくことにあります。


        
(9)情緒が安定する


 集団遊びでは、自分の気にいらないことだからといって、不満があるから
といって、ゴネたり泣いたりしてもダメであることが分かります。母親に甘
えるような遊びはできない、わがままできないことを知ります。気にいらな
いからと、感情を爆発させることができないことを知ります。
 友だちとの遊びの中で、喜怒哀楽の感情表現が自然と出るようになります。
遊びではストレスが発散し、情緒が安定してきます。さまざまな自由な遊び
と通して満足感と情緒の安定を得るようになります。一つでもうまくいけば
達成感と満足感が得られます。


        
(11)コトバの力が伸びる


 子どもは遊びの中で自分の感情を屈託なく、自然に表現できる場面が多く
あります。子どもの遊びは、自己主張の場でもあり、自己表現の場でありま
す。ですから、遊びの中では、子どもは、もっともよくコトバを発する場面
が多くあります。
 ですから、子どもの言語能力を高めるには、子どもをよく遊ばせることで
す。子どもは、友だちとも交わりの中でコトバを交わす中で言語能力を発達
させ、表現する力、考える力、工夫する力を伸ばしていくことができます。
 ケンカすることで、自己主張の力が身につきます。相手を打ち負かしたり、
相手を説得したり、論理的に自分の考えを言う力が身につきます。
 相手に合わせるだけでなく、鋭く社会を切り開く自己主張をする(ケンカ
をする)ことも必要に応じて重要なことだと分かってきます。言うべきこと
は、はっきりと主張しなければならないことが分かってきます。


     
(12)各教科の基礎知識が身につく


 遊びをとおして多くの経験をします。友だちからの耳学問であれこれの知
識を獲得します。こうして得た経験や知識が、各教科学習を豊かに裏付ける
土台の知識教養となります。遊びの中で獲得した知識や経験が各教科の学習
内容の土台となって結合していくようになります。小中学校の学習内容は、
子どもの生活体験を土台とした具体的(現象的)な知識内容が殆どだといっ
てもいいでしょう。
 よく遊べる子は、勉強もよく出来る子です。遊びは生活でもあり、学習で
もあります。遊びは脳をさかんに刺激します。遊びの中で、思考力や創造力
の知的発達を増大させていきます。遊びの中では、生き生きと遊ぶことで
子どもの興味関心は旺盛になり、、それがそのまま学校の勉強の土台となっ
て結合していきます。子どもは遊びの中でアタマを使い、手足を働かせて対
象に働きかけ、対象がどうであるから、対象へどう働きかけていくべきかの
知識を得ています。
 遊びで獲得した知識や体験が、学校の勉強の土台となって発酵していくの
であり、この土台がなければ、学校の勉強は単なるアタマだけの空ら知識と
なり、ほんとうに分かったということにはならないのです。実体験と結合し
た知識がほんとうの知識です。


 
(13)うちの子は勉強しなで遊んでばかりいるのよ。


「うちの子は、ちっとも勉強しなで遊んでばかりいるんですよ。遊びをやめ
て勉強してほしんですけど、どうしたらいいんでしょうか」と。外交辞令か
らそう言っているのも多分ありそうですが、ほんとうに今の子どもたちは遊
びほうけてばかりいるんでしょうか。
 以上で述べたように遊びには、親がお金で買った与えることのできない多
くの教育的効果があるのです。遊びの中で子どもはたくさんのことを学習し
ているのです。
 「ひとり遊び」については書いてきませんでしたが、「ひとり遊びはダメ」
なことは、読者の皆さんは、これまでに書いてきた事柄から賢明に読みとり、
ご推察していただけることと思います。


        
学級懇談会の話材資料


 次は新聞の投書欄(東京新聞、2015・01・09)からの引用です。学級懇談
会で話題にしてみたらどうでしょう。

       子どもが遊べる街に  
              教員 前田昌彦 28 (東京都立川市)

 私は職業柄、子どもの様子に注目することが多い。最近の子どもたちを見
ていて、私たち大人が持つ子ども観を考え直していく必要があるのではない
か、と思う。
 以前から子どもたちの遊び方の変化には、多くの大人が注目してきた。世
間話でも話題に上ることが多い。いわゆる外遊びの減少と、公園にいても
ゲーム機に熱中している子どもだ。このような姿を見て、単純に「今の子は
ゲームばかりやっているから、体が弱いんだ」といえるのだろうか。
 私の住む町や以前住んでいた地域を通ると、まだ三十歳手前の私でも「子
どもの遊んでいる声が減ったな」と感じる。なぜだろうかと、懐かしい公園
に行ってみると、「ボール遊び禁止」の立て看板がドカンとあった。比較的
広い公園でも、そんな調子で子どもたちの遊びを規制している。公園がダメ
ならと、公園近くの駐車場でボールを蹴っていた男の子たちは、住人に叱ら
れてその場を立ち去る。そんな光景も珍しくない。今の公園は、会社員の休
憩所やカップルの憩いの場と化している。
 子どもは本来、遊びながら学びを深めていく存在である。しかも、自然と
の触れ合いが何よりも大切。遊びが変化しているのは、子どもが悪いのでは
ない。一部の大人や社会が悪いのである。
 市場経済に子どもを乗せて、自然にも触れず、楽していろいろなことので
きるゲームなどの遊びを推奨しているのは誰か。都会では貴重な遊び場であ
る公園の遊び場を規制しているのは誰か。もっと大人一人一人が、子どもた
ちの健全な成長をよくよく考えなくてはならないのではないか。

【荒木のコメント】
 最近は、幼稚園や保育園の子どもの遊ぶ声が騒がしいからと地域住民から
幼稚園や保育園の建築に反対する声、防音の塀を建てろ、などの声がわきあ
がってるという新聞記事もあり、社会問題化しています。

 下記は、朝日新聞(2014・6・5)の生活欄に掲載されていた取材記事です。

     隣に保育所 迷惑ですか
          騒音・送迎車……各地で建設難航

 待機児童問題の解消が叫ばれるなか、住民の理解が得られずに、保育所の
建設が難航するケースが相次いでいる。どうすれば子どもの居場所を確保で
きるのか。
  
 さいたま市内で昨夏、ある保育所の建設計画が撤回された。来春、児童
90人を受け入れる計画だったが、住民の反対を受けて事業者が断念した。
 「静かな老後を過ごしたいと思って家を建てたのに」「送迎の車で住民が
事故にあったらどうするのか」。昨夏の住民説明会では、こんな声が相次い
だと事業者は言う。「保育所は迷惑施設としか思われていないのではない
か」
 住民側にも言い分がある。建設予定地周辺の道路は、乗用車同士がすれ違
いのがやっと。歩道と車道の区別はない。住民の一人は「朝夕の通勤・通学
時間帯は駅への行き来で人通りが多い。送迎の車で混雑すれば、事故の危険
性が高まる」と話す。
 事業者は、駐車場を借りて路上駐車や渋滞を防ぐなどの案を示したが、折
り合えなかったという。
 さいたま市内では、2011年春の保育所開設をめざした計画も白紙に。
断念した社会福祉法人理事長は「住民の反対や地主の貸し渋りであきらめた
計画は、他市も含めて10以上ある」。
 福岡市でも今春開園予定だった認可保育所の建設が中止に。市によると、
送迎車の交通整理や目隠し設置などの案を事業者が示したが、住民側と折り
合えなかった。
 
     1000万円の防音壁・遊ぶ時間制限
                 騒音対策「当たり前」

 全国の待機児童は、13年4月現在で約2万3千人。子には保育の受け皿
を17年度末までに40万人分増やす方針を掲げる。だが周辺住民の理解が
得られず、保育所の開設が難航する例が相次ぐ。
 自治体担当者らからは「近所で子どもの声がしなくなったせいで、余計う
るさく感じられるのでは」「住宅密集地にも建てざるを得ず、住民の困惑も
仕方ないのだが……」との声が漏れる。
 東京都内のある自治体は「二重窓ガラスや防音壁設置など『騒音』対策は
もはや当たり前」。来年度開設予定のある保育園では、給食のにおいが広が
らないように調理室の排気口を真上に向ける。別の自治体には「園舎の壁の
色が明るすぎ、反射してまぶしい」との苦情が寄せられている。
 「古い新しいに関わらず、住宅地にある保育園はほとんどが何らかの対策
を講じている」と話すのは、福岡市の担当者だ。市内の保育所は住民の苦情
を受け、住宅に近い部屋で児童を遊ばせない▽楽器の練習時間を制限▽隣家
との境に目隠しのため植樹をする、などの対策を迫られた。
 訴訟に発展したケースもある。東京都練馬区内の認可保育所をめぐって
12年夏、住民が園を運営する日本保育サービスなどを相手取り、東京地裁
に提訴した。「平穏に生活する権利を侵害された」として騒音差し止めや慰
謝料を求めている。
 同社の山口洋代表(53)は周辺には配慮していると説明する。
 「高さ約3メートルの透明な防音壁を設置したほか、園庭で遊ぶ時間を午
前9時45分から11時半に制限。それ以外は公園などで遊んでいる」
 プールで歓声を上げないよう、保育士は子どもに極力水をかけないように
しているという。「本当は自由に遊ばせてあげたい」。

     周囲を雪かき・集う場提供
               地域に溶け込む努力

 丁寧な対応を重ねて、地域に溶け込んだ保育所もある。
 東京都町田市の認可保育所「ききょう保育園」は、園舎を現在の場所に移
転した96年、住民の反対にあった。当時園長だった山田静子さん(78)に
よると、園側は、子どもの声を聞こえにくくするために園庭を最大2,6
メートル掘り下げる、住宅に面した園児用の部屋には窓を付けないなどの配
慮をした。
 開園後も子どもの声や保護者の交通マナーへの苦情は続いたが、「職員が
周辺の雪かきをするなど、地域に溶け込む努力をした」。餅つき大会の会場
を探す町内会に園庭の利用を申し出たほか、住民を招いた夏祭りや高齢者と
園児の食事会も開いた。
 保護者にも協力を求めた。送迎時のルートを制限し、細かい交通ルールを
設けた。移転から5年ほどたった頃、住民は保育園前の通りに「ききょう通
り」の愛称をつけた。
 町内会の元役員(74)は、「最近は保育園への批判を聞かなくなった」。
町内には住民が集える広場がなく、保育園での餅つき大会が交流の場という。
「保育園と地域は、今や切っても切れない関係」
 山田さんは12年春、世田谷区に「東北沢ききょう保育園」を開いた。経
験を生かし、住民には菓子折を持って事前にあいさつ。説明会でも、丁寧に
質問に答え、開園にこぎつけたという。    (伊藤舞虹 田中陽子)


           
 参考資料(1)

 下記は、上の記事を受けての投稿です。朝日新聞(2014・6・6)の投書欄
「声」に掲載されていた記事です。

      子らを応援する気持ちになって
                 主婦 滝谷美佐保(埼玉県 71)

 「隣に保育所 迷惑ですか」(3日朝刊)を読み、とても暗い気持ちにな
った。近隣住民の反対を受けて各地で保育所建設が難航するケースが相次い
でいるという。これまでも、障害者施設の建設が住民の反対運動によって実
現不可能になってきたことに心を痛めてきたが、「子どもの声」がこれほど
うるさがられているとは……
 私の家の近くにも数年前にできた新しい保育園があり、毎日早朝、保育園
の周りを掃除することを日課としている。子どもたちやその親たち、働く保
育士さんたちに送る、私からのひそかなエールである。
 私たち夫婦にも小さな孫がいる。娘の子育てを通して見えてきたのは、私
たちの頃に比べて、はるかに今の子育てはやりにくい状況にあるということ
だ。子どもが自由に自然と触れ合う場所がなくなり、事件に巻き込まれない
ように外で子どもだけで遊ばせることもできなくなった。また、近隣で互い
の子を預け合う人間関係も薄れた。
 自分の孫や子どもが通うかどうか関係なく、子どもたちや子育てに奮闘し
ている親や保育士たちを応援していく気持ちを持てないものだろうか。「建
設反対」の住民の皆さんに再考していただければと思う。

          
 参考資料(2)

 下記は、上の投稿を受けての記事です。朝日新聞(2014・12・5)の投書欄
「声」に掲載されていた文章です。

      「子どもの声うるさい」は不当か
               会社員  立石邦彦 (東京都 43)

 保育園の近隣で子どもの声がうるさいという苦情があることに対し、この
欄では「幼かったころを思い出して」「助け合える地域を」という意見ばか
りが紹介されていて、少し残念に思った。
 今と昔では時代の状況が大きく変わった。東京など都市部への人口集中は
進み、住宅密集地に公園や保育園がある。かつては深夜勤務といえば、自衛
隊員や警察官、医療従事者など限られた職種の人だけだったが、今は多業種
で24時間化が進み、夜に働く人や土日勤務の人も多い。かくいう私も深夜
勤務で、土日も働く。
 昼夜が逆の生活をする者にとって、子どもの声は安眠を脅かし、仕事の能
率に響くこともある。通りで遊ぶ子どもの声が、資格試験の勉強の妨げにな
った経験もある。昔は近所の頑固おやじが騒ぐ子にげんこつを食らわすこと
が当たり前だったが、今は親ですら虐待で通報されかねない。
 そんな時代に、子どもの声を「うるさい」と思うことの全てが不当だと思
えない。それぞれに切実な理由があることも多いのだ。子どもの声を迷惑が
る背景には、大都市問題や社会構造の変化があることを見逃してはならない。


           
参考資料(3)

 下記は、読売新聞(2015・1・19)の投書欄「気流」に掲載されていた記事
です。

      保育園児らの歓声 話し合いで解決を
             中学生 吉野真優香 13(東京都立川市)

 東京都が、子どもの声を騒音の数値規制対象に含めている環境確保条例に
ついて、見直しを進めていることを知り、うれしく思っています。子どもの
声は規制対象から外すべきだと思うからです。
 都内では、保育所の子どもの声がうるさいなどの苦情が出ているそうです。
確かに、子どもの声を迷惑だと感じる人たちへの配慮は必要でしょう。でも、
子どもの成長過程では、元気に声を出すことも大事ではないでしょうか。
 以前、こんな話を聞いたことがあります。保育園の子どもの声が迷惑だと
感じていた近隣住民が、毎朝あいさつを交わすうちに子どもと仲良くなり、
迷惑だと感じなくなったというのです。保育園と住民が話し合って、解決法
を見つけてほしいと思います。



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